SONYという病
2014-08-20 07:18
というわけで「製品の質は知らないけど、日本メディアとの癒着度ならどこにも負けません!」の元SONY VAIOである。またも製品も何もないのにインタビュー記事が登場だ。とはいえ面白い部分がないわけではない。
――それはどんなものになるのですか。
赤羽氏:非凡な製品であり、突出したものを持った製品になります。
関取氏:いや、非凡じゃ、弱いんじゃないかな(笑)。「きたか!」という感じの製品になりますよ。お客様が驚くぐらいのものを出したいですね。
――「きたか!」と言わせる商品は、年度内発売予定の商品でいけますか?
via: 【大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」】いま、新生VAIOのすべてを語ろう!【後編】 ~「オリジナルモデルは『きたか!』という製品になりますよ」 - PC Watch
今は8月も後半。製品発売まで4ヶ月弱。それで「お客様が驚くぐらいのものを出したい」という「遠い未来の抱負」を語っているかのような悠然とした態度。
実はこの「どこか他人事」というのが現在のSONYに蔓延している病ではないかと思うのだ。これは別に今に始まった話ではない。
ユーザーエクスペリエンス中心型の製品は、常に進化をしています。まずは80で製品を出しても、サードパーティーのアプリケーションによって、100に到達し、さらに120にも、130にもある。2画面タブレット端末はそういう発想で進化させたいですね。
via: 【大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」】 Sony Tabletは『ソニーらしさ』を最も表現する製品 ~業務執行役員SVPの鈴木国正氏に、ソニーのタブレット戦略を聞く
「デザインは意図である」という言葉を当てはめれば、この時のSONYの態度は「わかりません。適当に線を引いておくから誰か何か考えてください」というものだ。つまり「思考放棄」が彼らの意図だった。
このVAIO社長の言葉にも同じような「思考放棄」を感じるのだ。この時期に「出したい」みたいな他人だのみじゃいかんだろう。
「すごい製品をお知らせできます。今から発表の時が待ち遠しくてたまりません」
くらい言わないと。どうせ誰も期待してないんだから。
この「思考を放棄した経営者」というのは多くの日本企業に当てはまる疾病ではないかと思うのだ。
これを受けて、実際にこの戦略をやるかどうかは経営判断になる。かれらは「これはあとで総スカンにあいそうだ」と思うかもしれない。でも「総スカンにあったところでその時点で相手が叩きつぶせればわれわれのメリットになる」という判断だってできる。そしていったん後者の判断が下されたら、総力をあげてこれが実行に移される。こわいよ。そういうオプションをはなから考えられなかった連中なんか、ひとたまりもないよ。
そしてそれが失敗に終わったら、責任者(経営陣)がきちんと責任をとってやめるだろう。日本では、まずそういうことにはならない。といっても、日本のこの手の報告書がないわけではない。たくさんある。しかしながら、それは似て非なるものなんだ
via: The Halloween Document: Japanese
これについてはまた書く機会があると思うので今日はここで唐突に終わる。