五郎の
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日付:2008/4/1
1800円|1080円|950
円|560円|-1800円|値段別題名一覧 | Title
Index
ラブ・アクチュアリーを みたある男は電話をとる。
あ、こんな感じで一本作らない?あっちがクリスマスならこっちはバレンタインデー。What?今からだととても間に合わ ない?何言ってるんだ。下敷きあるからすぐできるでしょ。子供の恋愛話とか空港で大暴れとかちょっと変えて使えばいいし。ストーリーなんてどうでもいいん だよ。Big Nameさえならべておけば。そうだ、最近売れてるなんとかいう歌手もいれておいたら?じゃあバレンタインに 間に合うように公開ということでよろしく。
というわけでゴミ映画が一本できあがり。予告編から地雷の雰囲気が感 じられていたのに見に行く自分の愚かさをまず呪おう。
何がゴミか。例えばこうだ。一番たくさんでてくるのは、特徴のない二枚目であるところの花屋。ファンタスティックフォーの女の人(バリバ リのキャリ ア指向)にプロポーズする。観客および登場人物の誰もが”うまくいくわけない”と思っているのだが、主人公は浮かれ、そして現実に直面する。友達に
”うまく行かないと思ってるならなんで誰も言ってくれないんだ”
とか言うが、のぼせて聞く耳なくなってる男に誰が忠告するだろうか。そして最後は落ち着くところに落ち着く、、、って映画が始まって 10分でこうな ること は誰にでもわかってるんだよ。
他のエピソードも大同小異だがいくつか見所はある。まず私が”アメリカのエビちゃん”と考えていると ころのテイラー・スウィフト 。彼 女はMusic Videoの中でだけはなかなか個性的な美人なのだが。映画にでると演技もむちゃくちゃだし、 自慢の顔もなんだか変なのだ。(日本のエビなんとかというモデルも同じように思うのだが)しかしこうやって売れている歌手とかモデルを無理やり映画に押 し込むのは別に我が国の独創ではないのだね。あと私が愛するジュリア・ロバーツの登場シーンは少しよかった。彼女が片道14時間かけて一晩だけ会いに行く 相手はだれなの か。
興味を持てたのはそれくらい。がらがらの映画館に一度 も笑いが響くことはなく、私は半分寝ていた。Los Angelsで核爆発が起こるのは、たしかNextだったと思うが、この映画の登場人物を吹き飛 ばしてくれないかとぼんやりした頭 で考え続ける。
最初から期待が低かったので、まあ560円かとも思ったのだが、この内容で2時間を超えるのは冗談であってほしい。暗闇で二人きりにな
ることだけが
目的のカップルにだけはお勧め。映像にじゃまされることなく、ゆっくりしていってね!
これは日本映画ではなかろうか。考えてみればこの監督が作ったGodzilla にも同じように感じたな。しゃべってるのも日本語だし、ってそれは私が日本語版を観ざるを得なかっただけか。
いや、まじめにそう考えているのだ。これは50−60年代の日本の特撮映画のパロディではないか?そう考えれば主人公はどこか若き日の 高島某に似て いるではないか。
予告編を観たときから思ったのだ。深刻なのか、ちょっと茶化したトーンなのかよくわからないと。観てみれば深刻でも茶化したものでもな くただのゴミ 映画だった。
地球が滅びるのはまあお約束。ニュートリノが物質と相互作用を始めるのもいいだろう。新しい粒子が見つかるのはよくあることだ。しか し”惑星直列” は勘弁してもらえないだろうか。私のような年頃の人間は大予言だの惑星直列だのグランドクロスだのは聞き飽きているのだ。
そこから例によって世界観光地壊滅巡りが始まる。日本はどうでもよかったのか一家族が吹っ飛ぶだけ。主人公ご一行が危機一髪で助かる場 面が連続する がそのうちどうでもよくなり
”この映画館の天井には照明がいくつあるのか”
を 数えだす。というかこれだけVFXの予算を使って、よくこんなに退屈な映画を作れるものだ。黒人大統領は指揮官としての責任を放棄し、権限の委譲すらせ ず、つまり未来を捨て残った人達に語りかけようとする。合衆国大統領としていかがなものか、という議論は脇におき、そこまで覚悟したのだからせめて彼に ちゃんと演説をさせてやればいいと思う。しかしこの映画の制作者はそれすら許さない。
そ う考えると、この映画を貫く”気持ち”は合衆国大統領のそれより、現在の日本の首相に近い。友愛ボートだよ。みんな平等に助かる権利がある。とかなんとか いいながら、罪のない脇役はぼこぼこ殺されるし、画面の外で死んでいる数十億人は全く考慮外。中国人労働者の家族も友人も見殺しだけど、でも目の前にいる 可哀想な人を救わなくちゃ。友愛だよ!
