Gorotteの最近のブログ記事

コンプガチャと原発の間にあるもの

世の中「コンプガチャを非難するな!東電よりましだろ!」とわけのわからないことを言っている人もいると思う。

多分この境界線について考えてみるのは興味深いことだと思う。例えばこんな意見がある。

普通のガチャはOKでコンプガチャはダメだというのも理論的でない。すべて確率で計算できるのだから、揃えるのが10枚のカードだろうが、1枚のカードだろうが、揃える難易度つまり必要な金額はあくまで計算で求まる値でしかない。

via: メカAG

多分この人はわかっていていっていると思うのだが、コンプガチャの場合はその「確率」が不透明なところが、、とか、ギャンブルは法で規制されているが、コンプガチャは野放しとかまあそういう話は脇においておいてだ。

コンプガチャの規制はけしからん。なぜなら日本が生み出した数少ない「稼げる」プラットフォームだからだ、という意見がある。それに対して私は「コンプガチャは何も生み出していないではないか」と考えたりする。

じゃあ情報処理関係で何か生み出しているものがあるか、という問をすることができる。普通のゲームはどうなんだ。画面上のアイテムをゲットしたり、面をクリアしたりして何の役に立つのか。任天堂の岩田社長はそこらへんについて悟りとも言える意見を持っていると思う。

「ネットワークを通じてコンテンツを配信することで、さらにお客様に長く、深く遊んでいただくために、追加コンテンツ販売を行っていくが、この際には、あくまでお客様に提供するクリエイティブなコンテンツを制作したことに対する対価として、お客様にお金を支払っていただけるようにする」

via: 2012年4月27日(金)決算説明会 任天堂株式会社 社長 岩田聡

任天堂がやっていることは、あくまでもエンゲル係数にカウントされるようなことではなく、「ゲーム」である。その「不要な支出」を正当化してもらうためにはどうすればいいか。そうしたことをちゃんと考えているように思える。

じゃあTwitterはどうなんだ。Facebookはどうなんだ、と考える。時価総額がどうだとか議論することもできるが、それは世の中の何の役にたっているのか。単に「井戸端会議」をより深化させただけではないのか。そうした批判も成立すると思う。私はiPhoneを愛しているが、それがあったからといって私が少しでもまともな人間になったのか、と問われると自信がない。(Gorotte作ったりしてるけどね)

例えばこんな言葉がある。

「空飛ぶクルマを望んでいたのに、手にしていたのは140文字だ」。こんな言い方でツイッターを揶揄するのが、いったいどんなソーシャル嫌いの反テクノ主義者かと思いきや、これがFounders Fundのマニフェストの冒頭の一文だというから驚くじゃないか。Founders Fund は、天才と呼ばれた投資家ピーター・ティールが率いるヴェンチャーキャピタルだ。

via: 不機嫌な「天使」、かく語りき from 『WIRED』VOL. 3 « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム

金はもうかるかもしれないけど、それが貧困の撲滅やら、伝染病の撲滅やら、そうしたことにつながるのか、と言われれば誰もが首をひねると思う。もちろんそれに役だってはいるのだが、「言うほどデカイ」効果をあげているのだろうか。

情報社会は、雇用を増やしてもいないし、製造や生産性向上において革新をもたらしてはいないというのが彼の言い分だ。組み立てラインや高層ビル、飛行機やパソコンを生み出したアメリカは、ある時期から未来を信じることができなくなってしまったと嘆き、彼はその様相を「テック・スローダウン」と命名する。

via: 不機嫌な「天使」、かく語りき from 『WIRED』VOL. 3 « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム

ある時期から、日本人は携帯電話に毎月異常な額の金を払うようになった。それで携帯電話各社は大変利益を上げている。しかしそれで日本は良い国になったのだろうか?

