五郎の
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日付:2008/4/1
1800円|1080円|950
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世が世ならこの”トイ・ストーリー3”はもっと早く、もっとくだらない作品として世の中にでていたかもしれない。しかし今はこの作品をこの形で見ることができることを喜ぼう。
続編を作るのは難しいという。3作目を作るのはもっと難しかろう。しかし座席を立つとき私は
”お見事”
とつぶやいた。
かの米国においては、子供を大学にやる、ということは自分の元から手放す、と同義語だ。さて、かつてウッディ達と遊んだ少年-今や青年だ-は大学に行くため家を引き払う。彼はオモチャをどうするのか。
子供の頃一番の友達だったオモチャも、いつか振り向かなくなり捨ててしまうのがこの世の常。ではその運命に直面するオモチャ達はどうすればいいのか。保育園に行けば毎年新しい子供たちが入ってくる。つまりオモチャにとっては持ち主が年を取らないのと同じ。そこはユートピアなのか。いや、世の中そんな簡単な”幸せ話” は存在しない。
決して奇をてらったところはないが、脚本が見事に考えられている。後半、おもちゃたちが
”危険な状況を危機一髪で切り抜ける”
ハリウッド映画おなじみの場面がでてくる。しかしそうした”ありきたりなパターン”でさえもこの映画のテーマに沿った形で演出してくれる。笑える場面としては、バズが
”スペイン語モード”
になった途端、ラテンののりで女性をくどきまくるところか。あと隣に座った子供達は”トトロ!”と叫んでいたな。
なんだかんだとあった物語は、最後に美しく、少し寂しいが前向きなエンディングを迎える。しかしこの映画にでてくる青年は見事だ。ううむ。うちの子供もこんな風に育ってほしいぞ。子どもが喜び大人が思わず笑い、泣く作品。
この映画での”指揮の演技”は、とても見られたものではない。いや、なにも出演を重ねごとに成長する玉木宏に匹敵する出来を求めているわけではない。しかし竹中直人にも劣るというのはいかがなものか。
同じくバイオリンソロも、三木清良にはるかに及ばない。仁王立ちで弦だけ動かしてんじゃねえよ、というわけで両名は即刻特訓の上、該当部分を再撮影し、編集の上公開すること。というか、お願いします。そうしてください。
あと出だしの”演出”はいくらなんでもやり過ぎの気が。あんなに音ずれてたら、なんともならんでしょう。とはいっても言いたかったことを誰にもわかるように表現しようとしたらああするしかないか。。
さて、もう悪口はありませんね。
音楽とは単なる空気の振動ではなく、それが奏でられた背景と密接に結びついている社会的な存在である。これは私が某ソフトウェアのデモをする時必ず 使う枕詞である。もしこれが正しければ、この映画を観た人は、”チャイコフスキーのバイオリン協奏曲”を以前と同じように聞くことはないだろう。
セリフの半分以上はロシア語。ブレジネフ時代、ユダヤ人をオーケストラから排斥することに反対した指揮者は、今や清掃員として日々の暮らしを立てて いる。支配人の机を掃除していると、パリから出演依頼のFaxが。それを勝手に奪い取った元指揮者は、オーケストラのメンバーをかき集め、出演すべく奮闘を始める。
という筋書きから私のような人間が想像することはもれなく発生する。メンバーを、金を集める苦労。なんとかパリにたどり着けば、ユダヤ人のメンバはあっというまに現地に同化し、商売を始める。リハーサルはどうしてくれるのだ。
しかし最大の困難は全く思いもよらなかったところから訪れる。指揮者が指名したソリストは、イングロリアス・バスターズで有名となったメラニー・ロラン。彼女は自分の両親を知らない。彼女を指名されたわけとどんな関係があるのか。
そこからの展開は私のような単純頭の予想を簡単に裏切ってくれる。その謎解き、そしてだらだらしがちな
”その後の彼らと彼女たち”
を演奏に重ねたのは名アイディアだ。美しい旋律と共に流れるそれらの光景は観客の心を揺さぶらずにはいられない。バイオリン演奏の演技はお世辞にも 上手いとは言えないメラニー・ロランだが演奏中の目、そして演奏が終わった後の演技は見事だ。美人なだけではないということか。
その”美しいメロディ”の通奏低音として流れるのは、今なお混乱状態にあるロシアでたくましく生きていく市井の人々の姿。指揮者の奥さんは”サ クラ”を集めることで生計を立てているし、元KGBのマネージャーはマフィアが銃をぶっ放すパーティー会場で匍匐前進しながらスポンサーを口説く。彼の夢 は一つ。共産主義の復活。バスに金を持ち逃げされれば空港まで歩き、60人分のパスポートをその場でさっさと用意する。その姿は滑稽でたくましい。
