題名:2001年のゴールデンウィーク

五郎の入り口に戻る

日付:2000/5/22

夜行列車 | 江田島 | 旧海軍兵学校 | 四国にて | 旅の終わり


旅の終わり

船のチケットを買ったとき、座席がきちんと指定されているのに気がついた。しかし乗り込んでみるとがらがらである。最初の5分だけおとなしく指定された座席に座り、その後はぶらぶらと歩き船内を探検する。客室の後方は機関のすぐ上にあたり振動が激しい。左舷は喫煙席になっているが、右舷は座席のない、絨毯をしいたスペースになっている。観れば枕と毛布があり、ここならお昼寝ができそうだ。さっそく荷物をもって移動する。

そこには若いカップルが寝ている。そして母と娘とおぼしき親子がなにやらカードを使って遊んでいる。そこから少し離れたところで横になる。ただでうもるさい船内で、直下に船舶の機関があるところだからごとごとうるさいし揺れるなあと思っている間に眠ってしまった。

目覚めるとなんだか階上にあれこれ見える。つまり目的地に近づいているようだ。寝覚めでぼーっとしているうちに港が近づいてくる。いろいろな船の間をのった船は素晴らしいスピードで進んでいく。何も見えない海上を進んでいるときも、おお、これは早いわいと思っていたがこうして速さを実感する対象があるとその速さは格別に感じられる。この船の性能として何ノット出るのだろうと思いあちこちきょろきょろするがどこに書いてあるか見つけられない。そのうちその船足が明らかに遅くなった。どうやら波止場が近づいたようだ。

接岸するとさっそく上陸。やることははっきりしている。第一にMacintoshの修理をすること。第2にインターネットに接続できる場所を探すことである。Macintoshの修理屋は午後の5時にしまるかもしれない。そして今は午後の4時。残りは一時間だ。ここからは時間との競争になる。

さて、松山でチケットを買ったとき、行き先から他の公共交通機関へのアクセス方法が掲示されていた。それによればここは

「Universal City Port駅から数百m」

ということである。確かにその通りで、陸にあがると「あれがユニバーサルスタディオではないか」と思えるような建物が見えてくる。しかし今の私には関係ない。男一人であそこにいけばまず楽しくない。次にそんなことを何かの拍子に他人に話せば笑い物になる。従って近づかないにこしたことはないのだが、ふと考えるとアメリカで一度それをやったような気がする。しかし今はそんなことを考えずとにかく先を急ぐ。とはいっても実は道がよくわからない。なんだかしゃれた建物はいくつか見えるがどれがホテルだか駅だか見当がつかない。人の後についていけばいいではないかと思うだろうが、私は先を急ぐあまり先頭をきって走っているのだ。こいつは困ったと思い後ろを振り向けば年輩の夫婦が制服を着た人に道を聞いている。彼らがしゃべりながら指さす方向を観ると確かに駅らしいビルがある。よし。あれが駅に決定。と勝手に決めつけるとそちらに向かって歩き出す。そして実に奇妙なことなのだが、この場合に限って(私はここで「限って」という言葉を使うのに躊躇しない)私の勘は正しかったのである。

駅につくとホームに駆け下りる。結構すいている。天気は悪いし、平日だからであろうか。電車に乗り込みぼんやりと外を見るとさっきとうって変わった工場地帯である。夢の国と灰色の工場のコントラストはなかなかシュールだ。そのうち大阪の環状線のある駅についた。

さて、ここで考える。目的地は日本橋だ。東京の秋葉原に対応する場所がここ大阪ではそう呼ばれる地名であることは知っている。略せばアキバにポンバシ。しかし路線図を見る限りJRにそうした駅名はない。となると地下鉄で行くことになる。そしてここからは地下鉄はでていないようだ。ではどうするか。

環状線だからどちらに回ってもどこかに着くのである。全くの山勘と去年来たときのかすかな記憶から大阪駅に向かうことにした。確かここから地下鉄に乗ったのではなかったか。しばしの後大阪駅に着くと地下に駆け下りる。

「地下鉄こっち」

という表示に従ってずてずて歩いていくのだが、いつまでたっても矢印ばかりがでてきて改札は見えない。これはいかなることかと思っているうちにようやくたどりつき地下鉄に乗り込む。ほっと一息。路線図を観ると、日本橋に行くにはナンバというところで乗り換える必要があるようだ。時計を何度も観ながらあと何駅と数える。時間は4時半。残りは30分だ。ええい。あの船がもう一時間早い時刻についてくれれば助かった物をなどと身勝手な願望を述べてもしょうがない。ナンバで乗り換えなのだが、これがまたえらく遠くにある。連絡通路を使えとか書いてあるのだが、どうも一駅分くらい歩いた気がする。とにかく目的とする路線に乗り込むと一駅で日本橋である。

