駄目の最近のブログ記事

ロックすることについて

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と書いてはみたものの、何もここでHighway Starを歌おうとかそういうことではない。ここでいうロックとは以下のような意味である。

 ロックとは生き様であり、既成概念や社会規範や権威への反抗であり、くだらねえ大人たちにドロップキックをくらわせることである。それは誰もが一度は通る道であるが、いつしか熱い魂を失い、なんとなくモヤモヤを抱えながらも自分自身がくだらねえ大人になってしまうことも多い。

 私自身を振り返ってみてもそうだ。かつて、とんがっていたころは「飛車を斜めに動かす」「雨の日にふとんを干す」「雑誌のエッチな袋とじを開けずに捨てる」など、さまざまなロック的行為を繰り返していた。まさにカリスマだった。

via: エレメンタルノート -elemental note-

飛車を斜めに動かす。これこそがロックだ。今日は最近みかけたロックな文章をいくつか紹介。

それにしても、たった1日の出来事を長々と続けてしまい、ちょっぴり反省。

「○○なう」とか言って、その日のうちに報告することも出来るというのに...

でもね。1年前の1日の間に起きた出来事を何ヶ月もかけて思い出し、考え、整理し、調べ直し、組み立て直す作業というのもそれはそれで意味があると思うんですよ。

速報性ばかりがネットの特性と思われるかもしれないが、10年後にも価値のある情報を提供するのもひとつの方法かと私は思う、つかそうありたいですね。

そんな訳でこれからもブログやミクシィやツイッターではない、ホームページという、受け手はともかく作り手にとって(というか私にとって)最も自由度の高いメディアにて遅くて重いコンテンツをお届けする所存ですので今後とも努々お覚悟召されたし。

via: 珍寺的篠栗霊場巡り/切幡寺

なぜ私がTwitterを使うかといえば、興味深い情報を提供知る人がTwitterで情報を出すようになったからだ。

しかし情報の断片化、短時間化には常に警戒感を抱いている。自分がこんなところで文章を書き散らしていてなんだ、とも思うが。しかし前にも書いたけどまじめに考えているんですよ。Twitter脳の恐怖について。

だから私も文章を書く場所は基本的に"ホームページ"である。

さらにJobs氏は、革新・制御・秘密主義に基く同社独自のカルチャーを築き上げていった。これはシリコンバレーで受け入れられていた「オープンネスと共有」という価値とは逆行するものだったが、実際に成果をあげていった。少なくともJobs氏の指揮下においては、トップダウン式の制御は効果的であることが実証されていったのだ。

via: 「世界最大の技術企業」になったApple社、その10年 | WIRED VISION

このAppleのやり方もロックだと思う。というか"●●がトレンド"とかいう言葉は実にくだらない、と自分がそうした言葉を散々つかってきた後の私は思う。

経営コンサルタントとかは様々な一般論を述べるのだろう。しかしそれがなんなのだ。

といったところで今日は投げっぱなしでおしまい。

Facebookである人が書いていたコメントをそのまま題名に。いや、私は真面目にそう考えているんですよ。

話としてはこうだ。つぶやきというのは基本リアルタイムで書き込むものだ。それは断片的な言葉であったり考えであったり。それゆえ面白いとも思うのだが、

"じっくり考え、文章を作り上げ公開する"

はどこにいったのだ?

きの合う仲間内だけで居心地のよい"浅い会話"が飛び交う。日常会話とはそうしたものだ、ともいえるだろうが人間が持っている時間は有限なのだ。つぶやき、それを入力閲覧している時間が増えれば何かが減る。

このブログで私は何度か"ビットの泥沼"という表現を使っている。Twitterはその最たるものだと私は考える。

敬愛する"それだけは聞かんとってくれ"に8年前に掲載された文章から引用する。

なんだか日に焼けてしまいました。もう26・・・お肌の曲がり角はとっくに過ぎているのに。気を付けなきゃと思いつつ・・・自然の成り行きに任せっぱなし・・・ついにシミ第一号が出来てしまいました。ちょ~ショック・・・少しはお肌を大切にしなくてはですね。
 今日は国会議員水泳大会!!のはずが・・・大雨で中止となってしまいました。はりきってジャージ着て行ったのに・・・残念。

 繰り返しになるが、これは二十六歳の市井の女子の人「原陽子」のサイトではない。代議士「原よう子」のサイトなのである。
 断っておきたいのは、私には「原陽子」という私人を貶めるつもりは毛頭ないということだ。「原陽子」という私人がどこで何をしようとそんなことはどうでもよい。ただ、公人たる「原よう子」を考えるときにこれはちょっとものすごいのではないかといいたいのだ。
 この人の文章が特別というのではなくて、今どきの二十六歳の言語活動というのは、だいたいこんなものなのだろうか。いや、そうだとしても国民の代表の書いたものとしてはちょっとものすごいことだ。
 ちなみに手元にある「きけわだつみのこえ」には二十二歳の戦没者の次のような文章がある。

