映画評

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1800 円-Part10 Part9へ | Part11へ


アメリカン・スナイパー - American Sniper(2015/3/20)

要約:Born in the USA

ロデオ競技に興じる兄弟。しかし「国を守らなくては」と兄は軍に志願することにする。厳しいSEALSの訓練を耐え抜き、バーで素敵な女性と出会い結婚式をしている途中イラク出征の命令が届く。

初陣は米軍に向かって爆発物を投げようとした子供と母親の狙撃。「仕事」を終え宿舎に帰っても気は晴れない。

そこからイラクで起こったことをここで繰り返す必要はないだろう。一つ一つの部屋をしらみつぶしに制圧していく海兵隊にとって彼はまさに守り神のような存在。クリス・カイルがカバーしていてくれるかぎり、不意打ちを食うことはない。米国にいるとき「あなたは私の命を救ってくれました」と知らない相手から感謝されるということもあったのだろう。しかしイラクで米軍と対峙する勢力にとっては悪魔。そして起こっていることは果てのない殺し合い。

薄められ、映画化されたものであっても戦場の光景は見ているものの心をも蝕んでいく。(おそらくこの映画を見た人は、みなドリルの音に反応するようになるだろう)元オリンピック選手の狙撃者との戦いや、銃弾に倒れた戦友のことを思うと帰国しても心はイラクに置いたまま。

そうした映像の力は同じイラクでの戦いを描いたハー ト・ロッカーとは比べ物にならない。最初に帰国したときは輸送機から降り家族の歓迎を受けた。最後に帰国したときは米国についたにもかかわらずまっすぐ家に帰ることもできない。私は戦場に行ったことはないが、彼の傷ついた心は画面から伝わってくる。

カイルがどうなったかは何かを読んで知っていた。はたしてこの映画はそこまでやるのか。そう思いつつ見続けると、PTSDから立ち直ったカイルが笑顔で妻と話している。そして「母親に頼まれて、元海兵隊員のケアに行ってくる」と。ああ、やはり。そこからの演出はイーストウッドならではの技が炸裂。無音のエンドロールの間観客はいろいろなことを考え、あるいは呆然とする。

米国の戦いは世界中で今日も続いている。そして賛否も含めこの映画はその一面を容赦なく映像化する。いつもながらその力量には感服の他ない。もし2月中にこの映画を見ていたら「ごんざれふ賞」の監督賞はイーストウッドも受賞だった。


きっと、星のせいじゃない。 - THE FAULT IN OUR STARS(2015/2/22)

要約:見事なストレートパンチ

予告編を見る。末期ガンの美しい少女がイケメンに出会い、「あたしは手榴弾。そのうち周りのものを吹っ飛ばすの」と言う。ああ、こういう「難病物」ってアメリカにもあるのね。誰がこんなもの見るのか。

しかしRotten Tomatoesをみると支持率が80%を超えている。これはどういうことか。ちょうど時間もよいし見てみるか。

劇場にいるのは若い女性の二人連れがほとんどで、たまに若いカップルが。私のような初老の男性が一人でみるものじゃあないよね。そう思ってみ始める。

難病患者のサポートグループにいけ、と母が言う。主人公は全く気が進まないが、両親のためと思いいくことにする。すると(食パンは咥えてないけど)イケメン少年とぶつかる。なんだこの古典的な出会いは。男のほうはガンで片足を失ったが今のところ再発の気配はない。

というわけでこの二人はゆるやかに付き合い始める。見終わって考えれば彼女が慎重だったのには理由があるのだな。手榴弾の近くによってはいけない。そして二人は感動した本の筆者に会うべく「最後の望みを叶える財団」にお願いする。

ここからの展開は書くまい。しかしこの著者を演じているのがウィレム・デフォーであるのは故のないことではない。そしてこれまた見終わって考えれば、彼がなぜあのような反応をしたのかが理解できる。映画の中で主人公二人も気がつくけどね。

