映画評

五郎の入り口に戻る
日付:2014/1/4
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パラサイト 半地下の家族:PARASITE(2020/6/20)

今日の一言: アカデミー賞受賞おめでとう(棒読み)

アカデミー賞をとったのは知っていた。しかし予告編を見てもなーんか暗そうだしなあ、などと考えているうちコロナにより映画館が閉鎖され、新作映画の公開が延期される。結果としていつまでも上映されている。まあここらで観てみるか、ちょうどよい時間帯にやっているし。

映画の最初はなかなかテンポがよい。美人だが家事はできず世間知らずの奥様-寄生される側の家族-の演技は悪くない。その娘はそんなに惚れっぽくていいのかと思うが、まあ不問にふす。そのうち半地下に住んでいる家族は次から次へとその裕福な家族にとりついていく。とはいってもちゃんと仕事はしているからこの時点では文句はない。ふと時計を見る。まだ1時間しかたってない。まだ1時間以上もこのペースで進むのか。

しかし

裕福家族がキャンプに行った隙に、半地下家族が豪邸で宴会を始めるあたりから「アホがアホなことをやるゴミ映画」になっていく。うん、そりゃこの展開ならいきなり裕福家族が帰ってくるよねえ。慌てるよねえ。どうやってこの映画にケリをつけるのかな、と思っていると唐突に暴力の嵐が吹き荒れる。それとともになぜモノクロ版で上映されたのかを理解する。これカラーじゃとても観られないだろう。

とはいえ一応映画になっているだけでも「スペシャルアクターズ」や「イソップの思うツボ」よりましか。しかしその考えはラストの無意味な殺戮で間違いだと知る。なぜ真面目に働き財を築き家族を守ってきた人間があっさり殺されなければならないのか。なぜ何の落ち度もない裕福家族がひどい目に遭い、犯人はのうのうと生き延びているのか。金持ちは無条件に不幸にしていいですか?これが「恨」というやつですか?そうした感情は確かに誰にでもあるだろうけど、映画で描くならそれなりに説明してもらわなくちゃ。結果として不愉快な気持ちだけが残る。これなら退屈な映画の方がよかった。

つまるところはよくある「風呂敷を広げてみたのはいいけど、畳み方がわからないから、とりあえず皆殺しにしました映画」かな。ディパーテッドを思い出した。そういえばあっちもアカデミー賞とってましたねえ(棒読み)

最後に良かった点をあげておこう。北朝鮮の例のニュースおばさんのマネはおもしろかった。あと机の並べ方を説明するのに、日本軍をやっつけた時の陣形を持ち出すとか彼の国の文化が学べたのも収穫。


ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 Birds of Prey:BIRDS OF PREY (AND THE FANTABULOUS EMANCIPATION OF ONE HARLEY QUINN)(2020/3/21)

今日の一言: 謎のアジア系少女

思うにハーレクインが最高だったのは前作スーサイド・スクワッドの予告編ではなかったか。

あの映画はひどかった。しかしハーレクインだけはいいのではないか、というわけでスピンオフ。しかし何をどうすればあのキャラクターをこんなつまらなく作れるのか。たいして悪いわけでもなく、そう強いわけでもなく、峰不二子的な賢さがあるわけでもなく。
思うにマーゴットロビーはアクションができないのでは。唯一ある格闘シーンは、早回しでカバーしてるような。。。それをカバーするためアクションができる女性が3人でてくるが、皆大して魅力的でない。

もっとも不可解なのは、鍵を握る、というか握らされるアジア系の少女。可愛くないし、演技ができない。一体なぜこの少女を起用したのか。有力スポンサーの孫娘とかそういうあれか。

マリリンモンローのコピーシーンも完全に浮いており、「早く時間がすぎないかと思いながら」とずっと座り続ける。DCシリーズは駄作が多いが、これもその一本。


キャッツ:CATS(2020/1/26)

今日の一言: 猫は犬とは違います。

有名なミュージカルの映画化。 米国での評判が最悪なのは知っていた。しかしまあなんというかやっぱり自分で見てみないと。

映画が始まり猫がわらわらでてくる。踊っているらしいのだが、ブレるカメラが頻繁に切り替えられ、何が起こっているのかわからない。この監督は何を達成しようとしたのだろう。仕方ないから「きっとこの場面は舞台ではこう構成されているのだ」と想像する。きっと舞台の上で見事な演舞をみせられれば感動するのだろうけど。ああまたカメラが切り替わった。

全編ほぼ歌だけでできており、ストーリーと呼べるほどのストーリーはない。ひたすら身体中に毛を生やしたダンサーたちが歌って踊る。ひどい眠気が襲ってくる。映画を見ている最中に寝るのは久しぶりだなあと思いしばらく意識が飛ぶ。しかしそれが問題になるとも思えない。しかし思うのだ。着ぐるみのゴキブリを演じた人もきっといるのだろう。そしてそれがキャリアハイになる人も少なくないと思うのだ。CATSのゴキブリが私の頂点でした。そんなことを考えながら寝起きの頭でぼんやりと見続ける。

なぜか仲間はずれにされていたかつてのスターが「めーもりー」と有名な歌を歌う。この場面だけはいいだろう、と思っていた。ところが私が見た劇場だけの問題かもしれないが、サビの歌声を、バックの演奏がかき消してしまう。つまりは音量の調節がおかしく、感動もできない。

まあしょうがない、評判最悪と知っていたんだからと思っていると最後にジュディ・ディンチが「猫と犬は違います」と延々観客に向かって説教を始める。なんだこれは。

というわけで、「期待通り」の出来栄えではあった。最後の「観客に対する説教」は期待を超えていたかな。


アナと雪の女王2:Frozen II(2019/11/30)

今日の一言: 安定のゴミディズニー

アナと雪の女王ではアナの性格破綻者ぶりにイライラさせられたが、「真実の愛」にはなるほどそうきたか、とうならされた。歌もよかった。

というわけで続編である。エルサの頭の中でなんだか声が聞こえる。それは幻聴ですと精神科医なら言うところだが、それに向かってエルサがいきなり吠え返す。そして突然アナに「北の国にいる妖精をなんたらかんたら」という。ちょっと待て。なんだそれは。

この映画にはそうした「観客おいてけぼりの要素いきなり登場」が随所にある。アレンデールの船には水密性のカプセルが必ずあるはずだから、とアナがセリフでペラペラ説明しながら大事な地図を取り出すところとか。あと悪しきディズニーの伝統として「お前それ面白いとおもってんのか」も複数。クリストフが80年台ミュージックビデオ風に延々歌うとか、オラフが穴雪のストーリーを延々演じるところとか。

クリストフとオラフは破綻したストーリーの煽りをくって二人とも精神異常としか思えない。自分たちが先の見えない探検に向かっており、「困った」となった状態で「プロポーズしよう!」とか。オラフはジャージャービンクスなみの鬱陶しさで観客をいらつかせてくれる。

