題名:Java Diary-75章

五郎の 入り口に戻る

日付:2006/6/29

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Goromi-TV Part10 & Gards part5

今までの情報推薦システムに飽き足らないので、ちょっと変わった方法を使うことにしました、のところまではうまく書けた。問題はその後「で あるから私はこういう方法を使いました」のところがうまく決まらないのだ。

論文まで書いておいていまさら「うまく決まらない」もないもんだと我ながら思うが実際そうだからしょうがない。これだからろくな点 がつくわけがねえや、と 反省してみたところで事態は改善されない。とにかくプレゼンしなければならぬのだ。
あれこれ考えた挙句、めったにやらないことだが、考えた項目を紙に書き出してみる。ああのこうのと言葉を並べ替えるとなんとなくそれっぽくはなる。しかし 言葉が多すぎる。だらだら言ったってどうせ誰も聞かないのだ。

試行錯誤することしばらく。私は「ああ、やはり私は馬鹿ではないか」と自己に対する認識を新たにして家路に着く(裏プロジェクトだなんだといって結構会社 で考えたり、プログラム作ったりしているからいい気なものだ)帰りのバスの中でも半分ぼんやりとし、半分プレゼンについて考える。そのうちふとあることに 思いつく。

話は少し遡る。およそ一年半ほど前、私は某大学で某講演を聴いていた。そして「身体性認知科学」なるものが存在することを知りその内容に感銘を受けたので ある。何故か。ここで話は20年ほど遡る。私が学校を卒業し、就職することになったころ世の中には「人工知能」なる言葉がはびこっていた。そしてエ キスパートシステム=人口知能と短絡的にとらえられ、エキスパートシステム構築用のツールが売り出され、ICOTという不思議な組織(今この年になってみ れば、それが何を意味したのかは明白だが)が設立されていた。そのような動きを横目でみながら「ひょっとすると是は使えるのかも」と考えていたのである。

しかしながらいつまでたってもエキスパートシステムが広く普及する気配がない。聞こえてくるのは「デモ環境では実に見事に動作するが現実世界では使い物に ならない」という言葉ばかり である。何故そうなるのか私には理由がわからなかった。しかしそうした「試み」のニュースだけは耳に入り続ける。今でも覚えているが、朝通勤時ラジオでこ んなエピソードが紹介された。

「某大学の某研究室では、「甘い物が好きだ」といった 知識をたくさん入力し、コンピュータ上に人間の人格 を構築することを試みている。でもってその人格は女子大生のものという想定だ。なぜかといえば取り組 む男子学生の意欲を向上させるためだ」


今ならそういう言葉を聞けば、二度とその番組を聴かず、というかそもそも車に乗っているときにラジオなぞ聞かないのだが、当時はまだiPodという便利な ものが発明されていなかったからしょうがない。しかしこれは未だに思うのだが、こういう人形でも人口性格でもなぜやたら若い女性ばかりをモデルにするのだ ろう。私の偏見によればこういう研究をしているのは男性が多い。でもって男が背中を丸めながら若い女性のモデルを造り上げるわけだ。こ ういう図柄にはどうにも変態的なものを感じて好きになれない。

などという感慨はここでの本題ではない。とにかくそれを聞いた瞬間

「言葉で定義された知識をつめこんでいけば人間の人格 ができるのか?」


という点になにやら変な感じをもった。当時はうまく言葉にできなかったが、なんともいえぬ違和感をそこに感じたのだ。

でもって話はまた20年後に戻る。身体性認知科学という言葉を知った私はさっそく「知の創生」なる本を買い読み漁ることになる。すると書いて有るではない か。当時エキスパートシステムに感じていた違和感がちゃんと「フレーム問題」「記号接地問題」という言葉でとりあげられ、それを超えるための試みがなされ ている。をを、やはり世の中にはちゃんと考えている人がいるのね、と感動した私はたちまち身体性認知科学のミーハーファンになる。でもってそれから「何 も考えていない(これ重要)記号処理型人工知能研究」を見ると首を45度傾けた状態で話を聞くようになったわけだ。

というのが2年ほど前。さて、それからその方面の話はすっかり忘れていたのだが、バスに乗っているときふと思い出したのだ。その道(身体性認知科学の分 野)の大家(と私が思っている)R.Brooksが開発した

「あまり高級な画像処理、プランニングなど行わずとに かくわしゃわしゃ進むロボット」


のことを。
このロボットの背後にある考え方は以下の言葉で表される。(というか私はそうだと思っている)

Real world is it's own best model.
現実世界は自分自身の最良のモデルである。

この言葉が何を意味しているか。実はこの言葉を引用するのにびびってかなり調べた、、、しかし未だ自信はない。しかしえいやと書いてしまおう。それまでの 歩行ロボットというのは

・カメラとかとにかくそうした物で自分が歩こうとする空間の情報を得る。
・そこから自分の中に、空間のモデルを作る。
・そのモデルの中でどうやって移動すればよいか計画する。
・おもむろに足を動かしだす。

私が考えるところではこの方式の問題点は二つある。その1.自分の中にモデルを造り、計画することはめちゃくちゃ大変で、どうやっても反応が鈍くなるだろ う、という点。その2は外乱というか環境 が少しでも変化することに弱いことである。

