題名:私のMacintosh

2400c-part3

五郎の入り口に戻る

目次に戻る

日付:1999/2/20


2400c-Part3:MacWorldEXPO99

さて99年のMacworldExpoの初日は2月の18日。この日は私は午前中お客様のところに出張であった。出張とは行っても私はひたすら心を虚しくして座っているだけなのである。そしてこの日は私はいつもにまして出張に行きたくなかった。

理由は簡単である。このExpoではAppleの暫定CEOのSteve Jobsが基調講演を行うことになっていたのである。このExpoの前にSan FransiscoEXpoがあり、そこでは実に見事な発表がされた。新型のG3に、5色のiMacだ。この5色のiMacに関しては、その前のクリスマスシーズンに「赤いiMacをみたことがある」という噂が流れ、Apple社のお偉い人が「そんなことはねえ」と否定した直後の発表だった。

その次のExpoである。その以前からやれ、新型Powerbookが発表されるの、コンシューマーポータブルが発表されるの、噂は大変かまびすしかったのである。それでもって例によってこの基調演説はインターネットで放映されることになっていた。となればなんとかして聞いてみたいというものではないか。

しかしお客様との都合というのは普通の感覚では動かし難い。おまけに今の私は雇われの身なのだ。我々の顧客であり上司である会社の人達は仕事が忙しい時期にやれ研修だ、やれメーカーの説明会+会食だといっては平気でお客様との会議をすっぽかして我々に放り投げていったが、我々にはそういった自由は許されない。派遣先の上司兼お客様は道理を超えてなんでもできるのだ。

さて会議が終わって職場に戻ると、早速私はインターネットにアクセスした。きっとどこかのサイトが速報を出しているだろう、という予想からである。しかしその「速報を載せているサイト」を探すのに私は必要以上に手間取った。いつもMacintosh関係の情報を載せているサイトならば、現地からでもアップデートがあると思ったのだが。

この時私は「結局この基調講演では何も発表されなかったのではないか」と思いだした。もし何か重要な発表がなされたとすればみなが黙っているはずがないからである。そしてしばらくの探索の後に情報を見つけた私はその予想が正しかった事をしった。

要するに基調講演はSan Fransiscoで行われたものとほとんど同一内容だったらしい。おまけにデモの最後のiMac50台サーバーからたちあげでシステムがハングし、最初の報道では「Steve Jobsは怒って講演を終えてしまった。またその後に予定されていた写真撮影会をキャンセルしてしまった」ということだった。この文章は数時間後にもっと問題がなかったような表現にあらためられていたが。結局のところ真実はあきらかではない。

私は多少失望したとともに、この基調講演の前にいくつかのMacintoshの情報サイトが「Steve JobsをStanding Obationで迎えよう」というキャンペーンをやっていたことを思い出した。私は彼らの心情を思った。日本の伝統的文化にStandiing Obationなるものは存在していない。それをやってまで彼らはAppleの暫定CEO を迎えようとしたのだ。しかしてその結果が日本でもいやというほど各雑誌でレポートされているSan Fransisco基調講演の焼き直しとは。。。私がちょっと失望したのは確かだが彼らの失望はいかばかりであっただろうか。

さてそんなことはとりあえずの私には関係ないことだ。私はこのExpoに土曜日に行くつもりだった。去年は実は金曜日に行ったのだが、今年はそんな贅沢は許されない。去年はある会社に面接に行く前日であったが。

さて土曜日は綺麗に晴れた。前日の夕方は今にも雪が降りそうな(実際雪はちらほらまっていたのだが)天気だったのだが。Expoの開場は10:30だから、私は余裕も見て、10時くらいに着くように家を出た。現地についてみたら、誰もいなくて、馬鹿みたいだったらいやだな、と思いながら。

