夏の終わり

日付:1998/12/23

五郎の入り口に戻る

合コン篇+引っ越し準備:1章 2章 3章 4章 5章 6章 

米国旅行篇:7章 8章 9章 10章 11章 12章 13章 14章 15章 16章 17章

引っ越し篇:18章 19章


15章

フライト中の様子については、いちいち細かく書かないし、第一覚えてもいない。適当にしゃべったり、寝たりしていたことだけは確かだ。しかしそのなかでもいくつか特徴的な話題についてだけは書いておきたいと思う。

ある女性が、私に友達を紹介してくれたことがある。その時その女性が友達に私の事を説明するのに使ったセリフというのが「合コンの話をさせると、いつまでもしゃべってる」であった。実際私は合コンを山ほどやった男で一時は自分で「おおつぼごろう、とひらがなでうって変換キーを押すと”合コン”と変換される」と言っていた。従って多少私が女性と話すときに(それが合コンの最中であろうと)合コンの話題が多いと言って誰が責めることができよう。いやできない。

しかしこれは多少の自己弁護も含んで書くことだが、相手との共通の話題、と言うことを考えればこれは結構格好のものなのである。大抵合コンにでてくる女性は今までに一度や二度は合コンに出席したことがある。仮に合コン初体験という人であれば、そのことを話題にしゃべればよろしい。従って長い旅の間、話題に詰まった私は合コンの話を持ち出すのはとても自然な成り行きであったのである。

さて彼女はいろいろと細かく合コンの様子について物語ったりはしなかった。彼女はこう言ったのである。

「友達ともいろいろ話して同意したことなんだけど、(男の子の側で)最後に勝つのは、あまりしゃべらずにおとなしくしていた人ね」

補足して彼女が言うには「ぺらぺらしゃべっている男は、まあ盛り上げ役としてはいいのだけど、底がすぐ見えてしまって、それまで。仮におとなしい男がいたとすると、女の子の方としては、あの人と話してみたい。どんなこと考えているのかしら、と興味を持って見ている。だから長い目でみればそういった男の方が受けがよい」ということである。

私は瞬間黙り込んだ。まず第一にこのフライトの間中、べらべらとわけのわからないことをしゃべりまくっていたのは私だ。次に大抵の合コンにおいて、(幹事として多少もりあげなくてはいけない、という使命感がある、というのは言い訳だが)大抵の場合私はへらへらとしゃべっている。その結果数十回も合コンをやりながら、この年まで一人でふらふらしているのも確かに私ではないか。

頭のなかでくわーんくわーん、と響く音を聞きながら、私の記憶は高校時代に戻っていった。

きっかけは定かではない。しかし高校時代、クラスルームの時間か何かに、誰かが妙な企画を思いついた。各自自分の名前を白紙に書く。そして男性の紙は女性に、女性の紙は男性に回す。そこに匿名でメッセージを書いてもらって、最後に自分のところに戻ってくると、そういう企画である。

高校一年生といえば、15-16歳。異性の事がちょっとなぞめいて見えて(これは今でもそうだが)相手がどのように自分の事を見ているかとても気になる時期でもある(これも別に当時に限った話ではないが)誰が考えたか知らないが大変おもしろい企画だった。

さて一番肝心な自分の紙に何がかいてあったかであるが、これがさっぱり覚えていないのである。覚えていない、ということはあまりろくなことが書いてなかった、というところであろう。これはあまりにひどいことが書いてあったので、とてもここに書くわけにはいかない、ととぼけているのではない。

覚えているのは当時私の隣の席に座っていたS元という男の紙に書いてあった文句である。彼は運動がなかなかよくできた。クラス対抗では必ずスタープレーヤーとはいかないが、燻し銀のような渋い活躍をしていたものである。学業の成績は普通。自分からクラスの代表などになるタイプではないが、落ち着いたいいやつだった。外見は背が高いとか、特別ハンサム、とかいった風ではないが、なかなか2枚目で、とても敏捷そうな体つきをしていた。

