映画評

五郎の 入り口に戻る
日付:2008/4/1
1800円1080円950 円560円-1800 円値 段別題 名一覧 | Title Index


-1800円(金返 せ)-Part9 -1800 円Part8へ   | Part10へ

プレーンズ-Planes(2013/12/21)

今日の一言:おいラセター。こんな映画に名前を出して、それがお前のやりたかったことか?

カーズの世界を飛行機に拡張しましょう。ただしピクサーの名前は使わずディズニーで。

一言で言えば「駄目な主人公が大逆転で優勝」という御話。あまりにもありふれている。21世紀も大分すぎた今日ディズニーが古典的な筋を繰り返すからには何か工夫が必要だ。さあディズニー渾身の「一捻り」はなんでしょう?

それは観客に突っ込まれる前に映画の中で「このパターンは古いけど皆好きだよね」と言及することだった。チキン・リトルも冒頭そうした台詞のオンパレードだった記憶がある。それは松本某のR-100(観てないけど)と同じで、「これはありきたりのパターンでつまらないよね」と自ら突っ込みを入れれば、観客が納得してくれるとでも思ったか。

米国で農薬散布をする飛行機-主人公-は世界一周レースへの出場を夢見る。予選を簡単に勝ち上がり、あれこれレースする。「子供向け」だから、超低空を飛ぶ方が速かったり、高空を飛ぶ方が速かったり、レーサーと農薬散布機が直線コースのスピードで同速度という「些細な」点には突っ込まない。しかしどうにも承服しかねる点がある。

抵抗を減らす為には農薬散布用のタンクとパイプを外せ、といわれるが最初は拒否する。なるほど、彼は農薬散布機としてのアイデンティティにこだわるのだな。そのアイデンティティを捨ててまで勝利は望まないのだろう。きっと最後に農薬タンクが大逆転の決め手になるのだ、そう想像していると、途中でそれらをあっさり外す。そして最後にはほとんどのパーツを交換し全身別の機体に生まれ変わる。あなたのやりたかったことって何なの?

上映前の予告編で、早くも今年の夏には続編が公開されることを知る。観ているこちらは「何だこれは」と思う。思うにこれはディズニー流の商業主義なのだろう。ディズニーというブランドがつけばなんでも売れる。だから新しいシリーズを作り、質は二の次で映画を量産。キャラクター商品を売り出し、ディズニーランドにアトラクションを,,,

エンドロールには、ジョン・ラセターの名前もある。ラセター。これがお前のやりたかったことか?お前(なれなれしい)はこんな映画に名を刻んで満足なのか?そう心の中で問うた瞬間、私はディズニーの恐ろしさを知る。

ピクサーはディズニーにとって目の上のたんこぶだった。彼らはピクサーを叩き潰すのに「ピクサーより良い映画」を作ることを目指しはしなかった。ピクサーを買収し、長い時間をかけディズニーより下に引き下げたのだ。ディズニー傘下になったピクサーはラセターを引き抜かれ、年に一本コンスタントに公開するようになり、質は下がり、、そして今や「量産できるだけディズニーのアニメのほうが商業的にまし」という状態だ。そして独占企業は製品を改善しなくても、思うがままに利益を上げることができる。これこそがディズニーが目指した世界。我々は今ディズニーランドに住んでいるのだ。


REDリターンズ-RED2(2013/11/30)

今日の一言:一作目を観た後「二作目つくって」と書いたのは私です。

というわけでREDの続編である。まあ続編ってこんなものかな、と悲しい諦めとともに見続ける。一作目でいい味をだしていた年金係のお姉さんは、単なる

「場をひっかきまわす頭のおかしい女」

になってしまった。気の毒なイラン大使館員(ただ職務に熱心なだけだ)は哀れにも彼女に殺される。そうした「無駄な殺傷」は第一作で賢明にも避けていたものだったはずなのに。

公正を期す為に書くと、最初はそれほど悪くなかった。マルコビッチが死んだふりするとこは無駄だと思うが、そのあとの襲撃-撃退は悪くなかったと思う。しかし後半話は無茶苦茶になる。