さて目的である幕張までは私の家からはるかな旅である。この駅にたどりつくまでに、まずもっとポピュラーなスポットである東京デニーズランド(私は昔からこう読んでいる)に一番近い駅を過ぎる。ここで東京から結構の数乗り込んだ乗客は6割方降りる。東京駅で「こんなにたくんさん幕張に行くのだろうか」、という強迫観念に襲われたが、それともあっさりとおさらばである。そこからの道のりはまた異常に長い。いいかげんに電車にのるもの飽きてきた。退屈なので電車に乗っている人達を観察しだすと、誰もが幕張に行きそうであり、誰もが幕張に行きそうでもない。私の前に座っている男が、いかにもノートパソコンを収容するためのバックをもっているから、こいつも同じ場所にむかうのかな、、と思ったら彼はやおらバックを開いてコンピュータを叩き出した。中にあるのはPB2400である。なるほどやはりそうであるか。

実は今日私もPB 2400を鞄の仲に入れていたのである。もっとも彼が持っているようなコンピュータ専用鞄ではなくて、普通のデイパックであるが。これには一つの目的があった。それについては後述する。

さてようやく幕張につくとここからがまた結構な歩きになる。誰がこんな場所に駅をつくることを考えたのだろう。おまけにその道は中途半端に屋根があったり、なかったりである。今日は幸いにしてはれているからいいようなものの、雨のひだったらきっと私はこの道の設計者を呪うことだろう。

さてExpo開場の建物に入ってみると(まだ開場の時間までには30分はある)ものすごい人の数である。まずチケットを購入し(前売りかダフ屋から購入するのでなければ)それから登録の為の紙をかかなくてはならない。それが終わると入り口の前に座っているたくさんのお姉さんの所にもっていって、入場証ととりかえてもらうわけだ。さて入り口の方をみると異常な長さの列ができている。

私が元来行列が嫌いだ。とくにあと20分もまてば開場となって、この行列はたちまち消滅するに違いない。今から終わりも見えない行列の先まで歩いていって、また戻ってくるのはばからしい、とかなんとか考えた私はそこに腰を下ろして本を読み始めた。

それと同時に91年、92年とSan Fransiscoで行ったExpoの入場の事をちょっと思い出した。あのときもなんだか登録章みたいなものがあったが、それはプラスティックでできたカードだった。(今日のは紙のカードである)それに自分の名前だの会社名だのが印字してあるのである。従って名刺の代わりになるわけだ。あのときも結構早くついて、のんびりと待っていたな、、と思っている間に開場の時間となった。

さて列は前に動いて行くが、そのスピードはとてもゆっくりである。おまけに駅の方面から、列の最後尾目指して歩いていく人の数はちっとも減らないどころか増えている気もする。これは下手すると、なかなか列が消えないのではないか、という強迫観念に襲われた私は、先ほどの悟りもどこへやら、列の最後尾目指して歩き出した。

さて長い長い列を通過してようやく入場すると、結構な人出である。どうもこの時点でも去年より混んでいる気がする。ああ。平日にこんなところにこれる自由はあのとき限りのものであったか、、などと感慨に耽っている場合ではない。今回のExpoは今まで参加した3回と異なり明確な目的があった。いつもはあれこれみて、カタログを渡されておしまいなのであるが、今回は買いたいものがあったのである。

一つは愛機PB2400用のオリジナルキーボードだ。私の2400は日本でかったものだから、当然日本語のキーボードである。とはいっても私は全てローマ字でブラインドで入力するので、キートップに書いてあるひらがななどは何の意味も持たない。他に余分なものとしては「漢字キー」だの「英数キー」だのがある。私は正直言ってこれをどう使ったらいいのか知らない。まあしかしこれらのキーも存在しているというだけで、別に邪魔になっているわけではない。

問題は家で使っている外付けキーボードと、PB2400のキーボードで、一部の記号の配列が異なることであった。たとえば「」などは外付けキーボードでは横に並んでいるが、PB2400では縦に並んでいる。""も外付けでは左の方にあるが、PB2400では数字の2+シフトで入力できる。その他もろもろである。今まではどちらかといえば、外付けキーボードの方の配列になじんでいたのだが、通勤途中にMacintoshを使う機会が増えてからと言うもの、どうもPB2400のほうでたくさん文字を打っているきがする。するとキー配列の差違になやまされる機会もふえるわけだ。