年を取るにつれて確信が深まるのだが(そしてこの文章でも何度か書いているような気もするが)現実世界というのは例外事象の塊ではなかろうか。ご飯を食べ るのにお箸を使う、というルールを記述するのは結構だがお箸で茶碗を叩けばドラムセットの代わりになる。お箸がなければ鉛筆でご飯を食べ ることだってできる。そんなのは例外だと言って片づけるにはあまりにそうした事が多いのでは無かろうか。となるといつのまにか例外が本質となり、この世の 中は無法地帯になっていく、と言い切ってしまうとこれはこれで 極端。かくのごとく言葉で現 実世界を規定するのは難しい。

と言ったことをつらつら考えると、20年前にはやった「エキスパートシステム」が実験的な環境ではうまく動くが現実世界で全然役に立たなかった理由 がわかったような気になる。つまり「きれい」な実験室ではそれなりに動くシステムも例外だらけの現実世界にでてきた途端に足がよろめき倒れてしまう、とい うわけだ。

でもってBrooksが(私が勝手に理解したつもりの範囲で)どう考えたか。そうした問題というのは、実世界と、「人工知能」が内部的に持っているモデル の不整合から生じる。従って内部的に持つモデルを持たないようにしよう。実世界というのはそれ自身がモデルであるから、ロボットはそれと積極的にインタラ クションすることにより「正解」を見出すようにすべきだ、と。

さて、問題です。何故ここで私はこの言葉を思い出したのでしょう。従来の情報推薦システムが持っている問題というのも、この「内部モデル」と実世界-ユー ザーの頭の中だが-の整合性を保てないが故の問題ではないかと考えたのである。こちらがどれだけ年齢やら性別やらという情報をもっていようが、実際の人間 の腹の減り具合、という情報には勝てない。つまり内部的なモデルに相手の腹の減り具合という情報を盛り込むことはできず不整合が生じるというわけだ。なら ばはなからモデルを持つことはあきらめポンポン入力を受付、わらわら情報を提示することで積極的にインタラクションしたほうがよいのではないか、というこ とでそれらしく説明できないかしら。

Gardsはユーザに対して固定的なモデルは一切持っていない。ただ直近の操作履歴に反応しているだけである。Brooksのロボットも外界がどうだ、と いうモデルは持っていない。そこら中に足をわしゃわしゃ動かし、その結果に反応しているだけである。(参考:http: //www.1101.com/morikawa/2001-08-03.html)そうだそうだ、これはなにやら共通点があるに違いない。

そう考え付くとさっそくその要素をプレゼンに盛り込む。それでも肝心なところの説明は十分にできない。何度も言い回しを変えて練習をする。会社からの帰 り、最寄りのバスから 家まで約10分歩くのでその間ぶつぶつ繰り返す。ハタから観れば変質者以外の何者でもないからなるべく人に会わないところを通った、、のだが、今考えてみ るとこれは逆効 果だったような気がする。

家にいるときは育児にいそしむことになる。ご機嫌が良いうちはいいのだが、眠くなるとうにょうにょいいだす。こういう場合にはとにかくだっこして、 歩き回るしかない。そうされると子供はご機嫌なのだが、その間私はやることがな い。よし、ここは一発練習をしてみよう、というわけでぶつぶつつぶやきながら歩き回る。傍からみれば異様だろうが、見ているのは家族だけだから
「いまさら、、」
ということであまり問題にはならない。というわけでぶつぶつ。これを2回やったのだが、いつも練習が終わるときには子どもはすやすや寝ている。そ うかお父さんの話はそんなに退屈か。
などと練習だけは繰り返すが、WISSが近づくにつれ不安は高まるばかりである。その頃某所にこんなことを書いた。

<<引用ここから >>
「ぼくのゆめ」
はパイロットになることです。。。などというのんきな話ではない。今朝見た夢の話を。

WISSにきたのだが、なぜか海外のような気がする。自分のカード情報が盗まれていると思いこみはさみを取り出しカードをじょきじょき切り出す。2枚 目をきったところでかばんがなくなっていることに気がつく。

ヤバい。もうすぐプレゼンだというのにパソコンはあの鞄に入っていたではないか。しょうがないから宿(そもそも海外にそんなものがあるかどうかは別とし て。あ、今回のWISSは「海」外だったか)の上から下まで部屋を見てまわる。なのに鞄はない。

しょうがない。プレゼン内容は頭に入っているから今から作り直しだ(誰のパソコン借りるかは別として)と思うのだが、なぜか自分が何をしゃべるつもりだっ たのか思い出せない。しょうがないからまた鞄を探しに行くが、、

といったところで目が覚めた。久しぶりに「ああ、夢でよかった」と思った訳です。(最近は悪夢を見ていても「目が覚めれば大丈夫」とか考えていることが多 い)

これというのもプレゼンの内容を考えれば考えるほど「俺はアホではなかろうか(今頃気がついたのか)」と落ち込むせいか、、よくわからん。

<<引用ここまで>>


要するにびびりまくっていたのであった。しかし私がびびっていようがいまいがいつしか本番は訪れる。

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注釈