題名:映画評

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日付:2000/3/11

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リトル・ダンサー-Billy Eliot(2001/2/25)

ここだけの話だが、私は踊るのが大好きだ。いい年だろうが腹がでていようが関係ない。ストレス解消だの健康管理だのという言葉はどうでもいい。正直なところ、そう言われるとき私はちょっと心外な気持ちがする。私は歌うのと踊るのがただ好きなのだ。音楽を聴くとき何かがほとばしり出る気がする。like electricity. この映画を観て、何度もこのことを思い出した。

オスカーにノミネートもされた話題作なのだが小さな小さな映画館で上映されており、いつ行っても「次の回は売り切れ」。今日3度目のトライでようやく観ることができた。劇場を見回すと、おちついた感じの女性客が多い。若い女性だけでなく、母と娘でみに来ていたり、私の母くらいの年齢の女性達であるとか。

ニューカッスル。私でも聞いたことがある炭坑の街がストで揺れている。そして冷静に考えれば炭坑に未来はない。その街の少年がバレエにチャレンジし、そして街を出ていく。

書けばこれだけの筋だ。しかしその「ありふれたストーリー」を映画にしたてあげる力量は見事としかいいようがない。特に心に残るのは登場人物の間に流れるさりげない愛、おもいやりだ。少年に別れを告げるそれぞれのやり方。私はプロのダンサーになれたのよ、と何度も言っていた祖母はしっかりとだきしめ、そして突き放す。それまでずっと壁際にただ立っていた少女はGood byeと初めてしゃべる。彼の才能を見抜きレッスンしたバレエ教師の言葉はそっけないが、そのひとつひとつ、そして視線に愛情がこもっている。こうした愛情の描き方は同じ英国映画のNotting Hillを思い出させる。

そして最後のシーン。成長したBilly Eliotが踊るシーンはほんの数秒だが、それはバレエというものに全く知識も興味もない私をも思わずのけぞらせる。「踊るときどんな感じがする?」と聞かれて「体の中に炎が。何もかも消えて、そうElectricityのように」と答えた彼は見事なDancerになった。この映画の日本語の題名はLittle Dancerだが原題はBilly Eliot.これは一人の少年、人間とそれをとりまく人々の物語なのだと思う。こうした映画がアカデミー賞に3部門ノミネートされるのはうれしいことだ。

 

最後に余談。ロイヤル・バレエ団からの通知を受け取るBillyとその家族は何度でも頭の中で再生したくなるほど印象的だ。封筒を開けて通知を読むBillyの演技は絶妙で、はたして受かったのか落ちたのか観客にはわからない。しかし私は別の強迫観念に襲われていた。

私の経験によれば合否通知を郵便で受け取る場合、その郵便がうすっぺらいものであれば9割方不合格なのだ。合格した場合は次の段階への指示だなんだをする必要があるからどうしたって封筒は膨れる。不合格は「誠に残念ながら」でおわる。そしてこの映画で彼が受け取るのはぺらぺらの封筒。私だったらこの封筒を観たところで

「ああ。落ちたな」

と思い開封もしないのではなかろうか。Billyが通知を読んでいるところでは

そうだよな。不合格通知は何度読んでも不合格通知なんだよな」

と妙な事ばかり考えていたのだが。

 

Thirteen Days - 13デイズ(2000/12/31)

キューバ危機を描いたドラマ。正直言えばこの映画を観るまでキューバ危機というのは

「米国がひいた封鎖線の直前でソ連の船は引き返しました。人類は第3次世界大戦の恐怖から救われました。めでたしめでたし」

と思っていたのだが、その後にこんなドラマが展開されていたとは。

最近ベトナム戦争に関しての本を少しずつ読み始めている。であるからこの映画で登場するケネディを取り巻く人々、出来事については或程度予備知識がある。それが良かったのかもしれない。日本人のこの映画に関する評で

「セリフが多すぎた」

だの

「背景の理解がないのでおいつくのが大変だった」

というのをいくつか見たがそうしたことにわずらわされずに済んだから。

 

歴史の上でなされたいくつかの決断に大して後知恵で「良かった」だの「愚かだった」だの言うのは実に簡単なことだ。なぜなら我々は結末を知っているから。自分がその場にいて、その時と同じ情報しか得られなかった場合には、そして限られた時間の中で何ができたのか?と問いかけてみることは無益なことではない。この映画はその得難い体験をさせてくれる。