見ている間何度も考える。未だかって死ななかった人間はいない。では彼らと私たちの違いはなんだというのか。考えれば考えるほどその違いはぼんやりとしてくる。そう考えれば心構えは同じであるべきではなかろうか。美化するわけでなく、絶望に酔う製作者の人形にならず、しっかりと登場人物は生きる。

そしておそらく劇場にいた多くの観客とは違い、私はどちらかといえば彼らの両親の気持ちを考えるのだ。4人(二人の主人公の両親ね)の気持ちを思うとき様々な考えが頭をよぎる。

つまりこれは予告編から私のような人間が想像するような型通りの薄っぺらい話ではない。いろいろな立場の人間からの鑑賞に耐えうる全く「予想外」の傑作。これだけ「ありきたりな設定」からなんのギミックもない見事なストレートパンチを食ったような気持ちにしてもらえた。


ベイマックス - BIG HERO 6(2014/12/29)

要約:映画で悔し涙を流したのは2度目

舞台はTokyoの要素をちりばめたSan Fransisco.ゴールデンゲートブリッジがどこか鳥居風になっているのが面白い。というかこの「東京風味のSan Fransisco」だけでも十分金を取れる芸になっている。

違法のロボットファイトにしか情熱を感じない弟を、兄は「忘れ物があるから」と自分の研究室に連れていく。そこで繰り広げられているのは、変人達のいろいろな研究にそれをまとめる教授。これはまさに米国有名大学の映画向けアレンジであり、この映画そのものが米国大学のプロパガンダとも言える。もちろんマイクロロボットの研究は現状この映画からはるか遠いところにあるのだが、悔しければ作ってみろ、と言われているように感じる。この映画を見れば、その国でトップの学生は米国の大学を目指すだろう。だって知的に楽しそうだもん。

日本の大学を舞台に映画を作れば、せいぜいが「国際ロボットコンテストに挑む落ちこぼれオタクチーム」の物語になるのだろう。なぜかイケメン(オタクメイク)がおり、場違いな女性がおり、誰かが「お前に俺の気持ちがわかるか!」と怒鳴り、雨の中弱々しい殴り合いがあり、大逆転で勝利の涙を流す。そんな映画以外が出てくる気もしない。そこにあるのは「勝手に作った枠へのハマり度合い」を競う矮小な姿であり、この映画が見せた「想像の力」「観客を尊敬し、楽しませる努力」と比べるのも失礼なほどだ。

冬休みということもあり、劇場には子供たちもいっぱいいる。経験から、子供達が笑うポイントというのは大人のそれとずれていると知っているが、子供たちもきっちり笑わせてくれる。それと同時に大人の鑑賞にも十分耐えうる。

あれほど低迷を極めていたディズニーはPixarを買収、分解、吸収することにより見事な復活を遂げた。何一つ奇をてらったところがない横綱の相撲で、見事に観客をノックアウト。これとは全く違う作り方、結果を見せていた唯一「日本製」と誇ることができたのがかつてのジブリだったが、監督一人の力量に頼るそのやり方は、監督の老いとともに消滅してしまった。

東京の要素がちりばめられた都市を背景に物語は進む。気球式の風力発電装置にペイントされた鯉のぼりが実に似合うこと。震災などを考えれば当然日本で研究されていてもいいはずのものなのにこれはMIT発の会社で開発されたもの。日本で行われているのは、現実と物理法則を無視した自然エネルギーの押し売りと、その破綻。

映画の終わりには私の目に涙が浮かんでいる。それは感動のそれではなく、悔し涙。結果としての映画も、その背景にある技術や取り組みも、この彼我の実力差はどうしたことか。いや、私は別に中央官庁の役人でも大学関係者でも、映画関係者でもないのだが。

頭をよぎるのは、終戦直後皇族の誰かが言ったとされる

「悔しいけどB-29は立派です」

という言葉。これは紛れもなく「アメリカ的3Dアニメーション映画」の傑作だ。しかも真っ当に正当な戦い方でありながらB-29や原爆級のケタ違いの威力を持った。


ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー - GUARDIANS OF THE GALAXY(2014/09/15)