でもってダムが悪いから破壊しよう、ってお前は(日本の)民主党政権か。その結果アレンデール国は水没するけどねって、ちょっと待て。水を穏やかに放出してから破壊すればいいじゃないか。ダムは全部貯めるか壊すかの2択しかないと思ってんのか?かようにアナの無茶苦茶ロジックは本作でも健在。しかし大丈夫。今や超人となったエルサは瞬間的に国に戻り破滅を回避するのであった。そして細かいことを気にせず全ては丸く収まりました。

というわけで、わけがわからない要素を含みながらちゃんと物語になっていた前作と異なり、本作はわかりやすい「ゴミハリウッド映画」になってしまった。多くの続編が辿る運命ともいえるが。


スペシャルアクターズ(2019/10/19)

今日の一言: カメ止めは「奇跡の一作」でした

カメラを止めるな!」監督の新作。 この映画の試写会に当選し、会社の会議をサボって行こうとした。上司に見つかり結局会議にでた。ああ、ワールドプレミアが。

映画を見ながら思った。上司に感謝せねばならない。もし大事な会議をさぼってこの映画をみたら、死ぬほど後悔したに違いない。

おそらく監督自身もなぜ「カメ止め」があれほど人の心を掴んだのかわかっていないと思う。この映画、そして「イソップの思うつぼ」には共通の大問題がある。人間が一人も描かれていないのだ。(監督は描いたつもりだろうけど)

私は窮地に陥ったり、大声でどなられて気絶しそうになったことが何度かある。最近そうならないのは、人間ができたからでなく誰も年寄を長時間説教しようとしないから。だから私は主人公と共通の要素を持っているはず。なのに主人公を見ても全く応援したい気持ちがわかない。

話の筋をクネクネしたり、どんでん返しとかどうでもいいんだよ。映画というメディアを通じて「俺は人間はこういうものだと問いたい」と表現しそれが観客に伝われば。

朝一の映画館ではクスりという笑い声も起こらない。私はただただ時間が過ぎるのを待っていた。「カメ止め」のダラダラ日常パートが2時間続く。これは拷問。っていうかこの監督、同じ情報を2度丁寧に与えないと覚えてもらえないと思っていないか?あのチープなヒーロービデオを2度丁寧にやる必要なんてないんだよ。それは「イソップの思う壺」でカメが降ってきたニュースを何度も繰り返したかのような無駄な演出。うん、気絶したね。でもって救急隊員に問い詰められるね。また気絶するね。わかってるから、さっさと次に行ってくれない?見ている間何度そう思ったことか。

カメ止めでは演技力のなさを逆に魅力にしてみせた手腕はかけらも見えない。特に事務所の社長の演技の下手さ加減は破滅的。あの甲高くわざとらしいセリフが響くとため息しか出ない。セリフがやたら少ない登場人物が何人かいたが、あれは演技力のなさをカバーするためだったか。いや、そんなところに神経つかわなくていいから。

上田監督はまだ若い。一度どんでん返しを封印し、登場人物を映画製作者に設定して、普通の映画を低予算で作ってみてはどうだろう。それが商業的に成功するとかしないとかはどうでもいい。それで観客の心を動かせるようになることがまず第一歩ではなかろうか。


アス:Us(2019/9/12)

今日の一言: 「RortenTomatoes 91%」にまんまと釣られました。

黒人一家がバケーションにでかける。父親がとにかく頭空っぽ。妻もそんなに深刻な問題を抱えているのならばさっさと旦那に打ち明ければと思うが、このバカ亭主だと口を聞く気もせんか。その前に幼い日の主人公が一人で迷子になるのだが、父親は「ちゃんと見ておいてね」と言われたにもかかわらず、きっちり目を離す。かように登場人物が無駄な行動をし続ける様子を見るとイライラする。

ふと気がつくと外に人影が。なんだあれは。こういう場面を見ると、米国で銃の所持がなくならないわけだと思う。相手は銃持ってるかもしれないし、警官は来てくれないし。この「相手の正体がわからないけどなんだか似ている」ところだけはちょっと怖くてよかった。

家に侵入してきたのは、主人公一家と全く同じ構成の家族。全員赤いつなぎを着て植木バサミを持っている。家族それぞれが自分の対になる相手と対峙する。

なんだかんだでそこを逃げ出せば(少なくとも)あたり一帯が赤いつなぎの人間に襲われていることに気がつく。友達家族はあっさり殺されるのになぜ主人公家族は反撃の機会を与えらえるのか、とか細かいことを考えてはいけない。主人公夫妻は車で逃げ出し、普通に考えれば車から降りずにひたすら逃げるべきなのだが、二人とも車からばんばん降りて無駄な行動をする。というかこの映画の監督は、一家の父親はバカでなければならないという信条でも持ってるのか。

赤い服着た一団は何者かが作った地上の人間のテザード(クローンみたいなもの?)でどうのこうの、と理屈を一気にセリフで説明する。はあそうですか。聞き取れなかったですけど。なんだかんだと一件落着(当面は)し「どんでん返し」があるけど「はあそうですか」という感想しか持てない。

乱射事件でカジュアルにAK-47が使われる国に、植木バサミもって戦いを挑むってすごいな、と思う。手をつないで立っているテザードを「キャッホー」と言いながら自動小銃で打ちまくる人間とか絶対でてくると思うがな。

そもそもあんだけうさぎがいて、糞の始末を誰もしてないのはなぜなのか、とかなぜこの映画がRotten Tomatoesで91%の支持をえるのか、とか監督が意図したのとは違うところばかり気にしながら映画館を後にする。


メランコリック(2019/8/24)

今日の一言: 「次のカメ止めはこれか?」にまんまと釣られました。

マーケティングでは「売れたものが正義」である。実質〇円とかどんな嘘をついても売れれば勝ち。そしてこの映画の売り文句「次のカメ止めは?」を考えた人間は天才的なマーケターだと思う。おかげで私は宣伝協力、配給のアップリンクまで嫌いになった。

主役の演技力がまず問題。とにかく見ていてイライラする。東大卒という設定も意味を持っていない。高校の同窓会でいきなりモテることを除けば。(東大卒というだけで同窓会でモテれば苦労はせんわい、と誰かが叫んだような気がした)彼はなぜニートなのか?説明する場面はあるが、大根なので観客に伝わらない。映画だから普通の主婦が銃創で死にかかっている人の手当てを見事にするのは問わないけど、その場面の主役のうるさいこと。セリフも演技もわざとらしい上にテンポが悪い。

