映画評

五郎の 入り口に戻る
日付:2008/4/1
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950 円-Part9(Part8へ | Part10へ)

パコと魔法の絵本 (2008/9/14)

予告編だけ観て、子供向けか大人向けか判断がつきかねた。劇場にいってみれば子供連ればかりである。

事故にあって一日しか記憶が保てない少女。同じ病院に入院している「嫌われたいおじいちゃん」こと役所広司が彼女のために何かをしたいと決心する。そして彼女がいつも読んでいる絵本を元にした劇を演じることを提案する。

エ キセントリックで漫画的な登場人物達をよく動かし、途中までは結構よかったと思う。しかし劇中での登場人物を3DCGにしたところで、破綻する。そのまま でも十分漫画っぽいキャラクターを3DCGにしても、面白くないのだ。逆にもとの人間との対応をつけにくかったり、けばけばしい背景とキャラクター の見分けがつかなかったり。思うにここはわざわざ3DCG使わなくても、元のキャラクターをちょっとデフォルメするだけで十分だったの ではなかろうか。そしてこの「劇中劇」でそれまで広げてきた話が奇麗にたたまれるかと思えば、たとえば「かわいい演技」しかできない元子役とか今ひとつ曖昧なままだ。そう思えば、全く生きてないキャラクター多いなあ。胸部強調だけの小池栄子とか。

時々子供達の笑い声が劇場に響いていたから、子供達はそれなりに満足だろう。しかし私のようなひねた大人にとっては、ラストの締めがどうにも甘いように思える。というか落ちていない。

私 がこの映画から感じるのは制作者の迷いのようなものだ。極彩色に塗りつぶされた空間で漫画的なキャラクターを動かし、どんな物語をつくるか。その迷いがそ のまま画面に現れ、最後に破綻したように思える。とか文句ばっかり言っている割にはこの値段、ということは惜しかったということなのか。

崖の上のポニョ-Ponyo on the Cliff by the Sea (2008/8/2)

(本来なら1000円。しかし話の都合とはいえ、嵐の中母親が5歳の子供たちだけを家に残して外出する、というところが心情的に許せな いのでワンランク落としてこの値段)

公開後の評判を聞いてみると「賛否両論」である。さて、どんな映画か。なるたけ白紙の状態で観ようと思っていたが、あちこちのブログに 感想が書かれおり、いやがおうにも目にはいりそうになる。 これは早く観なければ、と思っても夏休みにはいった映画館は満員である。

というわけでようやく観てきました。感想を一言で言えば「まあ普通にいい映画」である。人魚姫がどんな話かしらないが、きっとそこから 筋をとっているのであろう。ひょんなことから知り合った「魚の子」ポニョと人間の男の子。親につれもどされたポニョは男の子の所にいくと宣言する。

ハウルほど筋のない話 ではない。制作者のイマジネーションの力を感じる場面もある。嵐の後の不思議な世界を、妙に平静に男の子とポニョが 旅していくところは、少し「千 と千尋の神隠し」の海上バスのシーンを思い出す。

とはいえそれほど心に残る映画、という気もしない。それを象徴しているのが男の子の母親だろうか。やたらガサツなのだ。曲がりくねっ た道をロクに前も見ず、人の制止も無視して走りまくる。で、それが何?彼女のガサツさが「強さ」につながっているとは思えない。船に乗っているだけの父親 も含め、あ まり人間を感じることはできない。

いや、宮崎監督は「子供のために作った」というではないか。では肝心の子供はといえば、、うちの長男は主人公にどこかかさなるし、ポ ニョは長女にそっくりである。というわけで親近感は感じるのだが、トトロほど子供達の視線に生き生きとした光を感じる事はできない。結果として 「いい要素はあるが、全体として普通」という感想になるわけだ。宮崎という名前に大きな期待を持つ人は物足りない、と思うのかもしれない。

監督自身は「子供のうけがいまいち」と言って 落ち込んでいたらしいが、さもありなん。とはいえどんな映画からも金を搾り取ってしまうプロデューサの手にかかればこの映画からもたく さんのお金が流れ出るのだろうが。