要約:ダメヒーローの祭典

予告編を見る。アライグマとか、あまり美形に見えない緑のお姉さんとかデカい男とかぎゃーぎゃーやっている。なんだこれは。鬱陶しそうだな。またanother one of ゴミSF映画か。

しかし米国の評判を見るとやたらと評価が高い。これはみなければ、というわけでよれよれと見に行った。

冒頭少年が「ウォークマン」を聞いている。彼の母親は死の床についている。彼女の伸ばした手をとることを少年は躊躇する。心電図がフラットになり少年は外に走り出す。するといきなり宇宙船にさらわれる。

でもって彼が主人公なわけだ。そこからあれこれと「仲間」が集まってくる。この集まり方が絶妙で、どこからともなくキジとサルと犬がでてくるわけではない。お互い最初は相手を殺そうと狙っていたりする。

話の構造はちょっと複雑だが、細かいところがわからなくても問題はない。わかるともっと面白い。細かい設定までちゃんと最後に回収し、凸凹チーム(A bunch of A-holes)があれこれやってまとまり最後には勝利。これだけありきたりな話をなぜこれだけ面白くできる。

可愛いどころか害獣のアライグマが悪態をつきながら武器を振り回す。筋肉むきむきの家族の復習に燃える男とか、訳ありの緑女とか。どれも静止画ではとても「正義役」とは言えないのに、いつのまにか彼らと一緒に笑ったり、しんみりしたりしている自分に気がつく。こういう芸当は日本人の全く及びもつかないところ。

文字通りの木偶の坊と思われた木が実は無茶苦茶強かったとか最後の「ダンスバトル」とか驚いたり笑わせてもらったり。映画の最後に「ガーディアン・オブ・ギャラクシーは戻ってくる」と堂々と続編の制作を予告する。もしこれが大外れだったらどうするの、とは確かに誰も言わんわな。2作目は平均に回帰するというこの世の原則を知りながら、期待せざるを得ない。

あと私のような世代にとって「泣ける音楽満載」なのもうれしい。主人公が「12%の計画」を語るバックに流れるCherry Bombであの懐かしい姿を思い出すことができるのは50代の特権だな。


LIFE!-THE SECRET LIFE OF WALTER MITTY(2014/03/29)

要約:珍しく邦題のほうがよい

というか後で調べてみればリメイクらしいのだが。

2007年に何度目かの休刊をしたLIFE Magazine.ベン・スティーラーはそこでフィルム係をしている。LIFEは買収され、インターネットOnlyに移行することになった。クビは目前だ。

その時、有名なカメラマンから「長年の素晴らしい働きに対する感謝の手紙」とともにネガが届く。しかし「最高の一枚」と書いてあるNo25はなぜか見つからない。そのカメラマンは常に世界中を移動しているのだが、つかまえる以外ネガを探す方法は無い。かくしてベン・スティーラーはまずグリーンランドに飛ぶのだった。

ベン・スティーラー名演である。彼は若くして父を失い、高校を中退して働き続け。職場にいる女性に声をかけようとeHarmony(米国の出会いサイト)に登録するが、プロフィール欄に書く事は無い。そういう人生だった。しかし何かがあれば白昼夢の世界に逃げ込み様々な冒険をする。

この「駄目人間っぷり」が絶妙。少なくとも私にはとても身につまされる。彼は42歳。父が生きている間に熱心だったスケボーくらいしか特技も無い。仕事を認めてくれているのは家族とカメラマンだけ。その彼はおそらく初めて海外に出る。

映画の中のある時点から、白昼夢が消える。その代わりに現れるのはグリーンランド、アイスランド、ヒマラヤの圧倒的な風景。久しぶりに「映画館でみて良かった」と思えるほど美しい。それとともに最近自分があまり旅をしていないことにも気がつかされる。息も絶え絶えになりながらフランスの海岸の岩場を延々歩いた事(これは私の経験ね)とかを思い出す。

