春になれば

日付:1999/2/26

五郎の入り口に戻る


6章

 さて月曜日はひさしぶりの雨である。雨とはいっても暖かい春の雨だ。

この日はM−Tに久しぶりに電話をした。正直言って私は時間をかせぐ必要に迫られていた。ほかに当たっているTからはまだうんともすんとも言ってこない。それどころか例の「その道のプロ」からはその後なんとも言ってこない。この「その道のプロ」はリクルート系の会社だ。リクルートには以前頼んで同じような対応をされたことがある。最初はえらく景気よくいろいろな会社の提案を持ってくるが、そのうち何の予告もなしにうんともすんとも言わなくなる。

いやいやそんなに否定的に考えてはいけない。この際「便りのないのはいい便り」としたほうがとにかく精神的には平和でよろしい。実際Sの子会社の例でもわかるとおり一番のうけつけてはねられれば答えがでるのは一瞬だ。よかろうが悪かろうがとにかく時間がかかっているということは担当の部署まで履歴書が回っていることなのだと解釈しよう。

さて問題はこうして最初の返事すらこないとすると、結果が見えてくるまで少なくともあと数週間はかかるということなのだ。ところがこちらは下手するとあと一回面接してどちらかの結果がでてしまう可能性がある。もし「今週の金曜日においでください」とか言われればこちらとしてはなんとか来週くらいまではひきのばさなくてはならない。

いつもの電話番号を回す。こちらが「NTT-SOFTの大坪ですが」というといつものことながら相手は「はい」と言ったきり次を言わない。たぶん私が何の理由で電話したかわからないのだろう。「金曜日にお電話をいただきましたが」というと「少々お待ちください」という。最近推測するところによれば彼女はたぶんこの時間にファイルか何かで私のことを確認しているのではないか。

「おおつぼ。。。ごろうさんですね」と相手が言ってようやく話が始まった。彼女が何をいうかだいぶ怖れていたが「もう一度面接に来ていただきたいと思いまして。それで今度の相手は米国人ですから英語のResumeを送ってほしいのですが。」ということである。私はほっとした。これで一週間どころか2週間はかせげる。

私は送り先を聞いてから電話を切った。以前「その道のプロ」に言われて英語の履歴書を作ったことはある。その英語はとても誉められたものではない。不思議なことだが、Nativeが書いた英文と全く違うことだけは私にもわかる。問題はそれがどこか分からない点だ。しかしまあ今回の面接をくぐり抜けるくらいであれば問題はなかろう。以前M−Tの同業他社に行ったときも英文の履歴書を用意させられたが、結局あいては全然それを見なかった。

返ってみるといきなりNTT-SOftの上司からメールが来ている。彼は朝から客先の上司にわけのわからない電話をしていた。いきなり今日の5時に集合しろという。今の職場ではネットワークのSecurityの関係から私は自分の机の上でメールを見ることができない。メール専用のパソコンに座らないとみれないのだ。従って当然メールを送られてからそれを見るまでにはタイムラグが生じることになる。おまけにこのグループ得意のマラソン会議がはじまれば数時間はメールがみれない。

彼がメールを送ったのは午後の1時過ぎ。私がメールを返したのは2時半だ。その間に私の上司は別の人間に電話をして「大坪からメールの返事がこないがどうなってるんだ」と問い合わせた由。いくら自分が偉大な人間であるか演説をぶったところで、こういうことをやればどんな人間かは誰にでもわかってしまう。それでも自慢の演説をぶって自分が偉大な人間であると誇れるというのはなんと幸せなことか。

5時からの打ち合わせはほとんど演説会だった。彼は我が社の特質を正確に把握していた。すなわち人材派遣会社だから、客先から「ここに人がほしい」と言われれば「はいはい。優秀な人間がそろっております」といって差し出すことだ。差し出される商品の意図など無視して。

反対に彼の上司(以後部長と呼ぼうか)は頭はいいが現実というものをしらなかった。我が社は派遣の下請けなのだが、客先に対して何か注文をつけられる、という幻想に浸っていた。下請けが商品をお買いあげいただくお客様に文句などつけられるわけがないのだが。

頭の良さ、という点では部長のほうがはるかに上だが、現実を知っていると言う点では上司のほうが上だ。問題は私は部長のほらにだまされてこの会社に入社したということである。(面接したときにあったのは部長であるから)

