夏の終わり

日付:1998/10/1

五郎の入り口に戻る

合コン篇+引っ越し準備:1章 2章 3章 4章 5章 6章 

米国旅行篇:7章 8章 9章 10章 11章 12章 13章 14章 15章 16章 17章

引っ越し篇:18章 19章


10章

この日でアメリカで寝たのは4晩目だ。さすがに時差ボケも取れてきたようだ。なんといっても今回は動き回っていて全くお昼寝をする暇もないのがいいのかもしれない。お昼寝などしているといつまでたっても時差ボケは直らない。

翌日は実に快調に目覚めた。そして空も抜けるような青空だ。

まずは朝御飯だと思って、昨日行った中華屋に行ってみた。少なくとも看板には"Chinese and American Cuisine, Breakfast and Dinner"と書いてあったはずなのだが。ところが行ってみると"Sorry We're Closed"の看板がでている。もう一度あの可愛いウェイトレスの顔を拝みたいと思ったが、それもかなわぬ事か。

しょうがないからうろちょろしてみる。向いにあるスーパーマーケットで何か適当に買って朝御飯にしようか、と思ったが、なんとまだ閉まっている。大手の全国チェーンのスーパーは24時間営業が多いのだが、こんな町でそれは望むべくもないようだ。

しょうがないな、、と思ってうろちょろしていると、カジノの音が響くレストランが一軒開いている事に気が付いた。ここで賭をやろうなんて気は毛頭ないけど、この際朝御飯が食べられれば十分だ。と思ってそこに入ってみた。

そこは西部の田舎町を扱った映画にでてきそうなレストランだった。店の中にいるのは地元の家族とか、友達連れのような連中ばかりで、アジア人など私しかいない。彼らの私に向けられた視線は、私が神経過敏な事を除いても好ましい物ではなかった。よそ者をみる目なのか、あるいはアジア人を見る目なのかはわからない。

あるいは私一人格好がういていたことに起因するのかも知れない。ここ数日気が付いていたことだが、私が着ていた服はボタンダウンの無地のシャツにチノパンである。両方ともぱりっとしているとは言い難いが、ここ数日見かけた人達は、大きな格子柄のよれっとしたシャツにジーンズ-これはもちろんファッションであると共に生活の要請なのだろう-をはいた人ばかりだ。要するに私の格好はパンクロックのコンサートに学生服を着ていったようなものだったのかもしれない。

一人で腰掛けるとパンケーキを頼んだ。こちらの食事は全て量が偉大だ。パンケーキ3枚は、おそらくご飯の大盛り1.5杯分くらいのボリュームがあっただろうし、根が甘党の私がそれにシロップをかければ、私の体重に極めて好ましくない影響があることくらいわかるだろうに。しかしそれでも目の前のシロップをみれば、ついかけすぎてしまうのが、甘党の悲しい性というやつである。

レジの近くの家族からFriendlyとは言えない視線を浴びせられながら金を払ってそそくさとそこを出た。ガソリンをいっぱいにすると、今日はまた一日ひたすら西に向けてドライブだ。

 

そこから5分もするとまた何もない風景が戻ってくる。ただ昨日から気がついてはいたのだが、このNevada北部には結構起伏がある。従って遠くまで見渡せる長い直線道路というのにはあまりお目にかかれない。丘を越えると次の丘が見える。その繰り返しだ。

最初は快調に走っているが、そのうち飽きてくる。幸いにも時差ボケは直ったので、居眠りして砂漠につっこむ可能性はないが、いささか退屈だ。そうなるといきおいラジオにたよることになる。しかし砂漠の真ん中で起伏が連続するようなところだと、だんだんラジオも入りにくくなる。Seekのボタンを押して、何か感度のあるラジオ局を探そうとしても、いつまでたっても周波数を上から下までサーチしているだけで何も聞こえなくなる。

