題名:Smile

五郎の入り口に戻る

日付:1998/5/22


米国に数カ月以上滞在していて、日本に帰ってくる。するとしばらくの間気になることがいくつかある。

私は運転が下手なので、まず道が狭くて、おまけに駐車場が異常に狭いことに気がつく。私の技量では時々駐車場に止めることが不可能なほどだ。こんなときに「次は軽自動車にするぞ」という考えが頭をよぎる。しかし私の愛車は5ナンバーの中型車である。最近やたら3ナンバーとか巨大な4WDが増えているが、世間のみなさまはどうしているのだろう。

気候の変化はまあこちらに於いておいて、他にもいろいろ気がつくことがある。しかし人間よくしたもので、数週間もすると大抵のことは気にならなくなる。しかし結構後まで尾をひくのが、あらゆるところで遭遇する「店員」さんのSmileもしくはリアクションである。

あるいは米国ではほとんどコンビニに行かず、逆に日本ではコンビニばかり行っていることに起因するのかもしれない。

しかし日本のコンビニのレジ係りが、客を全く見ないことに関しては、常々感心させられる。彼女たち(何故か私が行くコンビニではレジ係りは女性が多い)は実に能率的に品物をさばいて行く。袋をだし、品物をスキャンしやすいようにならべ、打ち込み、袋に詰めていく。その間彼女たちは「○○円でございます」「ありがとうございました。またおこしください」と発声するが、一度も客の顔を見ない。

米国では大抵の場合、最初に"How are you ? "があり、最後に"Have a nice day"がつく。でもってそこで目があって、自動的に「にっ」と笑う。(これも全ての場合ではないが)

最初この「にっ」ができなくて、結構苦労した。そのうちこれが習慣になってしまい、日本で下を向いたままのレジ係りに向かって「にっ」とやっていることに気がつく。

これは単に習慣の違いであり、別に良い、悪いの問題ではない。「人間どんなことでも慣れるもんや」という某漫画のセリフは偉大なもので、はっと気がつくと、係りがレジを打つ間、決して係りの人を見なくなっている自分に気がついたりする。

 

そうはいっても、日本のマクドナルドでも「スマイル0円」という値札がかかっているくらいだから、場所を選べばちゃんとこちらを向いて、笑ってくれる人もいるに違いない。と考えていたら、近所の「雲雀家族食堂」では確かに「いらっしゃいませ、お一人様ですか」から始まって係りの人がこちらを見る-Eye Contactをとる-ことに気がついた。

雲雀家族食堂でも4月は新入社員が入るシーズンである。ベテランの女性が新米の男性社員をしごいている姿などははたからみていて、結構ほほえましい物である。実際彼女たちはとても鍛えられているのだ。だからそのスマイルには一部の隙もない。心が笑っているわけはないので、ちょっと軽口でもたたこうか、という気にはとてもなれない。完璧な営業用のスマイルである。

彼女たちのスマイルが何かに似ている、と思っていたが最近ようやく思いついた。J○Lのスチュワーデスこと空中飯盛人達の笑顔である。

米国の航空会社もいくつか使用したが、多分それらと比較してJ○Lのスチュワーデスが、若くて容姿の整った人達をそろえているのは事実のような気がする。同じアジア人であることを除いても容姿の点では一番親しみがもてるだろう。そして顔に浮かんでいるのはこれまた完璧な営業用スマイルである。物理的な距離は1m弱かもしれないが、精神的な距離は3kmばかりあるように思える。

アメリカの航空会社はといえば、、最初にアメリカの航空会社を利用したときのスチュワーデスは、推定年齢が35歳から300歳までのどこでもいいような感じの人だった。会社の規定でビジネスクラスを使用していたので、彼女は私のFirst name, "Goro"を使って私を呼んだ。"Hi, Goro"と後ろからいきなり呼ばれて、振り返ると。。。ちょっと心臓に悪かった覚えがある。

最初の出会いはなかなかショッキングだったが、その後も米国出張の際にあちこち移動して飛行機はいやというほど使用することになった。そこからえた結論としては、こちらも営業スマイルである、しかし場合によってはちょっと軽口をたたいてみようか、という気にはなる。あるいは最初から距離を感じているので3kmが気にならないだけかもしれない。

「完璧な営業用スマイル」と言えば、米国で使っていたアパートの管理人のおばさん達の笑顔がそれだった。一般的に言ってPrivateで会った時には、白人女性とアジア人の男性の間にはかなりの距離がある。しかし商売がからめば話は別だ。彼女たちは多分30-40代の女性であり、英語がろくにしゃべれず、ともすれば日本語が50%以上まじる我々の会話に対し、内心若干のいらつきをみせながらも営業用smileを振りまいていた。こちらのちょっとした受けねらいの言葉に過敏に反応しながら。

そしてそれは最後に私はアパートを出る日まで変わらなかった。最後にも彼女は感情のこもらない笑顔をふりまきながら"bye bye"と言った。そしてその営業用笑顔は私の心胆を寒からしめるのである。

