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なぜかというと、自分でゲームを作りたいからなのだ。うちはDSとかWiiとか買わないからね。

さて何を使ったものだろうか。

まず頭に浮かんだのはビスケットである。最初にデモを観た時の衝撃は未だに忘れられない。

さっそくサイトにアクセス。しかしすぐに

"子供に使わせるにはハードルが多すぎる"

ことに気がつく。そもそもチュートリアルはどこだ。サンプルはどこだ。。探すのに結構手間がかかり、子供に

"あとはよろしく"

といえる状態ではない。プログラミング言語としてみた時の主張は明確なのはわかるのだが。

では、というわけでいつぞやかの学会で聞いたScratchを試してみる。こちらのほうがはるかにとっつきやすい(プログラミング環境としてどうだ、ということではなく、あくまでも子どもが始める時のハードルがどうだ、という観点で)

こちらは子どもがしばらく"プログラムやる"といいながら使っていた。しかしまだ幼稚園児には距離があるようだ。

とかなんとか言っているうちに子供は小学生となる。そこへプログラミンなる環境が"文部科学省"からリリースされたことを知る。一見して思ったのは

"あれ、これScratchじゃん"

である。本家Scratchとの関連が今ひとつ見えないのが不思議だが。家でちょこちょこ触っていると、子どもが寄ってきて"ちょっとやらせて"という。

子供と一緒に使い方を覚え、何ができるかなどを見ていくとこのプログラミンは実に細かいところまで考えられたシステムであるということに気がつく。プログラミンで何ができるか、サンプルはどこにあるかなどすべてフラットな画面からアクセスすることができる。

これは"シニアの方にパソコンを教えよう"ボランティアで学んだことなのだが、

"ファイル選択ダイアログボックス"

というのは鬼門である。あれがあるだけでコンピュータ初心者へのハードルは5段階くらい上がる。このプログラミンではそれらが排除されている。選択対象となるものは、画面に平置きする。それが徹底しているのが素晴らしい。


プログラム作成に使える部品自体はおそらくScratchとあまり変わりはない。どこが違うかと言えば、それに子どもが親しみやすい名前とアイコンを付け、画面下にずらっと並べたことだ(ここでも階層は排除されている)

"ちょっとしたこと"と人によっては言うような点だ。しかしその効果はどうだろう。子供は自分が作ったプログラムを

"ここでヒダリンを使って"

とか実に自然に説明している。

また素材となっている絵にも工夫がある。最初から手で塗った風の少し荒い絵が提供されている。これの何がいいかというと、子どもがいい加減に描いた絵との落差があまりない点だ。

こうしたことは実に"細かい"ことかもしれない。しかし初めて触る人はその"細かい"ところにひっかかり前進を諦めてしまうのだ。

というわけでやたら記載されている"文部科学省"の文字を無視してこれを"実際に作った"人がどんな人達かに興味は移る。こういう現実にきちんと立脚した作品を見る機会はそう多いわけではない。

子どもが聞く。

"お父さんが子供の頃こんなのあった?なかったの。もしあったらどんなの作ってた?"

そうだね。。お父さんは何を作っていたのかな。こういうものに触れる機会があったらその後歩む道はどんなふうに変化したのかな。

こういう物言いは久しぶりに聞いたなあ。





とりとめもないことや愚痴のようなことを書いてきましたが、以上がこの人材募集に至る経緯です。かなりハードルが高いことは承知していますが、願わくば、私と同じような志を持つ「同志」に来ていただければ、と考えています。いっしょにGIGAZINEを高みへ押し上げて、ひとりでは決してできないことをGIGAZINEでいっしょに実現しましょう。私は私と同じような人を、ここで待っています。



【求人募集】GIGAZINEのために働いてくれる記者・編集を募集します - GIGAZINE から引用

ベンチャーを立ち上げる人は、その人なりの夢を持ち、その夢のためなら大きな犠牲を払うことも厭わない。そうでなければそもそもベンチャーの立ち上げなど試みるはずがないのだ。

それはそれとして

"俺にように働け!俺にようになれ!"

