映画評

五郎の 入り口に戻る
日付:2011/6/28
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950 円-Part16(Part15へ | 560円へ)

ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命:Jackie(2017/4/4)

今日の一言:歴史好きなアメリカ人

暗殺されたジョン・F・ケネディの妻、ジャクリーヌ・ケネディを描いた映画。とはいっても彼女の生い立ちとかは語られない。暗殺当日、その一週間後に受けたインタビュー、それに旦那の横に二人の子供を埋葬する三つの時間軸が交差する。

私の意見だが、アメリカ人は歴史好きだと思う。短いからそれだけ執着するんじゃないかと想像している。この映画でも「ロバート・ケネディ:ジョン・F・ケネディの弟にして司法長官」などというテロップがでることはない。だからアメリカの観客は顔と筋だけで誰がだれやらわかると想定している。我が国ではどうか。ロッキード事件の田中角栄を映画化するとしても、このように登場人物のテロップ無しで作ることは到底不可能ではなかろうか。

というわけでジャッキーを演じるのはナタリーポートマン。熱演は認めるが、ジャッキーの一種変わった美しさには到底及ばない。いつも思うがポートマンは綺麗だが、それだけなのだ。ホワイトハウス内部を案内する場面の再現とかアクセントまで一生懸命練習したんだろうなと伝わってはくるが。

旦那がたまたま大統領になったからといって、嫁まで立派になるわけではない。ましてや自分のすぐ横で旦那が頭蓋骨を破壊されたのならばなおさら。ケネディの壮麗な葬儀はYoutubeで知っていたが、あれがジャッキーの「発案」によるものだったと描かれている。この映画の落ち着いたトーンからしてそれほど嘘は混じっていないと思うのだが。

旦那の棺と一緒に歩くと主張したと思ったら、「やっぱりやめる」といい、その手配がすんだところで「やっぱり歩く」というのも普通の人間がやること。親としてはこういう時、真っ先に子供のところにいくと思うが、まあそれは人それぞれだろう。タバコをすぱすぱ吸いながら、「あたしはタバコ吸わない」と言い張る。そうした「たまたま旦那が大統領になった普通の人」をとても真面目に描いているのはよいが、「入場料をとる映画」に昇華するのにはいくつか改善点があると思う。特に音楽が不愉快。あえて不協和音はわかるが、それでも不愉快。あとポートマンが「真似するだけで精一杯」のところが。サッチャーを見事に演じたメリル・ストリープまでは大分距離があるように思う。


ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち:MISS PEREGRINE'S HOME FOR PECULIAR CHILDREN(2017/1/25)

今日の一言:サミュエル・L・ジャクソンあいかわらずの怪演

私にとって当たり外れの振れ幅が大きいティム・バートンであるがこれは当たり。おじいちゃんだけに可愛がられているさえない男がいる。ところがおじいちゃんが謎の言葉を残して死んじゃった、というところから不思議な冒険がスタートする。

まるでX-MENなのだが、あれほどあからさまに二手に別れて戦ったりはしない。夫人のご一行は安全な日をひたすら繰り返している。だから何時何分に何がおこるかまできっちり決まっている。しかしそれでは先に進まないから外乱が起こりそのサイクルが崩れる。

そもそもなんで主人公の男性がモテるのだ、とは問わないことにしよう。そうしないと話が成立しない。目から映画を上映する男があまり役にたっていないことも不問に附す。なぜかといえば悪役の親玉、サミュエル・L・ジャクソンがあいかわらずの怪演を見せているから。この人本当にこういう役を生き生きとやるなあ。というわけで、無事ジャクソンがやっつけられると話は平和裡にお開きとなる。俺この先生の女優さんも結構好きなんだよね。

最後に一つだけどうでもいいことを。あのHe111の爆弾搭載方法は間違っている。垂直式だ。そりゃ爆弾に鉤十字が付いている方がおかしいと普通は思うけど、元軍オタはこういうところにこだわるのだよ。



ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅- FANTASTIC BEASTS AND WHERE TO FIND THEM(2016/11/27)(1000円)

今日の一言:五部作は無理だと思う。

映画の冒頭、主人公が船でニューヨークにつく。というわけで時代はハリーポッターの大分前である。カバンから魔法動物が何度も抜け出す。みていてイライラする。あるいは主人公が自分で言う通り「人をイライラさせる役」を好演しているとみるべきだろうか。

イギリス人である主人公はアメリカの、というかNew Yorkのローカルルールをやぶったとかであっさり死刑を宣告される。いくらなんでもコリン・ファレルの独断で死刑はないだろう。そこから(お約束に従い)助かり、あれこれ気の毒な少年と悪者と喧嘩をするのはいいのだが、間延びする。大量の情報を切ってちぎって詰め込んだハリーポッターシリーズのペースに慣れてしまっているのだろうか。

