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試合はみないが、ビジネスとしては面白い日本のプロ野球である。

あれこれ紆余曲折の末、楽天の田中という人が米国に移籍できるようになったのだそうな。

マクロでみれば、今まで青天井で移籍金を得ていた日本の球団が、最高20億円にされてしまったわけだから惨敗である。日本側には何のメリットもなく、MLBだけが得をする結果である。

その「敗戦」の敬意をざっとながめれば、「決められない」「大きな方針がない」日本的意思決定プロセスの敗戦であることがよくわかる。

★11月6日 選手会が新制度について「選手、NPB球団に全くメリットがない」と異議を唱え、日米間の合意が延びていたことが発覚
★同14日 選手会がポスティングシステムの新制度を2年間限定で受諾すると表明
★同15日 MLBが新制度を取り下げて修正案を提出すると発表

via: マー君メジャー移籍決定的!楽天・三木谷オーナーが容認 (3/3ページ) - 野球 - SANSPO.COM(サンスポ)

まず「なんでも反対」の選手会。あーだこーだと意味もなく結論を引き延ばしている間に、MLBは切れてしまった。

時間だけが経過し結局「上限額20億円」というMLBにしかメリットがない提案を受諾することになる。こんどは楽天が「もっと金をよこせ」とゴネだす。

★同7日 楽天が田中の去就問題について協議。新制度の約20億円の上限額では移籍は認められないとする球団方針を固め、立花社長は田中と残留交渉を行う方針を明らかにした

via: マー君メジャー移籍決定的!楽天・三木谷オーナーが容認 (3/3ページ) - 野球 - SANSPO.COM(サンスポ)

ここでゴネてみれば、誰かが上乗せしてくれるとでも思ったのか。「メジャーに行くはずだった」田中を一年働かせれば儲かるとおもったのか。「約束を金のために反故にした楽天」というイメージがつくことに誰が気がつかなかったのか。プロ野球をもっているのは「広告宣伝」のためでしょ?

でもって結局田中は100億でなく20億でアメリカにいくことになる。何やってるんだか。

プロ野球の交渉一つをみて日米の交渉力などと言ってはいかんのかもしれん。しかし「持ち帰って検討します」の弊害はそれこそ私が働き始めたころから言われていることだ。当時はまだ「日本のものづくりは世界一!」と思っていたけどね。

そうやってみんなで仲良く責任を曖昧にしていれば、確かに組織内は平和になるのだけど、敵には勝てんよ。

巨人軍原監督に見るリーダーシップ

原監督という人がいる。実は監督としてよい成績を挙げているのだが、誰も「名監督」と言わないらしい。

長い巨人の歴史を振り返ってみても、これだけの経歴を誇る人物はそういない。一概に比較はできないが、単純に成績面だけ見れば前人未踏のV9を達成した川上哲治氏(故人)に次ぐ功績を残していると言ってもいいだろう。王貞治氏(現ソフトバンク球団会長、巨人軍OB会長)や長嶋茂雄氏(巨人終身名誉監督)の巨人監督時代の成績をはるかにしのぎ、指揮官としては事実上の"2トップ越え"を果たしているにも関わらず、毒舌の巨人OBたちからは「ONに比べれば原なんて求心力もなく、まだまだヒヨっ子」という指摘が絶えない。

via: 珍言連発の原辰徳監督は「名将」か、それとも「迷将」か? (Business Media 誠) - Yahoo!ニュース

正直日本のプロ野球には興味がないのだが、こうした奇妙な文化は野次馬として面白いと思う。でもって昔解説で原氏の言葉を聞く度

「こいつはアホではないか」

と思った。
しかし

リーダーシップというのは面白いもので、名選手は名監督になれるわけではない、という言葉もある。「アホ」でも、いやそうであるから名監督になれる、という側面もあるのではないか。

「あのイチローが、原監督のことを『あんな面白い人、いないよ。WBCでは一緒に野球ができてとても良かったと思っているし、俺が、俺がと出しゃばり気味のボクら選手たちを、常に明るく熱い言葉でぐいぐい引っ張っていただいた』と絶賛していたんだ。

via: 珍言連発の原辰徳監督は「名将」か、それとも「迷将」か? (Business Media 誠) - Yahoo!ニュース

塩野七生の著作にあったように記憶しているのだが

「リーダーとは"私が支えなければ"と部下に思わせることができなくては」

というのも確かだと思う。熱意はあるが、どうにも変なリーダーを「しょうがないなあ」と選手たちが支える。全体としてみればこれも立派なリーダーシップだ。特に各チームのトップ選手を集めたようなチームを率いるためには、こうした「ぼんやりとした」大将がいいのかもしれん。