「困った年寄り」では全くない新庄に似たお兄さんは余分としかいいようがないし、キャサリン・ゼタ=ジョーンズも全くの無駄役である。後半のいいかげんさを端的に示しているのは「超小型核爆弾」のチープな造形。「核爆弾に見せかけた何かのダミー」かと思った。いやもちろん映画だからそうなんだけど、観客にそう思わせちゃいかんだろう。アンソニー・ホプキンスはちょっとボケた能天気なじいさん、と真逆の顔をうまく演じるが、、いかんせんストーリーが。

いつもながら米国映画の「核爆弾は飛行機につんで洋上で爆発させればOK」というお約束にも辟易するが、ここらへんダイ・ハード/ラスト・デイと同じくらいまで悟りきった気持ちでみているので突っ込む気にもなれない。

一作目であれほど感じた「裏切られ感」はやはり滅多にないことだったのだな、という悟りとともに映画館を後にする。面白くなり得たシリーズがまた一つ滅んだ。


エリジウム-ELYSIUM(2013/9/21)

今日の一言:馬脚

地球は人工が増加し、貧乏人がうじゃうじゃひしめきあっている。一方ひとにぎりの富裕層は宇宙ステーションで優雅な暮らしを楽しんでいるのだった。

もうこの設定からして「世界人口ってそのうち減少するんだよな」と突っ込みたくなるがまあそれは問うまい。地球で主に喋られているのは多分スペイン語。エリジウムではフランス語という解りやすい米国的価値観もいいとしよう。

映画の冒頭、デイモンはロボット警官を意味もなくからかい、骨を折られる。登場人物が意味もなく馬鹿なことをする映画にろくなものはない、という経験則が頭の中に黄色信号をともす。

解りやすいフラグ満載の事故で被爆?したデイモンはあれこれ始める。彼の動機というのが「好きな女を守る」とか「その娘を救う」とかじゃなくて「とにかく死にたくない」なのだな。気持ちはわからんでもないが、それならそうとデイモンを描いてくれなくちゃ、映画を見ているほうは置いていかれるだけだ。とはいえまだここらへんでは「文句」を言っているレベルだった。

デイモンがエリジウムに乗り込んだあたりから話がメチャクチャになる。地上にいるエリジウムのエージェントがあれこれするのだが、地球から携帯ミサイルで宇宙船落としたり、日本刀振り回したり、ジョディ・フォスター殺してみたり、支配者になろうとしてみたり、監督の気分が赴くままなんでもあり。「援軍」は簡単にエリジウムに侵入できるし。いや、いいんだよ。弾が絶対あたらないのは映画のお約束だし細かいことは。しかしそれも積み重なるとどうでもよくなる。ある点で筋を追うのをやめる。意味無い。

後で知ったのだが「第9地区」の監督の人とのこと。あれも後半どうでもよくなったが、まだ「だらだらした宇宙人」という新しさはあった。この映画ではそれすらなくなり只の安っぽ妄想が並ぶだけ。馬脚を表すとはこういうことか。新進気鋭の監督、ジョディ・フォスターとデイモンの組み合わせができたときプロデューサーは「勝った」と思ったかもしれないが。


風立ちぬ(2013/8/18)

今日の一言:遺言にしましょう。

あるところで聞いたのだが、老いると他人との対話が難しくなり、自分語りばかりになる人がいるのだそうな。宮崎某も72。というわけで観客は、彼がぶつぶつつぶやき続けるのを金をだして聞かされることになる。

この映画には頻繁に「夢」の場面が現れる。夢だからイタリアの伯爵と友達になるのも、空想上の飛行機に乗るのも自由自在。では現実があるかと言われればそれもどうも怪しい。全編が宮崎氏の夢といったようにぼんやりしている。関東大震災、銀行の取り付け騒ぎなど当時の様子が描かれてはいるが、それは夢の中のできごとのようにどこか実感が無い。

飛行機の擬音を全て人の声で作り上げるのはまあ趣味の範疇でいいだろう。しかし演技を生業としない人間に主役の声をやらせるのは行き過ぎ。「観客」というものがこの監督の頭から抜け落ちていることを示している。もはや彼にとって映画とは自分だけが楽しければいいものなのだな。宮崎某はこの映画の試写をみて「自分の映画をみて泣いたのは初めて」といった。そりゃあんただけは面白いんだろうね。

