映画評

五郎の 入り口に戻る
日付:2011/6/28
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950 円-Part16(Part15へ | Part17へ)

顔たち、ところどころ:VISAGES VILLAGES/FACES PLACES(2018/09/15)

今日の一言:ぐーぐー。

フランス発のドキュメンタリー(多分)88歳の女性映画監督と、30代の男性アーティストがフランスの各地を回る。

二人が乗っているのは、後部に写真ブース兼巨大プリンがのついた車。集まってきた人はブースで写真をとって自分の巨大白黒写真が印刷されるのを見る。それを幾人かで建物の壁に貼る。それが延々と繰り返される。

主人公の二人、それに集まってくる町の人々。港湾労働者はストライキを誇りに思い、代々同じ職業を継がせるといっている。流石1年のうち1ヶ月バカンスをとり、1ヶ月ストライキをしているフランス人。かの国はアメリカからみれば社会主義国なのであった。

そうした感想はさておき、建物に貼られた巨大な人物の写真は力強い。日本でこれをやったらどうなるんだろうか。

そんなことを考えはするが、それだけで90分はさすがに長い。遠い昔に巡ったフランスの光景を思い出すのはいいが、特に何も起こらない。だから途中2回ほど記憶が飛んでいる。映画をみながら寝たのは久しぶり。

あるエピソードとともに映画が終わるが、ここだけはドキュメンタリーではなく台本に従ったのではなかろうか。妙に嘘っぽいし。こうでもしないとこの映画は終われないのはわかるけど。


アントマン&ワスプ:ANT-MAN AND THE WASP(2018/09/01)

今日の一言:相変わらず楽しいが。

意外な(個人的)ヒットだった前作。今作も楽しいのだけど、やはり2作目の呪いからは逃れられなかったか。

前作が終わった後主人公はアベンジャーズ相手にドイツで暴れたおかげで、自宅軟禁の憂き目にあっている。しかし映画だからそれで終わるわけがないのであった。

相棒たるワスプとその父親が、母親を探しにいくという。それにチンピラがからみ、量子力学をマクロスケールで実現してしまった気の毒な女の子が絡み大げんかが始まる。

とはいっても、アントマンなので小さくなったり大きくなったり。何度か笑い声をあげたのは事実だが、やっぱり前作のほうが何かと「サイズ変更ネタ」もおもしろかったような..気の毒な女の子をサポートしているのはローレンスフィッシュバーン。この人本当にこういう役が好きだな。行方不明の母親は綺麗だなあと思ってみていたらミッシェルファイファーだった。うひゃー。この人って俺より5つも年上、還暦である。

なんだかんだと最後は丸く平和に収まったと思ったとところで、アベンジャーズの例の大混乱がやってくる。この後どうにかしてアントマンが時間の巻き戻しに(いや、そうなるに決まってるでしょ)に貢献するんだろうか。というわけで以下次号。


スターリンの葬送狂騒曲:THE DEATH OF STALIN(2018/08/13)

今日の一言:笑うしか無い

ソ連で絶対的な権力を握り、意のままに人々を処刑するスターリン。その側近であることすら危険きわまりない。その男が床に転がっている。さてどうする。

異変が起こったことを察知しながら、誰も恐ろしくて扉を開けることができない。史実もそうだったらしい。そこから始まる権力継承のドタバタ。控えめなコメディタッチになってはいるのだが起こったことは概ね事実。役にたたないマレンコフ。秘密警察の長ベリヤとフルシチョフの権力争い。「偉大なスターリンが死んだ」と宣伝を信じるしかなかった人民は大挙して弔問に訪れる。

見ているうちにWIkipediaで読んだ「山岳ベース事件」を思い出す。誰かが仲間をリンチすることを命じる。それに従う。すると次には自分が標的にされる。しかしなぜ標的になるのか、殺し殺されるのかもわからない。当時のソ連はそうした状況ではなかったのか。

