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Tuesday Afternoon

筑波へ

第一選抜-健康診断

第一次選抜-一般教養

第一次選抜-二日目

夏の日々

2次選抜について

日付:1998/7/12


第一次選抜-一般教養

さてバスがついたのは筑波宇宙センターのなかの厚生棟と呼ばれる建物である。早い話が食堂と売店だ。最初のInstructionで説明をした人は「あまり勧めませんが、食堂を利用していただくこともできます」と言った。

時間はまだ11時。食堂が開くまでまだ1時間近くもある。しょうがないから中にはいってぼーっと待っていた。NX号は友達を一人見つけたし、そのうち「その男」も来た。彼はもともと低血圧の気味があるらしい。おまけにあまり最後の検査の前に待たされたので居眠りしていたんだそうだ。その結果として最高血圧は100を下回ったらしい。私のと足して2で割ってほしい、と言ってもそんなことができるわけもない。

そんなくだらない話をしているといつのまにか食堂オープンの時間となった。メニューは2種類。ハヤシライスと豚カツである。いまさら豚カツで縁起を担ぐもないもんだが、とりあえず豚カツにした。これで中性脂肪だなんだと悩む必要もないのだ。豚カツだカツ丼だってのは私の知る限りではとんでもないカロリーをもった食品であり、ここ数ヶ月の私にとっては鬼門の食品だった。しかしもう気にする必要はない、とその時の私は考えていた。短い言葉で言えば「ばかやろー。なんでもくってやる」ってなところだっただろうか。食事をつつきながらみんなでいろいろな話をした。私の選択は間違っていたことも食べながら明らかになった。この食事は一応豚カツという名前はついているのだが、どう食べての肉の味がしない。私は何度も断面を見て本当に肉があるかどうか確認したもんである。

さて豚カツ論議はどうでもよろしい。そのうち2班と思われる人間が食堂にごろごろ入ってきた。そして「その男」が2班に所属する知り合いを見つけてきて、我々が抱いていた疑問に対する答えをもたらすことになった。

まず我々が全員所属している「1班」とはなんだ?という疑問である。最初NX号と私が両方とも1班だと聞いた時には、単に受験番号でわけているのかと思った。ところが受験番号が600台の「その男」も1班なのである。おまけにそのあと出くわした知り合いはみんな1班だ。

「その男」が持ってきた情報によると、関東エリアにすんでいる人間+女性は全て2班らしい。それ意外は1班というわけだ。大きな違いは午前中の日程である。1班は一日目の午前中に健康診断をやる。従って朝の8時集合である。2班は同じ時間に性格診断だ。集合は9時20分である。我々はこれに文句を唱えた。我々だって1日目の集合を朝の9時半にしてくれれば初日に泊まらなくてもいいかもしれないではないか。しかしよくよく考えてみれば、そんな事を言えるのは名古屋あたりまでの受験者であっただろう。それより遠い人達はいずれにしても前日から泊まらなくては参加することはできないのである。

そう思って後から食堂に入ってきた面々を見ると、どことなく服装がはでである。昔に比べれば関東エリアとその他のエリアでの服装などの差は少なくなってきた気がするが、まだいくらかは残っているのだろう。そしてこれくらいの差は将来も残るだろう。

次に2班に含まれている女性の観察を始めた。さすがにみんなちょっと街でみかける普通の女の子とは感じが違う。どこがどうだ、といわれても困るのだが。。

さて午後は「一般教養」であるが、正直言って我々には全く何が出題されるか見当もつかない。しかし休み時間になにやら問題集をとりだして勉強している人達も結構いた。彼らは以前に受験した人間から情報を得ていたか、あるいは山勘にたよるとしても、開き直るよりは勉強をするほうを選択する偉い人達だったのだろう。

さて今度の集合時間は午後の2時だ。飯は食い終わったがまだ12時ちょっとすぎである。退屈だがここにいてもやることがない。みんなでのたのたと試験会場である宇宙実験棟に向かった。

さて試験会場についてみると、これが結構な大きな部屋である。その中に確かに200名近い人間が座るようになっている。数字で理解していた通りだ。しかし午前中に100名のあやしげな検査着を着た人間を見たときよりも「こんなんじゃ間違ってもあたるわけがない」という気持ちが強くなってきた。(私にとってはどちらにしてもかなわないことであったが)なんといってもこの部屋を埋め尽くす200名のなかでたった二人だけが上に上がることになるのである。

