夏の終わり

日付:1998/10/25

五郎の入り口に戻る

合コン篇+引っ越し準備:1章 2章 3章 4章 5章 6章 

米国旅行篇:7章 8章 9章 10章 11章 12章 13章 14章 15章 16章 17章

引っ越し篇:18章 19章


12章

翌朝は幸せな気分とともに目覚めた。さて今日は結婚式。5時半にSan Fransiscoで行われる。さてまだ時間は朝の9時だ。何をしよう?実はこの旅行の間中果たせずにいた目的が一つあった。映画の鑑賞である。去年一年米国に幽閉されていたなどと嘆きながら、実は結構映画をたくさん安く見られて、その点では幸せだったのである。(タイタニックまで安く見られればもっとよかったが)それから日本に帰って10ヶ月。基本的に幸せであったが、映画の高さと、公開の遅さには閉口した。今度米国に結構長く行くのだから、映画の一本-特に期待していたArmageddon-でもみたいではないか。

しかしそれとは別に買い物もしなくてはならなかった。今度働く会社ではなんと背広を着て会社に行かなくてはならないのである。となれば必然的にネクタイだのシャツだの買わなくてはならないわけだ。よくよく考えれば日本で買えば良いのだが、私はなんとなくこちらでもシャツを買いたくなっていた。こちらのほうが色のが鮮やかなのがたくさんあるからだ。(と思っていた。日本に帰ってみたら、日本でも結構鮮やかなのがあったのであるが)

それにコンピュータ屋もちょっと回ってみたい。ありとあらゆる種類のコンピュータから、何故か清涼飲料水まで売っているFry's Electronicsもこの近くだし。というわけで午前中はお買い物にあてることとした。

ご機嫌のうちにチェックアウトして、フリーの朝飯を食べる。例によって周りにいるのは上品な格好をした連中ばかりだ。チェックアウトの時にカウンターにあるマッチを見たら"Affordable Luxary"と書いてあった。なるほど。確かに手が届かないほどではないが、けっこうな贅沢というわけか。

まずStanfordに隣接しているStanford Shopping Centerへと向かう。以前姉と一番上の娘が遊びに来たときにここへ案内した。単に近くにあって店がたくさんあるからいいだろう、と思って行ったのだが、姉は「ここは高級店ばかりね」と言って大変ご機嫌だった。当時私にはその意味がわからなかったが、今回久しぶりに来てみてその意味が分かった。私が慣れ親しんだ安い物を売っているデパートとはなんとなく雰囲気が違うのである。

とはいってもまだ店は開いていない時間である。しょうがないからマクドナルドでまたもや朝食などつつきながら時間をつぶす。今この文章を書いているこのPowerBookを開けて、ごそごそやっていると前に座っている年輩の女性がやたらこちらを気にしていることに気が付いた。

先日新居の近くにある某コーヒー店に日曜日の朝に行ったら、一人できている年輩の方でいっぱいであった。みんなだいたい新聞か本を読んでいる。米国でも事情は似たような物で、日曜日の朝にファーストフードに行くと、新聞の日曜版(こちらの日曜日の新聞は異常に量が多い)を読みながらコーヒーを飲んでいる年輩の方に出くわす。彼らの姿をみながら、どのような人生を歩んできたのだろうとふと考えたりもする。

私のほうを気にしている女性もその一人なのだろう。そのうちつかつかと歩み寄ってくると「何やってるの?へー、これがコンピュータなの。何ができるの?」と感心して見だした。私が可能な限り派手な技でも見せてやろうかと思ったが、彼女は「いえいえ。あなたがやってるのをみてるだけでいいわ」と言っておしまいになった。彼女は以前にコンピュータおたくに捕まって延々と話を聞かされた悪い経験でもあるのだろうか。

さてそこをでて、適当に買い物をすませた。私の買い物はとても簡単だ。ぱっと見気に入ったものをてけてけとつかんで、Casherに持っていってはいおしまいである。

そこからFry's Electronicsに行った。以前私が来ていたときよりも数段グレードアップしている。中はまるでAmusement Parkのようだ。店内に何故かコーラなどを売っているのは昔からのことだが、最近小さなカフェテリアまでオープンしたようだ。ここはStanfordと同じくAppleのお膝元なのでMacintoshもちゃんとおいてある。それに日本で見たこともないようなけったいなキーボードなどにもお目にかかれた。(PC用だが)キーの部分が半球形にへこんでいて、そのへこんだ内側にキーがならんでいるのである。使いやすいかどうかは今ひとつわからない。ことコンピュータに関しては日本でも独自のけったいな製品というのはあるし、米国ででた製品でもすぐ輸入されるが、このキーボードは日本でみたことがない。日本のユーザーにはけったいすぎるのであろうか。