 平生の修養浅薄にして大事に臨み、いまだ心平かならず。真に恥ずべきの至り。唯云ふ可きを言はず思ひし事を語らざるは稍淋しき感有りと雖もさしたる事なし。そは我内の思ひのみ。心に鬱積するは母心弱くして我身を思ひ心を痛む其の事のみ。今の我心は遠く万里に演習し而も再び還らざる構なり。願はくば父母共に我れを案ずる勿れ。

 この二十二歳というのは算え歳だろうから実際にはもう少し若かったろうに、この違いはどういうことだろう。僅か六十年で言語能力というのはここまで違ってくるものなのだろうか。

via: Sorekika 【第355回 はらさんに五千点】

私も含めて言語能力の衰えというものは今世紀初頭においてもすさまじかった。Twitterやmixiはこの傾向を加速させるのではなかろうか。

とかなんとかいいながら私もTwitterを閲覧することが多い。理由は簡単。Twitterでしか情報を発信しない面白い人がいるからだ。また列車の運行情報も見たいからね。

でも自分でつぶやくことはしない。

生物の多様性について

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子供のおともで水族館にいく。すると、陸にいる生物を見たときよりもその多様性に驚かされる。

適者生存という言葉をなんとなく知ったような気になっている。じゃあ適していればそれだけが生き残るのか、といえばそんなことはない。

タツノオトシゴを見るたびに思うのだ。いったいこのぴろぴろした姿に何の意味があるというのか。なぜこの生物は今日も生きながらえ、かつそこそこ繁栄しているのか、と。

先日ある記事をみつけた。なんでも垂直にのびる海藻が茂っているエリアでは、あの"縦型"の姿、泳ぎ方が生存性を高める結果につながったと。ううむ。そうか。しかしあの表面についたでこぼこになにか意味があるのか。

いや

ここで考えるべきは、環境というのは我々が思っているよりはるかに多様であり、したがって"適者"あるいは"適する方法"も多岐にわたっているということなのだ。ともすれば人間様はこのことを忘れやすい。その時その時にやれ勝ち組だのなんだのと単一の生存条件しかなく、それに適したものだけが勝者という物の見方をしがちだ。

タツノオトシゴとクジラの幸せを比べることなどできない。であれば、人間世界という限られた条件下であっても、きっとタツノオトシゴとクジラくらい異なる"適者"がいていいはずなのだ。

などと水族館で考える。あとマンボウだ。あれも私にとっては謎だがマンボウにとってはそんなことどうでもいいことなのだろうな。

お久しぶりですね皆さん。ダメですかー!(誰もいない教室に講師の声だけが響く)

今日も誰もいないようです。これでこそ駄目講義。さて今日は先日公開されたばかりのGoogle Similar Imagesの駄目な使い方についてです。

Google Similar Imagesすごいですねえ。画像を選べば(そして運よくGoogleそれについてSimilar Imagesを解析していれば)似たような画像がたくさん出てきます。

まずはキーワードNebulaを打ち込んでみましょう。はい、そこいきなり知らんぷりしない。ネビュラといえばスペクトルマンです。何?最近の若い者はなってませんね。あの歌を知らないなんて。

nebula_org.jpg

するときれいな星雲の写真がたくさん表示されます。そこからsimilar imagesというリンクをたどればその写真の類似画像がたくさん表示されるわけです。ほら、見事なくらい同じ写真が並びました。

ここで

"Google先生すごい!"

と叫ぶ人もいるかと思いますが、先生はそんな反応は認めません。ここは駄目な使い方講座なのです。駄目な道を目指す人間がそこで感動してどうする。少しページを送ってみましょう。

nebular-good.jpg

nebula-good2.jpg

ほら、すごいですね。色が少し違っていても、あるいは同一の写真ではなくても、似たような画像を探し出してきます。

とはいえここで感心するのは間違っています。というか今先生がやってみせた閲覧方法自体が間違っている。駄目な使い方を学ぼうとする者は、まず一番後ろの検索結果から閲覧するものなのです。 ほらでてきました。


nebula-0.jpg

おそらくは右手に映っている人物に反応したものでしょうか。しかし見事に元の星雲の形を識別しています。この調子で検索結果20ページ近辺を探してみましょう。

nebula2.jpg

これも味わい深い。おそらくは右手の人物に反応したものでしょう。そう思ってみれば彼の顔に星雲が見えてくる。さて最後は最高難度の写真です。

nebulra-3.jpg

もはや茶色くてふわふわならどうでもいいという感さえあります。さすがのGoogle先生も20ページ目になるとこのような結果を出してくれる。これでこそ駄目講義を開いたかいがあるというものです。拍手!

(空っぽの教室に拍手の音がこだまする)

つけくわえておきますが、すべての星雲でこのような駄目な結果が得られるわけではありません。この場合茶色がキーポイントのようです。仕事中に何やってるんでしょうね、私は。やっぱり駄目ですか。

それでは今日の講義はここまで。次回は駄目なGoogle Time Lineの使い方です。



さて、ちょっとお久しぶりです。第一回目は出席者がいませんでしたが、今日も誰もいないようですね。これでこそ駄目な講座といえるでしょう。拍手!