主役はダメだが、脇役はなかなか名演。特に金髪の脇役くんがすばらしいし、銭湯の親父もよい。しかし如何せん脚本がゴミ。ヤクザ出したり、拳銃ふりまわすとかっこいいと思う?とってつけたようなアクションとか、拳銃持って侵入する練習のシーンとかいらないから。(ちなみにこの練習は意味がないのだが、なぜそれをしたかもちゃんとセリフで説明がある。納得はできんが)後で知ったのだが、この映画は主役、金髪くん、監督の共同制作で、この場面はおそらく金髪くんの趣味だろう。「自分がこだわるシーンを入れたい」気持ちはわかるけど、千八百円とる映画でそれをやっちゃいかんでしょう。金の取れる芸になってないんだから。

ばんばん人が死ぬ映画なんだから問題の元凶をさっさと殺せばいいじゃん、がなぜできないか。これもちゃんとセリフで説明される。しかし理解はできないし、最後にはあっさり殺ししかも平和にエンディングを迎えてるし。

もう途中から画面をほとんど見てませんでした。それくらい映像を見るのが苦痛。多分脚本考えた人が。「そうだ。お風呂って焼却炉もあるし、タイルばりだから殺人の始末にもってこいじゃないか!」と思いついただけの映画なのだろうな。

最後にあの女の子が「実は私にも秘密が」といったところで、機関銃を取り出し銭湯の人間を皆殺しにするとか、あるいは本当の黒幕が主人公のとぼけた父親だとか。人間を一人も描いていない映画なのだから、それくらい筋でふっとんでくれないと金のとれる芸とは言えない。


イソップの思うツボ(2019/8/21)

今日の一言:「カメ止め」は「奇跡の一枚」だったのか

名作「カメラを止めるな!」の監督が1/3担当+脚本の作品。

公開された直後「いったん "カメ止め" を置いてたのしみに観に来てほしい」と主演女優が発言していた。確かにそうだと思う。よし、そういう心持ちで見るぞ。

映画が始まると妙に画面が安っぽい。これは想像だが、低予算で作られたのだろう。だから無名の役者さんたちの演技がイマイチなのも不問に付すし、小道具とか背景がチープなのも気にしない。

脚本のつじつまがあっているのもわかる。最初なんだこのわざとらしい臨時講師はとか思ったがそれもセリフで説明がある。

しかしそうした点を考慮しても、全体の雰囲気は商業映画とは思えない。(少なくとも私が普段みるような)最近絶滅しかかっているピンク映画か大学のサークル作成したかのように思える。学園祭でこの映画に出会えば

「いやー、なかなかがんばってたね」

と言いたくなるような。

問題点を二つ上げておこう。

まず全体に間延び感がひどい。「カメ止め」でも、日常パートがどうにも間延びしていた(海外レビューサイトでも同様の指摘があったと聞く)。この映画では全体がその「間延び」感に満ちている。特に「お父さん」のセリフとか、いちいちテンポが悪い。ソダーバーグの作品を1000回見直してほしい。あれだけ短く切ってもちゃんと観客は付いて来るんだよ。

映画の冒頭「さえない女の子」がお弁当を買った後、他の女の子にぶつかり派手に転び弁当をぶちまける。まるで素人がやりそうな演出だ。彼女が「さえない」人を表すのはそんなことをしなくても表現できるでしょう。男女間の不倫シーンも不必要に長い。私がダメ映画の特徴と勝手に定義している

・意味のない長いエロシーン

・意味のないスローモーション

・最後はだらだら

が全部(私の考えでは)存在する。

ストーリーはそれなりに練られており、ひねってはある。問題はそれが映画の面白さにつながっていない点。亀と兎はいいと思うし、亀の家は(後から考えれば)たしかに亀なのだが、兎はなんというか全然機能していない。というかあの女子大生ってTVにバンバンでてる有名人なんだよね?そういう場面あったっけ?最初違う人かと思ったよ。かと思えば亀が空から降ってくるニュースとか2度読み上げられてもねえ。(ちなみにその場面のアナウンサーの演技?演出も実に素人映画っぽい)

なぜこの監督(1/3だが、脚本は上田氏だ)があの「カメ止め」を撮ることができたのか。一つの回答は「ライブでワンカットのゾンビ映画」という制約がうまくはたらきテンポの悪さが露呈しなかったというもの。そしてこの映画にでてくるような「非日常(フィクション)」の要素が入り込む余地のない設定だったから、、なのかなあ。

こうなると次の「スペシャルアクターズ」には不安しか感じない。しかし「カメ止め」では優に普通の映画3本分以上は楽しませてもらった。そのお礼に次までは見に行くことにしよう。


メン・イン・ブラック:インターナショナル -MEN IN BLACK INTERNATIONAL(2019/6/20)

今日の一言:底辺映画+日本語版のみ特別ボーナス

米国での評判が最悪ということは知っていた。しかし時間が合うのがこれだけ。しかも日本語吹き替え版。いやな予感しかしないが、見てみるか。

米国での評判が悪かった理由は明白。とにかくわけがわからない。いつものエイリアンとか超兵器とかでてくるし、よくある「実は裏切り者がいましたー」なのだが、見せ場がないし、意外性云々の前に何を言っているのかよくわからない。そもそも敵ってなんだったのか。この訳の分からなさに比類しうるのはファンタスティック・フォーか。Rotten Tomatoesでひどい点数がつくのも合点が行く。

しかし話はそこでは止まらない。日本語版を見た人にはもれなく特別ボーナスがついてくる。

エージェントMが日本語で最初に喋った時「なんだこれは」と驚愕する。声が全くイメージにあっていないだけでなく、まるでそこらへんの女子高生を連れてきて喋らせたかのよう。とてもプロの役者とは思えない。あとで調べれば見目麗しい女性のよう。なぜこんなのにやらせる。見た目はどうでもいいんだよ(途中どうでもいいシーンで顔がでていたようだが)

しかし

振り返ってみれば、素人に吹き替えをやらせた理由もなんとなく理解できるのだ。映画がゴミだとわかった以上、内容で客を呼ぶことはできない。ならば客が呼べる女性に吹き替えをやらせるしかないではないか。マーケティング担当者の悲痛な叫び声が聞けるようだ。それに「素晴らしい映画が吹き替えのおかげで台無し」ではないしね。元々ゴミだから。

などと顔も知らぬマーケティング担当者に同情の念を送ったところで、時間を金を無駄にした、という落胆を覆い隠すことはできない。ダメ映画は覚悟していたが、日本語版特別ボーナスは計算外だった。


ゴジラ キング・オブ・モンスターズ -GODZILLA: KING OF THE MONSTERS(2019/6/1)

今日の一言:怪獣プロレスへの要らんオマージュ

ゴジラといってもその作風は様々である。日本全土が焦土になった記憶生々しいうちに作られたゴジラ[1954]、そして東日本大震災後に作られたシン・ゴジラ。この2作だけが大人の鑑賞に耐えうる「映画」。先日ゴジラ対ヘドラをみてそのあまりに珍妙な出来に驚いた。子供の頃はなんとも思わなかったがなあ。破壊の神としてのゴジラはいつのまにか子供の声に応じてプロレスを演じる存在になっていた。

