題 名:映画評

五 郎の入り口に戻る

日付:2005/9/24

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950 円-Part8(Part7へ | Part9へ)

ライラの冒険 黄金の羅針盤-The Golden Compass(2008/2/24)
エンドロールが終わるまで席を立たずにスクリーンを見つめていた。劇場が明るくなり「おいちょっとまて。これで本当に終わりか」と一人毒づく。
悪くはない。確かに退屈はしないのだが、なんというか理屈で作った映画という気がする。つまり感じるものが何も無いのだ。映画の冒頭、原作が3部作であるこ とを説明するテロップが流れる。でもって一作目は人間世界に似ているけどあれこれ違うのだそうな。人間は皆自分のダイモン(訳は魂。発音はデーモン、とは いっても小暮ではないよ)を動物の形にしてつれて歩いている。さしずめ私がつれているのは雑種の情けない犬だな。
でもって主役は新人の女の子だそうな。がんばっているのはわかるが、「ああ、こういう表情をしようとしているのだな」と考えてしまう。つまり気持ちが伝わってこないのだ。

というか全編そうした雰囲気がただよう。ニコールキッドマンはいかにも「意地悪な魔女」という顔で適役のはずなのだが、今ひとつ美しさも怖さも冴えない。というかさすがに老けたかな。スタイルは見事だけど、首によったしわを大写しにするのはちょっといじわるという気もする。出番の多くない007の人は渋くてよいと思うけどね。

でもって話はとても正当派。困難がふりかかる。旅の仲間ができる。最後は無謀にも一人で敵陣に乗り込む。危機一髪となったところで味方の軍勢が助けにくる。どっかで聞いたような話でしょ。

さて、話が片付きこれからどうなるのか、と思っていると主役の女の子が

「一作目でやり残したこと、および2作目への決意表明」

を 台詞で奇麗にまとめて説明してくれる。あまりに堂々と説明するのでまだ続くのかと思えばいきなりエンドロールだ。なんだこれ。最初からこんなに堂々と「続編あります。みてくださいね」という映画は久しぶりだ。というかここまで言うのなら、エンドロールの後に続編の予告編くらいやるのではなかろうか。というわけで感動したわけではないのにずっと座っていた訳だ。

私の期待は裏切られ、劇場は明るくなる。これで続編作らなかったら詐欺というやつだが、作っても観るかどうか。ナルニア国物語よりは良いと思う。しかしロード・オブ・ザ・リングとは比べ物にならない。新聞の広告には「ロードオブザリング」よりいいと思った人44%と書いてあったそうだが、そう思えるのは、小さなお友達と熊マニアくらいだろう。


スウィニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師 - Sweeney Todd : The Demon Barber of Fleet Street(2008/1/20)(1000円)
実に景気よく人が死に、血が流れる映画である。おまけにミュージカルだから登場人物は突然歌いだす。しかし最後にはそれが気にならなくなる。
ロンドンに住む理髪師。美しい妻とかわいい娘に恵まれ幸せに暮らしていたが、あるとき「悪い判事」が妻に目を付ける。彼女を我が物にせん、とした判事は理髪師に無実の罪をきせ終身刑にするのだった。それから15年。ロンドンに戻ったジョニー・デップは復讐を計画する。かつての理髪店の一階にはロンドンで一番まずいパイ屋がはいっており、その女主人ヘレナ・ボナム・カーターとデップは奇妙な共生関係になるのだった。
というわけで最初から最後まで画面が暗い。中盤「この話はいつまで続くのか」と思った事は確かだし、理髪師の考え方の変わりよう-歌いながら次々とカミソ リを振るうのだ-それに判事の性格とかもう少し丁寧に説明したほうがよかったのではないか、と思う部分もある。と書きながら考えれば「悪い判事」は完全な悪にもなれず、いい人にもなれず。理髪師の娘をかごの中の鳥にしているのだが、この娘は
「薄幸な深窓の令嬢」
とはこうした顔をしていなければならない、という容貌である。その娘に結婚申し込んで「何故受け入れてもらえないのか」と真顔で考えるところは馬鹿げてもいる。しかしつまるところ人間とは そうしたものかもしれん。
しかしそうし た「理屈」を除外してもこれだけ暗い画面、グロいあれこれてんこ盛りでありながら、不思議と気にならないのがおもしろい。デップは眉間に深いしわが刻まれ た顔だけで最初から最後まで通すのだが、それで退屈しない。その深刻な顔を違うコンテキストにおけばギャグにもなる。お話は途中からあれこれ恐ろしいことになるのだが、最後はおさまるところに収まる。悪い奴にはそれなりの裁きがくだり、名も無い無関係な 人たち、それに気の毒な人も巻き添えになる。かくして死体の山が築かれたところでエンドロールが流れ出す。劇場が明るくなったところで席を立ち、自分でも不思議なほど平穏な心で家路についたのだっ た。ティム・バートンの本領発揮といったところであろうか。この人って徹底してへんな映画作らせると実に面白い仕事をするようにおもう。


