題名:Java Diary-104章

五 郎の 入り口に戻る
日付:2012/3/15
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Gorotte -Part5

プレゼンの準備を始めた頃ある映画を見た。ミッション:8ミニッツ-原題 Source Codeだ。

最初は訳がわからない。そこから観客は主人公と一緒に謎に挑み続ける。そもそもここはどこで自分は何をしているのか。仔細は省くが、映 画の最後には何の変哲も無い

「電車がシカゴにのんびり到着する光景」

をみて涙を流すことになる。その映画を見て私は決意した。その日書いたTweetはこうだ。

「今度のプレゼンは手堅さをすて、凝りすぎて失敗を目指そう。そう決めた。Life is short.」

そう考えるとプレゼンの構成をあれこれ考え始める。考えてみれば映画というのは「物語」を語るのに実にいろいろな方法を用いている。す んなり頭から説明するだけではなく、そうした提示の方法があってもいいのではないか。

たとえば先ほどあげた映画では、冒頭観客と主人公にいきなり「謎」がつきつけられる。いや。それは理解できる場面だが、なぜそれが自分 につきつけられたのかがわからいわけだ。そうなると観ている方はその謎を解きたくなる。脳というのは周りに生じた隙間を埋めたがるものな のだ。

であれば、最初にキーワードだけ提示し、それがプレゼンの進行とともに明らかになる、なんてのはどうだろう。うまく観客の隙間をつくこ とができれば、最後までちゃんと聞いてくれるのではなかろうか。そう考えてつつしゃべるネタをあれこれ考える。だらだら書くより、当時私 が書いていたTwitterの発言を引用しよう。

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11/20 ようやくプレゼンの材料が揃ったので最初から流してみる。全然面白くない。全く面白くない。

11/24 iOSアプリが謎の証明書エラーで動かなくなっていた。あれこれジタバタして動くようになり、うれしい。どれくらいうれしいかと言うと、ご無沙汰だった Twitterでつぶやいてしまうほどうれしい。

11/26 というわけでばしばしスライドを削る。ネタを削る。唐突だから削る。意味ないから削る。読めないから削る。あまりやりすぎると「そもそも発表して何にな る」と思い出すので適当なところでやめる。

11/30 最後のスライドが浮いているのが悩みの種だったが、「未来ビジョン」にしてしまえばいいのだ、とはたと気がつく。言葉をうまくつながないと。。

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途中削ったネタを一つだけ書いておく。言わんとしていたことは、

「情報を溜め込んだだけで、情報を取得した気になっている。これは靴を溜め込むだけ溜め込んで使わなかったイメルダ夫人とおなじだ」

というものだ。ずいぶん考えたのだが、結局使わなかった。最近の若い人はイメルダ夫人とかしらないしね。もう必要以上に複雑になってい るから、削ろう。そうしたネタは他にもいくつかあったように思う。

例によって会社の行き帰りに練習をする。ほぼそらで言えるようになった。これは重要なことであった。なぜならこの時私が使っていた Mac Book Airは、時々フリーズしてくれたからだ。いきなり動きが止まったかと思うと

「再起動してください」

というメッセージが表示される。プレゼン中にこれが起こったらどうなるのか、と恐れる。

などと言っている間にも月は過ぎ去り、とうとう天橋立に向かって出発する日になる。

新幹線でとことこと西に行き、たんごなんとか鉄道というのに乗る。これも毎度のことだがだんだん列車が

「WISSご一行様貸しきり」

の状態になってくる。私は列車の待合室でプレゼンの練習をする。すると

「再起動してください」

のメッセージが画面に表示される。一定の間隔をあけてこのメッセージを見る、ということはきっと本番では大丈夫だろうと思い込む。今こ うして自分の行動を見返してみると、エンジニアの端くれとしてどうなのか、と言いたくもなるが気にしない事にする。

などとやっているうち会場についた。さて、本番だ。発表時間はたったの15分。ぼんやりしていればあっというまだ。しかし何故こんなに 準備するのか。そんなことを問うている暇があれば、練習をしなくてはいけない。そして準備の量と結果は何の関係もない。


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注釈