友 愛ボートにたどりついてからがとても長い。現首相の施政方針演説のようだ。観ているうちに”この船とっとと沈んでしまえ”と思った人は結構多いのではなか ろうか。主人公一行の蛮行のおかげで溺れ死んだ人もきっといるのだろう。原子力空母JFKがホワイトハウスに激突するなどのDark Humorもあり、そういうエゴ、グロ満載の映画として開き直れば存在意義もあったと思うが、それには黒人科学者が友愛すぎる。
となれば今の日本国首相に心からの喝采を送る事ができる人はこの映画を楽しむことができるやもしれぬ。そう考えるとやっぱりこれ日本映
画じゃないの
かなあ。
ロバートゼメキスはいったいどうしてしまったのか。観ている間中そればかり考えていた。
フォ レストガンプやバックトゥーザフューチャーを作ったのと同じ人間が作っていると思えない。ポーラー・エクスプレスも同様なのだが、この差異は どうしたことか。
原 作は何度も映画化されている名作だから大はずれはないだろう、と思いながら見始める。しかしすぐにいらいらする。人間の表情と動きを取り込んでいるはずな のに、なぜこのように動きが鈍く、一昔前のCGのように思えるのだろう。なにもかも1テンポおそく、操り人形のように見える。こんなできなら実写主体のほ うがよかったのに。
ストーリはご存知の通り。しかしひたすら暗い画面からは、嫌な感じはするものの”過去と今の自分を省み、将来におびえる”感情は伝わっ てこない。それゆえ
”まだ生きている”
と知ったときの感情の爆発もない。ただ淡々と物語が進むだけだ。それはあたかも皺の動きとかは正確に再現されているが決して人間を感じ させない3DCGと対応しているかのよう。
現 在を見せる精霊の笑い声にいらいらし、未来を見せる場面ではほとんど訳がわからなくなる。家政婦がでてくるのだが、(私が寝てなければ)それ までに登場していないので、誰だかわからない。アクションシーンらしき物もあるのだが、暗い画面の中でしゅるしゅる動かれても楽しくない。
この監督はいったいどうしてしまったのか。どうして他の誰も使わない
”表情と動きを正確にトレースする”
3DCGに固執しているのか。
今日の誓い-サンドラ・ブロックのラブなんとかは、評判がものすごくよくない限り見に行きません。
いや、理屈っぽい中年男はこの値段をつけるが、あなたが成人女性であれば1080円以上の価値を持つ可能性がある。実際映画館は女性 の”くすくす”という笑い声で満ちていたし、私の前に座っていた夫婦の奥様は
”おもしろかったわねえ。作るのうまいわ”
と旦那さんに話しかけていた。旦那さんは口ごもっていたから、あるいは私と同じことを考えていたかもしれない。
一言で言えば女性の妄想全開映画である。とはいえ主人公が45歳では同じ年代の相手を見つけるのは難しい。過去にはヒューグラント(トゥー・ウィークス・ノーティス)やキアヌ 君(イルマーレ)相手に妄想を炸裂させて いたサンドラもさすがに予算切れか。よく知らないお兄さんを持ってきた。
映画の中のサンドラはカナダ人。Working Visaが切れ強制送還の危機に直面する。じつは彼と結婚するんです。というわけで週末に彼の実家に挨拶にいくわけだ。
これが”週末”の挨拶のはずなのに3泊もしているところからしてこの映画のご都合主義ぶりがわかろうというものだ。それともなんです か。アメリカの週末は4日間もあるんでしょうか。
この男というのがアラスカのケネディ家とも言える富豪家のおぼっちゃま。彼がいかに家族に囲まれ愛されているか。それを実感したサンド ラの心は微妙に変化し、という約束通りのお話。
というか設定を聞いたところで最後がどうなるかは観客誰しもわかっている。それをどう埋めてくれるかと思えば例によって一方通行。サン ドラが彼に惚れる理由はわかるが、なぜ男がサンドラにほれるかさっぱりわからない。
映画の制作者もさすがに”これはあんまりでは”と思ったのだろう。最後のシーンで、男に
”自分がなぜサンドラにほれたか”
を台詞で丁寧に復唱させる。それを聞き成人女性の皆様はうんうんとうなずくかもしれんが、ひねくれた中年男はそんな理屈では納得せん よ。
この男もよく考えると結構ひどい。自分を愛してくれる両親、祖母をペテンにかけようとしたのだ。目的は自分の昇進と自分が見つけてきた 本を出版させること。もっとも映画の後半になれば誰もそんなことは覚えちゃいない、と制作者は踏んだか。