あるいは親会社から落ちてきた、半ば認知症の「社長」のもとで働いていた時代。「社長」の行動がわけがわからないこと、コンプレックスの裏返しで猜疑心が強いことはスターリン並みだったが、殺されないだけましだったな、とか。

コメディの薄い皮をかぶせてはあるが、極めて真面目に作られた作品。現実は近くでみると悲劇、一歩離れれば喜劇とはこのことだ。

この映画を喜劇とみて笑っていればいいのか?現実世界のロシア文化省がこの映画の上映許可を取り消した、というニュースには絶望と頭痛を感じるのでなければ笑うしか無い。いや、本当のことを言われたから怒るって、それじゃまるでスターリンじゃないか。せめて苦笑いくらいですませられないの?


ヴァレリアン 千の惑星の救世主 :VALERIAN AND THE CITY OF A THOUSAND PLANETS(2018/04/07)

今日の一言:やりきりました!(監督だけスッキリ)

過去にフィフスエレメントとかレオンを作ったリュックベッソンという男が脚本・監督。とはいってもその2本は基本的に未見なので、私の中では「ジャンヌ・ダルク」とか「LUCY」のダメな人である。

さて、本作に関しては「米国で大コケ」ということを知っていた。あまりにその悪評が高いのでどういう映画が見て見たくなる。というわけで眠い目をこすりながらレイトショーでみたわけだ。

「珍品」という言葉がぴったりするだろうか。主役の男女は静止画でみれば綺麗なのだが、まったく人間味を感じさせない。女性が涙を流すシーンがあるのだが「ああ、目薬さしたな」としか思わない。大根なのか監督の演出なのかは知らん。映画の冒頭長々と気持ち悪い「自然と一体化した美しい生活」が描かれる。この場面は人間語一切なし。そのあと主人公二人があれこれする。この映画を見た後に「あれがこうなって」とちゃんと説明できる人はいないのではないか。それくらいわけのわからない、どうでもいい要素がてんこ盛りに詰まっている。

この映画の「リアリティ」を端的に表しているのが「爆破装置のタイマーを止める」シーン。たくさんあるディスプレイ全体にカウントダウンが表示される。それを止めろといわれたアジア系の男は、机の下にあるPCらしきものを開ける。中の配線を(今時のPCにそんな配線ないが)を引きずり出してあれこれする。なんと、この時代にそんなアナログな止め方を、を感心していると小さなタブレットのようなものも見える。あれ?あそこで操作するのかな?と思っているといつのまにかカウントダウンは1秒で停止。なんというか監督にとってはどうでもいい面倒なことだから適当にやっつけたんだろうな。

これ製作するスタッフもどこかで頭を抱えたのではないか。映画の大半はCGだけで作られているから、映画の姿は監督の頭にしかなく皆言われたことを黙々とやっていただけなのだろうけど。

このようにどうしようもない話なのだが、とにかくテンポだけは良い。一応次から次へと何かでてくる。これがわかり切ったシーンを延々とやられると寝たくもなる。感動はしないが、最後まで目を開いていたのは事実。ブレスト室のホワイトボードに書かれた項目をとにかく全部詰め込みましたという体であり、もっとエピソードを絞って掘り下げて、、ということがハナからできない人ならこういう風に詰め込むのもありなんだろうな、と無責任な観客は思う。この映画の製作に出資した人はそれどころじゃないだろうが。


スター・ウォーズ/最後のジェダイ:STAR WARS: THE LAST JEDI(2017/2/11)(1000円)

今日の一言:年寄り退場、はいいのだが。

スターウォーズ8。3部作中の2作目だから、慣習により反乱軍がぽこぽこにやられる。

例によってものすごく制約の多いスターウォーズという世界のなかで見事な技をみせているとは思う。今回はちゃんと「アジア人」も活躍させたし。しかし

「ダークサイドにおちたジョージルーカスの呪い」

からは逃れられなかったようだ。再編集されたエピソード4-6ばりの本筋に関係ない動物とか、CGとかが気になる。そうしたものを全部ちょんぎれば3/4くらいになったのでは。