この日は幸いにも北の隣の州、Utaからの電波がとどいたので、無音となることはなかった。しかし最初はポップスなどやっていた曲はだんだんと聞こえなくなり、最後に聞こえるのが、私が演歌と並んでもっとも嫌いな音楽、Countryと、宗教がかった放送ばかりになってしまった。

昔アメリカ人と「嫌いな音楽について」という話をやったことがある。私は「日本には演歌という音楽があり、メロディーはどれも似たようなものだし、歌詞は”私は悲しい、愛する人は行ってしまった。飲まずにはいられない”みたいなやつばっかりだよ」と言った。すると相手は”Countryも似たようなもんだよ」と言った。

もともとあのどこか胸焼けを起こしそうなカントリーの歌い方は嫌いだったのだが、それからますます嫌いになった。ではもう一つの選択肢の「宗教放送」はどうかというと、これもちょっとラジオでは聴きたくない。やっているのは歌なのだが、宗教的効果をねらえば、歌詞は大変わかりやすく、かつ何度も繰り返すことになる。私は大抵の歌の歌詞は聞き取れないのだが、このときは明瞭に聞き取れてしまった。言っている内容は概略以下の通りである

「ジーザスはすばらしい。ジーザスの愛を感じる。ジーザスはすばらしい。ジーザスの愛で私は生きることができる。ジーザスの。。。」(repeat forever)

キリスト教の本ではなくて、キリスト教について書いたある本を読むと、生前イエスは自分が新しい宗教を創始しているなど夢にも思わなかったらしい。単に革新派として振る舞っていたら、出る杭となり、ばしばしたたかれ、ついには十字架で死ぬ運命になったと。

彼が今どこにいるか私は知らないが、それから2000年近くもたって、いつのまにか自分の名前が世界3大宗教の一つにさんぜんと輝き、そして米国の砂漠の真ん中でも聞こえるようなラジオ局で連呼されていると知ったら、きっと仰天するに違いない。彼が天国だか地獄だかで切歯扼腕してもいかんともすることはできない。我々俗人だったら「誰がそんなことをしろといったぁあああ」と幽霊か何かになってでてくることもできるだろうが、彼ほどの偉人となると、できることはせいぜい復活してみたり、神のおつげを伝えてみたり、壁のしみとなって浮き出てみたり、そんなところである。「人をかってに神様にまつりあげるんじゃねえ!」と恨みがましそうな顔で壁に浮き出てみれば「ああ。ジーザスは悲しんでいる。我々はこの世のあり方を深く悔い改めねばならない」と人々はひざまずいてますます祈りをささげる。「それをやめろと言ってるんだーー」と彼がわめいたところでその声は人々には届かない。そして彼はまた深い悲しみの中に沈むかも知れない。死人に口なしとはよく言ったものだと。

まあしかし考えてみれば、人の世の中というものはすべからくこういう物かも知れない。あなたが生きていて面と向かって相手に話しかけたとしても、誰が本当にあなたの言葉に耳を傾けているだろう?私は長い間この世を観察していくつか経験則を導き出しているがその中にこういうものがある。

90%の場合、相手はあなたの話を聞いていない

私の経験が特殊なものでなく、かつ私の観察が間違っていなければこの法則は正しいはずだ。もっとも90%という数字が低すぎるのではないか、という論議はあるだろう。

上の経験則に付随する形でもう一つの法則もある

ほとんど全ての場合、相手は”あなたについての話し”なんか聞きたいと思っていない

あなたが何を考えようと何をうったえようと、相手はあなたを神に祭り上げたければそうするし、言葉尻をあつめて本を書きたければそうする。仮に生きているあなたがそれを否定する声明を出して「俺の話を聞いてくれ」と言ったところで情勢は対して変わらない。誰もあなたの話なんか聞きたいと思っていない。彼らが聞きたいのはあなたが言いたいあなたの言葉ではなくて、彼らが聞きたいと思っているあなたの言葉なのだ。人は自分が聞きたい事だけを聞こうとする。必要であればでっちあげ、歪曲なんでもありだ。注意しなければならないのは、これは相手が「あなたの事を教えてください」とあなたに言った場合でもあてはまるということだ。

