Movieの最近のブログ記事

今週は一日短い!仕事全然終わってない!こういう日は本家から転載

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とっても期待していたのだ。ティム・バートンがアリスを映画化する。しかもいつものバートン組、ジョニー・デップにヘレナ・ボナム・ カーターもでている。それにこの奇妙な予告編はどうしたことだ。

わくわくしながらその時をまつ。すると見慣れた"シンデレラ城"の映像が。しまったこれはディズニー映画だったか。

というわけでヤケになった私は以下にあらすじを書いてしまう。見たくない人はここでお帰りください。

うさぎを追って穴に落ちたアリスには不可思議な出来事がふりかかる。わかったわ。

"カラスと机が似ているのはなぜ?"

の答えは

"勇気を奮って敵に立ち向かえ"

なの よ!(注:映画でにここまでは言ってません)私が戦わないとこの世界が滅茶苦茶になってしまう!

使命に目覚めたアリスは剣をとり怪物をやっつけ、Wonderlandに平和をもたらす。そして

"自立しな くちゃ。女もこれからはビジネスよ。"

と中国に麻薬を売りつけるのであった。

原作は何度か読んだことがある。そこに正面から取り組まず、"13年後のアリス"に設定を移したこと自体は悪くないと思うのだ。しかしながら。

原作の良さは"なんだかわからないけど、面白い"処にあったと思う。ところがディズニーの手にかかると"勇気をもって自立する女の物語"という わかりやすいプロットにされてしまうのであった。

半分居眠りしながら考える。"なんだかわからないけど、面白い"といえば当代宮崎某の右にでる物はいない。彼がやる気になればなあ。。 そんなことは起こらなそうだが。

敵の最強キャラがさっぱり強そうじゃないし、そもそも途中ででてきた鳥とはまた別とか。まあ細かいことはいいよ。560円かなあ。

とか思っているうち、ディズニー節は最高潮に達する。ジョニーデップがくだらないダンスを。そこで私の中で何かがぶちっと切れる。いい加減にしろ。

どんな原作でも"ディズニー"にしてしまうその強引さはなんと評すべきか。いや、それで商売がうまく行っているのならいいのだけどね。

映画評:ハートロッカー

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祝!アカデミー賞たくさん受賞。ということで本家より転載

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アカデミー作品賞をアバターと争っていると聞いて観に行った。

見終わっての感想は

"冗談だろ"

イラク駐留米軍の爆発物処理班。最初のシーケンスで隊長というかリーダーが爆死する。この場面ですでに私は映画から脱落。やっていることはよくわかるが、スクリーンから全然緊張感が伝わってこないのだ。リアルに真面目にやっているとは思うのだけど。

いや、作品賞とか監督賞とかたくさん候補になっているらしいからそのうち面白くなるのだ、と自分に言い聞かせる。ブラボー中隊が任務完了までにあと何日と映し出される。ふーん。となりの人間が携帯の画面をのぞき込むが別に批難する気にもなれない。

見ているうち

"早くここからだしてくれ"

という気にはぜんぜんなれなかった。観客を戦場につれていく、という点ではアカデミー賞とは全く無縁だったジャーヘッドに遥かに劣る。

なぜ私がついていけなかったのかの理由を言語化することはできないが、実際そうだからしょうがない。理由のひとつは"肝心なところをセリフでだらだら説明しよう"であるかもしれない。最後の任務が終了した直後、その後などセリフでぐだぐだ説明する。他にも

"わかりやすい死亡フラグを立てまくる軍医"

とか。神経質でわめきまわり同情し難い隊員とか。

かくして

"この映画のどこがアカデミー会員に受けたのか"

が最大の謎として残る。そう思ったのは私だけではないようで、エンドクレジットが流れ出した途端多くの観客が席をたったことを付記しておく。

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実話のもつ緊迫感、という点では、ジャーヘッドだけではなくUnited 93に比べるべくもない。しかし何がそれらとの違いか、ということになると私にはわからない。

人がくだす評価というのはしょせんこのようなものだ。何が良くて何が悪いかは"審査員"が決めることだし、こうした問題に関していえば客観的な基準すらない。

というわけでことしも"ごんざれふ大賞"を、と考えるが、、、まじめにやろうかな。

映画評:しあわせの隠れ場所

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つかれて人生がいやになった時は本家から転載

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私にとって地雷源と化しているサンドラ某だが、アカデミー賞主演女優賞の候補になったと聞いたので観に行った。

