題名:映画評

五郎の 入り口に戻る

日付:2003/7/21

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1080 円-Part6 (Part5へ)  |  Part7へ

フラガール-Hula Girl (2006/11/17)

常磐ハワイアンセンター-今は名前が変わっているようだが-というのは常に私にとって謎の存在である。なんだか名前は知っている が、それはそもそもなんなのだ。なぜ常磐の地にハワイがある。

この映画はそのハワイアンセンターが作られる過程、それに作り上げた人々-特に初代ハワイアンダンサー達-を描いた物語。最初アウ トラインを聞いた時は「ス イングガールズ」(みてないけど)とか凡百の「少年少女ががんばって最後に成功しました物」かと思ったが、見てみればそうでないことがわかる。すばらしい 少女のキャラ クターもでてくるが、基本は大人の映画である。比べるべきは「遠 い空の向こうに 」や「リ トル・ダンサー 」であろう。炭坑に訪れた運命というのは洋の東西を問 わないようである。この映画の舞台は昭和40年。私が2歳の頃だ。

という次第であるから、最後のダンスを除けば、すばらしいのが「大人のキレ芸」である。常磐の地に落ち延びてきた元スター ダンサー、それにハワイアンセンター担当部長の岸辺一徳が見事なキレっぷりを見せる。もちろんその「キレぶり」がひきたつのは静かな、落ち着いた場面 の演技の良さあってのことだが。

こういう映画の常としてまず最初はだめだめ。それを乗り越え少しうまく行きそうになると必ず「試練」が訪れる。そうした定番を踏み ながらもきっちり人達を描くのは見事。よく考えてみれば2番目の試練は「いかがなものか」とも思うが、まあそれは問わないことにしよう。ダンスシーンもす ばらしい。

ではなぜ1800円でないかと言えば、最後のクライマックスに至るところでテンポがだらけてしまったからだ。特にメインダンサーの 母親にあそこで演説させてはいかんのだ。演説なんかしなくても、メインダンサーのすばらしい踊り、それを見つめる母親の姿だけで何もかも伝わるではない か。演説ではなく少しキレさせればいいのだ。最後のダンスシーンもすばらしくはあるが半分以下に切った方がよかったと思う。そう考えていくと、「成長した 主人公のダンスシーン」をたったワンカットで見事に表現した「リトルダンサー」はやはりすばらしい映画だったのだなあ。


カポーティ-Capote (2006/10/29)(1000円)
どうしようもない映画M:i:IIIで一人だ けまともに演技していたのが主演のフィリップ・シーモア・ホフマン。彼がアカデミー賞を受賞した映画というので見に行った。
彼が演じるカポーティの声にまず驚く。M:i:IIIではふてぶてしい声をしていたはずだが、、なるほど役者というのはこうでなくては。というわけで彼の 演技はやはりすばらしい。カンザスの一軒家で一家全員が何者かに殺された。カポーティはこの事件を「金鉱だ」ということであれやこれやの手段で取材し始め る。甲高い声でどこにでも顔をつっこみ、取材のネタにしてしまう姿に甲高い声を重ね合わせるとカポーティという得体の知れない人間像が浮かんでくる。
そのカポーティの「ネタにするためにできるだけ長く生きていてほしい(裁判を引き延ばす)」という願いはいつしか「本に結末をつけるため、早く結末がつい てほしい」に変わっていくのだった。
そして彼の望み通り結末がついた後、映画の終わりにこんなクレジットが流れる
「この作品のあとカポーティは一冊も小説を仕上げなかった。1984年死亡」
それを見た私は「???」となる。
後からあれこれ考えてみれば「自分だけを常に愛している男」が「最初は”金になる小説のネタ”としてとらえてい た事件に、のめり込 んでしまい自滅した」という筋なのかな、とも思う。しかし不幸にして映画を見ていてもその「のめり込み」のところがよくわからなかった。ホフマン、それに 犯人役の 役者はすばらしい仕事をしていたと思うから演技力云々の問題ではないと思う。では何が足りなかったのかといわれるとよくわからないのだが。
などとあれこれ考えながら映画の公式サイトを見てみる。「アラバマ物語」の作者を演じているのは、、何?マルコビッチの穴の人?老けたなあ。。じゃない。 マルコビッチの穴の時が異常に若くみせていたんだ。


16ブロック - 16 Blocks (2006/10/21)

証人をたった16ブロック離れた大陪審に送り届ける仕事。その「どうでもいい仕事」を押しつけられたのが「どうでもいい駄目警官」。しかしその証人が証言 しようとしているのは警官の不正だった。というわけで途中NYPDの人間が証人を亡き者にせんと襲いかかってくるのだった。
といった「ありきたり」のストーリー、おまけに主演がブルース・ウィリスとなれなれば「どうしようもない」映画にきまっている。時間の無駄だから見るのは やめよう。もう何度もウィリス映画には痛い眼にあってるからなあ。

と思っていたのだがネットで読んだ評価が妙に良い。これは一度見てみるかと晴れた秋の日にのこのこでかける。見終わってなにに驚い たといって最後のシーンで思わずウルウルしたことだ。ウィリス君にうるうるさせられるとは思いもしなかった。

まずでてくるウィリス君がすさまじい駄目刑事である。アル中で足をとめれば酒を飲む。しかし無力な証人を守ろうと決めたところから 彼は一滴も飲 まなくなる。不正を暴かれては困る警官達と彼らのおいかけっこはNew Yorkを舞台に続いていく。かくれんぼだから裏道を通っていき、そこにはいろいろな人達がいる。そうした人々の雑踏の中、おいかけっこは続く。そしてそ の過程での会話を通じて彼ら-そしてもちろん観客も-二人がどのような人間であるかを知ることになる。それは決して押しつけがましくなく、映画の流れを妨 げることもない。しかし最後はどうなるのだ。彼らは最終的に大陪審に現れることが決まっている。となれば、そこで網をはっていれば(好ましくないとはい え)必ず捕まえることができるではないか。そう思いながらスクリーンを見つめていると

「なるほど。こう来たか」

と思うような「落とし前」がつく。それはそれまでのすべての登場人物の行動とぴったり合致し観客に心地よい驚きを与えてくれる。

拳銃はずいぶん発射されるが死ぬのはたぶん一人(それも定かではない)緊張感を持ち続ける映像の流れもあいまって、それだけ取り出 せばありきた りとも思えるラストシーンに思わずウルウルするわけだ。これに味をしめて見に行くとまたはまったりするから、ウィリス君の映画は映画評見てからにしよう、 と心に固く誓うのだった。


ワールド・トレード・センター - World Trade Center (2006/10/9)

9/11で崩壊したWorld Trade Centerから救出された二人の警官を主に描いている。しかしこの映画が描いているのは9/11に様々な立場で戦っていた人々の姿だ。