さてそこに「企画室ゆう」というショップが自前で2400のオリジナルキーボードを作成した、というニュースがインターネット上で流れてきた。試作品の配置を見ると、なかなか感じがよさそうだ。なんといってもキー配列が外付けキーボードと一緒になっているのがすばらしい。色はオリジナルキーボードと同一の黒と、スケルトンがあったが、私は「誰がスケルトンなんか使うか」と思っていた。さてこの店は新宿にある。毎日品川まで通っているとはいえ、私はひどい出不精なので、新宿まで行くのはなんとなくおっくうだ。おまけに発売は最初11月という話だったのにだんだんとのびていく。そうしたこともあって、この日まで私は元からあるキーボードを使い続けていたのである。

さてまたもやインターネットをあさってみると、このショップは、Mac World EXPOに出展するという。おまけにExpo専用に新たに色を追加して販売を行うそうである。私はこれを見て考えた。どこにも当日取り付けができる、とは書いてないがひょっとするとExpoで購入すれば、その場で取り付けができるかもしれない。となれば、私はどっちにしたってExpoにいくわけだから、ついでに長年の懸案事項(そんな大したものかどうかは別として)を解決することができるではないか。

というわけで、私は今日「あわよくば」の期待をもって、PB2400をかついできたのである。さてそうした意図を持っていた私は、入場するとまずその店が出展しているブースを目指した。

目的地についてみると結構な人出である。いままでQuadra700のメモリ以外Expoで買ったことのない私は気にしていなかったが、どうもExpoというのは各ショップが安売りをやるところでもあるらしい。従ってそれ目当ての人もうじゃうじゃわいてくるわけだ。人の波にもまれながら、私はキーボードを売っているコーナーにたどり着いた。

ちょうど私の前で別の人が「じゃあ取り付けをお願いします」と言っているところだった。ラッキー、やはり今日買えばこの場で取り付けがしてもらえるようだ。目の前にはPB2400が於いてあるので「これ試して良いですか」と聞いた。何と言ってもキーボードはフィーリングが第一。キータッチがあわなければそれまでである。

すると店員さんは「あ。それはこちらのお客様のですから、あちらをお試しください」といって別のPB2400を指した。それにはクリアブルーのキーボードがついていた。私はそれを見て、急に心が揺らぎだした。今までオリジナルの黒しか考えていなかったのだが、どうもこのクリアブルーもかっこいいじゃないか。そしてそれまで「クリアーなんて言うイロモノを使うのはいかがなものか」などと言っていたこともすっかり忘れ、クリアブルーを購入しようと決めたのである。

さてサンプルのキーボードをたたいてみるとそんなに感じは悪くない。このショップのホームページにはいくつもお客さんからのコメントがよせられており、それらは「すばらしいタッチ」というものから、「狭いし、タッチは最低」というものまであった。私はNegativeなコメントを読んで多少不安にとらわれていたのだが、これなら問題なさそうだ。ごそごそとデイパックからPB2400を出すと、「すんません。クリアーブルーで買いますから取り付けお願いします」と言った。すると「ちょっとお待ちくださいね」ということで、私がさっきテストしようとしたPB2400を前のお客さんに渡している。私はPB2400をかかえたまま犬のようにおとなしく待っていた。

さて私のばんがくると、店員さんが目の前であざやかな手つきでキーボードを交換していく。先ほど別のお客さんに説明している声を横できいたところでは「10分から15分おまちいただきます」ということだったが、なるほど快調なペースだ。なんでも今日はパワーブックのあずかりができないので、キーを取り付けてほしい人はその場でまっててください、ということらしい。確かに回りは戦場のような混雑ぶりで(少なくとも普段人混みをさけて暮らしている私にはそう思える)こんな中で山のようにPB2400を置いて行かれたらショップの人は困惑するだろう。