さて前述のカフェテリアで昼食をすませると、Stanfordに別れをつげ、空港に向かって走り出した。今日式が終わって帰るときっと遅くなる。へたな場所にモーテルをとると、帰り道で迷ってしまうかも知れない。こちらで夜にまよって、うろうろするのは(何度かしてしまったことがあるが)大変心細いし危険かも知れない。とつらつらと考えた私は、この日はまず空港の近くのモーテルにチェックインし、そこから式に行く。(空港はStanfordからSan Fransiscoに行くちょうど途中にある)でもって式から帰って(どんなに遅くなっても空港近くのモーテルであれば見失う可能性はなかろう)ぱたんと寝て、明日の朝は(これが結構早い)車をちゃちゃっと返してはいさようなら、という図式を描いていたのである。

 

さてそういう構想の元に私はひたすら空港目指して走った。今まで何度この道を通ったかわからないが、今日は今まで気が付かなかったほど景色が美しく見える。見とれていたらあやうく空港の入り口をすっ飛ばしてしまうところであった。

ぐいとまがって、いろいろすったもんだとしたがモーテルにチェックイン。ここで午後の1時である。ここからいろいろな選択肢を考えた。映画を見ようという当初の計画はよほどの幸運に恵まれない限り難しそうである。映画はなんといっても2時間はあるし、おまけにちょうど良い時間に始まってくれるわけでもない。今日はせっかくの日曜日である。日曜日ということはプロのFootballである、NFLのGame Dayだ。ところがTVでやっているのは今ひとつ気合いがはいらないチームの試合である。(NFLで私が愛しているのはSan Fransisco 49ersだ。が何故かこの日は試合を放映していなかった)これではしかたない。

うだうだと考えていると不思議なことに時間がやたらと経過していく。結局「今日は遅くなるに違いない」という思いこみの元にお昼をすることにした。私は異様に早寝早起きの人間であるが、お昼寝をすると結構長い間起きていることができるのである。

 

1時間後に私はめざめた。本来であればもうちょっと寝ていられるのだが、私は結婚式に寝過ごす、という危険を感じながら熟睡できるほど大物ではない。しかたがないから起きて、着替えをしだした。この旅行の間中抱えてはいたが、この時まで出番のなかったスーツを着用だ。そしてここまで(これまた)抱えてきた○○屋の紙袋ともここでお別れだ。中を丁寧に見てみると、どうやら壊れてはいないようだ。これでこそ長い間後生大事に抱えてきた甲斐があるってもんだ。

さてこうした準備をしながら、私は奇妙な憂鬱感にとらわれ始めた。帰国してから両親にこの話をしたところ「それはなんでもそうだ」と言われたが、こういう感じは誰にでも共通するものなのだろうか?私はこれからおこる結婚式の事を考えた。よくよく考えれば(よくよく考えなくてもわかるのだが)今回の結婚式で私の知り合いは、主役の二人、それに(彼女が来るかどうか今ひとつわからなかったのだが)同じくStanfordでのクラスメートである台湾娘ことAprilしかいないのである。ということは披露宴では周りはしらない人ばかりということではないか。初対面の人となんとか話をもたせる、というのはそれだけで神経をつかう仕事である。おまけに会話は英語が中国語だ。中国語はニーハオと、謝謝と再見しかしらない私は英語でしゃべるしかない。しかしこの旅行に来てからというもの、10ヶ月のボウフラ生活で英語の会話能力が落ちたことを思い知らされることしきりであった。つまり私はかなり会話に(仮に相手がのってくれたとしても)苦労することが予想されるわけだ。

おまけに過去のいくつかのあまり快適でなかったPartyの様子が脳裏に浮かびだした。Stanfordにきてから内輪のいい加減な集まり(Partyというとちょっと違う事を想像するだろう)には何度か出席した。しかしそれらが全て楽しいものばかりであったわけではないのである。楽しいときは楽しい。しかしはずれは悲惨である。会話ができず、続かず。集まりでは結局相手を見つけて楽しくしゃべるしかやることはないのだ。誰だって壁の花にはなりたくないのだが、そうなってしまったことも何度もある。そしてこういう状況になると思い出すのはそういう悲惨な集まりばかりだ。