そして題名にある原発である。昨今原発といえばなんでも悪いことの代名詞として使われる。しかし特に関東地方に住人は、電力が途切れなく供給されることのありがたさを身をもって知ったはずだ。そして原発はその貴重な電力を生み出している。風が止まろうが、雲がでようが夜間だろうが変わらずにだ。

「安定性」は評価されにくい尺度だ。それが失われて始めてその重要性が認識できる。退屈な朝の通勤電車。しかしそれは安定して運行されているから退屈なのであり、退屈さのありがたさは、それが止まった時に始めてわかる。

コンプガチャであぶく銭を稼ぎだす人間が胸を張り、地道に社会のインフラを支え、改善している人たちが肩身の狭い思いをしている。

というわけで標題のようなことを考えるわけだ。この疑問は時々頭を過る。じゃあシニア海外協力隊に、とは今は思わない。何かで読んだ言葉だが

The best way to contribute to the world is to be your best.

幸いにして、私はコンプガチャを作ったり、マネーゲームをして金を儲けることがBe my bestではない。であれば、上記の命題を正にできる方法があるに違いない、と考えている。

人工知能の研究はどこにいったのか

話しを元に戻そうではないか。人工知能の研究とはいわばHAL9000を作るための研究だったはずだ。

それはどこに行ったのか?Human-Agent Interactionとか言って、

「人間をエージェントでどれだけ動かしたかが勝負」

とか問題をすり替えている場合ではないと思うのだが。

私が知るかぎり、この「転進」について公に認めた文章はそれほど多くない。これは不誠実な態度だと思う。


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最近あれこれ考えているのだが、結局のところ「フレーム問題」と「記号接地問題」がどこにでも顔をだしてくるのだな。

「人工知能」のデモシステムが見事に動き、そして現実世界で一歩も動けないのは、デモにおいては人間がフレーム問題を解決しているからだ。それ故その中では「人工知能」が見事に動く。しかしフレーム問題だらけの現実世界に放り出された瞬間、それは一歩も動けなくなる。

でもって

実は人間の「意識」なるものも、この「人工知能」と似たようなものではなかろうか。すなわち膨大な「フレーム問題」を解決しているのは、「無意識」の領域なのだ。そこが処理した問題だけを「意識」は解決している、、というか本当のところは解決したような「意識」を持たされているだけかもしれない。実は「無意識」がほぼ全ての判断、決定を行っており、意識とは、それがつじつま合わせに創りだしたようなものではないのか、と。

それ故「意識」が創りだした人工知能は決して世の中で動くことができない。フレーム問題を解消することができない、と。

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すいません。ここらへんもうちょっと考えてまとめて出なおしてきます。

孫子に書いてあること

先日こんな記事を見つけた。

また、もちろん、「商品開発に戦略は必要ない」などと言うつもりはない。
商品開発にも「戦略」は必要だし、有効だ。

しかし、「ナウシカ」や「千と千尋の神隠し」がこれほどのブランドになったのは、
「正しい戦略」があったことが主因なんだろうか?

「ドラクエ」「Google検索」「twitter」「iPhone」がヒットしたのは、
「正しい戦略」があったことが主因なんだろうか?

via: 経営戦略よりも重要なこと - @fromdusktildawnの雑記帳

なぜこんなことを言い出したかといえば、この記事を読み返したからだ。

あのね、ま、言いづらい話なんですけど、
世の中には「頭のいい人になりたい人」というのが
すごくたくさんいてね、多くの場合、
その人たちが迷惑をかけるんですよ。
なぜかというと、頭のいい人になりたい人たちは、
すごく頭のいいことを考えて、
みんながそれに従えば
世の中がよくなると思ってるんです。
で、法律や、決まりや、
マニュアルをたくさんつくる。
それに従えば幸せがやってくると思って。
「1、こうするといいぞ」とか、書くんです。
でも、みんなは、頭のいい人の思惑を外れて、
「えっと、4番はなんでしたっけ?」とか、
「俺、じつは読んでないんですよ」とか、
「まぁ、いいじゃないですか」とか言うわけです。
そうすると、頭のいい人になりたい人たちは、
「どうして大衆ってバカなんだろう」って
もう、涙を流しながら思うんです。
「だから戦争が起こるんだ」とか言うんです。
でもね、彼らが言うようなことが、
世の中を変えたことは一度もないんですよ。
まあ、変える手伝いくらいにはなるにしても、
本当になにかを変えるようなものっていうのは、
「こっちのほうが美味しかったぞ」とか、
「つかってみたら便利で、もう戻れないや」とか、
そういう「事実が先に突っ走ったこと」ばかりで、
決まりやルールは、あとからできるんです。