演説の合間に上司は自分が部下の言うことをよく聞く人間であることを強調するように「大坪君の持ち場については別途相談しよう」と言っていた。私はその「相談」が絶対行われないことを知っていた。今の職場に来てから私はいちいち相手の言うことを気にせず、聞き流す、という技を身につけていた。そして彼の演説を聞きながら「さていつになったらここから抜け出せるのだろう。(これはもちろん自力でのことだ)」と考えていた。

 

3月23日は連休明けの火曜日だ。どうやら来年度の体制はだいたい固まったようだ。NTT-Softは部長が抱いていた妄想と同じような範囲を担当するようになったらしい。そして上司が「大坪君の持ち場については別途相談」などといっていた話は(予想通り)どっかに消えてなくなっている。あいかわらずNTT-Softが「ここはやらない」と言っていた分野に一人だけ残されるようだ。しかしおかげで気楽にはなった。この位置だといなくなっても何も問題はない。

その夜にはM−Tから電話が入った。今度は別の担当者からだ。彼女は留守電のメッセージを聞いて笑いをこらえながら「英文のResumeを送ってください」と繰り返した。翌朝私は二つの封筒を投函した。一つは英文のResume、もうひとつは以前お断りを申し上げた「その道のプロ」からのアンケートに答えるものだ。その「その道のプロ」からは「お役にたてずに残念でした。アンケートにお答えください」ということで、図書券と同封してアンケートを送ってきたのである。あの「その道のプロ」の人の話を聞かない男は私が「今すぐ転職したい」に○をつけたのをしれば、きっとにやりと笑うかもしれない。しかし私は彼の言葉はいずれにしても役に立たなかったのであるが。

あいかわらずT社からの返事はこない。これは本当に「その道のプロ」がだまって逃げてしまったからかもしれない。私の職探しは膠着状態に陥った。そしてそれは私が一番怖れていたものだ。一時春どころか夏のようになった気候はまた冬に戻った。暑さ寒さも彼岸まで、とは誰が言ったことだろう。名古屋では雪が舞っていた。

 

次の週の土曜日は雨だった。私はふと思いついたプログラムの作成で一日をつぶした。

夕方メールをチェックしてみると、「五郎の部の感想」というのがはいっている。とはいっても私はこれが何かだいたいわかっていた。その前にホームページのアクセス状況をチェックしたのだが、「私の体重」のところで何度も読み返している人が居たのである。そう思って内容を見ればやはり「奇跡のダイエット食品」の勧誘だ。本当にこういう人たちの努力はたいしたものだ。彼だけ彼女だか知らないが、どれだけの時間を金を使ってインターネット上で情報を探しているのだろう。

 

午後の6時半、電話がなった。ナンバーディスプレイをみれば非表示、いやな予感がしたが逃げてもどうなるものでもない。

相手はT社を頼んでいた「その道のプロ」だった。彼は落ち着いた声で「用件が二つあります。」と言い出した。そしてT社はだめだったことを告げられた。彼の言葉によれば「受け入れ部署がない」ということだが。どこでもだめ、ということか。そして彼は4月1日から人事異動で東京にうつるという。ちゃんと後任者を紹介してくれたが。

彼は非常にいつも落ち着いた感じで話す。「途中で移るのは大変心苦しいのですが」と言われたが、その言葉は大変落ち着いていた。私は「では」と言って電話を切った。

 

しばらくTVを見ていた。7時のNHKニュースではアナウンサーが笑顔をうかべながらしゃべっている。日産はルノーと提携、ということになっているが、要するにルノーに救ってもらったようだ。高校生は野球をしていた。

返事がほぼ一月こなかったこと。そして平日ではなく週末に電話が来た、ということは十分ろくでもない結果を示すものだった。だから予想はできていた。しかしこうしたことは何度経験してもこたえる。

今日は、そして明日はとりあえず休もう。

 

次の週の月曜日、家に帰ってみると、ひさしぶりの留守電ランプがついている。何か?と思えば、(だいたいM−Tと思っていたのだが)なんとABCからの電話だ。私はここに応募するにあたって、場所も、職務内容も相談させてください、と書いていたのだが、なんと鎌倉からの電話だ。

私はラウンド2が始まった事を知った。翌日会社から相手に電話をしてみれば、鎌倉に面接に来ていただきたい、とのことである。その週の金曜日、4月2日にどうですか?と言われたが、その日はまたもやNTT-Softの無意味な体制ミーティングがはいっている。その次の週にお願いすることになった。