United 93に 比べれば普通の映画に近い。しかしその描き 方は大仰でもなく冷静そのもの。主演はニコラス・ケイジだが出演場面の大半はがれきに埋もれており、顔の半分しか見えない。二人が励まし合いながら最後に 救出されるところは確かに感動的だが、しかし救われたのは彼らを含む20名で、3000名弱が死亡したことは事実でありこの映画もそこから逃げていない。 感動の対面を果たした警官の妻および家族が病院の壁を見ると、そこにはMissingとかかれた数多くの写真が貼られているのだった。そして帰らない警 官、消防士を待つ家族はどれだけあったのか、と考えさせる。

救出に当たっていた人たちもそれぞれの立場で戦っている。先頭に立つ男はがれきの下に潜るとき、家族への言葉を残す。彼に従う看護 師はおそらく は麻薬中毒か何かでライセンスを停止されており、ようやく人を救うチャンスに恵まれたと言う。しかしこの映画は救助にあたった人達を単純に美化したりはし ない。警官を見つけるきっかけを作った男は「神の啓示」を受けた元海兵隊員。その「いっちゃった」ぶりは映画の中でもちゃんと言及される。しかしこのよう な男が救出劇の重要なピースとなるのも現実というものだろう。

非常に多様な生き方を許容しているアメリカという国だが、この映画を見るといざという時団結する人々の姿はいいなあ、と思う。そし てこういう映 画をまじめに作ることができる米国の映画産業というのはさすがに懐が深いと感心する。我が国にもいろいろな出来事があったにもかかわらず、それらを映画にするとき未だに幼稚かつ紋切り型に終始しているのが情けなく思えてくる。


X-MEN ファイナル・ディシジョン -X-Men The Last Stand(2006/9/10)

X-MENシリーズの第三作。一作目は 「ちょっとおもしろいところもあるけど、普通のヒーロー物」X-MEN2に なって「をを」っと思い三作目は笑わせてもらったり、ちょっとだけ考えさせられたり。というわけで尻上がりに私の中で評価が上がった珍しいシリーズでし た。

話の筋というか大枠は以前と同じ。ただ人間が「ミュータントを”治療”する薬」を開発し たものだから、悪いミュータン トの親分ことガンダルフ様は攻撃に出る。第2作で身を挺して仲間を守ったファムケ・ヤンセンは白いミュータントになるかと思いきや黒くなってし まった。でもって最後は良いミュータント+人間対悪いミュータントのおおげんか。

途中主要なキャラクターが死んでしんみりするし、彼らの戦いを見ているうち「さて、何が問題か」と考えたりする。異常な能力を持っ た者をな んとなく排斥したくなるのが人間の感情というものだろうが、例えばNFLの選手なんか私から見れば十分ミュータントだ。その彼らが暴れ出したりした時には 結局警察の銃たよりだとすれば、こ の映画とあまり変わらないではないか、とかあれこれ。

そうしたストーリーの上に色々な観客サービスも忘れられていない。何にでも変身できて無茶苦茶強い裸の青い姉ちゃんことミスティー クがあんな観 客へのサービスたっぷりの最 後を迎えるとは。ちなみに彼女を最初に尋問するのはThe Silence of the LambsのDr. Chiltonだ。まだそんなことやっていたか。あんたおそろしい容疑者の尋問専門職か、と思わずいいたくもなる。翼がはえてしまった少年とその父親が脇 役としてでてくる。脇役でありながら、本筋の「いい所」でちょっと顔を出し話を進めてくれる。彼らの姿からは「父と子の絆」のようなものもちゃんと感じら れる。「いいもん」が危機一髪、というところでタイミングよく助けが飛んでくる、というシーンはどのヒーロー物にもあり、 「あーあ。なんでこんなにタイミングいいわけ?」と思うのだが、この映画のそれはちょっといいな、と思ってしまう。

以前からいたような顔をして今回初登場の青いFar Ball(毛玉)がいる。エンドロールをふとみればなんとFraiserじゃないか。素顔だとSitcomにはいいが映画にはちょっとくどすぎるキャラク ター。しかし青いメイクをかぶせてしまえばなかなか好演。主人公たるヒュー・ジャックマンの能力は結構地味だと思っていた。結局近づかないと相手をちょん ぎれないし、回復が早いってのも防御の話だし。しかし最後のクライマックスでその能力がこううまくはまるとは。ちなみに彼がその前に戦うのは「切ったそば から手が再生する男」さてどこを攻撃してなんと言ったでしょう。

などとあげていくと、ヒーロー物とひとくくりにするのは不適当と思えるほど、細かいところまで考えられた佳作であることに気が付 く。いろんな要素がありながら、とてもテンポ良く話が進み一度たりとも退屈することがない。米国で結構 な興行成績をあげたらしいが、この映画なら口コミ効果もあったのではなかろうか。やれ大作はもうだめだ、とか続き物が当たるって常識も通用しない、とかい ろんなことを聞くが、あれこれ怪しげな理論を述べる前に、まずちゃんとした映画を作れ、という気がしてくる。

ちなみにラストシーンは一人ぼっちのガンダルフ様。なんとも言えぬ寂寥感とおかしさがあってシリーズの幕引きにふさわしいシーンに なってます。


パイレーツ・オブ・カリビアン2-デッドマンズ・チェスト- Pirates of the Caribbean: Dead Man's Chest

前作には及ばないけど、あんまり頭使わないで見られるなあ。しかしこの話ってどこで収束するんだろうか、と思ったらいきなりエンド ロールが。ちょっと待て、これPart3の前編かよ。

というわけで最後にかなりがくっときたが、まあ楽しめた。前 作パイレーツ・オブ・カリビアンを観たのは3年前か。。登場人物なんか覚えていられるか、と叫びたくなるくらい前作とつながってい る。前作の最後で二人は結ばれ、ジャック・スパロウが逃げ出してHappy Endだったはず、、とか記憶を適当に辿りながら話を追おうとするが、細かいところがよくわからん。

しかしこのシリーズの良いところは細かいところがわからなくてもそこそこ楽しく観られることだ。えたいの知れない原住民に捕まった スパロウ船長が逃げるところでは館内にも笑い声が響く。時々アトラクションそのまんまのシーンが登場し「そういえばディズニーランド行ってないなあ」と思 う。