勝手な想像だがマーケティング部門が「キャラクター商品の展開を」とか余計な口出しをしたんじゃなかろうか。不幸にして映画製作サイドにそれをはねのけるだけの力がなかったか。そうした余分な要素以外にもディズニーにしては荒いと思う部分が多い。

皇帝があっさりやられたり、ルークが死ぬのは「年寄り退場」ということでいいだろう。しかし物理的に退場してしまった人が生き残るのはどういうことか。宇宙空間に吹っ飛ばされた時「ああ、これで無事に退場なのね」と考えたのに。相変わらず情緒不安定なカイロ・レンとかもっと深掘りできなかったかな。主役二人の「強力なヒーローだけど悩みはもってます」がもっと伝わるといいと思うのだけど。

ディズニーだからといって全ての作品にズートピアのような完成度を求めることはできない、ということか。もちろんエピソード2などとは比べ物にならないほど面白いのは違いないのだけど。

などと文句を言いながら、ラストシーンが心に残る。どこの星の何を言っているかもわからない少年たちがジェダイの伝説を語る。ヒーロー本人にとって関係ないことであっても、どうしてヒーローが、伝説が人間社会にとって必要なのかを静かに力強く語る。あとレイのフォース修行場面で、草でこちょこちょやるところとかは笑った。


ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命:Jackie(2017/4/4)

今日の一言:歴史好きなアメリカ人

暗殺されたジョン・F・ケネディの妻、ジャクリーヌ・ケネディを描いた映画。とはいっても彼女の生い立ちとかは語られない。暗殺当日、その一週間後に受けたインタビュー、それに旦那の横に二人の子供を埋葬する三つの時間軸が交差する。

私の意見だが、アメリカ人は歴史好きだと思う。短いからそれだけ執着するんじゃないかと想像している。この映画でも「ロバート・ケネディ:ジョン・F・ケネディの弟にして司法長官」などというテロップがでることはない。だからアメリカの観客は顔と筋だけで誰がだれやらわかると想定している。我が国ではどうか。ロッキード事件の田中角栄を映画化するとしても、このように登場人物のテロップ無しで作ることは到底不可能ではなかろうか。

というわけでジャッキーを演じるのはナタリーポートマン。熱演は認めるが、ジャッキーの一種変わった美しさには到底及ばない。いつも思うがポートマンは綺麗だが、それだけなのだ。ホワイトハウス内部を案内する場面の再現とかアクセントまで一生懸命練習したんだろうなと伝わってはくるが。

旦那がたまたま大統領になったからといって、嫁まで立派になるわけではない。ましてや自分のすぐ横で旦那が頭蓋骨を破壊されたのならばなおさら。ケネディの壮麗な葬儀はYoutubeで知っていたが、あれがジャッキーの「発案」によるものだったと描かれている。この映画の落ち着いたトーンからしてそれほど嘘は混じっていないと思うのだが。

旦那の棺と一緒に歩くと主張したと思ったら、「やっぱりやめる」といい、その手配がすんだところで「やっぱり歩く」というのも普通の人間がやること。親としてはこういう時、真っ先に子供のところにいくと思うが、まあそれは人それぞれだろう。タバコをすぱすぱ吸いながら、「あたしはタバコ吸わない」と言い張る。そうした「たまたま旦那が大統領になった普通の人」をとても真面目に描いているのはよいが、「入場料をとる映画」に昇華するのにはいくつか改善点があると思う。特に音楽が不愉快。あえて不協和音はわかるが、それでも不愉快。あとポートマンが「真似するだけで精一杯」のところが。サッチャーを見事に演じたメリル・ストリープまでは大分距離があるように思う。


ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち:MISS PEREGRINE'S HOME FOR PECULIAR CHILDREN(2017/1/25)

