日付:2007/7/4
1800 円- Part8
ダークナイト - The Dark Knight(2008/8/30)
バットマン ビギンスと 主演はともかく監督が同じだ、というのが信じがたい。
グロイシーンは意図的にカットされているように思う。しかし何が起こっているかはちゃんと伝えられているし、そもそもこの映 画が目指 した「恐ろしさ」とはそんな次元のものではない。(シャマランはこの映画を100万遍見直して、反省するように)観ているうちに気がつく。 悪も善も人間の一部であり、どちらかだけがなくなることはあり得ない事を。そして自分がなんとなく寄りかかって日常を過ごしている「善というものの安心感」が足下か ら崩れるような気がしてくるのだ。
ジョーカーという悪役をやっつければ、ゴッサムシティに平和が訪れました、という単純な話ではもちろんない。「狂犬」ジョーカーは周囲の人間から狂気を引き出していく。私はここで「狂気」と書いたが、それはもちろん善男善女たちの一側面でもある。ジョー カーはただの触媒であり、結局人間とは恐ろしいものではないか。そんなことを考えだす。ミ ストを観たとき感じた恐怖に似ている。舞台となるゴッサムシティがこれまでのバットマンシリーズと異なり、普通の町に見える事も、 「絵空事ではない恐怖」を感じさせる一因だ。
いったんジョーカーが逮捕され平和に話が終わるやに思う。ああ、よかった。それにしてもなぜこの映画がそんなに評判なのか、 と思ったあたりから ジョーカーが巻き起こす狂気は加速していく。話の終わりが見えなくなり、加速していく狂気がどこでとどまるのか、誰をどう信じればよいの かわからなくなる。ジョーカーがしかけた壮大な「囚人のジレンマ」の決着の仕方はいかにもアメリカ映画(軽い意味ではないよ)とも思えるが、そ こでちょっとほっとしたのも確かだ。
前作に引き続きマイケル・ケインが執事を好演。ちょっと皮肉を利かせた演技がすばらしい。主役は前作と同一人物とは思えな い影のある演技。「光の騎士」たるべきアーロン・エッカートがこのメンバーの中ではちょっと薄く感じられる。この役柄がもっと迫力を持っていれば、、と思 わ ないでもない。今は亡きヒース・レジャーの演技はジャック・ニコルソンが演じたものとは次元の違うジョーカーを作り出した。薄っぺらで空っぽで純粋な狂 気。ジョーカーは金を儲けたいわけでもバットマンを目の敵にしている訳でもない。犯罪そのものが彼の目的なのだ。こんな見事な演技をして しまうと、、やはり寿命が縮んだか。
後から考えれば、機能していなかった役もいくつかある。(香港のマフィアとかね)エンディングも台詞で説明 はいかがなものか、と理屈では考えられるのだが、ジョーカーがかもしだす狂気の前にはそんなことは些細なことのように思える。
とかなんとかいいながら、最後に映し出される英語の題名を観るまで
Dark Night(暗い夜)
という題名だと思っていたのは内緒だ。いや、だって夜のシーン多いし、演説の中でも「夜明け前が一番暗い」とかそんな台詞あった し。
「暗い夜」ではなく「暗闇の騎士」は、自らを暗闇に置き、民を導くための幻想を維持することを選択する。非理法権天の世の中にあって、「正義は勝つ」という幻想を説き続けるのは社会を維持するための知恵なのかもしれん、とかそんなことを考える。バンテージ・ポイント - Vantage Point (2008/3/8)
久しぶりに「プロが作った面白い映画」を観た気がする。スクリーンから「CGM?(ユーザが作った作品)ちょっとプロの技を見せてやろうか?」という声が 聞こえてくるかのようだ。テ ロ対策の国際会議がスペインで主催される。そこで演説をしようとした米国大統領が何者かに狙撃される。そのシーンが5回巻き戻され、5つの異なる視点から 描き出される。少しずつ謎と物語を解き明かしながら。最初の目撃者は以前身を挺して大統領を救った事のあるシークレットサービス。2番目がスペインの警 官。ああ、こいつが馬鹿だったのだ。これだからラテン民族は、とか思っているうちに話は少しずつのびながら複雑さを増して行く。
一人の登場人物も無駄ではなく、そしてちらばったかに見えたストーリーは最後見事に一点に再集約する。そこにいたるまでの間「これ は本当にバッドエンドの映画ではないか」と思えるほどの巧妙な策略があり、そして手に汗握るカーチェイスがある。