さて店員さんは見事な手つきで交換をしていくが、私が交換後のPB2400を受け取るまでの間には、私の後ろに二人待ち行列ができていた。うーん。なんということだ。この短い時間の間だけで、4人もPB2400をかついて持ってくる人間がいるとは。世の中とはこうしたものなのか、あるいはPB2400のオーナーは思い入れが深いのか。

 

さて機能確認をすると私はそうそうにそのブースを後にした。回りはただならぬ混みようであるから。私は次の目的地に向かった。

このPB2400を持ち歩くことが多くなってから、私はバッテリー持続時間が少ないことにときどき悲しい思いをしていたのである。バッテリがなくなり、外部電源がとれなければ、愛するPB2400も単なる重石とかしてしまう。バッテリーの持続時間はAppleのカタログになんとかいてあるか知らないが、私が使っている状況では約1時間半だ。毎日の通勤はこれでなんとかなるのだが、時々この時間を超えて使うことがある。たとえば名古屋に帰るときなどは片道で約2時間だ。従って帰り道の半分は私はPb2400を重石としてしか運べないことになる。

さてそこに某メーリングリスト上で、私が何度かお世話になったAmuletというショップのブースで、外付けのバッテリの予約受付をやるという情報を目にした。内蔵バッテリと会わせて5時間は持つという。5時間あればたいていのことはできるだろう。米国内の大抵の旅行は大丈夫だ。とはいってもここしばらく米国の中を飛行機で移動することなどあり得ないのだが。

さてそのAmuletという店のブースに行ってみると、メーリングリストで予告されていたとおり、一人ばりばりとPB2400を分解している。おまけに理由は知らないが、その様子をモニタで放映している。この見事な分解の手つきをみてくれ、ということだろうか。私はそうした分解という細かい作業はとても苦手なので(大抵の作業は苦手だと言う気がするが)私の不器用さとはあまりにレベルが違いすぎるその手つきが見事なのかそうでないのかは、あまりわかるところではない。

さてその小さいブースをへれへれと見ていると、パワーバッテリという紙が置いてある。そこには人の良さそうなお兄さんが立っているが、置いてあるのは、銀色の棒のようなものである。私はその前につかつかと歩み寄ると、果たしてパワーバッテリーはどこにあるのだろう?と不思議に思った。そしてしばらく考えたあげく、先ほどの銀の棒-棒というよりはちょっと横にひらたいから、チョコレートの縦の長さを2倍にのばしたようなものだが-を取ってみた。そしてその人の良さそうなお兄さんに「これがパワーバッテリーですか?」と聞いた。

すると彼はにこやかに説明を始めてくれた。なんでもこれは工場からもらってきたばかりのモックアップだという。なんで銀色をしたのか、と思ったら彼が言うのは「工場でできた時はあまりに変な色だったから工場の人が勝手に銀色に塗ってくれた。本物はパワーブックにあわせた落ち着いた色にします」ということだった。さて私が不思議な顔をしてじろじろ見ていると彼は、ここにバッテリの残量を示すLEDがついているとか、いろいろ教えてくれた。彼はあまり「なんとしてもこの場で予約をとろう」とか言ったふうには見えなくて「よろしくお願いします」と繰り返す。思うに彼はエンジニアなのであろう。私も今はSEと呼ばれる不思議な職業についているが、ついこないだまでは彼と同じ職業だったのだ。

さて私はそのバッテリが気に入ったので予約することとした。実物は3月末にできるかもしれない、という。正確な日付はわからないんですよ、、と彼は言った。こうしたことなら私にも彼の事情はよくわかる。私はにっこり笑ってOKマークをだした。世の中には確約できることと確約できないことがある。セールスマンは確約できないことをにこやかに確約する。今の私が勤めている会社の面接で出てきた人達もその類だった。正直なエンジニアは確約できないことは「確約できません」という。私はほら吹きがきらいで、正直者が好きだ。彼は「正確な出荷の日にちが知りたい、とか、あるいは何か質問がありましたら、なんでもそのメールアドレス(バッテリの宣伝をする小さな紙があったのだ)に送ってください。私が対応しますから」と言った。間違いない。彼はエンジニアだ。