という言葉は(明示的には言わないが)年配のこまったちゃんの口からでることが多い。なぜ困ったちゃんかと言えば、この物言いが自己矛盾をきたしているからだ。"俺のようになれ!"はいいが、"俺"は自分でない誰かのようになりたい、と思っているのか?多分そうではないだろう。

年をとると実感することだが、人間は本当にそれぞれ異なっている。何にやりがい、生きがいを見出すかは実に様々だ。そうした雑多なMotivationを会社としてまとめて仕事をなすのが経営者、、と簡単に一般化するわけにはいかない。経営者とその経営手法もまたさまざまなのだ。

他人が何をいおうが、この求人広告に反応して本当にGIGAZINEの中の人が求めるような人が集まるかもしれないし、集まらないかもしれない。それはGIGAZINEの中の人のリスクとチャンスであり、外部のやじうまにはなんともコメントのしようがないものだ。(ただ私は前述の理由により、この求人募集の内容は自己矛盾をきたしており、そもそも要件を満足する人はいないと思っているが)

GIGAZINEの小悪魔ageha編集長へのインタビューは面白かったけどなあ。

というわけで3回目の参加となるYamaha主催の音楽会議である。(第3回第4回の感想はリンク先をみてね)

百式の田口氏主催の◯◯会議に参加するのはこれで何度目だろうか。今まで発表された内容に関して同意することもあったし、同意しかねることもあった。

しかし今回は少し様子が違った。

そもそもどんなサービスを紹介されたのかさっぱりわからなかったのだ。

いや、Yamahaのメッセージは非常に明確だった。

プレゼンを行った須田氏が"おれスゲー!"と何度も連呼していた。

今朝の2時にプレゼン全部作り直した。おれスゲー!(これは2回言っていた)
今までネット+音楽一筋でやってきた。おれスゲー!
全然ぶれてないよ。おれスゲー!
やっぱ音楽会議では須田が歌わないとね。カラオケで歌っちゃうよ!おれスゲー!
第3回もプレゼンやった。実はその時結婚2週間前で離婚の危機に瀕した。おれスゲー!
コーラスグループのお父さんいい人だよ。俺みたいだよ。おれスゲー!
スーパーCちゃんがあがってないか気を使ってあげてるよ。おれスゲー!

さて

おれスゲー!の合間に何か新しいサービスを紹介していたように思う。今これを書いている時点ではそのサービスの名前を思い出すことができない。何をするためのサービスかもよくわからない。須田氏いわく

"6チャンネルのシーケンサ"

とのことだが、私のような素人にはそう言われてもわからない。須田氏が歌った声をスーパーCちゃんと呼ばれる女性がなにやらすると、ハモリのメロディになるのだが、そもそもスーパーCちゃんは何をしたのだ。それはユーザにとって簡単に使えるものなのか。

プレゼンが終わるかと思ったところで

one more thing

がでてくる。

Jobsがこれをやるときは、最後にすごい製品、サービス、あるいはアナウンスがある。

しかし須田氏のプレゼンででてきたのは、なんとかいうコーラスグループだった。えーっと今日はこのコーラスグループの宣伝ですか?

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始まりは7:30だが例によって"遅刻してはならぬ"という強迫観念から7時過ぎについてしまう。最初はがらがらだったが、開始時間が近づきだんだん人が増えてきた。

音楽会議も3回目となると手順もだいたいわかってくる。まず諸注意。田口氏の写真はネットにださないでね。田口氏も言っていたが、出席者が皆この注意を守っているのは偉大なことだと思う。

続いて事前に設定された質問にたいして集まった回答のうち、独断と偏見で選んだ10の紹介。この"事前回答の披露"はいわばIce Breakの役割を果たすものだろう。だから内容についてあれこれいうのは間違いだ。カラオケマイクがはやぶさになって地球から飛び出していくことで、場が盛り上がるか、などと考えては負けである。

そのあとは前述のとおり。須田氏は"おれスゲー!"というのに忙しく、あまりサービスの説明に時間を割けなかったようだ。だからここで紹介されたサービスについて書くことはできない。