大震災の中、綺麗なお嬢様と美しい女中を助ける。大学で好きな飛行機の勉強をし、本場のドイツで学び世界を観て帰る。そのあと飛行機の設計をまかされる。綺麗なお嬢様とは劇的な再会をし(なぜお嬢様は一回目気がつかず、2回目に泣きそうになるのか?)、プロポーズすると即座にYesが帰ってくる。しかし彼女は不治の病に冒されていた。そして自分に美しい顔だけをみせて去って行くのだった。

これが中学2年生の夢でなくてなんだというのだ。もともとジブリでの宮崎氏の作品は、彼が全て一人で考え、誰もチェックしないものだそうな。だから彼が独り語りを始めればそれを止めることは誰にもできない。プロデューサーはできた映画を売るだけ。

千と千尋の頃からそうだったが、宮崎氏の「夢」を描く力には驚嘆させられた。たとえばポニョでは見事に「悪夢」を映像化してみせた。しかしもはや彼には驚きの映像、観て驚く「夢」を作る気力は残っていないらしい。4分の予告編でも使われていた「紙飛行機を飛ばす」シーンだけは素晴らしい。そこに才能の残光はある。しかし全体としてこの平凡な夢を観ろ。これを遺言とし、これ以降作品を作るべきではないと思う。

などという映画に真面目に突っ込むのは何だが、戦前の三菱重工が野原の中のほったて小屋のように見えるのはまあ目をつぶろう。しかし入社6−7年目の社員があんな高級ホテルで休暇を取るなんて設定には我慢がならん。三菱重工のサラリーマンが観る「夢」としてなら納得できるけどね。


アフター・アース-After Earth(2013/6/11)

今日の一言:すいません。悪いのは私です。

予告編を観た時「俺様ウィルスミスのバカ親物語か」と思った。地球が静止する日で息子スミスにはうんざりしてるんだが、、まあ観てみるかな。

どんな話だろう、と調べているうちに監督があのシャマランであることを知る。これは見送りかな。

そう思っていたのだがなぜ見たかといえば、時間がちょうど良かったし、アメリカだから安いと思ったからだ。しかし私は直感の声に従うべきだった。Rotten tomatoesで驚異の支持率11%ということも知っていた筈なのに。安いといっても最近弱くなった円で900円弱もするというのに。

米国で観たので、最初の長々とした「説明台詞」がよくわからん。とにかく今や人類は地球を捨てどこかの星に住んでいる。過去に地球はエイリアンの侵略を受けた。人間の恐怖を感知して襲ってくる化け物が送り込まれたのだとかなんとか。ウィル・スミスは常に冷静でいることができるので、化け物から見えず無敵だったらしい。

でもってその息子はレンジャー学校の学生。「お前は机上では優秀だが、実地で役にたたん」とレンジャー昇進を見送られる。なんだかんだの後、親父の仕事についていくことになる。

宇宙船の中に「立ち入り禁止」とかかれたエリアがある。すると息子はためらうことなくそこにはいる。とがめられても悪びれることなく「何があるんだ」と聞き続ける。ああ、こいつは馬鹿だ。でもって親子が乗った宇宙船は地球に不時着する。助けを呼ぶ為のビーコンは100kmはなれたところに落ちている。親父は怪我して動けない。息子さん、一人でがんばってください。

「実地で役にたたん」という評価は最初の数分でよくわかる。お猿の群れが襲ってくる。親父は冷静に対処しろというのに、ギャーギャーわめきちらし石を投げる。なぜか都合良くカメラで写してくれる(だれが映してくれるんだろう)映像で親父と会話する息子は泣き言を言い続ける。顔のアップは正直正視に耐えない。African Americanが観れば別の感慨があるのかもしれないが、とにかく鼻の穴が大きい。眉間に面白い形の皺がよる。演技力は皆無な上、ぎーぎーわめいてるだけなので何言っているかわからん。こんな「役者」の一人芝居を延々見せるとは、シャマランはまだ観客への敵意を持ち続けているのだな。

途中でいろいろな苦難に遭遇するがそれを克服し、成長して任務達成、、、とシャマランだけは思ってるんだろうが、観ている側にはさっぱりわからん。途中大きな鷹が助けてくれるんだが、何故そんなことをするかは監督だけが知っている。最後にいきなり悟りを開いて強くなられてもねえ。

