Researchの最近のブログ記事

Googleが長らく噂されていたヘッドマウントディスプレイについて情報を公開した。

そのニュースはちらちら目にしていたのだが、記事を読んでみようとは思わなかった。HUD(ヘッドマウントディスプレイ)についてはもう何年も「そのうちはやる」という言葉ばかり聞かされてきたからだ。でもって記事のヘッドラインからは

「とうとう商用化されうるものがでてきた」

ことが伺えなかったからだ。しかしこんな記事の見出しをみては読まずにはいられない。

彼は、実に正しく、こう指摘した。存在しない技術に関する派手なビデオを作るのは、最悪の会社だけだ。

via: Googleメガネを批判する人々

というわけでビデオを見てみた。

確かにこの批判は正しい。このビデオの中には「存在しない技術」がいくつもある。もちろんGoogleには賢い人がたくさんいるので、本当にこうした技術を実現してくれるかもしれない。ここではそれを具体的にあげておく。

・手を使わないで「クリック」する技術:これは何年もいろいろな人が取り組んでいるが、未だに解決方法が見つかっていない問題である。瞬きやら音声やらいろいろあるけどね。
しかしこのビデオではその「問題」をあっさり無視している。ユーザが欲しいとき(というかビデオの都合の良いとき)に「誰かが」システムをクリックして、ユーザの入力を確定し、ユーザに情報を提示してくれるのだ。

・ユーザが欲しいものを「ピンポイント」で指定する技術:このビデオの世界では、システムはユーザが求めるものを、ピンポイントで提示してくる。しかしこれにはいくつもの関門がある。システムがユーザの意図を推定する際の誤差。また仮にそれが推定できたとしても、それに適合する情報がない場合のエラー。例えば、Googleに検索キーワードを入力したとしても、一件目に必ず一番欲しい情報がくることはあり得ない。

----------------
このように「重要な技術だとわかっているが、誰もが実現できずに苦労している技術」をあたかも「解決済み」としてコンセプトビデオを作るのはまあよくあることだ。

しかしそうした「コンセプトビデオ」が何も生み出さない、というのは過去数十年にわたり我々が何度も経験してきたことだ。ここ数年もう一つ明らかになった「失敗パターン」が存在する。それは

「難しい問題をネットに向かって丸投げする」

ことだ。これはソニー(というか日本の電機メーカー)がよくやることだが

「すごいハードを作りました!皆さん使い方を考えてください!」

というやつだ。PS3,PSP Vita, Sony Tablet(誰か覚えている?)みんな同じ道を辿っている。しかし不幸にして天才Googleはそれを学んでいないようだ。

We're sharing this information now because we want to start a conversation and learn from your valuable input.

via: Project Glass - Google+

「情報をこのように公開するのは、皆さんと会話し、貴重なインプットを得たいと思っているからだ」

残念ながらこの「誰か考えて下さい」はうまくいった試しがない。そして売れる製品を作ろうと思えば、その「問題に対する答え」は自分で作り上げ、そして製品として提示していかなければならない。

Well, if you're listening (watching?), Google Glass Team, I'll tell you what I want. I want you to take this Steve Jobs quote to heart:

People don't know what they want until you show it to them.

via: Google has finally "unveiled" Project Glass. I say... - Not Stolen. Permanently Borrowed.

こうした「情報の公開」は私が最近抱き始めた「Googleに対する漠然とした不安」を増大させるのだが。。

仲良くしていただいているある准教授の方が、こういう感想を述べていた。

「いくつか面白いものがあったが、他は何年も同じようなことをしているような気がする」

思えば数年前のインタラクションは、WISSと同じように閉塞感が漂っていた。その頃は「ほとんど全て」が「何年も同じようなことをしている」状態だったのだ。ちょっと変わった入出力デバイスを作ってみました、こんなもの作ってみました、の連続。当時の私は「まあいろいろな人に会えるから、行く意味もあるか」と思っていた。

それに比べれば去年と今年のそれは面白かった。今年は特に最初の一般講演のインパクトがすごかった。全体を均してみると「まあそうですね」という感もあるのだが、やはり最初の印象は大事ですな。

その一方、インタラクティブ発表は(私が3日目を見ていない、ということを差し引いても)改善の余地があるとおもう。後世に残すことを主眼に今年は論文を6ページとし、査読を行った。その結果はどうだったか。面白いものと「なんでこんなのがでてくる」の比率は例年と変わらなかったように思う。また発表された採択率を正確には覚えていないが、140件以上応募があり、落ちたのは一桁だったように記憶している。小耳に挟んだところでは、

「ページ数が足りていない」

などの形式的な理由で落とされたものもあるときく。つまりインタラクティブ発表の査読は今回機能しなかった。単なる形式チェックに堕していたのではなかろうか。また発表の内容が伴わないものを6P述べたところで誰が参照するというのだろう。

----
などと文句をつける点はあるものの、何よりも

「問題点を認識し、それを改善すべく大胆に取り組む」

姿勢は何よりも賞賛されるべきだ。全ての取り組みが成功するわけはない。だから「新しい取り組み」というのだ。来年は何か出したいと思う、、とか去年も考えたな。それでもって6Pと査読に怯えて逃げ出したのは私です。来年こそは、、と書きかけて考えて見れば今年ももう1/4終わっちゃうんだよねえ。。

というわけで二日目の感想。

--------

展開ヘルプ
いや、これは面白かった。
やっていることは単純と言えば単純、増井さんらしいといえば増井さんらしい。まず
「ヘルプって使ってます?」
という問から始まる。使ってませんよね。(ここで既に現実を見るところからスタートしているわけだ)

というわけで増井さんの展開ヘルプは、ユーザが入力した内容に、少しでもマッチするルールをわらわらと表示する。このルールは正規表現を用いて手動で設定している。

すると減点主義の査読者は

「ルールベースでは知識の獲得が云々」

とか言ったりするわけだ。しかし増井さんはそうしたツッコミにも当然答えを用意している。プレゼンから引用すれば

「できることを全部リストアップなんてできるんか?と言われるかもしれませんが、それをがんばるんです」

そもそも人間がやりたいことというのはそう多く無いのではないか。これは発表にはなかったことだが、最近あちこちで試みられている

Webをベースにした知識の投稿、共有

を用いれば確かにこうした問題の解決になるかもしれん。でもって自然言語処理は全然つかわないのだそうな。(主な理由は「よくわかんない」からだそうだが)

とここまでで作ったものの説明は終わりなのだが、まだ話は半分であった。以下発表資料から引用する

「大きな話しを聞きたい」 「新しい大きな方向性」が聞きたいんです 「すごいエディタつくりますた」→こういう発表発表されないですよね。 最近論文の題名が長い。増井の論文は短い。