こうした話の王道パターンだが青い鳥はいつも近くにいる。駄目人間だったときと、客観的に観れば相変わらず駄目人間だが旅をした後の演技の変化が素晴らしい。彼があこがれている女性も美人すぎずブスすぎず。最後のスティーラーとの会話はとても可愛らしい。こう書いてみると本当にパターン通りの映画なのだが、見終わった後「俺にはチャレンジが足りんのか」と思ったのは本当だ。

本物のライフマガジン再集号の表紙はそれほどよいものではなかったのだが、いいではないか。御話だけでも。


キャプテン・フィリップス-Captain Philips(2013/12/15)

要約:アメリカに喧嘩を売るという事

最近話題にならないが、ソマリア沖には海賊がでる。パイレーツ・オブ・カリビアンではない。海賊。それは悪の組織に率いられたショッカーのような人達ではない。国がなくなり、群雄割拠状態のソマリアで海賊以外に仕事がない。「将軍」からは厳しいノルマがかせられる。「希望者」を募れば応募者が殺到。しかし「採用」してもらう為には「礼金」を払う必要がある。

一方バーモント州に住む船長フィリップス。子供達はこれから「サバイバル」だといっているが、文字通りのサバイバルに直面している海賊達の襲撃を受ける。

その様子をみていて思った。AK47を持ったガリガリの漁師4人とボロ船だけで大型コンテナ船を乗っ取ることができるのだ。漁師の一人は言う「この前はギリシャ船を襲って6億せしめた」フィリップスは返す「で、誰がその金をもらったんだ?」これが「商売」として成り立ってしまうわけだ。

「そんなに撃ちたいなら、俺を撃て」を漁師に言う船長。映画だから理想化されているとはいえ、この映画を見たあとなら誰でもこの船長の元で働きたいと思うだろう。300万円もらって帰ればよかったものを、「ノルマ達成」のために欲を出す。ソマリアの漁師には解らないことだが、それは「アメリカ」に対して戦いを挑むことでもあった。そしてアメリカは決して「テロリストの勝利」を許しはしない。

フィリップスを人質に取り、救命艇でソマリア帰還を目指す一行の前に米軍が立ちはだかる。Navy SEALSの一行はまるでロボット。ヘリコプター、駆逐艦が小さな救命ボートを取り囲む。そして全てはSEALS司令官のExecuteの一言で静かになる。

この映画はこうした過程を静かに冷徹に描き出す。漁師が「おまえらアメリカ人に俺たちの気持ちがわかるか」と叫ぶこともないし、フィリップスがしんみりと家族について語るなんてこともない。それまで冷静だったフィリップスの行動は終盤乱れだす。しかしいつ殺されるかわからない状況で、小さな船に何日も閉じ込められれば、おかしくならないほうが異常というもの。後で知ったのだが、最後にフィリップスを看護する人は本物の駆逐艦乗組の看護師なのだそうな。そのときの何とも言えぬハンクスの演技は絶妙。歓喜でも怒りでもないその涙。

ただ事実を描き、異常な緊迫感を感じさせる監督の腕前は見事としかいいようがない。海賊が襲撃してくるシーンでは心拍数が早くなっていることに気がつく。

観た後にいろいろなことを考える。「単一の統治機関」が存在しない世界、というものはいわばやくざの争いのようなものだ。どちらにつくか。つかないのか。安全を図るためには、結局「思い知らせてやる」しかないのだろうか。ソマリアの漁師にもいろいろな言い分はあるだろうが、せめてアメリカ船を襲撃するのは止めたほうがいい、とこれを観れば誰もが思う。そう思えばこの映画自体が「抑止力」か。


スタートレック・イントゥーダークネス-Star Trek in to darkness (2013/6/12)