「この中から2名だけ不合格となる」

と言われれば、不思議なことに自分があたるような気がするが、逆に言われればどう考えても当たる気がしない。以前ある人と宝くじについて話していたときに「宝くじが実際に大量に印刷されている現場を目にすると、とても当たる気がしなくなりますよ」と言われたことを思い出した。大量の人間をみても同じ感覚を味わうというわけか。

しかしその話を外れて実際の自分の事を考えるとき、私には1次リーグ突破の見込みが無くなった後にジャマイカ戦に臨んだ、W杯日本代表の気持ちがより切実に迫って来ていた。報道が正しかったとして、あの試合ではGkが「あいつらはちんたらやりやがって」のように怒っていた、ということになっている。しかし私はその時のGK以外の選手達の気持ちが分かるような気がした。最終戦に気合いをいれる理由として「2002年のため」とか「日本のサッカーの未来のため」とか言われたって、本気で決勝リーグ進出を目指していた人間にとっては、うつろに響くだけだろう。私にしてもここで仮に満点をとったところで紙が一枚入った書留速達が届くだけだ。文面すら頭に浮かんでしまう。

「このたびは宇宙飛行士募集にご応募くださり、第一次選抜を受験していただきまことにありがとうございました。

慎重に検討しました結果、貴殿は次の段階に進むことが難しいと判断されました。

今回の募集に応募していただけましたことを感謝すると共に貴殿の今後のますますの発展をお祈りいたします」

今回失業してからこの手の手紙は何度も受け取っているのですっかりなれてしまった。(最近は封筒を見るだけで読みもしないが)せめてなぜ不合格となったかの理由でも教えてもらえるのであれば、がんばる気もするが、これからは何をやっても上の文章に変化はないだろう。ジャマイカ戦は一応得点がでるだけましだったかもしれないが、彼らが逆立ちしようが100点得点しようが1998年のW杯の最後の試合であることは間違いなかったのである。

さて私が妙な感慨に耽っている間に「一般教養試験」の始まりとなった。

 

例によってまず問題用紙と解答用紙が配られる。まずこの解答用紙を見て、おそらく選択式の回答だ、と思って多少気が楽になった。記述式などあったらへのへのもへじでも書いてスペースをつぶさなくてはならなかったかもしれない。

「始めて」の合図と共に問題にとりかかった。そしてその問題は半ば予想した物とは言いながら、今までに経験したことの無いような問題だった。

まず第一問目は文章の穴埋めである。選択肢はちゃんと示されている。ところが題材たるや「ウルグアイラウンドがどうのこうの」という問題である。自慢じゃないがウルグアイラウンドというのは言葉だけ知っているが実際のところなんなのかさっぱりわからない。この問題にとりあえずの回答を書き込むと次に待っているのは、「アジア各国の国名に、通貨名、指導者名、トピックを結びつけなさい」という問題である。

うーむ。NASDAが考えるところの一般常識とはこういうものか。まあ確かにウルグアイラウンドは国際的な話だし、アジア各国の事情にも通じて置く必要があるかもしれない、と思いしゅくしゅくと問題を解いて行ったが、そのうちわけのわからない問題が増えてきた。まず出てきたのは「次の文から間違っている物を示せ」というやつなのだが、問題文が全てワインの銘柄に関するやつなのである。曰く「アメリカのワインは、高級志向の○○と一般指向の▽▽に。。。」とかである。

うーむ。確かに上に上がっていろいろな国の人間と一緒に働くとすると、ワインの銘柄くらい覚えておいたほうがいいのかもしれない。と自分を納得させながら次の質問に進んでいく。同じようなパターンで日本の浄瑠璃に関する記述が並んでいるが、これまたさっぱりわからない。次にでてきたのは、作家の名前の横に、作品らしきものが三つならんでいるのが5人分ばかりあって「間違っている物を示せ」である。最初の問題にでてきた作家は「遠藤周作、北杜夫、開高健、大江健三郎」などである。それぞれの作者について一つの作品をあげろ、ならばなんとななるが三つ並べて「間違いをさがせ」ではなんともならない。結局神の御心に従って回答を選んだが「なるほど。大江健三郎はノーベル賞受賞作家でもあるし。。」となんとか自分を納得させた。

問題は次である。質問の形式は前の問題と同じであるが、作家は「林真理子、吉本ばなな」あとは名前を聞いたこともないような作家である。これが一体どうして宇宙飛行士に必要とされる一般教養なんだ?宇宙ステーションの中で、米国人の宇宙飛行士に「知ってるか?吉本ばななのなんとかって本は実にCoolなんだ」とでも話せと言うのか?