小規模な評価は信用できない。大規模な評価ができたころには意義が終わっている。ページランクの効果が実証されたころには、Googleは天下をとっている。

近年査読を通る論文は「評価つき」ばかりになっているが、それと反比例するように計算機科学の人気は下がっている。ちなみに増井氏の体重は増加しつつある。

評価なし論文はありうるか→Yes 役にたたないシステムよりマシ
ダメな論文査読者が判断するのは無理。ほっておけば消える。

私は直後にこうTweetした。

いや、すばらしい。 というかこの論文を通してくれた事にも感謝。

via: インタラクション2012一般講演発表3まとめ #i2012 - Togetter

これに対して、プログラム委員長の宮下氏からこう返信が来た。

PC委員会として正しい判断ができたと思っています. RT @grgr56: いや、すばらしい。 というかこの論文を通してくれた事にも感謝。 #i2012

via: インタラクション2012一般講演発表3まとめ #i2012 - Togetter

この後何件が質問があった。最初の二人は「前半について」だったが、WISS2012のプログラム委員長五十嵐さんがさっそく後半について質問をする。

「ものすごくがんばって作って評価した論文と、学生が適当に作ったような論文と本当に同じに扱うんですか?」

もっともな疑問である。それに対してたしか増井氏はこう答えたと思う。

「それでいいんです。おもしろいものにはブックマークがつくからいんです」

この会話はここで打ち切りとなったが、二人の意見はそれぞれ耳を傾ける価値がある。
そのあと私はこう書いた。

増井さんと五十嵐さんの意見の斜め上に、クリエイティブな解決案を考えられんかなあ。

たとえば学会に投稿した論文は全部webで公開して、プログラム委員、メンター(謎)、参加者がそれぞれ発表論文を選ぶとかね。

あるいは全部ポスターにして、投票で登壇発表を決めるとか。

話は少しそれる。「フェルマーの最終定理」とか読むと、数学の世界では既にそのようになりつつあるようだ。というか査読自体に異様な時間と人数が必要なので、査読で発表論文を決めるというプロセス自体が成り立たないからなのだけど。

実は計算機科学の世界も既にそうなっているのではないか、というのが増井氏の主張だと思う。

というように議論といろいろな意見を表面化させる興味深い発表であった。こういうのが発表されるから、こうした場の存在価値があるのではなかろうか。

ちなみにこの次のセッションで

「ものすごくがんばっているのはわかるけど、結局何が面白いのかわからない。何に使えるのか作者も考えていない」

ものが発表されたので、増井氏の論点は実に明確になったのではないかな。私はこう書いた。

個人的に、使い道がわからない「こんな入出力つくりました」研究には興味が持てない

--------
ネットワーク将棋支援システム「SAKURA」の感想戦インタフェース

これに対しては以下のような要望を出しておいた。

将棋の番組を見ていると、指している途中でも「ここでこう打つとどうなりますかね」と実際の指し手とは異なる局面が展開することがある。そしていつのまにか元に戻っている。将棋に詳しい人ならあれわかるのだろうけど、素人は混乱する。

でもってそうした分岐を示すのなら、大解像度のディスプレイを使って、展開する局面を全部表示することはできないだろうか。すると

「あそこでこう指していたら、こうなっていたわけです」

という結果図と現在の状況を並べて比較することもできるとおもうのだけど。
ちなみに今のシステムは個々のPCで感想戦をすることを目指しているので大解像度の画面は使えない、とのこと。

-------

身体動作を用いて商品サイズを絞込む検索インタフェースの設計と評価

近年急速に増えた「とにかくKinect使いました」研究、といいきってしまおう。
Kinectの前で、人間が「これくらい」と大きさをジェスチャで指示する。するとシステムがその大きさを読み取って

「じゃあ40インチのテレビ」

というのを表示してくれるのだそうな。

朝のニュースには向いていると思うが、実用性は理解しがたい。そもそも自分がほしいTVの大きさを体で図示できる人間がいるだろうか?しかもそれは正確だろうか?そんなんだったら、巻尺もって測ったほうがずっといいのではないか?

そう聞いたところ

「想定する使い方は、リビングにこれがおいてあって、そのばでユーザが必要な大きさを測り、システムに入力するというものです」

という答だった。それは理解できるが、ユーザに盆踊りをさせるより巻尺使うべきだよなあと思うのだが。

-----------

身体動作の重畳表示による動画上での一体感共有

WISS2011でこのシステムがデモされていた。なんだか画面に棒人間がひょろひょろ表示されている。そして懇親会の会場にシステムが置かれている。

でこれがいったいどうして「一体感共有」につながるのか?今回説明を聞いて作成者の意図だけは理解できた。

人間が踊っている場合、その踊りを棒人間の情報にして遠隔地と共有するというこちらし。画像を直接送る場合と比べて、プライバシーとかまあいろいろあるのだろう。

問題はそれは懇親会会場に置かれても、何が共有できるのだろうか、という点。

ちなみにこのプロジェクトは未踏ソフトにも採択されており、そちらでは

「ユーザがPCの前に置かれたKinectに向い体を動かす。するとニコニコ動画の画面上でアイコンが移動し、それを共有することができる」

システムを作っているのだそうな。ニコ動見ながら、一人のアパートで体を動かす場面は私には想像できない。その上、アイコンが動いて何が面白いのか理解できないし、やっているデモを見ても何のことかわからない。

しかし作成者は違う意見のようだ。理解はできたが、同意はできない研究。熱意だけはわかったけど。

------
履歴分類の提示とアノテーションによるリファインディング支援

以前WI2で聞いた研究の発展版。ブラウザ上でのユーザの閲覧履歴は現在1次元で表示されている。(つまりリストがだらだらでてくる)しかしブラウザ操作を行う際には、いくつかトピックごとに行っているはずだ。例えば研究論文を探した後に、週末見に行く映画の情報を探すとか。

現在は閲覧履歴の情報を真面目につかってグルーピングしているようだが、「トピックの切り替えは検索もしくはブックマークから始まると考えてはどうか」と提案しておいた。実際ポスターに書いてある例ではトピック切り替えはGoogle窓への入力がスタート地点になっていた。

今回発表した人は今年で卒業とのことだが、今後の継続が楽しみな研究である。

-----------

動画共有サイトでの視線共有の試み

WISS2011で見てはいたのだが、内容が理解できなかった研究その2である。デモされていたのはこういうシステム。ニコニコ動画をみているユーザの視線を検知する。複数のユーザからの視線情報を集め、それが重なったところがユーザが面白いと思ったところなのではないか、という前提に基づき一生懸命作っているらしい。