軍部というのは戦争をするのがお仕事だ。そして彼らの世界の論理で物事をすすめようとする。そしてこの時まだアメリカはベトナムを経験していない時代であったことを思い返す必要がある。そこで吐かれる言葉が今の日本の基準から見てどうか、などとは関係なく当時はああした言葉が吐かれるのが当然だったのだ。そして自軍の損害をできるだけ少なくしようと思えば、早期の先制攻撃にこだわるのは彼らの立場だけを考えれば確かに正しい。

そこで一人だけ「臆病者になろう」といって「交渉による事態の打開」を提案する国連大使。彼がその後大統領の命令でソ連の大使を国連の場でコテンパンに伸すところは観ている者にも痛快だし、ああした場面でユーモアを交えながら相手を追いつめるなどというのは並の人間にできることではない。

そうした様々な人間の色々な意見、「国民を守る」という義務。「戦場の兵士を無駄死にさせてはらなない」という義務。意図の見えない相手との言葉によらないやりとり。緊迫した映像に引き込まれると思わず自分がその場に居たら何ができるのか、と考え、ケネディの「最高権力者」としての義務・責任、それ故の苦悩が伝わってくるようだ。

今でならケネディの判断のすばらしさをたたえ、軍部の態度を非難することは簡単だ。しかし歴史が教えるところはそう単純ではない。フルシチョフがヒトラーだったら?ナチスドイツがラインラントに進駐したとき断固として反撃していればその後の悲劇は避けられたかもしれないのだ。チェンバレンはヒトラーに対し宥和政策を採り、後にそれは大間違いだったと解った。しかしヒトラーがフルシチョフだったら?

ロバートケネディとソ連大使の最後の会談の場面、おそらく戦争をなによりも恐れているのだろう、細かく震えているソ連大使館付きの女性。彼女からの"Who are you ?" という問いに"Friend"と答える。 戦争が回避され、日が昇る。そこで静かに外を見続ける主人公。その場面で私も涙を流していることに気がついた。しかし現実の歴史というのはそう簡単に白黒がつくものではない。

最後にケネディがスタッフの労をねぎらう。そこで発せられた二つのセリフを聞き逃してはならない。

「次の中間選挙はいただきた」

「この調子で、中近東、東南アジアでもやるぞ」

いかにその結果がすばらしくても党利党略、そして共産主義との対決、という構図が変わったわけではない。そして後に恐ろしい結果を招くことになった東南アジアでの共産主義との対決という幻想-ベトナム戦争の種がまかれたのはケネディ政権下においてだったのだ。

 

映画が終わった後もクレジットが流れる画面をじっと見つめて座っていた。こうした気分にさせてくれる映画も久しぶりだ。

 

Naked Gun 2 1/2-裸の銃を持つ男2 1/2(1991/?/?) 

私が愛する「徹底的に馬鹿馬鹿しいアメリカ映画」の一つ。観たのは米国での公開時だからかれこれ10年前である。従ってセリフの細かいところは聞き取れなかったし、米国の生活になじんでいないとわからないギャグ(たとえば、炎上するヒンデンブルグ号の写真の隣に大統領選で敗北したデュカキスの写真がならんでいるようなところ-今だったらさしずめゴアだろう-)は理解できなかったわけだが、それでも死ぬほど笑わせてもらった。

全部で3作つくられたNaked Gunシリーズの中では2作目のこれが一番面白いと思う。あとの2作は途中でテンポがだらけてしまったり、今ひとつのれなかったり。そう思うとこうした「徹底的な馬鹿馬鹿しさ」というのはこれはこれでなかなかの力業なのではなかろうか。

この映画で一番笑ったのはレスリー・ニールセンと殺し屋が洗面所で格闘する場面だ。殺し屋がニールセンの口に電動歯ブラシをつっこむ。ぶくぶくと泡を吹くニールセンが今度は反撃にでる。手にしたドライヤーから熱風をふきつけられた殺し屋は悲鳴をあげる。見て笑っている観客は気楽なものだが、こうした場面を書いて見ろ、と言われるとなかなかに大変なのではなかろうか。

