題名:2002年のゴールデンウィーク-壱岐・対馬

五郎の入り口に戻る

日付:2002/6/1

往路 | 二日目 | 対馬


対馬

ふたたびぐーぐー寝ていたら対馬についてしまった。外を見ると雨が快調に降っている。これはどうしたものかと思うがとりあえず荷物を抱えて降りる。

まず観光案内所に行って「ここでは宿の予約とかできますか?」と聞けば、相手は機械的に地図を出し「どうぞ」と言う。自分で好きなところに電話をしろということらしい。あわよくばレンタカーの手配もここでやろうと思ったのだが、そちらも自分でやれ、ということのようだ。他の人たちが去った後も渡された地図に記載された内容をあれこれ観ていたら、その姿があまりに情けなかったのだろう。さっき地図をくれた女性が

「電話しましょうか?」

と声をかけてくれた。ここらへんに民宿があって、ここらへんにホテルがあって、と説明される。なんだかたくさんありそうだから、「自分で電話します」と言った。まずはレンタカーの手配だ。

電話をしたらすぐ来てくれた。事務所に行くまでの間、相手は無言、こちらも無言である。道の脇にいかにも「昔の武家屋敷でござい」といった建物があることがわかる。塀が石で作られていることくらいが変わっているようだが、それ自体は別にどうということもない。

事務所であれこれ手続きをすると車をぶろろんと発進させる。まずは泊まるところを確保せねば。そう思い公衆電話から電話をする。最初フェリー付き場を出たところに看板をだしていた民宿に電話をした。しかし何度かけても電話中。次には何の根拠もなく目に付いたホテルに電話。ちょっと怪しげな声の男性が応対してくれたが泊まるのは問題ないという。しかし「車が止められますか?」と言うと「一〇台分しかなくて、早い者勝ちです」という。こう聞くと小心者の私はにわかに不安になる。駐車場があふれてしまったら、私は一晩駐車違反の恐怖と戦いながら路上に駐車せねばならんではないか。それはさけたい。本来は、今日中に少し見て回ろうと思っていたのだが、この雨だし。今日はこのあたりを歩いて観光して、車でぶろろんは明日にするか。では何も今日車を借りることはなかったではないか。半日分損した、とここまで考えると憂鬱になるから考えないことにする。とにかくホテルに向かう。

でてきたのは先ほど電話で応対してくれたと思われるおじさんである。なぜそう確信するかと言えば、声の怪しげな感じに外観がぴったりだからだ。半分長髪の白髪交じりの髪型はどことなく絵で見たベートーベンを思い出させる。後で気がついたことだが、このホテルのロビーには何冊か「読んでください」とばかりに本が置いてある。普通そうした本は、観光案内とか漫画なのだが、ここにあるのは

「ガロアと方程式」

「ファインマン物理学」

「自己生成系について」

「Word Perfect 6.0J Manual」

「思考のアルゴリズム」

となんとも言えぬ怪しさに満ちている。そして私の頭の中ではすっかりこの蔵書はあの男の持ち物に違いない、ということになっているのである。

部屋に荷物を置くと外に出る。ぶらぶら歩いてみるが雨が降っているからあまり動く気にもなれない。ではご飯でも食べようかと思うが、これがなかなか見つからない。いつも思うことだが、外食産業というのは、ある程度人口が増え、おうちじゃなくて外でご飯を食べよう、という人の数が増えないと成立しないものだと思う。一軒ハングルで看板を出しているところに入ろうかと思ったのだが、営業中かどうかもわからないから止めておいた。

そこからしばらく歩いたがいいところは見つからない。出発前父に「対馬で何がよかった?」と聞いたところ「鯛の刺身定食がうまかった」という答えが返ってきたくらいだから、何かあるとは思うのだが。

そのうち一軒の喫茶店らしき店が目に入った。扉にはってあるメニューを観るとおざなりな「カレー・スパゲッティ・ピラフ」というのとはひと味違うことにきがつく。それとともに

「五名以上の場合は必ず予約をお願いします。予約がない場合にはお断りすることもあります」

と張り紙があり、その下にそれこそとってつけたように別の紙で

「1ー2名様はお気軽にご利用ください」

と張ってある。なんだかわからんが面白そうだ。ここに入ってみよう。

中にはいると落ち着いた感じのレストランである。ポークスペアリブの煮込みという「冬季限定」メニューがあったので「これできますか?」と聞くとできるという。注文するとトイレに行く。するとそこら中に張り紙があることに気がつく。「五名以上は要予約」が何枚も張られ、「団体の場合は注文をまとめてください」から、トイレの水の流し方まで、とにかくたくさんある。よほどうるさいオーナーのようだが味はどうだろうか。