見終わっての感想は

"冗談だろ"

行き場所がなくさまよっていた高校生を、ある裕福な夫妻が迎え入れる。彼の勉強の面倒をみてやり、ようやくフットボールに入部が認めら れる。大活躍して大学からスカウトが山ほどくる。しかしDivision 1Aに入部するためにはまだ点数が足りない。必死に勉強してようやく合格したと思えば、、

という実話に基づくお話なのだそうな。コメディではないのだが、やっていることはいつものサンドラ某のラブコメと一緒。全く型通り。で あるからして、成功の途中でなにか"困難"が来るはずだと思う。あれこれ想像しながら身構えているとそれは、、どうでもいいものだった。そこからの"回復"もあっさりと。

途中本物のCollege Footballのコーチが山ほど登場し、手馴れた"高校生へのスカウト"を演じる。流石に"演技慣れ"している人たちだが、こういう"素人出演の内輪受け"を延々観させられても観客-特に日本 の観客-は退屈するだけだ。

また何が気持ち悪いといって、裕福な夫妻が完璧に"良い人"なのだな。それだけではたらず(これもサンドラ某にはいつものことだが)セ リフで"私は良い人なのだ"と宣言しなくては気が済まない。

"私が彼の人生を変えてるんじゃないの。彼が私の人生を変えてるの"

というセリフ自体はいいも のだと思うが、映画の中では完全に浮いている。世の中には自分のベッドを持ったことがない人がいることを知り、自分が行ったことのない治安の悪いエリアに行くことがそんなにすごいことなのか。

ディ パーテッドが作品賞をとる世の中であるからして、この映画のサンドラ某が主演女優賞をとっても驚かない。しかしその背後に何があるかは知りたい気がする。とか書きながらノミネート一覧を見てみれば、、何?作品賞にもノミネート?

とはいえ

米国の大学でFootballをするということがどんなことが垣間見られるのは面白い。成績が一定以上じゃないと入部すらできない。("協力"をほのめかす場面もあるが)これは見習ってもいい部分ではないかと思うのだが。

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サンドラ某の演技が、、よかったんですかねえ。私にはわかりませんでしたが。

作品として、、おもしろいんですかねえこれが。作品賞ノミネートも冗談としか思えない。いやだって、グラン・トリノが(去年だけど)作品賞にノミネートされてないんだよ?

私にとってはNotre DameのHead Coachである、ルー・ホルツがこんなところにいたのか、というのが唯一の驚きか。

サンドラ某の日本公開映画は、軒並み560円以下(私にとっては)なのだが、こうして映画が作り続けられること自体、彼女が成功していることを意味しているのだろう。

映画評:インフォーマント!

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疲れ切り人生がいやになった日は本家から転載。

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最初に機内で見たときは

"なんだか地味な画面だなあ。主役も腹のでたおっさんだし"

と思って数分でやめてしまった。

それから一月程してまた飛行機にのる。するとまたやっている。一度見てみるか。すると最初のクレジットで主役がマット・デイモンである ことを知る。ううむ。見事に体重を増やしたなあ。驚いていると監督がソダーバーグであることを知る。これは見なくては。

主人公は食品工場に務めている男。生産ラインに細菌が混入するトラブルに悩まされている。ところがある日

"日本企業から電話があった。 細菌混入は奴らのサボタージュだった。解決に10億円を要求してきた"

と上役に報告する。その調査にFBIが関与してきたところから話が大きくなる。そうか、日本企業は悪いヤツだ、と思うが 主人公の態度にはどこかひっかかるものがある。どうなるのかな、と見ていると彼はFBIにこっそりと語り始める。日本企業からの脅迫などとはケタの違う大きな犯罪について。

をを、これは企業犯罪と戦う勇気ある個人の物語か、と思うがそれで落ち着くわけでもない。音楽が妙にコメディタッチなのだ。 会社に強制捜査が入る場面でも、なんだか陽気な音楽が流れている。これはどうしたことか。すると

"会社の犯罪を勇気を持って暴く"

はずの主人公にもなんだか妙な点があることに気がつく。そもそもこの男は何をしていたのだ。

そこから軽快な音楽をバックに話は妙な方へ妙な方へ展開を続け、ついにはデイモンの"正体"が明かされる。

英語のWikipediaを見てみると、デイモン演じる男、事件が実在のものであったことがわかる。しかし右往左往し続ける登場人物たちの姿は、一歩離れてみればコメディとしか言いようがない。軽快な音楽をバックに語るしかないのだ。企業と戦う個人の姿を真面目に描いた映画エ リン・ブロコビッチを作った監督は、この事件をそう受け取ったのだろう。