その週私はずっとM−Tからの電話を待っていた。正直言えば幾気は全然なくなっていたのだが、今まで何度「ここはもういいや」と思っても最後まで断らないほうがいい、という事を経験したかわからない。実際NTT-Softもそれで入社したようなものだ。結果は大はずれだったが。

 

次の週は結構落ちこんでいろいろ考えていた。結局やはり私は一流の会社には入れない、ということだ。これは今に始まったことではない。4月の1日にはどこの会社でも社長の挨拶がある。会社の名にあたいしないようなNTT-Softでも挨拶がまわってくる。そこには「Toyotaやソニーや、キャノンのような会社にならなくてはならない」と書いてある。なるほど。この3社のうちの2社には私は面接もしてもらえないわけだ。なるほどね。

さてそんなことを考えていると体調はだんだんと低下していく。このところ体はとても重く、いくらでも寝ることができるような気がするが、目は覚めてしまって睡眠はちゃんととれなくなっている。いつもの鬱病かもしれない。外は春だ。その週の週末には名古屋に帰って恒例の花見があった。私が何をしているかについて、みんなといろいろ話した。それは私にとって大変楽しい時間だった。何故かと言えば、いろいろなことについていろいろな人と話すことができてからだ。こんなことが、と思われるかもしれないが、実際今の職場ではまともに話をできる相手すらそう多くはないのだ。桜はきれいだったが、風は結構冷たかった。しかしそんなことは私にはどうでもいいことだった。とにかく一人のちゃんとした人間として背筋を伸ばして会話ができたのだ。

 

次の週はいろいろな事を考えてすごした。今度面接にいく会社についていろいろ調べてみた。インターネットは本当に便利で、表の公式発表ばかりではなく、その会社に面接にいって(これは学生だが)どのような印象を持ったか、などということまで検索して調べることができる。概して評判はいいようだが、安心するわけにはいかない。ある投資家のページにはこんなことが書いてあった。「この時期は銀行関係の投資が増える時期だから、後先考えずに人をたくさん採用する会社ほど成長するだろう。しかしその後に反動がくるだろう」ということであった。確かにこの会社はちょっと目立つほど成長し、おまけに株価が高騰しているのである。確かにここはちょっと安定しない会社かもしれない。

木曜日にはTech Beingを買った。一時に比べてだいぶ薄くなった気もする。しかし一時のバブル崩壊の後に比べれば結構な数の求人が載っている。そこにはNTT-Softの社長が言ったCanonの求人ものっていた。確かにキャノンはいい会社かもしれず、そこにのっている求人はそんなに悪いものではない。しかし結局勤務場所は全部関東地方なのだ。そう思うとどっと出す気が失せた。そう考えると私はやはりソフト関係の仕事をやりたがたっているのだな、、とつくづく感じた。結局ソフト関係であれば、鎌倉の小さな会社であっても面接に行く気になる。そうでなければまあ名古屋でなんとか探そうとする。今回これだけ手ひどくペテンにあってもまあソフト関係の会社がみんなこのように不誠実であるわけでもなかろう。

そうやって暮らしているうちに、仕事の方はますますわけのわからない様子になっていった。正直いって長年仕事をしていてこんなにわけがわからなかったことはないのだが、まあ今はこうやって金をもらっている身分だから文句を言えるわけもない。しかし頭の中ではいろいろな思いが交錯していた。考えていたことは「もうやめたほうがいいのではないか」ということにつきる。所詮このままでは長い間ここで働くわけにはいかないのだ。つとめている間は面接に向かうにもいろいろ問題がある。どうせ長い間つとめないのだから、やめてそれで探した方がよくはないか?

そんなことをいろいろ考えている間に9日の面接の日になった。この時期私はひどい疲労に悩まされていた。

11日日曜日’文章を書きながらいきなりキャノンに応募。

12日月曜日;二つの電話がはいっている。部長と面談。

13日火曜日’両者に電話。αは明日面接。M−Tは金曜日ということだが、延期

14日水曜日’「あの返事は」と聞かれる。体制の発表。天才の戯言。退職を決心。鎌倉で面接。辞表を書く。

15日木曜日’再度面談。8時間会議。帰りに人と話。メールによるアドバイス。

 

 

 


注釈