 

などと私がもんもんと考えている間に、だんだんと次の町に近付いてきた。Eurekaから70マイル西にあるAustinである。

ここは最初私は単に通過するつもりだった。昨日Elyの観光案内所でおばちゃんが「Austinで給油は勧めないわ。何でも高いし、人がNastyだもん」と言ったからである。彼女の弁によれば、この町でレストランにはいり「おトイレはどこ?」と聞くと、ウェイトレスがぶっきらぼうに「何?あんた注文する気あんの?ここで注文しなけりゃトイレはつかっちゃだめよ」と言うのだそうである。

そういう話を聞いていれば確かにここは敬遠したほうが良さそうに思える。しかしなんとなく適当なコンビニでもあればコーラを買ってトイレに行ってみたい気分である。私はスピードを落として町の様子を観察した。

町は小高い丘の下り道に存在している。昨日から砂漠を走り回っていて発見したことであるが、丘と丘の間の低い平らなエリアには何故か植物が全く見られない。そこから多少丘をのぼりはじめるとだんだんと植物がはえはじめ、丘の上には小さな森があったりする。普通に考えると低地の方に水がたまりそうなものだが、何故だろう?とにかくこの町も低地にはなく山道に存在してる。曲がりくねった道を通りながら町をみれば、これまたとんでもない田舎町である。私は安心してはいれそうなコンビニだかスーパーの類を一軒も見つけることができなかった。ガソリンスタンドは多分ガソリンだけを売っていそうな雰囲気である。地図の表示を信じればここには250人以上の人が住んでいる。隣町は最低70マイル離れているこの砂漠の真ん中に。

この人達は何をしているのだろう?どんな生活があるのだろう?等と再び疑問にとらわれている間に町は終わってしまった。ここから次の町までは110マイル。また砂漠が始まっている。

 

相変わらずの風景がここから2時間近く続く。「ジーザスはすばらしい」という音楽すら聞こえない状態が続く。空は抜けるように青い。こういう時間が続くとだんだん無感覚になって、時間は早くすぎるようになる。砂漠の中にも時々送電線が走っている。砂漠だろうがなんだろうが町がある以上は電気は通さねばならない。送電線といっても日本にあるような立派な鉄塔ではない。木の柱を4本くらい組み合わせて作った、日本に来るような台風がくればねこそぎドミノ倒しになりそうな代物である。

などとへれへれ走っている間に燃料計が気になりだした。Elyのおばちゃんの推奨パターンでは、Eurekaで給油すればAustinをパスしても、次の町まで持つことになっている。実際のところは多分そうなのだろうがそれでも何もない風景の中で燃料計がだんだん下がっていくのを見るのは心臓に悪い。

私が借りた車が安かったせいか、あるいは日本で運転している車が古いからかしらないが、いつもながら燃料系の非線形性には悩まされる。最初の目盛りはとってもゆっくりと過ぎる。これはすごい。私の車の燃費は驚異的だー、などと考えた瞬間、そこからは異様な早さで針が動いていくことに気が付く。どう考えても端のほうと、真ん中の方で同じ早さで針が動いているとは思えない。

日本に居ればこんな細かいことは抜きにして「まあ燃料が少ないってランプがつけばガソリンスタンドに行けばいいや」とのんびりかまえていればいいのだが、ここではそうはいかない。ガソリンがつきれば多分大坪五郎の日干しが砂漠の真ん中にできることだろう。頭のなかで針が動く速度と残りのマイル数を計算してみるのだが、例の非線形性があるためにどうもうまく予想が付かない。従ってとにかく針が上のほうに行ってくれないことには私の懸念ははれることがない。