via: 宮本茂さん、『Wii Fit』などを語る。

最近あまり読まないが、凋落し始めたころのソニーでは「パワーポッター」が大活躍していたのだそうな。戦略、商品の位置づけを弁舌さわやかに語り、印象深いパワーポイントにする人たちだ。

今でもソニーの人たちのインタビューを読むとそうした印象を持つことが多い。

タブレットデバイスは、新しいカテゴリーの製品だが、その普及にいたるまでの過程において、日本では最も早い段階で使い始める"Innovators"段階に続く"Early Adopoter"の段階にあり、本格的な普及段階にいたる"Early Majority"が使い始めるまでに、"普及の谷"と呼ばれる"Chasm"を乗り越える必要があるとする。

 Chasmを乗り越えてEarly Majorityを掘り起こすことで市場の拡大が必要と述べる松原氏は、一般ユーザーに幅広くアプローチするためには、従来のようなハードウェアスペックの訴求だけではなく、タブレットデバイスでなにが、そして、簡単にできるのかを示していくことが重要という。

via: "普通の人"にはスペックだけでは足りない:"ソニーらしい4つの特徴"でみんなのTabletに──「Sony Tablet」製品発表会 (2/3) - ITmedia +D モバイル

いや、実に見事な「戦略」であるが、肝心の商品がゴミではなんともならない。結果は明白。Sony Tabletは存在しないも同然だ。

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とか考えているうち、ぼんやりと「孫子」の事を思い出した。孫子には戦において冷徹な計算が必要な部分と、戦闘する個人の意識に関わること、それに「正と奇」という敵に姿をみせない部分と、見せて戦う部分のことがいずれの述べられている。

そう考えなおすと、やはり孫子は深い、という感を持つことになる。「奇」とは敵に姿をみせず、そして自軍に有利な状況を作り出すこと。ゲームのルールを変えることでもある。

iPhoneが最初に発表された時、多くの人が「日本ではうれない」と断言し、その理由をいくつも並べ立てた。

しかし私のような凡人には今にしてわかることだが、Appleはあの製品で、ゲームのルールを変えたのだ。携帯電話という市場で何の実績も販売網も持っていなかった会社が、「奇」により、ゲームのルールを変え、パラダイムをシフトさせた。

そしてそれを支えたのが、冷徹な計算に基づく、兵站であり、技術だったことも見逃すわけにはいかない。

などということを、帰りの電車の中、Gorotteをいじりながら考えていました、とさ。

Gorotteでみつけた不明な情報

というわけで、iPhone上のGorotteであれこれやっている。

先日こんな文章に出会った。

肥満を宗教にできないか。
なぜやせないのか。こんなに努力しているのに。肥満は人が生まれながらにしてもった原罪です。
でも相撲取りが肥満してくれたので、我々は許されたのです。
このロジックの欠点は、肥満が計測できてしまう事だな。「あなたの罪は許された」と違って。

面白い。そう思って、Evernoteにマークした。

翌日「出所を調べよう」と元となったノートにアクセスしてみた。しかしURL情報がない。まさかこれを考えたのは自分?そんなはずはない。「相撲取り」のところが巧すぎる。

そう思ってGoogle先生に伺いを立てる。有り得なさそうなキーワードのコンビネーションでいけばいいだろう。

「肥満 原罪 相撲取り」

ところがでてくるのは

「肥満 現在 相撲取り」

で検索した結果ばかり。「もしかして」どころか「キーワードを変更しました」という表示もなしである。そりゃ、「現在」で検索する人のほうが多いだろうけどさ。

そこで原罪に引用符をつけてみる。すると意図どおりの検索ができた。

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今まで何度か「Google依存を下げるためにBingに」とトライしてみた。しかし数日後には必ずGoogleに戻る。やはり検索品質に差があるのだ。