その難しい「徹底的に馬鹿馬鹿しい映画」を作らせると今のところ米国の右にでる国はないのではないかと思っている。根が真面目な日本人はどうしても力む場面をいれてしまったり、あるいは逆に「馬鹿馬鹿しい」と「悪ふざけ」を混同してカスのような映画をつくってしまったり。従って私はこの映画には1800円を喜んで払おうと思うわけだ。

最後に余談を一つ。黒人警官役ででてくるO.J.シンプソンはなんだかとぼけたお兄さんだな、と思っていたが実は偉大なFootball Playerであったことを知ったのは映画を観てからしばらくたってである。そしてさらにしばらく立ってからあのような事件を起こすとは想像だにしていなかったが。

 

エリン・ブロコビッチ-Erin Brockovich(2000/7/9)

私はJulia Robertsを愛している。そしてこの映画が結構評判がいいことも知っていた。しかし何故か映画館に脚を運ぶのに2の脚を踏んでいた。

何故か?映画のコピーには「史上最高額の賠償金を勝ち取った女」と書いてある。そして彼女が子供が3人いる×2の女性であることも。となると映画にでてくる要素はなんだか予想がつくし、やたらと見たときに疲れそうではないか。

だから種々の理由により、この映画を観るため座席に座っているときもちょっと身構えていた。愛しのJulia Robertsがスクリーンに映っているのに。

それが消えたのは、彼女が法律事務所で職を得るために乗り込む場面からかもしれない。彼女は大見得のタンカを切る。「職がもらえるまでここを動かないわよ」と大声で誰にも聞こえるように。そしてその後相手にしか聞こえない小声で「後で解雇してもいいから。私に懇願させないで」と続けるのだ。

観ている間にこの映画が評判をとっているのは、「逆境にめげず戦う女」の姿を描いている、という(私が思いつくような平凡な)理由からではないのだなと思い出した。とかく肩に力が入るようなストーリーをうまく軽快に、しかし真面目に描いていく。ちょっとしたセリフや表情で思わず何度か吹き出した。これまでコメディ映画以外で声を立てて笑ったことなどなかったが。

私が一番気に入ったシーンは、大手の弁護士事務所に主人公と弁護士が大変な努力の末入手した重要な書類を「誕生日プレゼントよ」と言って届けにいく場面だ。大物弁護士、それに顔に"Lawyer"と書いてあるような女性は空いた口がふさがらないが、テーブルの端にいる黒人の弁護士は「にやっ」と笑う。

「信じられない」といった表情でどうやって入手したのか訊ねる弁護士に対してエリンが言うせりふ

「673(?)人フェラしまくったのよ」

で笑わずに居ることなどできようか。ここはしてやったりの場面でいくらでも気張ったセリフを入れることができる。しかし「フェラしまくり」と言ってのけるところがこの映画の妙味という奴だろう。

勝訴した、という事を伝えるのにも、ありきたりの「判事による判決の読み上げ」などはしない。それまで苦しんできた家族に主人公が支えてくれた彼と一緒に伝えにいく。こうした描き方も、この映画が何を描いたのかが、

「企業のたれ流す公害と、それに立ち向かう熱血弁護士」

などではなく、

「一人一人の生き様」

であることを物語っているようにも思える。

米国ではこうした裁判沙汰の映画は山ほどあるそうだし、TVでもごろごろしているが、さすがに「手慣れている」という感じがするし、それでなおかつ真面目に人間の姿を描ける手腕は見事だと思う。

 

アメリカン ビューティ-American Beauty(2000/7/7)

映画をみた直後、私は「ほう」と思った。アカデミー5部門受賞と聞いていた。そして「考えさせる映画だよ」と友達から聞いていた。なるほど。しかし「おお」と思うほどではなかったのだ。これは1080円くらいかな。

それから家にたどりつくまでの間、見たばかりの映画の事を考えていた。するとあれこれの事が頭にわいてとまらなくなった。American Beauty-なんと訳すべきなのだろう。アメリカ的な美しさ?それは皮肉を含んでいるのかそれとも本当にそう考えているのか。どちらともとれる気がする。失業、キャリア指向、軍人、麻薬、ティーンエイジャー、ストーカー的な行為、家族の崩壊、銃。それらは確かに含まれているが、それに対する陳腐な主張などは全くない。それぞれの登場人物の人生と行動。Kevin Spacyのすばらしい演技。今まで何度か彼の映画を観た気がするが、今回の演技のすばらしさは図抜けている気がする。

