題名:若者に通じない用語-Part3

五郎の入り口に戻る

日付:2000/12/15

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8インチフロッピ

コンピューターなるものが世の中に顔をだすようになってから、そりゃたしかに演算速度や記憶容量は対数規模で増えたかもしれない。しかしキーボードは昔からキーボードだし(マウスがつくようにはなったが)多少カラーになり解像度が上がり、液晶になったとはいえ、ディスプレイはディスプレイなのである。目に見え、手に触れるるところで一番変わったのは、(補助)記憶装置ではなかろうか。

私が知る限りこの「記憶装置の変遷」というのは、コンピューターに長年携わっていた人が得意げにしゃべりだすと止まらなくなる話題の一つである。そして未だに次世代の補助記憶装置の本命が決まらないところを見るとこの傾向は将来にわたっても続くのでは無かろうか。きっと10年位後には40代くらいの人間が若い者に向かって

「知っているか?ZIPドライブってのがあって、俺は結構好きだったんだけど、いつのまにか消えちゃったんだぞ」

「いや。おれはリームーバブルハードディスクのファンだった。一枚が45MBだったんだぞ」

とかなんとか言っているに違いない。えっつ。これはもうすでに年寄りの昔話ですか?しかし私がこれから書くのはそれよりもさらに昔の物語である。

 

私が幼少の頃、科学特捜隊はかたかたと打ち出される穴の空いた紙により怪獣の出現を知った。おそらくこの紙テープは記憶装置としても使われていたと思うのだが私自身は使ったことがない。直接遭遇した一番レトロな記憶装置はパンチカードだった。

学校でもお目にかからなかったものに、まさか会社にはいって遭遇するとは思わなかった。プログラムを書いた紙を提出すると、会社のしかるべき部署が穴のあいたカードの束に変換してくれる。この変換というのは実に機械的に行われるから"o"と"0"(ゼロ)を間違えた、といってもその通りカードにしてしまう。gotoのつもりがg0t0と書いてしまえばそれまで。もう一度提出してください。その頃はまだ「パンチカードにも利点があったのだが。。」という文章が散見されたものだが、その後急速に見なくなった。

「あのカードの束をひっくり返すと悲惨なんだよ」

「いや。そのためにマーカーで横に印を付けて置くんだよ」

という話が年寄りの昔話となった今、当時の会社でカードに穴を開けていた人たちはどうしたのだろうか、と思うこともあるのだが。

 

さて、そうした紙関係を除けば、最初に買ったパソコン、PC-8001とともに使いだした記憶装置は「カセットテープ」である。今では信じられないことだが、当時はソフトを雑誌に掲載する、ということが可能だった。ある場合にはBASICのソースコード、またある場合には16進数の羅列が印刷されており、恐れをしらない若者はそれをひたすらパソコンに打ち込むわけだ。

さて、昨今のコンピューターというのは、電源を切ると、その頭はからっぽになってしまう(太古には電源を切った後ですら記憶を保持するコアメモリといものも存在したというが、私は見たことがない)せっかく努力して打ち込んだプログラムもスイッチ一つでパーだ。では保存はどうする。そこで登場するのがカセットテープである。

最初私はうなったものだ。なるほど。カセットといってもつまるところ磁気で情報を記録しているのだから、プログラムのデータが記録できても不思議ではない。しかしこれがどうにも難物であった。

ぴーひょろひょろひょろとかいう音とともに保存したプログラムをカセットから読み出す。しばしの後に

OK

という文字がでる。LISTと打ってみると確かにプログラムが読み込まれている。これはすごいぞ、と思い調子にのってあれこれテープに書き込む。ああ、なんて便利なんだ。しかし世の中の常として困難は常に行く手にまちかまえている。

まず穏やかな方からいこう。「あれ、あのプログラム。どのテープにいれたっけ?」とわからなくなってしまうのである。ウインドウを開くと、そこにファイルの一覧が出るなんてのは夢のまた夢。しょうがない。ひたすらテープのラベルに記録したプログラム名をかくことにしようか。

そうしているうちに避けられない運命というのはやってくる。

お気に入りのゲームを苦労して打ち込み、さらに苦労してデバッグをし(別にプログラムを修正するわけではない。うち間違いを直すだけだ)テープにセーブ。ご機嫌に遊んでみる。翌日、またテープからロードしてご機嫌に遊ぼうと考える。さて今日もがんばるぞ。

カセットをかける。「ぴー」という音の後に、

Load

とうってリターンキーを押す。しばらく彼は黙々とカーソルを点滅させる。そしてあなたは次の文字を目にするのだ

Bad

何?何がBadだ?あなたはもう一度テープを巻き戻し同じ操作を繰り返す。今度は祈るように点滅するカーソルを見つめながらだ。しかしテープは無機物であり、人の情けなどという物はいっさい関知しない。そのうち目にするのは再び

Bad

である。

あなたは天をあおぐ。この宇宙が始まってから、地球ができてから、初めて生物が生まれてから、そして我々の祖先が初めて道具を使って敵をノックアウトした時から流れた月日を思う。それに比べればこの3文字によって失われた時間なんて、と分母を大きくすればこの悲しみが薄まるだろうかと思っても自分すらだませない。