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とはいっても、選手の側からみればそうした「名監督」のコトバ全てに従うわけではない。

「優勝旅行に来ている選手の数が少ない。喜びを分かち合うことは大事なこと。選手がたくさん集うようにしてほしい」

via: 来年V旅行は全員集合!巨人・原監督、村田に異例の"陳情" (サンケイスポーツ) - Yahoo!ニュース

そりゃ日本人にとって「あこがれのハワイ航路」だったころは「優勝のご褒美にハワイ旅行」ってのが成り立ったんだろうけど、今どきなんで「勤務先」の人間と旅行にいかなくちゃいかんのか誰も理解できない。

自分が「ご褒美」と思うが相手にとっては苦痛でしか無いことを強制するのは、まあなんというか性犯罪にも共通する点があると思うのだがいかがなものだろうね。

今どきこんな「社員旅行」がまかりとおる団体というのも実に興味深いのだが、これについて書きだすのは危険なので、このへんで。

自分の顔を見ること

だれでも自分のことは2割位本物より良く思っている、というのは母の口癖である。私も基本的には同意する。

先日<ステマ>Goromi-Tube ver2.0.1を使って</ステマ>こんなCMがあることを知った。

話しとしてはこうだ。警察で似顔絵を書いていた人が、一人の女性の似顔絵を2枚描く。ただしその描き方がかわっている。

一枚目は女性自身による自分の顔の記述を元に描く。画家は女性の顔を決して見ない。

二枚目は、彼女としばらくあれこれ話した人たちの記述を元に描く。

そして最後に描かれた女性は2枚の「自画像」と対面する。

先に書いておくがこのCMにはパロディが山ほど存在する。実際ナルシストなら「自分の記述を元にした似顔絵」のほうがはるかに「美しい」ということもあるだろう。

しかしこのCMにでてくる女性たちは違った。2枚目の方がいろいろな意味で「美しい」人だったのである。

Do you think you are more beautiful than you think ?

Yes.

かくのごとく自己評価というのはとかく間違えがちであり、結果としていろいろな努力も全く的外れだったりする。

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もう一つ「顔」に関して。

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写真を見ると、同じ人なのに右と左では全然雰囲気がちがいますよね。

via: 写真うつりをよくしたい人必見! ポイントは下まぶた(動画あり) : ギズモード・ジャパン

人が鏡をみたり、写真を撮られるときの様子を見るのは面白い。多くの人が通常より目を「かっ」と見開く。

みなさんプリクラ、撮ってますか? 最近のプリクラってデカ目になったり小顔になったり美肌になったりと、撮った人を「別人か!?」と思うくらい、バッチリ美化してくれるんですよね。

そんなプリクラの様々な補正効果を打ち消し、撮影者の素顔を再現してくれるiOS向けアプリ「プリクラ補正軽減 Primo」が人気を博しています。

via: 目から汗が...。プリクラの補正を打ち消すアプリ「プリクラ補正軽減 Primo」の舞台裏(動画あり) : ギズモード・ジャパン

そうした効果を人為的に強調するプリクラソフトまであるくらいだ。しかしあれですよ。それは間違っている。スクインチですよ。スクインチしたほうが写りがよろしい。目をかっと見開くのは間違いだ。

かくのとおり自己評価というのは難しいし、自己評価が間違っていれば様々な努力は無駄どころか逆効果になる。自分を見るのが難しければ他人の力を借りるしか無い、ということなのだが、こえがまた難しかったりするんだろうな。

敵を見つけてそいつを倒せ!