アイ・アム・レジェンド- I am legend(2007/12/16)
予告編では無人のNew Yorkでウィルスムスがゴルフなんかしている。をを、これは一体どのような話か、と調べる。
すると私でも名前だけは知っている「地球最後の男」のリメーク(2度目か)ということを知る。最初の「地球最後の男」は最後にあっとおどろく転換がある名作だったようだが、同じオチは使えない。さてどうするのか。
そう思いながら観て行くとまあ予告編で観た通りの場面がでてくる。そうそう、それでどうなるわけ、と思っているうち話はだんだんおかしくなる。最後に近づくにつれ「えっ、そんな話だったんですか?」という事情がぼこぼこでてきて、最後はサインばりの神様つながりであるか。
エンドロールが流れ始めたとき、となりで友達とみていた中学生が「面白くなかったんですけど」と言う。ううむ。おじさんもその意見には賛成だ。後半(というか肝心なところ)のチープさを別としても、振り返ってみれば全く登場人物に感情移入できなかったことに気がつく。妻、娘と別れる主人公、とかゾンビのごとく襲ってくる群れなど私が最も苦手な要素のはずなのに、逃げだすこともなく平和に観てしまった。ゾンビもどき達は知性があるようでないようで。あるいは彼らに知性が存在している、ということが描かれれば「アザーズ」 ばりの話になったかもしれん。ゆらゆら近づいてくるゾンビと違い、やたらと早く動き車をひっ くり返すほど強力な彼らには全く恐怖というものを感じない。
草原になりつつあるNew Yorkとかゾンビもどきとかきっと全部CGで作られているのだろう。そうしたテクノロジーには驚嘆するが、話自体にこれ以上の値段を付けることはできな い。結局のところもう一つの「ウィル・スミスの”オレ様”映画」というところか。


マイティ・ハート-A Mighty Heart(2007/11/25)
ブラピ夫妻が作り上げた映画との事。きっと二人ともとてもまじめでいい人なのだと思う。
アフガン戦争が終結したあと、パキスタンに残って取材していたジャーナリストが拉致された。妊娠5ヶ月の妻、それに関係者たちは懸命に夫を取り戻すべく努力するのだが。
という実話をもとにして実にまじめに作られた映画。問題はまじめすぎて平坦に思えることだ。いや、映画らしい演出を加えればいいというわけではないのだが、実話をまじめに映画化しながら観客に恐るべき緊張感を伝えたUnited 93とかもあるわけだし。
そう考えるとドキュメンタリーとしてはいいのかもしれないが、映画としてはいかがなものか、という感が先に立つ。いや、ドキュメンタリーでももっと緊迫感 を持たせられるのではなかろうか。
つ れつれ考えるにどうも登場人物がみな立派な人に描かれ過ぎているところが問題ではなかろうか。奥様とか拉致解決に努力する人たちはみなこれ以上もなくいい 人たちだ。しかしそこからはなんとなく人間の姿を感じることができない。「いい人」達が実在する人物に親しくなりすぎて作ったが故の欠点、ということな のかもしれない。
というわけでこれ以上書く事が何もない。パキスタン側の責任者とか脇役もまじめに仕事をしているとは思うのだけど。一番記憶に 残っているのが、アンジェリーナが唱えていた「南無妙法蓮華経」だというのも本当のところだ。あとこれはよくわからないのだが、イスラム教徒のまっただ中で自分が「ユダヤ人」であることを隠さず公言することは果たして賢明なことなのだろうか?


