題名:映画評

五 郎の 入り口に戻る

日付:2006/9/26

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560 円- Part8

魔法にかけられて-Enchanted (2008/3/16)

この映画を面白いと思える大人は

「ディズニー作品のパロディーを指摘し、自分の知識をひけ らかす事に限りない喜びを覚える人」

だけではなかろうか。

いかにもディズニーディズニーしたおとぎ話アニメの主人公がニューヨークに出現、というお話。つまりは過去のディズニー作品のパロ ディである。そのアイディア自体は悪くないと思うのだ。

お とぎ話の格好をした人たちがいきなり現れとくに違和感がない都市というのはそう多くはない。New Yorkはその筆頭であろう。(Tokyoでも多分大丈夫だと思うが)その「違和感のなさ」をまじめに茶化せば面白い映画になったと思うのだが、いかんせ んこの映画を作った人間は

「ほら。あんなにすごいディズニーの過去の遺産を、パロっ ちゃったんだよ。画期的でしょ。おもしろいでしょ」

だけで満足してしまったようだ。同じくディズニーが自分を笑った(つもり)の「チキン・リトル」 でも感じたが、このディズニーの「自意識過剰ぶり」というのは観ていて哀れになる。もう誰もそんなこと気にしてないんだよ。内輪受けは止めて面白い作品つ くれよ。能天気に歌うお姫様に、セントラルパーク(かな?)にいるミュージシャンが反応して集まってくるところなんかもっとまじめにやれば面白かったと思 うのに。なんでここをディズニーのパレードみたいにしちゃうかな。

とはいえ途中一瞬だけ950円にしようかと思う場面もあった。お姫様がふわふわドレスを脱ぎ捨て、現代風のドレスで登場するとこ ろ。その前後だけはよかった。ディズニーアニメにはない「お姫様の切ない表情」とかね。をを、これは、と思ったところでどうしようもない結末のつけ方が 続く。あんたねえ。魔女がドラゴンになるのはいいけど、このやっつけ方はないでしょ。もうちょっと真面目に(以下略)

ジャンパー -Jumper (2008/3/7)

映画の冒頭、幼き日の主人公がいじめられている。ただそれだけなのだが、どうしようもないイライラ感がある。なるほどこれは堂々た る560円映画である。

というわけで主人公ことダースベイダーがなぜか知らねど自由にテレポートできる力を手に入れる。銀行から金を盗み、世界中飛び回っ てご機嫌にしていたが、そのうちサミュエル・L・ジャクソンにおいかけられるはめになるのであった。

20年前だったら

「わあすごい。スフィンクスの頭に乗るところどうやって撮ったんだろうねえ!」

となったかもしれないが、今では退屈なだけである。追いかける側とあれこれ戦うのだがカメラがぶれまくって何が起こっているかさっ ぱりわからない。おまけに相手もこちらもさして強そうでない割には次々と「えっそんな技使えるの」という新技が炸裂する。

一つだけいい点があるとすれば「世界の平和」とか「地球の危機を救う」とか身の丈不相応な使命やら目的がないことだろう。基本的に ダースベイダーは「楽しいし、簡単に稼げていい暮らしできるから」ぴょんぴょんしているだけだし、サミュエル・L・ジャクソンは気に入らないから追いかけ 回しているだけだ。

い きなりどうしようもない設定がでてきたり、それがまた最後に意味もなくぶり返したり。とにかく安っぽい映画の王道を行っている。しかしこういう屑映画は米 国で量産されているはず。そのほとんどは日本にこないのに、何故この映画を日本 で公開しようとするか?考えながら観ていると途中でなぞが解けた。意味もなく日本に飛んでくるシーンがあるのだ。ダースベイダーって日本の景色の中に入る とでっかいなあ、とか感心する。観ている映画館から数百mの場所がでるとさすがにニヤリとしたくなるが、まあ印象に残ったのはそこくらい。

きっ とこれスタッフが行きたい場所に飛ぶ設定にしたのだろうなあ、と思う。スタッフはあちこち旅行できて満足だったと思うが、「飛んで行った世界各地のすばら しさ」を強調しようとすれば、ダースベイダーが元々住んでいた町を悲惨な場所にする必要がある。かくして彼らはDetroit在住ということになるので あった。(正確にAnn Arborかもしれないが)そう。神は人々を苦しめるためにDetroitをお造りになったのです。