などと”細かい”ことをあーだこーだいう人間にはこの映画は合わないのだろう。しかし考えてみればサンドラって大して美人でもセクシー
でも名優でもないのにがんばって生き延びているなあ。
昔”一発屋”と呼ばれる歌手がいた。突然現れ、誰にも想像できないような大ヒットを飛ばす。誰かが”○○大ヒットの影にあった秘話”を 書く頃、売り上げが収束し始める。
そして誰もが待った”次の曲”が発表される。確かに大ヒット曲の要素はちゃんと取り入れられている。しかしこのつまらなさは何なのだ。 3曲目は出された事すら誰も知らない。私の年代だと異邦人の久保田早紀とか、マイ・シャローナのナックとか、”とんでとんで”の人とか
映画を見ている間その事ばかり考えていた。
映画が始まる。長々と仮想世界の説明がなされ、そして部室に閉じこもるNerd二人。そこに美人の先輩が飛び込み
”バイトやらない?あたしと一緒に旅行してくれるだけでいいんだけど”
と告げる。それは、おばあちゃんに”彼氏を連れて行くから”と約束した彼女が必要とした嘘だった。お願い4−5日だけでいいからあたし の彼氏のフリをして、と彼女いない歴=年齢の主人公に告げる。
ここまでひねりのない
”男子高校生の身勝手な妄想全開”
だと”いや、きっと何かワナがあるのだ。”とでも思いたくなる。しかしそのまま話は続く。落ち着け。時をかける少女でも最初は”帰ろうか”と思っ たではないか。この作品もいつかは面白くなるかもしれない。しかしそれはいつだ。
話の筋は平たく言えば
”マトリックス-日本の高校生妄想バージョン”
である。(元のマトリックスは米国の高校生妄想バージョンね)
”ハックすれば世界中なんでも支配下における”
ネットの存在は映画のお約束だから突っ込まないが。しかしマ トリックス リローデッドで見せられたような”そう来たか”という驚きはこの映画には一切存在しない。主人公達が帰 省した先には一族郎党が集まっている。登場人物が多過ぎ、誰も彼も印象に残らない紋切り型の人間としか見る事ができない。仮想世界での”戦闘”は単なる 3DCGの画像であり、今さらこんなもので誰が驚くのだ。誰が手に汗にぎるのだ。クライマックス、ヒロインが仮想世界でかっこよく変身する。制作者よ、観 客はこれ見て喜ぶと思ってるのか?
いいんだよ、高校生の妄想でも。でも金はらってるんだから何か面白いもんみせろよ。
っていうかあれだな。前作時をかける 少女がなぜあんなに支持されたか制作者もわかっていなかったということか。それは一発屋の宿命でもある。キャラクターの顔や体つきは 前作と同じだが、どこにも心がこもっていない。ここにあるのは形式だけだ。
なんだかんだあった後、映画は男子高校生の妄想とともに平和な幕切れを迎える。(その世界ではキスをするのはいつも女の子から)エンド ロールが終わるまで席に座っていたが、それは単に私の列の人間が誰もたたなかったからだ。
高 校一年のとき勝手にシンドバッドという色物としか思えないヒットを飛ばしたバンドがいた。二曲目は早口言葉とかマイナーの曲調とか一曲目そっくりだったが 酷いでき。もうこれで彼らの名前を聞く事もあるまい、と思っていたとき”いとしのエリー”で私の頭は軽くふっとばされた。そのバンドというかリーダーの名 前を子供の親になったこの歳まで聞く事になるとは想像もしなかった。
その経験にならい、この監督の作品は、もう一つだけ(それが公開されればだが)見る事にしよう。
真面目に作った邦画ということで見に行った。”おくりびと”をアカデミー賞受賞の後にしか見られなかった自分への反省を含めて。
観た後考える。私は邦画からより遠ざかることになってしまうかもしれない。
映
画の冒頭、物語の背景がぎこちない字幕で説明される。いやな予感がする。バックに流れる曲はクラシック。雄大な情景にへ
んな音楽をつけるよりは良い判断だと思う。しかしビバルディの四季-冬ばかり何度も流すのはやめてもらえないだろうか。寒さを感じさせる
クラシックはそれだけじゃないんだしさ。演奏がチャチなのかかぶせ方が悪いのか選曲が稚拙なのか、とにかく音楽が効果的とは言いがたい。
などと考えているうち”映画の背景を説明するセリフ”の連発に苦笑し、登場人物それぞれの家族が
全くのつけたしであるのにげんなりする。主人公の妻を演じる宮崎あおいは”ひたすら可愛くでれでれ”した女。測量隊案内人の嫁は、なんというか平成の美人
顔ですね。もう
ちょっと明治顔の人はいなかったのだろうか。顔を出すだけで結局ストーリーに何の関係もないし