その彼に女性から匿名でもどってきたメッセージというのは、いくつかあったが概略以下のようなものだった。

「S元くんともっと話してみたい、と思っている女の子っていっぱいいますよ」

当時私は学力優秀、運動もそこそこ、時々はクラスでも目立つ、絵に描いたような漫画の脇役くらいにはなれる優等生だった。(そこからの20年での凋落は如何に激しい物か)しかし帰ってきたメッセージは全く記憶に残らないようなしろもの。表面的には私よりもでしゃばらない無口な彼の所に帰ってきたのは前述のメッセージである。

20年の時を経て、私は同じ現実に直面することになった。私のようにぺらぺらしゃべっている男はいわば花火のようなものだ。どーんと上がる。パチパチ音がする。みんなわーすごい、とかいうが、1時間もすれば背を向けて帰って言ってしまう。観客同士の話のネタにはなるだろう。しかし後に残るのは河原にちらばったもえがらである。女の子の手を握って帰るのは表面的に騒ぎ回っている花火ではなく、余分なことを言わない寡黙な男だ。

なんだか自分でも妙な方向に妄想が走ってしまっている事には気が付いたが、とりあえず私は目前の問題に対処せねばならないことに気が付いた。いままで私はぺらぺらしゃべってきた。しかし果たしてそれは正しい対処方法だったのだろうか。しかし今からいきなり寡黙な五郎ちゃんに切り替えるなんてことは、第一に不可能だし、第二に可能であったとしても多分相手に(あら、悪いこといっちゃったかしら)という余計な心配を与えることになるかも知れない。

人間無理なことは所詮できないのである。仮に寡黙な五郎ちゃんを演じようとしたところで(彼女の心配を無視したとして)それは2時間もたないだろうし、その後には深刻なダメージを残すだろう。ここは一発「いやー、それだから俺には彼女ができないんだ」と笑いとばして、今までと同じ調子でしゃべるしかないか。

さてここでいきなり後日談である。この文章が「携帯」の目に触れたとき、彼女は「あの記述は足りない」とクレームをつけた。彼女によれば「静かでしゃべらないだけではだめで、寡黙でしかもクールな雰囲気をただよわせ、かつ時折優しさを見せる」という事が必要なのだそうである。何だそれは?というと、彼女は「ただほんわかとした雰囲気で黙っていてもだめよ。存在感がないと」と言った。考えてみればS元は確かに寡黙ではあったが、存在感のある男だった。なるほど。存在感があるから女性の興味を引くが、あまりぺらぺらしゃべらないからどんな男かわからない。そうしたMysteriousな雰囲気が必要、というわけか。

なんのかんのと話しているうちに大体お休みタイムとなった。考えてみればいつもは家でじっとしているのが好きな私が米国にいる間は毎日とにかく何かしていた。結構つかれていたのかもしれない。時々起きたりはしたが、くーくー寝ていた気がする。幸か不幸か上映された映画は全く面白くなかった。1本目は寝ていたようだし、2本目はなんだか50年代だか、60年代だかの米国映画で全くこれも見る気がしなかった。あと数時間彼女と話したり、ぼーっとしたりすれば懐かしい名古屋に到着である。さて楽しい旅行は終わりだ。帰ったら22日の火曜日。来週は引っ越ししなくちゃ。帰ったらいろいろな手続きで忙しいぞ。最初この旅行の予約をするときに、米国を月曜日発にするか、ゆっくりと翌日休んで火曜日発にするか大分悩んだものである。ゆっくりしたい気持ちもあったが、迫る引っ越しの事を考えるとそうもできない。結局一日早めたのである。それほどまでに引っ越しというのは結構な努力を必要とするものであるし、おまけに一応これでしばらく名古屋を離れるわけだから、いろいろと会いたい人もいる。私の予定表は水曜日以外は全部うまっていた。荷造りは水曜日に集中してやるしかなかろう。