俺たちフィギュアスケーター - Blades of Glory (2008/1/19)

基本的には「ナチョ・リブレ 覆面の神様」と同じような映画である。ただしナチョ・リブレが小学生低学年の作品だとすれば、この映画は小学生高学年が作ったような 気がする。

ライバル同士だった二人のスケーターは、表彰式で殴り合いをはじめ永久追放となる。しかし二人が競技に復活できる方法が一つだけあ るのだった。。

と いうわけで男同士がペアを組む。そして「見事な演技」を見せるのだが、これがどうにもぬるい。アクションの面白さは、ギャグに真剣かつ全力で取り組んでい た少林サッカーの1/1000くらい。つまるところは、こうした映画にかける情熱というか真剣さ加減の問題かもしれん。例えば最後にお約束の「決死の必殺 技」がでる。どうせワイヤーアクションとCGで作り上げられることはわかっているのだが、問題はこれが全然かっこよくも、すごくも見えないところだ。なん でこういうことやるかねえ。

とはいえ小学生高学年の作品だから、途中で一度だけくすっとしたかな。あとは

「あーあ。お金払っちゃった。時間使ちゃった」

と思いながら時間を過ごす。

さて、このように張り合いの感じられない映画を救うのは、ここでもかわいい女性の存在である。ライバルペアの妹がそれなりにかわい い。しかし冷静になってみれば、普通の映画で主要人物を演じられる容貌でもないような。

かくして映画は平和のうちにエンディングを迎える。こういう映画って誰を客層に想定してるんだろう。米国の小学生だとこのギャグで 大笑いするのかな。

ナショナルトレジャー/リンカーン暗殺者の日記-National Treasure : Book of Secrets(2007/12/27)

映画を見始め「あれ、こんな人いたっけ」と何度も思う。前 作は見事なくらい頭から消えている。唯一覚えているのがきれいなお姉さんが言う「あたしって妊娠してるように見える?」という恐れと 怒りがまじった台詞。しかしこのお姉さんもっときれいじゃなかったかな。なんだか年とって、、なんというかシャープさが消えたような。

で もって見続けるとこれが久しぶりの「何の迷いも無い馬鹿映画」であることに気がつく。ニコラス・ケイジの祖先が実はリンカンーン暗殺に関わっていた、と誰 かが言う。その汚名を返上すべくがんばっていた筈なのだが、それは一体どうなったか。その他にも「ちょっとまて。あれは誰だった。これはどうした」という 点は目白押しだが疑問を持ったら負けである。なんせ作り手はそんなことなど微塵も気にしていない。とりあえず観光地巡りをして隠された財宝を見つけアク ションするのだ。「ドッカン一発」ですべてが丸く収まるのだ

とはいっても制作者の「投げっぱなしっぷり」はこちらの斜め上を飛び続ける。エ ド・ハリス率いる一味はバッキンガム宮殿あたりでいきなり発砲しだすがその後ものうのうと出てくる。あのー、英国って法治国家なんじゃ。おまけに彼は突然 いい人になってみたりやっぱり悪い人だったり、、で終わればパターン通りなのだが、最後はよくわからなくなる。ものすごい力技ですべてが丸く収まった後、 最後の落ちはスカイキャ プテン以来のむちゃくちゃぶり。しかしそれまでにあきれ果てているからあまり腹も立たない。

エ ンドロールが流れ続けるが我慢して席に座る。いや、きっと最後にもう一つシーンがあるはずなのだ。だって、あれはほったらかしだし、、、と思っているうち 劇場が明るくなる。ああ、最後までこれか。値段をつけるのも面倒な位だが、まあ最初から期待していなかったのでこの値段にしよう。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 (2007/9/8)
エバンゲリオンという言葉は方々で耳にする。綾波なんとかとか時々文章でみかけるし,最近はパチンコにもある。しかしそれが何の ことかは全く知らない。少し勉強しようと見に行った。場内は「20代〜30代の男性一人」だらけである。
結論から言えば「オタ向け記号の羅列」だった。ここで私が「オタ記号」と読んでいるのは以下のような物を指す。もってまわった空虚なセリフ、必要無しに細 かく描かれた機械、その動き、やたらと整った容姿を持つ女性キャラクター、それに中学生男子向けエロ要素。
それを除くのこれには何も残らない。ひたすらうじうじし続ける(そしてさしたる理由も無しにふっきる)14歳の主人公の成長を父との関係も交えて、、とか 思ったのでしょうかねえ。
最初は