プレゼン後一旦休憩となったところで帰宅する。

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Yamahaが音楽を作る人を支援しているとは須田氏も連呼していたことだ。しかしUGC-User Genearted Content発表の場として栄えているのが、Yamahaが関与していないニコニコ動画や、Pixivであるのは皮肉なことだ。そこにはYamahaが考えるべき要素がいくつもあるように思えるのだがどうだろう。

ハーバード白熱教室をみて

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NHKで放映しているハーバード白熱教室が面白い。とはいえ気楽に見られる内容ではないので、すこしずつ観ている。

日本の大学関係者(特に自ら講義を行う人)はどのように思うのかな、とここ数日考えている。

私が日本の大学の講義なるものにでたのは25年も前のことだ。それから携帯電話という生活を一変させる発明があった。今はすっかり様変わりしているのだろうな。

というわけで先生方の反応は想像するしかないのだが

・学生があんなにたくさん集まっている
・携帯電話をいじくっている学生がほとんどいないし、私語もない(ように見える)
・学生が発する意見がまともだ
・そもそもあれだけ興味深い講義ができるかな

とか考えたりするのだろうか。

なぜ私がやせないか

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自慢じゃないが、私はRecording Dietの権威である。期間だけなら多分誰にも負けない。もう10年以上も体重を記録し続け、そして公開している。

もっと正確にいえば"Recording Diet失敗者"としての権威である。体重は12年半前から4kg増えているのだ。

先日NHKの"ためしてガッテン"で糸井重里氏が測るだけダイエットの成功例を語っていた。まだ最初の部分しか見ていないのだが、なぜ私がダイエットに失敗しているか、いや、それよりももっと根本的な問題をいくつも見せられたような気になった。

・ダイエットを始めるにあたり、よい体重計を注文し、そこから始めた

何かを始めるときには、よい道具を手に入れなさい、とはワインバーグの文章入門にも書いてあったことだ。それだけの金を費やす意味もないと思っているなら失敗は最初から決まっている、と。

そうだよなあ。もうちょっとよい体重計買おう。そうしよう。

次はもっと衝撃的なお言葉。

・自分の体重を量りその変化について"どうしてだろう"と考えると楽しくてしょうがない


私はただ体重を記録しているだけだ。最近のように体重が不気味な増加を見せるとがくっとなるがそれだけ。

それではいけない。自分の体重の増減がどうしてか、と興味を持たなくてはならんのだ。いや、これはきっと体重だけに限った話ではない。

これはどうしてだろう。自分の体重であってもそんな疑問を持ち、調べ、実験するところから日々をもう少し楽しくできるのではなかろうか。

こうやって文字にしてみるとあまりにも当たり前のこと。しかし何かとどん詰まり感のある身にはこの言葉がこたえる。

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日本のジンバブエ化はどうも避けられないようだ。などと嘆いているより、まずは自分の体重について考えよう。これについては責任があるのは私だけで結果は容赦なく表れるものだから。

ロックすることについて

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と書いてはみたものの、何もここでHighway Starを歌おうとかそういうことではない。ここでいうロックとは以下のような意味である。

 ロックとは生き様であり、既成概念や社会規範や権威への反抗であり、くだらねえ大人たちにドロップキックをくらわせることである。それは誰もが一度は通る道であるが、いつしか熱い魂を失い、なんとなくモヤモヤを抱えながらも自分自身がくだらねえ大人になってしまうことも多い。

 私自身を振り返ってみてもそうだ。かつて、とんがっていたころは「飛車を斜めに動かす」「雨の日にふとんを干す」「雑誌のエッチな袋とじを開けずに捨てる」など、さまざまなロック的行為を繰り返していた。まさにカリスマだった。

via: エレメンタルノート -elemental note-

飛車を斜めに動かす。これこそがロックだ。今日は最近みかけたロックな文章をいくつか紹介。

それにしても、たった1日の出来事を長々と続けてしまい、ちょっぴり反省。

「○○なう」とか言って、その日のうちに報告することも出来るというのに...