と思って出てきたものとを観れば、豚のリブを煮込んだものに、なぜか野菜の小さな天ぷらがいくつか添えられている。箸を付けると実においしい。ああ、これが毎日とは言わないまでも時々食べられたらなあ。いくらなんでもこれを食べるためだけに対馬には来られないしなあ。そんなことを考えながら食べ終わる。その日はそれで寝てしまった。

翌日朝食を食べ終わるとさっそく出発である。正直言えば対馬にはあまり観るところがないようにも思える。二時の船に乗るつもりだから観ることができるのは半日。すると島の上半分はあきらめねばなるまい。壱岐のペンションおじさんの言葉によれば、一番北に行くだけで三時間かかるということだから。

くねくねした山道をひたすら進んでいく。道幅は狭く、時々現れる対向車に注意しなければならない。後ろから「さっさと行け」とばかりに距離を詰めてくる車にも気をつけなければならない。私は注意力は散漫だが恐がりなのであまりスピードをださない。結果として気がつくと後ろで車がいらいらいしてる。少し広い場所に出るとさっさと道を譲るが、抜かしていった車が視界から消え去るのの早いこと早いこと。彼らと彼女たちにとってはなじみの道なのだろうが、私にはあれほどの速度ではとても運転できない。

山道というのはくねっているから、たくさんハンドルをきって長い間運転してもなかなか前に進まないのが困りものである。ああ、今日は昼までには戻らねば成らぬというのに、こんなことで大丈夫だろうかと不安になったところで道が開けた。どうやら平野にでたようである。そこからしばらく走るとあっさり元寇の役古戦場についた。

小さな神社があり、いくつか看板が立っている。かなり古い物が多いことに気がつく。思うに大戦中はそれこそ本土防衛の先例として重視されたのかもしれない。仮名と漢字まじりで書かれた看板には、元軍の残虐行為についてあれこれ書かれている。それを読みながらやはり対馬に100騎ばかりを配備してどうしようというのだ、と考え出す。対馬、壱岐は国境の島であるがためになんという被害を被ったのだ。いや、そうした事が起こったのがここだけであるはずがない。こうした看板は世界中の「国境」にいくつあるのだろう。

しばし考えていたが、やたらと風が強く寒い。とにかく車の中にはいる。風邪をひいてはどうしようもない。先を急ぎたい気持ちはあるが、少し反対側に車を走らせる。対馬特有の石屋根の小屋を見に行こうと思う。するとそのうち「石屋根のそば屋」とかいうところがあった。そば屋の前にある小屋の屋根に石が乗っている。写真を撮る。石だ。屋根だ。それがどうした、と思うと再び車を走らせる。

再び山道をくねくねと走る。次の目的地は人工的に掘られて対馬を北と南に分けている水路の上にかかった橋である。対馬を南北に走っている国道382号にでるとほっと一息。これですぐつくだろう。

走らせることしばし。そのうち厳原という文字が見えてきた。ちょっとまて。これは船でついた場所の地名ではないか。そこから更に数分走って私は理解した。さっき382号に出たところで私は左に曲がるべきだったのに、右に曲がり、そして今日出発した地点に戻りつつあるのだ。ええい、またもや時間をロスしてしまったぁと思いながらUターンする。

さて、元きた道を戻ることしばらくそのうちいかにも立派な赤い橋が見えた。なんだか看板もでている。そうだ、ここに違いない、と思い道路を降りる。なにやら「なんとかの碑」とかいう看板があるからそちらに走っていくのだが、道はだんだん細くなる。車で行けるところまで行ったが結局何も見つからない。もしやと思いレンタカー屋でもらった地図を観ると橋の形が全然違う。なんと、これは別の橋ではないか。

自分の愚かさを呪いながら引き返し、走ることしばらく。今度こそ正真正銘の万関橋である。今度はちゃんと駐車場もあり説明の看板もある。しかしここからでは水路がちゃんと見えないのがご愛敬。おまけに風が強くて寒い。早々に車に乗り込み更に北に向かう。

次の目的地は和多都美神社というところ。理由はよく知らないが海の中に鳥居が立っている。国道からはずれてまた細い道をくねくねと行くことしばらく、いきなり海の中になにやら見える。近づいてみるとまさしく神社である。