このクマゴジラ第2作は、昭和の「怪獣プロレス」への要らんオマージュ。子供が意味不明の活躍をするところ。チープな怪獣あやつり装置(故障してもどこからともなく現れたハンダ付けで修理できる。これこそ昭和の家電)とってつけたような「人間は地球にとって害悪だよね」という理屈。そしてプロレスに興じる怪獣たち。

私が子供の頃、こういう面倒な理屈を述べずにスクリーン上で暴れる怪獣にただ熱狂していた。だから小学生の頃の私だったらこの映画を楽しめたかもしれない。遺憾ながらこの歳になるとアクビしかでない。途中時計をみてまだ1時間あると知った時の絶望感といえば。

怪獣映画とは本来こんなものだ、という意見もあろう。しかし日本産の底の浅い物語をリスペクトしながらもちゃんと鑑賞に耐えうる映画にしてみせた「名探偵ピカチュウ」のような作品があることを考えると、この映画には価値を認めがたい。

唯一価値があるのが、中国枠で出演のチャン・ツィイー。40になっても美しくかわいい。日本にこういう女優っていないよね。彼女の双子の妹が突然出現し

「モスラーやっ」

と歌ってくれれば金の取れる芸になったかもしれぬ。しかし不幸にしてこの映画にはそこまでの突き抜けもないのであった。


アクアマン-AQUAMAN(2019/2/9)

今日の一言:悪い人類代表は日本人

アトランティスの女王と灯台守の間に生まれたアクアマン。なんだか知らない間に海の中に4っつある国はまず結託し、次に地上を攻撃しようとする。そもそもなぜそんなことをするか本当の理由はよくわからない。ああ、どうも日本が原因のようですよ。地上人類の悪行の例として、捕鯨とイルカ漁がでてきたから。

でもって延々どうでもいい話が続く。なぜどうでもいいかというと、脚本を書いた人間が「話が通るようにしよう」と最初から思っていないから。主人公たちがクジラの口に隠れて敵をやりすごすのだが、その由来を海の王女に教えるために、突然でてきたイタリアの少女がいきなり王女にピノキオの絵本を渡すのだ。なぜそんなことを、とか突っ込んでいてはこの映画を見ることはできない。

あくびを連発し、嫌になったがまだ肝心な槍も手に入ってないし、そのあとカニさんの国をやっつけて、さらに悪役を倒さなくてはならない。この絶望感。
さてカニさんの国との戦いは「エクス・マキナ」の連続。カニさんの王様がピンチになった途端、どこかで見たような怪獣を三つたしたような巨大甲殻類がでてきて敵を蹴散らす。最後の兄弟喧嘩はこれまたそれまで一回も言及されなかった巨大船の上で行われる。この船どっからでてきたんだ?

水の中のシーンはほとんどCGだけでつくられているから合成感が半端なく、なんの感慨もえられない。トム・クルーズの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。そんなことを考えるのにも疲れ悟りを開きそうになったとき、ようやく物語が終わる。っていうかそれまで頭のおかしい王様のおかげで無益な殺し合いさせられてた兵隊は、「王が誕生したぞー」でそんなに簡単に歓声あげていいのか?

おまけのシーンでは、「絶対こいつ死んでないよな」と思っていたやつがやっぱり生き残っている。DCシリーズはなんでこんなのばっかりかねえ。


シュガー・ラッシュ:オンライン-RALPH BREAKS THE INTERNET(2018/12/22)

今日の一言:ほら、あのディズニーがこんなことやっちゃったよ?いやーここまでやるか?おもしろいでしょ!(byディズニー)

これから簡単なテストをします。あなたはこの映画をみるべきか否か。準備はいいですか?

以下の記述を読んで正直な感想を教えてください。
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長々したエンドロールの後に「Frozen2(アナ雪2)をちょっとだけみせちゃいます」という声が流れる。劇場に安堵の空気が流れる。よかった、この苦痛で無意味な時間にも少しの意味を見出せた。

一瞬の間の後、画面に映し出されるのは80年代のミュージックビデオを歌うラルフ。「このメロディ耳につくよねー。まだそこにいるのー」とか意味のないセリフが最後まで続く。
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これを読んで「あーはっはっは。お腹がよじれる!」と思ったあなた。あなたはこの映画を観るべきです。

それ以外の方にはオススメしません。世の中にはもっとマシな時間とお金の使い方があります。

前作シュガーラッシュは世間では評価が高かったようだが、私にはその面白さがわからなかった。今作もRotten Tomatoesでの評価は88%ひょっとしたら、そんな思いで観にいった。

最初にいいところを書いておく。スタッフは全力を尽くしたと思う。「ネットにパケットを送り出すところ」とかインターネット世界の描写はすばらしい。議論を重ね楽しみながら作ったのが伝わってくる。しかし如何せん肝心のストーリーがゴミ。

本作でのラルフは精神異常者である。「今の毎日がいいよー」としか言わない。新しい世界に行きたいプリンセスとは距離が生じるが、彼女の離反を阻むためだったら、破滅的なウィルスをばらまくことすら厭わない。なぜなら精神を病んでいるから。

最後はラルフが集団でわさわさでてきて「このままじゃインターネットが崩壊しちゃう」というセカイ系になる。お前はエージェントスミスか。エンジニアとしては、あれだけ多くのラルフをリアルに動かす技術に感心はするが、ただ気持ち悪い。
そして「ラルフが自分の悪いところに気がつく」と全ては元どおり、ネットの世界は救われました。はぁ。

恒例のおまけ動画では、うさぎの口にこれでもかとパンケーキを詰め込み破裂させる。冒頭でてきた「シュレックばりのゲップ対決」とともに、ディズニーこれでいいのか?ディズニープリンセスがわんさかでてきて「あの娘はスタジオが違うからわかんないのよ」とメリダを指差す。あのさあ、これ関係者なら大笑いかもしれないけど、観客がこれみて喜ぶと思ってんのか?

徹頭徹尾こうした気持ち悪い内輪受けと「ほら、ディズニーがこんなことしちゃうんだよー」が続く。最近ディズニーはこうした悪しき伝統-自分たちだけ楽しい内輪ネタ-に回帰している印象がある。ピクサーから学んだストーリーテリングはどこにいった?