(教室の中に講師が手をたたく音が響く)


さて今日の課題です。



ぼくは、このエントリーにコメントをつけるようなうすらバカが現れたら、もう少し彼らのことを観察したいと思う。彼らはなぜこの世に生まれ、なぜ存在するのか? 目的は何か? 彼らはどこから来て、どこへ行こうとしているのか? そもそも、うすらバカとは一体何なのか?

うすらバカを目立たせるのがはてなのブコメ - ハックルベリーに会いに行く


このエントリーにブックマークをつけ、かつ自分がうすらバカではないと主張するためにはどうすればいいか?想像力が問われますよ。


まずよくありがちなパターンです。




「人をバカっていう人がバカなんです!」


「バカにバカって言われたくない!」




正論と言えましょう。しかしこれでは小学生の口喧嘩です。小学生レベルが悪いわけではありませんが「駄目」という言葉にふさわしいかといえば、いささか首をかしげざるを得ない。


とはいえ今回の課題は難しいですね。「うすらバカでーす」と開きなおる方法も考えられますが、それもいま一つ趣にかける。では先生はどうしたか?



今回のエントリーは先生が書いたコメントを引き延ばしたものです。つまり勝手に「出題者」という立場に身を置くことによって


「ブックマークをつけたい。でもつけたらうすらバカ」


という構図から身をそらしたわけですね。しかしこれはそらしただけで、何の問題解決にもなっていません。



では先生が二番目に「ダメ」と思うブックマークコメントを発表しましょう。




「モスラ馬鹿」でボケるネタを思いつけなかった orz



「モスラ馬鹿」いい言葉ですね。惜しむらくは、それでうまくボケにつなげられなかったこと。「うずら馬鹿」とかもありますが、やはりここはよいフレーズを考え付くだけではなく、落ちまできれいにつなげたいところです。では先生が一番に挙げたいコメントを紹介します。




頭の薄い馬鹿の何が悪い。



これですこれ。「うすらハゲ」という言葉を表にださず、なおかつきれいに落ちています。駄目ブックマーカーを名乗るならやはりこれくらいのコメントを残したいものです。拍手!


(教室の中に講師が手をたたく音が響く)



さて、次の講座の日程は例によって未定です。また美しいコメントに出会えることを祈りつつ、今日はお別れしたいと思います。




さて、本日は「駄目な"はてなブックマーク"のつけ方」について学びましょう。おや、誰も出席者がいないようです。しょっぱなから駄目ですね。


今日の題材はこの記事です。


メダルを逃した野球日本代表の星野仙一監督は、「結果はそのまま受け止めないといけない。われわれに力がなかった。日本で金メダルを待っていたファンの方々に申し訳ないという気持ちでいっぱい。たまたまこの期間だけ調子が悪かったと思っている。日本の野球はこんなもんじゃない。選手は必死にやってくれた」と話した。

「この期間だけ調子が悪かった」"惨敗"に星野監督強がり? - MSN産経ニュース



この記事にブックマークコメントを書くのが今日の課題です。おっとさっそく手があがりましたね。(と自分で黒板に書き出す)





「指導者として一番言ってはいけないこと」




はい。良いですね。しかしよく考えてください。この講座は「駄目な"はてなブックマーク"」をつけることが目的です。「良い」ブックマークはお呼びじゃない。


この記事を読んだ人10人が10人考え付くことを書いても「駄目」と名乗ることはできません。


この題材のように「誰もが同じことを考えるであろう」記事はとても難しいのです。脊髄反射的に誰もが気がつく点を書くだけではいけない。それは「良いコメント」であってわれわれが目指すべき「駄目なコメント」からはかけ離れているのです。


では先生の考えたコメントを書いてみましょう。




「負けたのは海軍のせい。陸軍は負けていない。本土決戦になれば目にもの見せてやる!」




自分で言うのもなんですが、少しひねってはいます。しかしひねりが足りない。半回転ぐらいでしょうか。しかも帝国陸軍にあてこすることで、代表監督への批判も見え隠れします。これではまだ「駄目」とは言えない。誰もが考える批判をとおりすぎたところに着地してこそ「駄目なコメント」といえるのです。


では最も素晴らしいと先生が思うコメントを紹介しましょう。




「soylent_green あたしもここ30年くらい調子が悪い」




これですこれ。3回転ひねって、つっこみ、批判といったところから遠くに着地しています。これでこそ「駄目」の名にふさわしい。とはいっても「じゃあおれは35年調子が悪い」といった便乗コメントは「駄目」とは言えません。誰も足を踏み入れていない明後日の場所に着地してこそ駄目と言えるのです。


といったところで時間がきたようです。今日はここまで。来週の課題は次の記事です。


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