ではどこが今一か。今回悪役というか敵役の船長は魚介類と一体化している。でもって乗っている船も一面魚介類で覆われているので観ていてあまり気分がよく ない。細かいところをうねうね動かしたりして撮影は大変だったと思うのだが、観ていて楽しくないことに変わりはない。おまけに今回はやたらと人が死ぬ。死 ぬのはザコキャラばかりではあるが、とにかく死ぬ。ディズニーでこんなにやっていいのかしら。あちこちの感想を観ていても「あと20分削れば」という声が 多いが、観ている間時計を観ようと考えなかったのも事実だ。
やたらと強いキーラ・ナイトレーはさすがに年を重ねてきたか。。お転婆娘の輝きは消えたが3角関係に悩む姿を好演していると思う。オーランドブルームは例 によって「正直一途」の単純な男を「そのまんま」で演じる。ジョニー・デップの相手役だからこれでいいのだろう。
敵役の大事な物をとりあえず手に入れ、、、あれでもあっちいっちゃった。うーむ、ここからどうなるのか、と思ったところでどっかで観たようなおじさんが登 場していきなり終了。あれは誰だ、と帰ってからインターネットで調べる。ううむ。そういうことか。「2」で話を思いっきり広げて「3」で放り出したMatrixシリーズのよ うなことはないのだろうな、と不安もよぎるがまあ素直に観ることにしよう。


GOAL!(2006/6/3)

サッカーワールドカップである。関連あるかどうか知らないが映画史上初のFIFA公認映画である。というわけできっとものすごく制約が多いのだろう。

「ワールドカップに潜む闇を暴く」

なんてできるわけがない。あらすじ聞く限りありきたりな青年のサクセスストーリー。まあ無難な線だよな。時間が合うのこれだけだか ら観てみるか。終わって振り返ればやっぱりありきたりなサクセスストーリー。なのに何故私はこうも頭を揺さぶられているのだ。

メ キシコから不法移民としてLos Angeslに移住した少年。世の中には2種類の人間しかいない。大きな屋敷に住む人間とその屋敷の庭の芝をかる人間。そう言った父は家族を守るため死ぬ まで働くのが男のすることだと信じて疑わない。しかし青年となった主人公はEnglandの元サッカー選手にその才を見いだされるのだった。

こういうサクセスストーリーの定番というのは、最初はうまくいくがいつしか障害にぶつかり、それを克服して大団円というもの。しかしこの主人公はあらゆる 関門でひっかかってくれる。見に来るといったエージェントはさぼってこない。それを聞いたときの

「父さんの言うとおりだ。夢を見るのは苦しいだけ」(?)

という台詞を当たり前のように言う姿。私は思わず下を向く。確かにそうだ。そうなのだが。

ようやくつかんだテストのチャンス。しかしできは散々。And so on. その度に私は下を向く。この映画はサクセスストーリーを本当に正面から真面目に描いている。ありきたりの筋、で最後には成功すると分かっている映画がこう も私の頭をつかんでゆさぶるというのには正直驚いた。

で は何故1800円にしないかと言えば、もっと良い映画になると思うからだ。初めて観客が満員のサッカー場に立ったところ。あるいはゴールのシーンとか。 もっとよく見せることができるのではないだろう。あそこ だけが惜しい、、のだが期待と比べれば十二分の満足だ(もう一つの問題は吹き替え版で観たこと。これは確かに子供が観ることもできる映画だが、字幕で問題 なく観る年代がみるべき映画だ。英語の台詞がもつ力が失われてしまったのが残念)
予告編を観ると第2作ではレアルマドリードにはいってヨーロッパチャンピョンを目指す。第三作はWolrd Cupということですさまじくつまらなくなりそうだが(私はベッカムやジダンが出演しているといって喜ぶ感性は持っていない。)少なくとも第2作は観ると 思う。



ブロークバックマウンテン-Brokeback Mountain(2006/3/26)
同性愛が許されなかった時代、お互いを愛したカウボーイ(名前の定義からして男性だ)の物語、というのが観る前に聞いていた概要。見終わってみれば互いを 愛する人間の姿を描いた映画だった。
この二つの表現は何が違うか。羊の番をすることになった二人はふとしたきっかけからお互いを愛するようになる(最初から彼らが同性愛者だったかどうかは映 画からはよくわからない)私は男性であるからして男性同士のラブシーンというのはあまり観たくない。というわけで見始めたときにはどうしてもそうした「気 持ち悪さ、グロさ」が気にかかる。

しかし映画が進むにつれ、そうしたことが気にならなくなってくる。つまり同性だとか異性だとかはどうでもよく、そこに描かれているのが困難を乗り越え愛し 合う人間の姿である事に気がつくのだ。というわけで彼らがモーテルの一室で裸でだきあっているシーンがあるのだが、そこでは別に「うげっ」となることはな い。時代を思えば彼らの愛が成就するはずもない。そしてそうした「不自然」な姿勢の強制はお互いの妻という不幸な人間を増やすことになる、というのもいつ の時代にも起こりうる話なのだろう。あちこちで目にした「愛は人間に馬鹿な事をさせる」という言葉が頭に浮かぶ。

今まで観たアン・リーという人の作品は「グ リーン・デスティニー」に「ハルク」。 私にとっては名作と言い兼ねる作品だが、この映画はとても静かに、そしてまじめに人間を描いていると思う。余分な説明を一切行わず、短いシーンの連続で観 客にストーリーを伝えるのは見事。アカデミー監督賞も宜なるかなである。ハンサムな主人公が結婚する相手がどこかで観た顔だな、と思ったら、プ リティ・プリンセスシリーズの人だった。(ディズニーでは絶対にあり得ない胸部露出シーンがあったことくらいしか印象に残っていない が)

というわけで良い映画だと思うのだが、米国で大きな反響を呼んだのは、アメリカの美しい自然、それにカウボーイ達の姿を丹念に、そして美しく描いているこ とも影響しているのではないかと思う。従ってそれらに涙を流せない私としては、「アカデミー賞はこれがとらなくちゃ嘘だ」とまで感動はできないわけだ。あ るいはこういう「恋愛物」を観て涙を流せない、ということなのか。


ミュンヘン-Munich(2006/2/5)

救いがないのは映画ではなく現実なのだろう。

ミュンヘンオリンピックに関して私が覚えていることは男子バレーが金メダルを取ったこと。その際島某がひっくりかえって足をばたば たさせて喜んでいたことくらいである。

しかしながら現実のオリンピックはそんな平和なものではなかった。子供には興味が無かっただろうが重大な事件が起きていたのであ る。PLOのテ ロリストがイスラエル選手を人質に取りそして全員を殺害したのだ。イスラエルは報復を決意する。そしてテロの首謀者11名を暗殺することをある男に命じる のだった。

一人目の暗殺が「成功」したときチームは祝杯をあげる。しかしその行為が続くに従い、彼らは追われる身になる。一人一人と仲間が失 われていき、主人公は精神的に破滅の縁に追いやられる。自分は何をしているのだ、と。