しばらくニコニコ動画の画面をみていたが、これは難しいと感じた。例えば相手が静的なWebページなら、ヒートマップなどを用いてユーザがどこに着目するかを検知することができる(それが面白い記事であるとは全く言えないけど)

しかし動画であれば、視線を動かさなくても動画は勝手に流れてくれる。更に悪いことに、ニコニコ動画だと背景をコメントが流れている。同じ「おもしろいコメント」があったとしても、あるユーザはそれを画面左のほうで着目し、あるユーザは画面右の方で着目するかもしれない。それは異なる位置にある視点だが、同じコメントをポイントしているのだ。そうした解析はどうやるのか。

そう聞いてみたが、あまりその点に関して検討はされていないようだ。そもそもユーザの視点がある位置が「面白いと思っている」位置なのか。ぼんやり見ているのと、食い入るように見るのと差異はあるのか。視線研究の難しさはそこにあると思っているがそうした認識もあまり感じられなかった。

「キーコンポーネントなのだが、とっても難しい」ところを後回しにして、とにかくがんばってしまう研究をみることがままある。このインタラクションでもそうしたものをいくつか見かけた。私が理解できた範囲ではこの発表もそのひとつ。あたかも「超小型軽量の核融合炉」を後回しにして、ガンダムの頭とか手足とか作っているようなものだ。

------------
喜怒哀楽表現のための植物に特化したアクチュエーション手法

植物さんが、喜怒哀楽を現してもいいではないか、ということで細い釣り糸つけて、喜怒哀楽の感情に合わせて植物さんが動く。

気持ちはわからなくもないのだが、植物が「動かされている感」満載。植物だったら風にそよぐといった動きは自然なのだから、そよがせてはどうかとも思ったのだが。

-----------
着ぐるみ演者の表情表出を支援する顔面入力インタフェース

キグルミの中の人の表情を検知し、それに合わせてキグルミの表情が変わる、というシステム。

これも実に「TV向き」だと思うが「中に入っている人は、顔が疲れないんですか」と聞いたら「とっても疲れます」と返答が。私は正直な人が好きです。

-----------
場所や人数の制限を持たない体感型電子玩具 チャンバライザーの提案

子供のチャンバラを安全に行わせようという試み。ビームのないビームサーベルのようなものをもち、子どもが遊ぶ。真ん中からは何かの光線がでて、柄にあるセンサーに当たると反応する。

狙いはとってもわかるのだが、やっぱり「振り回す感」がないとちゃんばらとしては成立しないだろう。しかし子供に遊ばせたところ、別の遊びをしていたとのことなので、チャンバラではない全く別の遊び道具として成立するのかもしれない。


というわけで今年も行きました。去年とおなじで午後一番にはインタラクティブセッションがある。それが終わり一般講演が始まるのを待っているといやな予感がする。そういえば去年も同じ時間帯に同じ場所に座っていた。幸いにも今年は何も起こらなかった。

去年の感想をものすごく短く言えば

・面白くなかった一般講演
・カオスで面白かったインタラクティブセッション

今年も同じ位短く言うと

・面白かった一般講演。特に最初のセッション。
・インタラクティブセッションは件数が減った。その分質が上がったかと言えばそういう感じしないし。。結果として(量)×(質)で質が変わらず、量が減った分全般的な面白さが減った。。ただし所用により「最も良い発表が集まった」3日目を観ていないので、そのため物足りないと思ったのかもしれん。

とかなんとか言っているが、去年と比較しても新しい試みをしていることは私のようなチンピラ参加者にも伝わってきた。来年は私も何か出したいものだが。

というわけで、一般講演、インタラクティブ発表含めて感想をだらだらと。

--------
Songle: ユーザが誤り訂正により貢献可能な能動的音楽鑑賞サービス

オープニングに論文賞の講演を持ってくる、というのは良いアイディアだと思う。特に去年の一件目が「出落ち」のような議論を呼ぶ発表だっただけに。

産総研後藤さんの発表。誰かと話していて気がついたのだが、後藤さんの研究発表を聞くのは久しぶりのような気がする。TVとか他の場面ではよくお目にかかっているのだが。

私がくだくだしく書くより、ある方のTweetを引用しよう。

songleの意義「世界初のwebサービスによりユーザの役に立つ」「音が機械技術の存在自体への認知度の向上」 「音楽理解技術の性の王への理解を促す」 これはアツすぎる!まさにVisionだ!

インタラクション2012オープニング~一般講演発表1まとめ - Togetter から引用

@masatakagoto 先生のsongle発表におけるデジタル賛歌は、すごい人間賛歌、進化の賛歌、未来への賛歌でもある これはアツい

インタラクション2012オープニング~一般講演発表1まとめ - Togetter から引用

後藤さんの提示したVisionに比較すると、まるでなってないビジョンは世の中に氾濫している。そういうのを提唱していい気になっている人間は是非後藤さんの講演を聴くべきだと思う。

--------
虚偽情報フィードバックを用いた生体情報の制御システム
拡張満腹感:拡張現実感を利用した食品の見た目の操作による満腹感のコントロール

この2件は凄かった。(とまとめてしまうのも失礼と思うが)両方とも「人間へのフィードバックを操作することにより、人間の生態反応を変化させる」研究である。

体温計が「平熱っすよ」と値を示し続けたら人間の体温はどう反応するのか。手に持ったクッキーを実物より大きく見せたら、人間が食べる量を抑制することが可能なのか。

結果が大変興味深いだけでなく、色々な議論を巻き起こす研究である。こうした議論こそがインタラクションというイベントの有意義な点ではなかろうか。

--------
握力・体温・感触を伝える遠隔握手用ロボットハンド

箱からロボットの手がにょきっと出ている。でもって私がそれを握ると、少し遅れて手を握ってくれる。

確かに手はあったかいし、手を握るその力は自然である。しかし問題はこちらが握ってから握り返してくれるまでのタイムラグだ。これが人間を相手にしたときとは異なり不自然に長い。

考えてみれば、人間が握手をする際にはお互い「予測」をして手を動かし始めるのだと思う。それを取り入れるのは難しかろうが、自然な反応を目指すとすればそれを避けては通れないと思う。

--------
senseObject: 日常生活の中のものの利用を契機としたスマートフォンの自動操作

日常生活では通信をわざわざ行うのは大変だから、自動的に情報とれるようにしてあれこれしましょう、という御話。例えば自転車の車輪が動き始めたら位置と時間をサーバーに送るようにするとか。

こういう研究は「やればできる」ことは解っているので、「これは面白い」というアプリケーションを考えるか、「こんなすごい方法があったか」というセンサーを考えるとかなんらか特長が欲しいところだ。私の考えでは「アプリ勝負」かとも思うが。