くるみ割り人形と秘密の王国 -THE NUTCRACKER AND THE FOUR REALMS(2018/12/01)

今日の一言:伝統への回帰

くるみ割り人形というバレーは知っている。話は知らない。映画の途中で、マザージンジャーという名前に聞き覚えがある理由がわかった。マザージンジャーのスカートから子供がでてくるのを昔娘がやったのだ。

映画の冒頭、CG丸出しの風景の中をふくろうが飛ぶ。そのシーンだけでもう退屈していた。主役はちょっとエキゾチックな感じの女性でなかなかよろしい。特に軍服姿は可愛い。静止画はよろしい。

どうやら彼女の母親が死んでから家庭がギクシャクしているようだ。彼女の「伯父」はなぜか黒人。彼は伝統に従い全体を見守る。主人公はクリスマスプレゼントを探しているうちに不思議の国に迷い込み。

この映画のキーワードの一つは「人種均衡」。主人公の相手役は黒人だし、バレーダンサーも黒人。ここまでやるならアジア人も出して欲しかった。子供向けの夢である「あなたはこの国では王族」がでてくる。皆が「●●さま」と言ってひれ伏す。母親が昔国を作ったんだそうな。だから娘はでかい顔ができる。ふーん。国ってどうやったらできるのかな。

ここらへんでものすごい眠気に襲われる。つまらないとか退屈以前に眠い。米国で公開されたときは酷評の嵐だったと聞く。ある記事では「バレーを映画化したもので成功したことはない」とかあったがそんな問題ではない。見事なくらい全ての登場人物がペラペラで、何も印象に残らない。結果として睡魔に襲われるわけだ。「なんだこれは、話がデタラメではないか」と思う映画もあるが、あれは一応関心が向いていたのであるなあ、とかそんなことを考える。

頭がぼんやりして、はっと気がつけばハリウッド伝統の「どっかん一発ハッピーエンド」黒人兵士との恋愛を描かないのがかろうじて今風か。最後は夢オチと思っていたが、そういうわけでもなく中途半端に丸く収まる。はぁ。しかしピクサーとくっつく前のディズニーはこんな映画を量産していたような気もする。脚本に血肉を通わせるより政治的正しさを追求するあたり伝統的なダメディズニーに回帰したのかもしれない。


ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生 -FANTASTIC BEASTS: THE CRIMES OF GRINDELWALD(2018/11/23)

今日の一言:あっ、終わった?じゃあ帰ろう

というわけでJKローリングは5部作にするつもりのファンタスティックビーストである。子供に「見に行く?」というと「やめとく」と言われた。1作目はみんなで見に行ったんだけどね。

というわけで映画が始まる。無意味な掃除ロボットとか、赤ん坊の虐殺とか無駄が多いなあと思っていたのは最初だけ。画面はとにかく暗くぼんやりしている。話はぺらぺらと進んでいるようだが何がなんだかさっぱりわからない。観客をおいてけぼりにして、ジョニーデップが演説したり暴れたり。人間にまかせておくと原爆投下する。だから戦う、はいいんだけどあんたそのあと魔法省の人間虐殺してるではないか。っていうか魔法省の役人達何しに来たんだ?一作目でも意味不明だった「パン屋と主人公の相手の妹」の関係はさらに加速してわけがわからない、というかこの女がただの精神異常者。魔法動物は言い訳のようにちょっとだけ出てくるし、大市場たる中国向けの目配せもばっちり。あとアジア人と黒人を増やし人種の均衡をとったか。こんなことくらいしか考えることがない。

他にもいろいろ人がでているが

「どうでもいい人が、どうでもいいことをやり続ける2時間」

以上の感想が湧いてこない。そうだよなあ。アメリカでの評判最低と知りながら見にきたのが悪いんだよな。ハリーポッターは魔法のあれこれが少年少女が大人になる過程とうまく重なって面白い物語になり得たのではなかろうか。これにでてくるのは頭のおかしい大人ばかり。しかも狂気が加速している。子供と一緒に来なくてよかった。


ヴェノム -VENOM(2018/11/04)

今日の一言:ノリっすよノリ。

さっぱり調子の出ないDCを尻目に無敵とも思える快進撃を続けるマーベル。しかし画面に大きくTencentという文字が表示されるといやな予感がしてくる。いや、決めつけはよくない。映画を見よう、映画を。

映画の冒頭、宇宙から帰還する宇宙船に事故が起こったらしい。このシーンでもう退屈していた。何が起こったかわからないし、どうでもいい。

宇宙からやってきた生物は地球では何かに寄生しないと生きられないらしい。ところが移植と同じで性質が適合しないと人間も生物も死んじゃうよ、というお約束は途中であっさり忘れられる。アホな主人公が金持ちの社長に遠慮ない取材をする。それで首になるのはわかるが、なぜ婚約者までクビになるのか。主人公にとりついた生物は主人公と地球が気に入ったらしいがそれはなぜなのか。そもそもヴェノムはなんで簡単に生き返るのか。この映画を作った人はそういう細かいことを気にしないらしい。

ヒーローものだから細かいことは、というのであればせめて戦闘シーンはかっこよくするとか。ヴェノムが指揮官ヴェノムと戦うクライマックスでも画面が暗い上にやたら動くものだから何が何やらさっぱりわからない。ヒロインは無理やりな金髪が浮いているお姉さん。彼女が最後の戦いでも活躍するのだが、あのー、その音はどこから鳴り響いているんでしょうか。まあこれも細かいことですね。

そのヒロインの新しい彼氏が妙にいい人なのだが、これも多分何も考えてないんだろう、といった調子で心底どうでもよくなっているうち映画が終わる。なぜそこで席を立たなかったかといえば、通路側に座っている人が動かなかったから。ものすごく長いエンドロールの後、例によって付け足しのシーンがある。どうやら続編作る気らしいが、ちょっと考え直したほうがいいのではないだろうか。っていうかこの雑さ加減とか「中華街推し」とかやっぱりTencentと何か関係があるだろうかないんだろうか。


マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー -MAMMA MIA! HERE WE GO AGAIN(2018/08/26)

今日の一言:ヘリが来る

ホテルの新装開店パーティーは阿鼻叫喚の地獄と化した。正規の参加者が来ないため、そこらへんにいた人間を「タダで酒飲んでメシが食える」とかき集めたのだから当然の結果か。

そもそもこれが何のパーティーか知っているものすらいない。泥酔して吐く者、殴り合い暴れてホテルを破壊する者、女性とみれば手当たり次第風俗嬢扱いする者。ああ、いったいこの混乱に、デタラメにどうケリをつければいいのか。

頭を抱えて座り混む。おや、なんの音だ?あれは確かにヘリの爆音。遅れて鳴り響くのはワルキューレの騎行。をを、あのマークは第一騎兵師団。このカオスに終止符を打つため、この映画に金と時間を投資してしまった過ちを悔いながら、席を立つ決断がつかない観客を救うためヘリがやってきた。バルカン砲が起動する音がかすかに聞こえる。

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とまあこんな話を考えながら座っていました。どこらへんでこの映画に見切りをつけたかというと、冒頭主人公がおばあちゃんに招待状を書きながら、わざとらしく破り捨てる場面。そこで

「ああ、私は何をしてしまったのだ」

と後悔し、若メリルストリープが男と見れば寝て回るシーンにうんざりする。話の都合上男3人と同時に付き合うのはわかるんだけど、ここまで頭空っぽに見せなくても。若メリルストリープが大根役者なのか、たんに演出が悪いのか、あの姿を見て「若くて生き生きとしてすばらしいな」と思う人が果たしているんだろうか。