私 は映画の中の「カーチェイス」というものにほとんど価値を見いださない人間だ。車を何台スクラップにしたからといってそれがどうだというのだ。しかしこの 映画のそれでは鼓動が早くなり文字通り手に汗握る。それは疾走する車の迫力故だけではない。「この先話はどうなるのだ」と先を見たいという気持ち、期待の 高まり故である。
そして最後ちゃんと話がまとまるとき、笑顔だったのは元々銃を持っていなかった人たち(+1)だったというのも話として ちゃんとできている。というか途中に普通の人間のエピソードを盛り込み、それをちゃんと話の中で昇華させている。お見事としかいいようがない。90分 の引き締まった時間の間観客は常に考え、手に汗握り続ける。
映画を見終わった後予告編を観れば「誰かが嘘をついている」とか言っている が、、まあこの映画の面白さを短い予告編に詰め込むためにはそういう「予告編用の嘘」も止む終えないかな。しかしこの映画は「さて、嘘つきはだれだったで しょう」というありきたりな謎解きでは決してない。安堵の吐息をつけるのは映画が終わった瞬間だけだ。参りました。
エロもグロも必要最小限。というわけで万人に勧めたい映画ではあるが、「えー?どうなったのー?わかんなーい」と連発しそうな相手 とはいかない方がよいと思 う。
ルイスと未来泥棒-Meet the Robinsons(2008/1/12)
本来ならこの映画は1080円だがこの値段を付けるには理由がある。
実は予告編を観たとき
「ああ、またディズニーが駄目アニメを作った」
と思っていた。チキン・リトルで 懲りていたから観るつもりは無かったのだ。
しかしあるところで、ジョン・ラセターが来てから6割近く作り直した、という話を読む。考えてみれば今やピクサーはディズニーなの だ。であれば少しは期待が持てるか、ということで見に行った。
キャラクターの設定自体は確かに駄目ディズニーのそれだった。しかし話が進むにつれ、まぎれも無くピクサーの作品である事に気がつ く。発明に夢中でいつまでも養子の話がまとまらない主人公。そこに謎の少年と山高帽の悪役がやってくる。
この「山高帽の悪役」が実に情けない。これほど情けなく弱い悪役というのは久しぶりに観たような気がする。でもって少年と未来に 行ってすったもんだやったあげく、さてどうなるのでしょう。
映 画の後半、「何故山高帽はそんなに情けないのか」を含め、それまでまきちらかされた伏線が奇麗に拾われて行く。それよりもなによりもエクセントリックな登 場人物たち-Robinson家の面々-が皆生き生きと血の通った人間に見えるところがさすがだ。とはいえ作り直したのは6割だから今イチな点も残ってい る。映画の中盤ややだれたかな、と思ったのは事実だ。
では何故1800円をつけるか。私の頭がこの映画をみてグラグラ揺れたからだ。しかしそれは感動でも喜びでもない。変な発明をし続 ける主人公は理想的な環境を与えられ
「君には素晴らしい未来が待っている」
といわれ、そして実際に未来を変えて行く。Damn it.それは私がArmageddonに 1800円をつけたのと同じ理由かもしれない。
いや、この映画はArmageddonよりはるかに良い映画であることには違いない。Keep Moving Forward. Keep Moving Forward. その言葉を残したディズニーが、既得権益保護のため著作権の期間延長に努めているのは皮肉なことだ。いや、そればかりではない。自分たちでは新しいアニ メーションを作れないと率直に認め、外部の才能ある集団を取り込んだのは、過去にとらわれず未来に進み続ける一つの方法、と言えるかもしれない。
最初に書いておくが、この映画にこの値段を付けることを他の人に納得してもらおうと思ってはいない。しかし私が値段をつけるのであ れば、1800円以外はあり得ないのだ。
なぜなら
トラボルタが歌って踊っているからだ。若いものにはわかるまい。トラボルタと言えばちょっとだけでてくる海 兵隊のお偉いさんでもなければテ ロリストと戦うテロリストでもなければ、消 防署のお偉いさんでもなければ、ましてやあやしげな異星人でもない。70年代全開ファッションで 腰をふりまくり、土曜日の夜にはディスコというものに当時の若者を向かわせ、あるいは古き良き時代のAmerican High School Studentとして歌って踊りまくり、世界中の人に 「アメリカってなんだかかっこいいなあ」と思わせた男なのだ。