スターダスト-Stardust (2007/11/17)(1000円)

観ている途中で「これは560円だな」と思う。そう思いながら最終的に−1800円になった映画がいかに多かったことか。しかし何 がしたかったんだ。とにかくCGを使ってみたかったのか。あるいはロバートデニーロが

「一見こわそうだけど実は変でいいおじさん」

を演じたかっただけなのか。

魔 女、次の王座を狙う王子たち、それに田舎町の情けない男がそれぞれの理由により、地上に落ちてきた星 - これがなぜか女の子なのだが - を追い、とりあいっこをする。この主人公の情けなさがなかなか見事である。彼があこがれている女の子にとっては、近くの町に婚約指輪を買いにいくことが 「冒険」なのだ。その子にあごでいいようにこき使われる都合のよい男。
ここで主人公の親父がいい事を言う。「昔あこがれていた人たちは、今やみんなただの人だ」
さて、それから主人公は魔法があれこれする世界に足を踏み入れ、地上に落ちてきた星の女の子を捜しに行く。でもって他の人たちもあれこれするわけだ。
途 中で「なんだこれは」と思っていた評価がぐんとはねあがったのは最後の「ケリをつけるシーン」。ファンタジーであるからHappy Endに決まっているのだが、落ちのつけかたにちゃんと理由が通っている。なんだか知らないけど主人公が強くなるとか、いきなり悪者の弱点が発見されると かそんな終わり方ではない。それまで敷いておいた伏線をちゃんと拾いながら結末に向かう。
というわけでご機嫌な終わり方をした後に全体を振り 返ってみるとそれほど悪くない事に気がつく。そもそも主人公と女性が何故ひかれあったのかがさっぱり謎だがまあそれは映画によくあることだと見逃そう。魔 法を使うたびに老けて行くミッシェルファイファーは最近こういう役が多いように思うが、好演。シミを魔法で直すと他のところがふける、とかリアルでいやん である。というか彼女の場合年はとってもなかなかきれいだから安心していじれる、ということだろう。ロバートデニーロの役は余分と思うが、最後の「ケリを つけるシーン」で彼が出てこない点は良心的としておこう。
最後に主人公はおとぎ話らしい地位に就く。そこで映される「かつてのあこがれの女性と、主人公を足蹴にした色男」の姿は印象的だ。子供の頃は自分が住んで いる場所だけが世界だが本当の世界はもっともっと広い。そんなことをふと思い出すシーンだった。

ファ ンタスティック・フォー:銀河の危機 - FANTASTIC FOUR: RISE OF THE SILVER SURFER(2007/9/24)(1000円)
宇宙忍者ゴームズことファンタスティックフォー-の 2作目。一作目でもでてきたとおぼしき悪役が 再登場するのだが、そもそもこいつが誰で、一作目でどんな悪いことをしたのかカケラも記憶に残っていない。しかし一作目を観た後のわりとご機嫌な気分は覚 えてい る。

こ の映画もにたようなものだ。3日もすれば筋は完全に忘れるだろうが、ご機嫌なチープさがある。92分という短い時間でま とめられているせいもあるだろうが、あくびがでる前に話はきれいにまとまる。(ちなみに邦題の「銀河の危機」というのは嘘で、この映画で危機になるのは地 球およびその他の惑星いくつかである)体がのびのびになるゴームズ君がその体を使ってチープなギャグをかましてくれる。今回同じチームのお姉さんと結婚す るのだが、

「そうか。わかってくれたか。じゃ僕はこれで」

「ちょっと待って。話はまだ終わってない」

という定番の喧嘩台詞も、超能力を持った二人がやると結構なギャグになるのであった。

映画の最後は、パー ル・ハーバーも 裸足で逃げ出す「勘違い日本」の光景。しかし特筆すべきはその勘違いぶりではない。そこにでてくるのがちょっと映画の出演者とは思えぬほど不自由な容貌の 持ち主ばかりなのだ。思うにスタジオで働いているアジア人女性を掃除のおばさんだろうが、食堂のおばさんだろうがなんだろうがかきあつめ、あやしげな日本 髪の鬘をかぶせた、というところではなかろうか。と一番印象に残ったのがそんなことだったりするが、気楽に楽しく観られるのは確かだ。