要約:スタートレックの面白さ

子供の頃TVでスタートレックをみた。「異星人と戦う」話ではないのに何故こんなに面白いのか。そんなことを少し考えた。

当時の出演者はみんな老人になり、キャストを若者にして再スタート。評判がいい事はしっていたのだが、第一作は見逃した。これはどうだろう。

まず「誰もが知っている役柄」の若い頃を見事につくりあげたことに感心する。たしかにこれはカーク船長であり、スポックでありマッコイでありMr.カトー(英語名スーフー?日本語字幕ではどう訳すんだろうね)だ。  彼らでありながら若い。若さ故にみんないろいろな無茶をやる。かくしてカークは船長から格下げになった。しょんぼりしていると、Second Chanceが与えられる。そこに何者かがテロを起こす(いや、テロを起こした人間は明白なのだが、それは子を持つ身の私としてはあまりに気の毒で)犯人を見つけ出せ、といった瞬間そいつが襲ってくる。

かくのごとく次から次へと場面とシチュエーションが変わる。しかし台詞の20%も理解していないのにその面白さはちゃんと伝わってくる。犯人を追ってクリンゴンが支配している星に飛ぶと、、いやあらすじはこれ以上追うまい。

唯一存在意義がわからないのが、2013CESのキーノートにでていた金髪の女優。舞台上で実にのりの悪いところをみせ「正直な人だ」との評価を得ていた人。美人は美人だが、肌が汚いし、別に居なくてもよかったんじゃないかな。下着姿のサービスカットだけが見せ場か。

話の定義からして、主要人物が死ぬ訳はないとわかっている。(本編が始まらなくなってしまう)なのになぜこんなにハラハラ、ドキドキ、しんみりするのだろう。感情を持たないバルカン星人と人間のハーフであるスポックは論理的なところと人間の感情を合わせてみせてくれる。Mr.カトーにもちゃんと見せ場の台詞があるよ。登場人物といっしょに旅をした後では金髪女優に対する

"Welcome to the family"

という言葉を素直に受け取ることができる。というかあれだな。社会人になった今となっては、カーク船長というのが理想化された(現実には存在しえない)上司の姿だということがわかる。それは決して島耕作のような都合のよいスーパーマンでないところが良い。

あー楽しかったというわけで、同じ監督が作るスターウォーズにも期待が高まるというもの。でもこっちもシリーズで作ってくれませんかねえ。


リンカーン Lincoln (2013/4/21)

要約:アメリカという国

手元にある南北戦争について書かれた本にはこういう記述がある。

「リンカーンが見届けることのできなかった奴隷制度廃止は、この年、合衆国憲法の修正第13条として成立した。前年4月8日に上院は通過していたのだが、下院ではすんなりいかず、この年の1月31日にようやく通過していた」

この映画の90%は最後の2行を描いている。日本の高校で使う歴史の教科書では扱われもしないが、現実に存在した人々にはそんなことは関係ない。

映画の冒頭スピルバーグがおそらくは外国向けの「解説」を行う。南北戦争の結末が見えてきたところで、リンカーンは奴隷制度廃止を憲法で規定しようとする。しかし民主党はそれに反対し、共和党は「何にせよ一致した事が無い」人達の集まり。保守派あり、「黒人に参政権も与え、奴隷を使っていた連中の財産を没収し分け与える」といきまく急進派もいる。

背い高ノッポの大統領、リンカーンはそうした雑多な意見が渦まく下院での綱渡りを続けなくてはならない。最も協力してくれる部下に嘘をつき、精神的に不安定な妻をなだめ(彼女は悪妻として歴史に名を残している)子供の「戦いたい」という願望に悩む。

何故そうしなければならなかったかの「解説」はナレーションでは語られない。ドラマと一体化している。安っぽい映画なら「正論」を声高に叫び皆が拍手してハッピーエンド。しかしこの映画では、現実世界ではそんなことはあり得ないことを思い出させてくれる。もし戦争開始とともに奴隷解放を叫べば、合衆国内の奴隷州が離反し、Washington D.C.は陥落していたかもしれないのだ。

戦争は終わらせなくてはならない。しかし戦争が終わったら、憲法を修正し奴隷制度を廃止することはできない。現に奴隷制度下にある人達、そしてその子供達の為に大統領は「今」若者達を殺す事を選択する。