しかしこうした「強制言い換え」はGoogleを使うがゆえの欠点かもしれない。我々は知らない間にGoogle先生の設定したフレームにはめられているのかもしれない。

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というわけだが冒頭に掲げた文章の出典は不明のままである。

テレビとはそもそも何なのか

テレビとはそもそも何なのか。その昔は「TV放送を受信し、表示する」ための装置だった。

しかし今や誰もテレビを見ない。欧米の映画では「TVがつけっぱなしになっている家庭」とは下流家庭の記号として扱われているように思える。我が家ではだらだらTVを見ているのは一名だけだ。そのことについて私は心底情けないと思っているが、これは個人的な話。

では今の「テレビ」とはそもそも何であるべきなのか。丁度4年前私はこう書いた。

お題は「新しいTVを考えましょう」というものだったと思う(うろ覚え)私の提案は、「TVは鏡であるべきだ」だった。


TVははPCでもなければ携帯でもない。PCや携帯にできることをしても勝ち目はないのだ。


ではTVの特徴は何か?



  • リビングルームに大きな面積をとり、ひたすら鎮座している。そしてリビングルームとは、家族であってもある程度お互いが見られることを許容している空間ではないかと思うのだ。

  • TVは基本的にユーザが受動的に対するデバイスである。


ここから「TVは鏡である」と考えた。今のTVにカメラを取り付け、ひたすらリビングルームの人の姿を撮影し続ける。それをそのまま画面に映し出せば本物の鏡だが、そこはそれ。こんなシナリオを考えてみよう。

via: ごんざれふ

既に「テレビ放送を受信するための機械」としての使命は終わっているのだ。ではなぜリビングルームに巨大なディスプレイとして鎮座しているのか。それを考えなくてはならない。

なぜこんなことを言い出したかというと、この記事を読んだから。

ミセク氏によると、アップルのテレビは「ディスプレイ、ゲームセンター、メディアハブ、コンピューター、ホームオートメーション機器」など、通常のテレビの枠に収まらない機能を持つものになりそうだという。

via: アップル製テレビの名前は「iPanel」:アナリストが予想 « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム

「なりそう」ではなく、Appleがだすものであれば、既にApple TVをリリースしているAppleがだすものであれば、「通常のテレビの枠からはみ出したもの」でなくてはならないのだ。少なくともApple狂信者の私はそう考える。

いくら努力しても、レンタルDVDより遅くリリースされる作品を、より高い金でみせたところで商業的な成功には結びつかない。世界中で何度もそのことは確認されているし、Apple自身もわかっているはずだ。

ではどうするか。今や完全にコモディティと化したTVをAppleがリリースする意味はどこにあるのか。そうした問に対するAppleの回答を見ることが、、あるかな?ないかな?

Reinvent

されたTVとはなんなのだろう。

ユーモアのセンスとは

米国のドラマとか見ていると

Sense of humor

という言葉をよく耳にする。いつか「異性に求める資質の上位にユーモアのセンスがはいってくる」とか読んだような気もする。

このSense of humorというのは日本人である私はなかなか理解が難しい。そもそもユーモアなるものが存在しているのはなぜなのか。進化の上でどんな意味があったのか、という議論も読んだことがある。


伊藤 正徳という人が書いた帝国陸軍の最後という本がある。そのガダルカナル戦での記述が頭にのこっている。

「しこうして彼らは余裕を持って事に当たる伝統の血を受け継いでおり、いわゆる"あがる"ことが少ない。日本軍を撃退した彼らが翌日一大隊ずつマタニカウ川に飛び込んで汗を洗い流していたことなど、日本軍では考えられない"激戦中の水泳"であった」
(うろ覚えなので多分間違ってます)