などと考えているうちに、"Gas Food 2 Miles"などという手書きの看板が見えてきた。おおっという期待感と、昨日たくさんでくわしたようにまたうち捨てられた廃墟があるだけか、という不安感がまざるうちにその家は見えてた。砂漠の真ん中に一軒だけ店がある。そしてその前には待望のスタンドがある。とはいっても給油の機械が一個あるだけだが、今の私にはそれで十分だ。昨日も一度使ったのだが、こうした長い砂漠にも何故か一軒だけぽつんと万屋が存在していることがあるようだ。

結構疲れてもいたので、そこで休憩した。ガソリンを自分でいれて、ダイエットコークと一緒にカウンターにだすと、おばあさんがにこりともせずお金を受け取ってくれた。外に出て周りをみまわす。例によって空は青く砂漠しかない。

 

さてそこからまたひたすら西に向かって爆走である。Autstinから110マイル西に行くとFallonという町がある。ここはかの有名なTop Gunの故郷らしい。しかし見所はその手前にあった。これまで何度も砂漠という表現を使ったが、普通に日本で想像するラクダがかっぽれかっぽれ歩いている100%砂の砂漠ではない。石もころがってるし、小さな植物だって生えている。

ところがそこからしばらくいったところに本当に100%砂の山があった。地図にもちゃんとSand Mountainと書いてある。見ると確かに砂の山だ。ハイウェイからちゃんと麓にいけるような道があるらしいが、この前のLunar cratorで懲りたので見るだけですませた。実際近付いてみたところで砂があるだけだろうし。

そこを過ぎると行く手に湖が見えてきた。正確には湖の跡というべきだろうか。水はほんの少しだけある。あとはほとんど干上がった泥のようなものが延々と続いてる。この点地図は実に正確だ。Carson Lakeという名前が書いてあり、池の輪郭は書いてあるが、水色に塗ってある面積は全体の10%にも満たない。

その池の真ん中を走っていくと、道路に面した土手に石で書かれた落書きが延々と続いているのがわかる。日本だったら多分ここに「ばか」だの「○○○」だの画一的な落書きが並ぶのかも知れないが、ここにあるのは大体が人名のようである。そう考えるとこれは只の落書きではないのかもしれない。

その干上がった湖をすぎるとFallonの町に近付きだした。Top Gunの根拠地だけあり、飛行場も見えてくる。しかしもちろん実際の基地に近付くことはできない。ここから周りの風景は一変しだした。いままでは基本的に砂漠を走っていたのだがここからだんだんと家が増えてきた。Nevadaの風景からCaliforniaの風景になってきたのである。

町の中にはやたらと海軍機をあしらった旗だの看板だのがかかっている。多分さがせば「海軍航空基地記念館」みたいなものもあるのだろうが、私はすっかりと「何がなんでも先をいそぐモード」に入っていた。そうでなくても私には先を急ぐ理由があった。今日は金曜日で、明日は土曜日。この日にある程度早くStanfordにつければ、Footballの試合が見れるかも知れない。この機会を逃すと今度StanfordでFootballを見れるのはいつになるかわからない。そのためには今日できる限りStanfordに接近しておく必要があるのだ。おまけに今日はもう一カ所観光ゴーストタウンのVirginia cityを見物する予定もあるのだ。

時間はちょうど昼だったので、ケンタッキーフライドチキンでもって昼飯を食べた。例によってカロリーとコレステロールの固まりのような食物だが、かまうもんか。もうアメリカにいる日にちもそうたくさんはないのである。

さっさと昼飯をすませるとこのTop Gunの町を後にした。次の目標のVirginia Cityはここからおよそ70マイル。1時間半はかかるはずだ。ここからの風景は平和であるが、一種退屈な物に変わる。およそミシガンの郊外と変わるところはない。おそらく連日のロングドライブの疲労からかここからの道はあまり印象に残っていない。頭もぼけていたのだろうか。