私はにっこりと笑ってそのブースを後にした。3月末と言ったが、経験が教えるところに依れば4月中にこのバッテリを手にできればありがたいと言うところだろう。私はいつの日かコンシューマーポータブルが発売されればそちらに乗り換えるつもりだった。しかし今回そのポータブルは発表されなかったし、あちこちの情報を見ると発表は今年の後半(これは多分秋を意味するのだろう)らしいし、数がちゃんと出回って手にはいるようになるのは早く見ても冬だろう。(そのポータブルが私の期待に添うものだとしての話であるが)となればまだ私はこのPB2400を一年は使い続けるだろう。今日キーボードも変えたことだし。従って4月にバッテリが手に入れば何度か活用の機会があるに違いない。(ちなみにこのバッテリはPowerbookG3にも対応しているそうであるから、P1でも使えるやもしれないが。きっとP1が発売されてから彼にメールをだせば親切に教えてくれるだろう)3万円はその事を想えばそんなに高いものではない。だいたい最近は他に金を使う用途もないのだ。

 

さて大体目的のものが購入できた私はようやく落ち着いて会場を見回られる状況になった。そして回りがだんだん混んできている事にも気が付きだした。特にショップのブースの回りはほとんど行動不能である。

なんとかそこを抜け出すと比較的空いている展示のブースの方に行った。今回の展示ではほとんどのMacintoshはiMacか発表されたばかりのG3である。実にこうした会社が機種を変更するのはすばやいものだ。ときどき今では旧型となったミニタワーのマックなどを見ると、確かに今回のモデルチェンジでMacintoshの外見はすばらしく変わったことがわかる。パソコンの外見がどうだ、と誰も考えなかったは実際不思議なくらいだ。iMacは確かにいくつか新しい点もあったが基本的にはパッケージ以外はこれといって新しい点は無いコンピューターである。その成功が驚くほどのものであったということは、ある意味大変興味深い。どのコンピュータ会社もデザイン部門や、商品企画部門を山ほどかかえているわけだが、その中の誰もがiMacに思いつかなかったのだろうか?そうではあるまい。おそらくアイディアは存在していたのだが、会社の中に存在する山のような関門を通って世間にでれなかっただけなのだ。私は賭けても良いが、今回のiMacの成功を大変にがにがしい思いで見ていた他の会社のデザイナーやエンジニアはたくさんいたに違いない。私にもできたのに、と。

Appleのブースはすごい人出だ。5色のiMacがたくさんならんでいて、全てのiMacに人がいるから何をしているかはわからない。このiMacというのは下から照らすと実に綺麗に見える。ところが自然光の下とかでみるとあまりさえない場合もある。特にオレンジ色-ちゃんと別の名前がついているが-はそうだ。しかし下から照らすとその色もすばらしく綺麗だ。

さて他のブースをいろいろ回ってみると私にとっていくつか興味深い製品があった。将来いつの日かインタフェースをUSBとFireWireに統一したいと思っている私にとってはその関連の製品が充実してきたのは実にありがたいことだ。私は基本的にケーブルがいろいろあったりするのは大嫌いだ。昔からケーブルと格闘するたびに「何でこんなにたくさんケーブルの種類があるんだ」とぶつぶつ思ったものである。それが自由に抜き差しできて細いケーブルですむのであれば是非そうなってほしいものだ。ずいぶんと待ったがその日は近くにまで迫っている。

さて他には特に面白いものがあったわけではない、というか人出が多すぎてあまり落ちついて見られる状態ではなかったのである。こうやってあちこち回っていると、昔行ったSan FransiscoのExpoとの違いがいくつか目に付く。観客の雰囲気がちょっと違うのは国が違うからあたりまえだ。私が去年と今年と日本のExpoに来てどうしても気に入らなかったのはおそろいの服を着て、営業用スマイルとカタログをふりまいている女性の一団の存在である。