魔法動物のCGはすばらしい。問題はそれが作品の面白さにつながっていないこと。重々しい映画のトーンはどんな客層に向けたものなのか。ハリーポッターも最後は重かったけど、それは最初の軽妙な導入あってこそだったのではないだろうか、と今にして思う。

というわけで次回作以降はもう少しがんばってほしいぞ、J.K.ローリング。彼女はパン屋になにか思い入れでもあるのだろうか。なぜこの男がそうもモテる。ここでも観客はおいてけぼり。時間を損したとは思わないが、2作目は評判を聞いてから観るだろうし、3作目は作られるんだろうか。

「いや、ローリングさんの言い値で結構です。内容も全てお任せします」

とか誰かがサインしちゃったんだろうか。


ルーム - ROOM(2016/10/29)

今日の一言:これが主演女優賞?

男の子が5歳になったと母親が言っている。今日は誕生日ケーキを焼きましょう。そこから親子の「日常」が描かれるのだが、何かがおかしいことに気がつく。登場人物が二人だけ。しかもずっとカメラが一つの部屋しか映さないのだ。

子供は「ローソクがなくちゃ誕生日ケーキじゃない!」と叫ぶ。(ちなみに映画を通じ子供の叫び声はかなり耳障りだ)母親はなんとか子供をなだめようとする。子供が床につくと外から男性の声が聞こえる。いったいこれはどういう状況なのか。

この展開は悪くない。(今気がついたが10クローバーフィールドも同じような出だしだったな)途中でタネが明かされ、母親は子供の協力を得て脱出を試みる。

白状するがこの脱出の場面ははらはらするので、早送りにしてしまった。しかしそこが映画の面白さを損なっているとは思わない。無事脱出し、ヤレヤレと残り時間を見ればまだ半分くらいある。つまりこの映画は「はらはらどきどきの脱出劇」は話の半分、残りの半分は閉鎖空間に何年もいた母と子がどのように外界に適応するかを描いているのであろう。

なぜ「あろう」と書くかといえば、そこがよく伝わってこなかったから。それまでずっとすっぴんだった母親がメイクをすると「女優顔」になるところは印象的だった。しかしそれ以外は製作者が描こうとした意図がよく伝わらない。父親としては子供が初めてできた友達とボールの蹴りあいをするところは微笑ましく見たけどね。

そもそもなんでこの映画が何故そんなに有名か後で確認して驚いた。なんと主演女優賞をとっているのだ。そりゃ確かに熱演だったとは思うけど


ヒッチコック- HITCHCOCK(2016/10/29)

今日の一言:名優ががんばっちゃいるが

映画として作りすぎだと思う。多分。(本当の物語を知らないので断言できないが)

サイコ制作の舞台裏を映画化。映画の構想があまりに冒険的であるが故に映画会社に受け入れられない。仕方ないから自費で撮影を開始するが、奥様との関係も危うくなり、といったお話。

アンソニーホプキンスが見事な演技をみせる。茶目っ気と恐ろしさをたたえた無表情な目。公開初日、有名なシャワーシーンで観客が悲鳴をあげるのを聞きながら、踊るように無表情で「ナイフ」を振るう。スカーレットヨハンソンは無駄に美しく、ヘレン・ミレン演じる奥様も素晴らしい。しかし話がどうにも「あれこれの困難をどうにか乗り越え大成功しました」の映画パターンにはまり過ぎているのが気になる。そんなパターンにはめなくても、きっと真実の話のほうが面白く、そして演技も活かせたんじゃないかと想像するのだが。

映画の最後で「鳥」が肩にとまるところもヒッチコック的(よく知らんけど)で笑える。今度「鳥」を子供にみせようか。サイコはもう少し大きくなってからだな、とかそんなことを考えた。この映画自体は子供にみせなくてもいいか。

BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント :THE BFG(2016/9/25)

今日の一言:スピルバーグ×ファンタジー

予告編を見る。スピルバーグである。考えてみればETも同じ図式ではあったんだけどなあ。

孤児院にいる女の子が、ある晩巨人を見てしまう。「見たなぁ」というわけで巨人の国にさらわれていく。そのおじさんはいい人なのだが、他の巨人は人間が大好物。でもってあれこれの騒ぎが起こる。

アメリカの子供向け映画だと、げっぷやおならといった「ギャグ」をいれなければならないルールでもあるのだろうなあ、とぼんやり考える。シュレックでもあったが、日本人には今ひとつくどい。そんなに悪い話ではないと思うのだが、ワクワクするかと言われれば

「がんばって作りましたね」

という感想以上を持ち得ない。人間の子供をおそらく食い散らかした巨人達を皆殺しにせず単に絶海の孤島に隔離するのも子供向け映画だから。しかしここまで骨も歯も抜いてしまうとなんともならない。

エリザベス女王がロナルドレーガンとかエリチィンと会話するところに至っては、誰に向けたギャグなのかわからない。アメリカ人ならあそこで「爆笑」ということなのかな。記憶に残っているのはそれくらい。