さて、ここからどうする。慣れない土地だから最初の一歩、どの出口から降りたらいいかということすら解らないのである。勘で出口を選ぶときょろきょろする。周りは電気街という概念からはほど遠い。これは困った。なにか手がかりはないかとさらに辺りを見回すとはるか遠くに「Soft」という看板が見える。なんだかわからないがあっちに行ってみよう。雨は幸いにぱらぱらするだけで傘が必要な程ではない。

しかししばらく歩いているのに沿道には「日本橋」という名前から期待するほど電気関係の店は出現してくれないのである。これで果たして正しいのだろうか。ひょっとすると全く明後日の方向に歩いているのではなかろうか。不安をうち消すために道と交差するたびにその道をのぞき込む。電気屋なきやと。そう思っていると、ふと覗いた道に「ビジネスホテル」という文字が見えた。

私は考える。今日はもう遅いからどちらにしてもここに泊まるしかない。連休中であれば、宿が見つかるかどうかもかなり不安だったのだ。そう。パソコン修理とインターネット接続の他にも私にはやることがあったのだ。衣食住というではないか。とりあえず宿を確保しようとそちらに向かう。周りはなんだか風俗関係の店やらがわらわらあるような場所だが、ホテル自体はこぎれいで、そんなに高そうでもない。部屋があるかどうかかなり不安だったのだが、「ご用意できます」という話だ。これはありがたい。実はとりあえず予約だけして店探しに向かおうかと思っていたのだが、有無をいわせず鍵を渡されてしまった。とりあえず部屋にはいると不要と思われる上着や荷物を置くとすぐそこを出る。ええい、先を急いでいるのに私は何をしているのかと嘆く暇も惜しい。

向かうのはさっきみた「Soft」の看板のある方向。そのうち右側にパソコン屋が見えてきた。Macintoshを扱っている気配はないが、これは私にとって好ましいサインである。さらに進むと何軒かパソコン屋が見えてくる。そして私は気がついていた。これはさっき乗り換えたナンバ駅に近づく方向であると。つまり乗り換えなどせずに素直にナンバで降りればよかったのである。時間損したなどとわめている暇もない。パソコン屋が多くあるとおぼしき道に曲がっていく。

するとなんとかいう店の「インターネット館」が見えてきた。ひょっとするとここでインターネットが使えるかもしれない。そう思い店頭を覗くと

「無料体験端末。ただしチャットとメール送付はご遠慮ください」

と書いてある。時間があってもチャットなどする気はないわい。メール送付はするかもしれないけど、短いやつ一通だから許してねなどとぶつぶつつぶやきながら端末に向かう。しかし何故か

「ページが表示できません」

ばかり表示される。ええい、どうしてくれようと思っているうちにふと我に返る。この店はあと数時間はあいてそうな気配。Macintoshの修理屋は待ってはくれない(と思う)今はとりあえずMacintoshの修理屋を探すことが先決だ。しかしこうして書いてみても先を急いでいながらなぜ余計なことばかりやっているのかと自分でも不思議になる。これは人間が忙しい時にはつい部屋の掃除を始めてしまうのと同一の心理なのかもしれないが、もちろんこんな与太話はその時には考えなかった。

そこを出るとさらに先に進む。するとなんとかいうチェーン店のMacintosh専門館が見えてきた。あそこで修理をすることはできまいが、ひょっとすると修理屋の場所を知っているかもしれない。そう思い店に飛び込む。店員は、、店員は、、いたいた。カウンターの中に居る人に向かい

「あのー。ここらへんにMacintoshを修理してくれるところありませんか」

と聞く。相手は親切に

「機種はなんですか?ああPB2400。じゃあここでやってくれるかもしれせん。。前はこの近くにあったんですけどねここらへんに移転したか、、、いやこっちかもしれない」

と取り出した地図に印を付けてくれる。ただし

「5時までだから、、あと5分だね」

と言う。壁の時計を観てみれば確かに残り5分。この地図に付けられた印まで果たしてどれくらいかかるものか。

私は礼を言うとその店を飛び出した。いやありがたや。これで目処が見えてきた。とにかく人がぱらぱらと通る通りを走る走る。足が疲れようが息が切れようがかまっている暇はない。とにかく5時までに着かないとここまでの苦労は水の泡である。ここまできて数分の差で時間切れになるのはいやである。

時々地図を観ながらどてどてと走る。ここが目印の店。そこを曲がり裏道にはいるときょろきょろしながら少しスピードを落とす。ひたすら走り回るが見つからない。5時を過ぎたことが解り、肩を落としてしょんぼりと歩く帰り道に修理屋を見つけるなんてことはしたくない。しかしそれが起こる可能性は過去の経験からして無視できないほど大きい。ええい、目的とする店はどこにあるのだ、などとぶつぶつと思っているうちに店の看板が目に入った。あそこだ。