ミ ス・ポター  - Miss Potter(2007/9/23)

映画の冒頭、いきなりこんな字幕 がでる。

協力:英国政府観光庁(以下略)
後 援:英国大使館商務部

でもって見始めて数分、自分が中学校の体育館にいるような気がしてくる。つまり小学校高学年か中学生に学校側が 安心して 見せられる映画、ということである。
私でも名前だけは知っているピーターラビットの作者に関するお話。32にもなって独身のまま出版 社め ぐりをしていたレニー・ゼルヴィガーはある出版社でユアン・マクレガーと出会うのだった。でもって彼らが"Oh! That is lovely"とかいうバッキュンバッキュンのQueen's Englishをしゃべりまくる。
でもって持ち込んだ作品が意外な ヒットになるわけだがその 過程はとてもあっさり描かれる。いや、全編とてもあっさりなのだ。中学校で上演する映画だからね。とはいえ中学生ともなれば、キスシーンが一つあるくらい では先生も 目くじらたてないでしょう。
映画の後半は美しい英国湖水地方の景色を楽しむことになる。そのうち映画は平和な結末を迎えるが、まあお 話はどうでもよい。
登場人物の中では、マクレガーのエキセントリックなお姉さんを演じる、エミリー・ワトソンがなかなかよろしい。ゼ ルヴィガー老けたなあ。マクレガーは最初それと気づかないくらい老けた、というかふけ顔を演じている。
かくの通り平和な映画であり、 手に汗握ったりなどはしないが、悪い感じはしない。これをみた体育館いっぱいの中学生の中で一人でも二人でもポターの生涯や、英国の湖水地方に興味を持っ てくれれば、英国観光庁感涙にむせぶ、といったところであろう。

ザ・ シューター 極大射程 -SHOOTER (2007/6/17)
こ の映画には余分な要素がないのがよろしい。問題は肝心な要素がない点だ。
軍から使い捨てにされるが、生き延びた狙撃手。いやんなって 隠遁生活を送っているところに
「大統領暗殺計画があるらしい。君が暗殺者になったつもりで計画を立案し、教えてくれ」
と 依頼が来る。まじめにその仕事をしていればいつのまにか大統領暗殺未遂の容疑者として追われる羽目になるのであった。
と いうわけで最初から最後まで飽きずに見ることができた。元同僚の彼女がサポート役ででてくるのだが、この女性と延々ラブシーンを続けるなんてこと がないのがよろしい。主役は「ボーンシリーズ」のマット・デイモン君かと思えば、確かに全体の印象は似てるけど表情のバリエーション9割減、筋肉8割増し の人だった。常に眉間にしわがよってるのはディカプリオ以上。

でもっていつものごとく「誰を信じたらいいのか」 とか攻守がころころかわっ たりとするわけだ。途中から「どうやってこの話に決着をつけるのか」と考え出すのだが、そのあたりから話は腰砕けになっていく。でもって最後には話が ちゃんとまとまるのだが、そのまとまり方は「結局こうするんだったらもうちょっと早くやればいいじゃん」と思いたくなるようなものだった。後から冷静に考 えればきっとお話をつくった側なりの理屈があるのだろう。Out lawに心からはなりきれず、米国の大儀を説かれると弱い主人公であるからして、彼なりに「筋を通さなければ」その行為にたどりつけなかったと。と理屈で はわかるのだが、見ている間はどうしても「結局これかよ」という思いが先にたつ。

つまりそこを「なるほど」と観 客に納得させるだけの「肝 心な要素」が抜けているように思うのだ。というわけであくびもしないが感動もせず映画は淡々と終わる。誰もが知っているビッグスターではないけど、どっか で観たような人があれこれ出てきたことには後で思い当たる。情け ないFBIの新米はなかなかよかった、と思って調べてみれば「ワー ルド・トレード・センタ」でケイジ君と一緒に生き埋めに なっていた男だったか。観ているこちらの身につまされるほどの情けなさを熱演していたのだが、途中からいきなりとっても有能になるのは、話の都合とはいえ いかがなものか。敵役のなんとか大佐はリーサルウェポンの人。彼映画とうってか わって憎憎しい役をやってくれます。同僚の彼女の人はなんだかキーキーうるさい印象しかないかな。


