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Invictus

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とはいうものの今日書きたいのは映画評ではない。(近日中に本家およびここにアップロードするつもりだが)

この詩は映画の中でとても効果的に使われている。

そして何年間にも渡る脅迫も
Finds and shall find me unafraid.
私が今も恐れてなどいないことを思い知るだろう
It matters not how strait the gate,
その門がいかに狭きものであろうと
How charged with punishments the scroll,
どうして裁きのままに罰を受けることができようか
I am the master of my fate:
私は我が運命の主であり
I am the captain of my soul.
我が魂の指揮官なのだ

via: Invictus | 不 可 視 の 学 院

この言葉を27年間投獄され、大きな石を砕き続ける、という意味のない作業を強いられ続けた人間がつぶやけば、誰もが"をを"と思う。

しかしそれは話の半分でしかない。

この詩を遺書の中で引用した人がいる

この言葉は、死刑囚ティモシー・マクベイのものではなく、19世紀のイギリスの詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩「Invictus」の一節だった。Invictusとは、「征服されない」という意味に当たる。何故この詩ような他人の詩を、己の最期の言葉として、書き写し手渡したのかは不明だ。

via: 孤独なテロリストの自己

オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件を引き起こし、168名を殺した男だ。

"不屈の精神"と"完全な狂気"はある部分だけとれば大変よく似ている。それらを隔てるのは"現実からのフィードバックを受け止めることができるか否か"だけでしかない場合がある。

マンデラは前者であり、マクベイは後者だった。崇高な理想のために一身をささげる、という意味であれば911でWTCに突っ込んだ人間だって該当する。あるいはオウム真理教で殺人を続けた人間たちも。

「結局は自分の好きなことを貫き通したやつが勝つ」というのはよく言われることだ。そしてお笑い芸人を目指している生徒たちも、たいていはそういうもんだと信じていて、自分の好きなお笑いを貫こうとする。自分が面白いと思うネタを作ってくる。自分がやりたいお笑いをやる。

しかし、そういう生徒はことごとくウケないのだ。学校では月に一度、生徒たちによるライブを開催していて、そこでは見に来てくれたお客さんによる人気投票も行われているのだけれど、自分の好きなことを貫き通した生徒から順に、人気投票の下位から並んでいくのである。

via: 結局は自分の好きなことを貫き通したやつが負け - ハックルベリーに会いに行く

一読すると世間で言われていることと反対なようなこの文章も、つまるところ、自分の信念を貫くことと、現実からのフィードバックを両立させなけりゃだめだよ、ということなのではないかと考えたりする。

10年ひと昔

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年をとると時間が過ぎるのが早くなる。2000年問題で騒いでいたのはもう10年前なのだな。
私がアメリカに行ったのは1990年なのだが、それからもう20年もたってしまっている。そういえばよちよち歩きで私を見送ってくれた姪はもう大学4年生だ。私の頭の中ではついこないだのことのようだが、鏡の中の自分の顔はそれだけの年月がたったことを教えてくれる。

なぜそんなことを言い出したかといえば、昨日この記事を読んだから。

つまり、2000年代ならアプリケーションサーバを30台必要としたサービスが、今では1台のハードでさばけるようになっていて、3年後には過去に120台のマシンを必要としたサービスが1台でさばけるようになるかもしれないのである。このトレンドは、もはやアーキテクチャの存続条件を変えるところまで迫っているといえるだろう。

via: スケールアウトからスケールアップへの回帰:江島健太郎 / Kenn's Clairvoyance - CNET Japan

これを読んではっとした。サーバー設計10年のベテランなどと言ったところで、使うテクノロジーが対数規模で変化しているのだから個々の要件ばかり頭に詰め込んでも仕方がない、ということだ。

仕事でやれロードバランサーがどうの、サーバーの台数がどうのと計算することも多い。これまでそういうことは一切やっていなかったから先人の知恵に学ぶことばかりなのだが、先人の知恵が10年前のものとすれば、それはもう"非常識"かもしれないわけだな。

つまるところ

"変わるものと変わらないもの"

と意識しながら勉強したりあれこれ日々を送る、という当たり前の結論になってしまうのだが。

タランティーノが

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生まれたのは私と2週間(程度)違いであることを知る。

だからなんだといわれても困るのだが。

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ある人と話していて"ものすごい研究者"を5人挙げてみることになった。

iPhoneの日本語入力を作った増井氏、Teddy以外にもあっと驚かせるようなインタフェースを作り続けている五十嵐氏、音が絡む分野でこれまたすごい研究をしている後藤氏