さてスクリーンに映し出される飛行機の位置は日本領空に入ってきた。朝飯も終わって、おしぼりもだされて、そろそろ着陸態勢である。隣の席のスチュワーデスさん達は、そのたびに食事を載せたトレイを運んだり、食事の済んだトレイを下げたり、おしぼりをくばったり大忙しだ。空中飯盛人、とはよく言ったもんだ。ここで彼女たちの仕事ぶりを見ていると、ますますその感を強くする。

さて飛行機は日本海の方から名古屋に近付いていく。眼下には日本アルプスだか知らないが、そうした山が見え始めた。その時から私はこの飛行機が異様に揺れているのに気が付き始めた。今から思えば、米国で受け取った日本からのメールに確かに「日本は台風で大変です」とかなんとか書いてあった。数日前に名古屋にも台風が来ていたはずである。今は日本では台風シーズンと呼ばれる季節だったのだ。米国旅行中傘を持つことなど考えもしなかった私は完全にぼけていた。

 

そして後で解ったことだが、我々の飛行機は、名古屋上空で台風ともろに衝突するコースをひた走っていたのである。

 

うちの姉は飛行機に乗っていて、揺れると怖いと言う。うちの母も怖いと言う。私はいまだかって怖いと思ったことがない。私がStanfordにいたときに、姉が一番上の姪を連れて遊びに来た。一番上の姪は大変なこわがりだ。飛行機が揺れたら泣き叫ぶのではないか、と姉はずいぶん心配したらしい。

しかしとうの姪は飛行機が揺れても「ちょっと危なかったね」とすましていたのだそうである。(このころ姪はちょっとでも加速度を検知すると、「危ないよ」と言っていたのである。車の急発進、急停止から覚えたのだろうか)

さて肝心な私が乗った飛行機はジェットコースターのような状況になってきた。「ちょっと危なかったね」どころの話ではない。下には確かに日本の山々が見える。名古屋はほんの少し先に存在しているはずだ。しかしその道のりはとても平坦とは言えない。私は(別に強がっていうわけではないが)このときも怖いとは思わなかった。ただしだんだん気持ちが悪くなってきたのである。このとき初めて何故前の座席のポケットに、安全のしおりや、通信販売のカタログと一緒に必ず「エチケット袋」(本当にこの名前で呼ばれていたかどうかさだかではないが)が装備されているか理解できたような気がした。そしてその使用方法について私は思いを巡らし始めたのである。

そのうちエンジンの音が高くなったり、低くなったりしていることに気が付いた。上下動を押さえるためにエンジンの出力を増減させ、意図的に平坦な状況を作りだそうとしているのだ。ということはそれだけ気流による上下が激しいと言うことである。機内はジェットコースターでもない、船でもない。不規則な上下動を繰り返す大変快適ではない空間と化してきた。そして私はこみ上げる吐き気と必死に戦っていたのである。いざとなれば確かに前にエチケット袋がある。しかしできればこれを使う事態は避けたい。幸か不幸か隣にはトイレがあるが、今はシートベルト着用のサインがでているから、ここに駆け込もうとすればおそらくスチュワーデスに「座って袋を使ってろ」と文句を言われるだろう。となれば猫柳や花丸木にすがるなり、祈るなり、見栄をはるなりして耐えるしかない。

そのうち足を床につけずに、浮かせたほうがなんだか楽なことに気が付き始めた。これでエチケット袋は5cmくらい遠のいたようである。しかし状況は楽観を許さない。だいたいいつになったら着くんだ?前に映し出されている飛行機の現在位置は確かに名古屋に近付きつつあることを示している。しかしその歩みはじれったいほどのろい。何もないときだったら、日本上空にくればあっというまに着地なのだが、何故か今日に限っては、地面と平行に移動しているのでは無くて、垂直に移動しているのではないかと思えるほどだ。