パ イレーツ・オブ・カリビアン ワールドエンド-Pirates of the Calibian - at World's End
3 作目である。というと思い出されるのはスパイダーマ ン3やらマト リックス・ レボリューションズだったりするわけで、見る前から心構えは万全である。
とかなんとかつぶやいているうちに、ま あ平和に見終わりました。あくびをせず、時計も観ないで見終わったからこの値段にする。しかしそれ以上に書くことはほとんど無い。思えば一作目が予測を裏切って面白かっただけで、そもそもこ んなものだったのかもしれん。
正 直言って話の筋は全然見えません。そもそも前作がどんな話だったか覚えてないし。えーっとこの人誰だっけ、と悩まなくても話は勝手に進んでいきます。途中 で 立場がころころ変わるのも「ふーん」と見流しましょう。なんとかいう女神をさんざん煽るのですが、結果的に何もしないまま消えても別に腹も立たない。観る 前から期待 を下げておくというのは良いことです。途中英国海軍の艦隊と海賊達の大海戦が始まるかと思えば、いきなり作られたステージの上で、一騎打ちをしておしま い。ってな感じで話し全体はどうでもよい。
唯 一気に入ったキャラクターと言えば、主役でも脇役でもなく、チョイ役でしょうか。海賊達の凸凹コンビ、あと英国海軍の凸凹コンビ。チョイ役だから何をする わけでもないのだけど。あと英国海軍の「嫌みな男」もいやな男に力一杯徹していてなかなか好感が持てます。。それくらいかな。主役のジョニー・デップも キーラナイトレーも全然印象に残りません。オーランドブルームは、、まあもともと印象薄い人だから。今回脇役で登場するアジア系の男は、渡辺某かと思えば どうやらちがうらしい。

登場人物以外で印象に残ったのは「蟹」である。もちろん「蟹が重要な役割を果たす」という のではないが、とにかくたくさんでてくる。あるいは何か意味を持たせたつもりなのかもしれないが、観ている側は

「そうか。制作者に蟹フェチがいたのだな」

と ぼんやり考えるだけである。

3作見終わった今となっては、一作目だけにしておけば映画史に名前をとどめたかもしれぬのになあ、と考え たりする。もちろん商売的観点からそんなことはあり得ないのだろうけど。


プレステージ-The Prestige (2007/5/22)

公開前の宣伝に「すべ てのシーンにトリックがある」とあるから脚本がこっているのかと思えば、アカデミー賞には撮影、美術賞でノミネート。このギャップはどうしたことか、と考 えていた。見終われば例によって「映画を宣伝する人の熱意と想像力」には感嘆する。

予告編にあった通り二人のマジ シャンの物語である。二人とも多少タイプは違えど、「芸のためなら女房を質に入れることもいとわない」タイプである。でもってお互いの秘密を盗もうとあれ これ身勝手なことをやり続ける、といったお話。

で もっておそらく米国人(あるいは欧米人か)にはこの時代をちゃんと再現した、ということで撮影やらコスチュームが受けるのだろうか。不幸にして極東に生息 する水呑百姓の子孫にはよくわからない。身勝手放題な二人を「ふーん」としか受け取れないのが難点。どちらかに感情移入できればよかったのだけどね。

そ のうちテスラがでてきて超自然現象を持ち出したあたりから話は変になり始める。(このテスラがデビッド・ボウイだというのには驚いたが)だいたい奇術の話 に超自然現象持ち込むのって反則なのでは、、と怒ったりも しない。まあ元々そんなにまじめな話でもないようだし。と思っているとクライマックスに近づいたところで「どんでん返し」が、となるつもりだっ たのだろうね、脚本を書いた人は。みているこちらは

「あ あ、そうですか。いやー意表をつかれたな」

と 棒読みで唱えてみる。それくらい、えーなんというか観客を置き去りにしたどうでもいいどんでん返し兼種明かしなのでありました。二人ともね。日本では冒頭 「この映画の 結末は誰にもあかさないでください」と監督のメッセージがでるらしいが、そりゃそうだ。これ最初に聞いたら誰も観ないし、たいてい怒ると思う。