この映画には分かりやすい陰謀やら悲劇やらはでてこない。それ故主人公が陥った状況がより救いがたく思えてくる。シュワちゃんがで てくるような 映画だったら事件の黒幕を「始末」すればにっこり笑って大団円を迎えられるが現実はそんなに単純なものではない。観ているうちに「いつこの話は終わるの か」と考えだす。既定の上映時間を過ぎれば映画は終わるが、現実世界は終わることがない。映画の中で、PLOのメンバーと主人公の母親が正反対の立場から 全く同じような事をとうとうと述べる。自分達の土地があることが貴いのだ。そのためならなんでも犠牲にすると。ではどうすればいいのだ。スピルバーグの才 能がこうした題材を取り上げるとこちらの頭が悲鳴を上げるまでぎりぎり締め付けられる気がする。

主人公を演じるのは超人ハルクトロイのヘクトールことエリック・バナ。最初のちょっ とたよりなくかつ幸せそうな顔と最後のやつれきった姿の落差が見事。しかし彼が出演した「ブラックホーク・ダウン」と同じく心に残る のは個々の登場人物より、救いようのない終わりがない現実の光景だ。


キング・コング-King Kong(2006/1/3)

観ている間にあれこれ考えた。例えば

「かっこいい男、悪い男路線は無理だと自覚している多くの男は、せめてキングコングを目指すべきだ。鼻ぺちゃで最後は殺されて しまっても、ナオミ・ワッツにあんな目で見つめて貰えるのなら本望ではないか。」

とか

「ピーター・ジャクソンは二人の登場人物に自分を重ね合わせている。一人はキングコング、もう一人は”愛 する物を破壊せずには居られない”映画監督、ジャック・ブラック」

とか。

1976年のリメークを観たがただ退屈だったことしか覚えていない。しかしこの映画はなかなかお見事。

キング・コングは一言もしゃべらないが、立派な主役。ナオミ・ワッツは悲しみ、貧しさを秘めた美女を演じてみせる。彼女がキング・ コング相手にただ逃げるのではなく、自分の主張を始めるところは特に印象的。この「二人」の会話の描き方はすばらしい。

ジャック・ブラックもゴキブリのごとくしぶとく、映画だけに情熱をかける男を見事に演じる。彼について行き命を落とす男達が何故こ の男に巻き込まれるかが観ているこちらにも伝わってくる。エイドリアン・ブロディは、、まあこの人はもともとこういう顔だし。

かくのごとく見事な映画なのだが、小心者かつ恐がりの私としてはお尻がむずかゆくなるシーンが多い。谷の底のシーンは、、きっと監 督はどうして も入れたかったのだろうけど個人的には無かったほうがよいし、、というかピーター・ジャクソンはこれでもかこれでもか、と気持ち悪い生物を登場させ登場人 物をいじめぬく。またクライマックスでは高所恐怖症の私にはつらい場面が続出する。それだけ描き方が見事ということなのだろうが、私であればいかにコング を助ける崇高な意図に燃えていようがあの階段は登れないであろう。

惜しい点と言えば最後の台詞が浮いているように思える所。それまでにコングとワッツが悲しみの演技をしていただけにあれでは、、と 思ってしま う。あとやっぱり長すぎるかなあ。一同が船に乗り名も知れぬ島を目指すところとか、往年のゴジラ映画なんかと比べるととてもしっかりしてはいてさすがに ちゃんとしているのだが、もう少し短くてもばちはあたらないだろうか。しかし観る価値のある映画であることは間違いない。そうだね。私もコングを見習おう と。


ファンタスティックフォー-Fantastic Four (1000円)(2005/9/18)

アメコミの映画化である。その昔アメリカ産アニメで観たときには宇宙忍者ゴームズとか言っていたような気がするが。

宇宙線の嵐に生物をさらすとDNAが入れ替わるに違いない。実験させてください、ということで4人+スポンサーの一人が宇宙に行く。ところが予想よりも早く宇宙嵐が来てしまい、みんなを直撃。その結果それぞれ変わった能力を持つことになった。でもってスポンサーだけは悪い奴になることにしまし た。

さて、こういう話の場合自分に力が備わるとたちまち活躍を始めたりするのだが、基本的に彼らは最後近くまで自分の力を「正義の為」 に使うわけではない(自分達の力に目覚めるところで少し使うが、これとて自分たちが起こしたトラブルのようなものだし)

というわけでトイレの中から手を伸ばして別の部屋にあるトイレットペーパーを取ったり、内輪の喧嘩とかまあ無駄なことに超能力を使う訳なのだ が、この無駄使いが結構楽しい。良いもん4人組の親分は体がゴムみたいに伸びる人なのだが、一見地味なこの能力を楽しく使った技をあれこれ見せてくれる。 あと透明になることができる力を女性に持たせるとこういうギャグが使えるか、とか(完全に透明になるためには服を脱がなくてはならない)一番解りやすくて 一般的な「体が熱くなり炎を自由にあやつれる」お兄さんが一番あたりまえすぎて面白くないのであった。

でもって最後は例によって悪い物がやっつけられ話は丸く収まる。とりたてて変わったところがないとも言えるが、体が伸びるお兄さんの技がどこか とぼけた味を添えていて最後まで退屈せずに見ることができる。あわよくば続編を作るつもりなのだろうが、もし作られて、かつ暇があれば見にいくと思う。


ヒトラー最後の12日間 - Der Untergang(2005/9/11)

この映画を作った人は事実をただ描くことの力を知っていたのだろう。

1942年、当時22才だった主人公はヒトラーの秘書として採用される。そして1945年、ソ連軍に包囲されたベルリンの地下壕で 彼女はヒトラーと共に居た。スクリーンには彼女が見聞きしたこと、それに他の生存者からの証言を元にヒトラー及びナチス・ドイツの最後の日々をただ描く。その記述は 私が読んだ何冊かの本(小説じゃないよ)とほぼ一致している。下手に「ドラマチック」な演出を加えることは最低限に抑えられているのだと思う。何故かと言 えば登場人物が非常にリアリスティックだからだ。覚悟を決めてみたり取り乱したりただ酒に溺れるその姿は映画的に解りやすい人間とはかけはなれている。朗々と「今の価値観を当時に持ち込もう」の演説を始める人間など入り込む余地はない。

