映画評

五郎の入り口に戻る
日付:2014/1/4
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カーズ/クロスロード-CARS 3(2017/9/22)

今日の一言:寂寥感

観ながら感じていたのは寂しさ。
時代遅れとなり世代を継ごうとする主人公に寂しさを感じたのではない。登場人物(登場車というべきか)の誰にも何の感情も抱けない。特に新しく主役になるトレーナーが全く共感を呼べないキャラクターなのは致命的。ただのバカである。主人公の言いがかりにもイライラさせられる。泥レース出ようって言ったのあんたでしょう。しかし問題はそこではない。物語の要となるところでいきなり

「都合のいい後付けの理由」

を持ちだすとは。同じ番号つけてれば交代してもいいんだったら、ピットでのタイヤ交換なんて早くやる必要ないじゃないか。これはまるでデウス・エクス・マキナだ。いやいいんだよ。そういうSpecialルール持ち込むのも。でもそれなら「なるほど」と納得するくらいちゃんと時間をかけて説明しなくちゃ。

きっとこういう作品は最後がだらだらするぞ、と思いながら見続ける。世代を継いでトレーナーに徹するかと思えば、なんだかわからない中途半端な結末が続く。やっぱり。

唯一の見所はCG。観客席とかどれだけの労力が注ぎ込まれたのだろう。しかしそれは映画の力を高めこそすれ、高めるものがなければ何にもならない。

かつてあれほど完成度の高い作品を連続して世に送り出したピクサーがこんな支離滅裂な作品を公開するようになったか。驚きと絶望はとうの昔に通り過ぎ、もうピクサーはだめなのだな、と悟らされた。盛者必衰の理と言葉では知っていてもそれを目の当たりにするのは寂しい。一体なぜこうなってしまったのか。ラセター君。いろいろ理由はあるんだろうが、なぜこんなのにOKを出す。全ての辻褄があっていたズートピアのようや異常な作品はもうディズニーに行った人間でしかできないというのか。

出来が悪ければ容赦無くお蔵入りにしたピクサーはどこに行った。いや、それはもはやただの昔話なのだな。


ザ・マミー/呪われた砂漠の王女-THE MUMMY(2017/8/4)

今日の一言:既視感

珍しく自由な時間を持つことができた。久しぶりに映画を見ましょう。上映しているのはどれも米国での評価がいまいちなものばかり。丙丁つけがたいものから「唯一シリーズものではないから(今の所)」この映画を選ぶ。

というわけで冒頭から心の準備は万端。青い目金髪の考古学者が出て来る。これだけ学者が似合わない女優はいつかの007以来だなあ。トムクルーズと相棒が底抜けのバカで、バカなことをやりまくる。何があっても死なないのは(いや、一応死んでるけど)主役でかつ良い人だから。だって、青い目金髪がわざわざセリフで「あなたの根はいい人よ」と言っているから間違いない。

いや、ここで文句を言ったら負け。とはいえイライラはしてもハラハラはしない。ユニバーサルはこの作品を皮切りに「ダークユニバースシリーズ」を作りたいらしく、映画の冒頭にでっかい題名も出て来る。とはいっもこれじゃ単なる「トム・クルーズ大活躍映画」ではないか。

ラッセル・クロウ演じるジキルとハイドは全く意味を持たず、「ああ、クロウ君太ったなあ」としか思わない。「こんな映画どっかでみたなあ」と思い返せば、スーサイド・スクワッドが頭をよぎる。古代の女王が蘇って大暴れして、ゾンビを率いるなんてそのままじゃないか。あの映画から、ハーレークインを取り除いてトムを注入するとこの映画になるか。しかし両方ともなんでビッグネームに頼るかね。そのギャラを脚本に回せとあれだけ言っているのに(誰も聞いてません)

出港直後にバットマン vs スーパーマンで沈没と思われたDCコミックスシリーズもワンダーウーマンの成功で一息ついたらしい。だからこのユニバースも成功しないとは誰にも言えない。野次馬としてはその様子を生暖かく見守ることにしよう。


美女と野獣-BEAUTY AND THE BEAST(2017/5/7)

今日の一言:監督の苦悩

第一幕:監督は燃えていた。あの名作、アニメ版「美女と野獣」の実写リメイク。これほど注目を集めるプロジェクトを任されるとは。昨今異常に進歩したCG技術を使えば、十分な勝算がある。素人は「エマ・ワトソンでてるから」と見に来るかもしれないが、そういうぬるい観客の度肝を抜いてやる。