さてVirginia Cityにはいる入り口から細い道に入った。案内板によれば、ここからVirginia cityまでの間にいくつかゴーストタウンがあるようだ。それまでは基本的に平坦な道を移動してきたのだが、狭い(これはもちろんアメリカの尺度で言っての話だ)くねくねした道(これもまたアメリカの尺度で言っての話だ)をひたすら登ることになった。途中に確かに小さな炭坑の名残がある。そう多く店や家は残っていないが、残っている家はみんなこぎれいにかざっている。中には郷土史博物館と化しているやつもあるが、ここよりはEurekaのほうがよっぽどゴーストタウンのイメージを残しているような気がする。ここに二つある町はいずれもとてもこぎれいだ。やはりCaliforniaが近付いてきているせいだろうか。

その途中で妙な事に気が付いた。やたらと反対車線を降りてくる連中にバイクが多いのである。Bikerの群だ。ここで私が知っている限りの米国のBikerという人種について説明しておかなければならない。

日本で「峠を降りてくるバイカーがたくさんいる」というとどんな人達を想像するだろうか?私が想像するのは(もちろんこれは漫画や、雑誌から得た知識だが)ワインディングを好んで走行する「走り屋」のイメージである。フルフェイスのヘルメットをかぶって、皮のつなぎや、レーサーまがいのつなぎを着て、日本製の高性能バイクにまたがり、ひたすらカーブをバイクを倒して曲がっていく。

ところがこちらでBikerというと、全く違う人達を指すのである。ターミネータ2で、シュワちゃんが最初に裸であらわれ、どっかのバーにはいってそこにいる連中を叩きのめし服とバイクを奪っていくシーンがあった。あそこでたたきのめされていた連中がこちらのBikerである。彼らの間ではいくつか共通する約束があるようだ。

1)年齢はみんな中年以上

2)男性の場合は毛髪はオプションだが、髭は必要不可欠。

3)とにかく皮系統の黒い物を着る。

4)バイクの後ろには女性を乗せるとよい。

5)女性はスレンダーだと良いが、年は不問。着る物は男性と同じく黒一色。

6)乗るバイクは全てハーレー。間違っても本田のレーサータイプなど乗ってはいけない。

さて彼らが内面どのような人達であるか?私は直接話したことが無いので知らないが、私が愛するCheersという米国のTV番組に次のような会話があった。

(バーで、喧嘩の後の後始末をしている。店には警官が来ていて、バーテンダーのSAMが文句を言っている)

「隣のBikers' Barが閉店してからというもの、(バイカーがこの店に流れてきて)喧嘩ばかりおこっている。もっと早く来てくれなくちゃ困るじゃないか」

というわけで私としては彼らを無用に刺激することは避けたほうがよかろう、と思うのである。

さてだらだらの坂を上り詰めると漸く目的地であるVirginia Cityが見えてきた。なんと予想していたのとは違って、全くきれいな観光地である。おまけにそこらへんを徘徊しているのはBikerの群だ。

Bikerにぶつからないように、、、と考えながらなんとか駐車場に車をとめた。そこからてけてけと歩いて観光となったのだが。。。

この日が何かの記念日かあるいはお祭りであったのか、あるいは単にここはいつもこうなのか知らない。しかしこの町に存在している人間の少なく見積もっても7割以上はBikerなのである。あまりの多さと彼らの風体の異様さに(これは私から見ての話だ)連中の写真を撮ろうかと一瞬考えた。しかし彼らの巨大な身体と、先ほどあげたTVの場面を思い返すとき、私のカメラは問題のない建物などに向いてしまうのである。

この町自体は大変興味深かった。西部劇にでてくる町そのままである。ある元銀行の支店の前には映画でよくお目にかかる(とはいってもここで実際にでくわすまでそれが過去の西部に特有なものであることに気が付かなかったのだが)木の板でできた歩道というか廊下というものが存在していた。そこに飾ってある看板によれば「これは昔の板をそのまま使っています」ということだが、ここに数十枚ある板のうちどれだけが過去からのものであるかは大変興味深い問題だろう。しかしどう書いたって観光客にわかるはずがないのである。ここは一発「すごいんだぜー」と感度したほうが精神衛生上よろしい。