--------
鉄道移動を支援するためのインタラクティブデザインツールの開発

これは期待が高まる研究。現在「乗り換え検索」の類いのサービスは世の中にたくさんある。問題はそれが「検索の結果示された一つの解」だけを示していることだ。ところが

「一本遅らせたらどうなるのか」

といった代替手段の検討が全然行えないことである。私のような珍スポットマニアには切実な問題だが

「一日3本しか無い路線」

ということを知らないで乗り換え検索を行うと「あれ、出発時間を1時間変えたのに到着時間が変わらないぞ」と頭を捻ったりすることになる。

こうした問題を解決するために、一次元のリストで結果を兵頭するのではなく時刻表を検討する際に使う「ダイア図」で結果を表示してやろうという試み。これがあれば、ユーザはもっといろいろな代替手段を検討できると思う。現地到着を2分遅らせれば、出発は1時間後でもいい、なんてことはよくあるが、そうした情報も読み取れるかもしれない。

まだ実装は始まったばかりのようだが是非実用化してほしい研究。

--------
絵本作成支援システム「ミラクリ」
ブラウザ上で容易に絵本を作ることができるシステム。関連研究(というか製品)としては、「ピッケのつくるえほん」がある。(私も愛用してます)

「ミラクリ」は誰もが好きなキャラクターを登録して絵を作ることができる。逆にピッケは自由度をうまく制限している。

この「自由度」というやつは曲者で、自由度が高ければよい、という単純な話ではない。制限された自由度の中でも人間は十分に想像力を発揮しうるのだ。このように「自由度」に対して、異なるアプローチをとっている二つの試みがどのような結果になるのか興味深い。

--------
Kuroko:話者シルエットを活用するプレゼンツール

プレゼンに話している人間のシルエットを取り込もう、というシステム。いや、これに関して妙に熱く演説してしまった。反省しております。

というのは、私も同じ問題意識にたった物を作り始めているからであり、、12月にお披露目を目指しているが、こればかりは幸運に恵まれる必要がある。約束できるのは努力までだ。

--------
StepNavi: 歩行速度ナビゲーションシステムの開発

スマートフォンのナビが、予定時間と、現在の移動速度を検知して「もっと早くいけ」とか「ゆっくりでもいいよ」とか提示してくれるシステム。

問題は「歩いている人間がそうちょこちょこ画面を見てくれるか」ということ。視覚ではなく、音楽を用いる試みとして、寺田さんのウェアラブル環境のためのルールベースBGMプレーヤについてがある。というか安村先生、この研究知っているはずなのだが。

--------
なぞり動作で文章を動的に表示するソフトウェア「Yu bi Yomu」

文章というのは読む方向が決まっている。しかしそれをインタラクティブにすることはできないか?ユーザが自分が考える順番に提示させてもいいのではないか?

デモしていたのはiPadアプリ。ユーザが画面をなぞるとその下にある文字が一定時間表示され、消える。これを使うとユーザが好きな順番で、文章を読むことができる。

一番面白かったのが、このインタフェース用にかかれた詩。いろんな方向から画面をなぞるといろんな読み方ができる。文章というものを再定義するような新しい可能性を感じさせてくれる素晴らしい試み。

--------
家計簿を「思考の道具」とするインタラクションデザイン

これは非常に興味深い試み。通常家計簿というのは、表形式で入力され、そのままの形で閲覧する。

しかし項目を2次元に配置したらどうなるか?各項目の金額の大きさを長方形の面積に対応させる。すると、何が膨大な支出になっているか一目瞭然。

さらに面白いのは、いろいろなユーザに使ってもらうと、並べ方が人によって全く異なる、という点だ。つまり本来ユーザは支出をいろいろな軸で認識しているのだが、既存の家計簿インタフェースはそれを全部表に押し込めてしまっている。

この研究を見るとそうした問題点が浮き彫りになる。

例えば、「標準的」な家計簿からどこが逸脱しているか、それを示すのに最も適切な「ビュー」を用いてシステムが指摘するようなことができないだろうか、とかいろいろ発展も考えられる。是非今後深化させていってほしい研究。


--------
タブレット型デバイスによる協調購買インターフェースの提案

遠隔地にいるユーザ同士が、iPadを使ってあれこれ楽天の商品を閲覧して、、という試み。

そもそも複数の人でショッピングをする時の楽しみとはなんだろう?ある美大の卒業展示で「ショッピングの楽しみは、友達との会話」という発言を聞いて私は驚愕した。

しかしこのインタフェースにはそうした直接的なコミュニケーションの要素は全く入っていない。デモをみていても「ああ、つながるのね」ということしかわからない、何を目指しているのかわからないシステムだった。

--------
2つの学会発表録画を同時視聴するためのシステム

最近の学会では、話しを聞いている参加者が、チャットをすることが広く行われている。そのログを用いて、「盛り上がっているところ」を検知する。そして二つの学会の動画を同時に流した場合でも、その「盛り上がっている」ところを見逃さないように時間をずらしたり、あれこれする、というものだ。

そもそも二つの学会を同時に見たいなどとは、、とは問わないことにする。一番の問題は「チャットのログから学会の盛り上がった場所を検知できる」という仮定だ。

なぜこれが問題か?例えばこうだ。

・そもそも学会発表が盛り上がったときにチャットの発言が多くなるものなのか?画面を食い入るように見つめていては、チャットができない。

・逆に、「どうしようもない退屈な発表」のときはチャットの好チャンス。皆で下を向いてチャットに熱中する。その際前の発表について語られることもあれば、全く関係ない話題で盛り上がることもある。(たいてい「失礼だよ」と誰かに怒られる)

・ちなみに発表する側からみると、この「発表中のチャット」というのはあまり愉快なものではない。こちらは一生懸命アイコンタクトを取ろうとしているのに、みんな下を向いてしまうからだ。

というわけでそもそも「学会のもりあがりとチャット量」の間には相関があるのか、時間遅れがあるのか、はてまた逆相関があるのかが分からない。そこを「チャットが多いときは盛り上がってます」と断言されても素直に「そうですか」と納得はできない。

そこで提案しておいたのは「被験者にボタンを持たせておき、学会発表のビデオを見せる。盛り上がっていると思ったところでボタンを押してもらう。そうして"盛り上がり"とチャット量のデータの関係をみては」
という検証方法だった。

この「被験者にボタンを持たせる」というのは、米国の大統領選のディベートで行われているし、コメディ番組の事前評価でも行われている。ユーザは手のボタンを押せばいいので、下を向いたりする(つまり画面から目をそらす)必要がない。

