題名:科学について-相対性理論と疑似科学

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日付:2000/12/20


支持する実験結果 

さて

「地球は動いているのに何故光の速度の変化が検出されない」

という「失敗した実験」の説明から始まる話は、あれやこれやの「非常識的」な予想をするに至った。しかしながら、仮に実験事実を基礎として組み上げられた理論としてもその予測するところが実験結果によって否定されればそれは

「はい。残念でした」

であり、実験結果によって支持されなければ

「なお検証が待たれる理論」

でしかない。

というわけで、ここでそれらを裏付ける実験結果についていくつか書いてみたい。本当の事を言えばこの「裏付ける実験結果」というのはずいぶん色々あるらしいのだが、私は怠けものだからいくつか特徴的なものに絞りたい。まず「動いている物の長さが縮む」というのはどのように検証されるだろうか。

マックスウェルの方程式が動いている立場から見ると異なって見える、という話は最初のほうに書いた。あのおかしな現象は「動いていると物の長さが縮む」という話を導入するときちんと解けるのであるから、そこらでモーターがぶんぶん回っている事は

「長さが縮む」

事の実証になっている、と言えないこともないかもしれない。しかし、実際に縮んだ光景が見えるのかと言われるとそう一筋縄ではいかないようだ。そもそも縮みが目に見えるような尺度でおこる高速度では、光が物体から発せられてから目にはいるまでの遅れも考慮する必要があり、老舎を考えると云々かんぬん。というわけであっさりと白旗をあげ、ここではもうひとつの有名な予測、「時計の遅れ」のほうの説明をしようと思う。時計のテンポがかわって見える、というやつは特殊相対性理論、一般相対性理論の両方が予測している。(もちろん相対速度、重力と要因は違うのだが)この両者を併せて検証するやつだ。おまけに実生活にも関わりがある、ってんだから怠け者の私があげるにはぴったりだ。

カーナビという便利な装置がある。これがエーテルの風が吹いていないことの実証装置になっている、という話は前に書いた。このエーテルの風がふいていない=光の速度は光源の速度によらない、というのは特殊相対性原理の基となる原理である。その理論が導く結果の方の検証には、カーナビ用の電波を送っている衛星が地球を離れたはるか上空を相当なスピードで回っているという事実が役に立ってくれる。

カーナビは衛星からの距離を測定することにより、自分の位置を算出している。これが可能な為には、衛星からの電波が正確な時計に基づいて発信されていなければならない。それでこそ受信するカーナビの側では時間差を算出し、自分の位置を測定することが可能になるというものである。さて、問題はこの「正確な時計」だ。

ここまでこの文章を辛抱強く読んでくれたひとでれば、この「時計」なるものがあれやこれやの原因で遅くなってくれることを知っているだろう。(少なくとも理屈の上では)この衛星上の時計には二つの理論の相反する影響が作用する。

まず地上から見れば衛星が相当なスピードで運動している事を考えよう。地球を12時間で一周するので、その速度は時速約3300kmとなる。これは結構な大きさだ。特殊相対性理論の予測するところによれば、自分に対して動いている相手の時計は遅れる。

また衛星は高度2万kmを飛んでいる。そこまで上がればさすがに地球から働く重力も弱まる。一般相対性理論の予測によれば、重力が弱い場所の時計は、重力に近いところから見れば進んで見える。この遅れる影響と進む影響がちょうどうち消しあえば「ほーら。相対性理論なんかなくても問題ないでしょ」ということになるのだが、そうはいかない。計算によれば差し引き残るのは一般相対性理論の影響のほうで、仮に全く同じ時計を衛星に搭載すると、地上の時計より早く進んでしまう。従って衛星に乗っている時計は地上の時計より毎秒100億分の4.45秒遅れる時計になっている。そうしてようやく地上の時計と同じ速さで進むように観測され、心静かにカーナビに神様のお告げにしたがい車を走らせることが可能となるわけだ。

かくの通り、全世界に何万台稼働しているかしれないカーナビは日々相対性理論を検証しながら走っていることになる。では相対性理論は正しい(もちろん冒頭述べた科学理論の定義の範囲においてだが)と言い切ってしまっていいか、というとそうはならない。特殊相対性理論はあまたの実験事実によって検証されており、或程度の価値が認められた対抗理論もないようである。 しかしながら一般相対性理論に関してはまだそう言い切るわけにはいかない。