まだここはNevadaであるからやはりスロットマシンなど置いてある。しかしこの町の最大の見物はやはりBikerであろう。彼らの容貌を(横目で)じろじろ観察していた私はあることに気が付いた。

私はこの日まで「ゴキブリと日本人の女の子は世界中どこに行っても、いついっても必ず存在している」という信条を持っていた。少なくともアメリカの国内に関してはこれは正しいしヨーロッパに行ったときも「えっ!」というような場所で日本人の女の子にでくわして驚いたことがある。彼女たちの格好からして観光らしいのだが、観光にふさわしくない季節であっても、観光にふさわしくない場所であっても(たとえばDetroit)なぜか彼女たちは存在している。昔日本のバブル景気はなやなかなころ、「日本はもうけすぎだ」と他の国の人間に言われると、私は必ずこう反論した物である。

「君たちは貿易収支だけ見ているからそう思うんだ。旅行者が海外で使うお金は貿易外収支だろ。日本の企業で多くの男性社員が24時間、365日働いて一生懸命働いてかせいだお金は、女の子達が休暇をとって旅行して海外で使ってしまっているんだよ。」

私がこういう事を書いたからといって、何も会社で休む暇もなく働いている女性がいないとか、あるいは海外で金を使いまくっているのは女の子だけだ、などと真面目に主張しているつもりはない。これは全く無邪気な冗談というやつだ。しかし少なくとも私の周りをみた限りでは、海外旅行にでかける女性のほうが同じく海外旅行にでかける男性よりも遙かに多いのは事実である。そして実際この冗談を裏付けるかのように(繰り返しになるが)世界中何処でも大抵の場所では日本人の女の子の二人連れにでくわすのだ。

ところがぎっちょん。この日は不思議なことに私が唯一のアジア人であるかのようであった。日本人の女の子と同じくらいどこにでも存在しているはずのChinese Restaurantもないし、ましてや日本人の女の子などいない。ここは立派な観光地だ。確かに車以外でくることはできないが、そんなことを言えばアメリカの観光地にはそんなところが山ほどある。

うーむ。やはり一般性のある法則をつくりあげることは難しい。。。などと妙な感慨にとられながら私はこの町を後にした。今日はまだまだ先に行かねばならない。

そこまでずーっと低い丘はあっても山などと名をつけていいようなものは無かったのだが、だんだんと山道がでてきた。Californiaとの州境である。いわゆる一つのシェラネバダ山脈というやつだ。この山道をえっちらおっちら登っている時に、反対車線を走っている車の類に関して奇妙なことに気が付いた。

まずBikerが山ほどいることに気が付く。とはいってもそれまでBikerの群の中で観光してきたのでこれはそれほどの驚きではない。次にクラシックカー(ここでクラシックカーと言っているのはいわばフォードT型のような車ということだ)に昔の格好(ここで昔の格好と言っているのは、映画「マイフェアレディ」にでてくるような格好ということだ)で乗っている老夫婦ないしはグループがやたらいることに気付いた。やはり今日はVirginia Cityのほうで何かお祭りでもあるもかもしれない。

余裕がある時だったら、くるっと引き返してこのお祭りの正体をしらべることくらいしたかもしれない。しかしこの日はだんだんと疲れてなお道遠し、という状況になりつつあったのである。とにかく明日は早くにStanfordに到着しなくてはならない。

そういう思いにとらわれながら、ひたすら先を急ぐ。次にでくわすのは多分Nevada第2の都市であろう。Renoである。ここはLas vegasとは違って山の中にあるが、基本的にある建物はカジノ付のホテルばかりである。最初はここに泊まるつもりだった。私はカジノのある町で泊まるのが好きだ。何故かといえば安いからである。よく知られた話だがカジノで食べようとしてる都市は、ホテルだの食事だのが大変安い。そちらで値引きしても来てくれた人はギャンブルをやってたくさんお金をすってくれる、という計算からだ。Renoに来るのは初めてだがきんきらきんのホテルがたくさんならんでいる。しめしめと思っていたが、ここでここ数日気にもしなかった私の大敵にでくわすことになった。