そうして前提条件を検証しておけば、この研究にも意義がでてくると思うのだが。

ちなみにこの「重要な前提を全く検証せずにとにかくがんばっている」研究は二日目にもいくつか出くわすことになる。

deim2012にいってきたよ

DEWS と呼ばれていることから存在は知っていたのだが、参加するのは初めて。平たくいえば「データベース学会の全国大会」なのだな。というわけで、査読はなく誰でも発表できます。結果として内容は玉石混淆。

データベース学会というから、

「データベースの最適トランザクションの理論的考察」

みたいなものばかりかと思えば、そうではなくWebサービスの話とかが多かった。

しかし

やはり根は「データベース学会」なのだろうか。そのサービスは何がうれしいのだろうか、という問題よりも

「こんな難しいアルゴリズム使って、こんな有意差がでました」

的な発表が多かったように思う。もちろんそうした領域に特化した研究もいいと思うのだが、そこまで割り切っているようにも見えない。

人間を相手としたインタラクションでは、システムがいかにアルゴリズムをひねったところで、情報の精度には限界がある。それ以上なんとかしようと思えば

「精度向上を図ります」

という決まり文句ではなく、インタフェースでなんとかしなければならない。しかしそうした概念はあまりないようだった。

というわけで、二つだけ「これは」と思った発表について書いておく。(あと細かいところをごちゃごちゃと)

好き嫌いラベル付き食材分量を考慮したレシピスコア算出方式: 中川 明莉沙, 高畑 麻理, 中島 伸介 (京都産大), 上田 真由美 (京大)

私は「レシピ推薦に関する研究を見るとかなりの高確率でわめきだす」人間である。理由は単純。うちの奥様の「レシピ決定」プロセスと、それらの研究が前提としているプロセスがあまりにもかけ離れているからだ。

冷蔵庫の残り物をどうしよう、とかたまたま特価になっていた肉を使ったものとか、とにかくレシピの決定プロセスというのは偶発的であり、謎である。

そうした現実を無視して「栄養バランスを考えたレシピ推薦」とかものすごいデータ入力料を前提に述べられても「はあ」としか思えない。

しかしこの研究は大変いいと思った。その人が好きな食材、嫌いな食材を入力させる。それで「嫌いな食材がはいったレシピは推薦しない」だったら、また私はわめきだすところだが、そうではない。

「嫌いな食材がはいっていても、少しだったら気にしない」

推薦システムなのだそうな。これのどこが気に入ったか。人間の嗜好の幅を広げられるのではないかと思うからだ。「嫌いなものを推薦しない」システムでは人間は蛸壺にはまっていくばかりだ。嫌いと思っていたが、おいしいじゃない。そういう発見を促すようなもの。情報推薦システムの根っこはそうであってほしいと思っているのだが。

2段階GrabCutを用いた注目物体の視認性を向上させたサムネイル生成:新井 啓介, 武井 宏将 (早大), 山名 早人 (早大/NII)

これは実に「目的から、手段から評価まで」きっちりそろった発表だった。スマートフォン上でサムネイルを見るとき、そのサイズは限られる。そのため、

「中心となる物体を自動で切り出し、それを拡大して背景の上にのせる」

という試み。よくみると不自然なのだが、サムネイルとして一覧するのであれば、実に効果的だ。評価実験の結果でも、自分が興味をもつものに辿りつくまでのクリック数と時間が半分に減るという結果がでている。

この発表に大変感心したのはdeim2012の発表の多くが

「問題設定、あるいは評価があまりにもおざなり」

といったものが多かったせいかとも思う。まあそんなネガティブな話はどうでもよくて、是非どっかに売って欲しいような実用的な研究だった。

----------
他に感想をばらばらと

・「意外性のある推薦」という言葉を何回か訊いた。しかし「そもそも意外性とは何か」というところでここ数年停滞しているように思える。

・地域特有の話題発見につながるスマートフォン向け検索サービス: 発見探地図エリアダス:というAndroidアプリはなかなか「実用的」に思えた。しかし名古屋で表示してもらったところ、あまり関係のない単語も表示されていた。会社が公開してるアプリらしく、ものすごく真面目で面白みがない。画面遷移が多すぎるところを改善したほうがいいと思うのだが。

iOS版は、、ときこうと思ったがNTT相手にこの質問は禁句に違いない。実際アプリのログをとってもよい結果がでている、ということだったがダウンロード数は2000なのだそうな。なかなかアプリを公開してもたくさんの人に使ってもらうのは難しい。

・一日目のナイトセッションは「パネルセッション「若手研究者・技術者のリア充」」私は「非リア充」なので「けっ」と思って参加しなかったのだが(そもそも夜眠いし)これは失敗だった。Tweetから引用する。

会場の笑いがだんだん元気なくなってきているような.怖いです... #deim2012


「次にあらふぉーで必要になってくるのは?」 #deim2012
mtsmr 2012/03/03 22:09:41

リアルすぎる・・・リアルすぎるよ・・・ #deim2012
nakamura 2012/03/03 22:10:06

「経済力と忍耐は足して70%であればいい」わわわわ #deim2012
mtsmr 2012/03/03 22:10:39

きっとそうだわ...たしかに、ダンナさん忍耐強そうやし... RT @nakamura: これはリアルなKWI家なのだろうか #deim2012
mayum1n 2012/03/03 22:12:00

さすが旦那さん RT @mayum1n きっとそうだわ...たしかに、ダンナさん忍耐強そうやし... RT @nakamura: これはリアルなKWI家なのだろうか #deim2012
nakamura 2012/03/03 22:12:21

大人ってこわい #deim2012
tekuno47 2012/03/03 22:12:32

絶対に無理だ・・・ #deim2012
nakamura 2012/03/03 22:13:12

結婚ってつらい #deim2012
KiyotakaGoto 2012/03/03 22:14:12

これを観た男子学生の多くが結婚を諦めるのではないだろうかというくらい怖いプレゼンだった #deim2012


「いや、聞きたかったです」と言ったら「聞かないほうがいいと想いますよ」と言われた。それくらいリアルで怖いプレゼンだったらしい。いったい何が話されたのか。

・最終日の神戸大学寺田さんによるTutorial.実世界でセンサーを使って様々なデータを集めアプリケーションを考える試みが大変おもしろかった。確かに音楽を使う分野では数十ミリ秒のディレイがどうしようもなくうっとうしく感じる。それを除去し、なおかつ信頼性のある処理はどうすればよいか。

そうした分野で寺田さんが着実に成果をあげていることがよくわかるプレゼンだった。感動しました。

研究者の説明責任について考えること

今日の内容は昨日の続き。まだの人はそちらから読んでくださいね。

というわけで研究者の説明責任である。研究の定義はいろいろあるし、実態もいろいろなのだが、基本的に「金にならない」仕事であることは自覚しておく必要がある。いや、もちろんいつかは花開き、世のため人のため役にたち、金銭的にも大きなリターンを生むことが期待されているわけだが、そう簡単に金にはならん。