その現在位置はそのうちでなくなった。代わりに高度と速度がでている。私は高度が(非常に揺れながらも)だんだんと減っていくのを見ていた。台風と衝突しようが、何がどうなろうとあの数字が0になれば、この揺れともおさらばできるのである。早く数字が減ってほしい。。

などと自分の事ばかりを考えていたが、ふと隣の彼女-彼女は携帯電話の会社に勤めているので、これからは「携帯」と表記する-が心配になった。

揺れが始まった最初の頃は「怖い」とか「揺れる」とか彼女は言っていた。それに対して私は(所詮私は小心ものなので、こういう大変な場面にでくわすとろくなことは言えないのであるが)

「いつかの日航機の事故の時も生存者は確か後部座席の人だったじゃない。ってことは最後部の我々は多分助かるって訳だ。もし私が死んで、あなたが助かったら”あんなに元気に話していたのに。よよよよよ”と報道陣の前で泣いてみてね。」

などたわけた事を言っていた。ところが今の揺れの状況はそんな会話を許すような代物ではない。彼女は完全に固形化して、座席の肘掛けをにぎりしめて耐えている様子だ。そして心なしかこちらに助けを求めているような表情をしているように見える。

ここで根が小心者の私は考え始めた。この状況に置いて彼女の手を握ったら、果たしてそれは彼女を助けていることになるのだろうか。あるいは「火事場の痴漢行為」とみなされないだろうか。だいたい今何かできると言って、馬鹿な冗談を言うか手を握るくらいしかないのである。しかしそれが彼女の三半規管をシェイクしているこの上下の加速度に対してなんの効果ももたらさないことは明らかだ。とはいっても私が外の気流をそよそよ流すように何かができるわけではない。

などとうだうだ考えていたところまでは覚えている。次の行動のきっかけはどちらからだったか覚えていない。私が彼女の手を握ったか、あるいは彼女が「つかまらせてもらっていいですか」と言ったか。。しかし結果は同じ事だ。

彼女は私の左側に座っていた。隣り合っているのは彼女の右手と私の左手だ。そして私はその左手で彼女の右手を上から包み込むような形で握った。そして彼女の頭は私の左肩のところにきた。

私はこみ上げるエチケット袋への郷愁感と戦いながら、内心「ラッキー」と思った。こういう類のおびえた女性に手を物理的に貸したのは産まれて2回目である。一度目は今をさること約6年前、Jurassic parkを女の子と見に行った時のことだ。最後の恐竜に追われるシーンは、私も「わおー」とさけびたくなるような迫力の連続だった。怖ろしいシーンが映し出される度に彼女が顔を背ける。顔を背けるということは彼女の顔がこちらの肩に近付く、ということでもある。このとき私は大変間抜けな手の出し方をした。(ここで言っている「手を出す」とは物理的に手を差し出す意味である)

彼女は私の左側に座っていた。私の左肩に近付く彼女の頭に対して、右手を出したのである。一見おちついたように見える態勢だが、実際やってみるとわかるのだが、これは大変間抜けな格好である。途中でそのことに気が付いて、左手を彼女の肩から頭に回す態勢に切り替えたのであったが。この時はスピルバーグと恐竜をCGで復元した技術者達に感謝の祈りをささげたものだ。さて今日も同じく間抜けな格好だが、今日はこのほかに選択肢はなさそうだ。そのままの態勢でじっとしていた。

 

後日のことであるが、帰宅した私は両親に向かって「こんなことがあったんだよー」と自慢げに話をした。どうです。お宅のいつまで立っても嫁をもらわず、仕事もきまらない男も世のため人のために役立っているでしょ、おまけに隣に座った女の子にたよられるってのは、なかなか捨てたもんじゃないでしょってな感じである。ところが父と母の反応はあくまでも冷静であった。

父は「それは子供の頃○子(私の姉である)がおまえの裾をつかんで泣いていたようなもんだ」と言い、母は「あたしも前に九州行ったとき飛行機が揺れて怖くて、隣のおじさんに捕まらせてもらいたかったわ」と言った。