以下は、↑を書いた後に、別サイトに書いたものの改訂版である。

崖の上のポニョという悪夢

「夢」という言葉は肯定的な意味で用いられることが多い。しかし私がここで話題にしたい「夢」は

ああ、宝くじがあたったら、さっさと引退して好きなことするの になあ

といった類の「自分に都合のよい非現実的な妄想」ではない。寝ている間に見聞きする夢のことである。

私が聞いてみた人は例外なく「夢のなかでは変なことが、困ったことがおこる」という。たとえばこんなたぐいだ。

しまった遅刻してしまった。急いで電車に乗ろうとするが財布が ないことに気づく。家にとりに帰る途中で友達に会う。その友達はここ数年あったこ ともなかったはずなのに、なぜかいきなり親しく話し出す。そして山道に登り始める。途中でトイレに行きたくなったが、なぜかバーのカウンターの中がトイレ になっ ている。。友達(いつの間にか別の友達になっている)は平然と「ここですればいいよ」という。

さて、そこで「崖の上のポニョ」である。この映画について書かれたいろいろな文章を読み、次のような結論に至った。すなわち

「崖の上のポニョは、宮崎氏が映像化した「夢」の世界である」

私があの映画で一番恐怖を感じたのは、嵐が過ぎ去ったあと、水位が異常に上昇した町の光景である。水の中には古代の生物がゆっくり泳 ぐ。子供をつれた夫婦はあたかもそれが当然であるかのように悠然と漕いで行く。船団を組んだ人たちは、青い空の元、とても落ち着いてホテルに避難しようと する。ポニョとソウスケ(だったっけ?)はぽんぽん蒸気船でひたすら進む。

この非現実的な状況と、その風景の中におかれた人たちの平静さ。このアンバランスさはまさしく「夢」の中でしか体験できないもの。すな わち、こ の映画は宮崎氏が映像化し、現実世界にぶちまけた「夢」-悪夢といってもよいが-なのだ。

夢の中で、見も知らないちょっと素敵な異性に「○○好き!!」とひたすら迫られたことはないだろうか。恥ずかしながら私にはある。そし てそれはこの映画に出てくるポニョの姿でもある。

であるから、やれ筋がどうだとかつじつまがどうだとか言うのは私の考えでは的外れである。そもそも「夢」につじつまも筋もない。あるの はその場その場で噴き出すイメージ、それに感情の起伏である。

この映画にでてくる様々な設定にやれあれはなんとかの象徴だとか、なんとかを意味している、と理屈をつけるのも個人の自由だが、私には それはフロイト流の夢分析の ようなものに思える。

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私は宮崎氏の作品を全部見ているわけではない。ラピュタとかもののけ姫とかはいまだに見ていない。しかし少なくとも「千と千尋の神隠 し」以降、宮崎氏の作品は、特定の筋を持たず、それでいながら印象的という世界を狙っているように思える。それを竹熊氏は

もう、つじつまとか整合性とか、わしゃ知らんの! 今回は無意識のリミッター全面解除して作っちゃうんでよろしく!

た けくまメモ : パンダとポニョ(3)

と評した。私が敬愛する映画評を書くm@stervision氏は(ハウルの動く城についてだが)こう述べている。

すなわち、観客に「物語の目指すところ=終着点」を示す意思が最初から無いのだ。もういいじゃないそーゆーの。ただキャラクターの 感情のおもむくままに描いていけば、背景とか因縁とか伏線とか そんなのいちいち説明しなくたって映画は成立するんだよ──という宮崎駿の自信(というか開き直り)がありありと聞こえてくる。いまや100%の創造の自 由と、それを保証する技術力/財力を手にした宮崎駿はどうやら「夢」以降の黒澤明と同じ段階──すなわち年寄りの手慰みの時期に突入したといってよいだろ う。えらく国民的なスケールの「手慰み」だが。これだけメチャクチャな構成で、それでも圧倒的に面白いという実例を観せられてしまうと、いつもインター ネットの個人ページで脚本がどうの伏線がどうのとチマチマと難癖つけてる自分が阿呆みたいに思えてくるよ。まさに「天才に適う努力なし」ですな。

m @ s t e r v i s i o n | archives 2004d

会社の底辺ではいまわり、サイトでつぶやくのが精一杯の人間にとって、こうした

誰にも文句を言わせず、自分が考えたものを形にし、世の中にぶ ちまける権利

というのはとてもうらやましいもののように思える。

ジュノ-Juno(1000円) (2008/6/18)