「ほら、オタども、こういうもん見せられるとうれしい だろ」

という嘲りを聞くべきかとも思ったのだが、制作者の実力は「キュー ティーハニー」でよくわかっている。そんな難しいことはせずおそらくこれは真面目に作っているのだろう。
「何 のことだか分からない要素を意味ありげにちりばめる」というのは怪しげな科学というか宗教がよく使う手だが、この映画がその古典的手法をアニメに応用して いるということは分かった。実写を撮らせると馬脚を現す制作者も、なぜかアニメという枠組みだとその才能を発揮して「安っぽい謎」を演出するのだろう。こ れをTVで中学生の頃に見ていれば、また違った感慨をもってこの映画をみることができたかもしれないが。
だいたい様子はわかったし、後はWikipediaとYoutubeでみれば十分だ。

とかなんとか言いながら、綾波某の最後の笑顔っていいなあ、とちょっと思ったのは内緒だ。

ゴーストライダー-Ghost Rider(2007/6/10)

予告編を見る。例によってアメコミの映画化らしいがなぜ主役がニコラスケイジなのだ、と首をひねる。見終わってみればニコラスケイ ジとヒロインの「太り過ぎとかっこいいのきわどい境界線上の体型」以外何もない映画だった。
一 応最後まで退屈せずに見ることができた。だからどうしようもなくばかばかしいとか腹が立つといったことはないのだけど、それでも何もないという事実は動か しようがない。父親を救うために悪魔と契約したスタントライダーは、いつしかニコラスケイジになりました。でもって契約した悪魔が「別の悪魔つかま えてこい」と命じるのであった。
というわけで例によってあれこれドンパチがはじまるわけだ。するといきなりニコラスケイジが変身、した姿 は炎に燃える骸骨。元のコミックがどのような絵柄かわからないのだが、どうにもこのBurning骸骨というのは迫力のない姿である。でもってあーだこー だやっているうちに話は丸く収まる。って本当に書くことがない映画だな。飛行機の中で無料で見ることができたのは幸運だったか。唯一面白いと思ったのは、 ニコラスケイジの「情けない」演技。アメコミのヒーローは結構駄目なことが多いが、その駄目さ加減が彼の演技にぴったりである。とはいっても前述したよう に「強くなった姿」が骸骨だから情けない姿とのギャップを楽しむ、ということはできないのだけど。

300(2006/6/10)
推 測するにこの映画の作者を突き動かしているのは次の二つの衝動だと思う。

  1. テ ルモピレーの戦いをとにかく映画化したい(映画化できればよいのであって、内容はどうでもよい)
  2. 腹筋大好き

最 初に断っておくが、この映画は米国でみたので話は半分も聞き取れていない。しかし映画の雰囲気からしてそれが評価に影響しているとも思えない。

と いうわけでテルモピレーの戦いである。スパルタである。ペルシャ軍を相手に300人で全滅するまで戦います。以上。

正 直言えばこの映画の何を売りにしようとしたのか理解に苦しむ。宣伝からは「斬新な映像」かと思ったのだが何も目新しいところはない。登場人物は概ね一種類 の顔をして台詞をしゃべっているだけだから人間を感じさせることもない。父と子というキーワードを使いたいらしいが、父親である私が何も感じない、という ことは多分誰も何も感じないということなのだろう。

というわけで最初に書いたようなことし か思い浮かばない訳だ。前半はまだよいのだが、 後半になると話はぐだぐだになっていく。どうも「スローモーションにすると劇的に見える」と思っている節があり、やたらと多用する。途中で別の国から来た 部隊が撤退するのだが、そこまでスローモーションにするのには驚いた。過剰に塗りつぶされた空虚な物語はどこか「スカイキャプテン-ワールド・ オブ・トゥモロー」や「キャ シャーン」を思い出させるが、公正を期すために書くとそこまでひどくはない。