そして、彼の最後のセリフ"Someday you will"。その声はなんとも形容のしがたい静かさを持って語られる。こうしたセリフだけを聞いてぞっとしたのは久しぶりだ。

この映画のストーリーをどう書けばいいのだろう?たとえば映画の紹介文には「さえない中年男が、娘の友達に会ったところからなにかがはじけた」と書いてある。そしてそれはその通りなのだが、それだけがすべてではない。登場人物は多くはないが、それぞれのストーリーがそれぞれに流れていてかつ絡み合っている。隣接した二つの家族が崩壊していく、それも確かにそうなのだが映画からうける印象は「崩壊」というよりは淡々と「しかるべき方向」に進んでいくように思える。

こうした脚本が書けるということ。これは一種驚きである。もし私が映画の脚本を書くことを志していたとすれば、この映画をみてそれを断念していたかもしれない。

CNNの映画評を見ると「この映画は当初”これで興行収入があがるのか”懸念された」と書いてある。さもありなん。派手なシーン、わかりやすい見せ場があるわけではない。しかしこの映画がヒットし、かつアカデミーを5部門受賞する、というのは大変よろこばしいことだ。

またある友達は「この映画には色々なタイプの失敗した人がでてきて、見る人はどこかに自分の姿を重ねることになる」と言った。確かにそうしたみかたも出来るのかもしれない。しかし私は未だこの映画のシーンが頭に浮かび、それをどういう言葉で表せばいいのか考えあぐねているところなのだが。

 

サイダー・ハウス・ルール-The Cider House Rules(2000/7/2)

孤児院で育ち、そして自分の足で歩き始める男と、彼を取り巻く人間達の物語。

この映画に関しては、筋がどうとか書くことはすまい。とても静かな、真面目な映画で、特に作られた見せ場があるわけでも、もちろんCGなどがあるわけではない。しかし2時間あまりの間一心に画面を見つめてしまうのは何がそうさせるのか。

主人公の「ホーマー」は一風変わった演技を見せる。彼の発する言葉はどこかぼけたようであり、一度も声をあらげたりはしない。涙は流しても泣き叫んだりはしない。それは孤児という育ちがそうさせるのかもしれない。しかし彼の心の動きはスクリーンを通して伝わってくる。そして彼の育ての親とも言うべき医師の心も。(演技がすばらしい、ということだが)

孤児達のそれぞれの演技も心に残る。一番印象的だったのは主人公に恋する女の子だ。思い返してみれば彼女は最初の場面以外セリフをしゃべっていない。しかし主人公が孤児院を去るとき、そして再会するとき。セリフはなくととも彼女の声は聞こえるようだ。そして同じく運命に立ち向かわざるを得ないりんご園で働く人々の姿も。

この真面目な映画がアカデミーで7部門にノミネート(受賞は2部門)されるというのは喜ばしいことだ。「何だこれは」という映画をみるとため息をつくこともあるが、目をちゃんと見開けばこうした映画をつくり、そしてそれに拍手を送る人もたくさんいる。

よく邦画がつまらない言い訳として「制作費がたりない」とか「まともな企画が通らない」とか言われるが、この映画を観ていると日本で映画を作っている人間にたりないのは人間としての真面目さと深さではないか、と思えたりもするのだが。

 

ザ・ハリケーン-The Hurricane(2000/6/24)

無実の罪で三十年服役した黒人ボクサーが自由の身となるまでの物語。こう書くとたとえばこんな要素が思いつく。いわれのない罪をかぶせる人間、それをはらしていく過程、彼を助けようとする人たちとの心のふれあい、あるいは人種間の軋轢(主人公がある刑事につけまわされるが、それは詰まるところ黒人に対する偏見から生じているのだ)

そうした物は確かに描かれている。しかし映画から伝わってくるのは一人の人間が自分に降りかかってくる運命と闘う姿、それに彼と関わる人間達のそれぞれの戦いの姿だ。

彼の無罪を証明しようとする人たち。彼らは決して他人への同情や哀れみからそうしているのではない。(彼らによってブルックリンからカナダに連れてこられ大学をめざす少年、それに無実の罪を着せられたボクサーも他人から哀れみを受けるくらいであれば、それを決然と拒否するだけの自尊心を持っているのだ。)

