夏の終わり

日付:1998/9/11

五郎の入り口に戻る

合コン篇+引っ越し準備:1章 2章 3章 4章 5章 6章 

米国旅行篇:7章 8章 9章 10章 11章 12章 13章 14章 15章 16章 17章

引っ越し篇:18章 19章


6章

酔っぱらって半分千鳥足になっていることを自覚しながらレジに向かった。私は飲む量がその時の機嫌に極めて依存する。この日は大変ご機嫌だったので、(私にしては)ばかばか飲んでいたのだが、一つ大事なことを忘れていた。当日私は風邪気味で調子が悪かったのである。いくらご機嫌だからと言って体調の悪いときに飲んではいけない。

何故風邪気味になったか。私の部屋には冷房がない。おまけに3階建てのアパートの3階であるから、昼間には屋根からの熱が伝わってきて大変大変暑くなる。従って私が寝る時間には結構暑くてだいたいパンツ一枚で寝るわけだ。

さて「金も払わなくても時がたつと涼しくなってありがたいな」というのは私の父の名言だ。今年はそれをまさに実感した年だった。夏の間はあまりの暑さに金を払って喫茶店やら、あるいはわざわざ車を走らせ、CO2を増大させていることを自覚しつつも図書館に避難していたのである。それが金も払わずCO2も増やさず部屋の中で暮らせる気候になりつつあった。問題は寝る時間にはまだ暑いのに、目覚めるときにはパンツ一枚ではとても寒く感じるという気温差のある状況になってしまったことだ。前日の最低気温はとても快適だった。もし私がちゃんと服さえ着ていれば。ところが私はパンツ一枚で寝ていた。結果として風邪を引いてしまったのである。

 

さてそうはいってもこの時はまだご機嫌さの方が勝っていた。あっさり会計を済ませると店の前にでて帰り方の相談となった。今日は平日であるし、もう2次会などを考える時間ではなかったから。

なんだかんだの相談の後、車で来ていたSBYが全員をとりあえず名古屋駅まで送っていくことになった。彼はおうちが近くのSNDを家まで送っていくことになるのだろう。

誰か女性のうちの一人が「あら、大坪さん、一人で帰って寂しそうね」と言った。その時私の頭の中にはすでに翌日から執筆にとりかかるドキュメンタリーに書く文句が浮かんでいた。

「それでは、楽しかったです。ばいばーいとにっこり笑って手を振ったものの、私の心の中に一抹の寂しさがあったのは否めない」

さて自分が考えた文句通りの行動を1分後にとることになった私は一人で家路についた。一抹の寂しさとたくさんのご機嫌の気分に包まれながら。

 

目が覚めたときまだ窓の外はまっくらだった。時計をみればまだ朝の(夜のと言うべきか)2時である。うげげげっと思って立ち上がろうとした私は頭がぐわんぐわんと鳴っている事に気が付いた。久しぶりの「飲み過ぎで、かといって寝られず。明け方まで痛む頭と体の関節をかかえながらのたうちまわる」状態になったようだ。やはりご機嫌さよりも体調の悪さのほうが勝っていたか。。。

そのうち状況はもっと悪いことに気が付いた。周りの気温は快適なほど涼しくなっていたのである。しかし私の格好は(どうやって寝たかよく覚えていないのだが)またもやパンツ一枚である。2分後にくしゃみを1ダースばかりした私は鼻水が止まらない状態になっているのに気が付いた。なんということだ。またやってしまった。

 

翌日は一日アパートで寝ていることとなった。昼間に服をきて汗を流して寝ているととりあえず風邪はなおるのである。いずれにしても鼻水が滝のように流れている間は外に行くわけにはいかないし。

布団の上で呆然と寝ころびながら考えた。昨日の宴会は全く期待をしないで行ったのだが、全く「期待はずれ」の大当たりだった。「私の女性に関するセンサーは蛍光灯のようなものである」という信条を適応すれば次の私の行動は「ああ。何で昨日のうちに次の話をつけなかったのだろう」というへそを噛むような後悔のはずだ。