今日の一言:サミュエル・L・ジャクソンあいかわらずの怪演

私にとって当たり外れの振れ幅が大きいティム・バートンであるがこれは当たり。おじいちゃんだけに可愛がられているさえない男がいる。ところがおじいちゃんが謎の言葉を残して死んじゃった、というところから不思議な冒険がスタートする。

まるでX-MENなのだが、あれほどあからさまに二手に別れて戦ったりはしない。夫人のご一行は安全な日をひたすら繰り返している。だから何時何分に何がおこるかまできっちり決まっている。しかしそれでは先に進まないから外乱が起こりそのサイクルが崩れる。

そもそもなんで主人公の男性がモテるのだ、とは問わないことにしよう。そうしないと話が成立しない。目から映画を上映する男があまり役にたっていないことも不問に附す。なぜかといえば悪役の親玉、サミュエル・L・ジャクソンがあいかわらずの怪演を見せているから。この人本当にこういう役を生き生きとやるなあ。というわけで、無事ジャクソンがやっつけられると話は平和裡にお開きとなる。俺この先生の女優さんも結構好きなんだよね。

最後に一つだけどうでもいいことを。あのHe111の爆弾搭載方法は間違っている。垂直式だ。そりゃ爆弾に鉤十字が付いている方がおかしいと普通は思うけど、元軍オタはこういうところにこだわるのだよ。



ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅- FANTASTIC BEASTS AND WHERE TO FIND THEM(2016/11/27)(1000円)

今日の一言:五部作は無理だと思う。

映画の冒頭、主人公が船でニューヨークにつく。というわけで時代はハリーポッターの大分前である。カバンから魔法動物が何度も抜け出す。みていてイライラする。あるいは主人公が自分で言う通り「人をイライラさせる役」を好演しているとみるべきだろうか。

イギリス人である主人公はアメリカの、というかNew Yorkのローカルルールをやぶったとかであっさり死刑を宣告される。いくらなんでもコリン・ファレルの独断で死刑はないだろう。そこから(お約束に従い)助かり、あれこれ気の毒な少年と悪者と喧嘩をするのはいいのだが、間延びする。大量の情報を切ってちぎって詰め込んだハリーポッターシリーズのペースに慣れてしまっているのだろうか。

魔法動物のCGはすばらしい。問題はそれが作品の面白さにつながっていないこと。重々しい映画のトーンはどんな客層に向けたものなのか。ハリーポッターも最後は重かったけど、それは最初の軽妙な導入あってこそだったのではないだろうか、と今にして思う。

というわけで次回作以降はもう少しがんばってほしいぞ、J.K.ローリング。彼女はパン屋になにか思い入れでもあるのだろうか。なぜこの男がそうもモテる。ここでも観客はおいてけぼり。時間を損したとは思わないが、2作目は評判を聞いてから観るだろうし、3作目は作られるんだろうか。

「いや、ローリングさんの言い値で結構です。内容も全てお任せします」

とか誰かがサインしちゃったんだろうか。


ルーム - ROOM(2016/10/29)

今日の一言:これが主演女優賞?

男の子が5歳になったと母親が言っている。今日は誕生日ケーキを焼きましょう。そこから親子の「日常」が描かれるのだが、何かがおかしいことに気がつく。登場人物が二人だけ。しかもずっとカメラが一つの部屋しか映さないのだ。

子供は「ローソクがなくちゃ誕生日ケーキじゃない!」と叫ぶ。(ちなみに映画を通じ子供の叫び声はかなり耳障りだ)母親はなんとか子供をなだめようとする。子供が床につくと外から男性の声が聞こえる。いったいこれはどういう状況なのか。

この展開は悪くない。(今気がついたが10クローバーフィールドも同じような出だしだったな)途中でタネが明かされ、母親は子供の協力を得て脱出を試みる。

白状するがこの脱出の場面ははらはらするので、早送りにしてしまった。しかしそこが映画の面白さを損なっているとは思わない。無事脱出し、ヤレヤレと残り時間を見ればまだ半分くらいある。つまりこの映画は「はらはらどきどきの脱出劇」は話の半分、残りの半分は閉鎖空間に何年もいた母と子がどのように外界に適応するかを描いているのであろう。