かくして最初"なんだか地味"と思った映画は"なるほど。ソダーバーグが作るわけだ"と納得のエンディングを迎える。私は知らなかったけど、これ日本でも公開されてたんですね。

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地味だけど楽しい映画。ソダーバーグは本当にいろいろな映画を撮る人だな。

というわけで本家から転載

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予告編を見る。ラグビーワールドカップまで一年というのに、南アフリカは国際試合で惨敗する。しかし話からして一年後には彼らが優勝するに決まっているのだ。

と いうわけで映画のお約束としてこんな話になるのだろう。まず人種対立があるが、それを乗り越える。鬼コーチが来てチームを鍛え直す。ワールドカップでは" 予想外"の快進撃を続ける。さあ、明日は決勝だ、というところで思わぬ問題が持ち上がる。案の定決勝は苦しい戦いとなる。しかし後半になり、チームの心が ひとつの奇跡を呼ぶ。そしてあのダメチームは奇跡の優勝を成し遂げるのであった。。

この映画にはそうした要素がひとつもない。秘訣もなければ必殺技もない。代わりに存在しているのは、ネルソン・マンデラである。おそらくこの映画の製作者は、その姿を真面目に、丁寧に描けば私が妄想したような映画のお約束事は不要だと考えたのだろう。

27 年自分を投獄した白人"ども"ではあるが、彼らは祖国を運営していくのに必要不可欠。マンデラは南アフリカの大統領として、私怨を超えたところ で天下と対峙している。そしてアパルトヘイトの象徴と思われていたラグビーチームの名前、カラーをそのままに、新しい南アフリカの象徴としてワールドカッ プ制覇を期待する。

モーガン・フリーマンの演技がすばらしい。みているうち

"これに引換え我が国の政治屋は"

と何度も思うことになる。

"I am the master of my fate:
I am the captain of my soul."

などと字面で見れば"ケッ"と思うが、27年投獄されそれでもくじけなかった人間の口からでればデイモンならずとも何かを考えるわけだ。(ちなみにこの詩はオクラホマシティ連邦ビル爆破事件で死刑になった犯人も遺書の中で引用したらしいが。)

かくして映画は実在の人物とシーンを映しながら静かに終わる。(映画らしいことは)何も起こらなかったのに何かを観客の心に残しながら。さすがはイーストウッドというべきか。

とほめながら、スタジアム上空を飛ぶ飛行機のシーンは、演出、映像ともに稚拙だった。あれはいったいなんだったのだろう。(元となる事実はあるらしいが)
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イーストウッドの映画は見た後"どーん"となることが多いのだが、この映画にはそうした要素はない。

この映画を見た後何を調べたかといえば、南アフリカの現状は"これでもよかった"といえるものなのか、なんらかの失政に帰することができるものなのか、という点である。

2chにヨハネスブルグのコピペが張られるようになってから久しい。いつかNHKでやっていたドキュメンタリーでは、モールに頼んでもいない警備会社が入り込み、警備会社同士でいさかいを起こすシーンが写されていた。

ブラッドダイアモンドではTIA,This is Africaという言葉が何度も出てくる。そうつぶやくしかない現状は南アフリカでも同じことなのか。私がであった南アフリカ人(白人でたった二人だが)はとても親切で礼儀正しい人だった。

AIDSの感染率が20%をこえ、平均寿命が40歳を切るといわれている現状はどのように考えればいいのか。この映画で描かれている人たちはそのような現状に関係があるのかないのか、そんなことをしばらく調べていた。

映画評:ラブリーボーン

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疲れ切った週末は本家からの転載でお茶を濁す

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みているうちに何度も思う

"どうした。何があった、ピータージャクソン"

これがあの" The lord of the ring"を作った人間の作品だろうか?

