題名:黒鍵白鍵

 

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日付:1998/8/1

最初の宴会

2度目の宴会まで

2度目の宴会


2度目の宴会まで

さて2月の24日、私はbunとNRTと一緒に会社帰りにご飯を食べて大騒ぎしたのである。そしてピアノの先生からの小包を受け取った。中身は予想通りチョコレートだった。ありがたやありがたや。これで1998年度も「完封負け」はなんとか逃れたわけである。

そしてその日の昼に私は「その会社」に電話をしてお断りをした。相手は「何をするんですか?」と聞いた。おそらく「何故うちにこない?」と心外だったのだろう。私は「地元でソフトウェアの仕事をします」と答えた。こうは答えた物の私は結構自分が愚かなことを判断をしたことを感じていた。基本的には「さっぱりした」と考えているのだが、突発的に「なんという馬鹿なことをしあんだろう」という恐怖心がおそってくる。そしてこういうときに友達達とわーわー騒げるというのはとてもありがたいことなのだ。

さて数日後MTIからもメールが来て、先日のピアノの先生宴会のリターンマッチ出席の打診があった。そのメールには「先生方が大変乗り気だ」と書いてあった。私はちょっとその文面を読んで妙な心配をしだした。合コンでもなんでもリターンマッチがあるいというのは基本的に両方がそこそこ楽しんだということを表しているのだから大変めでたいことではある。しかしながらあまり再会に気合いを込め、期待をふくらませすぎると大抵の場合ろくな事にならないのである。そこで私はこう書いた。

「2回目は一回目ほどおもしろくないことが多いけどね。。まあ喜んで参加させてもらいます。君の渡英祝いも兼ねた楽しい宴会としたいものだ。」

 

「2度目は1度目ほどおもしろくない」と自分で書いておきながら、私はこの宴会を結構楽しみにしていたのである。ピアノの先生方もさることながら、他の生徒さん達は最低でも私と8つ以上年の差がある(もちろん私の方が上である)にもかかわらずちゃんとおしゃべりしてくれるありがたい人であった。おまけによくよく考えれば(考えなくても)私は失業者なのである。住所特定無職というやつだ。結構あやしげな肩書きなのであるがそんなことは気にせず彼女たちは楽しく話せる相手だ。そしてこの世の中で出会う女性は皆そういう人ばかりではない。

 

なんでこんな感慨に耽ることになったかといえばちゃんと理由はある。この一度目の宴会と2度目の宴会の間に、私は元いた職場の女性から合コン主催の依頼を受けることになった。なんでも彼女の職場の友達に、さる派遣会社から来ている女性がいる。年は31歳。そろそろいいお年頃なので相手を捜したいがなかなかこねがない。容貌は結構美人だということである。このメールを送ってきたつての女の子も結構な美人であるし、彼女がもう一人つれてこようとしていた女性もタイプは違うが美人である。私は合コンの参加者の容貌を事前に幹事から聞く場合に「女性が同性の容貌を表現する言葉を信じてはいけない」という信条を持っているが、そんなことを差し引いてもおそらくこの合コンの席はひかり輝くような光景になるかもしれない。

これだけ聞けば二つ返事で合コンにOKを出したいところだが、世の中そう簡単には進まない。「その女性」は「大変自己主張がはっきりできる人」でありこの合コンの出席者にはとても厳しい「参加条件」が付帯していたのである。bunに出したメールから引用しよう。

(ここから引用)

あるところから合コンの斡旋を頼まれていて、、これが相手が美人ばかり3人だということはわかっているのだが、問題は参加資格で。。。「こんな条件おるか!」と思えるような厳しい7条件をクリアしないといけないのだそうだ。「該当者おりません」で返答をしておいたけどね。。。世の中にはいろいろな人がいておもしろい。あまりおもしろいのでその条件を引用してあげよう。

条件:1,煙草をすわない。

2,身長173cm以上。

3,転勤がない。

4,31歳以上。

5,私立(東京地区の)できれば国立大学が望ましい。

6,かけごと(ギャンブル)する人はだめ。

7,扶養義務がないこと。

これが「最低条件」なんだと!

