Sonyの終焉
2013-10-16 06:45
仕事では結果を出せという。しかし結果に作用する要素はあまりにも多く、自分にコントロールできることとできないことがあるのも確かである。
だから今景気が悪いといって、そこで働いている人たちが特別無能と結論づけるのは間違いだし、彼らがやっていることが間違いとも限らない。
今や話題にも登らないソニー。ホソボソと終焉の道をたどっているが、それは他の家電メーカーも同じこと。ソニーが特別間抜けというわけではない。
しかし
1つだけ確かなことがある。1970−90年代にあれほど輝いたソニーはもはや戻らないということだ。なぜそう言えるか。彼ら自信がそれを目指していないから。
ソニーの創業者盛田昭夫は、消費者が片付けようとしている用事を見抜き、その洞察と、その用事をうまくこなすのに役立つ解決策を結びつける名人だった。(中略)
新製品開発の決定は全て、盛田自身と5名ほどの腹心が下していた。彼らは、人々を観察したり彼らと言葉を交わしたりしながら、本当は何を片付けようとしているのか考えることによって、破壊の足がかりを探し求めた。小型化や固体電子工学の技術を駆使して、スキルや金を持たない多くの人が、不手際な満足できない方法で片付けていた用事を、金をかけずに手軽にこなす手助けができないか考えたのだ。
イノベーションへの解:翔泳社刊 p99
ソニーが連続して破壊的テクノロジーを開発するという快挙を成し遂げたのは、こうした「問題の本質を見抜き、解決策を結びつける」能力が傑出していたからだった。では現在のソニー経営者はどう考えているか。
鈴木氏は、過去におけるソニーの強さを次のように表現する。
「ソニーだけでなく家電メーカーがうまく回っていた頃は、自社技術を中心にして、第三者の参入を許さないほど、速いサイクルでの製品開発と投入を繰り返すことで利益を上げてきた。ソニーに関して言えば、IT化が進む以前は記録メディアにおける強さがあり、自分たちの持つ知財を軸にしてあらゆる商品を作れていたことが大きい。基本部分を押さえているので、比較的少ない投資で先頭を走ることができた」
via: ソニーが掘り当てたエレキのサバイバル術 | 企業 | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト
記録メディアをしっかり抑えていたから楽して製品が作れた、これが盛田氏が目指したソニーの姿と大きくかけはなれていることは論をまたない。
「速いサイクルでの製品開発と投入を繰り返す」とか寝ぼけたことを言っている間に、iPodとiPhoneにすべてもっていかれた現実も彼らの前では無意味のようだ。うん。確かにソニーははやかったよ。あの頃、わけのわからないプレーヤーを他種類量産していたから。全部ゴミだったけど。
ソニーにプレイステーションから派生したSEN(ソニー・エンターテインメント・ネットワーク)があることが強みなのだという。
via: 「Now or Never(今でしょ)」で攻めるソニー | 企業 | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト
もうここまでくると「日本には大和魂がある!」といっていた帝国陸軍と対して変わりがない。SENなんてことばはこの記事を読むまで聞いたことがなかったが、ソニー内部では「ソニーが苦境に陥っても、SENがある」と思ってるんだろうな。
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私は今後ソニーはゆるやかな解体と、家電消滅(カメラ部門は独立して残る)と思っているが、この記事を読んでその確信が高まった。
というわけでこの「ごんざれふ」でしつこく繰り返してきたソニーに対する記事もこれで終わりにしたい。今後はいいことしか書かないよ。