米国にもたとえばゲームの登場人物の格好をする女性はいるのだろうが、こうした客引き女性の一団を見るのは、私が知っている限りラスベガスのカジノだけだ。(私の米国での経験は限られているから、「米国ではこうした女性達を見ることはない」と言うつもりはないが)私にはどうして彼女たちが売り上げ増進に役立つのか理解できない。中には水着まがいの服を着て、客と記念撮影をしているブースもある。それがコンピュータ関連製品に何の関係があるというのだ?実際私はそのブースで何が売られていたのか全く覚えていない。しかし中には製品にデジカメを向けるだけではなく、そうした女性に一生懸命カメラを向けている人達もいる。彼女たちは確かに綺麗な人達なのだろう。実際それで飯をくっているのだろうから。彼女たちの中にはときどきびっくりするくらいコンピュータの技術に詳しい人がいることが時々話題になる。逆に言えば一般的にはそれだけ彼女たちが渡しているビラの内容には彼女たちは関係ないということだ。そして彼女たちの営業用スマイルは私を戦慄させる。時々日本人は世界でも有数のスケベな国民では無いかと想うことがあるが、彼女たちの姿とそれにカメラを向ける男達の姿を見るとき、その思いは私のなかで強くなっていく。

さてまあ彼女たちも真面目に働いているわけだから、別に私が文句をつける事ではない。さて、一通り見ようと思ったが、人混みは私が思うよりも結構厳しくなってきた。ちょとでも混んでいるブースの回りはほとんど行動不能だ。一時は前にもすすめず、後ろにも戻れず行き場が無くなってしまった。この込みかたはなんなんだ。。。と思って会場の隅をみると、弁当など売っている。ちょうどお昼時だしお腹がへってきた。私はふらふらと弁当売場の方に行った。

今日の朝御飯は品川でカレーをたべた。またカレーを食べるのはいやなので、マーボドーフ丼を頼んだ。お茶を持ってふらふらと空いている席を探すが、結構な混みようで座る場所もない。しょうがないから床に腰を下ろして食べ出した。結構歩いているのでお腹がすいておいしいことこの上ない。先ほど調理していたところをみたら、レトルトのマーボドーフをご飯の上にのけっただけの代物だが、そんなことはどうでもよろしい。

さてご飯を食べてご機嫌になった私は気力をふるいたたせて、もう一回りしようと思った。。ところがやっぱり会場は私にとって楽しくないほど混んでいる。しょうがないな、と思ったらその近くにあった小さなブースに気が付いた。そこにはってあるポスターに私の目はとまった。そこには「腰痛」と書いてあったのである。

なんだろう?と思ってぼーっとしていると、いきなり後ろから「じゃあはめてみましょうか?」という男の声がした。へっと思って後ろを見るとにこやかにたっているおじさんだ。はあ、と言うと「じゃあそこに座って」と言い出した。

何だろうと思っていうるちに不思議なバンドのようなものをはめられた。両端は膝に賭けて、後ろは腰をサポートする。これが結構調子がよろしい。私は23の時以来の腰痛持ちだ。そして今のアパートの椅子というのはあまり快適なものではない。私はホームページを製作するときに常に腰痛の危険と闘っているのである。彼の説明はなかなか愉快だったがそれを別としてもこれは結構ご機嫌な製品だ。彼がいうには今日は5500円で販売だそうだ。昨日までは6800円だったそうだが(値札には7000円?と書いてあった)今日売れ残ると、宅急便で持ち帰らねばならない。そうした輸送費を考えれば、輸送費をさっぴいた値段で売った方が特なのだと。彼は「昨日買ったお客さんに見つかるとやばい」とかなんとか言っていた。私はそうした彼の説明を笑顔で聞きながら、恐らくは思ったほどこの製品が売れなかったのではなかろうかと思った。なんといってもこの場所はMacWorldExpoであり、健康器具展覧会ではないのである。(彼も「いや、コンピュータに全然関係ないんですけどね」と言っていたが)