思うにこの映画を作った人間というのは、”感動的なセリフを言わせれば観客は感動してくれ
る”と思いこんでいるのではなかろうか。結果としてどの登場人物からも人間を感じることができない。たとえばあり
がちな”若者が無謀なことをして怪我をする”場面がある。その行動自体唐突で訳がわからないのだが、まあそれは問わない事にしよう。その後主人公が
”全部私の責任です”
と言う。字面では立派な言葉だが、そこには責任感も後悔の念も全く感じられない。
い
や、人間ドラマがどうとか難しいことは言わないことにしよう。しかしそれまでさんざん”前人未踏の剣岳”とあおっていたのだから、最後の登頂をドラマチッ
ク-少なくとも難しく見せてくれなければ困る。なんだかんだと言いながら、スタスタ歩いていたら頂上についたようにしか見えない。
そして登頂後も話はだらだら続く。主人公たちの仕事は地図を作ることで剣岳登頂じゃない、というのはわかるが、最後の”剣岳山頂との間
でのエール交換”は見ていて気恥ずかしくなる。そもそもそんなにタイミング良く相手が山頂にいるわけないじゃないか。しょうがないなぁと思っているとこれ
が延々と続く。安っぽい結婚式場の司会の台詞を聞かされているようないやな時間が続く。
と
いったようにストーリーというか話としては見るべき点がない。反対に異常な執着が感じられるのが”映像”である。ライチョウ、熊撃ち、落石、人の滑落場面
な
どがこれでもかとしつこく挿入される。語るべき物語が主で映像はそのための手段と思うのだが、この映画においてはその関係が逆転している。撮影できた良い
映像はとにかく突っ込もうとしているようだ。後で調べ”名カ
メラマンが監督した”と知りなぜこのような映画ができてしまったか納得した。
この映画を価値あるものにするためには、セリフを全部とっぱらい
”美しい剣岳の自然”
とか題名をつけドキュメンタリーに構成しなおすべきではなかろうか。それであれば1000円をつけたかもしれない。
いや、前作でこりておきな
がら、続編を見に行く私が悪いとわかってはいるのだ。でも時間があうのこれしかなかったんだもん。
始まって30分くらいは”ふふふ。期待を0にしておけば失望もしないのさ”と思っていたが甘かった。”一眠りして最後だけみようか”と 本気で考えてしまった。
でてくる巨大ロボットがやたら細かい造作なので、何がおこっているかわからないのも、敵味方の区別がつかないのもお約束。今回の新機軸 は
”錯乱”
で ある。登場人物がとにかく錯乱してきーきーわめき続ける。大学の寮にはいる主人公についてきた母親まで錯乱し”あの部屋にうちの息子が住んでるのよ”とわ めきちらすあたりまではいいとして、そこらへんでフリスビーやっている人間を襲い始めるのは何なのか。米国人だとあのシーンみて面白いと思うのか。でてく る女の子はみんな”米国人好みの安っぽい美女”微分係数が大きく、目が”ぎー”っとなっていて髪が長い。これも私の趣味ではない。
とはいえ 一つだけ面白い台詞があった。ロボットは変身するとみんな車の類いになるのだが、
”人間が神に作られたとしたら、あいつらを作ったのはなんなんだ”
と軍人 がつぶやく。そりゃ観客のつっこみだ。宇宙からきた生物がSR-71になるのはなぜなんでしょうね。ちなみに今回米軍は大活躍である。最近の映画でF- 22はよく見るがB-1Bまで登場したのには驚いた。M-1の大 砲でも結構効果あるみたいだから、別によいロボットにたよらなくてもいいじゃないか。っていうかそもそも他の国にいきなりこんなに兵器もちこんでいいの か。
他には何も書く事がない。”ふーん。米国の小中学生ってこういうの面白いと思うんだ”と考え続けるのだが、なぜこんなに長いのか。この 内容で2時間半にしてしまうところは理解しがたい。やっぱり途中で一眠りすることを考慮してるのかな。
ある映
画評のパクリだが、
”オープニングを見ている間に既に退屈していた”
何がと言われると困るが、どことなく緊張感がないのだ。これはどうしたことか。米国での評価が散々だったようだし、やはり、、いや、ま だ始まったばかり。変な予感にとらわれてどうする、と自分に言い聞かせる。
そのうちこんなシーンがでてくる。映画では何かの理由により”登場人物が、時間を飛び越し登場する”ことがある。(タイムリープとか、 何年も昏睡状態にあったとか)そうした時に
”今日は何月何日、いや何年だ?”