しかし人間は雲かすみを食って生きていくことはできないし、機材を買ったり人をやとったりするのにも金がかかる。つまり短期的に金を得る見込みはないは金が必要。これは常に考えておくべきことだ。

じゃあ金が全てか?と言われるとそれにも首を傾げる。そのロジックでいけばGREEとかDeNAで「研究」をしている人達がいい研究者ということになる。研究者という前に人間としてどうなのか、という人達が。

というわけで、私は毛沢東語録のこの言葉を思い出すのであった。

それは戦略的には全ての敵を軽視し、戦術的には全ての敵を重視せよということである。

毛沢東語録 p99

この場合の「敵」を「金」に置き換える。「金」は戦略的には軽視する。究極の目的はそこにはない。しかし戦術的には重視しなければならない。

----
などと考えているわけだが、お国の研究機関にいる人達から時々こんな言葉を聞くと「どきっ」とする。

「研究者の仕事は自分が興味を持ったことをとことん突き詰めることだ。金をとってきたり、そのための説明などは研究者がやるべき仕事ではない」

私の聞き方が間違っているのかもしれないが、こうした言説を今までに少なくとも3度は聞いたことがある。先日も

「論文を書くというのはとても集中を要する仕事だから、他のことをやっていてはとてもできない」

と真顔で言われた。

なぜこれを聞くと私が衝撃をうけるのか。「研究」を「歌」に置き換えてみよう。

「歌い手の仕事は自分が歌いたい歌を突き詰めることだ。金をとってきたりそのための仕事などは歌い手がやるべき仕事ではない」

あるいは、言い方を少しそれっぽくしてみよう。

「自分歌好きでー。歌に集中したいんすよー。マジ集中しないといい歌できないしー。だから金稼ぐ暇なんてないっすよー。バイトなんかしてたら歌なんかつくれないっすよー。」

自分の息子がこんなことを言い出したら、10回くらいビンタを食らわせたあげく、どこかのタコ部屋に放りこみ、自分の教育の過ちをさとって出家してしまうかもしれない。しかし最高学府と呼ばれるところの博士様が時々こういう事を発言されるわけだ。

もちろんこんな事を言うと「研究と歌を一緒にするとは何事か!」とお叱りを受けるとは思う。問題は「じゃあ何が違うんですか?」という問に説明する責任は研究者の側にあるということ。当たり前でしょ。自分が好きな歌作りたいから金くれ、と説得する責任は、その歌い手にある。

------

先ほど挙げた「最高学府の博士様」の言葉は「ポケモン的世界観」と呼ぶべきかもしれない。ポケットモンスターの異常な世界観について誰か疑問に思わないのだろうか。少年、少女たちは学校にもいかず働きもせずぶらぶら旅を続ける。そして「大好きな」ポケモンバトルに日長興じる。相手をみつけては喧嘩をふっかけるのだ。実際に気絶するまで殴り合うのは手したのポケモンであって、本人たちではない。

「自分の好きなことをやりたいでーす。その為のお金は誰か他の人がとってきてくださーい」

ではまるで幼児の弁明だ。こうしたメンタリティがどこから生まれるのかとても興味がある。
---------------
さて、説明責任である。いや、そんなことは分かっており、今色々な取り組みがなされているという。

因果関係がよくわからないのだが、ここ10年で研究者が研究に費やせる時間は減ってきているという。つまり他の仕事がいろいろふえているわけだ。この中に「一般向けの説明責任」もあるに違いない。

特に短期的な成果のでない研究ではロジックではなく、感情に訴えなければならない。聴くところによると、

「はやぶさ2の予算を削るとはどういうことだ!」

というお叱りの電話がいたるところに届いたのだそうな。「はやぶさ」はそうした一般の感情に訴えることに成功した日本では稀有の例ではないかと思う。

私は全く知らなかったのだが、研究機関で一般向けに博物館を作ったり、一般向け公開講座をやったりとあれこれしているらしい。

しかしそうした努力が効果を生んでいるとはあまり言えない。私が考えるにこれは努力がたらないのではなく、方法が間違っているのではないか。というわけで昨日考えたのは

大躍進政策の土法炉と、研究機関が作っている「博物館」の類似性である。

「みんなで頑張れ」とは聞こえのいい言葉だが、責任と思考の放棄でもある。
「研究には説明責任が伴う」
という命題と
「全員広報がんばれ」とは全く等価ではない。農民が耕作を放棄して溶鉱炉を手作りしたところで、国家が近代化するわけではない。

研究の「顧客」は誰なのか。それに対して何をすべきか、というのは「もしドラ」の基本である。

それを考えたことがないし、考える気もない、だって僕は研究者だから、というのであればマネージメントのプロを雇う金を払い、その命令に従うべきだ。つまり大学の長は「研究者の長」ではなく「大学を経営する責任者」なのだ。であれば、経営を一番上手に出来る人が行うべきだ。

--------------------
というかこれは研究者に限らず、全ての社会人が肝に命じておくべきことだが

「あなたの組織は存在する権利を持たない」

いつか研修で聞いた言葉だ。全ての組織は存在する権利を持たない。それ故、なぜ自分たちの組織が存在する必要があるかの立証責任はその組織に存在する。

国の機関で働いている人はこの意識が希薄なのでは、と思うことが時々ある。

学会と企業の距離

先日は某学会に出席していた。共通して語られたことは

「学会に企業の人が来てくれない。発表してくれない」

というものだった。
これにはいろいろな理由があるのだと思う。最近は優秀な学生さんにはいってもらうため、企業がイベントのスポンサーになることが増えたようには思う。しかしあくまでも興味があるのは「優秀な学生」であり、その研究内容ではない。

例えば有名な(そして批判も多い)ubicompという国際会議がある。あるところでこんな言葉を読んだ。

"Ubicomp is Windows without drivers"

現実世界の機器を動かすのに必要なドライバーというプログラムが存在しないWindowsのようなものだ、というたとえである。先日はこんな記事を目にした。

実際の企画の仕事は ポジティブ発想で多くのアイディアを出した上で、徹底的にネガティブ検証。 使う時間は前者が10%、後者が90%そんな感じです。

自分自身が徹底的に叩いて、その上で経験者の意見を聞き
世の中に既にあるものと比較して
シンプルですごいアイディアであることを
心底信じることができる状態になる
というプロセスが必要なんですね。

