題名:Clinton-part15

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日付:2001/1/15

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2001/3/13-文化を越える人、越えない人

えひめ丸の査問会議がハワイで行われている。その内容については書かないが、何日目であったか、元副長が行方不明者の家族のところにきて

I am sorry for your loss.

といい、深々と頭を下げた、という記事を読んで仰天した。私の限られた米国生活の中で、米国人がI am sorry というのは、たとえば

「このクーポンはもう無効よ。sorry」

といった具合に「絶対自分が悪くない」ときにしか聞いたことがないからだ。加えて頭を下げるとは。深々と頭を下げることにより何かを意味するというのはほとんど日本特有の文化のはずなのだが。たとえば、Ally McBealでは、Allyがダンナとキスしてしまったことを、ジョージアに

"I'm deeply sorry"

と謝る。しかしその時にも頭は下げず、視線はジョージアのを方をまっすぐ見つめたままなのだが。これは想像だが、副長は日本人に謝罪の意を表すにはどうすればいいか、というのを何らかの方法で学んだのはなかろうか。

-この下りについて、ある方からコメントをいただいた。I am sorryというのは「これは、単に謝罪の言葉ではなく、気の毒に思う・・相手の心情を察すると言う意味でもあります。」そうした意味ではよく使われると。確かにこの副長のI'm deeply sorryはそちらの意味あいが強いように思われる 2002/4/24追記-

その翌日には元艦長と遺族との会見が行われ、その後遺族が記者会見に臨んだ。このときの遺族の表情が忘れられない。なんとも無駄な力が抜けたような、やりきれないようなそうした表情を浮かべていた。

それまでの記者会見で「彼らを見たとき憎しみを感じました」と言っていたおじさんは

「憎むことで気持ちを支えてきたが、それがなくなり呆然としている」

といったような事を言った。

この会見が行われるまで、電車中のつり広告などでは、日米マスコミの非難合戦(文句を言っているのはあらかた日本だが)の様子がうかがわれた。ワシントンポストが、「我々は十分に謝罪した」と言えば、それへの反論が乗る。こうした外野の無責任にして的はずれな論議などとは関係なく、その苦しみは当事者達にしか解らない。告訴の可能性があるときは沈黙を守るのが鉄則の米国に生まれた人達は、異国の文化を尊重した形でその気持ち-悲しみを表した。そのことに十分思いを馳せるべきと思うのだが。

さて、その異国である日本の中でもさらに特異な文化を持つ自民党では

「総裁選を繰り上げて実施する」

ことが辞意表面なのだそうだ。なんだそれは。どこの誰がこの文面からそんなことを読みとれると言うんだ。外交日程に空白を造らないためということだが、私がプーチンかブッシュだったら。握手して、写真だけとって「では忙しいので」と帰ってしまうところだ。Clintonに向かって"Who are you ?"というような男でも一国の総理と知れば何かしゃべろうかとも思うが、辞めると知っていれば用はない。どうせなるも辞めるもこの男の意志や力で決まっていることではないんだから。

かくのごとく局所的な文化の中で辻褄あわせをやっている間に、情勢は緩慢で確実な死に向かう。何という学問か知らないが、こうした

「その組織文化の中に置いては完全に合理的な狂気」

が蔓延し、最終的に組織が崩壊する過程というのは研究にあたいする物ではなかろうかと常々思っている。文化を持つ物がすべて崩壊するわけではない。今の私に解っているのは現実からのフィードバックが欠ける組織は必ず崩壊する、ということ。またそうした組織には、フィードバックを阻止するための仕組みができあがり、ますます文化を強化する方向に向かう、ということなのだが。

同じ日本の文化を共有するものでありながら、彼らは自分の文化の壁に閉じこもり、選挙民の文化を尊重どころか考慮すらしない。これは夏の選挙が楽しみだ。参議院選挙などとけちな事を言わず、是非同日選挙をやってもらいたい、と思っているのは私だけではないと思うのだが。一つここは現実からのフィードバックを受けてもらおう。それが参議院比例代表区の仕組み変更などでは阻止できるものでないことを知るべきだ。

 

2001/2/27-沈黙の艦隊

最初に原子力潜水艦がえひめ丸に衝突した、と聞いた時滅入る気持ちはあったが、あまり驚きはなかった。ついこないだもロシアの原潜が沈没したではないか。しかしそのうち妙な事に気がついた。ロシアの原潜が沈没したり、いきなり浮上したりするのはいつものことだが、米国の原潜とはこれいかに。

沈黙の艦隊」の読み過ぎかもしれないが、米海軍はもう少し真面目にやっているのかと思っていた。攻撃型原潜の任務は、音を殺し水中に潜むミサイル原潜の探知及び攻撃である。それがのんびりと航行している一般船舶も探知できないとは。最初にCNN.COMで「潜水艦にCivilianが乗っていた」と読んだ時には、