あーあ。来るんじゃなかった。とはいっても思いっきりEdwardに「ははは。今日本にいるけど、もちろん行くよ。君の結婚式じゃないか」などとかっこいいメールを送ってしまった今となっては選択の余地はないのである。それどころかわざわざ飛行機にのってここまできて、何もせずに帰ればそれこそ阿呆の2乗ではないか。

などとうだうだ考えていてもなんともならない。まあとにかく日本の披露宴でも時によっては周りは知らない人ばかり。それでも今まで結構楽しく(その後必ず神経が披露してよれよれになったが)やってきたじゃないか。英語の能力低下は心配だが、まあなんとかならあな。相手もNative Speaker of Englishじゃないんだから。

などと無理矢理な理屈をつけると部屋を出た。目的地はかの有名なGolden Gate Bridgeの近くにある美術館のようなところらしい。何故そんなことを知っているかと言えば、EllenとEdwardのホームページに乗っている写真を見たからだ。彼らの招待状には「出欠の返事はホームページでよろしくね。URLはhttp://www.ellen-n-edward.com/だよーん」と書いてあった。なんというURLだろう。彼らの名前そのままである。さっそく訪れてみると、場所の写真やら、ふたりの写真やら、メッセージやらが載っている。さすがにシリコンバレーのコンピュータ企業に勤める二人の結婚となれば案内から変わっている。

車に荷物をつめこんだ。外はとても綺麗な晴れた空だ。

夕日をあびながら北上する。San Fransiscoに南から向かう道にはHighway101と280があるが、周りの景色は280の方が良い、という人が多いようだ。とはいっても280は山の中を通り、101は街の中を通っているから好きずきだとは思うが。この日は目的地への行き方が簡単だという理由で280を通った。しかしどちらの道を通っても遭遇するのが「車線の選び方」という問題である。

ここらへんのHighwayはだいたい片道3-4車線あるから車はたくさんいてもそれなりに流れてはいく。しかし出口が近付くに従ってどちらの車線を取ったら良いかが問題になる。米国では車は右側通行だから出口は右にあるに違いない、、と思っていると、いきなり「出口。左側」という看板がでて泡を食ったりする。

280からSan Fransiscoにはいるのは昔さんざんやったし、何度も「ここはこっちにいなくちゃいけないんだ」と心に刻んだはずなのだが、例によってすっかり忘れてしまっている。出口が近付くにつれて不安になってきたが、ここは招待状についている道順のInstructionを信じるしかない。

280を降りるとSan Fransiscoあたりの住宅街を通る。ここらへんは家がパステルカラーで塗ってあって、日本人の女の子には「まるで町がディズニーランドみたい!」と妙にうけがいいようだ。しかし近寄ってよくみてみるとそれらの家にぼろぼろの車が止まっていたりして、小心者の私は思わず身構えてしまったりもする。こちらの街は概して遠くから観る方が綺麗に見えるようだ。

Instructionを心の中で何度も復唱して、それでもたりずにハンドルを握りながら何度も見返して、慎重に運転をしてきたはずなのだが、やはり途中で曲がりかどを間違えてしまった。こうなるともっともたよりにならない自分の勘に従って走っていくしかない。

ぶつぶつと思いながらもなんとなく目的地についたような気がしてきた。山の上にある美術館の様な建物は確かにホームページに載っていた写真と似ている。うーむ。レストランで結婚式というのは聞いたことがあるが、美術館で結婚式というのはこちらで一般的なのだろうか、、と思いながら駐車場を探していると、タキシードをきたアジア人の男性数人に気が付いた。私はその瞬間「えっ」と思った。

 

結婚式というと日本であっても海外であっても私を悩ませるのが「服装」という問題である。私は礼服がなんとなく嫌いなので、日本で結婚式に出席するときは「礼服じゃなくちゃだめ?」と一応聞いてみる。すると大抵の人は「うーん。どうしてもってわけじゃないんだけど、できれば。。」と答える。披露宴というのは主役の二人のためのものだから、彼らの意図は最大限に尊重するべきだ、となると私はへこへこと礼服を着て式に臨むことになる。