それは「渋滞」である。私は基本的に人間でも車でも混んでいるところが大嫌いだ。この数日は渋滞どころか「ここで車が止まったら日干しになる」という恐怖におののいていたが、この日は逆の困難に直面することとなった。考えてみれば今は金曜日の夕方。早めに仕事を切り上げてここに遊びにきている連中が結構いるのだろう。

いくつかなんとなく泊まれそうな宿をみつけたが、いつも周りが混んでいる。ここ数日すっかり牛が歩いているだけの風景になれてしまった私は後ろに車がいるのに、どっと曲がって止まることに慣れていない。Renoだってはずれに行けばきっと空いているだろう。。と思って走っているうちにRenoを過ぎてしまった。しょうがない。もうちょっと先に行くか。

そこからほどなく見えてくるのがこれまた近くに2年住んでいながら一度もこなかったLake Tahoeである。ここはStanfordに居たとき、夫婦連れが幾組があつまってスキーか何かに来ていたところだ。本来だったらもうちょっとゆっくりとまって見物したいところであるが「とにかく先を急ぐ」モードにはいっている五郎ちゃんは何も考えずに先をすっとばそうとした。

だからLake Tahoeはちらちらと道から見えるだけだ。しかしそのちらちらの風景だけでも十分に印象的であった。湖の色がすばらしい藍色なのである。普通湖というと岸のへんがちょっと茶色っぽい緑で真ん中に行くに従ってだんだん藍色になると思うのだが、この湖(あるいはたまたま私が見たところだけかもしれないが)は岸の近くからすばらしい色をしていた。

あまりにきれいなので一度だけとまって写真を撮った。一息ついただけでまたまた前進である。

 

そこからしばらくまた周りに何も人家がない風景が続くようになった。しかし今度の道は砂漠ではなく、すごい山道である。多分シェラネバダ山脈の反対側を降りていたのだと思う。山道だから道は狭く、くねくねと曲がっている。一台遅いヤツがいればたちまち車が数珠繋ぎになる。前にものすごい煙をあげながら走っているトラックがいた。今にもこのトラックがふっとぶのではないか、という恐怖感にとらわれながらも彼の後ろをついていくしかない。

そうした長い長い下り坂がようやく終わった頃、、道は再び片側2車線以上になった。これでほっとして自分のペースで走れる。他人を追いかけ回すのも追いかけ回されるのも大変私の趣味にあっていない。何もないところを一人で自分のペースで走るのが一番好きだが、こうした機会というのは世の中でそう多くはない。道路であっても、それ以外の場所であっても。

 

しばらくたってちょっとほっとした。どうやらようやくCaliforniaにたどりついたらしい。何故わかるかと言えば、食物の検疫所があったからだ。よく理由は知らないが、多分こういうものをつくるとすれば州境だろう。それとともにハイウェイもいつもの風景に戻った。Exit XX何マイル。このExitにはこのRestrantとこのモーテルがありますよ、というやつである。

こうなればもう今晩泊まる場所を心配することもない。本当は今日中にCaliforniaの州都であるところのSacramentまで行きたかったが、どうもここらへんで泊まってしまいたい雰囲気である。結構つかれているらしい。いくつかExitをパスした後に、とりあえずFoodもモーテルもありそうなところでいきなりフリーウェイを降りた。

こうした出口から本当にモーテルだのなんだのがあるところまでの距離、というのは結構ばらつきがある。もうExitからそれらが見えている場合もあるし、何マイルも走らなければならない場合もある。この出口は不幸にして後者のほうであった。とりあえず「モーテルこっち」という方向に向かって走ってはいるのだが、周りは林ばかりで何も見えてこない。これはあの看板が嘘だったかあるいは小さなモーテルなので見逃してしまったか。あるいはNevadaでさんざん見たようにここのもう滅んでしまった町なのだろうか。。。などと恐怖感にとらわれたころにようやく町が見えてきた。山のなかだから大きな町ではないがスーパーだのなんだの一通りのものはそろっている。道の脇にはChinese Restaurantまである。これはラッキー。今日の晩御飯はここにしよう。