「軍人ではない、文官でも乗っていたのか。そりゃ軍に勤務している人間がすべて軍人じゃないもんな。しかしそれの何が問題なのか」

と思ったのだがまさか一般市民をしこたま物見遊山に乗せているとは思わなかった。こういう話を聞くと、いつまでたってもPearl Harborばっかり言っている一部の米国人メンタリティに苛立つ私は次のような事を考えずにはいられないのだが。

「頭上を航行している一般船舶も探知できない潜水艦はさすがに米海軍の伝統を受け継いでいる。半世紀前にも実質的に戦闘状態にあった敵国からの奇襲も探知できなかったのだから。

何大丈夫。「えひめ丸は宣戦布告をせずに航行していた。JAPはだまし討ちが好きな卑怯者だ」と叫びまくればOKだ。」

 

さて、これは笑えない冗談であり、任期が切れた駐日大使は滞在を延長してまであちこちに頭を下げてまわっている。しかしこれは日本的な表現であり、本当に頭を下げているわけではない。米国では謝るときに頭を深く下げる、という文化はないのだ。

米国の艦長が沈黙を守り、未だに謝罪の言葉もない、との声が日本で上がっていることに対し「これは日米の文化の違いだ」と駐日大使は言った。遺族の一人が「艦長も男なら土下座して謝れ」と言ったそうなのだが、私もこれを聞いた時「ああ。なんと日本的な」と思った。何かの本で読んだ事だが、日本の場合、まず謝罪があり(あるいはあるべきで)それから話を聞いてもらえる。その結果は丸く収まることもあるし、そうでないこともある。米国の場合とにかく「自分の正当な権利」を主張し続ける。裁判で有罪とでれば金を払うか刑務所に行く。彼の国では謝罪することは、自分が有罪であることを認めるのと同義なのだ。「黄色いリボン」という映画でジョン・ウェインがこう言う。

「軍隊では決して謝ってはいけない。それは弱さの証明である」

かくのごとくの文化を持つ国では、艦長は腕利きの弁護士を雇って、証言を拒否する方針だそうだ。それが文化であれば文句を言ってもしょうがないし、それがあの国の文化の元では当然の行為なのだろう。そうは思いながらあの国では裁判が全て-神なのだな、とつくづく思う。

などと考えていたら前艦長から「弁護士を通じて」遺憾の意を表する文章が発表された。かといって彼が何をするかは蓋を開けてみるまでわからない。査問会議は「準備の為」既に2度延期されているのだ。彼が声明の中で言っている「名誉のため」とは臆せず真実を語ることなのか。あるいはいかなる手段を用いても裁判において自分の無罪を勝ち取ることなのか。

さて、裁判も人の非難も全く気にせず天に恥じる事無く生きているのが親愛なる森君である。遺族の方は森君に直接会って要望を伝えたということなのだが、事故が起きたと聞いたときに賭けゴルフをやっていた首相に対し、どのような気持ちを持ったかと考えるとやりきれない気持ちになる。私がその場にいたら殴りかかっていたかもしれない。彼もとうとう首になるらしいが、おそらく何故自分が首になったか一生理解することはないのではないか。

しかしこう考えることもできる。彼は一国の総理という座についてしまったがためにやんやの非難を受けたわけで、幹事長などやっているときは誰も問題にもしなかった。つまりその人が持っている文化、価値観とそれが受け入れられる地位にいる、ということが何よりも重要なのである。

「人の賢と不肖は、たとえば鼠のようなもので、身を置くところによって決まってしまうのだ」

というのは、史記にある言葉だ。彼は総理の座にあったがために「不肖」となったわけだが、彼が「賢」とよばれうる場所はちゃんとある。

私がNTTと名が付く会社で働いていた時、ここでは以下の言葉を社訓として朝晩唱えているのではなかろうか、と何度も考えたものである。

「無能であれ。傲慢であれ。独善的であれ」

もっともただ無能なだけではいけない。自分の異常な行動を弁舌さわやかに弁護するだけの知能と恥知らずな心臓も必要なのだ。これ以上森君にピッタリの文化があるだろうか。それに加えて彼には強い政府関係者とのコネクションがある。彼の再就職先として、NTT Grどっかの社長以上に適当な物があるだろうか。おそらく稀代の名社長として名を馳せるに違いない。