問題に怒りなど覚えてもなんの得にもならない。何が必要で何が必要でないかを決めるのはNASDAの役割であり、我々はそれに従うだけなのである。ぶつぶつ考えながらも問題は進む。ある文章があり「この文章の内容と一致する物を選べ」という問題があった。この問題文はまさに「一見世の中にある事象から論理的に推論して結論を得ようとしたように見えるが、実は結論が先にあり、それに合致する事象を見つけて喜ぶ」類の文章であった。内容は以下の通りである。

韓国人の李さんが、日本の美について感想を述べている。

「韓国では陶磁器などではひずみのない物、左右対称の物を尊ぶ。しかし日本では多少左右対称でなくても、ひずみがあってもそれを尊ぶ。すなわち日本では理念を押し通すより自然にあわせて、主張を柔軟に変えていくという文化があるようだ。そのせいだろうが日本の国際問題における主張には確固たる理念が感じられない。竹島などの問題でも日本の主張をはっきりとぶつけたほうがいいのに」

実生活でこんな話を聞けば「そうですね。おもしろいですね」と言った後に「ところで2002年のW杯はどうですかね」と言うだろう。話が堅くて敬遠したいのではない。相手はとにかく「竹島問題での日本の主張はなっていない」と言いたいだけなのだ。それにたまたま見つけた「日本では美術品にひずみがあってもそれを尊ぶ」という事象に結びつけてその間を「論理的な推論」でつないだようにみせかけているだけである。

従ってこのような主張をする人に「日本でも左右対称を尊ぶ例」をあげようが「現実に会わせて主張を柔軟に変更する利点」などを述べようが「現実の実力を忘れ、高邁な主張ばかり振り回し偽りの繁栄を築き上げ、あげくのはてには国家も産業も破産状況になったのはなんていう国でしたっけ」と主張しようが全く聞く耳持たないだろう。この場合相手は理論的な論議とは無関係に自分の主張を叫んでいるだけなのだから。「後からつけたした」論理の部分にいくら異を唱えたところで何の役にも立たない。

もし選択肢に「この人は、”竹島問題での日本の主張は理念がはっきりしない”と主張している」、というものがあれば私はそれに○をつけるだろう。しかしそういった選択肢はなく、あるのはもっと一般化された主張ばかりだ。しかしここで「該当なし」など選んでも×をくらうだけだ。ここで選ぶのは「私が正しいと思う回答」ではなく「出題者が正解と意図している回答」なのである。

私が学生のころだったら、こんなことをごちゃごちゃ考えずに素直に「出題者が意図する正解」を選んでいただろう。思えば社会にでてから10数年。ずいぶん生意気になったものだ。

 

妙な感慨にふけりながらさらに進んでいくと、日本史のできごとを並べて「正しい順番はどれだ」といった質問もあった。試験の前に「まさか大化の改新」はでないだろう、と話していたが、それはまさに出題されていた。かくの通り我々がする予想の的中率などしれた物である。もっともこの類の質問は日本史だけではなく、「クローン羊ドリーの誕生」を含んだ最近のイベントを時間順に並ばせるものもあったのだが。こういう質問の選択肢を全て順番通りに並べることは少なくとも私にはできない。だから、「絶対これはこれの前にきたはずだ」と思って回答の選択肢を消していくのだが、時として選択肢が何も残らないという現実につきあたる。となればいくつか置いた前提のどれかが間違っていたのだが、さてそれはどれだろう。。。

こうした「私にとって難しい」質問を目の当たりにしていると、どうしても「紙が一枚だけはいった、書留速達」の姿が目の前に浮かんでくる。「あおーん」と叫んで全部投げ出したくなってくるが、そんなこともできない。とりあえず奇跡でも花丸木でも途中で投げた奴にはほほえまないのである。W杯だって、決勝進出したチームがそろって棄権したら日本が決勝トーナメントに出場していたかもしれないじゃないか。

などと妙ちきりんな理屈を開発して自分をだましだましなんとか最後まで座っていることはできた。さて、これで泣いても笑っても今日はおしまいだ。みなで帰りながらいろんな事を話した。だいたいの話題は「なんなんだ、あの問題は」ということにつきる。夜の宴会の約束をして、バスに乗ってみれば前に座っている一団もおそらくは受験者らしく「あんなワインの問題なんて誰がとけるんだ」とかなんとか話している。

今日いろいろな人達の様子をみていると、一人でぽつねんとしている人も多いが、結構仲間内と見えるような集団も多い。我々もそうだし、おそらく他の企業からも数名が応募しているところもあるのだろう。あと明らかに存在しているのがNASDAの関係者らしき人。また会話を注意深く聞いていると医療関係の集団もいるようだ。

 