親父スミスのほうは設定に従い、宇宙船の中でぶつくさ言っているだけ。途中時計を観、まだ一時間も残っていることを知り絶望的な気分になる。なるほど、シャマランはこうして観客に「彼らの絶望感」を伝えようとしているのだな。

というわけで後半は「なぜこの映画が成立したのか」という問題を考え続ける。

「俺様と息子で映画を作れ!」

とわめき続ける馬鹿親父スミスに、「シャマランならいいよ」と答える。スミス親子はそれを承諾してしまう。少しでも知性があればそれは拒絶の意味だと気がつく筈なのに。親子そろって馬鹿なのか、あるいシャマランでも俺様親子が出演すればいい映画になると「自信」を持ったのか。

かくして本当に映画製作がスタートする。そんな光景を想像しながら残り一時間をつぶす。私の他に4人いた観客は途中で次々席を立ってしまった。最後まで見た人が一番馬鹿。はい、私です。


オズ はじまりの戦い- OZ: THE GREAT AND POWERFUL(2013/3/26)

今日の一言:わけがわからないがどうでもいい

というわけで小津の魔法使いの小津である。しがないドサ周りの奇術師が魔法の国に飛ばされ、成り行きで「魔法使い」を名乗る。でもって戦いに巻き込まれ。

あれだよね。クズが地位にふさわしい行動をしようと努力しているうち本当にヒーローになる、ってな話かと思うし、実際その通りなんだけど、話がさっぱりわからない。どこで「立派な人になろう」と思ったのかとか。なんでいきなり立派になるのか、とか。

というかオープニングのシーケンスで既に退屈した。白黒画面にやたら文字がでてくる。悪い予感におびえながらも、クズ奇術師の手品を観る。えーっと何がいいたいんですか?女とみれば手当り次第にくどくということですか。あの「仕込み」の田舎姉ちゃんが手を挙げない事とか車いすの少女に特に意味はないんですか。

もうなんというか真面目に作る気がないのが見え見え。いちいち話に突っ込む気は前半で消える。クライマックスの戦いでも「そもそも誰と誰が戦ってるのか」かがわからん。悪い魔女の軍団って結局あの空飛ぶ猿と衛兵だけなの?

そのころはもうどうでもよくなっているので、魔女さんたちの顔ばかり観ている。なんというか個性的な顔立ちの人ばかりですな。悪い魔女が普通の美人でちっとも悪そうにも、強そうにも見えない。話の都合上、オズにもてあそばれた上悪い魔女にされたままの人は、えーっと。良い魔女さんは正当派ディズニー美女といった面持ち。

でもってクズ映画の常としてラストが無駄に長い。早く帰りたいなあと思いながらそのシーンを見続ける。そろそろ私は気がつくべきだ。ディズニー映画は合わないと。これで観客が入るんだから、そりゃ真面目に作る気がなくなるよな。よっぽど評判がよくなければディズニーと名前がついた映画を観るべきではないことを学習しない私に問題があるか。


ダイ・ハード/ラスト・デイ- A GOOD DAY TO DIE HARD(2013/3/1)

今日の一言:ターミネータ4はお友達

一足先に米国で公開されていたらから「評判はどうだろう」と思ってRotten tomatoesをみた。すると支持率が17%である。71%の間違いではなく17%。こんな数字は初めて見た。

不安とともに見始める。マクレーンの息子がロシアで裁判にかけられるらしい。でもって彼といっしょに出廷する男を殺そうと誰かが裁判所に爆弾をしかける。どっかん。さあ逃げよう、というところで親父たるマクレーンと出くわす。息子、お前なにやってるんだ。どけっ、ジョン、と怒鳴り合う。

この映画での「親子の会話」は陳腐で、冗長で観ている側をいらいらさせるが、それは聞かなかったことにしよう。その隙に、息子が救おうとした男は車を下り、敵のほうをぼんやりみている。その瞬間「1800円無駄にした」という思いが頭をよぎる。登場人物が意図的に間抜けな行為をする映画にろくなものはないのだ。