主人公たる秘書を演じたアレクサンドラ・マリア・ララは若い女性特有の視野の狭さ、思いこみの激しさ、あさはかさを演じてみせる。 ゲッベルス夫妻の筋が通ってはいるが他人が観れば狂っているとしか思えない行動。ヒトラーの妻でありながら、その人格自体にはコメントする点が見つからないエヴァ・ブラウン。彼女がしたためた手紙は「あの宝石はあなたにあげる。あそこの支払いが終わってない」とかそんな言葉ばかりだった。主人公が言う「終わらない悪夢」の中にあってそれぞれの登場人物はそれぞれの個性を強烈に見せつける。ドイツ人を殺すドイツ人。身の危険も省みず患者を救うために危険地帯に戻る医師。かたくなに戦いに赴く少女、父の元に走って帰る少年。優しさと狂気を個人の中に合わせ見せるヒトラー。混乱と無秩序の中にあってこそ個人の性格という ものが表にでてくるものか。

観ている内に「日本の一番長い日」を思い出した。今の日本人にああした真面目な映画を作ることができるだろうか。

私の考えではこうした事実に余計な「映画的エピソード」を付け加えることは返ってその重みをそぐ物なのだが。そう考えると映画のエ ンディングに存在する少しの明るさ、それに最後のインタビューが余計な気がする。が、それを付け加えざるを得なかったのかも知れない。このインタビューで主人公自身が 語る言葉は映画の中の彼女の行動と同様、どこか浮ついて軽く響く気がするというと言い過ぎだろうか。あるいは主演女優がすばらしいのか。


アイランド-The Island(2005/7/23)

この映画の宣伝文句というのが

「「ア ルマゲドン」「パー ル・ハーバー」のマイケル・ベイ監督が全人類の未来に放つアクション超大作」

というものである。これが果たして宣伝になっているのかどうか定かではないが、この映画と前2作の間には違いが一つある。プロデューサーがハリウッド流お馬鹿映画を量産しているジェリー・ブラッカイマーではないということだ。

というわけで、背景は知らないけれど観ている間私は勝手な妄想にとりつかれていた。マイケル・ベイという人はこの映画に

「俺はこういうのが作りたいんだ。作れるんだ!」

という思いを詰め込んだのでは無かろうかと。

近未来を舞台にしたアクションなのだが、宣伝にでてくる2作品とは明らかにテンポが異なる。思わず目をそむけたり、おしりのあたり がむずがゆく なるようなシーンがでてくるし、カーアクションもありきたりのものではない。ターミネーター3のそれを思わせるような重量級の戦いが展開される。結局逃げ 切ると解っていてもその逃げ方も「んな無茶な」というものではないし、最後はいわゆる「どっかん一発ハッピーエンド」に近いのだが、それなりにちゃんと理 由が付けられている。そこらへんにこの映画を製作した人間のこだわりと言うか「俺は本当はこうしたいんだ」という叫びを感じたりするわけだ。

そういう「真面目さ」の他に印象に残るのはスカーレット・ヨハンセンの演技。彼女はクローンなのだが、思春期前の知識しか与えられ ていない。つまり頭の中身は小学生なみ。なのに容姿は美しく成熟した女性のそれ。このギャップをうまく使って時々「汚れてしまった大人」の目には、「はっ」とするよう なしぐさや表情を見せる。パートナーであるユアン・マクレガーの依頼主(ということは普通の人間)が好色な目を向けるが、大抵の男性の観客は彼女に対して 同じような視線を向けてしまうのではなかろうか。彼女と彼はお約束に従っていちゃいちゃするのだが、そこには「初めて異性に触れる時の手探り感と初々し さ」があふれている。

魅力的な脇役もでてくる。途中彼と彼女を追うために傭兵部隊が出てくるのだが、その長がアフリカ人であることが最後このように効いてくるとは。。ということで大感動とはいかないが、ひと味違ったアクション映画を観た、という満足感が得られるわけだ。

映画を見終わった後も妄想はふくらみ続ける。クローン達、それにある人間は

「自分たちは製品ではなく、自分の考えを持ち生きたいのだ」

と主張し、行動する。それはひょっとするとマイケル・ベイという人の姿にも重なるのではなかろうか。お馬鹿映画を作らせるプロ デューサーのいいなりになるのはまっぴらだ。俺は俺の作りたい物を作る、と言っているのではないか、と。


キングダム・オブ・ヘブン-Kingdom of heaven (2005/5/15)

十字軍とイスラム教徒によるエルサレム争奪戦が描かれる。日本人は祝詞をあげて泥棒する、と言ったのは帝国陸軍の石原将軍。この映 画にでてくる 兵士は神の名を唱えて人を殺しまくる。そしてこの映画の制作者は「大事なのは宗教ではなく、人なのだ」というもっともな、そして現代にも通ずる主張を主人 公に託す。最後に主人公とサラディンが会話をする。

「エルサレムを無くしてしまうぞ(全部真っ平らにするということか)」

「それも悪くないかもな」(そうだそうだ)

(中略)

「エルサレムに何の価値があるんだ?」

"Nothing"

そうした話し合いに至る前、戦闘に於ける雲のような軍勢、雨のように降り注ぐ石に矢。そして殺戮。それらは決して美化されることな く圧倒的な迫力を持って描き出される。

かのように非常に真面目につくられた大作だと思うのだが、背骨というかパンチが感じられない。思うに主人公がまったく単調な男なの がいかんので はなかろうか。映画の冒頭ブルーム君は怒りにまかせて司教を殺す。でもって途中からいきなり強く、立派な人間になり大活躍するのだが、すばらしい父の息子 だ、というだけの理由で活躍されてもねえ。ヒロインじゃないけどブルーム君が良い者ぶらずに一人殺しておけばあの死体の山は築かずに済んだのではないか、 といいたくもなるし、そう思うと最後のさわやかな顔もなんだか無性に腹立たしく思えてくる。主人公の父たるリーアム・ニーソンとかやたらと強い聖職者(ほぼ私と同じ年の役者らしい)とか面白い脇役はいるのだが。いや、実は主役はサラセンの指導者、サラディンなのかもしれん。どう考えてもこの映画で一番かっ こいいし。「宗教よりも人」という今の人間も持ち得ぬ知恵はサラディンとその相手-ボードワン4世-だけは実際に持っていたようだし。

そう思えば「退屈はしないが面白くもない」から感想もワンランクアップだ。あと驚いたのはエルサレム王が死ぬときに流れる音楽が、ハンニバルで使われていた創作オペラの曲であることだ。確かにあそこで一回使っておしまいにするにはおしい音楽だ。


アビエーター-The Aviator(2005/4/9)(1000円)

謎に包まれた大富豪、飛行家、奇人変人、その他もろもろのハワード・ヒューズの生涯を描いた映画。

この映画から1080円と950円の間、1000円というランクを作ることにした。950円よりは少しいいけど、1080円には足 りない、とそ のままの意味である。ディカプリオ主演でアカデミー賞にたくさんノミネートされていたが受賞はそれほど多くなかったと記憶している。