一時ほど「日本人選手は大舞台で力を発揮できない」とはいわれなくなったように思う。しかしオリンピック選手のその後を扱った番組などを見るとやはり

「余裕を持って事に当たる」

伝統は米国に存在しているのではないかと思う。平成になりだいぶ薄れてきたとはいえ今だ日本には「皇国の興廃この一戦にあり」といった悲壮感-裏を返せば余裕の無さ-が存在しているように思う。

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さて最近この本を読み、いくつかの点がつながったようなきがした。



引用すると

「速やかに立ち直る人は、ストレスに直面したとき、他の人に比べて複合的な感情を持つ」という結果が示されています。 難局に直面すると、多くの場合ポジティビティは窓から逃げ出してしまいます。しかし、レジリエンスが高い人達の場合はそうではありません。たとえネガティビティに屈してもポジティビティをなくさないのです。

3:1の法則 p156

何かに集中するのは大いに結構。しかし複合的な感情を持つ人こそがレジリエンスが高い、つまりストレスにうまく対処する。こうこの本では主張されている。ネガティブな事件に遭遇した場合に、そのダメージを受け止めながら、ポジティブな要素を持ちうる人が強靭だと。なぜそうなるか。

最終的にたどりついた結論は、ポジティブ感情とネガティブ感情は、異なる時間尺度の上で意味を持つということです。危機に臨んだときにネガティブ感情が指向を狭めることは、ある意味その瞬間を生き延びるために有効でした。 一方ポジティブ感情によって広げられた思考は、もと長い時間尺度において、別の形で有効に作用したのでしょう。ものの見方が拡張したことは、長期にわたって祖先たちのリソースを形成するために役立ったのです。 3:1の法則 p47

人間は野生時代からの反応として、危機に対処するときその事だけに集中する。そりゃ虎を目の前にして「そういえば、この体験を本に書いたら売れるぞ」とか考えていたら食べられてしまう。

しかしポジティブな感情を持つこと-私はここでそれをユーモアのセンスを失わない、と強引に解釈する-ことは、物の見方を広げ、もう少し長い時間スケールでその出来事を位置づけることを可能とする。

それこそが、伊藤正徳が言ったところの「余裕を持って事に当たる伝統の血」ではないだろうか?そして米国社会において「ユーモアのセンス」が重視される「進化的な意味」は余裕を持つことによってレジリエンスを高める、ということなのではなかろうか。

この本にもいくつか「激戦中のユーモア」が紹介されている。


ドイツ軍の強力な攻撃に「やつらこんろ以外はなんでも投げつけてきやがる」と毒づいた英国兵。強力な爆発が起こり、建物が崩れる。ふと気がつけば目の前にこんろが落ちている。
「奴らがこんな近くにいるとはな」

いや、もちろん我が国にも戦場におけるユーモアはあったのだろうけど。覚えているのは

ノモンハン事件で、戦車隊の隊長が「歩兵は氏ねば安い棺桶に入れられる。我々の棺桶は高価な戦車だからこっちのほうがずっといいぞ」と言い、隊員達がげらげら笑った、というものだ。いや、面白いんだけど、なんだかね。

さて、誰にも理解してもらえなかったようだが、このような事を人前で主張した私としてはこの記事を黙って見過ごすわけにはいかない。

sweeping generalizations」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか? これは「一般的すぎてほとんど意味をなさない論理」という意味です。これと同じように、広すぎる対象範囲から一つの結論が出ているものは間違いだと言っていいでしょう。ステレオタイプはこういうところから生まれるのです。インターネットが私たちを愚かにするという主張は、ある特定の場面では正しいのかもしれませんが、一般論とすることは間違いです。今のところ、これを裏付けるようなリサーチは発表されていません。

この迷信を私たちが簡単に信じてしまう理由は、インターネットによって人が他力本願になりつつあるからです。どこへ行けばいいのかはGPSデバイスが教えてくれるし、なんでもググればいいので、あまり記憶もしなくなりました。しかし、これが「私たちは愚かになった」につながるとは言えません。心理学者のDaniel Wagner氏によると、私たちは「transactive memory(交換記憶)」に頼るようになったのだそうです。交換記憶は実は便利なもので、全体を記憶するのではなく、名前やキーワードだけを覚えるようにできているので、小さい容量にたくさんの情報を保存できます。あとで全貌を知りたかったら、そのキーワードで検索をかければいいわけです。