元Microsoft社員の中島氏によれば、Microsoftのカルチャーとはそうしたものだそうな。

戦いが大好きなアメリカであるからして(Ref:Patton)比較広告が日本に比べれば多い。真に受ける人がどれだけいるかしら無いが、私のようなひねくれ者にとっては笑いのネタに鳴ることが多い。さて、MicrosoftがGoogleのChrome bookを叩いているんだそうな。

まだ知名度がとても低いChromebookを標的にするのは、何だかおかしい。教育市場の一部を除いては、ほとんど売れてない製品だから、ネガキャンのコマーシャルでわざわざ叩くのもへんだ。しかもこれまでのScroogledのビデオの中で、今回のがいちばんおもしろくない。事実誤認が多いことは、重要な問題かもしれないけど。

via: MicrosoftのGoogleたたきCM, 今回は質屋で換金を拒否されるChromebook | TechCrunch Japan

引用されているビデオをみてみたが、確かに全くおもしろくない。類似のロジックを使えば、Surfaceを宣伝することもでき、それに事実を含めることもできるのだが。

同じCMに関する別の記事を読んで知ったのだが、米国Amazonのラップトップベストセラーのトップ3中、2つがChromebookなのだな。こうしたMicrosoftのChromebookたたきが根拠のあるものなのか、過剰反応なのかについては議論があるところだと思うが、実際彼の国ではChromebookがそこそこ売れているのだろう。

例によって例のごとくGoogleとMicrosoftでは儲ける場所が違い、それがMicrosoftをいらだたせているのだと思う。いくら

「WindowsとOfficeがなければPCじゃない!PCじゃなければ仕事はできない!」

と主張したところで誰もSurfaceを買ってくれない。

これがiPadならどうだろう? サードパーティ製の外付けキーボードを使えば、貧弱な(CPUパワーが低い)ノートPC代わりには使えても、デスクトップPC代わりにはならない。プログラムもパソコンと共用することはできない。

 Surface Pro 2であれば、すべてを1台で処理することで、プログラムライセンスも1つでいいし、データを転送する手間もかからないというのも大きなメリットだ。一般的なビジネスシーンにおいては、Surface Pro 2の優位は圧倒的といえる。

via: 新Surface、圧倒的優位なるか?1台で、ほぼすべてのビジネスシーンをカバー (Business Journal) - Yahoo!ニュース BUSINESS

実際に圧倒的に優位なのだが、不幸なことに売上台数にそれがつながらない。同じリング、同じルールで戦えば、Microsoftは無敵に近いのだろうが、ちょっというとグローブをつけリングに上ったはいいが、敵は観客席からパチンコを打ち込んでくる。そんな状態なのだろうか。

「動き」をデザインする方法について

表のブログに書きました。自分でも気が付かなかったが、7月に自分が書いたことの焼き直し(というか表向けに表現をまるめた)文章になっているな。

みんなでディスカッションするためのペーパープロトタイプがあって、役割分担のためのHTMLプロトタイプ、スタイルガイドがある。1日目はみんなで考えて、2日目にはそれを元にしてそれぞれが黙々と作っていく、といった流れでしょうか。このワークフローであれば、柔軟性のあるデザインシステムが構築できると思います。

via: これからのUIデザインのために、デザインカンプをやめてプロトタイプを作ろう(後編) | MEMOPATCH

こうしたことを考えていくと「ウォーターフロー開発」というのが一種の冗談としか思えなくなってくる。しかし考えるべきは

例えば飛行機とか自動車であれば、間違いなくウォーターフロー的な開発を行うわけだ。ではなぜそれらではそうした手法が成立するのか?モバイルソフトウェアの開発ではなぜそれが成立しないのか?これについて考えてみるのは興味深いことだ。

多分そのうち表のブログに書くと思うが、現在の仮説はこうである。

ウォーターフロー開発が成立するためには、仕様策定、基本設計の段階で最終形がどうなるかをある程度リアルに想像できなくてはならない。

例えば新人が図面を書くとする。ベテランがそれをチェックするとき頭の中ではそれが組み立て工程で何を意味するか、ユーザはどのように使うかをシミュレートし、それでダメ出しをするわけだ。

このプロセスが機能するためには、「ベテラン」の頭の中でそうしたシミュレーションが可能でなくてはならない。多くの機械設計ではこれが成立する。問題は例えばiOSのように年に一度大幅な機能拡張(同じ変更を機構設計に置き換えてみると、目が回るような変更だ)が行われる環境ではこの「頭の中のシミュレート」が機能しない、ということではないかと思う。

それ故仮にベテランであっても、実際にプロトを作成し触ってみないことにはそれが何を意味するのかがわからない。さらに厄介なことに、プロトを触ってみると、「本当の可能性は全然別のところにあった」ことを発見したりする。

それ故、仕様作成、概念設計、基本設計、詳細設計、製造、試験、という整然としたプロセスが成り立たなくなる、、とかそういう話ではないのかな。

さようならBallmerさん

さて、私が敬愛するBallmerである。こんなビデオがあることを知った。

彼が最後に流しているのはこの音楽。

Time of my life. Ballmerは本当に仕事を、Microsoftを愛しているのだろう。私は彼とそうした愛を共有していないが、彼の気持ちは非常にストレートである。