などとつれつれと走っていくとそのうちようやくモーテルに出くわした。よれよれとしながらフロントに行くと、フロントにいるのはアジア人の男性だった。

彼は大変愛想良く応対してくれた。どこから来た?と聞かれたので、日本だ、と答えた。日本のどこだ?というので、多分知らないと思うけど、名古屋ってとこだ、と答えた。

すると相手はいろいろしゃべりだした。彼は韓国人でなんと名古屋空港のCathey Pacificで働いたこともあったのだそうである。そんなことでひとしきり彼としゃべった私は大変ご機嫌になった。EurekaのChinese Restaurantのお姉ちゃんをのぞけばここ数日人間とちゃんとしゃべったのは初めてだったのである。

さてそれから荷物をおいて、例のChinese Restaurantに食事に行った。でてきたのは中国人のお姉さんである。ひとしきり注文した後に彼女は「あんたどっから来たの?」と聞いた。日本だよ、と答えると「日本の景気は?」と聞いた。

それから彼女は最近香港から来た友達から聞いた香港の経済事業に関して私にあれこれ話し出した。曰く失業者が町にあふれ、それでも仕事がない、などという話である。

そういう話をひとしきりやった後に彼女は注文したHot and Sour Soupと焼きそばをもってきた。Hot and Sour Soupは私が予想したよりも量が3倍はあり、かつ熱かった。私は口の中をやけどしてしまった。焼きそばも例によって私が快適と思う量の3倍はあった。それを(これまた)例によって「残しては店の人に申し訳ない」とおもいつつ、自分のコレステロール値を気にしながらたいらげるわけである。

しかしこの日私はとてもとてもご機嫌であった。何故か?アメリカはとても広い国で、西と東では全然気候も風土も違う。いつも「平均という言葉をアメリカにあてはめていいものだろうか」と思うほどだ。東海岸にはアジア人は比較的少ないが、西海岸はそうではない。そしてCaliforniaはアジアにとても雰囲気が近い。アジア人がとても多いからだ。今回Nevadaのレストランで私が感じた雰囲気は興味深くはあったが必ずしもほっとするものではなかった。ここで私は初めて「ああ。お家に帰ってきた」という気分になれたのである。

ご機嫌ついでにチップをしこたまはずんで店を出た。車に乗ろうとしたときにさっきのウェイトレスが皿を片づけながら(おそらくチップの額も確認したと思うのだが)こちらを向いてにっこりしてくれた。そして私もにっこりした。それは必ずしも礼儀としての笑顔だけではなかったのである。

 

次の章


注釈

90%の場合、相手はあなたの話を聞いていない:(トピック一覧)時々90%を95%にするべきではないかと思うことがある。本文に戻る

 

ほとんど全ての場合、相手は”あなたについての話し”なんか聞きたいと思っていない:(トピック一覧)実際「私について」の話を聞いてくれる人をほとんど見たことがない。あるいは単に私が退屈な人間だ、というだけのことかもしれないが。本文に戻る

 

ガソリンだけを売って:米国で私がみかけたガソリンスタンドはコンビニ併用となっているところが多い。どちらにしてもガソリンをいれるためには降りなくてはいけないし、レジに行かなくてはならないので、そのついでに何かを売りつける、というのはいいアイディアだと思う。本文に戻る

 

Cheers:(参考文献)このエピソードでは、その後、店の用心棒としてごっつい男をやとうことになるが、その男のあまりのごつさのため、客が減りだす。そして彼らは「どうやってヤツを首にしよう。誰がそれを伝えよう」と大変苦慮するのだ。本文に戻る