このように、私たちは全体を思い出せないことで、自分がインターネットのせいで愚かになったと思い込んでしまっています。インターネットのアクセスがない状況に陥ると、私たちはバラバラの情報のかけらをつなげることができず、途方に暮れてしまうわけです。しかし、科学的な根拠は現段階ではないのですから、「インターネットによって愚かになる」というのはカルチャーとして言われているだけだということになります。

via: 科学的に偽りであることが証明された脳に関する9つの迷信 : ライフハッカー[日本版]

まず「科学的な根拠が現段階ではない」ことと、「科学的に偽りであることが証明された」は等価ではない。例えば「ガニメデに生命が存在する」根拠は現時点では存在しない。しかしそれは「ガンメデに生命が存在することが科学的に誤りであることが証明された」とは言えない。

この記事で主張していることは「インターネットの利用で、一般的に言って人間が馬鹿になった、という主張を裏付ける根拠はない」ということだけである。そもそも「一般的に人間が馬鹿になる」などという主張は、何によってもただしくない。私がその昔DetroitのRadioで聞いたとおり

"Generalization is always wrong"

なのだ。

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さて、私はチンピラサラリーマンなので、科学的に証明されていない命題についてもう少し考えてみよう。

GoogleとEvernoteにたよりきった人間の頭はザルと化しているのではなかろうか、と私は主張した。頭の中にはGoogleとEvernoteへのポインタだけが存在しており、なんでも「検索すればわかる」

と考えている状態だ。

私の発表中、チャットでこのような指摘があったと聴く。

「ザルじゃだめですか」

私は自信を持ってそれに応える。(何の根拠もなしに)

「ダメです。あなたの頭がザルになろうが私には何の関係もないが、私の頭がザルになっている状態は許容できない」

なぜそう考えるか?

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問題は「検索すればわかる」というのは問題があり、それに対する答えが既にどこか(インターネットもしくはEvernoteの中に)存在している場合には機能するが、そうでない場合には機能しないからだ。

いや、もちろんこれはものすごく便利なのだよ。iPhoneアプリにGPS機能をつけたいと思う。例えば20年前だったらどうしただろう。まずiPhoneアプリ構築に関する本を何冊か購入し、そこからコードを探して「写経」する。しかしそれは古いバージョンに基づいたものだったらしくエラーが生じる。ええい、どうやればいいのだ、と途方にくれて一日が終わる。

しかし今やGoogle先生にお伺いを立てればものの数分でこれに対する「最新かつ正しい情報」を得ることができる。これは無茶苦茶便利だ。

しかしながら

問題はこうした「情報の検索方法」に依存している限り、問題に対する新し解法、あるいは問題そのものを見つけることはできない、ということにある。多くの人が経験していることと思うが、最良のアイディアは

「仕事に疲れ、もう今日は帰ろうと思い、電車に乗った(あるいは車に乗った)瞬間」に訪れる事が多い。つまりその時点では、頭に必要な情報が存在している必要があるのだ。

つまり

「新しい方法、問題」について考えようと思えば、材料は頭の中に存在していなければならない。それらが自分でも説明できないような結びつきを持つ瞬間に「新しい方法、問題」を思いつくと私は考えているのだけどどうですかね。

こうした点において、情報が脳の外部に存在し、それを検索している状態と、頭の中に情報が存在し、それが得体も知れぬ結びつきを持っている状態は大きく違う、と主張したい。そして私は

「ググればわかる問題」

だけを解いて一生を終えるつもりはない。再度引用するが

インターネットのアクセスがない状況に陥ると、私たちはバラバラの情報のかけらをつなげることができず、途方に暮れてしまうわけです。

via: 科学的に偽りであることが証明された脳に関する9つの迷信 : ライフハッカー[日本版]