優秀な研究者はほかにもたくさんいると思うのだが"ものすごい"という形容詞をつけるとなるとここでぱたっと止まる。少し分野を広げれば、Googleの工藤氏も"ものすごい"という言葉に値するだろう。

というわけであと一人足りない。"日本三大○○"と同じで5人目には多くの人が該当する、ということかもしれない。

"国民の声"を主語にするとき

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小沢君の場合は"国民の声"="自分(小沢)の声"という文脈で使っているようだ。

選挙で民主党は大勝した。民主党=自分。Therefore, 自分の声は国民の声である、というロジックなのだろう。

一方鳩山(兄)のほうが"国民の声"というときは、"国民の声"=Not 自分の責任 という意味のようだ。いや、国民の声でございますから公約も硬直的に考えてはいかがなものかと。


少し歴史を思い起こそう。

太平洋戦争前の状況というのはいくら文献を読んでもわからないことが多い。主語がだれだかはっきりしないからだ。軍部独裁といったところで、じゃあ軍部とはだれなのか。細かく見ればその中でも強硬論を吐いていた人が抑えに回ったり、誰がなにやらよくわからん。結局は伊藤正徳いうところの

"率いた者が誰もいなかった"

ということなのだろう。でもって当時世論調査をやれば間違いなく

"米英討つべし"

が圧倒的な支持を得たのではなかろうか。その結果はご存じのとおり。

そこからさかのぼり、日露戦争である。あの時も"国民の声"を聞けば

"賠償金と領土が得られなければ戦争継続"

が圧倒的ではなかったか。しかし当時の政治家は"国民の声"に逆らった。それゆえ悲惨な敗北に陥る前に戦争を終結させることができたのだ。

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などとつらつら書いたところでなんともならない。実際国民は鳩山君を、小沢君を、そして民主党を支持しているようなのだ。

今朝の妄想

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NHKでやっていたリーマン予想の番組を途中までみて考えた。

ゼータ関数の0点の間隔を表す式と、原子のほにゃららの間隔を表す式がそっくりの形である、というところで考える。

物理学が必要としている数式が、数学の世界では先行して発見されている、という話がいくつかある、と本で読んだ。

きっと誰かが考えていると思うが、

"類似数式検索エンジン"

とか存在するのだろうか。変数の定義とかは除き、数学的に近い式を探してくる検索エンジンだ。

数学の論文を片っ端から検索すると、

"をを、こんな関係が証明されていたいのか"

と物理学者が喜んだりしないのかな。

妄想なので話はかってに広がり、たとえばポアンカレ予想の証明にペレリマンが用いた数式というか概念がインタラクションシステムに生かせないかと考えたりするわけだが、さすがにこれは妄想の域を出ない。

でもね

妄想でも結構これは興味深い話だと思うのですよ。たとえばインターネット上にあるような全体を把握できないデータに対して、どのような順序で人間に情報を提示すべきなのか。人間の跳躍パターンには何か意味があるのか。それをモデル化する方法は実は数学の世界でとっくに発明されていたりしないのか、とかね。

さて、妄想はこれくらいにして、、

WISSの今後

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さて、親愛なるWISSというワークショップである。その特異性故にガラパゴス化が懸念されつつある、、とここ2年参加できなかった立場から無責任に書いてみる。(ちょっと追記しました:12/9 09:15)

独自のチャットシステムを運用しているがゆえに、参加できなかった人間との情報共有ができない。もちろん論文は公開されるのだが、それについてどんな議論がなされたか参加しなかった人間が知る由がない。

最近の楽曲などにも言えることだが、情報そのものへのアクセスは無料もしくは低価格でできるようにして、ライブで金をかせぐ、というのが世の中一般の傾向だと思う。WISSの参加費は決して安くない。しかしチャットのログと論文だけでは得られない価値-参加費と時間に見合う-を提供できる場でなければ所詮存在意義はないのだ。

いや、もちろん"情報公開はしません"と言い切るのも一つのあり方だと思うけどね。

また発表に関してこんなつぶやきもある。

どの研究も手をかけて作ってあるけど、単に自分が歳をとったのか、驚きが少ないな

via: FewZio (fewzio) on Twitter

今年の論文、デモを見る限り私も同感だ。(文句をいうなら自分で出せ、というのはごもっともだが)しかしこれに関していえば

"そもそも驚くような発表は多くない"