Ballmer氏は、米国時間11月15日に一連のインタビューとして掲載された記事の中で、「もしかすると、自分は古い時代の象徴なのかもしれない。だから、立ち去らなければならない」と感傷的に述べ、そのことを認めた。同氏は「自分のしていることすべてに愛着を持っているが、Microsoftが新たな時代に入る上で最善の方法とは、変革を推進する新しいリーダーを迎えることだ」と語った。

via: MSのバルマーCEO、引退表明の経緯を語る:「自分は古い時代の象徴」 - CNET Japan

こういう率直な言葉が私が彼を敬愛する所以である。Microsoftに対する愛ゆえ、彼は身を引くことに同意したのだろう。

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では次を担うのは誰だろう?Elopで決まり、と断言しておいてなんなのだが、果たして彼が正しい候補なのだろうか。少し自信がなくなってきた。(もちろんそれとElopがCEOになることとは矛盾しないのだが)

一部で報道されたX-BOXとBingを売却する(誰が買うか知らんが)というのは正しい判断だと思う。ゲーム廃人向けのXboxと仕事上の税金Officeを両方抱えていることでMicrosoftはなんの会社だかわからなくなっているからだ。

それは正しいと思うのだが、Officeに集中するというのも「正しい」とは思う。しかしそれでは縮小均衡に向かうだけではないのか?

ではフォードのCEOアラン・ムラーリーにこの先の舵取りができるだろうか?自動車業界も航空業界も極めて進歩がゆるやかに起こる世界である。自動車業なんてこの10年以上にわたって「車のネット接続」などいいながら、全てスマートフォンにふっとばされようとしている。

Apple would look at that data and say, "let's cut the bottom 200 commands." Microsoft looked at it and said, "We're going to need a bigger ribbon.

via: The trouble with Microsoft

Microsoft Officeに山ほどコマンドが有り、それを使う人の分布を見る。Appleなら「使わない200は切ろう」と言うだろう。Microsoftは「もっと大きなリボン(ボタンを置く場所)が必要だ」というだろう。

結局XBOXとOffice両方を持つ会社というのは、「大きなリボン」ではなかろうかと思うのだ。しかし果たしてSteve Jobs的にラインナップを絞り込むことだけが正しい戦術だろうか?別の戦い方はあるのだろうか?そしてElop,ムラーリーはその道筋を描くことができるのだろうか?

野次馬として見る分には実に楽しい。しかしCEOになる人間にとっては悪夢のような仕事だ。さて、彼らは誰を選ぶのだろう?

「謎のEjectボタン」について

今のInfinite loop campusに存在しているらしい「謎のEjectボタン」について、表のブログに書きました。

Newtonの失敗については、おそらく多くのことが語られていると思うし、これからも語られるだろう。(もちろん「失敗していない!」という言説もたくさんあると思う)

Newtonの失敗の理由で一番わかり易いものは、表のブログに書いた「新しいものを一度にいくつも製品に盛り込んだこと」である。開発言語とそれを使うアプリを同時に作り出す、というのはエンジニアにとってみれば悪夢のような状態だ。

しかしここでは別の事について書きたい。

Newtonが試みそしてその後何度もトライされ結局物になっていないコンセプトに「手書き入力」というものがある。私の考えではこれは「音声入力」と同じ「嘆きの壁」にぶつかる方向性なのだが、そのことに気がついていない人が多いようだ。それについて少し書いてみたい。



No UI、掲げるのは簡単だ。


 たぶんこれまでの歴史で、無数のエンジニアが、デザイナーが、「シンプル」を突き詰めた形としての「No UI」というコンセプトにはたどり着いただろう。



 誰だってシンプルにしたい。


 UIなんか、できるだけ自然な方が良い。


via: Fly me to the enchantMOON 僕がenchantMOONと出会った日 - UEI shi3zの日記

「UIなんかできるだけ自然な方が良い」

これは力強い言葉だ。そして「自然」という言葉について深く考えない人は

「そうか!じゃあ人間の思考を手書きや音声で入力させれば自然なUIが実現できるね!」

と喜ぶ。実装を始めるとなかなかうまくいかない。しかし

「いや、これはまだ実装の精度が高まっていなからで、精度を高めればこれはいいものになる!」

と言い続ける。そしていつのまにかその製品はどこかに消える。そうしたことはもう過去に何度も繰り返されている。

手書き認識や、音声認識の精度は高まり続けているのになぜこうしたことが繰り返されるのだろう?
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画面にボタンを配置し、それをタップさせる。これは偉大な発明である。(誰がいつしたかの議論についてはよく知りません)しかし人間は突拍子もないことを思いついたり、メニュー階層のかなたにある機能を使いたい、と思ったりする。では◯◯認識を使いましょう。