親父と会話していた分遅れたので救出作戦失敗って、あんた脱出は爆発があったからできたことで、爆発はCIAがやったんじゃない。タイミングがあうわけがないだろうが。映画のお約束は尊重するけど、支離滅裂にはついていけんよ。

でもってそこからドンパチが始まる。機転も作戦もなくただまっすぐ歩いて銃をぶっぱなす。裏切りがどうとかどうでもいい。女の人は美人でスタイルもいいのだが、その姿は予告編にでていたカットでしかおがめない。でもって敵は勝手に自滅してくれる。っていうか最初から全然強そうじゃない。

冒頭の誰かを殺すシーン、それに「悪の親玉(嘘)」が何かの格好をした大勢と歩く所とか何のつながりもないシーンがごろごろ。あと放射能中和する薬ってなんだよ。ちょっと福島に持ってきてくれない?でもってそれを持ってくるシーンをさも秘密兵器のように延々映すとか頭大丈夫ですか?

あのさ、ダイハードだからマクレーンは絶対死なないと解ってる。それはOKだ。絶対絶命の危機に、タクシー運転手がカラオケでマイウェイ歌いながら、機関銃連射して助けに来ても文句はいわん。100歩譲って支離滅裂も許容しよう。

細かいこと言わないから面白いもん作れよ。なんだこれ?誰がこんな脚本で映画作ることOKしたんだ?この映画をみて興味を持つのはそこだけ。


ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館- THE WOMAN IN BLACK(2012/12/2)

みたくはなかったんだよね。でもしょうがない。時間が空いてしまったし、モールの中には映画館がある。ロックアウトとかいうイライラ確実のアクションかこれしか選択肢はない。

映画のできとしては560円。しかし趣味の悪さ、それに私が子を持つ親であることを考えるとこの値段以外はつけようがない。

冒頭、ダニエル・ラドクリフが駄目弁護士であることが示唆される。しかしそれは台詞で言われるだけで、実際に観客が

「この人は駄目だなあ」

と思える場面はない。彼に与えられた「最後のチャンス」はどっかの亡くなった夫人の書類をかたっぱしからあさり、遺言書を探す事。

彼は干潮時のみ到達できる離れ小島の洋館に向かう。でもってお約束通りいろいろでてきたりする。道のたもとにある村では子供が亡くなる悲劇が起こる。映画の冒頭でもいきなり3人亡くなるんだけどね。ショッキング、と制作者が考えているシーンではいきなり大きな音が鳴るから心の準備をしよう。


以下思いっきりネタばれ。


でもって原因というのは精神疾患で息子を姉に引きとらされた女性の霊がやっていることであった。ここらへんからわけがわからなくなる。その息子の死は確かに悲しいことだが、それほど恨みを持つような事情とも思えない。そこを恨みまくるのが精神疾患ということなのだろうが、たたりで子供を奪われる親が気の毒だ。

「その女性の姿が目撃されると子供が死ぬ」という設定もよくわからない。本当にそう思っているなら、村総出で道を閉鎖するでしょ普通。あんな道破壊するの簡単なんだから。子供が死んでからあれこれするんじゃなくて。でもってラドクリフがあれこれ奮闘するのだが、それ意味ないし。

そして最後の場面。あの状況で親が子供の手を離したことに気がつかない、なんてのは絶対にあり得ない。あの状況では子供に縄でもつけたいのが親の心情というもの。その後とってつけたような母親との再会シーンがあるが、母親ならまず子供を抱くでしょう。旦那と見つめ合う前に。この映画の制作者は多分子供を持った事がないのだと思う。

そして最後のシーン。幽霊は隠れているところが怖いんだから、顔出しちゃだめだよ。要するに観客を不愉快にすればこの映画の制作者は満足なのだと思う。

ラドクリフ仕事選べよ。ハリーポッターの影が全くないのは偉いと思うけどさ。


アイアン・スカイ-IRON SKY(2012/10/6)

はい、この映画製作に関わったフィンランド人、オーストラリア人、ドイツ人。全員そろいましたか?