でもね。1年前の1日の間に起きた出来事を何ヶ月もかけて思い出し、考え、整理し、調べ直し、組み立て直す作業というのもそれはそれで意味があると思うんですよ。

速報性ばかりがネットの特性と思われるかもしれないが、10年後にも価値のある情報を提供するのもひとつの方法かと私は思う、つかそうありたいですね。

そんな訳でこれからもブログやミクシィやツイッターではない、ホームページという、受け手はともかく作り手にとって(というか私にとって)最も自由度の高いメディアにて遅くて重いコンテンツをお届けする所存ですので今後とも努々お覚悟召されたし。

via: 珍寺的篠栗霊場巡り/切幡寺

なぜ私がTwitterを使うかといえば、興味深い情報を提供知る人がTwitterで情報を出すようになったからだ。

しかし情報の断片化、短時間化には常に警戒感を抱いている。自分がこんなところで文章を書き散らしていてなんだ、とも思うが。しかし前にも書いたけどまじめに考えているんですよ。Twitter脳の恐怖について。

だから私も文章を書く場所は基本的に"ホームページ"である。

さらにJobs氏は、革新・制御・秘密主義に基く同社独自のカルチャーを築き上げていった。これはシリコンバレーで受け入れられていた「オープンネスと共有」という価値とは逆行するものだったが、実際に成果をあげていった。少なくともJobs氏の指揮下においては、トップダウン式の制御は効果的であることが実証されていったのだ。

via: 「世界最大の技術企業」になったApple社、その10年 | WIRED VISION

このAppleのやり方もロックだと思う。というか"●●がトレンド"とかいう言葉は実にくだらない、と自分がそうした言葉を散々つかってきた後の私は思う。

経営コンサルタントとかは様々な一般論を述べるのだろう。しかしそれがなんなのだ。

といったところで今日は投げっぱなしでおしまい。

こういった意見をいくつか目にする

1970年代に世界で始めてパソコンらしいパソコンを出したAppleは輝いていた。常に新しくてスゴイものを提示し続けてきたが、20年くらいかけてパソコンが普通の道具となったときには、強烈な主張を持っていて普通の道具になれないAppleのコンピュータは、マイナーな存在になってしまった。

 パソコンで20年以上かけて起きたことが、スマートホンではわずか3年しかかからなかった。実に慌ただしいというか。だが、スマートフォンが普通の道具となりつつあるというのなら、歓迎すべき事象ではあるのかも。

via: Android端末の販売シェアがiPhoneを抜いた・・・いつか来た道: 無指向な嗜好

iPad上のアプリを使っていると

"どうしてiPadのアプリはどれもこれもこう面白いのか"

と思う。実はこれ1985年日本で書かれたMacの雑誌に書かれていた言葉とぴったり重なる。

それからのシェア推移は前掲文書の方が書かれているとおりだった。

iPhone vs Androidにも同じことが起こるのかもしれない。しかしここ数日iPhone + iPadとXperiaを使っていた私は別の感想を持っている。

それはPCと携帯情報機器の違いだ。

操作の洗練という点に関しては、Mac v.s. WIndowsよりもiPhone os v.s. Andoridのほうが差が大きい。いや、私には性質が異なるもののように思うのだ。

Androidはあくまでも"PC Geek向けのデバイス"でしかない。マルチアプリの管理はどうやるのか?不要なアプリはどうやったら終了できるのか。ボタンを押されると出てくるメニューとアプリの中にあるメニューの関係はどうなっているのか?

もっと直感的に言おう。Androidはあくまでも"操作する"デバイス。iPhone + iPadは"思った通りに動く"デバイスだ。私にはこの差が埋まるとは思えない。

多様なユーザの要求に対応して様々な製品が出てくるAndroid端末に対して、iPhoneはAppleの主張を丸呑みできる人のための製品としてマイナーな存在になっていくことだろう。

via: Android端末の販売シェアがiPhoneを抜いた・・・いつか来た道: 無指向な嗜好

Windowsは"仕事をするためのOS"として見事な成功を収めた。誰も仕事で使うPCに楽しさを求めないからだ。

"まあこれでいいか"のWIndows的なAndroidが結局数を制することになるのか、そうではないのか。Apple原理主義者の私は"そうはならない"と狂信的に主張しておく。

いやだって未だに

"3歳児がAndroidさわるよ"

とか

"猫がAndroidさわるよ"

っていう動画みたことないし

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日本ではXperiaが売れているようだが、、買った人って本当にあれ使えてるんでしょうかね?