さて私はさっそくそれを購入すると、今度こそ心おきなく会場を後にした。今年のExpoは例年になくいろいろ買い込んだもんだ。どれもこれも結構お気に入りだからご機嫌だが。

 

さて帰りの電車の中で、さっそく先ほど交換してもらったキーボードを試してみることにした。開けてみるとなんといっても私は予想外にこの「イロモノの」クリアブルーのキートップが気に入りそうである。さてぱたぱたとこの文章を打ち始めると、多少キータッチが今までのものとは違うことに気が付いた。しかしいいとも悪いとも言えない。多少オリジナルより固めかもしれないが結構ごきげんである。問題は別の所にあった。左右の手の中心を置くべき位置が、オリジナルとくらべて右側にずれているのである。

そう思ってみれば一番左端にあるtab, control,shift,caps rockはいずれもオリジナルより幅が大きくなっている。この影響だろうか、、と思って多少手をずらすことにした。まあこんなのは慣れの問題だ、と思いたい。正直言えば未だにまだホームポジションがずれたりもするのである。しかしそう思って自分の手がパームレストのどこにあるかを見れば、ちゃんと中心の位置にあるのである。ということは今までは手が左側にかたよった状態でタイプしていたのかも知れない。

もう一つの慣れの問題と思えるのは、キー配列が変わっていることだ。これはキーボードの問題ではない。元々キー配列を変えることが目的でこのキーボードに投資したのだから。しかし人間の慣れとは怖ろしいもので、私の手はPB2400のオリジナル配列にかなりなじんでしまってきていたのだ。まあ私がさわってきたキーボードは今度の新しい配列のほうが多いのだから、すぐになじむだろうが。

次に気が付いた問題は、returnキーが小さくなっていることだ。オリジナルキーボードでは2列に渡って縦に長くなっていたreturnキーだが、このキーボードでは横幅はともかく、縦の幅は一列だけである。その上には日本語で言えば「¥」のキーが鎮座している。変換を確定する度に小指でreturnキーを押すわけだが、そのタイミングでやたらと「¥」が入力されることに気が付いた。小指がこの位置になれてくれるまでは、私は「¥」をたくさん入力することになるだろう。まあこれも大した問題ではない。慣れればいいだけのことだ。そう思って時々キーボードに目をやるとこのクリアブルーのキーは結構Coolだ。そして私はcaps lockについている青色のLEDの光も気に入った。時々光だけを見るためにcaps lockをつけたい衝動に駆られるほどだ。いままで私はコンピュータの外見などにはほとんど気を使ったことがなかったが、このcoolな色はその考えをかえさせるのに十分だった。

 

さて私はごきげんな気分で家路についた。今日はこのPB2400にいくばくかの投資をした。そしてこのコンピュータの寿妙はまたのびることになるだろう。だんだんこのコンピュータは快適になっていく。実は今こうしてこの文章を書いているのは自分のアパートである。アパートだから外付けキーボードを使えばいいのだが、何故か私は今日購入したばかりのキーボードを使ってみたくなる。確かに慣れないが故の問題もあるが、私はこのキーボードが気に入ったようだ。たくさん使って早く慣れて、仲良くしたい、そんな気分である。

私の生活環境の改善もこうやってスムーズに行いたいものだが、そちらのほうはとん挫したままだ。

 

次の章


注釈

私はほら吹きがきらいで、正直者が好きだ:(トピック一覧)自分がどちらかに属するかは今ひとつわからない。本文に戻る 

 

営業用スマイルは私を戦慄させる:(トピック一覧)トピック一覧経由"Smile"を見てもらうとこのことにかんする私の駄文が読める。本文に戻る

 

日本人は世界でも有数のスケベな国民では無いか:(トピック一覧)正確に言うと、人間として生まれたからには誰でもすけべなのであるが、日本人は節度や、折り目切り目というものが特にスケベの方面に関して希薄な気がする。本文に戻る