その昔Los Angelsにあったハーキュリーズ-映画のなかでヒューズが嫌っている呼び名だとSpruce Goose-を見にいったり、Hughes社と仕事で少しつきあったり、あるいは変人としての記述を読んだり断片的な知識は持っていたのだがこのような男 だったのかと(映画の嘘は差し引くとしても)興味深く観た。この映画の結末は1947年だが、彼はこの後29年生き続ける。それは映画にはしにくいがこれ また興味深い日々だったようだが。

この男の前半生を描くことは20世紀前半の米国を描くことでもあり、この意味からもハリウッド映画にうってつけの人物だと思う。私 が特に気に 入ったのは公聴会の場面。日本だと議員先生に対してはとにかく波風立てずに行こうとするところだが、正面からがんがん殴り合うのはさすが米国。あと伝説の 機体をとばすのも今やCGの力を借りれば易々たるもんあんだなぁ、とかにいいところもあるのだが、観終わった後「悪くないがどうも今ひとつ」感がただよう のは何故だろう。同じく登場人物と共に米国を描いた「シー ビスケット」と比べると何かが足りない。

ケイト・ブランシェットがアカデミー賞受賞も宜なるかな、の見事な演技を見せる。この人美人じゃないけど上手だなあ。「ミ ス・パールハーバー」ことケイト・ベッキンセールは例によってスチール写真は綺麗なのだが、映画になるとどうしてこうも。。ディカプ リオは熱演ではある。ジュード・ロウは何しにでてきたのだろう。というかエンドロール観るまででていたこちすら気がつかなかった。

かくして「うむ。確かにあまりアカデミーを受賞しないわけだ」と思うのだがヒューズについて調べてみようか、という気になったから 金を損したとは思わない。


サイドウェイ-Sideways(2005/3/13)

二人の男がドライブ旅行に出る。一人は結婚を一週間後に控えた男、もう一人は彼の大学時代のルームメート。ルームメート-主人公- は2年前に離婚したが元妻に未練たっぷり。国語教師をやって生計をたてているが、小説を書きなんとか出版できないかとあがき続ける。

二人はカリフォルニアのワイナリー巡りを続ける。もっとも結婚前の男の目的は「羽を伸ばす」こと。首尾良く二人連れの女性達と知り 合いになるのだが。

監督は徹底的に主人公に気まずい思いをさせた「ア バウト・シュミット」 と同じ人だとか。CGのかけらもないこの映画でも思わず目をそらせようとするシーンはいくつもあり、主人公は(映画らしい大仰なエピソードはなくても)さ んざんな目にあう。そしてたった一人でアパートに帰ってくる。この部屋は小ぎれいとも言えるがどうしようもない孤独、閉塞感に満ちている。

しかし最後に訪れる小さな救い(の可能性のようなもの)を除いても全体のトーンにはどこか明るさが漂っている。プレーボーイでどうしようもない奴だがどこか憎めない結婚一週間前の男が暗い落ち込みから救ってくれるのか。

4人の主要な登場人物の中では、アカデミー助演女優賞にノミネートされたヴァージニア・マドセンが特にすばらしい。主人公と一緒の ベンチに座り 会話をする場面の表情を実際に目の当たりにしたら、ホモであったとしても動揺せずには居られないことであろう。あと私にとってはI-5とか101といった 道路、それにカリフォルニアの風景がとても懐かしかった。また機会があれば北から南まであの道路を走ってみたいなあ。


オー シャンズ12-Ocean's 12(2005/1/23)

前回の11人に加えて私が最近愛し始めたキャサリン・ゼタ=ジョーンズが登場。登場人物が多い上に話も結構ややこしい。でも

「へ?今の何?」

と思っても気にしないように。そのうち説明がでます。

とういわけで軽快な音楽に乗って話が展開する。アンディ・ガルシアの経営するカジノからお金を盗んでしめしめというのが前回の終わり方。それから3年立ってなぜかガルシア君がみんなのところに来て「金を返せ」という。しかも利子つけて。

なぜこんな事になったのか、そもそもの敵はということで話は音楽同様軽快に進む。最後にある男が言う。

「今回の事で誰も勝っていない」

死ぬ生きる、あるいはどろどろした感情とは無縁の泥棒達の騙しあい。だから難しく考えずけたけたと笑っていればいいのだろう。私が 愛するジュリア・ロバーツは(家庭の主婦、という役柄もあるのだろうが)顔が骨張ってしまっていて今ひとつ。

「これは反則ではないか?」

という設定のネタになる他は今ひとつ印象に残らない。(関連してもう一人有名な人が実名で出演してます)反対にアメリカン・スイートハートでもかちあったキャサリン・ゼタ=ジョーンズがすばらしい。この映画の最後は彼女が哄笑した場面なのだ。あ とジョージ・クルーニーの真顔で間抜けな台詞とか。

これだけ「スター」がそろっていると何かと大変だったのだろうけど払ったお金の分は楽しませてもらった気がする。3年後にオーシャ ンズ13を作るなんてことはないのだろうけど。

ただ、ストーリーがよく解らなくなる人。ストーリーの細かいところに拘る人にはこの映画は向いていないと思う。私は普通後者の人な のだけど、何故かこの映画では気にならなかったなあ。


カンフーハッスル-功夫(2005/1/3)

この映画のポスターやら、予告編を見て私は少なからず憤慨していた。主人公が空から落ちてきたり、あるいは建物に大きな掌型の穴が 空くなんての は映画のクライマックスだろう。そんなものを見せてしまってどうする。少林サッカーの予告編は少ししか見せないけど何かを予感させて見事だったぞ、と。

しかし映画を見終わった後では宣伝を担当した人間が「必要以上に饒舌」になった理由が分かるような気がする。この映画が当たるかど うか自信が持てなかったのだろう。そしてゴルゴ13の言葉によれば

「不安は人をおしゃべりにする」

のである。邦題には「ハッスル」などという言葉がついているが、原題は「カンフー」そのものです。

時代設定は少し昔。貧乏人ばかり住んでいるボロアパートはギャング団から目もつけられず、貧しいながらも平和に暮らしていました。 そこにチンピラ志望の主人公がやってきてからあれこれ起こりました。

前半はとても快調。ほとんどだれるところがなく、場内に笑い声が響く。少林サッカーでは最後にでてきた

「ふっとばされると同時にすっぱだかになる」

ネタも初めの方ででてしまう。最初このアパートの住人は全員強いのかと思ったが、達人は3人と解る。でもってギャング団も達人を雇 うのでありました。

ここらへんからトーンがシリアスになり、それとともに映画はつまらなくなっていく。特に主人公が覚醒した後。ギャング団の黒服が増 殖したAgent Smithと重なりMatrixの パロディとしか思えないのだが、笑えもしないし手に汗握りもしない。馬鹿馬鹿しさにあれほど情熱を注ぎ込んで作る姿勢はどこに行ったのか。いや、普通のカ ンフーアクションにしたいのならそれで感動できるようにしなきゃ。Matrixもどきの映像では「ああ、人間が飛んでる」としか思えない。最後は普通の感 動的な「ちょっと良い話」に落としてどうする。