というのが事実に近いのだと思う。こうした研究について興味を持ち始めたころは"PC内に人格が存在し、サービスを提案してくれる"という言葉に胸をときめかせる。そのうちそうした研究はほとんどすべて行き詰まりになることを知る。

知識が増えれば、行き詰まりになった道が山ほどあることに気がつく。そして驚きは減る。

しかし

依然として(ほんの時たまではあるが)思いもしなかったような新しい提案、発表は存在するものだと信じたいし、実際時々は存在する。面白いね、だけではすまされないような提案を知りたいと思うし、自分でも出したいと思う。

インタフェース関連の研究というものを調べだしてから、、7年くらいにはなるかな。振り返ってみてそうした研究が実生活にどれくらいの影響を与えたかということを考えるとなかなか興味深い。答えは簡単明瞭で



ほとんど影響を与えていない



ということになる。学会とは離れたところにあるAppleや任天堂、Googleが与えた影響に比べれば、学会のそれはほとんど誤差の範囲だ。

これはどういうことだろうか?

いくつか思いつくまま挙げてみる。

・"立派な論文"というのは行き詰まりの道においてもっとも生成されやすい。なぜならその部分は昔からあるので問題定義について文句を言われることが少ない。先行研究が存在するので新規性も主張しやすい。そして行き詰まりなので、"Probelm solved"と言われることもない。

・前にも述べたことだが、誰もがアクセスできるWeb上に公開されている研究成果の評価は、誰がそれを使っているか、ということでしか測れないと思う。いかに理論整然としていようが、誰も使わないということはそれに実用的な価値がない、ということなのだ(ああ、耳がちぎれるように痛い)

今年の論文賞をとったRerankEverythingについて、複雑な感慨を持つのは私だけだろうか?これって誰が継続して使ってるんでしょうか?こうした問いには意味があるのかないのか。

ちょっと話はずれるが、先日こんな記事を読んだ

世界のユーザー同士で母語を教え合う添削SNS「Lang-8」で世界を狙う25歳社長
この記事を複雑な心境で見ている。

というのは、2007年のNPO法人ETIC.さん主催の
「東京ビジネスアイデアコンテスト」に同じコンセプトで
エントリーしてたから。こういうのあとの祭りで書くの
かっこわるいんだけど。実行したもん勝ちだから。

via: きっと俺はミュージシャン : サービス天国

Webサービスに関していえば、賞だの表彰だのはあまり意味を持っているとは思えない。(きざしさんにいただいたチロルチョコと紅茶は大変ありがたく思っておりますが)

じゃあ多くの人が使っていれば"良い研究"ということなのか、といえばそうとは限らない。そうであれば、Amebaブログに論文賞を挙げなければならないが、そりゃ冗談だろう、ということになる。

先程ヒューマンインタフェースの研究は実生活にほとんど影響を与えていない、と書いた。しかしこれは少しせっかちなものの見方だと思う。

学会、あるいは先駆的なヒューマンインタフェースの研究の意義のうちには

"将来のビジョンをしめす"

というものがあっていいように思うのだ。今は誰もそのニーズに気がついてもいない。しかし実はここにニーズを生み出せるんだよ、こんなことをすればもっと面白くなるんだよ。現状分析からは決して生まれてこないビジョンの提示。これは学会でなければできないことだと思うのだ。

(企業でやると、つぶす圧力が強いからね)あるいは新しく示されたビジョンが行き詰まりになるかもしれない。しかしそれは新しい方向性を示したという価値を認められるべきだ。

五十嵐氏のTeddyはニーズとかシーズとか言う言葉と関係ないところに生まれた素晴らしい研究であり技術である。仮に五十嵐氏が日本の大企業付属の研究所でこれを作ったとしてもまず間違いなくお蔵入りになったと思う。日の目をみず、特許だけ出願され、何十年後かにDysonが商品化したときその特許が表にでてくるのだ。




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などとあれこれ私のようなチンピラに言わせたままでは終わらないのが、WISSのいいところだ。来年のPC委員長は後藤氏。あの"ぼかりす"の後藤氏だ。数少ないTwtterのログによれば彼はこう宣言したという。