予告編を見る。いきなり少女の声で"私は14歳で殺された"と告げられる。ううむ、ということはきっとゴーストのようなお話に違いない。あの世から少女が犯人を捕まえる手伝いをするのだ。

などと考えているうち映画が始まる。少女に不幸な運命が訪れることはわかっているのだが、前半はなかなか楽しい。しかし少女が憧れている上級生がどうして、彼女に近づいてくるのかさっぱりわからない。どうもいやな予感がする。

などと考えていると、彼女に降りかかる運命がネチネチネチネチと描かれる。原作の小説はもっと細かいらしいが、こういう場面は見ているのがつらくなる。

さ てそこからは喪失感と戦う家族が描かれる。というか描こうとしたのだろう。あの世とこの世の間に行った女の子はあれこれやっているが、基本的に現世には何 も手がだせないらしい。妻は家出をし、残った兄弟は悲しみと戦いながらも暮らしていく、と文字にすることはできるのだが、どうにもこうにも中途半端。主人 公のエキセントリックな祖母がでてくるのだが、それに何の意味があるのか。父親と母親の狂気に満ちた感情も見ている側に感じられないし。

そうこうしているうち、第6感により家族は真犯人を突き止める。(以下ネタばれ満載)

妹は危険をおかしてその男の家に侵入する。ところが(お約束通り)そこに犯人が帰ってきた。またここがいやらしいほどネチネチネチである。証拠見つけたらとっとと逃げろよ。いやそこはまだいい。命からがら犯人の手から逃れ家に戻れば、母親がかえってきてほのぼのしている。

ど うしてもここだけは理解ができない。殺人犯の手をからくも逃れてきた女の子が家族の顔をみたら、まずHelp ! Call the Police !とさけぶでしょ?殺されそうになったんだよ?自分の姉がどうされたか知ってるんだよ?せっかく帰ってきた母親がどうのこうのとか遠慮している場合じゃな いじゃない。かくして犯人は悠々と逃げ去りまた別の女の子が犠牲になるのであった。

それは主人公にも言える。現世に手出しができないかと 思えば、なぜか最後だけゴースト張りの乗り移りをやる。そこで犯人をつかまえるかと思えば、彼女が望むことは、、まあ14歳の女の子だからねえ。。かくして 犯人はまたもや悠々と逃げ去るのであった。最後にとってつけたような天罰が下るのだが、あんな天罰ならないほうがマシというもの。


かくして冒頭に述べたような感想が繰り返し頭をよぎる。唯一の見どころは、"全米人間の屑選手権ブッチギリ優勝中"、スタンリー・トゥイッチ演じる犯人か。(いや、彼が演じているということは後で知ったのだが)
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祝!スタンリー・トゥイッチ アカデミー賞ノミネート

いや、すばらしいですよ彼の演技。夢にでてきそうな。今までとは違った"いやな男"を熱演。新境地を開いたか、ってこんな分野開かなくても、、とはいわんわな。

2chの情報によれば、犯人への"天罰"は観客に見せた反応をみて追加したのだそうな。どうりでとってつけたような場面なわけだ。しかし実際にはああやって次の人を殺すのだろうな。。これというのも妹と姉が悪い。

主人公の行動をみて"馬鹿なことを"というのは簡単なことだ。しかし彼女並みに馬鹿な行動はいくつもやった記憶がある。記憶に残っていないものはもっとあるだろう。彼女と私をわけたのは賢明さというより、偶然の要素が大きい。

などと書きたくなるようなイライラしてすかっとしない映画であった。"中間地帯"の映像も救いにはならない。


映画評検索について

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前にも断片的に書いた内容だが、再度書いてみる。昨日こんな記事を見つけた。

まずは今週から、Movitter(ムビッター)というWebサービスの開発に着手します。


簡単に言うと、Twitterをサーチして現在公開中の映画に関する評判を集計して表示するサービスです。


これ、ずばりFlixupというサイトのパクリです。これの日本版を作ります。


完成品が目の前にあるので作りやすいですね。けれども個人開発で同じようなものを作ることができるのかどうかがはたして謎なのですが、そのあたりがチャレンジになってくるのでしょう。


via: MovitterというWebサービスを作ります - COBOL技術者の憂鬱

これを読んで前に何を考えたか思い出した。

映画のマーケティングとかやっている人は、このように網羅的な検索をしてほしいのだと思う。

しかしながら私が他人の映画評を読むときに何を求めているかといえば

"自分と意見が一致するか否か"

ではなく

"それを読むことにより、映画に対して新しい視点を持つことができるか"

である。
つまるところ、映画の宣伝で"泣けましたー(はーと)"とか言っている人の意見を読んでも私にとってうれしくないことのほうが多い。前田氏のつける点数が私の評価と一致していようがいまいが、彼の言葉を読むことは今の私にとって時間の無駄でしかない。

ではどうすればよいか。

自分が書いた映画評をもとに、"似たようなスタンスで書かれた映画評"を検索することができるか?あるいはスタンスごとに映画評をグルーピングすることはできるか?