(引用ここまで)

どれもこれも見合いの条件としたら「まあそんなに贅沢言わないで一度合ってみたら」と言うような条件だが、合コン出席者の条件としては「なんじゃこりゃ」と言うに値する厳しい条件である。特に名古屋で合コンをやるのに「東京地区の国立大学卒」を条件にだしてくるとは全くいい度胸だ。

このメールに対しbunは

「私の後輩に”参加条件がないのが条件だ”と言っているやつがいる、と喧嘩をうってやってください」

と返答してきた。さすがはbunだ。この合コンが流れたのは幸いというべきだろう。もっともこちらも最初からOKする気もなかったのだが、もし何かの間違いで開催されていたら、待ち合わせ場所から一触即発の緊迫感ただだよう合コンになっていたかもしれない。

そして今回の女性達はこのような「すばらしい自己主張」をする人達でないことだけは間違いない。

 

さてこの宴会の予定は当初3/22の日曜日であったが、その後21日の土曜日に変更になった。勤めている間は日曜日の夜の宴会は「翌日つらい」という理由から嫌いだった私だが今となってはそんなことはどうでもよろしい。だから土曜日に変わっても「ふーん」と思っただけだった。しかしその変更理由というのがふるっている

「なんでも看護婦の方が日曜日は夜勤で参加できないからだそうです」

男性が「看護婦」という言葉に抱く幻想というのはなかなか興味深いものがある。理由は知らないが私もその偏見を共有している。冷静に過去を振り返れば今まで看護婦さんと合コンをやったのは2回あり(といっても同一の相手と2回やったのであるが)そのどれもが「55点」のような合コンだった。その他に別の看護婦さん達とBBQに行ったことがあり、これは100点満点に楽しかった(とは言ってもその後に何もおこらなかったのだが)

従って過去の例から推算すれば期待値はあまり高くない。しかし「幻想」とは合理とは別のところに存在しているから「幻想」というのであり、その前では冷静な分析など何の意味ももたないのである。私は「うーん。楽しみ楽しみ」と返事をした。

さてこのとき待ち合わせ時間は午後6時ということだった。その一週間後にはMTIからメールが来て「午後6時半に変更」ということになった。その3日後にはまたメールがきて「これが最終。待ち合わせ時間は午後6時15分」ということになった。

こうした細かい待ち合わせ時間の調整が何を意味するか?当時私は何も考えなかった。「ああ。結構細かく時間を設定するわけね」と思っただけだった。しかしながら私にもう少し脳味噌があったならば、このときの頻繁な時間変更から何かを学ぶことができたはずなのであった。私がそのことを省みてへそをかむような思いをしたのはそれから約4ヶ月後のことになる。

 

さてそんな先の話は忘れてとりあえず私とbunには片づけなくてはいけない問題が存在していた。3月の21日に宴会が催されるということは、日程からして我々は当然「ホワイトデーのお返し」を持って参上するのが適当だと思われる、ということだ。

この「ホワイトデー」なるあやしげな日がいつ頃から世の中に出てきたかは定かではない。私が生まれて初めてチョコレートをもらったのは中学校2年の時だが(実はもらえたのは2月15日であって、2月14日にはやっぱりがっくりと肩を落として家路についたのだが)チョコレートについていた手紙にはこうあった。

「私のこと嫌いじゃなかったら、ホワイトデー忘れないでね。 注:ホワイトデーとは3月14日に男の子から女の子にキャンディーやマシュマロを贈る日のこと」

この「嫌いじゃなかったら」というのが実に(本人が意識しているかどうかは別として)狡猾な交渉の仕方である、と当時気が付いたかどうか覚えていない。ある相手に対して「特になんとも思ってないからつきあえない」というのと「あんたのこと嫌いだからつきあわない」の間には深くて長い溝があるのである。(少なくとも私にとっては)しかし当時の私は「ああ。バレンタインのチョコレートというのは漫画の中にだけ存在している物だと思っていたら、本当に自分に降ってきた」と頭が沸騰状態になっていたのである。