「最 後の戦い」ではちょっとひねりを入れたつもりなのだろう。しかしそれは制作者の自己満足にとどまり、観客にはひねり、とも思えない。その後それまで無茶苦 茶強かったスパルタ軍が簡単にやられる。なんだこれ、と唖然としているうちに、それまで完全な脇役だった男が長々と演説を始める。なんだこれ、と思うのは 字幕なしの環境でみたの でで何を言っているかはあまり聞き取れなかったためばかりではなかろう。
かくして「安く見ることが できてよかったなあ」という感慨とともに映画館を後にする。やたらと血が飛び散るから(特殊効果としてしか見れないから、残酷さは感じないけどね)あまり 時間つぶしによい映画とも思えないし。というわけでやはり「筋肉をみていれば幸せ」という人以外にはお進めしません。

パ フューム - Perfume(2007/3/11)

3/4まで見たところまでは 950円かと思っていた。しかし残り1/4で評価は560円に落ちた。

異常に鋭敏な嗅覚だけをもってこの世に生ま れてきた男。彼が一番心を引かれたのは若い女性のにおいだった。そして究極の香水を作ろうと考えた彼は、次から次へと「材料」を集め出す。

最 初に彼が人を殺すところは恐ろしくも素晴らしいできだ。というか彼の頭の中では殺人でも何でもないと思う。彼が関心をよせるのは香りだけであり、それが失 われることだけが悲しむべきこと。そうした男の空虚さ、それ故の恐ろしさというのが映像から伝わってくる。また悪臭に満ちたパリという町もおどろおどろし く描かれており、良くも悪しくも印象に残る。

そのあと彼が次から次へと材料集めに走るところで映画はいささか単調 になる。この映画の音楽はサイモン・ラトル指揮、ベルリン フィルなのだが、その良さが発揮される場面もない。これなら普通の映画音楽と変わりないではないか。とはいえこの話にどう決着をつ けるつもりか。

そ んなことを考えていると、制作者は唐突に「愛」というテーマを持ち出し暴走を始める。男に対してののしり声を上げていた観衆の態度がいきなり変わるところ は、十戒という映画で見た「堕落したり改心したり」の民衆を思わせる。つまりペラペラなのだ。その後も話は訥々と続き、「愛」というキーワードを無理矢理 こじつけたエンディングを迎える。

見終わってみれば最初と最後に殺された女性がかわいかったこと。それにこんなに 人間の裸がたくさんでてくる映画がなぜR指定でないのか、という疑問だけが頭に残る。

敬 愛なるベートーベン-Copying Beethoven(2007/1/19)

モー ツァルトのレクイエムには、モーツァルトが書いた部分、モーツァルトが一部分だけ書いた部分、それに一から他人が書いた部分がある。一番広く演奏されてい るジュスマイヤー版を聞く度

「ジュスマイ ヤーが一から書きました」

という部分になるとげんなりする。(世の中そう思った人は私だけではないようで、モー ツァルトが全く書いていない部分を綺麗に削ってしまったバージョンも存在する。)

アマデウスと この作品の関係もそんなものだ。同じく有名な音楽家を扱いながらなぜこうも差が出るかなあ。アカデミー賞受賞作品と比べるほうが間違っている、とい う意見もあろうが、この映画の制作者はそう思ってはいないだろう。瀕死の作曲家が口述した曲を筆記する有名な場面のパクリが最後にでてくる。しかしそので きは

「お手本があるのになぜこうなる」

と 文句を言いたくなるようなものだ。おそらく制作者も同じ思いをもったのだろう。その直後まるで自棄になったかのように映画は唐突に終わる。

こ の映画は何もかもが中途半端だ。全く機能していない脇役、それに肝心なベートーベンが妙にいい人なのも困る。写譜する女性は作曲家志望。自分の曲をベー トーベンに見せると酷評されるのだが、その直後ベートーベンに「私はなんと無神経な事を」なんて謝らせてはいかんのだ。

見 るべき点があるとすれば、彼女が作った曲と、彼女の彼氏が作った橋の(建築家なんだと)のダメさ加減。これは実に見事だ。あと最初からずっと舞台に立ちっ ぱなしの合唱隊が、第9初演の場面で初めて口を開くところはいいと思った。それだけだ。あと女性も綺麗だがそれは映画のできには関係ないし。