などと文句を言いながら1080円の値段を付けるのはヒロインが可愛いのと(役柄の定義によって台詞はないのだが)あと前半だけで も十分おもしろかったから、ということなのだろうな。


マイ・ボディガード- MAN ON FIRE (2004/12/30)

邦題とポスターを見ると、「孤独なボディーガードが守るべき少女との心のふれあいを通じてなんたらかんたら」というストーリーを思 い浮かべる。しかしこの映画はそんな甘ったるい物ではない。原題はMan on Fireなのだ。

主人公は16年の軍歴で心身共に疲れ切ってしまった男。聖書を開いてもそこに彼を救うものはない。保険継続の為にはボディーガード が必要。誰で もいいから、という理由で雇われる。守るのは一人娘のダコタ・ファニングちゃん。彼女は彼を見て「悲しい(?寂しい)熊」という。そして希望を失った者の 守護聖人を彫ったペンダントをプレゼントする。

何故子供にそこまで解る、という疑問はファニングちゃんの透き通った青い瞳と落ち着いた視線の前に消え去る。なかなかほのぼのして いるではないか。しかしきっとそのうち彼女は誘拐されるはずなのだ。それは今か今か。

と待ちかまえていると完全に虚をついて彼女は誘拐される。それまでDefenseの役割を担っていた主人公は、Offenseに出 る。過去16 年間の「現実」に戻るのだ。彼女と一緒に居たとき見せた笑みは消え一種類の表情しか見せなくなる。そして冷徹かつ正確に彼女を誘拐した男達を追いつめてい く。甘ったるいストーリーを期待して来たカップルはここで自らの判断を悔いることになるだろう。

最後に彼は一瞬笑顔を見せる。その表情にぐっと来た。「ぐっと来る」などという表現は滅多に使わないのだが本当にそう思ったのだか らしょうがな い。そして終わってみれば甘くも、冷酷すぎもせず見事な出来であったことに気づくのだ。早回しと印象的なシーンの挿入によりテンポを落とさず場面をきっち りと描く手法が心に残っている。

デンゼル・ワシントン演じる主人公は最後に「希望を失った者」としての安らぎを得る。現実の如くどうしようもない映画に於いてそれ は一つの救いのように思える。

ここからは余談。Mexico Cityでは6日間に24件の誘拐事件が発生しているとのこと。その台詞を聞いていて思い出した。1997年友達の結婚式でMexicoに行ったとき、あ たりを警官がうろうろしていた。結婚式出席者目当ての強盗が発生している。だから警官雇って警戒してるんだよ、と誰かが言う。

「ちょっとまて。そもそも警官って雇えるものなのか?」

という質問への回答は「何でも雇えるよ」だった。日本の安全神話が崩壊した、と声高に(そして何故かうれしそうに)言う人間は「ど こと比べて?」と自問すべきだと思う。


ターミナル -The Terminal(2004/12/26)

JFK空港についたところで母国にクーデータが起こり、パスポート、ビザは無効。国際線乗り継ぎターミナルから動けなくなった男の 物語

着いたときには英語が一言もしゃべれなかった男が、最後には空港中の従業員から餞別をもらい見送りを受ける。この映画は確かにアメ リカという国 が持つ良い面を描いていると思う。異邦人であっても人を思いやり気骨を持つ者にはおしみのない拍手を送る文化とでも言おうか。これが日本で同じような物を 作るともっとじめじめべたべたしてしまうのだろうなあ。

主役にトム・ハンクス、憎まれ役の上役にm@stervision氏曰く「全米人 間の屑選手権ブッチギリ優勝中」 のスタンリー・トゥッチ。どこか情けない嫌われキャラを熱演しています。しかしなんといってもキャサリン・ゼタ=ジョーンズ。いや、米国人の目にどう映る かしらないけど、映画の女優をこんな気分で見たのは富田靖子@さびしんぼう以来だ。ただ綺麗でIntelligentなだけではなく、弱さ、愚かさ、そし て人間としての悩みをその笑顔の裏に見せるところがすばらしい。だから映画の設定通り

「Incredibly charmingだけど関わりにならない方が良い女性」

と受け取れる。

かようにすばらしいところがたくさんなのだが、ストーリーのいくつかの点に「弱さ」を感じるのが惜しいところ。入国審査官(?)の お姉さんが何 故いきなりプロポーズを受ける気になったのかとか、あるいはエンディングとか。後者はあるいは「世の中そんなもの」ということなのかもしれないが。トム・ ハンクスとキャサリン・ゼタ=ジョーンズの関係が映画っぽいものではにのは良いと思うけど。


ソ ウ-Saw(2004/11/14)

予告編を観る。男が目覚めると見知らぬ部屋の中、足は鎖で縛られている。部屋の対角には見知らぬ男が同じく縛られている。これは一 体なんだ。

面白そうだがとても恐ろしそう。私は恐がりだからパスだな、と思っているうちに公開された。すると世間での評判が大変よろしい。う うむ。怖いけど見にいくか。

オープニングは予告編のまんま。余分なシーンは一つもなく物語は進んでいく。もう一人の男がつかまる回想シーンで少しテンポが落ち る。あら、この人なんて間抜けなのかしら、とか思っているうち再び怒濤の如く映像が流れる。

実は某掲示板に「犯人は」と書かれている一文を観てしまっていた。しかしそれが何の問題にもならぬほど怖くそして面白かった。終 わってみれば

「被害者は恐ろしい経験を通じて少しだけいい人になりました」

でも

「犯人は明らかな意図を持っており余計な人は巻き込みませんでした」

でもない。純然たる変質的なSerial Killer (主人公を殺そうとする理由はちゃんと存在しているが)であり、その被害者だった。そうした余分な意図を持たせなかったところが尚更恐ろしさを増してい る。最近観た映画の中ではフォーン・ブースと かシークレットウィンドウが 思い出される。しかし全てが明らかになり、それまでに提示された画像が一つにつながる一瞬の見事さといいそれらとは比較にならない。

聞くところによればとても若い人たちが作った映画とのこと。この成功で、予算を増やされあれこれ付け加えた続編を作ったりする と、、駄作になるだろうな。


ア ラモ-The Alamo(2004/9/26)

この映画の予告編を観たとき、時期が時期だけにまたアメリカの戦意高揚映画なのだろうと思った。まったくしょうがないなあ。でもっ てアメリカで は興行成績が振るわなかったとのこと。最近はアメリカでもあまりに露骨なそうした映画は受けないというからなぁ、と原因を想像する。というわけで大して期 待もせずに観にいった。