と聞くのはお約束である。普通そんな聞き方をする人はいないから
”何を言っているんだ。お前頭おかしいんじゃないか?”
と突っ込みをいれるのもお約束。ところがこの映画ではそのまま何事もなかったかのように会話が進むのだ。ちょっと待て。
と いったところから始まり、ジョン・コナーがハンサムではあるが一種類の表情しかしないのに飽き飽きし、機械が強いんだか弱いんだかさっぱりわからず、人間 の司令部にいる人達が絵に描いたような”荒くれ者”で笑いさえこみ上げ、これはどうやっても950円以上はつかないなと思っているうち映画は終盤にはい る。いや、別に有名シリーズにふさわしいできを見せろとか、そういう面倒なことは言わない。言わないからとりあえず場面の続きがわかるようにしてもらえな いだろうか。単純な筋なのに場面がふっとぶのでどこにいったかわからなくなる。
CG で復元された若き日のシュワちゃんがでてくるころには、もうどうでもよくなっているので腹もたたない。I'll be back,だのCome with me if you want to live,だの有名な台詞とかどうでもいい。まともな映画みせろよ。最も近い印象を持った映画はハリウッド版ゴジラ。 となりの人が何度も時計を見る。気持ちはとってもわかります。(後で調べて驚いた。これって2時間切る短い映画だったんだ)
見ているうちに考える。過去の3作は何がおもしろかったのかな。するとターミネターの恐ろしさは触媒であり、私にとっては、それらはい ずれも人間の物語であったことに気がつく。この映画の登場人物はいずれも美形だが、カケラも記憶に残らない。
思うに
”ターミネーターなら僕に作らせてください。1−3までどれも五百回以上はみてます”
というターミネーターオタクに作らせたのはないかなあ。出来を問いつめると
”だって、あの台詞もあの場面もはいってるでしょ。いやあ苦労しましたよ。CGはしっかり最先端技術を取り入れてるし。何が問題なんで す?”
とか真顔で答えるような。
Los Angelsが舞台で出演者は白人ばかりだが、実は韓国製の映画が公開されたと聞いた。
観ている間ある疑問が頭をよぎる。実はこの映画も日本製ではないか?過去の名作に今の”スター”を出演させ、ちょっと最近風のテーマ (地球に優しく)を取り入れればヒットするに違いない、というのは最近の日本の十八番ではないか。
ジェニファー・コネリー演じる科学者は
”訳は後で。車にのって”
とどこかに連れて行かれる。なんでも隕石が地球に衝突するのだそうな。78分後に。いや、そんなこと一時間前に言われても。
彼 女と同じように集められた科学者達はヘリコプターに乗りこむ。さあ衝突だ。ところがいつまでも地球はふっとばない。どうしたんだろう、と外を見てみる。っ てなんでわざわざ衝突地点の近くを飛んでる訳?変な玉だったからよかったようなものの、隕石だったらせっかく集めた科学者が、何もしないうちに一瞬で全滅 じゃない。この瞬間
”時間と金を無駄にしたか”
と後悔の念が走る。
まあこの後も万事この調子でお話が進む。現 れては無駄に消える脇役がやたらとでてくる。一番悲惨かつ無意味な最後を遂げたのは、科学者を集める責任者のような人。国防長官は予告編で顔だけ観ていた が、ただのおばさんにしか見えない。どうしたベイツ。無人機で攻撃をかける米軍の指揮官を観て”復活の日”の偉い軍人を思い出した。
い やまあそれだけだったら”ただのつまらない映画”ですんだのだろうけど、ジェニファー・コネリーの子供(正確に言えば彼女は継母だが)を観ていると実にイ ライラする。二言めにはお父さんなら異星人と戦う、と繰り返し話をややこしくする。かと思うといきなり態度を180度変え異星人ことキアヌに頼りだす。こ うやって文字にすると子供らしい行動とも言えるのだが、画面からはそうした
”子供故の浅はかさ、不安定さ、かわいさ”
が微塵も感じられない。調べればウィル・スミスの子供だとか。親の自信過剰なところだけを受け継いだか。”役者の子供”を重要な役で出 すな。”役者”を使えよ。
このように”素人”をやたらと使いたがるのも日本的ではないか。やっぱり裏には日本人スタッフが。。ああ、もうどうでもいいけど終わっ
てくれないかなと思ったあたりで映画は平和な結末を迎える。エンドロールが始まるとともにほとんどの人が席を立ちだしたのには驚いた。
Q:この映画をみるべきでしょうか?