その男が歌って踊っているのですよ、もうあなた。私のような年代の人間にはそれだけで冷静な判断を失わせるというものでございま す。
とひとしきりわめいたところで少し冷静になろう。
有 名なミュージカルの映画化との事。というわけで冒頭から主人公-垂直方向に寸足らずで、水平方向に寸余り-が歌いまくる。50年代終わりのバルチモア。そ こでは人種差別が厳然として存在していた。そんな中「ローカルTVのショーにでたい」と思い込んだ女子高生があれやこれやと奮闘をするのだった。
こ こでただの「楽しい高校生生活」としないところが米国らしい。白人は私の目から見れば「昔風」の踊り方をし、黒人達は「かっこいい」踊り方をする。その頃 両者は同じフロアでしきりなしにおどることすら許されなかったのだ。たまにある黒人向けの日はニグロデーなのだ。(字幕では「ブラックデー」になっていた が)
と いう背景はあるが、「観ていて楽しい映画」を決して外してはいない。主人公のキャラクターも見事だと思うが、私からすると「ベテランの脇役陣」が大笑いさ せてくれる。主人公の「母親」はトラボルタだが、父親はクリストファー・ウォーケン。映画を見た後に知ったのだが、この人元々歌とダンスの方面の出身との こと。というわけで老骨にむち打って歌って踊ってくれる。トラボルタとの「歌って踊るラブシーン」は爆笑せずにはいられない代物だ。二人で見事にダンスし た後にキス するかと思えば。
こうした青春物に欠かせない「いやな奴」の母親が、元ミス・バルティモア&キャットウーマンことミッシェルファイファー。それな りに老けたがなかなかきれいである。彼女がウォーケンを陥れようと迫るシーンがあるのだが、そこでのウォーケンのボケ方がすばらしい。考えてみればこの二 人のシーンって「バットマン・リータンズ」でもあったではないか、などと思い出すと腹筋がさらにいたくなる。
と いうわけでトラボルタ抜きでもよい 映画だと思うのだが、惜しい点がいくつかある。肝心要の最後のシーンがちょっと間延びしてしまった。おまけに話の都合ということはわかるが、最後に大活躍 する黒人の女の 子の登場が唐突に過ぎる上に、あまりチャーミングに見えない。その直前、ハイヒールをはいたトラボルタの歌と踊りで溢れ出た涙が乾いてしまった、というの も本当のところだ。あと主人公の親友たる「ツインテールをほどいたら、あなた美人だったのね」の女の子もあまり機能していない。
というわけなので本来だったら1080円かもしれないが、なんたってお客さん。そりゃ1800円でしょう。その昔ビージーズの甲高 い声に、ビートに触れた人間であれば感涙せずにはいられない、、かな?
レミーのおいしいレストラン-RATATOUILLE (2007/7/29)
見終わった時つぶやく。「お見事」
Pixar の新作が作られるという。どんな話、と予告編を見れば(いつもの事ながら)今ひとつよくわからない。公開が近づくと予告編が長くなっていく。どうやら「天 才シェフのネズミ がなんとか料理 を作ろうとする」話らしい。登場人物はネズミと協力して料理を作る情けない男、そして意地悪そうな料理評論家等か。ってなわけで頭の中 でストーリーが組み立てられる。
さて、映画が始まる。すると(これもいつものことだが)ピクサーは作画、撮り方の面でも決して立ち止 まっていな かったことを知る。私は3D CGの技術などには全く興味のない人間だがその映像には圧倒される。特にレストランの厨房/ホールで主人公が逃げ回るところは圧巻。
意地悪なシェフの「探索」をなんとかかいくぐり素晴らしい料理を作り続けるネズミ/情けない男のペア。途中成功があったり、 お約束の挫折 があったり。いや、それが単なる「お約束の挫折」でないところがこの映画の素晴らしいところだ。ちょっとした誤解や行き違いから仲がこじれることは現実世 界でいつも起こっていることではないか。ついていけないような反則やら自己満足のダンスシーンが入る余地など全 くない。いわば一筆たりとも力を抜いて描かれていない名画を観ているかのようだ。ネズミの敵たる人間と協力して料理を作る、という息子にネズミの家族は問 う。
Where are you going ?
主人公は答える
With Luck. Forward.