ずーっと前から言っていることだけどそろそろ何か始めよう。

映画評:アバター

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本日からしばらくブログの更新がとります。というほど定期的に更新していない気もするが。

というわけで本家から転載。

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見ながら考えていたのは

"もしジョージ・ルーカスに正気が少しでも残っていれば、この映画を見たあとでStar Warsを作ろうとは思わないだろう"

常日頃"映像表現が云々などはまともな話あってのこと"と主張している私だが、この映画には素直に驚いた。

予告編を見ればストーリーはほぼ把握出来る。ある惑星に鉱物資源が豊富に存在する。海兵隊+営利企業はその上に住む異星人を立ち退かせようとする。かくしてドンパチが始まるのであった。

"異星人"はNative Americanとも、無数に繰り返されてきた"土地を侵略された土人ども"とも受け取れる。したがってこうしたストーリーも何度となく映画化されたわけだが、この映像はどうだろう。

ナウシカの影をいくつか挙げることもできるだろう。しかしこの25年の間、日本人が作ったの映像は牛歩の進み-しかも進んでいるのは宮崎ひとり-だったのに対し、ハリウッドはここまで到達してしまった。

2 時間27分の間に、実写を少しでも用いた部分はどれだけあるのだろう。しかしいくつかのシーンを除いてそんなことを感じさせもしない。実写か否かに 関わらず思わず息を飲むようなシーンをいくつも展開してみせる。空を飛ぶ島、惑星に生きる異星人、動物たち、燃え落ちる巨大な樹。

主人公は下半身不随となった男。しかし自分の"アヴァター"とリンクしている間は惑星パンドラの大自然の中を自由に飛び回る。映画の途中で

"どちらが現実かわからなくなってきた"

と主人公がつぶやく。見ている観客も多くはそう考えたのではなかろうか。

陳腐なストーリーにものすごいCGといえば、最近ではStar Wars 1-3.しかしそれがいかにも"つけたしました"というCGだったのに対し、この映画のそれは見たこともないレベル。サマー・ウォーズなど見て"映像表現が素晴らしい"などと言っている輩は豆腐の角に頭を打ち付けた上で冬の伊勢湾にダイブすればよいのではなかろうか。

この映画はこの後"新たなスタンダード"となるのだろうか。
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正直に書くが、筋がパターン通りの映画でこれほど驚かされるとは思わなかった。

Star Wars1-3とこの映画を比較するのは興味深いと思うのだけど、誰か卒論とかでやらないかしら。でもってやったら私に教えてください。

それとともに、"日本のアニメ"という狭い枠を勝手に作り、その中であーだこーだ言葉をこねくり回している人たちに対し非常にNegativeな感情が湧いた。エヴァンなんとかとかサマーなんとかのことだが。

日本人は、狭い枠がはめられてこそその中で創作性を発揮するとどこかで読んだ。(折り紙とかね)でもそういうことやっているうちに(自動空戦フラップとか作っているうちに)、原爆でふっ飛ばされたりする。

また映画はチームで作るが、監督は常に一人だ。(場合によっては監督不在の映画もあるらしいが、そうしたものは決まって駄作だ)このことにはもっと注意を払ってもいいと思う。

ううう。本家から転載

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私はアニメーションの作画だのなんだのには関心をよせない人間だが、この映画の映像表現には素直に驚いた。やたらと空をとぶのだ が、下を見下ろしたとき、思わず◯◯が縮んだ。人間の顔も、デフォルメされているにもかかわらずとてもリアルだ。人間の顔をキャプチャすることに命をかけ ている某監督はこの映画を100回みて出直 すとよい。

すべての登場人物がとても生き生きとしている。特に印象深かったのは犬だ。しかられてしょんぼりと立ち去る後ろ姿。喜んで飛びついてく るところ。こう文字で書いてもなんのことかわからないだろうが

あと子供だけでなく大人も最後まで笑い声をあげていたのにも驚いた。子どもが笑うツボというのは確かに存在し、私などが寝かかっている 映画でも、そ のツボが登場すれば子供は笑う。しかしこの映画では大人も思わず吹き出すようなシーンがいくつかあった。というように構成要素には大いに驚かされたのだ が。

冒 険家にあこがれる少年が、廃屋で少女と出会う。そこから二人が結婚し、、、今や老人となった少年がひとりで家に座っているところまでが一切セリフなしで映 し出される。このシーケンスは見事(大人がちゃんと意味を読み取ると、結構つらいのだけど)立ち退きを命ぜられた老人は家ごと"伝説の滝"を目指 す。