16歳の女の子がつきあっているかどうかもわからない男の子と一度ほにゃららしただけで妊娠してしまいました。さあどうしましょう、と いうお話。

アカデミー脚本賞を受賞したとのことだが、それほど脚本がすばらしい、とは思わない。特に養子にもらってくれる夫妻の旦那と主人公の関 係は予想通りな割にだらだら進み、じれったくなる。このエピソードが無意味だとは思わないけどね。

し かしながらこの映画がアメリカで予想以上のあたりをとったとすれば、それがきわめて普遍的な家族、そして男女の間の愛をまじめに描いているからだと思う。 あれこれあって精神的に疲れた主人公が家に帰ってきて、これほど家が落ち着ける場所だとはしらなかった(とかなんとか)言うところ。主人公はエキセ ントリックなアメリカの女子高生らしく、乱暴な言葉を使ってはいるが、その行動はきわめてオーソドックスだ。こういう映画は見ていて安心する。

も う一人よかったと思うのは、養子にもらってくれる夫妻の妻の方。基本的に神経質すぎるカリカリの女性なのだが、彼女がジュノのおなかにさわり、赤ん坊に呼 びかける場面はなかなかの名演技。初めて「我が子」を抱いたときのどことなくぎこちなく不安で喜びをどう表現したらいいかわからないところとか。

劇 場内には、おなかが大きな女性と男性のカップルがちらほら。出産を控えた妊婦さんでも安心してみることができるし、自分では決して出産しない私でも、映画 の終わりには主人公が30%くらいよりCuteに見える。と書くと、とてもよい映画のようだがみている最中は、この値段以上はつけられんと思ってい た。よい要素はちりばめられているが、全体としてどこか詰めが甘いと感じたのだろうか。

シューテム・アップ-SHOOT 'EM UP(2008/6/9)(1000円)

邦題を発音してもなんのことやらわからないが、ようするに景気よく銃をぶっ放す映画である。

荒れたエリアのバス停で一人人参をかじる主人公。そこに妊婦が走ってくる。というわけで出だしから謎だらけなのだが、弾丸がやたら飛び かう間にそれが少しずつ明らかになっていく。本編のおちゃらけぶりには「不相応」と思えるほど、それっぽい謎解きがあるのが面白い。

主役は「トゥモ ロー・ワールド」の人でずっと眉間にしわがよせている。とはいえ最初のシーケンスで、「主人公は絶対やられない映画」とわかるから 笑ってみていればよい。特に「スカイダイビングしながらの銃撃戦」はその後のシーンも秀逸。確かにあれだけ殺し合いしてればそうなるわね。

追う側のボスは「レディ・イン・ ザ・ウォーター」や「サイドウェイ」 の人。いや、芸の幅が広い。この映画では元FBIプロファイラにして、半分不死身かつタフなボスを演じる。私がみた前2作でのどこか気が弱そうな男の陰は みじんもない。

も う一人感心したのは、モニカ・ベルッチ。主人公が拾った赤ちゃんに母乳をあげなきゃ、ということで駆け込むのが母乳プレイ専門になっているベルッチなのだ が。考えてみれば母乳というのはただ出る訳ではない。その背景にある悲しみとか時々まじるイタリア語とか。この人をみたのはマトリックスシリーズ以来。例 によって3次元的に2次微分係数の大きなボディラインだのだが、この映画ではなんだか「かわいい人だな」と思ってしまった。

というわけで、あまり期待もしていなかったが思いのほかご機嫌になて映画館を後にすることとなった。こうしたくだらない映画を痛快にと るにはやはりかなりの力技なのではなかろうか。

フィクサー-Micahel Clayton(2008/5/25)(1000円)