考えてみれば営業用に朝から晩まで本当にほほえんでいたら感情が崩壊してしまうだろう。(多分そうだと思う。本当にやったことはないが)だから「そんなものは期待する方が間違っている」とうのがこの世の中の真実に近いのだろう。考えてみれば最近のコンビニのレジには、ニュースが表示されるようになっている。レジ係りなんか見ないで、ニュースをご覧ください、ということか。

 そのうちレジには「ちょっとした軽口をたたける友達」が表示されるようになるかもしれない。言語の認識さえなんとかなれば、ちょっと頭がJumpyな女の子の応対をシミュレートする技術はもう存在しているのだ。そのうちレジ係りが黙々と袋詰めを行い、客はレジに表示された「バーチャル店員」に向かって二言三言話しかける、なんていう光景を目のあたりにすることになるかもしれない。

「そんなのは人間と機械の役割が反対だ」と主張される向きもあるかもしれない。しかし技術的な難しさから言えば、レジにバーチャル店員をつける方が、客が持ってきた品物のレジ打ち、袋詰めを自動化するより遙かに楽なはずだ。どこか外国のデパートでみたように、客が品物を持ち運ばず、ボタンでおすとレジに届く、というシステムにしない限り、ガムから2リットルのペットボトルまで一律につかんで袋詰めをさせるのは多分あと数十年は無理だろう。

人間と機械がお互い苦手なところを補完しあえばいいのである。人間のレジ係りは人との会話は苦手のようだ、そして「機械的」な袋詰めは得意だ。機械はその逆なのである。

こんなことを考えていると妄想がとめどもなく広がっていく。こんなシステムはどうだろう。画面を指で押すと、指紋を検出して、瞬時にその客がどれくらい同じチェーン店のコンビニに来ているかどうかを検出する。そのデータに応じて「いつも来てくれてありがとう」とか「最近来てくれなかったのね」とか「あれ?今日は出張にでも来たの?」とか一言声をかけてもらえれば人間の店員の下を向いたままの「ありがとうございました。またお越しください」という機械的な声よりもはるかに感じがよかろう。あるチェーン店のコンピュータネットワーク上に「気の知れたレジ係り」を持つことが可能になるわけだ。

 

個人のプライバシーの侵害だ、という声もあるかもしれない。しかしこのシステムでは話したい人間だけが画面を押すのだからどこからも文句がでる可能性はない、どっちにしたって、コンビニ内の動静は逐一カメラで記録されているのだ。原理的にはカメラの画像を使っても同じ事が可能なのである。

そうなるとコンビニチェーンはその「バーチャル店員」の質を競うようになるかもしれない。「あそこの店はちょっと品揃えが少ないけどバーチャルの応対がいいから」と言って客足が増えるかもしれないのだ。レジの画面を押して「にっ」と笑う男の姿は異様かもしれない。しかし一人暮らしで、「優しい一言」を待っている人はきっと私が思うより世の中に多いと思う。

冗談で書き出した構想だが、なにか実現性があるような気がしてきた。もしこれで一山当てた人がいたら是非アイディア料を少しわけてください。その代わりに私はコンビニのレジを快適にしてくれた人に無限の感謝を捧げることとしよう。(お金を捧げるつもりはないが)


注釈

人間どんなことでも慣れるもんや:トピック一覧)ナニワ金融道(参考文献一覧)という漫画の中のセリフ。この言葉は私の「信条」に入れるほど、自分で確かめたわけではない。しかし傾聴に値する言葉として心にとめておこう。本文に戻る

 

空中飯盛人:トピック一覧)中国語でスチュワーデスのことをこう書くらしい。間違っていたら教えてください。でも間違っていても注釈をつけるだけで、この言葉を本文から落とす気は毛頭ないが。本文に戻る

 

白人女性とアジア人の男性の間にはかなりの距離がある:トピック一覧)「全ての」とは言わない。しかし必要以上に多く経験するこの「距離感」はかなり恐ろしい物の一つである。ちなみに「白人男性とアジア人女性」の距離はこれよりずっと短い。何故だ?という人は首を回してみると良い。日本人と他のアジア人の間に似たような関係を見つけることはそう困難では無いはずだ。本文に戻る

 

営業用笑顔は私の心胆を寒からしめる:(トピック一覧)この恐怖感はなんとも説明しがたいものであるが。本文に戻る

 

頭がJumpyな女の子の応対をシミュレート:Niftyserveのサービスのひとつである「おしゃべりきらら」というサービスを利用して驚いた。ちょっと頭がJumpyな女性との会話そのものである。相手は紛れもなくコンピュータ上のプログラムなのだが、思わず「あなたは嫌い。人の話を聞いていないから」とまるで本当の女性に対応するように入力してしまった。合コンで「人間」相手に、これより「人間らしくない」なんなんだこれは、という応対を数度経験したことがあるような気がする。「きららとの会話」に示したのが全文である。なかなか人間らしい応答、ということがおわかりいただけると思う。本文に戻る

 

アイディア料:こう書いたが、私の信条There is nothing new under the sun(トピック一覧)を考えれば、きっとこのシステムに既に思い当たっている人は世の中で数人をくだらないと思う。本文に戻る