しかし

◯◯認識を使って「自然なインタフェース」を実現する

という言葉には実は2つの問題が潜んでいる。

問題その1:人間の入力をコンピュータに認識させる
問題その2:認識させた結果からコンピュータに「人が望む動作」を行わせる

「精度を上げればいいものになるんです!」と言い続ける人はこの「問題その2」に気がついていない。やっかいなことに問題その2は問題その1よりはるかに難しく、かつ誰もその「嘆きの壁」を突破する方法を見いだせていない問題なのだ。

具体的に書こう。画面からGUIを除き、「なんでも書いてください」「なんでも声で言ってみてください」と言う。一見ユーザインタフェースが消えたように見える。

しかしそうした認識は間違いだ。実はユーザインタフェースは「何もない画面」の向こうにおいやられただけで、GUIの時と同じように存在している。どういうことか?つまりコンピュータは依然として予めプログラムされた命令しか認識出来ない。

GUIはその「この命令を受け付けることができますよ」というのを画面にちゃんと表示している。だからそれを押せば対応する動作が行われる。

しかし◯◯認識に頼った瞬間、ユーザは「どういうコマンドならコンピュータに受け付けてもらえるのか」ということを知っているか、あるいは推測しなければならなくなる。つまりUIはなくなったのではなく、隠されただけだ。例えばAppleのSIRIは「新着メール」と言えば「未読メールはありません」と答えてくれるが「新しいメールは?」と聞いても「誰に送信しますか?」と言ってくる。ここでユーザは「新着メール」という言葉を推測、または記憶し、正確に発音する責任を負わされたことになる。

つまりこうした◯◯認識を用いたUIは無茶苦茶に不自然なのである。ユーザはコンピュータがどのコマンドを、どういう言葉で受け付けるかについて事前に知識を持っており、かつそれを正確にコンピュータにわかるように出力(手書きでも、音声でも同じことだが)しなければならない。それはあたかも「ひらけゴマ」と正確に発音しないと開いてくれない洞窟のようだ。

人間はこうした◯◯認識の観点からすると、コンピュータにとても及ばない能力を発揮する。音声認識で有名な例だが食事をする場所で「僕はウナギだ」と発音した場合、「あなたはウナギなのですね。人間かと思っていました」とはいわない。コンピュータにこういう応答をさせよう、という試みは多いが、今のところ超えられない「嘆きの壁」となっているようだ。そしてそれを超える「聖杯」をみつけたという話は聞かない。

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この「問題その2」の存在に気が付かない(あるいは学ばない)人は何度もこういう試みを繰り返す。そうした試みは傍からみていてあまり興味深いものではない。

足りないのは熱意でも、資金でも、与えられた課題をとくためのプログラマの腕でもない。そもそもの考え方が間違っている i.e. 問題2の存在に気がついていない。

こうした試みはクリミア戦争における軽騎兵の突撃や、フレデリックスバーグの戦いのようなものだ。正面から何の工夫もなく突進しても虐殺されるだけ。帝国陸軍じゃあるまいし、そうした行為に価値を見出すことは難しい。もっともこれは私の考え方であり、そうした突撃が「勇壮で勇敢だ」と賞賛する人もいるだろう。あるいはそうした「難しい問題に全力で取り組む自分って素敵!」と満足感を得られる人もいるかもしれない。


もちろん「問題その2」の問題が存在することにちゃんと気が付きそれを越えようという試みも(あまり多くはないが)ちゃんと存在している。そうした挑戦にはいつも興味を覚える。最近そうした試みの数が減っているように思うのだが、きっとこれは私の勉強不足のせいだろう。

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というお話を、いつまでたっても「電子自費出版」のめどが立たない「ユーザインタフェース開発失敗の本質」に書いてるんですけどね。。いつになったら表に出せるんだろうか。