母の話は「別にあんたがいい人だから隣の人がすがろうとしたんじゃなくて、そういう場合だったら誰も良いのよ」と言っているわけだ。父の言葉についてはちょっと説明を追加しておく。

昔私たち兄弟が幼かった頃、私と姉が迷子になったことがあったのだそうである。発見されたとき、姉は私の着物の裾をつかんでびーびー泣いていた。私はと言えば「何がおこったのかなー」とぼさっとしていて平然としていた。

ここで私の度胸が据わっていた、なんていうのは誤りである。単に回りの状況が理解できずにぼやーっとしていただけだ(ちなみに母はこのときの私のまねが大変お気に入りだ。”何がおこったのかなー”と言って惚けた顔をするだけなのだが)そういう何も解っていない役に立たない弟であっても親とはぐれて、心細くなった姉はすがるものだ、と父はいいたいらしい。つまり父と母が言っていることは等価だ。結論:私の場所に座っていたものが普段であれば彼女が生理的にうけつけない中年のおじさん(私はこのカテゴリーにはいっているのかもしれないが)であったとしても、熊のぬいぐるみであったとしても彼女は同じように(あるいはもっと密接にかもしれない)すがっていたことだろう。

 

さて、飛行機の中に戻ろう。しばらくするとこれは彼女を助けている(かもしれない)だけではなく、自分の役にも立っていることを発見した。先ほどよりエチケット袋が魅力的に見えなくなってきたのである。男性はどんな場合でも女性にいいところを見せようとする、というのは私の数ある信条のうちの一つだが、このときは確かに自分の見栄が、よれよれになりつつある三半規管を助けていたと思う。実際この態勢ではどうやっても自分がエチケット袋と仲良くなることは不可能なのだ。

さて少し三半規管が落ちついた私は再び前方のスクリーンを注視しだした。高度は少しずつ少しずつ下がっていく。しかしエンジンの出力が上がるとまた多少値が戻る。後少し、後少しだ。

行動はとうとう500mを切った。私は内心高度の絶対値と微分係数を観測し、あとどれくらいでこの責め苦から逃れられるか計算していた。なんとかこの苦しくも嬉しい時間もあと数分でおしまいになるはずだ。

その直後私は異様な事に気が付いた。それまで音が高くなったり低くなったりしていたエンジンの音が、ずっと大きいままなのである。着陸前であるから頭上げの姿勢は変わらない。しかし高度の値はずっと上り調子だ。とうとう高度は1000mを超えてしまった。

何が起こったんだ?と思うまもなく私の斜め後方にあるスチュワーデスのたまり場から英語の会話がながれてきた。とにかく成田に行くと。それからまもなく機内にアナウンスが流れた。台風の接近により、名古屋空港は閉鎖された。今から成田空港に向かう。後は後ほど。 なんてこった。

このとき機内にどんな反応が流れたか覚えていない。しかしとにもかくにも機体の動揺は収まってきた。携帯もしばらくして顔を上げた。ようやく彼女も恐怖から逃れられたようだ。

 

さて、飛行機が落ち着くと私の隣にあるトイレは大繁盛である。これで着陸は少なくとも数十分延びたわけだから、今のうちにトイレに、という人も多いだろうが、中でけろけろ鳴いていた人も多かろう。私はそんなことはしらない顔をしていたが。それとともに、白人の方々がスチュワーデスを呼びつけていろいろ文句を言いだした。日本人は大抵の場合おとなしいから、「成田に行く」と言われれば、しかたないな、と思いつつも黙って従う。しかし自己主張のしっかりできる欧米の方はそうはいかないのだろう。スチュワーデスはあちこちかけずりまわってにこやかに応対している。