さてそんな沸騰状態の話はどうでもよろしい。少なくとも当時-1977年-は「ホワイトデー」という言葉に注釈をつける必要があったのだ。(あるいは相手が「この阿呆はあまりにも世事に疎そうだから心配だ」と思ったせいかもしれないが)

さてそれから数年。2月の14日と3月の14日を巡る情勢は少なくとも私の周りでは大きく変化した。まず2月の14日にチョコレートを上げる、ということは当初非常に重々しい意味を持っていたのだが、誰かが「義理チョコ」なるものを発明したおかげでその意味は一気に軽くなった。そしておそらくはチョコレート業界の業績アップにも多いに貢献したのではないだろうか。

もう一つは私が就職して、少なくとも数人の女性と日常的に顔を合わせるようになったことだ。なんでこんなことが「大きな変化」かと言うと私の出身は工学部であり、女性は極めて少なかったこと。また入ったサークルは空手部であり、女性の影も形もないような環境であったのだ。こうした環境にすんでいた私にはバレンタインデーだのチョコレートだの、ましてやその先にあるホワイトデーだのは遙か彼方に存在してるものだったのである。

しかしながら世の中は変わった。大学生のころ、そこら中にでているチョコレートのワゴンに群がる女性を見て

「ああ。あの大量のチョコレートはどこへいくのだろうか?どう見ても一人一個以上購入している。日本人の男性が女性より多少多いことを差し引いても、比率からすれば私に一個くらい回ってきてもいいような気がする。しかし現実にはまわってこない。これはどこかにチョコレートを独占している独占資本がいるからだ。私はチョコレートに関しては共産主義の導入を提案するー!」

などとくだらないことを考えてめらめらと意味のない憤怒の炎を燃やしていた私にも、会社にいて、そこそこ平和な顔をくらしていれば必ずチョコレートの一つや二つはまわってくるようになったのである。

さて、それとともにホワイトデーのお返しもまた一般的になってきた。当初は先ほどの手紙にもあったとおり「キャンデー」や「マシュマロ」が贈り物だったのが、そのうち何でもありになってきた。最近はパンテーだろうが香水だろうがその季節には「ホワイトデー用」というワゴンにならんでいる。そのうち「3倍返し」等というたわけた「常識」もささやかれるようになった。

そういえば米国にいるとき、バレンタインデーの前にラジオで「知ってるか?日本と韓国にはWhte Dayって言う日があるんだそうだ。その日には男性から女性にだけ贈り物をするんだってさ」と言っていたのを覚えている。考えてみればバレンタインデーだって別に確たる根拠があるわけではないのだが、ホワイトデーほど人造的な日も珍しいのではないか?元が人造的な日であるから「パンテーを送るのも有り」になろうが「3倍返しが常識」になろうが、なんでもありだ。

しかしそれがどうした。日頃からお世話になっている人に贈り物をする(義理チョコ)。それに対してきちんとお礼をする(ホワイトデー)という構図は日本古来の伝統にぴったりとマッチしたのである。そして時代が変わろうが若者の気質が変わったといわれようが、民族の根っこに染みついた伝統というのはちっとやそっとで変わる物ではない。

 

過去におけるチョコレートの最大獲得個数は10個であり(もちろん全部義理だ)この年にはホワイトデーのお返しを買いながらなんとなく自分の顔がにやけるのを押さえるのができなかったのを覚えている。バレンタインデーにもらうチョコレートの数に「人気のバロメータ」としての男の見栄がかかっているとすれば、当然のことながら購入「しなければならない」お返しの数にも男の見栄がかかるのである。なんだかんだと言っても人間見栄から逃れることはできない。当時の私の心境としては「さてこれでお返しは7つか。あと3つも買わなくちゃ。いやー困っちゃったなー」ってところであっただろうか。