かくして私は予想以上の満足感とともに映画館を後にする。家に帰るとさっそくバイオリン協奏曲を聴く。
見ながら考えていたのは
”もしジョージ・ルーカスに正気が少しでも残っていれば、この映画を見たあとでStar Warsを作ろうとは思わないだろう”
常日頃”映像表現が云々などはまともな話あってのこと”と主張している私だが、この映画には素直に驚いた。
予告編を見ればストーリーはほぼ把握出来る。ある惑星に鉱物資源が豊富に存在する。海兵隊+営利企業はその上に住む異星人を立ち退かせ ようとする。かくしてドンパチが始まるのであった。
”異星人”はNative Americanとも、無数に繰り返されてきた”土地を侵略された土人ども”とも受け取れる。したがってこうしたストーリーも何度となく映画化されたわけ だが、この映像はどうだろう。
ナウシカの影をいくつか挙げることもできるだろう。しかしこの25年の間、日本人が作ったの映像は牛歩の進み-しかも進んでいるのは宮 崎ひとり-だったのに対し、ハリウッドはここまで到達してしまった。
2 時間27分の間に、実写を少しでも用いた部分はどれだけあるのだろう。しかしいくつかのシーンを除いてそんなことを感じさせもしない。実写か否かに 関わらず思わず息を飲むようなシーンをいくつも展開してみせる。空を飛ぶ島、惑星に生きる異星人、動物たち、燃え落ちる巨大な樹。
主人公は下半身不随となった男。しかし自分の”アヴァター”とリンクしている間は惑星パンドラの大自然の中を自由に飛び回る。映画の途 中で
”どちらが現実かわからなくなってきた”
と主人公がつぶやく。見ている観客も多くはそう考えたのではなかろうか。
陳腐なストーリーにものすごいCGといえば、最近ではStar Wars 1-3.しかしそれがいかにも”つけたしました”というCGだったのに対し、この映画のそれは見たこともないレベル。サマー・ウォーズなど見て”映像表現が素晴らしい”などと言っている輩は豆腐の角に頭を打ち付けた上で冬の伊勢湾にダイブすればよいのではなかろうか。
この映画はこの後”新たなスタンダード”となるのだろうか。”面白い映画とは”ただそれだけをつきつめた結果がこの作品なのだと思う。
冒頭、フランスの農家にドイツの軍人が訪れる。にこやかで丁寧なJew Hunter.彼と農夫の会話はあくまでも静か。しかし柔かな言葉の裏にあるいやらしさ、恐ろしさ、緊張感に思わず前のめりになる。
おそらく多くの人の印象に残るのがこのランダ大佐だ。フランス語、ドイツ語、イタリア語、英語を自由に操り、粘着質の笑顔ですいすいと 泳ぎ続 ける。嫌悪感を通り越し強烈な存在を意識させられる。
さ て、ブラピはアメリカ軍の中尉。ナチを残虐な方法で殺す事だけを任務にしたユダヤ人部隊を率いる。1944年、彼らにある任務が課せられ る。ドイツの英雄を描いた映画のプレミア上映会。そこにナチの高官が集まる。彼らを映画館ごとの爆殺せよ、と。しかし彼らを殺そうとしているのはブラピ達 だ けではなかった。
ゲーリング、ゲッベルス、ボアマン、ヒトラーが一つの映画館に集まっている。戦争が終わるのは翌年だから暗殺計画は、、と私のような人 間は暗 黙裏にストーリを型にはめて考える。しかしタランティーノにはそんなことはどうでもいいことなのだ。そこからの展開に唖然とする私を尻目にブラピのテ ネシーなまり?の英語(米語か)が響き続ける。
現首相の”友愛”思想を賞賛するお子様はこの映画を見るべきではない。不愉快になるだけだと思うよ。2012でもみてな。
しかし
どんな分野に従事している人でも良い。”面白い”とはどういうことかを少しでもまじめに考えたことがある人はこの映画を見るべきだ。
この映画の登場人物達は”型通り”なんてことは勿論”一筋縄では行かない”をも通り越している。映画のお約束、あるいはお約束に対する 反抗、コメディ、史実への批判、主張、そんなものは”面白い”じゃない。タランティーノの”面白い”への追求はそんなところでは止まらない。キル・ビルの時も思ったが映画の”嘘”をさら け出し、使える物は何でも使いバラバラにしたあげく再構成。ヒトラーですらもこの映画では”一つの駒”でしかない。
しかし最後にはすべて脱ぎ去った
”面白い”
という感情だけが残る。凄い。
最後に関係ない話を一つ。今度ドイツ人にあったら
”3って指でどうやるの”
と聞いてみよう。