そして、その過程で経験する非常にストイックな地道な検証作業に
耐える精神的強さと謙虚さが企画担当者には必要だと思うわけです。


via: 企画力がないと心配することはない。本当に必要な能力は。。 | 守りから攻めへ ~イプロス社長 岡田のブログ~

例によって私が知っている「インタラクション研究」についてだけ書くが、大学で行われる研究にはこの「90%のネガティブ検証」が決定的にかけている。いや、もちろん既存研究の調査とか新規性、有効性の検証とかそれらしい検証はあるんだよ。でもそれが90%かと言われれば首をひねる。結果「それが本当に有効であることを、担当者自身が信じていない」研究が山積みになるわけだ。

企業の側では、ネガティブ検証が90%ではなく120%くらいになるのがよく見かける問題だ。検証というより、ハナから推進しようという意思がない、という方が正しいと思う。かくして企業と学会の距離はいつまでも埋まらないのであった。。

----------
などと悲観的なことばかりを言っている場合ではない。先日はこだて未来大学の「はこだて活性化」に関する取り組みについて聞いた。

これには率直に言って驚いた。はこだて未来大学自身が、人工が減少し、いくつもの問題が生じている函館の活性化のため、こんな取り組みをしているらしい。

「スマートシティはこだて」の中核としてのスマートアクセスビークルシステム
のデザインと実装

via: Matsubara Lab » 「スマートシティはこだて」の中核としてのスマートアクセスビークル システムのデザインと実装

こうした仕事は本来行政が行うべきものと思うが、それを大学が推進しているのだ。
質疑応答で

「これは最終的には、松原さん(発表者)が市長にならないといけないのでは?」

という質問がでていた。いや、実際そうするべきだと思う。この人の予定原稿にはこんなことが書いてある。

人工知能の研究者はできていないことをできるよ うにすることに興味を持ち,自分が思いついた新しい手法でできるようになったことを 例題によって示せればそれで満足して,他の「できていないこと」に興味の対象を移す 傾向が強い.例題で示したのはその手法が原理的には正しく動くということであり,そ の手法が社会の広い範囲で利用可能になるためにはさらに多くの工夫が一般には必 要になる.人工知能はその多くの工夫をすることを怠ってきたと言える.

via: SAI_13_01_AIは社会に対してこれまで何をしてきたか_松原.pdf

ここでは「人工知能」を取り上げているが、多くの大学の研究は「その多くの工夫をすることを怠ってきた」という批判から逃れられまい。企業が大学の研究に興味を持たないのは、その「多くの工夫」を切り捨てたものだけ見せられてもね、、という理由もあるように思う。

---------
などと人事ばかり言っていてはいけない。じゃあお前が「多くの工夫」をしているのかと言われれば、下を向いてしまう。というわけで少し気が早いが来年の抱負。

・iPadアプリを2種類リリースする。
・論文を2種類書く。
・論文にならない変な物を一つ起動する
・(検閲により削除)

といったところで以下次号。

論文についての雑感(しつこい)

昨日こんな記事を見つけた(多分遠い昔に読んだことがあると思うが忘れていた)

wise ではない人というのはつまりバランス感覚のない人で、組織の力学を理解して清濁併せ呑むことができなかったり、場の空気が読めずその場にいる人たちのほぼ全員が暗黙のうちに反対しているのにそれに気付かず自分の意見を押し通そうとしてますます反感を買ってしまったりする人で、そういう人たちに対する、「そのままでは自分の理想を実現することはできないから、不毛な政治ゲームを少しでも減らすように心がけながらも、政治ゲームには政治ゲームで対抗していかなければならない」という分裂勘違い君の意見は、説得力もあるし、とても温かいメッセージだとも思う。

一方で考えなければならないのは、物事を大きく変えるような提案というのは、実は往々にして、intelligent だけれども wise ではない人たちから出て来ている、ということである。

小野和俊のブログ:バランス感覚を身に付けると、コミュニケーションの角と同時に能力の角も取れることがある から引用

いくつかのことを考える。通りやすい論文というのはつまるところWISEなものではなかろうか。基本的に減点法で採点されるから「減点ポイントを賢く回避する」ことが採択につながるわけだ。

昨日ある研究会にでていて

「科学とは普遍的な知を追求するものだから、少数の例を深く調査、考察した論文は評価されない傾向がある。これはおかしい」

という言葉を聞いた。逆に言えば、現状論文を通すためには

「この論文で主張している内容は、普遍性をもつものである」

ことを主張しなければならない。そのためには「多くの」被験者に対して評価実験を行うのが有効な方法だ。
何度も論じられていることだが、私も「くだらない評価実験」を軽んじる傾向がある。多くの被験者を集めて何が言えるのだろう?どこにも存在しない「平均的なユーザ」に対して何を言おうというのか。

しかし仮にそう考えていても、評価実験を行うことはWISEである。まず「自分の信条と異なることであっても、必要であれば行う」というのは知恵である。世の中を生きて行くためには、こうした態度が必要だ。

次に「論文査読者に"これを採択しても問題ない"と自分への言い訳を用意してあげる」という点においてもWISEである。必要なのは「失点を少なくする事」であり、そこがなければ価値はない。(と見なされる)

----------

先日のWISS2011で(しつこい)最後に参加者全員に「チャットにコメントを書き込んでください」という呼びかけがなされた。そこでこう発言した人が居た。

「むしろ論文って,必要なんですかね.一般人はほぼ読まないですのに」

WISSで使われていたチャットシステムでは発言に対して、賛成、反対の意を投票する事ができる。たいていの場合「賛成票」を投じるのに使われるのだが、この発言に対しては珍しく「反対票」が多く投じられた。この発言を投じた人は数分後に

「すみません・・・」

と発言していたから、多分誰かから直接「注意」を受けたのだろう。

チャットに参加している人間は、論文を核とした世界に生きている人が多いから、この発言は確かに「空気を読まない」WISEではない発言として受け取られたと思う。しかし私はこの発言を支持する。少なくとも、「論文超重要」という言葉だけで封じていいものではない。この発言には、現実を観察した上での「Intelligence」があること疑い様がない。

WISS2010では改革の一つとして「評価実験は査読の対象としない」という点が打ち出された。これに反発して参加を取りやめた研究室もあったやに聞く。また聞いてみると「既存の論文+査読」システムの問題点を直すため、様々な試みも行われているようだ。

そうした試みは結局のところ「やっぱり論文だよね」ということに戻ってしまうようなのだが、それで問題が消えたわけではない。先送りにしただけだ。

学会に参加していると「学会に企業からの参加者が少ない」という声をよく聞く。その原因は何だろう?先ほどの発言にある

「一般の人は論文なんか読まない」

という点に一つのヒントがないだろうか?デモビデオ+プレゼンが主、論文という名の補足説明が従ではいけないのだろうか?だいたいWISSの会場で誰も論文読んでないではないか。プレゼンを聞いているだけで。

-----------
とまあチンピラサラリーマンはWISEでない発言をするわけだ。言いっぱなしにするのではなく、少しは考えなくちゃね。

こんなデバイス作りましたー!