エレベーターに乗ると時計を観る。私の時計では4時55分。どうやらまにあったようだ。

エレベーターの扉が開くとサービスカウンターが見える。電気がついているということはまだ営業しているということであろう。何よりも心強いのは、別の人がなにやら交渉をしていることだ。これはまだしまっていないというなによりの証拠ではないか。私は「おねがいしまーす」と言った。奥から人が出てきてにこやかに対応してくれる。私はとにかく症状を説明しはじめる。いや、とにかく電源がぜんぜんはいらないんです。

相手はあわてず騒がず私がもってきたACアダプタをコンセントにつなぐ。もう片方をMacintoshにつなぐ。電源キーを押すとあの懐かしい

「シャーン」

という起動音がした。過去36時間何をどう押そうとも聞けなかったあの音が。ううむ。やはりこれが起こったか。問題があると思い修理屋に持ち込むと実に快適に動いてしまうという現象が。

その日同じ現象に遭遇していたのは私だけではなかった。私の前にあれこれしゃべっていた女性二人連れも、もれ聞こえてくる会話からすると同じ事をやっているようである。なんでもタクシーで一生懸命担いできたのにいたって快調にうごいてしまっているとか。相手は

「いやどうもすいませんね」

を連発しているが、エンジニアの端くれとして私はこうしたことが理屈で考えるよりも実に頻繁に起こることを知っている。おお、動きましたね。これはどうしたことでしょうね。はっはっは、というだけである。相手は丁寧に考えられる原因に対処する処置をしてくれている。ちょっと間が空いたところで私は

「ちょっと使って良いですか」

と聞く。とりあえず相手の連絡先をメモしなければ。私は知っているのだ。故障と思いあわてて修理屋にかけこむと、いきなりマシンが快調に動くことの次に起こりそうなことは、持って帰って立ち上げようとすると2度と立ち上がらないこと。油断してはいけない。確実なのは

「今目の前で動いている」

とそのことだけだ。今とにかくメモさえしておけばとりあえずこの二日間は乗り切れる。持って帰ってびくともしないMacintoshを前に天を仰いだところでなんともならない、というのは過去36時間に何度考えたことであるか。

相手は

「どうぞ。よれければ充電していってください。バッテリはほとんどからのようだから。ところで修理をやっているってどうして知ったんですか?」

と聞く。

それからの会話で私はいくつかの幸運に重なって恵まれていたことに気がついた。こうした相手と対面しながらのの修理形態はとても便利はものである。具体的にどこが悪いか説明できるし、こうして故障が再現しなくてもあれこれDiscussionすることができる。しかし不可解な理由によりアップルはこの修理方法をとりやめていた。当然のごとくユーザーからは文句の嵐だ。毎日使っているMacintoshを数週間も数週間も使えなくなるというのか。それも送ったり受け取ったりする手間だけのために。

こうしてぶつぶつ言っているだけで終わらないのがインターネットのありがたいところ。ネット上で「対面修理の復活を」を呼びかける人がユーザーの意見をとりまとめてアップルに送るということをやってくれており、私もそれに意見を述べていたのである。

その意見(私のもの含む)に左右されたかどうかはわからないが、この5月1日に特定の機種-私のPB2400もその中にはいっている-に限って対面修理が復活されるというアナウンスがあったのだ。相手の話によれば正式に修理の開始は5月4日から、ということなのだが、ぽつぽつ来る問い合わせに無碍にことわることもできず実際には対応をしているという。

しかし今のところ日本でその修理ができるのは3軒だけ。そのうち2軒は東京にあり、残り1軒は大阪にあるこの場所。サービス開始翌日の5月2日の午後5時間際にその店に飛び込めた私は実に幸運だったことになる。

話をしながら視線を落とすと快調にPB2400は動いている。そのままほにゃらほにゃらと時間をつぶし充電をすること10分程度。私は礼を言ってその場を後にした。帰りは時間を焦る必要もなく快適である。気が楽になると自分が空腹であることに気がつく。何を食べよう。大阪と言えば私が愛するカレーがソールフードと某サイトに書いてある。よし、と大きな「カレー」と看板がでている店に入る。さて、何を注文したものやら。私は健康診断で

「太りすぎに注意してください」

と言われる身だ。であるからここでの正しいチョイスは「野菜カレー」である。OK。基本はその線で行こう。しかしそれにコレステロールの固まりである唐揚げを付けようではないか。こんなにご機嫌になれることはそうそうあるわけではない。

 

さて、この旅行の話はここでお終いになる。翌日大阪を発ち、名古屋を経由して横浜に帰ることになるのだが、特に書くほどの事はない。それにしても雨にたたられたゴールデンウィークだった。実は横浜に帰った翌日、ある場所に行こうとしたのだが、どっかで観たような

「雨と上り坂のダブルパンチ」

に遭遇。ああ。またこいつがやってきた。うんざりした私は回れ右して帰ってきた。ようやく晴天となったのは連休最終日の6日である。

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注釈

知っている:私が愛する「それだけは聞かんとってくれ」の第36回「ストーブを買いに」参照 本文に戻る