さて、彼の解雇は既定事実で、タイミングの問題だけだったのだから、問題は次の首相である。私が愛するCNN.CO.JPには

「次の総理を自民党から選ぶとすれば誰がいいですか」

というアンケートがあり、選択肢の最後には野田聖子という元郵政大臣が揚げられている。うむ。CNN侮りがたし。次は是非扇にと思っていたが、野田という線も捨てがたい。イロモノ路線を突っ走るのであれば、是非そこまで徹底してほしいものだ。小泉君がいかに「解党的出直し」などと叫んだところで、彼ら自身にそれができるわけがない。かつての陸軍を観てみればよい。粛軍などと何度も言って結局ろくでもない方向にしか変わらなかったのだ。それが和と安定を何よりも重んじる日本の組織というものだ。陸軍が敗戦によりその消滅でしか変われなかったように、彼らの出直しは選挙での惨敗と言う現実に直面することでしかできないだろうに。

かくのごとく文化などについて考えているとアフガニスタンでは、イスラム原理主義の政権が「仏像を破壊せよ」と命令をだしているとのこと。文化もなんともならないが、宗教はさらになんともならない。日曜の朝には宗教番組をやっていて、朝早く目がさめてしまった時などそれを観る。どうやらキリスト教の類らしいのだが、いつか黄色人種ではない人がこんな事を力説していた

「日本には各地に偶像がたくさんあります。しかし偶像は何も語りません。未来についても教えてくれません。みなさん。偶像崇拝をやめましょう」

あの男が何教を信じているかしらないが、何かの間違いで政権をとったら日本中の仏像や地蔵を破壊して回るのだろうな。これは神の御心だと叫びながら。あるいは偶像破壊ぐらいで済むことを喜ぶしかないのか。

 

2001/2/16-今そこにある異常

親愛なる森君は、原子力潜水艦と日本船が接触し、日本船が沈没したとき悠々とゴルフを楽しんでいたとして、やんやの非難を浴びている。この事に関してCNN.Co.JPでQuick Voteをとっているが笑えるのはその選択肢だ。

設問:米潜水艦と宇和島水産高校の実習船が衝突した事故で、連絡を受けた後も森首相がゴルフを続けていたことをどう思いますか。

選択肢:

・森首相の危機管理意識がなっていない

・いつものことだから、仕方がない

・首相自身というより、政府の危機管理体制がたるんでいる

・福田官房長官が対応していたのだから、問題ない

森君の行動はもはや是非の問題ではなく、「どう怒るか、どう呆れるか」の次元へと飛び去ってしまった。私の記憶が正しければ、ナチの副総統、ルドルフ・ヘスが英国に単独飛来した、という知らせを受けたとき、ウィンストン・チャーチルはこう言った。

「ヘスだろうが誰だろうが私はマルクス兄弟を見に行く」

このエピソードは「チャーチルの危機管理能力の欠如」を示す物だとはだれも言わないし誰も思わない。人間の格の差とは恐ろしい物だ。大丈夫。日本ではPrime Ministerなんてのは飾りなんだから。そう思うと「官僚主導から行政主導へ」という大義名分で行われた省庁再編というのは悪い冗談のように思えてくるのだが。

週刊誌では「次の首相は扇」とかいう声も聞こえてくる。その言動から見る限り扇なにがしというのは伏せ字にしたくなるような人間とも思えるのだが、なに大丈夫。日本では(以下同文)

さて、この「失言」というのは餓鬼が好きなトピックスの一つだ。最近下火になったが、沖縄駐留の米軍司令官が、俗語で沖縄県知事をののしったとして問題視された。その俗語とは"They are all nuts and bunch of wimps"であり、これだけ観れば確かに結構な表現だ。さて、ありがたいことに琉球新聞はこのメールの全文を掲載していてくれる。最後の部分を掲載するとこうなる。

This situation went from the Governer, both Vice Governors, Mayor Yoshida, and a Diet Member separately telling me in person last week that "while this is bad we understand and appreciate your efforts" to all of them standing idly by as the OPG Assembly passed an inflammatory and damaging Resolution.

I think they are all nuts and a bunch of wimps."

実は私はこれをちゃんと訳せるほど英文和訳に自信がない。しかし概略言っていることは

「先週知事、副知事、それに議員たちは本人自ら”この事件はひどいことだが、あなた方の努力は理解しているし、感謝もしている”と私に言った。しかし連中はわれわれに損害を与える決議が通過したとき、何もせずやり過ごした。彼らは馬鹿で弱虫の集まりだ」

最後の二つの文だけが大きく報道されているわけだ。しかしその前の一文をつけたときに印象はどうかわるだろうか。

個人的な会話(もしくはメール)であれば誰でもこれくらいの言葉は使うだろう。しかしメールというのは後に残ってしまうのが恐ろしいところだ。そして大抵の場合報道機関はその意図にそうところだけ編集して報道する。もちろんこの”失言”とどっかの国の総理の度重なる暴言を同列に並べる事などできないのだが。