「おバカ映画ほど必死に、真面目に頭を使って作らなくてはならない」

それぞれの言語でいいですから、これを37万8523回書いてください。それが終わったら、田んぼに首まで埋めますから。

ナチは滅亡間際、月の裏側に移住していた。それから屈折数十年。地球へ侵攻する夢を捨てずに居たのだ。。。

という話なのかどうかもわからん。そもそもナチの准将が地球に行く理由は「月への侵攻を防ぐため」だったはずだが、いつのまにか自分が政権を乗っ取ることになっている。そしていきなり宇宙船出して地球侵攻を始める。そもそも主たる目的は地球のコンピュータ(スマホだ。それをつないだだけで、巨大宇宙船が起動するところは問わん)を手に入れる事だった筈なのに、米国大統領に合わせろとか何やってんの。

もうここらへんからして話を真面目に作る気がないことがわかる。アメリカの大統領は馬鹿で我が侭で、再選のためなら核爆弾をばらまいて平然としています。ナチと同じ、とでも言えば「大人の」観客が喜ぶと思ってんのか?そんなことなら週刊朝日だって言えるんだよ。ちなみに核爆弾ってどれくらい強力か知ってる?一発フィンランドに落としてやろうか?

お前ら少林サッカーを10万回みて出直せ。馬鹿な映画を作って人を笑わせ、考えさせるのがどれほどの力技か何も考えてないだろう。

「神々の黄昏」という超巨大戦艦の造形は悪くない。しかし「超巨大」というなら全体を簡単にみせちゃ駄目だよ。途中からただのチャチなおもちゃに見えてしまう。米軍によって女子供まで虐殺されたことを真面目に描くのかと思えば、最後は「焼けだされた」人を前にヒロインと黒人がいちゃいちゃしているだけだし。

全体的に「ブレーンストーミングの結果のポストイット」をばらばらに見せられたような気がする。その一つ一つが突き抜けていればNaked Gun 2 1/2のような傑作たり得るのだが。


おおかみこどもの雨と雪(2012/7/28)

細田さん、でしたかな。一つだけ教えてください。

時をかける少女」は誰が作ったんです?いや、君が参加していたのはわかっている。でもあれは誰か別の人が作ったんでしょ?ここだけの話にしとく から教えてくださいよ。

あらすじ:イケメンがいたのでナンパしました。

予告編と評判をみて「これは、、」と思っていたのだが息子が見たいという。しょうがない。見終わった後の彼の言葉から引用。

「予告編でほとんどの場面でてるね」全くそうだね。

「小さい時と大きくなってから雨と雪の性格がいれかわるね」全くそうだね。そしてそれについて何の説明もないね。

「あのお母さん、12年も一人で子育てして全然変わってないね」全くそうだね。あれほど生活感のないキャラクターも珍しい。まあ制作者が最初から人間を描く気がないんだろうね。

主人公の女性はイケメンをひっかける。後先考えずに子供作る。それだけでは飽き足らずに、産まれてすぐ次の子供を作る。あのさあ「混血児」産んでどうやって育てていくのか、とか考えない訳?そして話の都合上旦那は消える。

一家は人目を避けるように田舎に引っ越す。私の息子が言う。

「あのお母さんがいきなり家を修理するのがすごい」全くだね。それまで平穏な女子大生やっていた人がいきなり、廃屋を新品同様にするよね。すごい腕前だ。全くリアリティがない。田舎でもこれまたステレオタイプ人間がぞろぞろ登場。

一瞬たりともどきどきも感動もしないまま、二人の子供は成長して行く。登場人物は「こういうキャラクター」と制作者が2,3語で形容したような薄っぺらさ。特に母親だが、この制作者にとって女性とは

「いつまでも若々しく、可愛らしく、にこにこしている」

存在なのだろうな。ああ、気持ち悪い。

この作品に関するインタビューを読んだ事がある。それを読めばこの監督は「どんな手法で絵を描くか」にか関心がないことがわかる。だから動画を作る のに執念を燃やしたんだね。確かに工夫したことはわかるよ。でもね、これはSIGGRAPHじゃないんだ。見ているのが苦痛になる。一人と2匹が雪の中を走り回りころげて笑うシーンのなんとそらぞらしいことか。何度も時計を見る。

結局子供達は成長しそれぞれの道を歩む。しかしその別れのシーンで、子供の親である私は大あくびをし、目に涙がにじむ。

かくして、冒頭の疑問だけが頭を回り続ける。なぜあの作品だけは良かったのだろう。


メリダとおそろしの森(2012/7/21)

ラセター。ここだけの話にしておいてやるから、教えろよ。いったいピクサーで何が起こってるんだ?

