題名:失敗の本質の一部

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日付:2008/3/20


変化を、 革新を阻むもの

専門家は映画を何度か見て、奇妙な点があるのに気づい た。発射の直前に2名の砲員が全ての動きを止めて、大砲の発射が終わるまでの3秒間、気をつけの姿勢を取っていたのだ。かれは砲兵隊の年老いた連隊長を呼 んで映画を見せ、この奇妙な行動を指摘し、これはどういうことなのか、と訪ねた。連隊長も困惑し、もう一度映画を見せてくれと頼んだ。「ああ」、上演が終 わるとかれは言った。「わかりました。馬をおさえているのです」
海上砲撃:イノベーションの事例研究」 より

伝統ある会社というのはこうした「馬をおさえる」行動の集合体のようなものだ。昔からこうしているから、そうすることが正 しい。あまりに自明だからその理 由について問う人もいない。

時たま新人(これは学校を卒業した人間でも中途採用でも同じことだが)がその理由を聞いたとしよう。すると彼らは決して沈黙 したりはしない。伝統ある会社で働いている人の多くは「優秀」なのでこうした質問に対する「正しい回答」をでっちあげることに長けているからだ。 相手の言葉面にこだわりすぎる私のような人間はその「正しい回答」にまんまとひっかかり、同じ間違いを何度も繰り返すことになる。


この章ではまず先ほど引用した文献の要約を試み、イノベーションがどのように起こったか。それを阻害しようとした要因はなんなのかについて記述する。次 にこうした「成功事例」として決して語られることのない、しかしおそらく今なおそこかしこで頻繁に行われている「誤ったやり方」について記述する。そし てなぜそのような「誤ったやり方」が蔓延しているのか。それをさけるためにはどうすればよいのかについて私見を述べたいと思う。


まず対象となる事例は米国海軍における連続照準射撃である。まずイノベーションが起こる前にどのように艦船から砲撃が行われていたかについて述べる。


船の上から大砲を発射する際、問題になるのは大砲が波によって常に動いているという事実である。上下に振動する大砲を使いどうやって相手を正確に狙えばい いのか。これを解決するためにおこなれていた方法は以下の通り。


・敵までの距離を推定する

・その距離まで弾丸がとどくよう、大砲の仰角を設定する。具体的には砲台にとりつけられたハンドルを回し、昇降ギアをまわす。

・照準主は照準具(ライフルについているスコープのようなものか)をのぞき、船が揺れてちょうど標的が見えるようになるまで待ち、発射ボタンを押す。しか し実際には「撃とう」と思ってから実際にボタンを押すまでの間に時間がかかるため(誰もピストルがなったと同時にスタートすることはできない)照準手が自 分の遅れを補正し、標的が見えるようになるちょっと手前でボタンを押していた。

つまり照準機をのぞきながら「標的見えた。発射」とやるのではなく、「いま決心すれば標的が照準具に見えたところでボタンを押せるだろ う」というタイミン グで決心をするわけだ。

こうした砲撃方法をとっている限りにおいて、射撃の精度というのは砲手の技量-距離を正確に見積もり、かつ揺れのタイミングに合わせて発射ボタンを押す- に大きく依存せざるをえない。

こうした状況に1898年、変化が訪れた。サー・パーシー・スコット提督は悪天候の中行われていた射撃演習を見守っていた。そして一人 の照準手の制度が際 立って高い事に気がついた。その照準手の行動を観察するうち、彼が無意識に昇降ギアを動かし、船の揺れをある程度補正していることに気がついた。


そこで提督は大砲の昇降ギアの比率を変え、砲手が揺れに合わせ絶え間なく標的を追えるようにした(原著にはあと2つの改善が書いてあるが省略する)ここで はこうした「改善」が

「照準手に対して実施した”砲撃精度改善に関するアンケート”」

によってではなく、

「観察」

によってもたらされたことに注意しよ う。

さて、パーシー・スコットは中国駐屯地において、アメリカ人将校、ウィリアム・S・シムズにであう。この二人は「体裁のための完全主義に我慢がならず、ま たこの英国人の先輩将校と同じく官僚主義的惰性というものを軽蔑していた」という共通点を持っていた。シムズが同じ米国海軍の先輩将校について述べた言葉 を引用する。

「わたしは自分と同じ考えを異にする者が生き続けるこ とにはまったく異存はないが、方向性の欠如と狡猾さを全身全霊で憎む。そしてこれが(愚かな人々があまりにも純真に信頼する)我が国の偉大な軍隊の重大な 利益をなおざりにしてまで面目を保とうとする上層部に見られる場合には、その人物の命が欲しいし、個人的にはいかなる代償を支払おうとも必ずそれを手に入 れるつもりだ」

さて、シムズはスコットから連続射撃に関してすべてを学び、自分の船のギアを改良し新しい射撃方式を実践した。その結果砲撃制度が目覚ましく向上した。
こうしたデータを集めた上でシムズは新しい連続射撃方法の効果をデータ付きで報告書に記載した。その結果何が起きたかはおそらく多 くの 人にとって共感できたり、あるいは将来直面するだろう状況を知る、という意味で興味深いだろう。

第一段階:無視。ファイルに綴じ込まれた報告書はゴキブリにかじられるままにされていた。
第二段階:シムズは報告書が無視できないようにいくつかの対策を講じた。まず論調を意図的に不愉快なものにした。次に報告書の写しを艦隊のほかの将校に 送った。艦隊でシムズの射撃方法が話題になっていることを知り、ワシントンは動かざるを得なくなった。その結果として以下の回答をシムズに送った。