今日は海外での結婚式だ。紋付き袴で出席すればそれなりにうけるかもしれないが、私はなで肩なので、和服は似合わないし、第一そんなものは持っていない。ということを考えればスーツで良さそうだが、こちらにはタキシードというやっかいな物もあるのである。米国の金持ちの生活をあつかったTVや映画ではかならずパーテーというとタキシードをきた男が山ほどでてくる。しかし私はそんなものは所有していない。

だから事前に彼にメールで問い合わせていたのである。彼の答えは「式はセミフォーマルだから、スーツ着てね。タキシードはいらない。ジーンズはだめよ」であった。私は「Hey,なんてこったい!おれはジーンズが大好きなのに」と返事を返した。そしてこのメールを読んで結構安心したのである。主役がスーツでいい、というのだから間違いはなかろう。

そう思ってここまで来たのに、そこらへんをうろちょろしている連中はタキシードを着ているではないか。とはいってもいまさらなんということもできない。私は意を決して例のプレゼントはトランクの中に入れたままで車をでた。

さてタキシードをきた連中はそこらにいるが、正直言ってどこで式があるのかさっぱりわからない。しょうがないから美術館の中でも行ってみるか、、、と中庭のようなところにはいれば新郎新婦が写真などをとっている。まだ式の時間までには1時間もあるから、あれは別のカップルかも知れない。ひょっとするとこの美術館は結婚式ビジネスをやっているのだろうか、、、などと考えながら彼らのほうをじろじろ観ていた。

男の方は眼鏡をかけていないので誰だかわからないが、新婦のほうはよく見れば、まごうかたなきEllenだ。となればあのタキシードを着てにやけた男はEdwardに違いない。

写真をとっているカメラマンの後ろから手を振れば彼がにっこりとほほえんだ。

彼は大変いそがしそうだ。両親と写真をとってみたり、二人で写真をとってみたりしている。彼がちょっと暇になった時に隣に言って話しかけた。ほんの少ししゃべっただけで彼はまた写真ぱちぱちに戻っていった。考えてみれば結婚式の当日に新郎新婦が忙しいのは洋の東西を問わず変わらないものなのかも知れない。

さてさてと思って美術館の中にはいってみた。中には新婦の友人らしいこれまたロングドレスなど着た女の子達が「寒い」とか言ってうろちょろしている。北半球では夏の終わりの季節、とは言いながらもここはSan Fransiscoなのだ。ここの夏に関しては有名な冗談がある。

「今まで経験した一番寒い冬は、San Fransiscoの夏だった」

基本的に西海岸だし、おまけにLos Angelsほど熱くないから快適な場所なのだが、夏は冗談ではなく寒い。私は留学で来たのは7月だったが、それからしばらく日本人留学生の間で「San Fransisco観光に行ったが、トレーナー一枚では寒いぞ」という話題が語られたものである。とはいっても年間の気温の差もほとんどないから1月2月であっても同じ様な格好でいられるのだが。

さて私は中をくるっとみただけで外に出た。場所はここでいいようだし、主賓の二人もちゃんといる。となればあとは式が始まる時間をまつだけだ。

ぶらぶらと歩き出した。なんとこれから1時間もここで時間をつぶさねばならんのである。車でもってどっかに行く、という手もあるが、うかつなところまで行って帰り道がわかんなくなって肝心の式に遅れた、などというのは願い下げだし、私は小心者なのでそうした可能性にとてもおびえてしまう。となればここにはりついているしかないわけだ。

あたりをぶらぶらとしてみると、とてもとても静かなところだということがわかった。美術館の前には駐車場兼展望台のようなところがある。そこからSan Fransiscoの美しい景色が見える。ほとんどの人は美術館にちょっと来て、それからこの展望台できゃーきゃーいいながら写真など撮っているようだ。横の方に回るとなんとゴルフコースに隣接している。一組プレーしていて、カートがそこらへんを走っている。

私は日本でゴルフをしたことがない。米国に出張と留学に行っていた頃、上司にひっぱられて3回ほどやっただけだ。プレーしている度にいつも異常なフラストレーションを感じる。私は基本的に何か道具を使ってボールをひっぱたく競技は上手ではない。(もっと正確に言えば大抵の運動は得意ではない)このゲームの目的は最終的にはこの小さなボールを数百メートル離れたあの小さな穴に放り込むことだ。だとすれば人間には手という偉大な道具があり、足というこれまた偉大な運搬手段がある。このボールを鷲掴みにして、風のようにグリーンを駆け抜け、あの穴に思い切りたたきつけては何故いけないのか?なぜわざわざなかなかまっすぐに飛ばすことのできないこの細長い棒で玉をひっぱたかねばならんのか?