ある王国のお話。女王様は、娘に王族らしくしろ、旦那をもらえとぎゃーぎゃー言う。うるさい母をなんとかしてくんない?そこに現れたのは魔女。魔女作成のケーキを食わせると、お母さんは熊になりました。確かに変わったわな。

でもって大騒ぎ。森にいくと、お母さんは時々心から熊になる。をを、これは山月記の世界か、と思えば大して意味は無い。馬鹿な男どもが 大騒ぎをしているところで、いきなりお姫様が大演説をぶち、話の背景を台詞で説明する。同時にいきなり母と娘の心は一つになりました。なんだこれは。

その後も話はだらだら続く。その昔熊に足を奪われた王様ことお父さんは、熊をみれば自動的に攻撃する。なんだかんだあった後、話は丸く収まる。いきおいで三つ子の弟も熊化するのだが、別に意味ないし、いつのまにか適当に人間に戻ってるし。

一瞬たりともどきどきも感動もしなかった。滝の水がどうとか、妙に控えめな魔女とか、女王様が弓を燃やした後に後悔するところとか、細かい設定は放り出しっぱなし。基本的に夜の物語なので、画面は暗いまま。子供はなんだか怖がってたよ。おまけに、ゲップで笑いを取ろうなんて、お前はシュレックか。

CGは確かにすばらしい。くるくる巻き毛やら、熊の毛皮の質感(乾いているとき、濡れているとき)とか。でもここはSIGGRAPHじゃないんだ。ひょとしてあれか。CG作成はPixarだけど、話を作ったのはDreamWorksか。

今Steve Jobsを扱った映画が制作されているという。PixarのRise & Fallを扱った映画を誰かが作ってくれまいか。いったいどうしてしまったのか。これはまるでIIvx,IIviだ。

改めて日本語の宣伝文句を見る。「私が守り抜く」じゃねえだろ!自分の浅はかな考えで母を熊化しておいて、「すべての謎を解く鍵は森の中に」って何?というか日本で宣伝考える人も頭を抱えたんだと思う。


アメイジング・スパイダーマン(2012/7/7)

映画館をでてから家につくまで鼻歌を歌っていた。

Don't worry , Be Happy.

というわけでスパイダーマンである。冴えない高校生がクモに噛まれ、というのが定番通り。そういえば主人公を育ててくれたおじさんが自分のちょっとした心の隙のせいで殺されてしまう、というのは前作も同じであったな。

違いは「主人公がそのことをたいして気にかけない」ことである。あこがれの彼女はいつのまにか自分にベタ惚れ。とりあえずキスしましょう。そればっかり。まあ男子高校生の頭の中ってそんなものだが。彼女の父親の「死ぬ間際の切実な願い」に答えた「厳粛な約束」も「遅刻してサーセン。次は遅れません」と同じくらいの扱い。

所詮娯楽映画だから目くじらたてるな、という意見もあろう。よろしい。そういう「些細な点」には目をつぶろう。問題は画面で何が起こっているのかよくわからない点だ。橋の上でトカゲ男が出現する。その登場はあまりに唐突で見えづらい。ふと気づけば橋から何台もの車が糸で ぶらさげられているのだが、それっていつやったの?あのクモって誰がどうやって作ったの?両親だとすれば、そんなに長い間繁殖してたの? とかもうわけがわからない。New Yorkの夜空をびゅんびゅん飛びながらデートするすごい映像を見せてくれるかな、と思えばすぐ場面変わるし。トカゲ男との戦いは「あ あ、CGだな」としか思えず、彼女が加勢にくるところは悪い冗談ですか?

話が落ち着いて振り返ってみれば

「真面目に社会への義務を果たそうとした男達は惨殺され、欲望の赴くままに行動した連中(善悪問わず)は命を長らえました」

という図式。Don't worry, Be happyとしか言いようがないではないか。このいいかげんな映画を元に、一見重厚そうな予告編を作った力量は敬服に値する。というか予告編ででてきた台詞全然でてこないじゃないか。

Part8へ | Part10へ


注釈