さあ、今日からリハーサル。監督の上機嫌はエマ・ワトソンの最初の演技を目にするまで続いた。

第二幕:プロデューサーからは「ディズニーのお偉方に試写を見せろ」と矢の催促。なの脚本すら決まっていない。いや、すごい脚本ができていたのだ。もしエマ・ストーンが主演だったら成立するはずの脚本が。なのにすでに「エマ・ワトソンが主演」と公報されてしまっている。どうする。公開日から逆算すると、とにかく撮影を始めねばならぬ。

第三幕:ディズニーからは潤沢な予算が得られるはずだった。なのにその金はどこかに消えてしまったらしい。噂では主演女優の出演料が高騰したとか。こいつは大根演技だけでは足りないというのか。ああ、催促が、そして公開の期日が。

追い詰められた監督は遂に発狂する。それまでエマ・ワトソンを我が妻にせんと知恵を絞っていたガストンが無分別な暴走を始める。それは監督自身が発狂した瞬間でもあった。クライマックスの「塔をルパンばりにぴょんぴょん」のCGでは「予算切れ」をスタッフが通告してくる。しかし監督は答えずただ微笑を浮かべている。彼は知っているのだ。同時期に撮影されるラ・ラ・ランドが歴史に残る名作になることを。そしてそれはエマ・ワトソンをこの映画に縛り付け、海底深く沈めた自分の功績でもあることを。Over my dead body-俺の屍を越えていけ-という言葉、それに魚雷を何十本もうけながらなお進撃をやめないレイテ海戦における戦艦武蔵の姿が何度も監督の頭を駆け巡る。

ディズニーのお偉方に対する「完成版試写」で明かりがついた時の凍りついた空気。その中でも監督は一人微笑みを浮かべていたと伝えられています。

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とまあこんな物語を映画を見ながら考えていたわけです。あれほどの名作が「お手本」としてありながらなぜこんなわけのわからない物語ができる。少し登場人物が動くと画面がぶつ切りで何が起こっているかわからず、主演女優は破滅的な大根。唯一笑ったのがワトソンが「ロミオとジュリエット好きよ」と言った時のBeastのうんざりした表情。

サウンド・オブ・ミュージックばりに丘の上で歌う場面。お手本がありながらなぜこんなにひどく撮れるのか。最初の「これまでのお話」のところでもう退屈していたからガッカリはしなかったがうんざりする。

最後にイケメンになった王子と踊るシーンを見るとつくづく思う。エマ・ワトソンって演技さえしなければ、見栄えはいいんだよね。


ゴースト・イン・ザ・シェル(2017/3/29)

今日の一言:魂の抜けた殻

珍しく試写会になるものに応募したらあたった。しかし前日にいきなり「当たりました」と連絡もらっても困る人も多かろう。

試写室というのは小さな部屋。きょろきょろしているうちに上映時間となる。試写会でも「映画泥棒」の上映はやるのだな、と妙な感心をする。

まず関連する会社のロゴがでるのだが、なんとか有限公司、それともう一つ中国系と思われる会社のロゴがでて「これは中華映画か」と思う。それ自体はどうということはない。面白ければいいのだ。いきなり誰かがベッドに乗せられ運ばれていく。まわりにいる人たちの「電脳メガネ」のようなもののダサさにちょっと嫌な予感がする。

主役はスカーレット・ヨハンセン。原作はアジア人なのに白人をキャスティングするとはけしからん、という声があったとも聞くが、私はこれは製作者の良心だと思う。彼女は仔細にみると鼻の先がでかかったりするが、非常にAttractive。そしてそれがこの映画の唯一の存在意義だった。

原作は古く、Matrixはこの映画からインスピレーションを得て作られたとか。Matrixはすでに多くの人が知っている。その作品を「今」映画化するにはどうするべきか、とかなーんにも考えなかったんだろうなあ。ネットの上に人格だけ存在してるとか、今となっては聞き飽きた概念。体を機械で強化していったときに残るのは何か。そもそも人間の細胞は入れ替わり、変化していくなかで「あなた」とはなんなのか、とか難しいことはどうでもいい、という潔い姿勢が伺える。難しいことは簡略化し「万人にわかりやすい映画」を目指した結果「万人にどうでもいい映画」になってしまった。