しかし米国でゴルフをやるのはそんなに嫌いではない。玉のことは忘れて天気のいい日の野山のピクニックと思えばそれなりに面白いからだ。天気はいいし、大抵のところにボールを飛ばしてもなんとかリカバリーできるし、歩いてみたり、カートにのってみたりして愉快じゃないか。値段だって2000円もしないのだから、数時間野山を散歩するのであればそんなにコスト・パフォーマンスは悪くない、ってわけだ。

ところが話を聞くと日本のゴルフ事情はちょっと異なるようである。なんでも下手なところにボールを飛ばすとOBなるものになってしまう、料金が信じられないほど高い。。ゴルフの会員権なるものがあるが、それが異常に高く、それを持っていないとのんびりとした時間帯にプレーができない等々。

おまけに服装に対する要求が厳しいらしい。何でもジャケットの類を着ていないといけないとか。そのためだろうか、世の中にはゴルフウェアなる洋服があるが、私はどうもあれが気に入らない。服を気に入る、気に入らないなどと言えるほど詳しくもないし、こだわってもいないのだが、嫌いなものは嫌いだ。別にはだかでなければTシャツ短パンで歩いていればいいじゃないか?ところが日本でゴルフをしようと思えばそんなことは言えないらしい。

というようなことをへれへれと考えながらそのゴルフをする人達を観ていた。このゴルフ場はいわば街の中にある。そこらへんから出入りするのも自由だし、プレーしている人達は勝手な服装で楽しそうだ。もしゴルフという物をするとすれば、せめてこういうところでプレーをしたい物だ。

次には美術館から少し離れて歩いてみた。するとどこか懐かしい感じのする石碑が建っていることに気が付いた。近付いてみれば書いてあるのはなんと漢字。しかも日本語である。咸臨丸到着の碑とかなんとかそんなことが書いてある。

Californiaに入ってから「ああ。アジアに帰ってきた」と喜んでいた私だが、さすがにこれにはぶったまげた。在サンフランシスコの日本人会が立てたのだろうか。しかしずいぶんと昔にここに咸臨丸が到着したことは間違いなかろう。

その石碑と周りに生えている松を見ていると一種不思議な気持ちになる。咸臨丸からここに上陸した彼らは何をどのような気持ちで見たのだろう。それは私の想像を超えたところにある。おそらく楽しい驚きより不快な驚きのほうが多かったのだろう。それについての愚痴などを声高にお互いにしゃべりあっているような場面もあったのかもしれない。

しかしそこから彼らが学んだことはきっと多かったのだろう。これはあまり直視したくない事実であるが、不愉快な驚きから学ぶことのほうが(学べるとしての話だが)愉快な驚きから学ぶことよりもはるかに多いような気がする。彼らの不愉快は驚きは結果からみれば決して無駄ではなかった。私がこんなところでへらへらしていられるのは、つれつれとたどっていけば彼らの不愉快な驚きにいくつかを負っている気がする。

 などと考えながらぷらぷらと美術館の周りを一回りした。しかしまだ時間は異常に余っているのである。

どうしたもんか、、、と思いながら美術館の前に出たときに、前よりもたくさんの人がうろちょろしていることに気が付いた。そして近くに椅子が並べられていることにも気が付いた。どうもここで式が行われるらしい。こうなると小心者の私はそのまわりをうろちょろすることになる。離れるとなんとなく不安だし、近くにいたからといって安心するわけではないのだが。

そのうち人がだんだん集まってきた。多くはアジア人-多分中国系の人達だろう-だが、白人も結構いる。前述したように大変寒いので、カップルで登場の場合は大抵の場合男の上着を女が着ている。男性のシャツ姿のほうが、肩を丸出しにした女性のドレス姿よりは見た目に暖かかかろう。しかし皮下脂肪の量を考えるとこれがフェアな状態なのか、女性に優しすぎる状態なのか疑問は残る。しかし普通の社会では男性は女性に上着を貸すことになっているのである。

 

長かった時間つぶしもようやく終わりに近付いたようだ。人々は着席を始めている。私も行ってすわることにしようか。

 

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注釈