 

対抗する理論

科学理論とはつまるところ現実のモデルである、ということを冒頭に述べた。従って誰が述べようが美しかろうが難解だろうが、現実の観測結果をうまく説明できる理論が「良い理論」ということになる。

さて、特殊相対性理論と普通の速度の加法則が、日常経験する範囲であれば一致し(近似的にだが)、光速に近い、という極端なケースでなければその差が観測されなかったことを思い出そう。もし

「複数の理論の予想が大きく異なる領域での実験結果」

が得られなければそれら複数の理論は同時に生き残る事になる。

一般相対性理論を「重力のふるまいを記述する理論」ととらえてみよう。すると未だにあれやこれやの対抗理論が生き残っているのである。では何故その白黒がつけられないかと言えば、人間が直接実験可能な重力が弱いものでしかないからである。実際重力というのはとてもとても弱いものなのだ。この世の中に存在している4種類の力のうち、重力は飛び抜けて弱く参考文献1にはこう書かれている。

「重力は四つの力の中でもずばぬけて弱い。二つの特別な性質が無かったとすれば、われわれは重力にさっぱり気がつかなかっただろう。」

参考文献20によればその弱い重力場における観測結果をちゃんと説明し、生き残っている理論は一般相対性理論、ブランス・ディッケ理論、スカラー・テンソル理論、ベクトル・テンソル理論の4っつとのこと。このうち最も簡単な形式をもっているというのが、私が理解をあきらめた一般相対性理論だから他の理論がどのようなものかは想像するしかない。

私に言えるのは次のようなことだけだ。今のところ一般相対性理論は多くの実験結果を説明している。いままであれこれ読んだ本をならべてみると、その書かれた年代が新しくなるほど一般相対性理論の正しさが強調されてきていること。たとえばブランス・ディッケ理論は一般相対性理論の上にもう一枚場をかぶせたようなもので、1970年代前半には一般相対性理論と同格の扱いをうけていたようだが、その後たとえば太陽による光の曲がりなどが精度良く観測されるにつれ「一般相対性理論と近くならないと観測結果と合わない」ということになりつつあるようである。であれば何のために新たな場を追加したかわからない。他の理論に関しては最近の本では名前すら見ない気がする。

かくの通り一般相対性理論はその信頼度を増してはいるが、まだまだ新しい重力理論が生まれそれが今後行われるであろう実験の結果をちゃんと説明する限りにおいてアインシュタインをけっ飛ばす可能性だってあるわけだ。しかしこうした科学的なアプローチとは全く別の方法でアインシュタインをゴミ箱に放り込むことに情熱を傾ける人たちがたくさんいるのである。次には彼らについて書いてみることにしよう。

 

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注釈

きちんと解ける:非常に定性的に言うと、電荷がとまって見える立場(図2)では、動いている+の原子核の間隔が「収縮」しているように見える。従って同じ区間にある電子よりも原子核のほうが数が多く、結果として電線全体が+に帯電しているように見える。従って電線の外になる+の電荷との間に斥力が働く、といったことのようだ。(もちろん図1の立場では-の電子の間隔が収縮しているのだが)本文に戻る

 

対抗理論もない:もちろん特殊相対理論が発表されてしばらくの間は話は全然違ったようだ。参考文献10には「アブラハムによって別の考えから導かれたもう一つの式と黒白を争っていた」と書かれている。この理論がどのようなもので、どのようにして否定されるに至ったかを調べることは大変興味深いと思うのだが、私は未だにこの理論がどのようなものか知ることができない。いずれにしてもアブラハムの名前は今日に歴史的な興味としてだけ記憶され、ローレンツ・アインシュタインの式がその価値を保っているのは、後者を支持する実験データが得られたからであり、他の理由はない。

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信頼度を増してはいる:手に入る一番新しい情報だと、「強い重力場」であるところの連星パルサー(中性子星)の観測結果により、一般相対性理論が小数点6,7桁で確認されている、ということになっているが。本文に戻る