A:時間と金を使って不愉快かつチープな映像を見たいというなら止めません。そうでなければ見ない方が賢明です。
Q:とはいってももう見始めてしまいました。途中退場したいのですが、映画の結末がどうなるか気になります。
A:迷わず退場しましょう。終わりまで見ても何もわからないし、楽しくもありません。同じ調子で不愉快な映像が続くだけです。
Q:なぜシャマラン映画が公開され続けるのでしょう?
A:謎です。おそらく映画会社とシャマランの間で「X本の映画を作成し、公開する事。どちらの側からもキャンセル不可(ただし興行収入 がY$を超える限りにおいて)」という契約をしたのではないでしょうか。
とはいうものの、シャマランはもう映画を作りたくないのだと思います。そのため前作「レディ・イン・ザ・ウォーター」では話の筋 をめちゃくちゃにしました。観客に「もうこないでくれ」と言いたいがために。
そ れでもまだ自分の映画をみる人間がいる。どうしよう、というわけで作ったのがこの映画。映像からは「観ている人間を不愉快にしよう」という声が聞こえ てくるようです。
ある日突然人々が謎の行動をとったあげく自殺する。その死ぬシーンを不必要にグロテスクに、何度も何度もしつこく映し出します。ではな ぜ人々がそんな行動をとるかは結局最後までわか りません。暗示された答えは
「植物さんは意思をもってるんだよ」
「人間は地球環境を破壊しているよね」
というよくきくお話。得意の
「ドラマチック(と監督が判断したシーン)ではスローモーション」
も使ってますが、あのシーンをドラマティックと思う人はあまりいないと思います。銃の国アメリカで、人の家の扉をひたすら蹴っていた ら、吹っ飛ばされても文句は言えんわな。
と いうわけで監督の意図は明瞭(多分)なのですが、気の毒なのは出演させられた役者さん達です。ちょっと情緒不安定気味な奥さんはまあ好演と思いますが、主 人公の男性は間抜けな台詞&顔アップの連続。まあ脚本が脚本だからどんなに演技力があっても間抜け顔に見えてしまうのですが。
とまあこれ以上なにか書く気も起こらないような映画ですが、一番愚かなのは米国での評判最悪、という事実を知りながら観た私というのは
確かです。
機動戦士ガンダムというアニメで、シャアという人が言う
「ニュータイプといえど、体を使う戦いでは訓練をしなくては」(うろおぼえ)
頭で先が読めるようになっても、体が動くように訓練しないと、戦いには勝てませんよ、ということである。なるほど、確かにそうだ。
こ の映画のリアリティはガンダムよりはるかに劣る。他人がギターを弾いているところを数分みただけでなぜかアンプのつなぎ方から弾き方までマスターする。 CDEFGAHを一度さらっと語られただけで、その日のうちにパイプオルガンをガンガン弾きまくる。モーツァルトもこの子の前では「どうしようもなく覚え の悪い少年」でし かない。
い や、ファンタジーだからそんなリアリティはどうでもよい、という意見もあろう。映画の冒頭「にせニコール・キッドマン」といった感じの女性がチェロを弾 く。長嶋一茂 似(つまり整ってはいるが、しまりのない顔)の男がロックを歌う。この場面を延々とやるのだが、どちらの音楽も全く心に響かない。ここで不安に襲われる。 この映画の制作者は音楽への愛を持っていないのではなかろうか。
さて、このふたりがたまたま出会い、いきなり一晩だけ共にしました。そのときできた子供は母親の知らない間に孤児院に入れられました。 音楽をする二人の子供ですからものすごい才能を持っていました。彼が音楽を奏でると、なぜか両親は彼のもとに近寄ってくるのでした。
両親は、数時間だけ一緒にいた相手に異常な執着を示すが、不幸にして観ている側には「なにやってるんだか」としか思えない。いや、これ はきっと私がロマンスというものを理解しないせいだ、と自分に言い聞かせる。そんな調子で途 中まではだらだらながらも観ていられるが、主人公がジュリアード音楽院にはいるあたりから話は無茶苦茶になっていく。必要な場所に必要な人物が瞬 間移動する。親父の歌だけはやけに念入りに映すのだが、「米国ではこの曲が受けるんですかねえ」と思うだけ。親父はビジネスマンになったり、ロッ ク歌手になったり自由自在。母親も10年何もしてないのに、いきなりNYフィルとの競演話が舞い込む。美人だからか?美人だとこんな風に仕事がくるのか?