この複雑な脚本を成立させうる、というところにまず驚こう。その上で「なんでリンカーンはこんなに人気があるのか」ということが少し解ったような気がする。なんたって斧振り回して吸血鬼殺しまくるくらいだからねえ。

彼は折にふれ「ところでこんな話が」を始める。そのユーモアの裏に確固たる信念が潜んでいる。決してシュワルツェネッガーのようなマッチョではないヒョロヒョロの姿は風に揺られるようでありながら強靭でしたたか。ダニエル・レイ・ルイスはどのようにこの役柄を作り上げたのだろう。

スピルバーグだから戦争の「リアルな姿」も容赦はない。ゲティスバーグ演説、それにリンカーンが暗殺されるシーンを直接映さないのはさすがというべきか。同じく葛藤する急進派のトミーリージョーンズが助演男優賞ものの演技を見せる。何故受賞しなかったかと調べてみれば、、そうか相手はヴァルツか。ユリシーズ・グラント将軍はなんとシャーロック・ホームズのモリアーティだ。

この映画で描かれた人達とこの映画を作り上げた人達。その人達を通じてアメリカという国のありようについて少し考える。


ジャンゴ 繋がれざる者 Django Unchained (2013/3/16)

要約:来年の「ごんざれふ賞」の助演男優賞は決定です。クリストフ・ヴァルツ。彼以外にいません(断言)

南北戦争が始まる2年前。テキサスの某所を奴隷がとぼとぼと歩き続ける。そこに現れたのがヴァルツ。馬車の上でゆれる歯の看板がとぼけており、そしてなんともいえず恐ろしい。

彼の職業は「バウンティ・ハンター」その昔キーラナイトレーの映画ドミノで見た事がある。お尋ね者を「生死を問わず」捕まえて賞金を得る仕事だそうな。最初はヴァルツが追っていた人間を識別するためジャンゴは「買われる」。次にパートナーとして行動を共にし、最後はジャンゴの「冒険の旅」をヴァルツが助ける。

この映画のヴァルツはイングロリアス・バスターズ-のようにずっと冷静ではない。後半黒人達の扱いを目の当たりにする(彼はそもそもドイツ人だ)ヴァルツは人間的な感情を、そして弱みを見せる。その演技が素晴らしい。

I'm sorry. I could not resist.

という最後の言葉とポーズがスクリーンに現れたのはほんの一瞬だが、鮮明に私の脳裏に残っている。彼の目に潜む怖さ、優しさ、そして悲しみ。三銃士はもちろんおとなのけんかでもこれほど印象的な彼の姿は見られなかった。タランティーノとヴァルツの組み合わせは危険ではなかろうか。

同じようにディカプリオも私が観たなかでは一番良い出来ではなかったか。しかし如何せんディカプリオだ。フランスかぶれでムッシュと呼ばせるが、フランス語が喋れないので、それがばれると不機嫌になる。チンピラだが自分が所有するプランテーションの中では王様。そうしたチープさとそれ故の恐ろしさを演じるのは荷が重いか。

あれ、ヴァルツのことばかり書いてるな。他に印象に残ったのはサミュエル・L・ジャクソン。怖い。こんな怖い彼の顔は初めて見た。黒人でありながら、「黒人を屋敷に泊めるなんてとんでもない!」と怒鳴る。

ストーリーを大幅に俯瞰して記述すれば、愛するものを奪われた男が苦難を乗り越え奪え返す、という「ありきたりな」もの。しかしこの面白さはなんなのだ。「面白い」ことに少しでも感心がある人は、タランティーノの映画を研究するべきだと思います。


ロック・オブ・エイジズ- Rock of ages(2012/10/10)

思いつきでデタラメを並べる上司との会議の後。ああ、気がめいる。こんなことをいつまでも続けて行くのか。足は自然と映画館に向かう。この映画か,,でもなあトム・クルーズがロックスターって言われてもなあ。でも今日見られるのはこの映画しか無い。