一つ目、未来ビジョンを書く。論文末尾に、未来をどう切り開くのか?を書く。 二つ目、パネルディスカッションをする。 三つ目、評価実験は査読の対象外とする。

ううむ。すばらしい。改革とはこれだけの思い切りがあってこそ断行できるもの。この言葉を聞き

"評価実験をしない研究に何の意味がある"

と思う人は他に発表する学会がたくさんある。私のようなヘタレは"来年こそは"と考えるのだ。ええと(ネタ帳をぱらぱらめくる)

後藤氏の改革宣言の意図を反映した論文がどれだけ投稿されるかはわからない。しかし"これならチャレンジしたいかも"と思わせるだけの力が後藤氏の言葉にはある。吹っ飛んだビジョンを持った研究が飛び交う場。それはなかなか素敵ではなかろうか。

しかし仮に論文かけたとしても、出席がなあ。。お客さんからの電話一本ですべて吹っ飛ぶからなあ。。

というわけで猫も杓子もTwitterである。しかしなんですね。今だにインタフェースをドラスティックに変えたアプリケーションがでてこないのはどうしてなんでしょうかね。

などということはどうでもよい。最近考えたことを断片的に書いていく。

#Wiss2009というハッシュタグがある。WISSというワークショップで付けられたものだ。前にも書いたが今年も参加できなかった。気がつけば3日とも脳死会議が入っていたのだ。

しかたがない。Twitterで#wiss2009でも見ておこう

そう思っていたのだが、情報がほとんど#wiss2009に流れない。これには理由がある。WISSでは会議中にチャットをすることは数年前からデフォルトになっていたのだ。それゆえ参加者の声はすべてそちらに流れ、誰もTwitterに重複投稿などしなかったわけだ。

この"会議中にチャット"というのはWISSが新しい取り組みをしていて面白い、といわれる所以の一つだったのだが、世の中にあっというまに追い越されてしまった。チャットのインタフェース自体毎年新しいものが試されるのだが、結局Time Line的に並ぶものしか残っていかない。

加えて、Twitterの持つ解放性が失われることになった。参加できなかった人間がハッシュタグをたどり、情報を得ることが不可能になったのだ。


というわけで(これはある人の意見の受け売りだが)


twitterをチャットシステムの基盤として用い、外部の人でも最低限の情報は得られるようにする。それに加え、会場参加者(あるいは専用インタフェースを用いた人)にはより面白いインタフェースが提供される、というのが正しいやり方ではなかろうか。

先進性という評判の上に胡坐をかいているうちに時代遅れに、、ならないのがWISSというワークショップの面白いところ。来年のPC委員長は"あの"後藤氏なのだ。後藤氏が最後に熱く語った言葉、それに対して私が何を考えているか(あるいは嘆息したか)はまた別の機会に。




さて日が変わって第一回Web学会である。すばらしい人たちの講演。これにも行けない、、いや、泣いている場合ではない。

こちらは最初からちゃんとハッシュタグが定義されており、かつ"質問はTwitterのみで"という宣言がなされるなどTwitterをコミュニケーションの基盤として扱っている。

結果として、TimeLineにはものすごい数の発言があふれることになった。それを横目で眺めながらこんなことを考えた。


・電源がないのは痛い。。会場の電源容量の問題らしいですが。。

・最初に設定されたのは一つのハッシュタグだけだった。結果として、Time Lineには雑多な発言が混在することになった。

賛否両論あるだろうが、2ch実況の知恵はすばらしいと感じた。つまり最初からスレッドをわけておくのだ。

-猛烈にTsudaるスレ
-web学会マターリ実況スレ
-質問スレ
-アンチMIAUスレ
-重鎮お断り。修士、学部生専用スレ

とかやっておけば、それぞれの人はそれぞれのスレッドで平和に会話や発言を楽しめると思うのだ。

それでもってこんなインタフェースはどうかと考えた。すべての発言にはデフォルトで#webgakkai というタグが付与される。それに加え専用インタフェースを利用した場合はスレッドを分けるキーが付与される。(その分発言短くなるけど気にしない)

このスレッドは誰もが自由に作ったり、統合したりできるようにしておく。いや、統合は物議を醸すから、クライアント操作によって個別に統合できるようにする。

私がTwitterをみていて一番嫌いなのが他人の発言のそのままの繰り返しだ。こんなものは折りたたんでしまう。

誰か作りません?来年のWISS Challengeに出そうと思っている学生さん。

妄想はもう少しひろがる。たとえばスポーツのTV中継などでは、カメラを切り替えたり、解説をいれたり、というのは専門職の仕事だ(腕の見せ所でもある)