話は退屈の一言。一瞬足りとも緊張したり、ハラハラしない。ベースにあるのは陳腐な恋愛であり、そもそも9課とは何かとかさっぱりわからない。名前からして東京を舞台としたつもりらしいが、街は堂々たる香港のそれである。ビートたけしは(予告編から危惧していた通り)全く精彩がなく、単なるヨボヨボの老人。日本語の台詞すらよく聞き取れない。アウトレイジに出演していたのと同一人物とは思えない。桃井かおりの「お母さん」だけはよかったけどね。

少佐とタンクの戦いも、「頭の弱い女が何も考えずに銃を撃っている」ようにしか見えず、光学迷彩も「出してみました」だけ。どんぱちあった後にヨハンソンが「今までの仕事を前向きに続けるの」もわけがわからない。というかその頃には「どうでもいいから早く帰らせてくれ」という気持ちになっている。1時間46分の短さに納めたのは製作者の良心その2か。体感時間は3時間超の大作だったけどね。

ヨハンソンと北野武それにゴースト・イン・ザ・シェル(攻殻機動隊)という「シェル」だけが存在し、魂が完全に抜けた映画。そう考えれば、この映画自体が「シェルとは?ゴーストとは?」と観客に考えさせるメタな構造になっているのであった、とこじつけるくらいがこの映画の楽しみ方か。


君の名は(2017/1/25)

今日の一言:トランプが大統領になった年、この映画が大ヒットする。

大ヒットしていることは知っていた。しかしあれこれ情報を見ても全く観る気が起きない。まあ「美少女と体が入れ替わる小学生の妄想だろう」と決めてかかっていた。

もしそれが正しいとすれば、私の息子(中1)には丁度ストライクゾーン。彼が見に行ったので感想を聞くと「うーん。悪くないけど微妙。なんであんなに名前にこだわるのか」と言う。ちょっと意外な気がした。

というわけで興味はあるが、時間と金を無駄にするのはいや。ちょうどそこに飛行機に乗る機会が訪れる。無料の飛行機の中であれば心置きなくみられる。というわけで座席につくと早速選択。

映画が始まってから1時間は「小学生時代の妄想を思い出す気恥ずかしさ」ばかり感じる。しかしなんでこう物事をステレオタイプに描けるかね。分け知り顔に語る祖母とか、綺麗にタイプ分けされた友達に、無駄に色っぽい職場の先輩。サマー・ウォーズそっくり。女性と付き合ったことがない小学生男子児童の妄想に覚えがないわけでもないから、それを具現化し大画面で見せられるとムズムズする。しかし「種明かし」の後、考えるのは米国の大統領選挙に変わる。

この映画は日本で歴史に残る大ヒットになった。宣伝を信じれば、観た人の99.8%が満足したという。

いやね、彗星の軌道がまちがっていることとか、そもそも彗星が同一都市にたった1200年の間に2度も落ちるなんてのは些細なことだから問わない。全く機能していない主人公の友達とか、なんでそうも都合よく物事忘れるかなとか(忘れないと話がなりたたないからだが)もイライラするくらいで致命的ではない。しかし最後の数十分は画面をみているのが苦痛になる。

防災放送が鳴り響いているのになぜ皆のんびりと歩いているのか。息子の言う通りだ。彗星が今にも自分の頭に降って来て自分も家族も友達も皆殺しになろうというときに「相手の名前がわからない」とか泣いている人間にどうして感動できるのか。その数分後、同一人物がいきなり立派になり父親の説得に成功するのはなぜか。っていうかこれ「君の名は」って筋にほとんど関係ないじゃないか。相手の名前は忘れても都合いいことだけは覚えているわけだし。
つまりこの映画には話の筋がない。ふらふらキラキラした断片が転がっているだけ。いや、そういう映画は他にもあるんだけど、このプラスチックのキラキラアクセサリーにどうして感動できるのか。

致命傷と思える間違いを何度もし、数度にわたりトドメをさされたはずのトランプは大統領になった。私には彼の何が良いのかわからないし、どうして彼のあからさまな問題点に目をつぶれるのかわからない。

それと同じく、私にはこの映画の良さが理解できないし、あからさまな矛盾点やら問題点にどうして目をつぶれるのかがわからない。

私は理屈っぽすぎるのだろうか。キラキラした画面にオタ向け記号を陳列しておけば人は映画を見に来るのだろうか。ヒラリーも思ったに違いない。心がけて来た「政治的正しさ」とは一体なんであったのか。適当なことを言っておけば人は投票するではないか、と。

もし私が公開直後に見ていたとすれば「オタ向け記号の陳列棚」の一言でおしまいにしていた映画。しかし実際に社会に巻き起こした影響を鑑みるとき、深く考えざるを得ない。多分私は世の中のありようについて何も知らないのだろう。私の映画の見方は0.2%という狭い範囲にあることだけはわかった。


インフェルノ-Inferno(2016/11/05)

今日の一言:これ本当にロン・ハワードが作ったのか?