見終わってみれば、こんな時に見る映画としては100点満点だった。

映画の冒頭、田舎娘がいきなりバスの中で歌い始める。あなた、そんなことしちゃ周りの迷惑、と思うが周りの人も歌っている。つまりはミュージカルなのであった。

話はこれ以上ないというくらいベタ。オクラホマの田舎からでてきた娘が、幸運と挫折を乗り越え、誠実な彼氏とロックスターの地位を手に入れる。こうして文字にするとどんなにそらぞらしいことか。しかしそれでいいじゃないか。映画を見る理由はいくつかあると思うが、この世の憂さをひとときでも忘れたい、というのもあるだろう。この映画を見ている間は上司との会話を忘れていた。

オープニングで気がついたのだが、登場する役者が結構すごい。トム・クルーズにポール・ジアマッティにアレック・ボールドウィン。そしてうれしいことにキャサリン・ゼタ=ジョーンズまででている。確かに老けた。しかし彼女が歌いガンガン踊る姿を観ただけで私は大満足である。ちなみに役柄は「ロックを毛嫌いする市長の妻」いや、楽しそうですな。最後の「開き直った」姿も素敵。トム・クルーズはエキセントリックなロックスターを好演。アレックともう一人の「男性同士の愛の讃歌」は爆笑もの。気がついたのだが、今は誰でもものすごい歌唱力に仕立てることができるのだな。ちょっとつまらない気がする。

舞台は1987年のLos Angels。私がアメリカに居たのが1990-1992だから、時期的にぴったり。というわけで歌われるヒット曲の数々は私のハートを直撃である。というか多分10年くらい若い人達を客層にして作られた話なのだろうな。いや、すばらしい。画面に表示される歌詞は、それだけ聞けばベタベタのありきたり。しかしそれでいいじゃないか。画面をみているとそう思えてくる。

惜しい事に途中少しだけテンポが悪くなった気がする。しかしそれは些細な事。ちょっとおまけしてこの値段だ。ああ、楽しかった。


アベンジャーズ- THE AVENGERS(2012/8/18)

要約:日本よ、これが映画だ

マーベルコミックスのスーパーヒーローが大集結。となれば大筋は決まっている。それぞれがお山の大将だからすんなり仲良くなるわけがない。反発するけどまとまって、ピンチもあるけど乗り越えて最後はメデタシメデタシ。もちろんBad Endとかも理論的にはあり得るわけだが、夏休みの娯楽映画でそれはないわな。しかもそれぞれの顔を立てなくてはならん。

これだけ制約条件が多い中で、よくこれだけ笑える映画を作ったものだ、と素直に感心した。ソーと敵の主役(?)は義兄弟。しかしあれだね、ギリシャ・ローマ的な多神教の世界と、一神教のキリスト教の教義をどうやって共存させるのかいつも不思議に思っていたのだが、映画のなかでキャプテンアメリカが

「神は唯一の存在だ。少なくともあんな格好はしていない」

と突っ込む。思わず笑ってしまった。この敵たる弟君が結構いい味を出している。無茶苦茶強くはなく、ずる賢いタイプ。人間を魔力で従わせたりいやな奴だなあ。おまけにたいしてかっこ良くないし、スカーレット・ヨハンソンに簡単に手玉にとられたり結構間抜けだし。と観客をイライラさせておいて最後の最後でハルクがどかんとやってくれる。このシーン声だしてゲラゲラわらってしまいました。感情をためておいてためておいて、最後にどかんと放出というのは映画の王道の一つだろうが、それを見事にやってくれました。

トニー・スタークはエゴの固まりのようなキャラクターであり、古典的なヒーロー・リーダー観をもつキャプテン・アメリカとうまくいくわけがない。ハルクは「もう一人の自分」を出したくないし、神様は人間と同じとは思わない。とそれぞれややこしい人達が仲良くなるプロセスは見事。ガチで喧嘩し、黙って共に危機に対処する。これ日本人が作ったら、絶対だれかが演説したり泣きわめいたりすると思う。というわけで誰かが「傲慢」と評した日本向けキャッチコピーも納得できるわけだ。文句を言うのはこれ以上に面白い映画作ってからにしてほしい。