看板に書いてあることを信じれば、大変由緒ある神社だそうな。しかし道路が整備された今日でもこれだけくねくね山道を通らなければこられない場所に、昔誰が来たというのだろう。父の文章に書いてあることを信じれば

「山国の島、対馬では、第二次大戦後まで、近代的な道は、僅かに厳原と雉知との間、約10kmにあっただけで、もっぱら河床を通路に使っていたのだそうです」

ということなのだが。小さな泥のエリアがあり、そこに筋がたくさんはいった岩がある。そこになにやら飾りがついているから、とにかく祭られているらしい。日本の神様は鷹揚だから割れた岩にでも何にでも宿る。

再び車に乗り込むと厳原に戻る。最後に歴史民族資料館なるところで勉強をしようと思う。入ろうとすると「入館は無料」と書いてある。では勝手に入って良いかと思うと

「受付はしてくれ」

と呼び止められる。名前を書いている間に係りの人が展示室の電灯をつけてまわる。つまり普段は電気すらつけていないのだ。

小さな展示室が二つほど。たったこれだけ、と思うが2階にあがる廊下には「展示は1階だけです」とちゃんと張り紙がしてある。つまり何もないのである。もらったパンフレットを観るとなにやら面白そうなものがあれこれ掲載されているのだが、私がとんでもなく間抜けな見方をしたのだろうか。それとも掲載されているだけでここにはないのだろうか。謎は深まるがとにかく私はここで何も観なかった。

お城の跡を通りながら車に戻ると対馬観光はおしまい。おっとその前にお昼を食べなくては、ということでしばらく歩き回ったが結局昨日晩飯を食べたのと同じ店にいった。あいかわらず(一日しかたっていないからあたりまえだが)張り紙が多い。ご飯はおいしい。

レンタカーを返し港に送ってもらう時に少し話をした。韓国から来る人は多いですかと聞く。ありとあらゆる標識だの説明文は日本語、ハングル両方で表記されているのだ。ずいぶんたくさんくると答えが返ってくる。なんでも島が土地を無料で貸して、韓国資本で韓国人向けホテルを建てるのだそうな。運転手さん曰く

「車もそうだけど、部屋も韓国人が使った後はにおいが残って大変だ」

ということ。あれ、Stanfordにいたとき韓国人のおうちで何度も焼き肉をごちそうになったけど、別ににおいは気にならなかったがなあ、と思ったが黙っていた。部屋はともかく車については彼の意見を尊重するべきである。これはあの美味なキムチのせいであろうか。キムチおいしいもんなあ。多少レンタカー屋さんにいやな顔されたとしても私だって食べたいもんなあ。

話は次に「もうかってまっか」に移る。壱岐でも言われたがゴールデンウィークは後半が繁盛するのこと。もっとも一年で一番繁盛するのはお盆なのだそうだ。皆が帰ってくるのだが、自分の車を持ってくるのは大変だし金もかかる。レンタカーを借りた方がやすい、ということで車がたりなくなるほどだそう。

レンタカー屋さんは更に「対馬は一泊二日がいいとこでしょう。観るとこないし」という。私はただ笑う。フェリー付き場についたので礼をいって降りる。

帰りは高速船だから博多まで2時間。例によってぐうぐう寝ていたのだが、私の安らかな眠りを妨げる物があった。船内ではずっとTVの衛星放送を流しており、船室のいたるところにあるスピーカーから音が流れてくる。モニターが遠くよく見えないような後部の座席では見づらいのを補うためかどうか知らないが音がやたらとよく聞こえる。その日その時間たまたま放映されていたのはなんという題名か知らないが

「中学生の女の子が妊娠してしまい、誰にも言えず苦悩する」

という大変私の苦手な内容のドラマだった。ドラマと名が付くものを観るたび思うのだが、なぜ皆人が困る話を好んで観るのだろうか。私には理解ができない。とても心配になるではないか。その昔ウルトラマンの後ろに怪獣が立っているのを観て、タンスの陰から

「後ろにいるぞ、後ろにいるぞ」

と教えていたような小心&心配性の私にはそうしたドラマを観させられることは拷問にも等しい。船内を放浪し、どこか音が聞こえないところはと思ったのだが、どこに行っても大音量でTVが耳にはいるようになっている。あきらめてパソコンで音楽を流しイヤホンで聴くこととした。ああ、これでようやく平和な世界が戻ってくる。

そんなことを考えているうちいつしか眠りにおち、目が覚めればもう博多に着いている。さて、ここからまた長い名古屋までの道のりだ。

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注釈