しかしこの日は平和な気分であった。昨日の宴会の最中から頭のなかで切れかかった蛍光灯がついたり消えたり、じじじじと鳴っている様子が頭の中に浮かんでは消えてはいたのである。しかし今度の場合はちょっと違う。仮に蛍光灯がついたとしてもその時私は既に横浜にいるのだ。女性から400kmも離れた場所で蛍光灯がついたとしても何がどうなるわけでもない。

 

それはそれというものの。。。。まだ例の会社から何の通知も来ない。何が起こっているんだ?疑心暗鬼になったが一週間のうちに2回も電話するのもなんだか気が引ける。とりあえず電話するのは月曜日にしよう。その間にもし何も起こっていない場合の引っ越しについて考え始めた。

 

今まで何度か引っ越しをしたが、家具という物をもたない私は、たいていの場合自分の車に荷物を積み込めばそれでおしまいだったのである。しかし今度はそうはいかない。まず新居にはしばらく車を置くことができないだろうし、おまけにこのボウフラ生活の間にいくつか小さな家具(といっても小さな本棚や机であるが)を買ったので学生の時のように「宅急便でいくつか段ボールを送っておしまい」とすることもできない。

となれば今度こそ引っ越し屋なるものにお願いをしなくてはならないようだ。とはいってもどこに頼んだらいいのやら見当もつかない。

よし、こういう時にこそ大抵の時間私の狭いアパートのいくばくかの空間を占有していてなおかつあまり役に立っていないイエローページに頼ろうではないか、、、と思って開けてみればでてくるでてくる。山のような数の引っ越し業者である。

その中には結構TVのCMなどで聞いた名前も出てくる。これだけたくさんの引っ越し業者があるということは引っ越し業というのは過当競争になっているのだろうか、それとも結構みなさまそれなりにもうけている業界なのだろうか。

さてそんな妙な考えは脇に置いて置いて、とにかく電話をしてみなくてはならない。しかしそれから数十分の間私はぺらぺらとページを前にめくったり、後ろにめくったりいろいろ思い悩むこととなった。イエローページに載っている業者の数はとにかく「端から順にかけてみる」という気をおこさせないようなものであったから。となればとにかく自分なりに適当な基準をでっちあげないと電話をかけ始めることすらできない。

 

さてそれからしばらくいろいろ考えた。まず受付電話番号がフリーダイアルになっている業者とそうでないのがある。よくよく考えればフリーダイヤルの費用は最終的には引っ越し料金に反映されるわけだから、普通の電話番号の業者のほうが望ましい、という気もする。しかし最近電話料金に異常に神経質となっている私としてはフリーダイヤルを選択するのである。何故電話料金に神経質になっているか?インターネットを多用するに従い、月の電話料金が馬鹿にならない額になってきたからである。

月のプロバイダー料金は2000円だが、電話料金はその数倍だ。毎月の請求書を見るときほど「ローカルコールかけほうだい」の米国の電話システムがありがたく思うことはない。その米国でも「データ通信はかけ放題の対象外」とする動きがあるとか無いとか聞くが、とにかく今のところは通話料を気にする必要がない。そしてそこから発生した「電話料金を最小化しなくてはならない」という強迫観念はこうした引っ越し業者の選定にまで陰を落とすようになってしまうのである。こう考えると確かにこれは一種のノイローゼかも知れない。

さて次にはTVでCMをやっている業者とそうでない業者があることに気が付く。普通ならば「おお。ここはTVでCMをやっているくらいだから安心できる」と思うところだが、ここ数年の業務経験から私は逆の感想を抱くようになっていた。

それまで某官公庁向けの航空宇宙にカテゴリーされる(少なくとも○○重工ではそうしている)分野の製品ばかりやっていたのだが、誇大広告にだまされて移動した部署でやったのはいわゆる民生品だった。そこでTVCMというのが如何に金のかかる物であるか。また全体の売り上げが少ない場合、その広告費というのは全く馬鹿にならないものであることをいやというほど知らされたからである。正確に言えば各社のトータルの売り上げを知らないと、そのTVCMがどれほど単価を押し上げているかどうかわからないのだが、まあそんなことはあっさり無視してしまってTVCMで知っているところを排除した。