と いうわけでさしたる感想も持たず平穏のうちに見終えるのでありました。この映画も飛行機の中でみたので、時間つぶしには丁度よかったが。


ブラッドダイヤモンド-Blood Diamond(2007/5/22)

最初に書いておくが、この映画は飛行機の中で観 た。結果として早送り機能が大活躍してしまった。もちろんそのために私が肝心なシーンを見逃してしまっている可能性は存在する。

お そらくこの映画を見た多くの人が同じ感想を持ったと思うが、見終わって考えたのは以下の2点である。

1.今後は何があってもダイアモンドを買わないぞ(ゴ ルゴ13を読んだ後 も同じようなことを考えた気がするが)。
2. 日本で「政治に問題がある」とか「治安が悪化している」とかいろいろ言っても、戦争よりはマシだ。

密 輸ダイヤとそれを巡り殺し合う人々の姿がこれでもかと画面に映し出される。この映画で何度も繰り返されるのがTIA: This is Africaという言葉だ。確かにそうとしか言いようがない映像は見ている側に何かを考えさせたり、少し勉強してみようかと、という気にさせる。  ブラックホーク・ダウンで も描かれていたが、その戦いに何ができるのか、というのはそう簡単に答えがでるような問題とも思えない。

という わけでとてもまじめに作られた映画とは思うのだが、金を払って時間を過ごす映画としてみたときにはこれ以上の値段を付けるわけにはいかない。あるいは制作 者の「使命感」が悪い方向に作用してしまったのかもしれない。

そ れが端的に示されていると思うのは映画の終わり方だ。とても丁寧に「登場人物たちの努力は無駄ではありませんでした」事が示される。それは物語を真面目に 描く、という観点からはとても好ましいことが、映画としてみたときには「間延び」したように思えるのだ。全編そうした雰囲気がそこかしこに顔を出す。

ディ カプリオは熱演しているが、彼の「眉間にしわを寄せた顔」もいささか見飽きた気がする。Dangerous Seekerのジャーナリストにジェニファーコネリー。例によってきれいなことはきれいなのだが、今ひとつ印象に残らない。アフリカ人の主人公は長男を反 政府勢力に拉致され、兵士にされる。自分が父親になるとこういう話はみるのがつらい。
かくして冒頭に書いたようなことを考えはするも のの、それ以上の感慨は持たずに映画を見終わる。もっとも制作者の意図としてはそれで十分ということなのかもしれないけど。


ロッ キー・ザ・ファイナル-Rocky Balboa (2007/4/14)(1000円)

一度は引退したRockyがカムバッ ク。相手は強すぎて人気がでない現役のチャ ンピョン。半ばお遊びのエキジビジョンマッチでRockyに花を持たせる予定が、いつの間にか真剣勝負に、というお話。お話はそうなのだが、映画自体は 「エキジ ビジョンマッ チ」でしかない。スタローン60にもなってすごいですね。

今思い出せるRockyは最初と4作目。最初の Rockyは非常に寡黙な映 画だった覚えがある。しかし言葉で語らずともその映画を作り上げた人達の声が聞こえてくるようだった。4作目は今は無き「ソ連」のボクサーにアウェーで勝 利。いつのまにかソ連の人もRockyコールを、というどうしようもないものだった。