いや、きっとDancing Queenのシーンだけはいいに違いない。前作でもそうだったし、と思って見続けても救いは訪れない。あの一曲の時間を持たすことすらできず間延びする。

つまるところはよくある

「2作目は適当に作ればいいんだよ。どうせみんな名前だけで見に来るんだから」

というゴミ続編。そうなんだよねぇ。結局私も見てるんだから。


ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー-SOLO: A STAR WARS STORY(2018/7/14)

今日の一言:失敗の本質

アメリカでの興行成績が振るわなかったと聞く。とはいえRotten Tomatoesの評価は判断がつけづらい70%.これは見なくては。

最初に良かったところを書いておく。帝国軍への入隊を呼びかけるCMの背後に流れる例のマーチ(転調してたかな?)帝国軍に入りたいと言うと、細かいところは全部すっとばして入れてくれるところ。結局人手不足なんだろうね。それに、帝国軍下っ端兵隊の最前線での戦いぶり。帝国軍だ、反乱軍だといったところで最前線の地獄に変わりはない。泥にまみれてひたすら生き延びることだけを考える。

他に何があったのか?いかにもな感じの若いハン・ソロにいつも通りのチューバッカ。いつものスターウォーズキャストがでてきて、いつものドタバタを繰り広げる。なのに退屈でしょうがない。時計をみたがまだ1時間しかたっていない。嗚呼。

ぼんやりスクリーンを眺め続ける。ヒステリックにアンドロイドの権利を叫ぶロボットと人間の愛情?なんかもうどう反応すればいいのやら。しかも話の筋になんの関係ないし。こんなに豪華で退屈な映画は久しぶりに見た。これにくらべればヴァレリアンのほうが

「なんだかわけがわからない」

という珍品を観た驚きがあってよかった。

というわけで、残りの時間ウディ・ハレルソンの変貌について考えていた。Cheersでインディアナ州ハノーバーから大都会Bostonに来た時、彼は純真な田舎の青年を絵に描いたようだった。そこから本作のふてぶてしいじいさんになるまで長い道のりだったなあ。本作が失敗したことくらい彼にとってはなんでもないだろう。おや、映画が終わったようだ。

ディズニーは興行成績が振るわなかった原因を解析し、今後のスターウォーズシリーズを見直すという。振るわなかった原因は単純。つまらないからだ。この映画を口コミで友達に勧める人はいまい。しかし解析すべき問題は残っている。なぜこんな映画を公開してしまったか。

ローグワンに引き続き監督を交代したと聞く。あとを任された監督は

「とにかくスターウォーズらしくする」

ことだけに全力を注いだのか。彼はそれに見事に成功した。確かにスターウォーズらしい映画ではある。しかし肝心な「面白さ」が微塵も存在しない。ローグ・ワンのような「これぞサイドストーリー」という驚きもない。

確かにディズニー-スターウォーズには何か大きな問題がある。それを解決しないことには今後の展開が望めない。わざわざ未解決事項と主要登場人物を残し、続編作る気満々のようだけどこれの続編だと誰も観ないよ。


カーズ/クロスロード-CARS 3(2017/9/22)

今日の一言:寂寥感

観ながら感じていたのは寂しさ。
時代遅れとなり世代を継ごうとする主人公に寂しさを感じたのではない。登場人物(登場車というべきか)の誰にも何の感情も抱けない。特に新しく主役になるトレーナーが全く共感を呼べないキャラクターなのは致命的。ただのバカである。主人公の言いがかりにもイライラさせられる。泥レース出ようって言ったのあんたでしょう。しかし問題はそこではない。物語の要となるところでいきなり

「都合のいい後付けの理由」

を持ちだすとは。同じ番号つけてれば交代してもいいんだったら、ピットでのタイヤ交換なんて早くやる必要ないじゃないか。これはまるでデウス・エクス・マキナだ。いやいいんだよ。そういうSpecialルール持ち込むのも。でもそれなら「なるほど」と納得するくらいちゃんと時間をかけて説明しなくちゃ。

きっとこういう作品は最後がだらだらするぞ、と思いながら見続ける。世代を継いでトレーナーに徹するかと思えば、なんだかわからない中途半端な結末が続く。やっぱり。

唯一の見所はCG。観客席とかどれだけの労力が注ぎ込まれたのだろう。しかしそれは映画の力を高めこそすれ、高めるものがなければ何にもならない。

かつてあれほど完成度の高い作品を連続して世に送り出したピクサーがこんな支離滅裂な作品を公開するようになったか。驚きと絶望はとうの昔に通り過ぎ、もうピクサーはだめなのだな、と悟らされた。盛者必衰の理と言葉では知っていてもそれを目の当たりにするのは寂しい。一体なぜこうなってしまったのか。ラセター君。いろいろ理由はあるんだろうが、なぜこんなのにOKを出す。全ての辻褄があっていたズートピアのようや異常な作品はもうディズニーに行った人間でしかできないというのか。

出来が悪ければ容赦無くお蔵入りにしたピクサーはどこに行った。いや、それはもはやただの昔話なのだな。


ザ・マミー/呪われた砂漠の王女-THE MUMMY(2017/8/4)

今日の一言:既視感

珍しく自由な時間を持つことができた。久しぶりに映画を見ましょう。上映しているのはどれも米国での評価がいまいちなものばかり。丙丁つけがたいものから「唯一シリーズものではないから(今の所)」この映画を選ぶ。

というわけで冒頭から心の準備は万端。青い目金髪の考古学者が出て来る。これだけ学者が似合わない女優はいつかの007以来だなあ。トムクルーズと相棒が底抜けのバカで、バカなことをやりまくる。何があっても死なないのは(いや、一応死んでるけど)主役でかつ良い人だから。だって、青い目金髪がわざわざセリフで「あなたの根はいい人よ」と言っているから間違いない。

いや、ここで文句を言ったら負け。とはいえイライラはしてもハラハラはしない。ユニバーサルはこの作品を皮切りに「ダークユニバースシリーズ」を作りたいらしく、映画の冒頭にでっかい題名も出て来る。とはいっもこれじゃ単なる「トム・クルーズ大活躍映画」ではないか。

ラッセル・クロウ演じるジキルとハイドは全く意味を持たず、「ああ、クロウ君太ったなあ」としか思わない。「こんな映画どっかでみたなあ」と思い返せば、スーサイド・スクワッドが頭をよぎる。古代の女王が蘇って大暴れして、ゾンビを率いるなんてそのままじゃないか。あの映画から、ハーレークインを取り除いてトムを注入するとこの映画になるか。しかし両方ともなんでビッグネームに頼るかね。そのギャラを脚本に回せとあれだけ言っているのに(誰も聞いてません)