正直言ってこのとき私がいつも「空中飯盛人」等と言っているスチュワーデスの力量の一端を見た気がした。彼女たちも同じくらい三半規管をゆさぶられていたのである。スチュワーデスになるために三半規管の特種訓練ができるわけでもなかろう。彼女たちは多分我々と同じくらい気持ち悪いと思っているのだろうが、上辺はにこやかにしつこい乗客に対して応答を繰り返している。思うに乗客の方は「その後どうなる?」と聞きたいのだろうが、スチュワーデスにとっても「そんなことはこっちが聞きたい」と思うような状況だったのではないか。(少なくとも彼女たちがたまりばで共有していた情報はそれだけだ)しかし彼女たちはそんな苛立ちをおくびにも見せない。なるほど、厳しい試験と訓練をくぐりぬけるだけのことはあるわけだ。

 

さて漸く元気になった携帯と色んな事を話した。今後どうなるのだろう?今日中に帰れるのだろうか?彼女は一日休暇を延長する必要があるかもしれないが、そこはまあなんとかなるという。私の方はプータローだから今日中に帰れなくてもまあ問題はない。ちょっと段ボールに荷物をつめるのを急いでやればいいだけだ。幸いにして水曜日だけは予定がはいっていないし。。。

彼女と私の話題は、機内の人々にも向けられた。あの白人連中うるさそうね、とかトイレが混雑しているね、とかである。そして二人とも、我々の斜め前方に座っている白人男性に気が付いていたことがわかった。この男は年の頃はおよそ20-30なのだが、我々がひっついたり、ケロケロ鳴こうかと思っている最中、ずっと(少なくとも私が見ている間は)平然と本を読んでいた。奴の三半規管は鉄でできているか、あるいは麻痺しているに違いない。我々は勝手に「彼は米軍のパイロットであり、こんなものは彼にとっては何ら試練ではないのだ」と決めつけて喜んでいた。そして何よりも大事なことはこういう馬鹿げた話ができるくらいに彼女が元気になったと言うことなのだ。これで一安心。

外を見れば関東エリアに近づくにつれ、雲の切れまが広がり、見事な景色が広がっている。あれが房総半島だろうか、などと話しているうちに、今度はあっけないくらい簡単に成田に着陸した。これでとりあえず今日のところは「乗っていた乗客の方のお名前をお知らせします。春日井市、おおつぼごろうさん。。。」などとTVで名前を読み上げられる危険性はなくなったわけだ。

さて飛行機は着陸はしたものの、なかなか動き出さない。ドアが開いて降りられるわけでもない。ここであちこちで携帯をかけようとしている音が聞こえてきた。私はそういう文明の利器を持っているわけではないが、確かに待ち合わせやお出迎えがある人は一刻も早く連絡をとりたかろう。しかししばらくして機内にアナウンスが流れた。曰く「携帯はまだ御使用になれません」というやつだ。

さてこちらの二人は完全に開き直っている。携帯は(こちらは人名のほう)今日はもう飛行機にのるのはいやだ、という。そのうち機内にアナウンスが流れた。名古屋空港は閉鎖されており、今日は戻れません。今日はみなさま成田のホテルに泊まっていただき、明日名古屋空港に向かいます。なるほど。この旅行はもう一日のびたわけだ。

まもなく飛行機は動きだし今度はちゃんとドアが開いた。しかし問題はここからだ。とりあえず我々はここで入国審査、税関通過をやることになる。しかし明日何がおこるか、あるいは今日これからどうすれば良いかは今ひとつ解っていない。とりあえず係員がいますとは言われたが。。。まあとりあえず足下は今はちゃんと地面についている。先ほどあれほどいとおしく見えたエチケット袋は今は全く魅力的には見えないただの紙の袋だ。私は彼女と一緒に飛行機を後にした。

 

次の章


注釈

空中飯盛人:(トピック一覧)この言葉を何故使っているかは、トピック一覧経由、「HappyDays11章」を参照のこと。本文に戻る

 

男性はどんな場合でも女性にいいところを見せようとする:(トピック一覧)私は基本的に大変見栄っ張りなのでこの信条にとても忠実である。本文に戻る