さすがに最後となるだろうこの作品は最初のタッ チを目指したのかもしれない。しかし出来自体は4作目のほうにより近い。一度有名になってしまったものは2度と元の精神を取り戻すことはできない。話の筋 はいいと思う。登場人物を半分に減らし、台詞を1/10に減らし、試合のシーンを作る前にサップ対ホーストを100万回見直してから再び全く無名のキャス ト、スタッフで作り直せば名作になったかもしれない。
滅茶苦 茶強いがファンに愛されないチャンピョンが全く機能していない。中途半端なRockyの女性パートナー、リトル・マリーは可愛いけど、息子も含めて不要。 そして言いたいことを台詞で全部しゃべってしまうのはいかがなものか。言っていることはそれなりに心に響く内容だが、言葉が多すぎる。肝心の試 合シーンが全く単調かつ下手な特殊効果が下品&軽いのもいかんともしがたい。
エンド ロールはで「例の階段」をのぼりぴょんぴょんはねる人達が映し出される。私の友達によるとあれは本当に行われていることらしい。小 学校の遠足バスが到着すると子供達が一斉にでてきて、階段をかけのぼりピョンピョンしたのだとか。でもねえ、そんな緊張 感のないシーンをエンドロールで流すこと自体、この映画が目指した物が「ロッキーシリーズの最終作」であって「良い映画」ではないことを示している。
と かなんとか文句ばかり言いながらなぜ1000円をつけているかと言えば、、まあRockyは偉大な映画だったということか。 また機会があればまた最初のを見てみるか。


ナイトミュージアム-Night at the Museum(2007/3/25)
自分が父親になってからというもの「ダメ親父」と息子の物語には弱 い。
いつも行くシネコンで一番広い劇場はほぼ満員。大半を占めるのは春休みにはいった児童達だ。彼らにとって、またその両親にとって もなかなか良いできだと思うが、もっとよくなったのはないか、という思いが頭をよぎる。
自分の夢ばかりおいかけ、職を転々としている 男が紹介されたのは、自然史博物館の夜警の仕事。そしてその博物館では夜になると展示物が動き出すのだった。
と いうわけでダメ親父があれこれ奮闘するわけだ。セオドア・ルーズベルト役の土瓶ウィリアムスが押さえとしてちゃんと機能している。なのだが、なんというか 全体的に もう少ししゃっきり感があってもよかったのかな、と。途中で時計を見たくなるほどだらだらというわけではないのだけれど。
子供向けの 映画ということで落ちは「歴史をしっかり勉強しましょう」というわけで私自身も「そうか。フン族のアッチラってそういうやつだったのか」と感心してしまっ たが。最後のお祭り騒ぎもさすがに米国人に作らせるとうまいなあ、と感心する。
というわけで悪い感じはしなかったのだが、なんという か、、もうちょっとがんばれば大人も大喜びの映画には、、難しいのだろうけどなあ


ドリームガールズ - Dream Girls (2007/3/4)

ブ ロードウェーでヒットしたミュージカルの映画化。というわけなのだが、いつもの台詞が頭に浮かぶ。

「舞台をそのまま映画にしちゃいけません」

と はいっても「オペラ座の怪人」 ほどひどくはない。しかし「シカゴ」 のように面白いわけでもない。

プ ロになろうとあれこれ苦闘している女の子3人組に、ある男が目をつける。最初は有名な歌手のバックコーラス。そして単独のグループとして売り出す。その途 中で一人の歌手はグループから離脱。しかし彼女は彼女の道を歩き始める。一方爆走を続けるDream Girlsからはぱらぱらと人がこぼれおち、そして離脱した女性の元に集まってくるのだった。。

というわけで50-60年代成り上が り歌手のいつ ものお話である。とはいてもフィクションだから「転落」のところはだいぶおとなしい。この映画で笑ったのは一カ所。マーチンルーサーキングの演説をレコー ドにしたことを、歌手が「アマのレコード先にだすなんてどういうつもり!」と「イチャモン」をつけるところ。演技がすばらしいと思ったのは一カ所。失意と 疲労の底にあるエディーマーフィーの無言の演技。あと途中からルックスを買われてリードボーカルになる女性の最初と最後の「改善され具合」。そのほかはひ たすら淡々と話が進む。
アカデミー助演女優賞受賞の「離脱した歌手」は確かにパワフルな歌声を聞かせる。そしてその「ダメ人間」ぶり も見事だが、この人他に映画の仕事できるのだろうか、、などというのはよけいなお世話か。
1997 年(もう10年前か)には荒れ果てていたDetroit Down Townがなぜそうなったのか、を知ることができた、というのは私の個人的な興味だし。というわけでその「おもしろさ」を感じるために頭の中で変換作業を 続ける。この歌と踊りがステージ上で繰り広げられれば実にすばらしいのだろうなあ。。とかなんとかいいながら退屈せずに最後までみた、というのも確かなの だが。

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注釈