例の教授が病院で目覚めるが自分がどこにいるかもわからない。幼い頃教授に会ったことがある、という医者が面倒をみてくれるがいきなり発砲され。

という冒頭の「何も思い出せない」というシーンで既に不快感を覚える。必要以上に長く、グロい。見ているのが苦痛になる。教授は地獄のイメージを見るのだがこれもまた長い。何度も何度も陰惨な風景を映し出す。それが「後で効いてくる」というわけでもない。

思えばこれが全体の基調になっていた(途中までは)それはあたかも

「いやー、長い原作ですけど切って切って90分に収めました!え?2時間にしろって?そりゃま捨てたシーンを全部入れればなんとかならないことはないですけど。。」

とかいう裏事情があったかのよう。長々と続くラブシーンといい、何度も繰り返されるスローモーションといい。「主犯」の基調演説も丁寧に2度繰り返されるが、これ繰り返す必要あるのか。人口増えて大変だから、細菌ばらまいて人を殺すってねえ。人口が減少を始めた国に住む人間にはピンとこんよ。おまけに人一人正当防衛で殺したくらいでめまいをおこしている人間が、なぜ平気で人口半分にするのかな。

などとぼやいているころに、物語がクライマックス(と製作者が思っているところ)に到達する。もう見続けるのが嫌になる。退場してしまおうとかと思ったのは久しぶり。そうしておけば「あの結末はどうなったのだろう」と想像を働かせれた分よかったかもしれない。結末は恐ろしいことになる。

今世界は崩壊していないから丸く収まるに決まっている。しかしここから「善玉」の行動原理は「近くに人がいても、絶対助けを求めず一人で無茶をする」に変わる。あんだけ大勢で乗り込んできているのに、悪役と戦っているのはたったの三人。声をあげろよ。この妙な行動原理に従う役者たちの行動は、既に何かに感染しているかのようだ。

かくして冒頭あげた疑問が頭を回り続ける。過去のロン・ハワードの作品からしてこれは本当に彼の作品なのか。単に名前を貸しただけで実は「有力者のドラ息子」が作ってたりしないのか。


信長協奏曲(2016/10/24)

今日の一言:こんなの作って楽しいのか?

飛行機の中でなければ絶対見なかった映画。ある記事を読んだ。公開前の宣伝量はシン・ゴジラにひけをとらなかったが、公開後の反響でとてつもない差をつけられた、と。であればそれがどんな映画か見たくなるではないか。無料だし、時間は山ほどあるし。

なんだか続編みたいだな、と思って後で調べればテレビドラマの続きを映画化したのだな。誰かが「これ絶対いけますよ。儲かります。映画にしましょう」とか言ったんだろう。若手の人気俳優が勢ぞろい、漫画原作、とダメなサラリーマンが同意しそうな仕立てである。

現代からタイムスリップした高校生が信長になりました。でもって争いのない平和な世を目指します。そのために領民や「敵」を殺しまくります、というお話。都合上秀吉が影の悪役ということになっており、実質的にこの時点で秀吉が全てを支配していたことになっているが、まあそこは問わないでおこう。

早送りもせず1時間くらい見た自分を褒めてあげたい。(そのうち20分はご飯を食べながら見ていたが)タイムスリップという使い古された手法を使い、史実という制約があっても面白い物語は作れると思うが誰もそんなことは目指さなかったんだろうな。この豪華な出演陣見ればヒットは間違いなし!現代高校生の口調で信長がしゃべれば若者の心も掴んで、ヤバイッすよ!とかいう誰かの企画会議での言葉が聞こえるようだ。

平日の昼間にTVでみれば「ああ、がんばってるね」と思うがこれを千八百円とる映画として公開するのはどうかしているとしか思えない。今や凋落の一途を辿るフジテレビ関連というのを知り、何か関係があるのだろうかと考える。


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注釈