出港直後にバットマン vs スーパーマンで沈没と思われたDCコミックスシリーズもワンダーウーマンの成功で一息ついたらしい。だからこのユニバースも成功しないとは誰にも言えない。野次馬としてはその様子を生暖かく見守ることにしよう。


美女と野獣-BEAUTY AND THE BEAST(2017/5/7)

今日の一言:監督の苦悩

第一幕:監督は燃えていた。あの名作、アニメ版「美女と野獣」の実写リメイク。これほど注目を集めるプロジェクトを任されるとは。昨今異常に進歩したCG技術を使えば、十分な勝算がある。素人は「エマ・ワトソンでてるから」と見に来るかもしれないが、そういうぬるい観客の度肝を抜いてやる。

さあ、今日からリハーサル。監督の上機嫌はエマ・ワトソンの最初の演技を目にするまで続いた。

第二幕:プロデューサーからは「ディズニーのお偉方に試写を見せろ」と矢の催促。なの脚本すら決まっていない。いや、すごい脚本ができていたのだ。もしエマ・ストーンが主演だったら成立するはずの脚本が。なのにすでに「エマ・ワトソンが主演」と公報されてしまっている。どうする。公開日から逆算すると、とにかく撮影を始めねばならぬ。

第三幕:ディズニーからは潤沢な予算が得られるはずだった。なのにその金はどこかに消えてしまったらしい。噂では主演女優の出演料が高騰したとか。こいつは大根演技だけでは足りないというのか。ああ、催促が、そして公開の期日が。

追い詰められた監督は遂に発狂する。それまでエマ・ワトソンを我が妻にせんと知恵を絞っていたガストンが無分別な暴走を始める。それは監督自身が発狂した瞬間でもあった。クライマックスの「塔をルパンばりにぴょんぴょん」のCGでは「予算切れ」をスタッフが通告してくる。しかし監督は答えずただ微笑を浮かべている。彼は知っているのだ。同時期に撮影されるラ・ラ・ランドが歴史に残る名作になることを。そしてそれはエマ・ワトソンをこの映画に縛り付け、海底深く沈めた自分の功績でもあることを。Over my dead body-俺の屍を越えていけ-という言葉、それに魚雷を何十本もうけながらなお進撃をやめないレイテ海戦における戦艦武蔵の姿が何度も監督の頭を駆け巡る。

ディズニーのお偉方に対する「完成版試写」で明かりがついた時の凍りついた空気。その中でも監督は一人微笑みを浮かべていたと伝えられています。

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とまあこんな物語を映画を見ながら考えていたわけです。あれほどの名作が「お手本」としてありながらなぜこんなわけのわからない物語ができる。少し登場人物が動くと画面がぶつ切りで何が起こっているかわからず、主演女優は破滅的な大根。唯一笑ったのがワトソンが「ロミオとジュリエット好きよ」と言った時のBeastのうんざりした表情。

サウンド・オブ・ミュージックばりに丘の上で歌う場面。お手本がありながらなぜこんなにひどく撮れるのか。最初の「これまでのお話」のところでもう退屈していたからガッカリはしなかったがうんざりする。

最後にイケメンになった王子と踊るシーンを見るとつくづく思う。エマ・ワトソンって演技さえしなければ、見栄えはいいんだよね。


ゴースト・イン・ザ・シェル(2017/3/29)

今日の一言:魂の抜けた殻

珍しく試写会になるものに応募したらあたった。しかし前日にいきなり「当たりました」と連絡もらっても困る人も多かろう。

試写室というのは小さな部屋。きょろきょろしているうちに上映時間となる。試写会でも「映画泥棒」の上映はやるのだな、と妙な感心をする。

まず関連する会社のロゴがでるのだが、なんとか有限公司、それともう一つ中国系と思われる会社のロゴがでて「これは中華映画か」と思う。それ自体はどうということはない。面白ければいいのだ。いきなり誰かがベッドに乗せられ運ばれていく。まわりにいる人たちの「電脳メガネ」のようなもののダサさにちょっと嫌な予感がする。

主役はスカーレット・ヨハンセン。原作はアジア人なのに白人をキャスティングするとはけしからん、という声があったとも聞くが、私はこれは製作者の良心だと思う。彼女は仔細にみると鼻の先がでかかったりするが、非常にAttractive。そしてそれがこの映画の唯一の存在意義だった。

原作は古く、Matrixはこの映画からインスピレーションを得て作られたとか。Matrixはすでに多くの人が知っている。その作品を「今」映画化するにはどうするべきか、とかなーんにも考えなかったんだろうなあ。ネットの上に人格だけ存在してるとか、今となっては聞き飽きた概念。体を機械で強化していったときに残るのは何か。そもそも人間の細胞は入れ替わり、変化していくなかで「あなた」とはなんなのか、とか難しいことはどうでもいい、という潔い姿勢が伺える。難しいことは簡略化し「万人にわかりやすい映画」を目指した結果「万人にどうでもいい映画」になってしまった。

話は退屈の一言。一瞬足りとも緊張したり、ハラハラしない。ベースにあるのは陳腐な恋愛であり、そもそも9課とは何かとかさっぱりわからない。名前からして東京を舞台としたつもりらしいが、街は堂々たる香港のそれである。ビートたけしは(予告編から危惧していた通り)全く精彩がなく、単なるヨボヨボの老人。日本語の台詞すらよく聞き取れない。アウトレイジに出演していたのと同一人物とは思えない。桃井かおりの「お母さん」だけはよかったけどね。

少佐とタンクの戦いも、「頭の弱い女が何も考えずに銃を撃っている」ようにしか見えず、光学迷彩も「出してみました」だけ。どんぱちあった後にヨハンソンが「今までの仕事を前向きに続けるの」もわけがわからない。というかその頃には「どうでもいいから早く帰らせてくれ」という気持ちになっている。1時間46分の短さに納めたのは製作者の良心その2か。体感時間は3時間超の大作だったけどね。

ヨハンソンと北野武それにゴースト・イン・ザ・シェル(攻殻機動隊)という「シェル」だけが存在し、魂が完全に抜けた映画。そう考えれば、この映画自体が「シェルとは?ゴーストとは?」と観客に考えさせるメタな構造になっているのであった、とこじつけるくらいがこの映画の楽しみ方か。


君の名は(2017/1/25)

今日の一言:トランプが大統領になった年、この映画が大ヒットする。

大ヒットしていることは知っていた。しかしあれこれ情報を見ても全く観る気が起きない。まあ「美少女と体が入れ替わる小学生の妄想だろう」と決めてかかっていた。

もしそれが正しいとすれば、私の息子(中1)には丁度ストライクゾーン。彼が見に行ったので感想を聞くと「うーん。悪くないけど微妙。なんであんなに名前にこだわるのか」と言う。ちょっと意外な気がした。