いや、そこらへんは「ファンタジーだ から」ということで目をつぶろう。最後には主人公が自ら作った曲を指揮する。フレディ・ハイモアは好きな役者だが、最近出演作に恵まれていないような。。 この指揮の場面はどうひいき目にみて許容できない。にこにこして腕振りまわしてればいいってもんじゃねえぞ。
とはいえ「音楽の力」は偉大
だ。両親は(お互いがいることも知らないのに)ものすごい群衆をかきわけ手をつなぎ、指揮台にたつ息子を見つめる。そして「音楽の力」により両親が客席に
いることを知った主人公は後ろを振り
返り、両親を見つめる。おい!まだ曲が終わってねえぞ!曲を途中で放り出し後ろをむいてへらへらしている指揮者がどこにいる!この映画作った人間ってやっ
ぱり音楽愛してないだろう。つじつまあわせるのに都合のいい道具としか思ってないだろう。
予告編をみて期待と不安が半ばした。この豪華メンバーはどうしたことだ。しかし画面から溢れ出るチープさも気になる。さて、観た物かどうか、、と迷ってい
るうちに鑑賞券を購入していた。
三つのストーリーが平行して語られる。メリルストリープ演じるジャーナリストに、新しい「作戦」の情報を伝える上院議員ことトム・ク ルーズ。その作戦を決行している兵士達。そして中2病の学生と対話している教授ことロバートレッドフォード。
彼 らの会話の内容は、2chよりはYahoo掲示板に近い。だからYahoo 掲示板の「議論」内容を面白いと思える人ならば、この映画を楽しむこともできるだろう。私にはついていけません。その上不幸にしてこの映画を作った人間は そうした「会話」を緊迫した映像にするだけの力を持っていなかったようだ。だから映画というよりは討論番組を見せられているような気分になる。
そ のうち、ロバートレッドフォードが意見の表明を始める。それは監督の裁量範囲内というものだろう。問題は観客の心を動かそうと思えば、「観客に自分の意見 を語る」のではなく「観客に考えさせなければならない」ということ。考えさせるためには言葉より行動、映像を示さなくては。
というわけで唯 一行動しているのがアフガンで作戦を展開している兵士達。彼らの行動を観ていると確かに観客は深く考えさせられる。何故こんなにデタラメなのだ、と。着陸 地点に対空砲らしきものを見つけるが、何の根拠もなく「あれはガラクタです」と断言する。その直後そこから飛んできた弾丸でズタズタにされる。一人が撃た れてヘリから落ちると、もう一人は後先考えず 飛び降りる。弾丸を節約しろ、と言いながら姿の見えない敵にひたすら射撃を続ける。近く に援護の 爆撃がなされているのに「救いはこない」と決めつけ自暴自 棄な行動に走る。観ている側は更に深い考えに沈む。何故この映画を見てしまったのだ、と。
かくして92分の短い映画の筈なのに体感時間は
2時間半の超大作。思うにロバート・レッドフォードはとてもいい人なのではないかと思う。米国の現状を憂い、映画人として何かを作らなくてはと考えたのだ
ろう。そしてその「使命感」故にこの映画はとてつもなく退屈になってしまったということか。この映画を日本で売れ、という仕事を与えられた人間には同情す
るが、「大いなる陰謀」という邦題はいかがなものか。陰謀と名がつく物はどこにもでてきません。
さて今回の課題は
「中身の無い映画にどれだけたくさんの人を呼べるか」
です。マーケティングの腕が問われますよ。
その課題で最優秀賞を取ったのがこの映画である。なんでも、「“映画史上初めてタイトルも隠した映画”として全世界で話題が集中」なの だそうな。とそこまでやれば課題クリア。映画の内容はどうでもよい。
米国の評判で「ゴミ映画」ということは知っていたのだが、私は愚かにも「そうはいってもどのようにゴミなのか」と思い見に行ってしまっ た。というわけで以下にネタバレ(ネタ自体ほとんどないのだが)を全部書いてしまう。私のような人を増やさないようにと。