アカデミー賞ノミネート7部門、受賞は助演女優賞のみ、という事実がこの映画をよく表していると思う。

ジョージ・クルーニーが裏家業として、依頼主のところにいく。彼は問題の後始末をするスペシャリスト。そして車がどっかんと吹っ飛ぶ。

そこで話は4日前に飛び、話が進むにつれだんだん冒頭のシーンの「謎」が解き明かされていく、という趣向なのだが。

本筋の背景にあるのが、ある会社に対して起こされた集団訴訟。交渉の最中、クルーニーの同僚弁護士は突然奇怪な行動をとり始める。それ は集団訴訟の背後にある「真実」を知ったからだった。

と いうわけで、いかにもアカデミー賞をとりそうな映画である。様々な要素をちりばめ、それをまじめに、徐々に一本の糸にまとめていく。

しかし全般的に「今ひとつ」の感が強い。まず、要素を詰め込み過 ぎ。クルーニーの駄目さ加減を示すには、彼の個人的トラブルだけで十分。家族はいらん。

も う一つは中途半端さ。例えば冒頭の「依頼」 がどうなったのかはわからないままだ。いや、それは話の本筋には関係ない、、といいきれないところも気持ち悪い。クルーニーがどんな人物なのかもはっきり しない。彼は「奇跡を起こす男」と紹介されているわりには、最後までみてもそれほどすごい、とは感じられない。かといって、「16ブロック」のように最初からダメダメな主 人公ががんばる、という話でもない。あと登場人物の名前を連呼されても、観客はすぐに誰がなんて名前だったかなんて覚えきれないよ。

そ んな「今ひとつはっきりとしない映画」の中で光っていたのが、企業の法務部担当の女性。後から考えれば、彼女は職業上の発言しか行っていない。それであり ながら、その背後にある彼女の生活、あるいは心の揺れ動きをちゃんと表現している。助演女優賞も納得である。どこかでみたような顔と思えば、「ナルニア国物語」の悪い女王様であったか。あと 「プッツンしちゃう」同僚弁護士もなかなかよい演技だと思う。切れたところ、それに「入院関係だったら事務所一詳しいぜ」という切れ者の顔をうまく演じ分 けている。

というわけであれこれ説明の後に、冒頭の繰り返しがあり、お話は結末を迎える。落ちのつき方はやっぱり「16 ブロック」 であるか。まあハンサム一路のクルーニーがそれなりにふてぶてしい顔をみせるようになった、というのが収穫なのかもしれない。主人公の年は私とおなじくら い。先も見え、かといって安心も得られない漠然とした不安と焦りは彼の演技からちゃんと伝わってくる。でもなあ、依然としてハンサムすぎるし、一応スー パーもみ消し人みたいに映画の中でいわれている割には(以下繰り返し)

最高の人生の見つけ方-The Bucket List (2008/5/25)


この映画を作った人間は脚本の最初の数ページを読み、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンをキャスティングしたところで力尽き たに違いない。

ジャック・ニコルソンは無一文から財をなした事業家。癌で自分が経営する病院に入院することとなる。病院の経営ポリシーは「一部屋2 ベッド。例外な し」というわけでやたら歴史物のクイズにくわしいモーガンフリーマンと相部屋になるのであった。

このフリーマンは、歴史の教授になりたかったが、大学の時に恋人が妊娠、しかたなく自動車の修理工を45年やっていた、という設定。そ れゆえ「歴史関連の クイズに詳しい」ということらしいのだが、これには文句をいいたくなる歴史学の教授も多かろう。この映画はそこかしこにこうした「詰めの甘い」ところが見 え隠れする。

さて、お互い余命数ヶ月と宣告されたニコルソンとフリーマンは、死ぬまでにしたいことリスト(それが原題のBucket Listとよばれるらしい)を実現するべくあれこれやり始めるのであった。ニコルソンは金持ちだからいろんなことができる。問題はそれらが今ひとつ心に残 らないところだ。それは金持ちゆえにできる「最後の望みをかなえる」に現実味を感じないせいばかりではないような。 良い要素がなかったとは思わない。たとえば、なかなか家族の元に戻ろうとしないフリーマンを、ニコルソンが「帰る気にさせる」ところ。あとニコルソンが書 いた「最高の美女にキスをする」が達成されるところとかね。