去年は三木谷氏が基調講演を行った。英語はそれなりに上手だったが、内容は残念ながらほとんどなかった。

理由はわからないが、今年は三木谷氏が急遽キャンセル。(壁にはられた時間割りは、手描きで修正されていた)終了後のビアバッシュでは

「きっと日本シリーズで仙台に行ったんだ」

とか言われていたが、本当のところはわからん。

というわけで、急遽登板したのが「まつもとひろゆき氏」何年か前に情報処理学会HCI研究会で講演を聞いたことがある。あのときはまだRuby on Rails前だった。だからRubyは「玄人が選ぶ渋い言語」だった。

今回の講演の概要は、会社の表のブログに載せている。詳細はそちらをみてもらうとして、今日書きたいのは「エンジニアのモチベーションについて」

ひろゆき氏は、講演の最後のQ&Aでこう述べた。

Q:"失敗もOK"という風に会社のカルチャーをかえられるか?多くの会社ではなかなかそうはいかないが。

A:基本的にはそんな会社は辞めるべきだと思う。多くの大きな日本のIT企業は歯車を求めている。従業員に敬意を払っていない。エンジニアの動機の一つは自由度があることであり、自由を得るためにはリーダーになる必要がある。だから歯車を求めているような会社は辞めるべきだ。

via: 楽天テクノロジーカンファレンス2013でのMatz まつもとひろゆき氏の講演 - 株式会社ネクスト エンジニアBlog

氏の言っていることに同感する人は多かろう。しかし氏がおそらく知ってはいるが述べていない事柄がある。

自由を与えられた時に、それを活用できるエンジニアはそれほど多くない

ということだ。

私にとっては、行う仕事の自由度は実に重要だ。それは前職で実感した。会社で一緒に働く人たちは実に優秀だたった。しかしそれでも私はとても幸せではなかった。Sierという仕事は私の性に合っていない。おそらくMatz氏も同じだと思う。

先日中学の同級生と合っている時私はこう言った。

「世の中には、誰かが描いたぬりえを丁寧に塗る仕事と、自分の絵を描く仕事がある。俺は絵を描きたいんだ」

夏目漱石に「私の個人主義」という有名な講演がある。そこから引用しよう。

ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡げて来るのではありませんか。すでにその域に達している方も多数のうちにはあるかも知れませんが、もし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。

via:

この言葉が、Jobsのそれとそっくりなことに気がつく人も多かろう。

たまらなく好きなことを見つけなければならない。そしてそれは仕事についても愛する人についても真実だ。仕事は人生の大きな部分を占めることになり、真に満足を得る唯一の方法は偉大な仕事だと信じることだ。そして偉大な仕事をする唯一の方法は自分がしていることをたまらなく好きになることだ。まだ見つけていないなら探し続けなさい。妥協は禁物だ。核心に触れることはすべてそうであるように、それを見つければ分かる。そして素晴らしい関係は常にそうであるように、それは年を経るにつけてどんどん良くなっていく。だから見つかるまで探し続けなさい。妥協は禁物だ。

via: スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での卒業式スピーチ - himazu archive 2.0

ここで漱石とJobsが言っていることは、Matz氏が言っていることより一段抽象的でメタであることに気がつく必要がある。Matz氏は自分のことしか語っていない。

私やMatz氏はおそらくSierに長く勤めることはできないだろう。窒息するからだ。しかし世の中にはSierで楽しく働いている人が何万人(ひょっとすると何十万人)もいる。

何にやりがいを求めるか、別の言い方をしよう。どれだけの自由度がその人にとって満足かは実に異なる。会社に対して不満を述べ続けるが、絶対やめようとしない人間がたくさんいることを知っている。私が見たところ、その人達はどこかその会社、仕事が好きなのだと思う。さらに言い換えれば、与えられている自由度-不自由度とも言えるーがその人にとって適当なのだと思う。

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などと書いているが、これはMatz氏の言葉に触発されてでてきた言葉だ。その意味でMatz氏の基調講演は実に面白かった。来年はまた三木谷氏がしゃべるんだろうか。また楽天がパリーグを制覇し、「急遽登板」があってもいっこうにかまわないのだが。

権威の言葉

自分が全く何も知らない分野だと、「実はこうなんだよ」と語られると「そういうものか」とも思う。ゴルゴ13がその典型例だ。実はダイヤモンド市場というのはこうなっているんだ、とか読むと「ほうほう」と思う。