バラバラの情報のカケラを前に呆然と佇んで、しかも

「私は愚かではない」

と主張するのは私が望む姿ではない。,,,というかこの文書書いた人(あるいは訳した人か?)ってこれ書いていて自分でも変だと思わなかったのだろうかね。

マネジャーとしての目標

ちなみに私は今はマネージャーではないよ。昨日こんな記事を見つけた。

結果を出せるマネージャーは、ある意味で、結果を出せるプレイヤーとは正反対です。マネージャーは、自分の知識、能力、経験に確信を持つというよりは、部下の知識、経験、能力、スキルに興味を持ってほしい。「この人にはどんな知識、経験、スキルがあって、この人は何を求めていて、その求めていることを会社の業績にどんなふうにして生かせるだろうか」と好奇心を持ってほしいのです。

 プレイヤーが「自分は正しい」という確信を持つのに対して、マネージャーは「この人は正しい」という確信を持ってほしいですね。「まだヘンな企画書を書いたりするけれど、この人の持ち味はきっとあって、これが何かに生かせるに違いない。どうやって生かせるんだろう。答えはこの人の中にある」という確信を持ってほしい。

via: 今さら聞けないマネジメント&コーチングの基本:第2回 プレイヤーとマネージャーの違い (1/5) - ITmedia Biz.ID

肩書きはどうであれ、自分がマネージャー的ポジションにいるとき、このことは何度も実感させられた。というか

「こいつは使い道がない」

などと思っていた相手が、短期間で見違えるような成果を出すことを体感した。それは自分のおかげなどではなく、多くの場合私の下を離れてからの成果だ。つまり私はその人の可能性を引き出すどころか殺していたわけだ。

これは次の文章にも通じる内容だ。

かつてネトゲで数十人を率いていたという妻「相手が欲していることは何で、どうやったらモチベーションを高く持ってくれるかを必死に考え抜くの。そうしたら勝手にみんなが動いてくれる。それがマネジメントだよ。やってないから帰りが遅いんじゃないの?」...代わりに会社に行ってもらえませんか?

via: かつてネトゲで数十人を率いた妻の「マネジメント論」 - chocontaの日記

などと何度か痛い目にあい、かつこうした文章を目にしてからは「この人は何を欲しているのだろう」という事を考えることが多くなった。「もしドラ」はかなり異様な内容とのことだが、マネージャーを「高校野球のマネージャー」とした観点は秀逸である。石原莞爾が看破した通り

「兵は神様。将校は神主」

神様たる兵に気持よく働いていもらえるよう、踊ったり祝詞をあげるのが将校の役割であると思う。しかしそれは容易ではない。私の祖父が言ったとおり

「人間ほど変わったものはない」

のだ。何を欲していて、何がその人のモチベーションを高めるか見抜くのは容易なことではない。

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さて、そろそろ新年度の足音が聞こえてくる。大企業の方には

「子会社への片道飛行」

が迫ってきている人も多かろう。でもってそういう人というのは子会社に赴任したとたん例外なく

「子会社の人間は皆どうしようもない馬鹿である」

と考える。そうして親会社に残ったものと酒を飲み、自分がどんな馬鹿に囲まれているかを愚痴るのだ。

そうやって余生を送るのもいいが、ここで引用した言葉を少し考えてみると「陰鬱な子会社生活」が少しは創造的なものに変わるかもしれんよ。そもそもそんな立場の人がここを読んでいるわけはどないのだけど。

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などと綺麗事を言っても、「どうにもならない場合」も存在する。こうしたビジネス文書を読むとき、そうした事実は触れられないことが多いが、私は

「どんな人間も誠意を持って話せば分かってもらえる」

と思うほど若くはない。人間の中に存在しうる闇は、想像よりずっと深いのだ。そうした場合にはそもそもその人間を採用してしまったことについて何が間違っていたのかよく考える必要があると思う。ちなみにそうした「反省」を見る機会が少ないことにも少し驚いているのだが。