というわけで興味はあるが、時間と金を無駄にするのはいや。ちょうどそこに飛行機に乗る機会が訪れる。無料の飛行機の中であれば心置きなくみられる。というわけで座席につくと早速選択。

映画が始まってから1時間は「小学生時代の妄想を思い出す気恥ずかしさ」ばかり感じる。しかしなんでこう物事をステレオタイプに描けるかね。分け知り顔に語る祖母とか、綺麗にタイプ分けされた友達に、無駄に色っぽい職場の先輩。サマー・ウォーズそっくり。女性と付き合ったことがない小学生男子児童の妄想に覚えがないわけでもないから、それを具現化し大画面で見せられるとムズムズする。しかし「種明かし」の後、考えるのは米国の大統領選挙に変わる。

この映画は日本で歴史に残る大ヒットになった。宣伝を信じれば、観た人の99.8%が満足したという。

いやね、彗星の軌道がまちがっていることとか、そもそも彗星が同一都市にたった1200年の間に2度も落ちるなんてのは些細なことだから問わない。全く機能していない主人公の友達とか、なんでそうも都合よく物事忘れるかなとか(忘れないと話がなりたたないからだが)もイライラするくらいで致命的ではない。しかし最後の数十分は画面をみているのが苦痛になる。

防災放送が鳴り響いているのになぜ皆のんびりと歩いているのか。息子の言う通りだ。彗星が今にも自分の頭に降って来て自分も家族も友達も皆殺しになろうというときに「相手の名前がわからない」とか泣いている人間にどうして感動できるのか。その数分後、同一人物がいきなり立派になり父親の説得に成功するのはなぜか。っていうかこれ「君の名は」って筋にほとんど関係ないじゃないか。相手の名前は忘れても都合いいことだけは覚えているわけだし。
つまりこの映画には話の筋がない。ふらふらキラキラした断片が転がっているだけ。いや、そういう映画は他にもあるんだけど、このプラスチックのキラキラアクセサリーにどうして感動できるのか。

致命傷と思える間違いを何度もし、数度にわたりトドメをさされたはずのトランプは大統領になった。私には彼の何が良いのかわからないし、どうして彼のあからさまな問題点に目をつぶれるのかわからない。

それと同じく、私にはこの映画の良さが理解できないし、あからさまな矛盾点やら問題点にどうして目をつぶれるのかがわからない。

私は理屈っぽすぎるのだろうか。キラキラした画面にオタ向け記号を陳列しておけば人は映画を見に来るのだろうか。ヒラリーも思ったに違いない。心がけて来た「政治的正しさ」とは一体なんであったのか。適当なことを言っておけば人は投票するではないか、と。

もし私が公開直後に見ていたとすれば「オタ向け記号の陳列棚」の一言でおしまいにしていた映画。しかし実際に社会に巻き起こした影響を鑑みるとき、深く考えざるを得ない。多分私は世の中のありようについて何も知らないのだろう。私の映画の見方は0.2%という狭い範囲にあることだけはわかった。


インフェルノ-Inferno(2016/11/05)

今日の一言:これ本当にロン・ハワードが作ったのか?

例の教授が病院で目覚めるが自分がどこにいるかもわからない。幼い頃教授に会ったことがある、という医者が面倒をみてくれるがいきなり発砲され。

という冒頭の「何も思い出せない」というシーンで既に不快感を覚える。必要以上に長く、グロい。見ているのが苦痛になる。教授は地獄のイメージを見るのだがこれもまた長い。何度も何度も陰惨な風景を映し出す。それが「後で効いてくる」というわけでもない。

思えばこれが全体の基調になっていた(途中までは)それはあたかも

「いやー、長い原作ですけど切って切って90分に収めました!え?2時間にしろって?そりゃま捨てたシーンを全部入れればなんとかならないことはないですけど。。」

とかいう裏事情があったかのよう。長々と続くラブシーンといい、何度も繰り返されるスローモーションといい。「主犯」の基調演説も丁寧に2度繰り返されるが、これ繰り返す必要あるのか。人口増えて大変だから、細菌ばらまいて人を殺すってねえ。人口が減少を始めた国に住む人間にはピンとこんよ。おまけに人一人正当防衛で殺したくらいでめまいをおこしている人間が、なぜ平気で人口半分にするのかな。

などとぼやいているころに、物語がクライマックス(と製作者が思っているところ)に到達する。もう見続けるのが嫌になる。退場してしまおうとかと思ったのは久しぶり。そうしておけば「あの結末はどうなったのだろう」と想像を働かせれた分よかったかもしれない。結末は恐ろしいことになる。

今世界は崩壊していないから丸く収まるに決まっている。しかしここから「善玉」の行動原理は「近くに人がいても、絶対助けを求めず一人で無茶をする」に変わる。あんだけ大勢で乗り込んできているのに、悪役と戦っているのはたったの三人。声をあげろよ。この妙な行動原理に従う役者たちの行動は、既に何かに感染しているかのようだ。

かくして冒頭あげた疑問が頭を回り続ける。過去のロン・ハワードの作品からしてこれは本当に彼の作品なのか。単に名前を貸しただけで実は「有力者のドラ息子」が作ってたりしないのか。


信長協奏曲(2016/10/24)

今日の一言:こんなの作って楽しいのか?

飛行機の中でなければ絶対見なかった映画。ある記事を読んだ。公開前の宣伝量はシン・ゴジラにひけをとらなかったが、公開後の反響でとてつもない差をつけられた、と。であればそれがどんな映画か見たくなるではないか。無料だし、時間は山ほどあるし。

なんだか続編みたいだな、と思って後で調べればテレビドラマの続きを映画化したのだな。誰かが「これ絶対いけますよ。儲かります。映画にしましょう」とか言ったんだろう。若手の人気俳優が勢ぞろい、漫画原作、とダメなサラリーマンが同意しそうな仕立てである。

現代からタイムスリップした高校生が信長になりました。でもって争いのない平和な世を目指します。そのために領民や「敵」を殺しまくります、というお話。都合上秀吉が影の悪役ということになっており、実質的にこの時点で秀吉が全てを支配していたことになっているが、まあそこは問わないでおこう。

早送りもせず1時間くらい見た自分を褒めてあげたい。(そのうち20分はご飯を食べながら見ていたが)タイムスリップという使い古された手法を使い、史実という制約があっても面白い物語は作れると思うが誰もそんなことは目指さなかったんだろうな。この豪華な出演陣見ればヒットは間違いなし!現代高校生の口調で信長がしゃべれば若者の心も掴んで、ヤバイッすよ!とかいう誰かの企画会議での言葉が聞こえるようだ。

平日の昼間にTVでみれば「ああ、がんばってるね」と思うがこれを千八百円とる映画として公開するのはどうかしているとしか思えない。今や凋落の一途を辿るフジテレビ関連というのを知り、何か関係があるのだろうかと考える。


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注釈