しかし厚顔にして居直っている森君の姿を見るたび

「簡単に幸せになる一番の方法は無神経で恥知らずであることだなあ」

とつくづく思う。私が何かの間違いで総理大臣になったとしよう。私だって間抜けさでは森君にひけをとらないからきっとあれこれ失言をやらかす。すると

「ああ。みんなが僕をいじめる。そしてその度に死ぬほど反省するのに僕の失言はとまらない。やっぱり僕には総理なんてできないだ。死んだほうがいいんだ。総理になってすいません。生まれてきてすいません」

と、間違いなくノイローゼになるだろう。とてもゴルフなどできはしないと思うのだが。

さて、閣僚たる物、その長たる首相を弁護する義務があるのだかどうだか知らないが、宮沢君は森君の愚かな行動を日露戦争の時の大山元帥の泰然自若ぶりを引き合いにだして弁護したそうである。

この「無能無策」を「泰然自若」にすり替える、というのはこれまた世の中で大変よく行われることだが、これほど馬鹿げた比喩はない。大山元帥は「ボンヤリとしている」ところが良いとして満州軍総司令官に任命されたが、それは「観て観ぬふりをする」ことができたからであり、「何も観ず馬鹿なことしかしない」からではなかった。それが証拠に彼は肝心な場面ではちゃんと見事な決断と実行を示したのだ。

大山まで引き合いにだす必要はない。大山の元、第一軍を率いた黒木という将軍は大激戦の中悠々昼寝をし、目覚めるとすぐに適当な命令を下した。そして後に聞く人があれば

「あんな場合に、俺が指揮したってどうにもなるものではない。なるようにしかならんのだから、一時間ばかり午睡しようと横になったらツイ寝過ぎてしまった」

と言った。それを聞いた人は等しく彼の偉大さに打たれたという。この黒木や大山の態度は泰然自若と呼ぶにふさわしいものだがそれを

「何で危機管理なの。事故でしょ」

と言い放ち、「秘書官にそこにいろと言われた」と他人(秘書官!)の言葉に責任を転嫁するような人間の弁護に使うのかもしれん。あの大蔵大臣、もとい財務大臣は。私が大山の子孫であれば、抗議文を送るところだ。

そんな弁護をしたって知らない人間には全く解らないし、知っている人間は失笑するだけだ。あの内閣で森と扇が(伏せ字)と思っていたがひょっとするとそれは過小評価だったのかもしれない。

 

さて、永田町から目を転じてみれば、日本で行方不明になっていた英国人女性が遺体で発見された。私などから観ると異常とも思えるこうした事件が発覚するたび-二つの保険金殺人事件の時もだが-平穏でだいたい普通に見えるこの世の中ではいろいろな事が行われているのだなと驚いたりする。織原なにがしも、この殺人(おそらくある種の行動の末の事故死だろう)さえなく、かつもう少し慎重に振る舞っていれば何食わぬ顔して大手をふって世間を歩いていたのかもしれないのだ。誰も自分の隣にそうした「異常な世界」が口を開けているとは思わない。

日本ではあまり報道されなかったと思うのだが(実は最近朝日新聞のサイトよりもCNN.CO.Jpばかり読んでいるのであまり知らないのだが)米国のCollegeで、大量の爆発物、それに銃器を所有し、大量虐殺を企てていた男が実行一歩手前で逮捕された。これでもう何度目かしれないが、彼の国のこうした事件の異常さには驚かされる。彼の部屋にあった破壊物の量は

「一人の人間がこれだけの物を所有するとは想像しがたい」

ほどのものであり、(もちろん銃器は合法的に購入したのだが)彼の両親は

「彼は大人であり、プライバシーを尊重する」

観点から彼の部屋に入ったことはなかった。 

彼がねらったCollegeではCommunicationのクラスで

「Columbine(大量虐殺が起こってしまった高校)のような事件が起こるだろうか」

という設問がされ、だいたい以下のような回答がなされていたらしい

「そうは思わない。高校と大学では話が違うし、あの事件は高校でのプレッシャとかのせいで起こったんだろう」

かくのごとく、大抵の場合人は犯罪の事を聞くと、それにはしかるべき理由があったのだと考え、「私の周りではそんなことはない」と安心する。そしてそれは多くの場合正しいのだろうが。

 

 

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注釈

元郵政大臣:恥ずかしいことだが、最初にアップしたときここを「元スケート選手」と書いていた。元スケート選手は橋本聖子である。ああ。恥ずかしい。私が森君なみの失言をやるだろう、というのは本当である。Thanks YDしかし名前を変えただけでもつかえるところがうれしいところ。本文に戻る

 

沈黙の艦隊:(参考文献参照)この作者は今タイムスリップを使った戦記物を書いているが。本文に戻る

史記:(参考文献)李斯列伝より。本文に戻る

大山元帥は:ここからの記述は「軍閥興亡史」(参考文献)による。本文に戻る