前にも何度か書いたような気がするが、先日のWISS2011で思いを新たにしたので書いておく。

インタラクション系の研究では「こんなデバイスつくりましたー!」という発表をままみかける。WISS2011で対話発表賞を受賞した「形状・軟らかさが可変なディスプレイ」もその一つだ。

私も触ってみたが、確かに柔らかさが変化するのはおもしろい。それが圧力を変化させることで実現されているのも興味深い。

しかし

私はこうした「こんなデバイスつくりましたー!」にはうんざりしている。

「新しいデバイスは、新しい使い方とワンセット」

で提案してほしい。学生諸君。こんな製品をつくりたいか?こんなサラリーマンになりたいか?

構造が単純なスレート型タブレットが多い中、これほど凝った設計のタブレットは非常に珍しい。ソニー初となるAndroidタブレットの一角を担う製品だけあって、その本気ぶりが分解された各パーツからも伝わってくる。

 この冬、携帯性に優れたAndoridタブレットが欲しいという人はもちろん、既存のタブレットはどれも似たようで面白みに欠けると思っている人、あるいは先進的なデジタルガジェットに興味がある人は、一度Sony Tablet Pをチェックしてみてほしい。「小さく運んで、大きく使える」という2画面タブレットならではの可能性や、ワクワクするような近未来感といった魅力がSony Talet Pにはある。

 そのポテンシャルをどこまで引き出せるかはソフトウェア次第だが、今後はソニー独自アプリの拡充に加えて、Sony Talet用のSDK(ソフトウェア開発キット)が公開されたことで、思いもよらないような2画面アプリが登場することにも期待したい。

完全分解×開発秘話:常識破りの2画面タブレット「Sony Tablet P」を丸裸にする (4/4) - ITmedia +D PC USER から引用

親愛なるソニーはまーだこんな事を言っているようだ。だからさ。誰も「2画面」とか「内部機構が独特」とかそんなことは気にしてないんだってば。いつまでたっても

「誰かがきっとすごいアプリを作ってくれる!」

と祈るんじゃなくて、自分で作って、新しいデバイスとセットで世に問わなきゃ駄目だよ。任天堂はちゃんとやってるぞ。

というわけで、こんな文章を見つけた。

昨日まで、新作画スタッフの面接と実技試験(?)を行なってたんですよ。どんなことをするかちょっとお見せしようかな?

via: 漫画家・佐藤秀峰氏のアシスタント試験 - Togetter

私も少し読んだことがある「ブラックジャックによろしく」の人である。12時間かけて、写真をトレースしてもらいそれを背景画として仕上げてもらったのだそうな。ここで取り上げられているのは4人の作品である。

私のような素人が見ても、4人の作品がとても異なっていることに気がつく。佐藤氏のようなプロが見るとそれだけではない、いろいろなことを読み取ることができるようだ。

倉庫のシャッターなど部分的に描き込まれていますが、とりあえず、気になった部分、できそうな部分に手を入れています。つまり、描き込み方が、常に部分的なので、絵をしてトータルなバランスが見れていません。

中略

つまり、Aさんは総合的な判断を保留し、部分的な描写に逃げてしまったため、絵を完成できませんでした。

via: 漫画家・佐藤秀峰氏のアシスタント試験 - Togetter

総合的な判断を保留し、部分的な細部に逃げる。これは仕事でも研究でもよくみかける態度だ。

「そもそも何が言いたいのか。肝心なところは何か」

についての判断を保留し、力いっぱいの実装に逃げる。学生の研究によるあるパターンだ。そうした研究を見ると私は力一杯の残念感を感じる。あともう少し考えればずっとよくなる、というところで「徹夜しての実装作業」に逃げてしまうわけだ。

もう一人例をあげよう。

線を入れるので精一杯になってしまっています。恐らく、じっくりと物を観察して絵を描いた経験のない方でしょうね。完成形がイメージできないまま手なりで描いています。

漫画的な記号や処理で、絵を構成しようとしているので、実物にはいくら手を加えても近づかない絵ですね。漫画を見て漫画を描いてきた人だと思います。絵を描こうという意識が弱い。

via: 漫画家・佐藤秀峰氏のアシスタント試験 - Togetter

私が興味を持っている「ヒューマンインタラクション」の研究に言えることだが、あくまでも主体は人間であり、それが生きている社会にある。そこに何が提供できるかに私は興味を持つ。

しかし

「漫画を見て漫画を描いてきた人」と同じように「研究をみて研究をしてきた人」というのも存在する。先行研究の調査ばっちりです。それと比較しての新規性、有効性の主張にもぬかりはありません。しかし「どれだけ手を加えても」現実の世界には何の関係も持ち得ない。

インタラクション2011でみた以下の研究はまさにその例だった。

幼児向け折り紙作品の創作支援システム

1枚の正方形の紙を折ることで形を作りだす「折り紙」は,日本に古くから伝わる遊びであり,我々の多くが幼少期に体験するものである.近年では,折り紙の数理に関する研究の成果により,複雑な折り紙作品を創作するための技術が発達してきている.しかし,まだ手指を正確に動かす能力が十分に発達していない幼児らを対象とした,少ない手順で簡単に折れる折り紙作品の創作については,これまでに十分な研究がされてこなかった.そこで本稿では,4回以下の折り操作で作ることができる単純な折り紙作品を,新しく創作するためのシステムを提案する.

via: インタラクション2011

この作者に質問したとき「いや、"幼児向け"というのは枕詞のようなものですから」と言い切っていた。彼こそは「研究をみて研究をする」人だと思う。もちろんそれで食べていくこともできる。いつまでも現実には近づかないが、そもそもインタラクションの研究で現実に近づく物などめったに無いのだ。

他にもいくつかこのカテゴリーに収まりそうなものもあるが、確信を持ち得ないので判断は保留する。

------------


絵を効率よく完成させるためには、完成形を具体的にイメージできるようになること。完成のイメージから逆算して、ムダを省くこと。腕立てして筋力をアップしても、絵は早く描けるようになりません。


via: 漫画家・佐藤秀峰氏のアシスタント試験 - Togetter

この言葉も多くの場面に当てはまることだと思う。しかし不幸にして我々は「完成形を具体的にイメージすることの重要性」より「徹夜をするガッツ」の方を評価しがちだ。

このブログについて

Semi実名サイトです。詳しくは本家を参照してください。