しかし自分がよく知っている分野に関して「権威」が語るのを聞くとその人の程度が知れることが多い。もちろん逆に「知らないはずの分野なのに、これほどまでに慎重に調べ、コメントするとは」と驚くこともあるのだが。

さてなぜか有名な大前研一という人である。なぜか知らないが発言をあちこちで見かける。彼がDocomo+iPhoneについて語った言葉を聞こう。

 実際、アップルの新しいiPhone2機種のうち低価格の「5c」は99ドルだ(携帯電話事業者と2年契約の場合)。これまでアップルは価格を維持できたから利益が出ていたが、今後は低価格競争に巻き込まれて、ブランド力と利益率の低下に苦しむことになるだろう。ドコモとの提携は、iPhoneのコモディティ化をさらに加速する可能性もある。

via: 大前研一氏 スマホ戦争注目は相乗効果大きいMS・ノキア連合 (NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース

もうどこからつっこんだらいいかわからない状態だが、まず「5Cが$99」というのは2年契約縛りがあっての話。それがない状態では$549だ。これが高すぎるといって発表直後が話題になっていたのだが、それと正反対の「価格競争に巻き込まれ」とか寝ぼけているとしか思えない。「ドコモとの連携がiPhoneのコモディティ化」とか何の話だろう?

というか多分自分で物を調べずに、耳にはいった情報だけを元に憶測を重ねているんだろうな。忙しい売れっ子というのはこういうものかもしれない。不思議なのは、この人が発言したり講演したりすることで多額の金を得ている点だ。世の中「金を儲ける方法」と「正しく賢明であること」とはなーんの関係もないのではないか、と思うことがある。いや、多分彼は「金を稼ぐ」という点においては「正しく賢明」なのだと思う。

Steve Ballmer

何度も書いていることだが、私はバルマーのファンである。(多分こういう人は世の中に多くないと思う)そしてMicrosoft CEOとして最後に近いインタビューでのこの言葉を聞こう。

Ballmerがコメントしたのは、Microsoftのモバイル市場における立場についてだけではない。この日それ以前に、彼は自分の会社がモバイル機器で「シェアはほぼゼロ」だと語った。さらに彼は自分が現実主義者であり、Microsoftが消費者向けハードウェアで弱い位置にいることにも困惑してないことを明言した。もちろん、何ら驚く内容はないが、CEOが自社のビジネス状況についてためらいもなく詳細を語るのを聞くことは、やはり新鮮である。

via: スティーブ・バルマー最大の後悔は「ケータイという新デバイス」に乗り遅れたこと | TechCrunch Japan

彼が語っているのはVistaに集中し過ぎていたため、Mobileへのリソース配分が遅れたという後悔。自分の失敗を正直に述べることができる人は多くない。

もちろん仮にVistaの開発が順調に行っていたとしても、彼らがその余剰リソースをMobileに向けたという確証はない。しかしVistaの影響がこんなところにもあった、というのは興味深い話だ。

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今や反原発電波じいさんとなってしまった中島氏だが、過去の発言には耳を傾ける価値がある。彼がマイクロソフトのカルチャーについて述べた言葉を聞こう。

マイクロソフトのカルチャーは、ビル・ゲイツそのままで、その一番の目標は「勝つ」ことにある。マイクロソフトにとって、「良いものを作る」のはそれ自体が目的ではなく、「市場で勝つ」ための手段である。

via: Life is beautiful: ソウル(魂)のあるもの作り

多分これは本当なのだと思う。それ故私は仮にVistaがうまくいっていても、彼らはMobileに投資しなかったと思う。「敵」がいないところに彼らは戦いを挑まない。敵がいない、新しいブルーオーシャンを切り開く、というのはMicrosoftのやり方ではない。

他の会社が切り開いた新しい市場に、後からでていって制覇するのが彼らのやり方。(据え置きゲーム機のように、制覇したはいいが市場が死にかかっている例もあるけどね)問題はなぜかMobileの世界ではそのやり方が(今のところ)成功していない点にある。

彼らのカルチャーにのっとれば、ひたすらOfficeを軸にし「相手が失敗するまで粘る」というのが一つの方法。もう一つは「エンタープライズモバイル」という新しい市場(会社とMicrosoftにはうれしいが、従業員にとっては悪夢のような)を作り、そこを支配する、という方法。あとどうすればいいのだろう?それこそ「マイクロソフトの入社試験」の問題に出したいほど難しくて面白い問題だと思うが。

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