やっていることは他人を助けることなのだが、その姿は彼ら自身の人生を戦っているように見える。

主人公が自由を勝ち取るまでの道のりは単調ではない。彼は何度か生き延びるために望むという事を捨てる。しかし戦う道が見えたときには妥協することはなく、闘志をもって自分の前に立ちはだかる物と戦う。

この映画の日本でのコピーは

「真実は負けるはずがない」

この映画を観た後ではなんと日本的な甘っちょろいコピーかと思う。天道是か非かと嘆いた司馬遷の言葉は古今東西、どこにでも当てはまるものだ。身を正しく律していても理不尽に命を奪われ、道徳のかけらももたない人間が天寿を全うするのがこの世の姿だ。

しかしだからといってその運命に立ち向かおうとする人の姿が人の心をゆさぶることにも変わりはない。

この映画はそうした人たちの姿を真面目に、ある意味余計な修飾などをつけずに正面から描いている。デンゼル・ワシントンの好演が数々の賞を勝ち取ったようだ。さもありなんと思う。再審を却下され、抜け殻のようになる姿、あるいはガウンを着て再び闘志を(憎しみではない)かきたてる姿、これらを彼は見事に演じている。そして彼と出会う少年の演技もまたすばらしい。

彼ら二人の会話のシーンでは思わずスクリーンに釘付けになっている自分に気がつく。こうした感じを思い出させてくれる映画はひさしぶりという気がする。

 

Independence Day-インディペンデンスデイ(1999/?/?)

 この映画は今まで2度ほどみているが、両方とも飛行機の上で観た。従って映画館で上映されたものとは多少違うバージョンなのかもしれないが、まあそれが大きく影響するような映画とも思えない。

凶悪な宇宙人の襲来に人類存亡の危機が。それにたちむかう人類の先頭にたつのは米国大統領。

映画の筋は単純明快。オタク的につっこむポイントはいくらでも見つかるが私はこの映画が好きである。単純明快もここまで徹底すれば見事と思うからだ。

またいくつかのシーンが頭に残っているのも事実である。何度もNASAの宇宙飛行士に応募するが不合格になるパイロットが異星人の乗り物を操縦して始めて大気圏を越えるところ。眼前に広がる星の海を観ての彼のセリフは印象的だ。

また機体もろとも敵につっこむのは日本人の専売特許かと思っていたが、最後に敵の宇宙船を破壊するのは、カミカゼアタックなのだ。これにも少し驚いた。ここでつっこむのが飲んだくれオヤジで、大統領がつっこまないところが米国流といえば米国流か。

異星人の攻撃により妻を失った米国大統領は最後の出撃を前にかきあつめたパイロット(彼もその一人だが。彼は以前パイロットだったのだ)に訓辞をする。

"We are going to survive. July 4th is no longer Amrican holiday. Then we can celebrate new meaning of the Independence Day"(かなりうろ覚えだが)

この映画が制作されたときの現実の大統領Clintonは徴兵を忌避したと騒がれ、妻をほっぽらかして、研修生とInappropriate relationshipをお楽しみだった。この映画にでてくる大統領を比べると「いくら映画と現実とはいえ、ここまで違って良いものか」とも思う。しかしつまるところ米国人の心の中には、大統領というのはアメリカのリーダーであり、アメリカというのは自由を戦いによって勝ちとった国だ、というイメージが色濃くあるのではないか、と考えたりする。

「敵」がここまで凶悪でかつ人間でなければ、戦うのに何の躊躇も要らない。しかし現実に地球上で起こっている戦いはいくら大義名分を叫んだところで人間同士の殺し合いであるところが恐ろしいところなのだが、まあそんなことは映画を観ている間だけは頭にうかばない。虚構の世界をここまで開き直ってみせてくれればそれは見事な芸、というやつだ。

 

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注釈

 

天道是か非か:史記(参考文献参照)の中の言葉。本文に戻る 

カスのような映画:日本映画ではないが、米国が作ったカスのようなコメディ映画が「最終絶叫計画」である。本文に戻る