次にはなるべく近くに事務所があるところ、、とやっていくといくつかの業者が残ることになる。そこで適当にピックした業者から電話をかけはじめた。

最初の業者は「荷物が到着する日が一週間程度ふれてもよければ、5万円。もし到着日を指定するのであれば7万円」と言った。それまでどの程度費用がかかるか見当もつかなかった私にしてみれば、「まあこんなもんか」というところで一安心である。後から分かったことだが、この最初にかけた業者が一番親切だった。彼らは少なくとも私に選択肢を呈示してくれたのである。引っ越しといえば、とにかくトラックがきて人が運んでいく物だと思っていたが、それもそのためにトラックを一台チャーターするのと、混載便とか言って、他の荷物と一緒に運んでいくのがあるようである。後者のほうは安いが他の荷物の都合次第でいつつくかわからない。私は29日に横浜について、一日おいて会社に行くつもりだったから「いつつくかわかりませんねえ」ではとても使うことはできない。しかし安い選択肢をちゃんと示せるというのが相手が良心的である証拠かもしれない。普通の業者であれば最初に高い選択肢だけを呈示し、相手がごねれば「あまりおすすめはしませんが」とか言いながら安い選択肢を呈示するだろう。

さて一軒電話をしてちょっと調子がでてきた私はそれからいくつかの業者に電話をした。ある業者はいきなり「では見積もりに伺います」と来た。他の業者は全て「とりあえず荷物がどれくらいあるか教えていただきますか」と言うのだが、この会社だけは違っていた。思うに見積もりを最初にとってしまえば、セールスも強力にできるということではないか。電話だけだけであれば断るには「では検討してまた電話します」といえばよい。しかし目の前に現れられては断りにくかろう。ちなみに概略を伝えてその会社が呈示してもらった価格は10万円である。私はにっこり笑って「ではまた検討して電話します。」といって電話を切った。

 

さててけてけと電話をしてみたが、価格は7万円から10万円の間で結構ちらばっている。なるほど物を買ったり頼んだりするときは、ちゃんといくつかあたって比較しないとだめなんだな、と感心した。

さてあとはどこにかけたものか、、と思いながらイエローページをぱらぱらとめくっているとそのうちレンタカーの広告が目に入った。そこでふと考えた。引っ越しにかかる金はたしかに7万円かもしれない。しかし結局私がトラックに乗っていくことはできないのである(多分)ということは私の移動代約1万円が余分にかかることになる。

私の部屋には小さな家具しかない。つまり一人で運べないような荷物はないわけだ。ということは車を借りて自分で荷物を積んで移動すれば実は結構安く上がるかも知れない。そう思ってイエローページを見てみると結構世の中にはレンタカーの業者というのはたくさんあるようである。ふーんと思ってその日は寝てしまった。なんといってもこの日は鼻水がまるで水道水のようにでている状況であったから。

 その日は虫の音を聞きながら平穏のうちに暮れた。夕方郵便受けをチェックしてみたが、会社からの通知はまだこないままだ。私は多少の不安にとらわれ始めた。何が起こっているんだ?

 

それから二日間。友達と送別会と称する宴会やら、なにやらをしていた。幸いにもサウナ部屋に閉じこもっていたおかげで風邪の菌も消毒されてしまったようだ。体調はだいたいもちなおした。いつものことながら場所を変わるときには宴会が続く。体調がなんとか持ち直したのはもっけの幸いというべきだろう。さて明日は月曜日の9月14日。米国に出発する日である。

 

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注釈

私は飲む量がその時の機嫌に極めて依存する:(トピック一覧)1997年は米国に幽閉されていて大変不幸だったのでほとんど飲まなかった。だから米国で知り合った人は私が飲まない人間だと思っているようだ。本文に戻る

 

私の女性に関するセンサーは蛍光灯のようなものである:(トピック一覧)最近の蛍光灯は早くつくからこの表現は適当でないかも知れない。本文に戻る

 

その時私は既に横浜にいるのだ:結局この話は3ヶ月後にリターンマッチが成立することになり、私は再度(何故再度かは読み進んでいけば解る)名古屋に遠征することとなった。「夏の終わり番外編:チゲ鍋会、名古屋遠征Part2」参照のこと。本文に戻る