夢 が必ず叶うなどとは考えてはいけない。しかし前に進むしかないのだ。伝説のシェフは「誰でもシェフになれる」という言葉を残す。しかしそうではないのだ。 「シェフはどこからでも出てくる可能性がある」が正しい。どこにいてもそれを言い訳にすることなく前に進むしか夢を実現する方法はないのだ。仮に「前に進 んだからと言って夢が実現できる保証などどこにもない」ことを知っていたとしても。この映画が描いているのは、夢のようなサクセスストーリーではない。サ クセスストーリーでも現実の世 界にいる人間-もちろん大人にも子供にも-の心に響くそれだ。
映画の後半。予想したとおりとはいいながら、意地悪なレストラン評論家に料理が出される。ここで評論家が感心すること ぐらい、予告編を観た人間なら誰でも知っている。しかしその描き方にはノックアウトされた。それは観ている私の脳裏にも昔の自分の姿をフラッシュバッ クさせる。その後、評論家が書くレビューには「本物」に出会った人間が余計な事を一切交えず、正面からその「本物」と向き合った言葉が並んでいる。評論と はあら探しではなく、本来こうしたものではなかったか、と小林秀雄の文を思い出しながら書いてみる。
かくして久しぶりにエンドロールの最後まで見終わってから席を立つ。後から考えれば「もう少し伏線が張ってあれば」と思う ところがないわけではない。しかしそれはあら探しにすぎない。この映画をみて「レストランにネズミがいていいのか」などという人間はいつまでも重箱の隅を 発掘していればよい。この映画は「名人、名刀をふるう」と形容すべき見事な作品だ と思う。
ダ イハード4.0 -Live free or die hard(2007/7/1)
世の中なんでも 2.0なので、第4作にも「.0」がつく。(何年かしてこれを読み返したとき自分でもわからなくなっているだろうが気にしない)。というわけで3部作では なく、久しぶりの新作である。思うにダイハードシリーズは水戸黄門のようなものではないかと思うのだ。
題 名のとおりブルース・ウィリスは絶対に死なない。猛スピードで疾走する車から飛び降りてもちょっとけがするだけですむ。悪役に自動小銃でばりばり撃たれて も弾は全部急所を外れる。そして最後に悪い奴らはやられる。それをこちらも知っているからこそ安心してはらはらどきどきできるわけだ。今回の敵は米国にサ イバー攻撃をかけてくる。映画の冒頭でリモートから何かソフトウェアをしかけてPCを使っているハッカー達を次々と爆死させていくシーンが映し出される。 意図したことがどうか知らないが、制作者はここで「この映画は虚構の産物だよーん」とウィンクして知らせているのではないかと思う。(ハードを破壊する ウィルスとというのは未だ見果てぬ夢の産物な のだ)というわけでこちらもリラックスして観ればよいわけだ。
でもって例によってウィリス君は運の悪い役回りから 「唯一生き残ったハッカー」を守りあっちに行ったりこっちにいったいする。途中「マイ」とかいう髪の毛の薄い アジア人がでてくる。日本人かと思えばアメリカ人とベトナム人のハーフなのだそうな。この「マイちゃん」とウィリスの格闘を観ているといらいらする。
「貴様らとどめを指す、という言葉を知らんのか」
と 思う。ここらへんがこの映画で一番だらけたところ。思 うにこのマイちゃんを全部削除し、あと30分短くしたら名画になったのではなかろうか。
しかしそこからまた話は面 白くなる。舞台はサイバーの世界(例によって映画特有の「コンピューターは 全部制御出来ます」だが)から現実の世界に移る。そこでFBIの副局長が自ら防弾チョッキをきてヘリにのる。この副局長、地味だが結構いい味を出し ていると思う。カーチェイスのあとには「ブルース・ウィリス対F-35(米軍の戦闘機)」の夢の対決。大笑いである。水戸黄門なのでなんでもありである。 そう思えば娘にもっと「見得を切る」ような 白々しいセリフを言わせてもよかったのでは、と思ったりする。悪役が「待っても父親は来ないよ」と言ったところで
"You don't konw my daddy"
とか。
か くの通り平和な映画なのだが、一瞬背筋が寒くなった。犯罪者達が全米を停電させるところをみてふと思う。これはエンロンがやったことではないか。あの事件 の原因がエンロンの人 為的操作とわかるまで長い時間がかかった。しかし映画ならそんな難しいことはおこらない。悪役は誰かわかっているし、時間がくればちゃんと結末がつく。そ んな映画であるから見方によっては「中身のないアクション映画」ともいえ、1080円にしようかとも思ったのだが、この値段にするには理由がある。
そ の1:なんといっても "Mac"(米国でMacintoshの宣伝に出ている人)が「良きハッカー」を演じているのだ。彼が窮地に陥るたび「がんばれMac」と心の中で声援を 送る。18年間Mac Userであるためにはこれくらいの理不尽な思い入れが必要なのだ。
その2:映画を観て いる時、見終わったとき、主人公に自分を重ねるような爽快な、冷静になって思い返すと少し恥ずかしい感覚がある。例えば(み たことないけど)高倉健のヤクザ映画とか、ブルースリーの映画とかをみた後とか。思わず「アチョー」と言ってみたくなる、そんな感覚を少しだけ思い出させ てくれた。こんな気分になったのは久しぶりだ。
というわけでちょっと甘めでも 1800円つけてみよう、という気になるわけだ