ギャラクシー街道(2016/6/18)

今日の一言:小劇場でやればよかったのか

わるーい評判をたくさん聞いた後に飛行機で見た。そのせいかそれほどひどいと思わなかった。確かにこれに千八百円だしたら文句をいいたくなるかもしれないが、最初から小劇場で(演劇として十分なりたつと思う)やれば、「なかなかよかったよ」となったのではなかろうか。

かつては栄えていたが、今や寂れているギャラクシー街道。その街道沿いいあるハンバーガー屋。主人が香取某で嫁が綾瀬某。昔の彼女が来て慌てたり、勘違いしたりというものが人間であろう。

この映画にでてくるのは、ヒーローでも悪人でもない、普通の人間たちである(設定上は宇宙人もいるが)ほんわか騒ぎが起こり、ほんわか元のさやに収まる。キャプテンソックスというウルトラマンのできそこないのようなやつが「ジュワッ」の声で「ソックス」というところは笑ってしまった。西田敏行が「相談係」のような役ででてくるが、最後にそれは相談を持ちかけている人間がスイッチ操作で自分が望む言葉をしゃべらせていたことがわかる。人が他人にもちかける相談などそもそもこんなものだ。聞きたいことを言って欲しいだけで、相手の言葉に本当に耳を傾ける人間などいない。

後で気がついたが、私は早送りにもできたはず。しかしほわん、とした人たちを眺めながら一度もその機能を使わなかった。三谷某のファミリーであろう上杉景勝が卵を産んだり、石田三成がポン引きだったりするのが面白かったことは事実だが、それがなくてもおそらく早送りはしなかったと思う。


クリード-Creed(2016/6/18)

今日の一言:ためにためて

題名を見て「?」と思う。そういえばロッキーが倒したチャンピョン、アポロってクリードという名前だったな。

親父が殺されたロッキー4は半ばギャグのような映画だったが、これは真面目。正妻との間には子供がいなかったが愛人には子供がいた。でもって正妻に引き取られ今や真面目に会社員として成功しているがやっぱりボクシングだよね、とロッキーにトレーナーになってくれと頼む。

主役の人がとてもよい。筋肉ムキムキで強そうなのだが、どこかインテリっぽい、そして気が弱そうな顔をしている。筋にぴったり。確かに強いし、サラリーマンとしてのキャリアをきちんと捨てる決意もあるのだが、お母ちゃんに電話してみたりどこか弱さもある。

名前にははいっていないがロッキーシリーズだからお約束はきちんと入っている。ウィリーをして走り回る若者が寄ってくるところで多少ギャグ映画の危うさが漂うが、そこから破綻することもない。とはいえさすがにあの音楽は使わないのか、、と思っていると一番盛り上がるところで。

途中からベタなギャグ映画になってしまったロッキーシリーズから、うまく「抑えた」映画になったのが成功の理由か。とはいえ調子にのってクリード2とかつくるとろくなことになるような気はしない。


10クローバーフィールドレーン-10 Clover Field Lane(2016/6/13)

今日の一言:Who is crazy ?

旦那?と大げんかし指輪を外して一人車を走らせる女性。ところがいきなり車がスピンする。

目がさめると見知らぬ部屋に寝かされている。足には手錠が(表現がおかしいとわかってはいますよ)さて何が起こったのか。すると扉を開けて男が来る。お前を助けてやったと言う。地上は宇宙人に制圧され、毒ガスがまかれている、と語る。それは本当だろうか。もう一人男の子もいるのだがこの男のいうことは信じられるのだろうか。狭い地下シェルターの中で三人の奇妙な生活が続く。

というわけでこの男-ジョン・グッドマン名演である。字幕のない英語版なのでわかんなところが多いのだが、それでも緊迫感と「この男はおかしいのか、恩人なのか」というシーソーが続く。男が謝罪する場面があり、ああやっぱりいい人なのねと思えば。

と書いていて思うが、それならそれで徹底的に「地下室の中での人間劇」に絞る方法もあったと思うのだ。男の子も、主人公もちょっとおかしい。はたして気が狂っているのはだれなのか、とかね。こんなのは自分で作る苦労を知らない人間の戯言だが。

などと文句をいいながら最後の「普通の宇宙人ものっぽい場面」もそう悪くはない。でもなあ、これ描かなくても一瞬それらしいものをみせておしまいとか、、と思考はぐるぐる回るのでした。前作よりずっといいことは間違いないが。

と思っていたが

あちこちの映画評を読み考えが変わった。最後の「戦い」のシーンは存在しなければならない。なぜなら主人公は強大な敵と戦い続ける必要があったから。おそらくこの映画の製作者は「謎解き+サスペンス」よりも、人間に焦点を当てたのではないか、と。であればあの結末も納得だ。

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注釈