さて今年の購入個数は一個だ。例年「お返しは上限500円」としていた私だが、一つともなれば金額もはずもうというものである。「この年になっていまさら」なんていいながら結構にやけた顔をして私は1000円くらいのキャンデーの類を購入した。

 

さてこれでめでたく準備は整った。あとは最後の仕上げ「精神統一をして全ての望みを捨てる」ことさえできれば完璧だ。「問題というのはすべからく期待と現実とのギャップである」というのは私の数多い信条の中の一つである。そこまでいわなくてもとにかく経験的に「めらめら」と燃えて望んだ合コンでろくな結果になったことがないことだけは確かだ。素敵な相手がくるか難敵が来るか、というのはこれは私がなんとしようが左右できることではない。しかし私の心持ち一つで相手に対する印象や、その会の楽しさがある程度変わることは事実なのだ。となればこの場合全ての望みを捨て去り、虚心で合コンに望むことが最良の方法であることがわかるだろう。私は楽しかった前回の思い出や、「看護婦」という言葉を頭から追い出すことに専念した。我を捨てきり無我の境地に至ることができればそれこそ私は「至人」と呼ばれるかもしれない。しかしそんなことが無理な事は分かっている。分かっていても似非だろうがはったりだろうがとにかく「何でもないんだよー。大して期待してないさー。あー疲れるなあ。早く帰りたい」と心に唱えて自分をだますことだけもしなくてはならない。

次の章


注釈

女性が同性の容貌を表現する言葉を信じてはいけない:(トピック一覧)特に危険なのが「とっても可愛い子なのよ」である。逆に「美人よ」はそう外れないような気がする。もっとも顔の評価などは主観の極みであり、なんとも個人差が多い物ではあるが。本文に戻る

 

自己主張がはっきりできる人:(トピック一覧)私が何故こんなトピックをつけたかというと、世の中「自己主張がはっきりできるのはいいことだ」という妙な強迫観念が流通しているようだからである。ちなみに私がこう書いたら、大抵の場合私は楽しい顔をして書いていない。本文に戻る

 

「55点」のような合コン:この相手と2回やった合コンのうち、一回目はMr.Aの独演会に延々とつきあわされる羽目になった。詳細はYZ姉妹3章を参照のこと。この文章にはさらっと書いてあるが、実はほとんど私は黙って座っているだけだったのである。実際誰かが独演会を始めそれが女の子に受けている際には他の男はそういう状態になる。このときは「なんなんだ」と思った私だったが2回目の合コンをしたときに、彼の態度は最善のものであったということに気が付いた。この相手は個人的にしゃべるといい子ばかりなのだが、何故か団体になると異様にノリが悪いのである。従って沈黙が訪れるのを避けようと思えば、自分から気違いのように騒ぎまくるしかない相手だったのである。本文に戻る

 

ホワイトデー:ところで何でこんな名前なんだろう?本文に戻る

 

パンテー:平成にはいってから一度ホワイトデー用にパンテーを買う羽目になったことがある。ある男の彼女が彼氏の友人達(つまり我々のことだ)にチョコレートをくれたのである。その彼女のお返しの要望というのが「パンテー」だった。彼女からチョコレートをもらったのは少なく見積もっても5人くらいいたはずなのに、何故私がパンテーを買いに行かされたのかは定かではない。とにかくどこかのスーパーの「ホワイトデー用パンテー」を下を向きながら買いに行ったことだけは確かだ。あれは誰もが一度くらいはしたほうがいいが、二度とはしたくない経験である。本文に戻る

 

問題というのはすべからく期待と現実とのギャップである:(トピック一覧)この考え方はだいたいの場合に正しいと今のところは思っている。本文に戻る