映画の冒頭「以前セントラルパークと呼ばれていた地区で発見されたビデオテープ」とかなんとか注釈がでる。というわけでブ レア・ウィッチ・プロジェクトのような「普通の人が撮ったビデオだよーん」に見せようと制作者は努力を続ける。
こ の手法にはいくつかの問題がある。そもそも普通の人は「生死がかかった状況」でビデオテープをまわし続けはしない。(911で貴重な映像を撮り続けた人は プロのカメラマンだった)また普通危険を感じればそこから逃げるが、それをやられると肝心なシーンが撮れない。というわけで登場人物は自ら危険にすりよっ ていく必要があるわけだ。
この映画は、その問題をどのようにクリアしたか?まずビデオをまわしている人間をとびきりの馬鹿にした。どれくら い馬鹿かというと、日本に副社長として行く主演男優(多分)がある女性とつきあったという話ききつけたとたん、「さよならパーティ」で言いふらすぐらい馬 鹿である。なるほど、確かにこの男だったら生死の分かれ目でも能天気にカメラをまわしてくれるに違いない。
私はニューヨークを舞台にした映 画を見ると「こいつらを皆殺しにしたい」と思う事が多い。この映画でもそうしたばか騒ぎを観て殺意を覚えた頃、なんと映画制作者に思いが届く。どかーんと 爆発が起こり自由の女神の頭が飛んでくる。こうなればとりあえず爆発と反対の方向に逃げると思うのだが、そこはそれ。みんなわけのわからない議論 をしながらそこに立っている。
しばらくしてようやく逃げ始めるのだが、「それ」はちゃんと主人公の先回りをして襲ってくる。そのうち主演男 優は「彼女を助けに行く」とか言って一人走り出す。まあそれはいいでしょう。でもって普通そういうおかしなことをする奴がいたら、放っておいて自分達は逃 げるでしょ?しかしそれではこの映画は成立しない。主人公が自分でカメラまわすわけにはいかないからね。というわけでカメラをかかえた馬鹿と二人の女性が ついていくのだ。何故カメラマン以外に2人ついて行く必要があるかと言えば、一人は「子怪獣」に噛まれてエボラ出血熱になる必要があるし、後一人はなんと なく枯れ木も山のなんとやら、なわけだ。
さて、一行は彼女のアパートがある方向に行く途中「それ」に遭遇し地下道に潜る。そこでおと なしくしてればいいのに、主人公が「地下を通れば彼女のアパートに行ける」とか言い出す。かくしてみんなが怖々地下通路を通っているときにカメラ男は「こ こで火だるまの人間が来たらどうなるのかな」とか神経を逆撫でする台詞をはく。そのうち「子怪獣」が襲ってくる。大きな怪獣におっかけまわされるだけでな く、子怪獣がそこら中に出てくるのが、まあ工夫の一つか。とはいえこの子怪獣は結構弱い。人間が鉄パイプ振り回すだけでやっつけることができる。
で もって彼女を助けた後一行はヘリコプターで脱出しようとする。となれば普通怪獣から離れる方向に飛ぶと思うのだが、撮影のためには近くを飛んでもらわな くてはならぬ。かくして主人公の乗ったヘリコプターはちゃんと撃墜される。地上で立ち上がったのもつかの間、やはり怪獣は主人公につきまとう。最後は主人 公と彼女が「アイラブユー」とか言っているところでお話はおしまいになる。
かくのとおりどうしようもない映画なのだが、本編が終わっても誰も席を立たない。まさかこんな終わり方はないだろう。エンドロールの後 に何かがあるはずだと思っているのだ。しかしなにやら無線交信のような声があるだけで、劇場内が明るくなる。
いや、怪獣の正体とか、その後どうなるかを放り出すこと自体は悪くないと思うのだ。「宇宙戦争」 がそうだったように、災難に巻き込まれた個人というのは、何もわからないままとにかく目前の状況に対応せざるを得ない。その姿をありのままままに描くとい うのも一つの方法。しかしそれを成功させるためには、登場人物達に感情移入ができなくては。前述した「映画製作の都合上」の馬鹿な行動をとり続ける人たち にそれは無理だ。
あるいはこう考える事も出来るか「この映画は観客に”地獄”を経験させようとした」と。ほとんどの人は「何故こんな映画に金を時間をつ ぎ込んでしまったのだ」とずっと後悔に苛まれる事であろう。