2/3くらいまでは"これはどうなってしまうのか"とずっとわくわくさせる素晴らしいストーリーだった。しかし"悪役"がはっき りしてしまってからはは普通のハリウッド映画のようでがっかりした。いや、つまらないというわけではなないのだよ。それまでがあんまりわくわくだったもの だか ら"普通の悪役退治"に失望しただけで。

というわけで満点から少し割り引いてこの値段にするわけだが。

ここで話は少しそれる

今年のアカデミー賞でこの映画とぶつかるであろうポ ニョと の比較は興味深い。かたや3Dでかたやクラシックな手描きの絵で映像表現を極めようとしている。かたやハリウッド流の正統なストーリーを磨き極めようと し、かたやロジックだの思惑だのふっとばして監督個人の妄想全開ストーリーを作る。方向性の異なる二つのアプローチがそれぞれ花開かせるのを見 ることができるのは幸せなことだ。

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この映画の中ではじいさんのひげが少しずつ伸びていく。それを含め細かい映像の表現には本当に驚かされた。犬もかわいいし。犬を飼っている方にもお勧めの映画です。

人生がすっかりいやになった日は本家から転載。

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"面白い映画とは"ただそれだけをつきつめた結果がこの作品なのだと思う。

冒頭、フランスの農家にドイツの軍人が訪れる。あくまでもにこやかで丁寧なJew Hunter.彼と農夫の会話はあくまでも静か。しかし柔かな言葉の裏にあるいやらしさ、恐ろしさ、緊張感に思わず前のめりになる。

おそらく多くの人の印象に残るのがこのランダ大佐だ。フランス語、ドイツ語、イタリア語、英語を自由に操り、粘着質の笑顔ですいすいと泳ぎ続 ける。嫌悪感を通り越し強烈な存在を意識させられる。

さ て、ブラピはアメリカ軍の中尉。ナチを残虐な方法で殺す事だけを任務にしたユダヤ人部隊を率いる。1944年、彼らにある任務が課せられ る。ドイツの英雄を描いた映画のプレミア上映会。そこにナチの高官が集まる。彼らを映画館ごとの爆殺せよ、と。しかし彼らを殺そうとしているのはブラピ達だ けではなかった。

ゲーリング、ゲッベルス、ボアマン、ヒトラーが一つの映画館に集まっている。戦争が終わるのは翌年だから暗殺計画は、、と私のような人 間は暗 黙裏にストーリを型にはめて考える。しかしタランティーノにはそんなことはどうでもいいことなのだ。そこからの展開に唖然とする私を尻目にブラピのテ ネシーなまり?の英語(米語か)が響き続ける。

現首相の"友愛"思想を賞賛するお子様はこの映画を見るべきではない。不愉快になるだけだと思うよ。2012でもみてな。

しかし

どんな分野に従事している人でも良い。"面白い"とはどういうことかを少しでもまじめに考えたことがある人はこの映画を見るべきだ。

この映画の登場人物達は"型通り"なんてことは勿論"一筋縄では行かない"をも通り越している。映画のお約束、あるいはお約束に対する 反抗、コメディ、史実への批判、主張、そんなものは"面白い"じゃない。タランティーノの"面白い"への追求はそんなところでは止まらない。キル・ビルの時も思ったが映画の"嘘"をさら け出し、使える物は何でも使いバラバラにしたあげく再構成。ヒトラーですらもこの映画では"一つの駒"でしかない。

しかし最後にはすべて脱ぎ去った

"面白い"

という感情だけが残る。凄い。

最後に関係ない話を一つ。今度ドイツ人にあったら

"3って指でどうやるの"

と聞いてみよう。

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他にも

"聞くだけ無駄だと思うけど、あんたたちアメリカ人は他に何か言葉しゃべれるの?"

という愉快なセリフもあった。ゲッベルスづきの通訳がゲッベルスと何をしているか想像したあとの、凍りつくような微笑。とか。

細かいところまで実にねられた、そして全体が完全にすっとびながら面白いという素晴らしい映画であった。

新しい物を創造することを志している人は誰でもこの映画を観るべきだ。ユーザビリティ原理主義者とかユニバーサルデザイン原理主義者にはこの映画の面白さはわかるまい。

本当に素晴らしい製品、使いたい製品はそうしたくだらない原理主義、くだらない原理主義への批判を超えたところにある。そんなことを考えた。