Twitterでもそんなことができないかな。無秩序になされる発言を、整理し、おもしろいタイムラインにまとめあげるのだ。その腕が競われることがあったらもっとおもしろい。

・しゃべる側にとって、Tiwtterへの書き込みというのは実に楽しくない。みんな下を向いている。つまらないのか、書き込んでいるのかわからない。(もちろんつまらない可能性が高いのは分かっています)なぜこんなことを書くかといえば、発表者のうち中村さんのこんな書き込みを見つけたからだ。

とりあえず色々詰め込んでみました.少しみんな顔を上げてくれましたが,やっぱり下を見ている人が多く,顔が見えないとプレゼンするの難しいですね

via: Satoshi Nakamura (nakamura) on Twitter

これは#sigwi2で私が発表したときにも感じた。もちろん私の発表がつまらなかった可能性の方が高いのだが。。顔をあげるのと、チャットに打ち込むのを両立するインタフェースってできないかしらね。本来HMDはそういう用途に役立つはずなのだが、、某教授も実際に使っているの見たことないし。

なぜそんなことを考えたかといえば、Google日本語入力がリリースされたのをみたからである。

Google日本語入力の辞書はWebから収集したデータだとのこと。それに加え、無料で提供することにより膨大な数のユーザ入力データを集めることができる。それにより精度をさらに向上させることができる。

(追記:この部分は本当ではありません。

入力した文字や文章がGoogle に送信されることはありません。

via: よくある質問 - Google 日本語入力 ヘルプ

つまりGoogleは日本語入力システで金をとろうとせず、そこは無料にし、ユーザのデータを集めることに価値を見出したわけだ。

Googleのサービスん全般に言えることだが、正しく分析すれば、宝の山となるデータが集まっているに違いない。ユーザが検索窓に何を入力するか。その結果何をクリックするか。GoogleMapでどこを見るか等々。つまるところ価値があるのはサービスそれ自体ではなく、それを提供することにより集められるデータなのだ。そしてサービスが無料で提供され普及すれば、同じだけのデータを集めることは他の誰にとっても不可能になる。

GmailのSPAMフィルタには、ユーザが何をSPAMと判定したかのデータが生かされているとどこかで聞いた。こうした方法のSPAMフィルタは膨大な数のユーザを持つサービス事業者にしかなしえないことである。

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さて、こちらは富士ソフトである。普通の人はあまり聞いたことがない社名だと思うが、IT業に少しでも関わっている人ならば多分聞いた事があるだろう。Intel insideどころの話ではない。ITあるところ富士ソフトの社員がいる。名刺を持っていない、あるいはメールアドレスが社員とおぼしき人とは少し違う、そんなことがあったら仲良くなったあとに社名を聞いてみるとよい。

もちろんそれは富士ソフトのエンジニアが素晴らしい能力・価格比を誇っているからに他ならない。しかし時々思うのだ

日本の製造業について一番深く、広く知っているのは実は富士ソフトの社長ではないか、と。

もちろん守秘契約の範囲はきちんと守られているのだと思う。しかしそれを守った上でも富士ソフトには日本中のソフトに関する製造業の現場の実態が集まっているのではなかろうか。各社がだす大本営発表は省庁でも集められるだろうが、本当のところ何が起こっているかはわかるまい。

そこから妄想を膨らますと

ある時点から、価値は情報になるのではなかろうか。つまり富士ソフトが他の会社ではなしえないことは何かをいえば、集まる情報にあるのではないかと思うのだ。

などと考え 富士ソフトは日本のGoogleと唱えてみたのだが、、、自分で考えてもちょっと無理がありますね。すいません。

人生がすっかりいやになった日は本家から転載。

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"面白い映画とは"ただそれだけをつきつめた結果がこの作品なのだと思う。

冒頭、フランスの農家にドイツの軍人が訪れる。あくまでもにこやかで丁寧なJew Hunter.彼と農夫の会話はあくまでも静か。しかし柔かな言葉の裏にあるいやらしさ、恐ろしさ、緊張感に思わず前のめりになる。

おそらく多くの人の印象に残るのがこのランダ大佐だ。フランス語、ドイツ語、イタリア語、英語を自由に操り、粘着質の笑顔ですいすいと泳ぎ続 ける。嫌悪感を通り越し強烈な存在を意識させられる。