気になるのは、こうした状況を理解せず、Xperiaが流行りすぎているのではないかという点です。iPhoneにも言えることですが、ケータイから乗り換えた結果、使い勝手が悪い、スマートフォンって駄目じゃないか、という結論に多くのユーザが落ち着いてしまわないか心配になります。

via: ドコモ Xperia SO-01B レビュー

ケータイをほとんど使わずiPhoneに移った私が言うのもなんだが、ケータイ→Xperiaの差異は、ケータイ→iPhoneの差異よりずっと大きいと思うのだが。

先日あるNHKの番組を見た。

毎月、約400人が悩みの相談に訪れる民間の相談機関が、東京・銀座にあります。
臨床心理士4年目の斎藤愛さん(30歳)は、一番の若手。臨床心理士は、悩みをとことん聴いて、話してもらう事が基本です。悩んでいる人の心の中は、様々な問題が複雑に絡み合い、自分で何が問題か分かりづらい状態。話す事で、初めて自分の悩みに気づき、整理できます。それが回復への第一歩になると考えられているのです。

via: ●あしたをつかめ●学校放送●

番組を見始め、斎藤氏が画面に登場したところから何か違和感を感じた。番組が進むにつれてその違和感は高まるばかり。

これはどうしたことか、と思っていた疑問の答えは番組の後半にあった。

模擬カウンセリングに対して、他の臨床心理士がダメだしをする場面だ。(すべてうろ覚え)

"相手はゆっくりしゃべっているのに、斎藤さんは早口でしゃべっている"

"後半になるにつれ、斎藤さんの発言が多くなる"

"(ベテランの人が)私がやれば質問が途切れることはない。メモをとることで何がしたいのか"

私が斎藤氏の言動に感じていた違和感はこれだった。

つまり斎藤氏は"あなたの悩み、とことん聴きます"と言いながら、全然相手の言葉を聞こうとしていないのだ。正確にいえばありのままの相手の姿をとらえようとするのではなく、頭の中にいくつかある"型"にはめようとしていたのだ。

だから相手のペースに合わせず自分の主張ばかりしゃべる。だから後半になると"あなたはこの型です"としゃべりだす。これで本当に相手の話を聞いていることになるのだろうか?


さて

この資格をとるためには何をする必要があるのか

原則として、資格認定協会が指定した大学院(第1種)を修了するか、第2種指定大学院修了の場合は1年以上の臨床経験を積む必要があります。

via: ●あしたをつかめ●学校放送●

資格認定協会がどのような大学院を指定するかといえばこのリストにある大学院とのこと。臨床心理学系である。

ここで私が思い出したのは"研究補償説"だ。(専攻分野反転の法則ともいう)

この法則を敷衍してみよう。言語学者の言うことは意味が分からない。哲学者はバカばかりである。講義のうまい教育学者を寡聞にして知らぬ。心理学者ほど人の心を知らぬ者はない。倫理学者は犯罪人である。読者諸氏にも思い当たるところがあるであろう、見事に専攻分野と人格類型に反比例の関係が見て取れるではないか。

via: 本日つらつらと考えたること

斎藤氏をみていると、彼女は自分の前の前に座っている"人間"を教科書で学んだパターンに置き換えようとしているように思う。つまり"人の心を知らない"ように思えるのだ。

いや、心理学と臨床心理をいっしょにされては困る、、という意見もあるのだろうが、この"資格要件"はいかがなものなのだろうか。あの番組を見る限りではそうした疑問を持たざるを得ない。

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番組の中でダメ出しをされた斎藤氏は"課題だらけですが、少しはマシになれるように努力します"と感想を述べていた。

それをみて

"ああ、この人は何もわかっていない"

と思った。

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そもそもなぜこの番組を見たかといえば、"聞き上手"について学びたかったからだ。あるブログにはこうあった。発する言葉は以下の3種類

"難しいですなあ"

"わかりませんなあ"

"感動しました"

また別のブログには"相手の言うことを勝手に要約しない"ともある。この文章を読んで50字以内でまとめなさい、という受験教育の弊害というつもりはないが、私にはこの"相手の言うことを勝手に要約する"悪癖がある。自分でも気が付いているくらいだから、気がつかないところではもっと派手にやらかしているに違いない。