しかしそれ以外やっていることが「ああ、そうですか」としか思えないところが惜しい。 とはいえおそらく映画制作者の意図とは異なったところで、心に残るせりふはあった。ピラミッドの頂上でフリーマンがエジプトの神話について語る。死んだ人 間は天国の門で二つの質問をされる。最初の質問は、Did you find joy in your life? その質問にどう答えようか、と考えているうちに映画は終わりになる。こうした物語によくある「冒頭のせりふが最後につながっている」なのだが、その言葉が 今ひとつ心にしみないのはやはりもったいないよなあ。 

非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎- In the Realms of the unreal: The Mystery of Henry Darger (2008/5/15)

1973 年、ある老人が死んだ。彼は孤独で、ほとんど誰とも会話をしなかった。しかしその部屋からは膨大な量の小説、それに3mもある巨大な挿絵が大量に発見され たのだった。

というヘンリー・ダーガーに関するドキュメンタリー。この人の絵画展を見た人の感想の一つにこんなのがあった「絵よりは、これを 書いたのはどんな人だったかに興味を持った」

映画をみた私の感想も同じである。関係者-とはいっても、大家夫妻、隣人など数人しか存在しない- の証言。彼の自伝の朗読、そしてナレーションで映画は淡々と進行する。幼くして親と離れて暮らし、強制的に精神病院に移され、そこか ら脱走する。故郷であるシカゴに戻るが、そこで意地悪な尼僧にいじめられる日々を送る。

一生を清掃人、皿洗いをやって過ごした男。毎日教会に来ていたが、彼がどこに座っていたかは人によって意見がまちまち。そもそも彼の名 前がダーガーなのかダージャーなのかについても意見が一致しない。つまり誰とも関わらない、関心を持たれない人間だったのだ。

その彼が自分の部屋で書いていたのは15,000ページに上る小説、そして挿絵の数々だった。絵を学んだ事の無い彼は、試行錯誤の末、 コラージュをもとに独自の世界を作り上げる。そこでは、ヴィヴィッドガールズという少女達が住む国と、反キリストの大人達が支配する国と戦争をしている。

今の日本語で言えば「引きこもり」の男。その頭の中に広がる世界は、現実世界の鬱憤をはらす妄想の世界ではない。彼自身も登場するが、 時には寝返った立場として描かれる。そして話自体ハッピーエンドで終わりはしない。それは彼が生涯接する事のなかった現実世界の裏返しのようであり、その ま まのようであり。彼は一生自分の内側の世界と外側の世界の接点を探り続けたのだろうか。

年老い衰弱して、彼が自分の王国である部屋から向かった先は尼僧が支配する場所だった。こんな皮肉があるだろうか。彼は急速に衰え、死 亡する。

男は死んだが、残した作品は今も多くの人たちに観られている。その作品をたんに「かわいい」と思う人も有り、作り上げた人に興味を持つ 人もいる。この映画は余分な要素を取り去り、その作品群を造り上げた人間を真面目に描こうとした良作だと思う。ナレーションのダコタ・ファニングの声がよ くマッチしている。

一万年前-B.C.10,000 (2008/4/30)

この映画を見ている間何を考えていたかというと

「このヒロインって”猿の惑星”(オリジナル)のノヴァに似ているような。それともこういう格好をさせると誰でもこんな顔になるのか な」

未来ではなくて、過去に題材を持ってくるのは悪くないと思うのだが。

マンモスを狩る事で生き延びていた種族は、気候の変動にともなうマンモスの減少に悩んでいた。そこに「四つ足の悪い人たち」が来て村人 をさらってしまった。がんばって救いに行きましょう。

という筋から想像できることが想像できる順番で起こる。主人公の焦り故の独走。仲間との出会い。戦闘そして勝利である。
映画であるから、時代が数千年ずれてるぞ、などという野暮な事は言いっこ無しなのだが、それでも「だから何」という言葉は頭から離れない。