ナ チョ・リブレ 覆面の神様- NACHO LIBRE (2006/11/12)

一カ所を除き小学校一年生が作ったような映画である。ジャック・ブラックがでているといって、スクール・オブ・ロックのノリを期待 してはいけない。具体例をあげよう。この映画で2番目にでてきたギャグはこのようなものである。

ジャック・ブラックが3輪スクーターのようなもの に乗っている。なぜか(理由があったかもしれないが忘れた)ずっと後ろを向いている。前をむいた瞬間、道から飛び出してこける。

ひねりも何もあったものではない。ギャグのほとんどはこの類だし、ストーリー自体も以下同文である。

し かしいやな感じはしない。たぶん作っている人が自分を小学校一年生だと自覚しているのだろう。だから身の丈を超えた説教をして観客をいらだた せることはない。映画館には何度か小さな笑い声が響いたが、私は一度も笑わなかった。話としてはプロレス好きの修道士が、プロレスで活躍して、最後は強い レスラーと対戦する、というもの。このプロセスで一度挫折し、パートナーが再選のチャンスを与えるところだけは小学校一年生が思いつかないだろうと思う。 あとジャック・ブラックがいきなりアカペラで恋の歌を歌うところがある。唐突に始まり唐突に終わるのだが、そこだけはジャック・ブラックの声が聞こえた気 がした。

というわけで唯一の見所というのが、ヒロインの修道女である。ゆったりした服の上からもスタイルの良 さが分かるし、美人と不美人の危うい境界の 上でのかわいさを発揮している。世の中にはかぶりものをしていないと可愛くない人というのがいる。例えば冬季オリンピックになるとでてくる上村某とかだ が、この女優さんも尼僧のなにやらをかぶっているときが一番可愛い。とはいえ彼女のかわいらしさだけではなあ、、と思っていると映画はすんなり92分で終 わる。時間がこれだけ短ければ腹が立つということもない。

イ ルマーレ-The Lake House(2006/9/24)

予告編を見る。いかにも、といったラブストーリーにサンドラ・ブロックとキアヌ君。きっと駄目な映画だろうなあと思いながら見にいったらやっぱり駄目だっ た。
湖の上につきでた家に引っ越してきたキアヌ君は、前の住人からの手紙を受け取る。転送し忘れがあったら送ってね、と(実際これは米国ではよくある)ところ がそれは2年未来からの手紙だった。
というわけで郵便箱を挟んで2004年のキアヌ君と2006年のサンドラ婆(失礼な言い方だが、最近の彼女を見るとそうとしか形容しようがない)が恋に落 ちるという話。タイムスリップだからトラベルだか云々を描こうとした映画ではないのだろう(というわけでその部分に関して文句を付けるのはやめておく)何 故そう考えるかと言えば、キアヌ君とサンドラ婆二人のシーンを実に執拗に長々と写し続けるからだ。
ではその二人の人間が魅力的に描かれているかと言えば、全くそういうことはない。であるからしてキアヌ君が「未来の彼女」に対する愛を切々と説こうが何の 説得力もない。私のようなひねくれた中年が見れば

「う んうん。若い頃って、自分の願望をよく知らない相手に投射したりするよね」

と思うだけだ。別の言葉で言えば「離ればなれに酔っている」状態。こんな二人が実際に出会ってつきあいだしたとしても、まあ半月も持つまい、などと考えた り。実際サンドラ婆の腰の軽さはすさまじい。彼女に都合良く使われたあげく一瞬で捨てられる男がでてくるが、もちろんこの映画はその男に何の思いやりも見 せない。
キアヌ君の父親は有名建築家という設定。ここで「家族の愛」も描こうとしたのだなあ、とぼんやり考えるがもちろんそう「感じる」わけではない。この父親が マイケル・ケインとかだったらこの映画も少しは見所のあるものになったかもしれんが、マイケル・ケインは建築家には向かないか。
560円にするかー1800円にするかかなり迷ったが、長さが2時間なのでぎりぎり560円。もう少し長ければ迷うことなく-1800円だった。

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注釈