そしてエンドクレジットが終わるまで席に座っていた。予想とは全く違う、真面目に静かに戦争を描いた映画だった。

テキサスとメキシコの間で戦われたアラモ砦の戦い。そこで戦い全滅した男達が描かれている。しかしそこには露骨に愛国心を盛り上げ るような要素(指揮官がIndependence dayのように立派な演説をするとか)は見受けられない。

アメリカ人が全滅しアラモが陥落しても映画は終わらない。テキサスに侵攻したメキシコ軍にアメリカは有利な時、場所を選んで戦いを 挑む。その時Remember the Alamoという台詞が何度か繰り返される。しかし印象に残っているのはその言葉ではない。

この映画ではアメリカ人だけではなく「敵軍」たるメキシコ軍の兵士達もちゃんと人間の顔を持った存在として描かれている。怯える少 年。米軍の突 撃に丸腰で胸を張る将校、クロケットの最後を見守る兵達。そして戦闘が終わった後に映し出される両軍の死骸の山。見終わって感じるのは「戦いで自由を勝ち 取ったアメリカ万歳!」ではなく悲しみ、やりきれなさだ。そして思い出す。8月15日が来るたびに「けんかや言い争いはいくつもあるけど、殺し合わなくて すむのはなんと有り難いことか」と考えることを。

昔同じくアラモの戦いを描いた映画をTVで観たことがある。(ジョン・ウェインがディビィ・クロケットを演じていたような記憶があ るのだが)昔 のアラモにでていたクロケットは分かりやすいヒーローだったが、この映画にでてくるのはより人間らしい存在。最後の突撃の時の表情、それに映画の最後の シーンは彼がヴァイオリンを弾く場面なのだ。その音は美しいがどこかもの悲しく。聞いているうちに考える。この映画の制作者が描きたかったのは死んで Heroと呼ばれるようになったクロケットではなく、生を楽しんでいた姿ではないか。

そうした静かさ、真面目さが災いしたのか米国で大当たりはしなかったし、日本でも評判は今ひとつのようだ。しかし興行成績がどうだ ろうと私はこの映画を観ていくつかのことを考えた。そしてそれは制作者の意図とも合致しているのだろう。以下公式サイトから引用する

歴史監修担当のスティーブン・ハーディン教授は「ジョン・ウェインの「アラモ」を観て、子供達は皆こう思った---あの戦争に 参加できたら格好いいと思わないか?と。だが本作を観た観客は、違う反応をするだろう」


マッ ハ!(2004/8/14)

タイ発、CG、ワイヤーアクション、早回し、スタントマンを使わずムエタイだけを使います、という映画。村の皆が拝んでいる仏像の 頭が盗まれた。そこでムエタイの使い手たる主人公が取り返しに向かう。

この旅立ちの場面で皆がなけなしの金を出し合う。これ以上ありきたりな場面はない、というくらいなのに妙にしんみりしてしまった。 バンコクに行 くと同じ村出身の男がチンピラ家業をしている。この男がまるで「ねずみ男」だなあ、と思う。昔はねずみ男嫌いだったけど、この年になると自分がそれより情 けない存在であることに気がつく。

単純素朴な映画かと思えば麻薬やらその売人やらでてきて雰囲気はちょっと暗めなところもある。しかしアクションシーンは文句なしに すばらしい。 動きの派手さだけならば、Matrix やHERO の方が遙かに上だろうが、それらは「演舞」のようなもの。この映画にはそれらにはまねのできないものがある。それは観客に感じさせる「痛さ」だ。現に私の 隣に座っていた女の子(小学生かな)は映画の間中「いたい!いたい!」とつぶやいていた。

この映画には前述の特殊効果は使われていないが、スローモーション/別カメラによる同一場面の繰り返しは何度もでてくる。それが 「よくこんなこ とをやったなあ」と思えるものだから繰り返しの度にため息をつく。私はエンドロールと共に流れるNG集にはあまり良い感情を持たない事が多い人なのだが (撮り損ないで金を取ろうとは)この映画のはNG集を観ることで本編にあふれていた迫力がより理解できたと思う。演技とはいえあんなひじうちやったら死ん じゃうぞ、と思っていたが撮影中にも何度も出演者はひっくり返っていたのだ。

かくしてストーリーがどうのこうのなどとは一切考えず、払った代金だけの価値はあったなあ、と思うわけだ。ハリウッド映画のアク ション、ジャッキー某のアクション、中国映画のアクション、それらとは全く異なる物を観ることができただけで十分。


ス パイダーマン2-Spiderman 2 (2004/7/10)

前作では スパイダーマンたる主人公が最後にThis is my curseと言った。本作では超人的な才能がPriviledge(特権)なのかGiftなのか、という言葉が何度か語られる。

アメコミを元にしたヒーロー物には違いないのだが、脳天気さ、必要以上のグロさを全く感じさせずに息をもつかせぬテンポで話が進 む。正体を隠し たヒーローは結構いるが、考えてみれば二人分の生活を一人でこなしているわけだからそりゃ無理もでてくるわね。New York みたいな都会だったら事件も多いし、いくら活躍してもそれに対してお金がもらえるわけじゃなし。ヒーローはつらいよ、と悩んだ主人公は糸をだせなくなる。 それまで飛び跳ねて屋上に来たのはいいが帰りはエレベーターだ。というわけでスパイダーマンの衣装のまま見知らぬ男とエレベーターに乗るシーンは大傑作。

それとは別の意味で傑作だったのが、暴走する電車を文字通り体をはって止めるシーンだ。結果は分かり切っているのに、主人公の顔と 同じように観 ているこちらの顔までひきつる。そしてその後の乗客達の態度。日頃New Yorkを舞台にした映画を観ると「こいつら皆殺しだ」と考える私だが、この映画ではNew Yorkっ子の気概のようなものが感じられて印象深かった。携帯で写真とろうとする馬鹿もいないし。

今回の悪役は背中から4本手が生えた元大学教授。一作目と同じく理性と狂気の2面性を顔だけで切り替えるのが見事だが、この怪人、 機械の手で暴れたり、壁を登ったりするときは生身の手足がぶらんとしてしまうのが難点か。

そいつと大げんかのあげく、主人公は今まで抱えていた秘密が結構(必要な相手に)ばれて荷が下りる。それとは反対に苦悩と狂気が ぐっと深まった男が3作目で大暴れするのだろうか、、、。というわけで次回作が大変楽しみになりました。

あと、これまた前作と同じ感想だが、もう少し美人の方をヒロインに据えてもばちはあたらなかったのではないでしょうかねえ。。今回 アップも多いし。

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注釈