途中ヒロインに重要な要素が有る事が示される(まあ予想の範囲内だが)しかしそのあと「重要な要素」はどこかに行ってしまう。誰も手出 しができない「現人神」を「このエロじじい!」とヒロインだけがタコ殴りにする、とかいう愉快なシーンがあってもよかったと思うのだが。

不幸にしてこの映画を観ていてもあくびもでないし涙も出ない。私のように「観たら必ず映画評書くもんね」とか決めている人間へのいやが らせとしか思えない。一つ学んだとすれば

「いつの時代も美人は強い」

くらいであろうか。いつもフジ子に獲物をさらわれるルパンでなくても、男は奇麗な女性のためならどんな馬鹿な事でもするのである。そう いえば「その男」はどこかスタローンに似てるな。。

 ブラックサイト - UNTRACEABLE(2008/4/25)(1000円)

予告編であらすじは知っていた。何者かが殺人の様子をライブ中継するサイトを設ける。そこにアクセスする人が 増えるにつれ犠牲者は徐々に殺されていく。

この「徐々に殺す方法」はよく考えた物だ、といいたくなるほどバラエティにとみ、かつ身の毛がよだつもの。グロさと残忍さに最低限の枠 はは めてあるが(途中その枠を超えたかと逃げ出しそうになったのだが)観ていて楽しくはない。

さ て、こうしたインターネットを扱った映画は、技術的にデタラメなものが多い。人によってはそれに目くじらを立てるのだろうが、このような怖い話だと返っ て救いにも思える。しかしこの映画は後ろの方まで結構きっちり作ってくるんですよ。救いがないんですよ。短い映画なのに体感時間は長い。退屈するという意 味 ではなく。

しかし犯人が主人公を捕まえようとするあたりから「天才的なハッカーは携帯電話でも自動車でもハックできる」という映画的な設定 がでてきて話が無茶になる。いや、観ている方は気が楽になるんですけどね。もう一ついいのは、主人公がペアを組むハンサムな捜査官とべつに何もし ないところ。

というわけで、真面目に作ったB級映画というのが一番率直な感想。しかしなんだな。これ犯人のPCに全部ログが残って るわけだから、アクセスした人間を「殺人幇助」とかで捕まえに行くのだろうか。少なくとも最後の主人公のポーズはそう言っている。

そうしたネットにあまねく存在する「顔の見えない殺人者」を強烈に扱っていれば。あるいは画面に流れていた「閲覧者」のログを読め、と いうことなのかもしれないが、私には残念ながら読み取れなかった。

ノーカントリー - No Country for Old Men(2008/3/31)(1000円)

アカデミー賞を多数争ったと聞いたので見に行った。

麻 薬取引の「おこぼれ」をネコババしようとする男。彼を追うボンベを持つ男。その他何人かの男がでてきて景気よく人が死ぬ。ボンベ男は自分なりの基準を頑に 守り人を殺しまくる。Nothing can stop him.ターミネーターともゴルゴ13ともいいようもない、自分なりの基準、それだけにとりつかれた男を好演していると思う。

その犯罪を少しだけ 追うのがトミーリージョーンズ。ちょっとだけでてきて消えてしまうのがCheersのWoodyことウッディ・ハレルソン。ほとんどの登場人物がものすご い南部なまり(だと思うのだが)でしゃべるこの映画はなんなのだろう。結末も無く、登場人物はそれぞれの道を歩き続ける。(天国への道もその一つだが)か くして私のような人間には

「えーっと何か意味があるようなないような」

というぼんやりした印象だけを持って見終わる事になる。
あるいは「理由も救いも結末も無い」のが現実世界、と言いたいのか。しかし休日に1800円払ってそうしたあたりまえの悟りを得たいと思わないもの確かで ある。極限まで押さえた説明で2時間の間緊張感をとぎれさせないのは見事だと思うが。

観ていて気分のよい映画ではないのでアカデミー賞受賞でありながらあまり広く上 映されていないのも納得。しかし観た後はいくつかのシーンとボンベ男がいつまでも頭に残る。

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注釈