なぜ「あろう」と書くかといえば、そこがよく伝わってこなかったから。それまでずっとすっぴんだった母親がメイクをすると「女優顔」になるところは印象的だった。しかしそれ以外は製作者が描こうとした意図がよく伝わらない。父親としては子供が初めてできた友達とボールの蹴りあいをするところは微笑ましく見たけどね。

そもそもなんでこの映画が何故そんなに有名か後で確認して驚いた。なんと主演女優賞をとっているのだ。そりゃ確かに熱演だったとは思うけど


ヒッチコック- HITCHCOCK(2016/10/29)

今日の一言:名優ががんばっちゃいるが

映画として作りすぎだと思う。多分。(本当の物語を知らないので断言できないが)

サイコ制作の舞台裏を映画化。映画の構想があまりに冒険的であるが故に映画会社に受け入れられない。仕方ないから自費で撮影を開始するが、奥様との関係も危うくなり、といったお話。

アンソニーホプキンスが見事な演技をみせる。茶目っ気と恐ろしさをたたえた無表情な目。公開初日、有名なシャワーシーンで観客が悲鳴をあげるのを聞きながら、踊るように無表情で「ナイフ」を振るう。スカーレットヨハンソンは無駄に美しく、ヘレン・ミレン演じる奥様も素晴らしい。しかし話がどうにも「あれこれの困難をどうにか乗り越え大成功しました」の映画パターンにはまり過ぎているのが気になる。そんなパターンにはめなくても、きっと真実の話のほうが面白く、そして演技も活かせたんじゃないかと想像するのだが。

映画の最後で「鳥」が肩にとまるところもヒッチコック的(よく知らんけど)で笑える。今度「鳥」を子供にみせようか。サイコはもう少し大きくなってからだな、とかそんなことを考えた。この映画自体は子供にみせなくてもいいか。

BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント :THE BFG(2016/9/25)

今日の一言:スピルバーグ×ファンタジー

予告編を見る。スピルバーグである。考えてみればETも同じ図式ではあったんだけどなあ。

孤児院にいる女の子が、ある晩巨人を見てしまう。「見たなぁ」というわけで巨人の国にさらわれていく。そのおじさんはいい人なのだが、他の巨人は人間が大好物。でもってあれこれの騒ぎが起こる。

アメリカの子供向け映画だと、げっぷやおならといった「ギャグ」をいれなければならないルールでもあるのだろうなあ、とぼんやり考える。シュレックでもあったが、日本人には今ひとつくどい。そんなに悪い話ではないと思うのだが、ワクワクするかと言われれば

「がんばって作りましたね」

という感想以上を持ち得ない。人間の子供をおそらく食い散らかした巨人達を皆殺しにせず単に絶海の孤島に隔離するのも子供向け映画だから。しかしここまで骨も歯も抜いてしまうとなんともならない。

エリザベス女王がロナルドレーガンとかエリチィンと会話するところに至っては、誰に向けたギャグなのかわからない。アメリカ人ならあそこで「爆笑」ということなのかな。記憶に残っているのはそれくらい。


ギャラクシー街道(2016/6/18)

今日の一言:小劇場でやればよかったのか

わるーい評判をたくさん聞いた後に飛行機で見た。そのせいかそれほどひどいと思わなかった。確かにこれに千八百円だしたら文句をいいたくなるかもしれないが、最初から小劇場で(演劇として十分なりたつと思う)やれば、「なかなかよかったよ」となったのではなかろうか。

かつては栄えていたが、今や寂れているギャラクシー街道。その街道沿いいあるハンバーガー屋。主人が香取某で嫁が綾瀬某。昔の彼女が来て慌てたり、勘違いしたりというものが人間であろう。