数日の後、あなたはショックからたちなおる。そして

「この経験から学ばなくては」

と心に誓う。テープに必ず2度連続してセーブするという習慣を身につけるのだ。これならば、一つが

Bad

などとたわけたメッセージを出してきてももう一つが助かる可能性は高い。しかしこうなると何故か調子が良くなり、いつもLOADのあとにはOKがでるようになる。そのうちあなたの頭からあの衝撃が消えていく。そして2度セーブなどということがやたらとまどろっこしく感じるのだ。

一度だけセーブしてみる。ちゃんとロードできるじゃないか。そうだよ。あれはそんなに起こる事じゃないんだ。しかしあなたは知らない。マーフィーという名の英語圏生まれの男があなたの肩口からのぞき込んでいることを。そして彼は辛抱強く待っているのだ。あなたにほほえみかけるチャンスを。あなたが特別お気に入りの長大なプログラムを打ち込み、苦労の末なんとかそれが動くようにする。すると翌日彼はにっこりとほほえみ、そしてあなたはまたあの3文字と対面、悠久の時間の流れに思いをはせることになる。

 

さて、そうした月日もどこへやら。私は大学の研究室というところに所属することになった。そしてそれまで話には聞いていたが見たことがなかった

「フロッピディスク」

なるものに対面することになるのである。

それは黒くて四角い大きな板であった。今から考えれば8インチとよばれるそれは実に大きかった。(大戦中の重巡洋艦の20cm砲というのはつまるところ8インチ砲なのである)そしてその容量は驚異の1MB(これはフロッピとして考えれば未だに遜色はない)もある。PC-9801で適当に作ったBASICのプログラムを初めてセーブしたときの事を未だに私は覚えている。

がっちょん

その一言でセーブはお終いだ。ロードも「がっちょん」の一言。あの「ぴーひょろひょろ」はなんだったのか。あの Bad という無情な3文字は何だったのか。ああ。文明の進歩って素敵。

同じ頃5inchのフロッピも存在はしていた。こちらは8inchとくらべて小さいのはいいのだが、容量も小さく、スピードが遅く私はあまり愛していなかった。そしてあの大きな四角い板をこよなく愛していたのである。

 

それから卒論に向けてプログラマー生活が始まる。パソコンを使いごりごりとプログラムを作ると、コンパイルの度にフロッピはがっちょんがっちょんと音を立てた(ハードディスクなるものに対面するにはもう少し待つ必要があったのだ)私はその合間に「うる星やつら」を読み、「ゴルゴ13」を読み。とにかく毎日は静かに過ぎていった。その静けさに私はこの世の真実という物を忘れていった。いかに技術が進歩しようとマーフィーという名の男は肩口からほほえむ機会をねらっている、ということを。そして彼がほほえむのは

「ここで何かがあっては困る」

という時だ、ということを。

卒論提出期限が迫ってきたある日の事である。私はそれまで時々

「フロッピの上のファイルが消える」

という現象にでくわしていた。最初は泡を食った物だが、そのうち

chkdsk

という呪文を教わり、そしてその呪文をこよなく愛していたのである。ファイルが消える。この8インチの板も時々へそを曲げたくなることだってあるさ。大丈夫chkdskの神様がなんとかしてくれる。ほーら魔法のように復活した。

そしてある日の夕方、コンパイル後に再びファイルが消えているのに気がついた。私はあわてずさわがず呪文を唱える。chkdskそしてリターンキーを押す。自分の肩口にほほえむ男がいることにも気がつかず。

 

そこから何が起こったかは言うまでもないだろう。chkdskなどというのは所詮その場しのぎの手段であり、黒い紙のケース穴から見える円盤には傷がやたらとついていた。いかにchkdskの神様でも物理的な破損には勝てない。その日、ドクターコースにいた先輩が晩飯をおごってくれたことを今でも覚えている。

 

月日は流れ、市販されるアプリケーションは巨大になり、ついには配布用のフロッピーが10枚くらいになったところでCD-ROM が普及することになった。そんな中、時代遅れの機器を使い続けるのが信条の防衛庁からもフロッピは静かに消えていく。陸上自衛隊に納入した機器についていた8インチは

「これは泥のついた靴でふんでも大丈夫なものか?」

という陸自のおじさんたちの攻撃に耐えきれず、機械駆動部分のないバブルメモリに変更されることになった。容量数倍、完全密閉が可能で、ホコリに泥、はては振動だってどんとこいのバブルメモリは救世主のように思えた物だが、しばらくしてそれ自体泡のごとく消えてしまったのは時代の皮肉というやつだ。かといってもう2度と8インチを防衛庁に納入しようというやつはいまい。

そしてついにフロッピーが私の部屋から完全に消える日が来てもマーフィーの奴は私の肩口でほほえむ機会をねらっているのだ。私がMacintoshの電源を入れ

「システムフォルダはどこっすかぁ?」

という?マークのついたフロッピのアイコンを見るとき、奴は高笑いをあげる。実に見上げた奴だ。一緒にほほえむ事が出来ないのが実に残念だ。しかしマーフィーは変わらなくても今の若い者はおそらくフロッピと言えばあの小粋なプラスティックケースにはいった3.5inchのものしか知らない。何かの間違いで紙のケースに入ったあの大きな8inchフロッピに対面したとしてもあなたは一人ほほえむだけにしておくべきだ。そこにいる若い者を捕まえて講釈を始めることだけは避けなくてはならない。

 


注釈