さ て、ブラピはアメリカ軍の中尉。ナチを残虐な方法で殺す事だけを任務にしたユダヤ人部隊を率いる。1944年、彼らにある任務が課せられ る。ドイツの英雄を描いた映画のプレミア上映会。そこにナチの高官が集まる。彼らを映画館ごとの爆殺せよ、と。しかし彼らを殺そうとしているのはブラピ達だ けではなかった。

ゲーリング、ゲッベルス、ボアマン、ヒトラーが一つの映画館に集まっている。戦争が終わるのは翌年だから暗殺計画は、、と私のような人 間は暗 黙裏にストーリを型にはめて考える。しかしタランティーノにはそんなことはどうでもいいことなのだ。そこからの展開に唖然とする私を尻目にブラピのテ ネシーなまり?の英語(米語か)が響き続ける。

現首相の"友愛"思想を賞賛するお子様はこの映画を見るべきではない。不愉快になるだけだと思うよ。2012でもみてな。

しかし

どんな分野に従事している人でも良い。"面白い"とはどういうことかを少しでもまじめに考えたことがある人はこの映画を見るべきだ。

この映画の登場人物達は"型通り"なんてことは勿論"一筋縄では行かない"をも通り越している。映画のお約束、あるいはお約束に対する 反抗、コメディ、史実への批判、主張、そんなものは"面白い"じゃない。タランティーノの"面白い"への追求はそんなところでは止まらない。キル・ビルの時も思ったが映画の"嘘"をさら け出し、使える物は何でも使いバラバラにしたあげく再構成。ヒトラーですらもこの映画では"一つの駒"でしかない。

しかし最後にはすべて脱ぎ去った

"面白い"

という感情だけが残る。凄い。

最後に関係ない話を一つ。今度ドイツ人にあったら

"3って指でどうやるの"

と聞いてみよう。

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他にも

"聞くだけ無駄だと思うけど、あんたたちアメリカ人は他に何か言葉しゃべれるの?"

という愉快なセリフもあった。ゲッベルスづきの通訳がゲッベルスと何をしているか想像したあとの、凍りつくような微笑。とか。

細かいところまで実にねられた、そして全体が完全にすっとびながら面白いという素晴らしい映画であった。

新しい物を創造することを志している人は誰でもこの映画を観るべきだ。ユーザビリティ原理主義者とかユニバーサルデザイン原理主義者にはこの映画の面白さはわかるまい。

本当に素晴らしい製品、使いたい製品はそうしたくだらない原理主義、くだらない原理主義への批判を超えたところにある。そんなことを考えた。

歴史に学ぶということ

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池田氏特有の表現が散見される文章ではあるが、内容については全く同意する。

ところが政府は、温室効果ガスの25%削減の家計への影響を検討したタスクフォースの試算を「非公表」扱いとしました。それは産経新聞によれば、試算結果が「国民にネガティブなイメージを与えてしまう」からだそうです。

アゴラ : 鳩山内閣が「東條内閣」になるとき - 池田信夫 から引用


しかり。無茶苦茶である。客観的な分析を放棄し、自分たちに迎合している人間だけを集め"解析"を行わせるなど気が狂っているとしか言いようが無い。数十年前にそれをやった結果について我々はもっと知っているべきだ。

正しい国家戦略の前提は、正しい現状認識です。太平洋戦争の開戦前夜にも、陸軍省整備局の報告では、日米の戦力や補給力に大きな差があり、2年以上は戦えないとされていたが、東條英機内閣はそれを無視し、企画院に生産力を誇大に見積もった報告を出し直させて御前会議を強行突破しました。このように客観情勢を無視して「大和魂があれば何とかなる」とする日本軍の主観主義が、民主党政権にも受け継がれているようです。

アゴラ : 鳩山内閣が「東條内閣」になるとき - 池田信夫 から引用

何よりも気がめいるのは、この内閣の支持率が依然として高いことだ。つまるところ

"政治家が何をしたか、何を言ったか"

ではなく

"TVが何を報道したか"

によって日本の世論は左右されるのだ。

ただでさえ景気の悪いメディアは政権に迎合することで生き残りをはかり、"仕分け"でダメージを受けた研究者達も政権に迎合することで生き延びようとする。そうした

"現実から遊離した幸福な関係"

がどのような結果を招くか、誰も気にしないというのだろうか。