この映画にでてくるのは、ヒーローでも悪人でもない、普通の人間たちである(設定上は宇宙人もいるが)ほんわか騒ぎが起こり、ほんわか元のさやに収まる。キャプテンソックスというウルトラマンのできそこないのようなやつが「ジュワッ」の声で「ソックス」というところは笑ってしまった。西田敏行が「相談係」のような役ででてくるが、最後にそれは相談を持ちかけている人間がスイッチ操作で自分が望む言葉をしゃべらせていたことがわかる。人が他人にもちかける相談などそもそもこんなものだ。聞きたいことを言って欲しいだけで、相手の言葉に本当に耳を傾ける人間などいない。

後で気がついたが、私は早送りにもできたはず。しかしほわん、とした人たちを眺めながら一度もその機能を使わなかった。三谷某のファミリーであろう上杉景勝が卵を産んだり、石田三成がポン引きだったりするのが面白かったことは事実だが、それがなくてもおそらく早送りはしなかったと思う。


クリード-Creed(2016/6/18)

今日の一言:ためにためて

題名を見て「?」と思う。そういえばロッキーが倒したチャンピョン、アポロってクリードという名前だったな。

親父が殺されたロッキー4は半ばギャグのような映画だったが、これは真面目。正妻との間には子供がいなかったが愛人には子供がいた。でもって正妻に引き取られ今や真面目に会社員として成功しているがやっぱりボクシングだよね、とロッキーにトレーナーになってくれと頼む。

主役の人がとてもよい。筋肉ムキムキで強そうなのだが、どこかインテリっぽい、そして気が弱そうな顔をしている。筋にぴったり。確かに強いし、サラリーマンとしてのキャリアをきちんと捨てる決意もあるのだが、お母ちゃんに電話してみたりどこか弱さもある。

名前にははいっていないがロッキーシリーズだからお約束はきちんと入っている。ウィリーをして走り回る若者が寄ってくるところで多少ギャグ映画の危うさが漂うが、そこから破綻することもない。とはいえさすがにあの音楽は使わないのか、、と思っていると一番盛り上がるところで。

途中からベタなギャグ映画になってしまったロッキーシリーズから、うまく「抑えた」映画になったのが成功の理由か。とはいえ調子にのってクリード2とかつくるとろくなことになるような気はしない。


10クローバーフィールドレーン-10 Clover Field Lane(2016/6/13)

今日の一言:Who is crazy ?

旦那?と大げんかし指輪を外して一人車を走らせる女性。ところがいきなり車がスピンする。

目がさめると見知らぬ部屋に寝かされている。足には手錠が(表現がおかしいとわかってはいますよ)さて何が起こったのか。すると扉を開けて男が来る。お前を助けてやったと言う。地上は宇宙人に制圧され、毒ガスがまかれている、と語る。それは本当だろうか。もう一人男の子もいるのだがこの男のいうことは信じられるのだろうか。狭い地下シェルターの中で三人の奇妙な生活が続く。

というわけでこの男-ジョン・グッドマン名演である。字幕のない英語版なのでわかんなところが多いのだが、それでも緊迫感と「この男はおかしいのか、恩人なのか」というシーソーが続く。男が謝罪する場面があり、ああやっぱりいい人なのねと思えば。

と書いていて思うが、それならそれで徹底的に「地下室の中での人間劇」に絞る方法もあったと思うのだ。男の子も、主人公もちょっとおかしい。はたして気が狂っているのはだれなのか、とかね。こんなのは自分で作る苦労を知らない人間の戯言だが。

などと文句をいいながら最後の「普通の宇宙人ものっぽい場面」もそう悪くはない。でもなあ、これ描かなくても一瞬それらしいものをみせておしまいとか、、と思考はぐるぐる回るのでした。前作よりずっといいことは間違いないが。

と思っていたが

あちこちの映画評を読み考えが変わった。最後の「戦い」のシーンは存在しなければならない。なぜなら主人公は強大な敵と戦い続ける必要があったから。おそらくこの映画の製作者は「謎解き+サスペンス」よりも、人間に焦点を当てたのではないか、と。であればあの結末も納得だ。

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注釈