この番組を見て"相手を勝手に型にはめようとするのはやめよう"と心に誓う。アンチパターンがまた一つ。

何の関係もない芸能人

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ふと目にした記事

ソニーは10日、ウルトラモバイルPC(UMPC)「VAIO P」シリーズを発表。これにあわせて、都内で記者発表会を開催した。発表会では、タレントの石田純一さんとモデルの佐田真由美さんがゲストとして招かれ、トークショーが披露された。

via: 【PC Watch】 ソニー、石田純一さんと佐田真由美さんを招いた「VAIO P」トークショー

これと

民主党は10日、柔道の女子48キロ級でシドニー、アテネ両五輪を連覇した谷亮子氏(34)を夏の参院選比例区に擁立すると発表した。政党支持率が低迷する民主党は、谷氏の知名度を比例票の上積みにつなげたい考えだ。

via: asahi.com(朝日新聞社):谷氏、参院選立候補を表明 「ロンドン五輪も金めざす」 - 政治

絶対この製品つかってないだろう、という芸能人を新製品の発表にひっぱりだすメンタリティと、どう考えても政治家の資質ないだろう、というスポーツ選手を立候補させるメンタリティに共通点はあるのかないのか。

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自分の姿を客観的にみるのはいつもつらいことだ。

谷が立候補してるから民主党に投票しよう、と考える国民が多数存在するこということなのだろう。それがどんなに情けなくてもそれが今この国に住む民の姿なのだからしかたがない。

鏡の中の自分の顔に"人目にさらすのはいかがなものか"といったところで何も解決しない。

おそらく実際に担当されている方からみれば、無責任極まりないことしか書けないと思うのだが

こんな記事を見つけた。

なんて思いながら、6年生の授業を参観しました。各学年1クラス20名の少人数編成。それを2つの教室に分けての授業です。生徒それぞれがタブレットPCを抱えて教室に入ってきました。先生が電子黒板を使って課題を説明します。

via: Ichiya Nakamura / 中村伊知哉: 衝撃の授業、青山小学校。

引用部分は意図的に"オチ"の部分を省略している。是非引用先を読んでください。ヒントは"これは情報機器の授業ではなく、"情報"の授業と言えるかもしれない"

遠い昔、英語の研修でこんなビデオを見せられた。先生がある日突然宣言する。瞳の茶色い子はいい子です。遊び時間を20分余計にとってよろしい。それ以外の子は悪い子です。掃除を2倍やりなさい、とかなんとか。

つまりクラスの中に"何の根拠もない"人種差別を作りだす。するとどうなるか。仲のよかったクラスがたちまち"人種対立"で荒れだす、と。

それを体験してこそ人種差別に対する理解のスタートラインに立てると思うのだ。

戦争に対する学びも同様ではなかろうか。戦争は悪いね、いけないね、は話の半分にもならない。ではそもそもなぜその"いけない戦争"がこの世の中からなくならないのか。それを身をもって体験させてこそ教育だと思うのだが。

遠い昔の英語研修の続き。あるロールプレーをやらされた。受講者を二つのグループに分ける。それぞれのグループで

"あなたはX国の住人です。この国の住人は、このようにして親愛の情を示します"

とかなんとか教えられる。最初はそれぞれのグループで新しい挨拶の仕方を学ぶ。

次にその中の数人が"別の国"へ行く。すると"彼ら"の姿はとても異様に映る。それは信じられないほどに。

そうしたCultual Shockを全員が味わったところで説明がなされる。これは海兵隊が海外に行った際、Culture Glassesをかけてしまうことを体験させるために作られた演習であると。

これも実際に体験したことがない人にはその効果を伝えることが難しい。全く仮想の奇妙な風習であるが、たった20分ほどの練習で、あっというまにその文化に自分が染まってしまう。そしてたっと20分別の文化を学んだ人たちの行動を

"あいつらは狂っている"
"あいつらは気持ち悪い"

と掛け値なしに判断する。

こういう

"体験型"の授業に関する評価というのはどういうものなのだろうね。