まあしかしもうそんなことはどうでもいい。いったんそれぞれのホテルに戻った後に筑波第一ホテルのロビーで待ち合わせをすると、我々は「飲み屋」を探すという難題にチャレンジした。筑波はやたら広いところにビルが点在している場所である。我々のような人間には飲み屋がどこにあるかよくわからない。とりあえず「筑波センター」なるところにいけば何かあるだろう、と思ったのは甘かった。スーパーとかちょっとしゃれたレストランはあるのだが、つくねや焼き鳥があるような「飲み屋」はなかなか見つからないのである。我々は酷暑の熱気の残る中をあちらにふらふら、こちらにふらふらすることとなった。

放浪のあげくようやく見つかった飲み屋にはいるとまずビールを注文した。このとき飲んだビールほどうまいビールを飲んだことがないような気がする。試験が終わってからこのビールのために一切の飲み物をたっていたし、酷暑の中をさまよったこともプラスに働いた。おまけに一仕事終わって、今日はみんなとビールを飲んで寝るだけだ。ご機嫌のうちに例によっていろいろくだらない話が始まる。「その男」がこの中では一番有望そうだ、という話になったが、彼は「おれはタバコを吸うから」と言った。「外で吸え、といわれるぞ」と言って彼をおどした。ちょと考えて真空中ではタバコは燃えないことに気が付くと、今度は「宇宙服の中で吸う」という案が浮上した。しかしこれも服の中が煙だらけになるわけであまり魅力的な代案とは言えない。

こんなことを文章で読んでいても「何がおもしろいんだ?」と思われるだろう。しかし当日の私たちはこういった他愛もない話で大笑いするような状況だったのだ。

私は飲む量がその時の機嫌に極めて依存する人間である。ある会社の面接で「酒は飲みますか」と聞かれて「機嫌によります」と答えた。多分そのとき「おめえみたいな奴と飲むときはほとんど飲まねえよ」と顔に書いてあったのだろう。その会社から数日後にお断りをもらった。しかしこの日は大坪君が数年に一度あるかないかの大酒飲みの日であった。NX号は比較的冷静だったらしいのだが、私と「その男」はピッチャーを頼むやら、大騒ぎであった。仕事は終わったし、ビールはうまい。話がはずむ友達もいて、これ以上何を望むのだろう?という気持ちであったか。

これは翌日になってからのことであるが、「第2班の日程のほうが、私はあんな血圧を記録しなくてすんだのではないか」という考えがちらっと頭をかすめた。初日の一番最初は緊張のかたまりのような状態だったから。しかしすぐ思い直した。仮に第2班の日程ということは、一日目の宴会ができない、ということになる。検査の前日はアルコール厳禁であるから。高血圧+一日目の宴会と、第2班の日程で血圧を下げる可能性をはかりにかければ私は迷うことなく高血圧+一日目の宴会をとるだろう。英語の試験の後の宴会でも書いたことだがこうした楽しい瞬間というのは長いか短いかしらない人生においてもそうたくさんあるわけではない。

 

さて楽しい宴会もいつかはお開きになるのである。私は文字通りの酩酊状態であった。しかしご機嫌な時の私はいくら飲んでも気持ち悪くはならないのである。NX号と一緒に帰り始めたのはいいが、彼がいなければ多分ホテルにたどりつけなかっただろう。我々が泊まっているホテルの方向として、私が指さす方向と彼の指さす方向は完璧に異なっており、私の脳味噌に素直に彼の意見に従うだけの分別が残っていたのは幸運だったのかもしれない。途中で明日のバスの時間を確認し、朝御飯を食べる時間を約束して、私は安らかな眠りについたのだろう。実際どうやって寝たのか覚えていないのである。しかし帰り道で聞いたNX号の「今の奥さんとどうやって知り合ったか」の話だけは克明に覚えていたが肝心のバスの時間はすっかり忘れていた。。しかし明日のバスの時間は忘れてもなんとかなるが、NX号の話はこれから是非とも参考にせねばならぬ重要な話なのである。

 

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注釈

結論が先にあり、それに合致する事象を見つけて喜ぶ:(トピック一覧)この思考方法をとると、ほとんどどんな主張でも裏付けることができる、という利点がある。なんなら「最近の若い者は右傾している」という結論やら、「最近の若い女性は貞操が固い」という結論ももっともらしく裏付けることができる。しかしながらこの思考方法を正しいと信じて疑わない人も世の中にたくさんいるようだ。本文に戻る

 

私は飲む量がその時の機嫌に極めて依存する:(トピック一覧)本質的には私はあまり酒につよくなくのかもしれない。本文に戻る