ロバート・ダウニーJr.はいつもの怪演だが、その相手たるグィネス・パルトローは、、、老けたな。来年またIron Manやるらしいけど大丈夫かしら。変身前ハルクの科学者は知性、弱さ、悩み、そして内に秘めた凶暴性を混ぜ合わせたすばらしい演技。スカーレット・ヨハンソンは、、、まあがんばってますね。ちなみに弟神が最初にでてくるのがベルリン。なぜベルリンかと思えば彼が「跪け」と命じた時「お前みたいな男には跪かない」と気概をみせるのが老人なのであった。2度目はないぞ、ということか。こういうところよく考えているなあと思う。

楽しいからこの映画もう2−3本作ろうよ。次作はもっとハードルが上がるけど、この映画をまとめる力がある人間ならきっとやってくれるのではないかと思う。今から楽しみだ。


ヘルプ~心がつなぐストーリー~ - THE HELP(2012/4/30)

なーんでこれがアカデミー賞取らずに、わけのわかんない映画ばかりとるかなあ。

人種差別が公然と行われていた時代のミシシッピ。黒人女性ができる仕事はメイドだけ。白人女性はは子育てから家事から全てメイドに任せ、タバコを吸ってカードゲームにいそしむ。

そこに大学を卒業した女性が帰ってくる。就職したの?まあ腰掛けね、と50年前はアメリカでもこんな文化だったのだな。

彼女はローカル新聞のコラムニストで終わるつもりは無い。目標は執筆者。そこでメイド達の本当の言葉をインタビューし本にしようとする。しかしこの危険な地域で 誰が本音を語るというのか。

最初私はこんなことを考えていた。黒人に自分の家のトイレを使わせない、とまでしながら自分の子供の世話を全部任せるというのはどういう考えなのだろう。まあ「福島県産の野菜は買わない」などという人間もいるくらいだからそれと同じか。科学を捨てて、自分の気分だけで境界線を引き、そして多くの苦痛を生み出しても知らんぷりの人達。

しかし映画の後半そうした考えは頭の中から消えて行った。この映画が描こうとしているのは、より普遍的な人間の姿だ。もちろん程度の差 はあるのだが、理不尽な制約というものはどこの世の中にも存在する。雇い主の理不尽な言動で、いきなり解雇されたり、いやがらせを受ける などは今の日本に存在することだ。そしてその制約を現実として受け止めながらも自分の道を貫こうとする人。そうした姿は時代と距離を 超えて共感を呼ぶ。

白人達の姿もそれぞれの人間として描かれている。White TrashのSexyなお姉ちゃん。あのいやみな女を捨て、このお姉ちゃんと結婚した男は偉いぞ。観ていて一番気分がよいのがこの夫妻。そ して嫌みな女の友達も、よく観れば心から彼女と同調しているわけではないことがわかる。しかし

「崇高な正義よりも日常の調和」

を優先させるのは人の性。

おそらく私が独身の頃には気がつかなかった点について書いておく。いやみな女に、メイドが借金を申し込む。そこで旦那な席を外す。私には彼の気持ちがわかる。個人としては借金に応じてもいいと思っている。しかし妻が何を言い出すかなんとなく予想がつく。であれば、席を外すしかない。子供の教育費を使って、メイド専用のトイレを作ろうとする妻。「だって、●●ちゃんがそういってるし!」と他人の意見を思考 の根拠にする人間と議論することがどれほど虚しいか。

特定の場面を題材としながら普遍的な人間の姿を描く。私が考えるところの名作の条件だ。特にラストシーンを観るとその感を強くする。見事に出版できました。そして差別主義者は打ち負かされた。万歳!なんてものではない。世の中はそう簡単に変わらないのだ。小さな勝利を得ても、いやな奴は相変わらず君臨し、暴力を振るう。しかし主人公-この映画のそれはメイドだ-の足取りを観よう。悲しみに暮れながらも、声を上げた事にたいする誇りが伺えないだろうか。

こーんないい映画があるのに、なーんであんな映画に、、と考えながら映画館を後にする。

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注釈