若いからこそできること

というのはいくつかあることに気がついた。足を止めて、ひたすら周りの「酷い事」に愚痴り続けるというのはその一つだ。

そういう贅沢な時間の使い方というのは、若い人の特権だと思う。この歳になるとそんなことをしている暇はなくなる。

昨日見つけた言葉を書いておこう。


あるいはこう言っても良いかもしれない。機会というのは確かに存在する。しかしそれは待っていても来ない。後から「あのときは機を外していた」と気がつくだけなのだ。





もうひとつ気づいたのは、自分がMD(medical doctor)であることは、自分の体にとっては何の関係もなくなってくる、ということです。がんはがんであり、それ以外の何ものでもないのです。



視力を失うと触覚や聴覚が発達する不思議――自身も右目を失明したオリヴァー・サックス医師が語る、人間の脳の驚くべき能力|World Voiceプレミアム|ダイヤモンド・オンライン から引用


自分がMedical Doctorだろうが、世界一革新的と評される会社のCEOだろうが、がんはがんとして増殖し続ける。

しかしその事を分析したり嘆いたりしている間に、自分の脳は勝手に構造を変えてしまう。視力がうしなわれると他の感覚が鋭敏になる。脳内の結びつきが変化するのだ。

 まず、再構成する能力があるということです。今あなたが目隠しをされると、90分以内に触感が向上します。解剖学的には何の変化もありませんが、生理学的には変化しているのです。それを続けていると、ニューロンが回線を変えるのです。かなり高度なレベルまで回線を変えます。

外の状況も自分の中身もそこにとどまってはいない。であれば、愚痴っていてもしょうがない。するり、と前に進もう。

Gorotteを作って&使って起こった変化

Gorotteを作り、それを論文としてまとめ、プレゼンを考えているうちに、いくつかのことに気がついた。

「情報で成功してる人は本を読んでますよ。ネットはおやつ、主食は本。ダメな奴ほど、それが逆転していくんです。おやつで栄養価が取れるはずないのに、ビタミン剤(手軽な情報)を欲しがるんです。本の内容をうまくまとめたまとめサイトが欲しいってことに慣れてしまうと咀嚼力が下がって、結局同じ情報を見ても分からないんです。これがネット中毒になっている人の特徴で、全く同じ情報を得ていても、読みが恐ろしいほど浅い」

via: 現代のオトナが捨てるべきこと 『ネット、トレード、自分探し』 | 日刊SPA!

今務めている会社には、誰でも自由に借りられる図書がある。一つの挑戦として毎週(あるいは2週間ごとに)その本を借り、簡単な感想を書くことにした。

最初は「ビジョナリー・カンパニー」とか有名なビジネス書を読んでいるのだが、そのうち飽きてくる。サウスウェスト航空とか、パタゴニアのケースも面白いが自画自賛にはそのうち飽きが来る。結局気がついたのは

「古典はすばらしい」

ということだ。当たり前だが、長い年月読み継がれてきた本にはそれだけの価値がある。文字にすると実に当たり前のことだが、そのことにようやく気がついた。題名だけは聞いたことがあるが、読んだことがなかった本。それを手に取り

「もっと早く読めばよかった」

と何度も思った。ちょっと列挙しよう。




まだまだあるが、これくらいにしておく。

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逆に今年有意に減らしたものは、以下の情報である

・ライフハック的なWebページの閲覧
・Twitterのフォロー数(私のフォロー数/フォロワー数は 19/101である)
・Facebookの購読数(友人として登録はしていても、その人の投稿を読まなくなる、ということ)
・TV番組

結果として、筋力がついたかどうかは知らないが実に快適である。問題は、Gorotteの動作が安定しないことだ。件数に対してスケールしないので、もう全体構成を3度変更している。これをなんとか安定させないと「収集した情報を咀嚼して考える」ことができなくなる。連休の第一の課題はそれだな。

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次に考えなくてはならないのは、接触する人だ。人間は社会的動物なので、接触する人から多大な影響を受ける。端的に言うと

「バカは伝染る」

のだ。

これをどう改善するかはよく考えなくてはならない。

このブログについて

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