(1)米国艦隊で使用している装置は全般的に見て英国 軍のものに遜色ない
(2)装置が同等である以上、問題は兵士にあるはずで、兵士の訓練は戦艦将校の管轄事項である。
(3)横揺れを補正するのに必要なギア操作は、不可能であることが実験の結果証明された。

私が思うにたいていの場合は(1)と(2)だけですませると思う。システムに何も問題はない。問題があるとすれば、それは「ヤル気」と「現場の工夫」だ。 他人を批判する前にやることがたくさんあるんじゃないか?ああ、こうやって書いていてもこの台詞を何度聞いたことか、と嘆 息したくなる。(3)があるだけ、当時の米国海軍は合理的精神に富んでいたと思う。

いずれにしても、この回答は実に論理的だ。このロジックの中にいる限り反論はできない。唯一の問題はこの回答は現実から乖離していたという点である。「実 際に」シムズは改良された器具と射撃方法を用いてより優れた射撃精度を達成していたのだ。
ありきたりのサクセスストーリーならシムズが報告書を送った時点で

「明白な事実の前に反対派もシャッポを脱いだ」

と書くところだが、現実はそんなものでは ない。「明白な事実」がなんだ というのだ。かくしてシムズの戦いは第三段階に移る。

第三段階:シムズとワシントンの間の非難合戦はヒートアップした。シムズは途中の階層をスッキプし、当時の大統領セオドア・ルーズベルトに手紙 を 送った。ルーズベルトは「都合がつきさえすればいつでもこのような訴えには喜んで対応していた」人だったらしい。シムズを中国から呼び戻し、射撃演習監督 官に任命した。

さて、ここで問題です。敵に打ち勝つ、という実に現実的なミッションを持っている軍隊において、なぜ「大量のデータによって示された射 撃方法改善提案」が ここまで無視、拒否されたのでしょう?

この論文の著者が指摘している理由は「組織の構成員が、その組織の部分に一体化しているため」である。既存の制度、規則、やり方はその人の一部となって おり、それを変更するあらゆる試みに対しての抵抗を引き起こす。

この「組織の部分への一体化」は幸福幻想主義が強固であることの説明にもつながると思う。現実からひたすら目をそらし、今自分が所属し ている組織が現実の 変化に対応することを妨げる。なぜなら一番大事なのは自分が一体化している組織であり、それが外部の環境に適応できないのであれば、無視するべきは外部の 環境だからだ。

帝国陸軍を考えれば、彼らは彼ら自身が作り上げた「帝国陸軍像」に一体化することに対して最大の情熱を捧げていたように思える。現実が その「帝国陸 軍像」を拒否すればするほどかたくなにその幻想にしがみつこうとしたのではなかろうか。つまり彼らにとって一番大事なもの(つまり自分が一体化しているも の)は陸軍の軍人としてのメンツであり、「戦闘の勝利」ではなかったということだ。

その結果彼らは後にどんな評価を得るに至ったか。米国で制作された「ヒストリーチャンネル:撃つためのデザイン-日本軍の銃」というド キュメンタリーである人はこうコメントしている。

「日本軍は銃の設計、製造において素人のレベルだった」

彼らは「戦闘のプロ」ではなく、「帝国陸軍軍人のプロ」であったというわけか。

さて、こうした「組織への一体化」にともなう問題を解決する方法はあるのだろうか?何かへの一体化がさけられないとすれば、どうすればいいのか。論文では こう主張されている。

産物ではなく、プロセスに同一化すること、そして単に保持・所有するプロセスにではなく大胆に選択し、適応するプロセスに同一化することは、こ れまで集団的に実現することが難しかった。

共和国初期のローマ人、15世紀末から16世紀初頭のイタリア人、エリザベス女王時代のイギリス人は目的にとって有益だと判断された過去の遺産 の大部分を 保全しつつ、新しい機会を捉えることに非常に長けていたように思える。

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注釈

 多くの人にとって共感 できたり:シムズの言葉 は15年ほど前、20代の頃の私自身の言葉のように聞こえる。その頃私は会社にMacintosh+ワークステーションを導入しようと必死になっ ていた。なぜ「必死」かと言えば、その頃私が働いていた職場には「世界最高水準」の機能を持つ、NEC製のオフコンが大量に導入されようとしていたから だ。
若かったとはいえ、私はシムズほど過激ではなかった。他人の足をひっぱることで給料をもらっている人たちにいらだちはしたが、「その人物の命 が欲しい」とは言わなかった。しかし機会を捉えてはMacintosh+ワークステーションがオフコンに比べどのくらい生産性を向上させるか訴え続けた。 同じグループの人間に同じ内容の資料をMaintoshとオフコンでつくらせ(ちなみに彼に「これをオフコンで作れ」と頼んだところ「鬼」といわれた)で きばえと作成時間にどのくらい差があるかを示したりもした。そうした「定量的データ」の報告がどのように扱われたかはシムズの場合とほぼ同様である。本文に戻る

嘆息したくなる: しかし最近知ったことだが、 この反応はとても穏やかなものだと思う。上への批判(と解釈できなく もないもの)を一回口にしただけで、解雇を言い渡す会社もあるのだ 本文に戻る