チカチカゆらゆら

2017-03-27 06:57

先日La La Landを見た。今度は日本語字幕付きである。最初に観てからあれこれ調べ、だいぶ知識が増したので前回はわからなかったところがいくつかわかった。

セブの家にやってきて「片付けろ。嫁をもらえ」という女性が誰かわからなかったが彼女はセブの姉。私には「姉」という言葉は聞き取れなかったが(字幕にはでてくる)アメリカ人だとあの状況で母ではなく姉とわかるのだろうか。

でもって後の方で彼女のEngagement Partyがでてくる。黒人の男性と結婚するのだ。そして終盤、彼女から送られて来たクリスマスカードがちらっと映る。初めて観たときはそのどれにも気がつかなかった。

さて、本日の本題。

最後のオーディションで、主人公のミアが歌う。その歌詞の意味が取れない部分がずっと気になっていた。この歌詞も最初は全く聞き取れなかったが、後で歌詞やら訳詞を読み「をを、こんな歌であったか」と驚いた。

セーヌ川に裸足で飛び込み一ヶ月くしゃみをしつづけた叔母について

She lives in her liquor
and died with a flicker
I'll always remember the flame

liquorとflickerが韻を踏んでいると思うのだが、酒に溺れた?はいいとして、次のdied with the flickerというのがわからない。flickerは「チカチカする」ことだと思うが、なぜ死ぬ時にチカチカするのか。

あれこれ調べた結果から想像したのは、「電球はちかちか瞬いて、そして死ぬ(完全に切れる)」という様子をなぞっているのかなあ、と。確かに蛍光灯は切れる前にはチカチカしだすからね。

しかし社内のSNSで「これはロウソクの炎が消える前にゆらめく(flicker)、という意味ではないか。その方がそのあとのflameと意味も合うし」と指摘を受けた。確かにそちらのほうが正しいような気がする。

ちなみに2回目に見たとき、この場面で泣いた。そして考えた。おそらく私にできることは、セーヌ川に飛び込み、一ヶ月くしゃみをして、しばらくチカチカゆらゆらした後に消えること。この世界の片隅でね。

それで結構。しかし欲を言えば、誰かにI'll always remember the flame と言ってもらえたら、これほどうれしいことはない。

私の子供達は私のflameを覚えていてくれるだろうか?そのためにはもっとがんばらないと。

歌詞に曰く、必要なのは少しの狂気。もう自分には何も残っていないと思った時初めて顔を出す狂気。それをあと何回チカチカさせられるだろうか。


最近とみに思う。なんとかメソッドとかなんとか思考とかかんとかシンキングとか。みなこの「狂気」を見過ごしている。複数人での合理的な議論と協力から良いものが生まれると説く。しかし私は確信している。なんとかメソッドと定型化できようができまいが、偉大なデザイン、革新とは狂気じみた個人の考えから生まれるものだ、と。その実現に集団が必要だとしても、それをひっぱっているのは一人の狂気だ。

GoogleはAndroidで最初Blackberryもどきを作ろうとしていた。当時「合理的」に考えればそれが正しい方法だった。AppleはSteve Jobsのキチガイじみた発想に引きずられiPhoneを作った。デザインの方法論を声高に語る人間は、iPhoneというキチガイじみた現実をその方法論で説明してから出直してこい。「Appleは例外」と切り捨てる同じデザインファームが同じ口で「Extreme Userに新しい発想が潜む」と語っているのはどこか微笑ましい。

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映画のエンドロールにはいろいろな曲のタイトルが並んでいる。でもどこででてきたかわからない。大砲ぶっぱなす1812序曲とかどこであったか?そもそもなぜ滝廉太郎が?と分からなくなる。調べてみればセブが自宅で練習していた曲が荒城の月のアレンジなのだな。あとで気がついたのだが、1812は最初のタイトル画面か。と書きながらも自信がない。でもさすがにもう一度映画館では見ないと思う。

いいかい、と自分に言い聞かせる。2度観れば十分だからね。何度か聞いた意見だが、この映画は後からジワジワくる。楽しく、華やかで、悲しく、そして観る人間に何かを考えさせる。