夏の終わり

日付:1998/12/23

五郎の入り口に戻る

合コン篇+引っ越し準備:1章 2章 3章 4章 5章 6章 

米国旅行篇:7章 8章 9章 10章 11章 12章 13章 14章 15章 16章 17章

引っ越し篇:18章 19章


16章

さてそれから我々はいつもの手続きの道をたらたらと通った。入国審査。Home countryに帰ってきたわけだから審査はとても簡単だ。パスポートを渡して、はんこをぺたぺたと押してはいおしまいである。バッゲージクレームで荷物を受け取ると税関審査。私は毎度全くやましいところがないが、今度も全く問題はない。調べるもんなら調べて見ろという感じである。向こうもおそらくそんなことはわかっているのだろう。なんなく通過できた。さて問題はここからだ。

とりあえず自動ドアをくぐって外には出た。「係員に聞いてください」の係員とは一体どこにいるんだ?回りにはおそらく同じ運命に見回れたであろう人達がこれもあちこちを見回している。

こういう時に二人連れというのは大変便利だ。私は携帯に「ちょっと荷物を見て置いてね」と言ってあちこち歩き回ることにした。もし外にデルタのカウンタがあるとすればそこで聞けば解りそうなものではないか。もしこれが一人の旅行であったから(本来はそうなのだが)重い荷物を抱えてあちこちうろちょろせねばならない。身軽な私はあちこちふらふらしてみたがあるのはレンタカーのカウンターばかりで(今から考えてみれば到着のエリアなのだからあたりまえだ)デルタのデの字も存在していない。

元の場所に戻ってみれば彼女が「今係員の人が来て、X番の停留所からバスに乗ってくださいって」といった。なるほど結果においてじっと待っていた彼女のほうが正解だったわけだ。そう聞いている間にも他の人達は動き始めている。

そこからバス停までの道のりは実に遠かった。実のところX番のバス停と言われてあの人の中にその場所がどこであるか解っている人は一人もいなかったに違いない。こういう場合の人の行動パターンというのは実に見ていて興味深い。集団の中にデマが如何に広まっていくかを如実に表しているからである。誰かが「あっちかな」とつぶやくとする。するとその言葉が3人くらいを経て「あっちだって」ということになり、皆がなんとなく確信に満ちた顔で歩き出す。すると最初に「あっちかな」とつぶやいた本人は「そうか。みんながあっちに向かっているから、やっぱりあっちなんだ」とその方向に歩き出す。しかしこの集団の中には誰一人確信がある人も、合理的な論拠を持っている人がいるわけではない。

そんなドタバタを繰り返し、遠い遠い道をスーツケースを抱えながら(私は肩にかけられる鞄に全てを納めていたが、携帯はスーツケースを二つも持っていたのである。詳細は書かないが土産物が異常に多かったようだ)も我々は指定されたバス停に到着した。ここでバスを待って皆一休みである。

携帯はここで携帯で(こちらは電話の方だ)家に連絡を取ろうとしたが、不通だという。考えてみれば名古屋空港、そしておそらくは関西国際空港も閉鎖になり、今日は異常に大人数がこの成田に臨時になだれ込んできているのだろう。回線がパンクするのもあたりまえだ。とりあえずバスが来るまでやることがない私は回りの人間達を観察しはじめた。

後ろにすごい荷物を持った人がいる。この場合荷物がすごい、というのはその体積ばかりではない。その女性は猫2匹を籠につめて移動しているのだ。あの猫達はジェットコースター状態の飛行機で疲れたのだろうか、あるいは単に猫の習性だろうか、中でのびている。猫達揺らされて大変だったかも知れないが、ご主人様も大変だ。ここまで猫達をひっぱってくるのも大変だっただろうが、これからバスに猫を詰め込み、さらには、ホテルに入り、翌朝また、、と延々とした道のりが待っている。

更に近くにすごい美人二人連れがいることにも気が付いた。彼女たちは顔立ちが整っているだけでなく、スタイルがふたりそろってモデルのようだ(もっとも本物のモデルをみたことがないのだが)背が高くて、ひょっとすると8頭身くらいあるかもしれない。不思議なことにちょっとさえない中年男がよりそっていて、見たところその二人と一緒のグループのようだ。何だ?あの3人は?

などと私があれこれ考えている間にバスが到着した。みんな荷物をたくさんもっているから、荷物を載せるのも大変だ。しきっているのはうら若い女性であるが、重いみんなのスーツケースをがんがんとバスの下の方に放り込んでいく。昔だったらただ感心しただけだが、腰痛が心配な五郎ちゃんとしてはこんな仕事をしていると、腰痛持ちになるのではないかと心配になる。そんな心配はともかくとして、2台目に来たバスに我々二人は首尾良く乗り込んだ。あとはホテルまで一直線である。

ホテルつくと、今度は荷物を下ろし、スーツケースを一つずつ持ち、、チェックインができたのは何時であっただろうか?首尾良く二人チェックインすれば、またもや隣の部屋だ(あたりまえのことだが同じ部屋ではない)そこから荷物を持って移動し始めたわけだが、これがまた一筋縄ではいかなかった。我々の部屋は3階か4階だったのだが、私が確信を持って「これに乗ろう」と言ったエレベータには地下のボタンしかなかった。このホテルは複雑な形になっており、どうも先ほどのフロントは1階ではなく、上のほうの階だったらしい。つまり私たちはエレベータを乗り間違えてしまったわけだ。おまけに彼女のほうは乗る前に「これ違うんじゃない?」と言ったのが私はそれをあっさり無視して乗り込んだあげくがこのざまだ。

頭をかきながらまたもや遙か歩いてこんどこそ正しいエレベータを発見し、、、と部屋に入ったのはそれから大分たってからだった。これでとにかく今日はもうこれ以上動く必要はない。ほっとしてしばらくぺたんとしていた。

しばらくしてから彼女と食事に行くことになった。とはいっても選択肢はこのホテルの中のレストランしかないのであるが。二人の協議の結果和食屋に行けば「ただいま満席でございます。席の準備ができたらお呼びします」ということでまた部屋に逆戻り。私はこの時間を利用して、コンピューターを電話線に接続し始めた。これであの1-800ナンバーとかコーリングカードとかに悩まされずにNiftyだろうが、インターネットだろうがアクセスができるのである。久しぶりのインターネットはとても快適だ。このホームページのアクセス数を見たり、いつも巡回している掲示板に行ったりと、しばらくの時間はあっと言う間に過ぎた。

そのうち電話があり、食事の準備ができたという。彼女の部屋をノックして、一緒に食事に行った。

思えばこれでもう何時間彼女と一緒にいることになるのだろう。食事はたしか限度額があり、その範囲内であれば無料だったと記憶する。お互い疲れていたからあまり活発にしゃべったわけではないが、この時話した話題を二つほど。

一つは先ほどの3人連れの事である。我々がチェックインするときも彼らはいた。中年男がチェックインの手続きをしていて、美人二人はすわったままだ。あの男はエージェントか何かなのだろうか。しかしそれにしてはあまりさえない格好をしている。私がそうした疑問をだらだらと述べていると彼女は一言ぼそっと「商売の人達なんじゃない」と言った。なるほど。確かにそうかもしれない。私は心から感服してその話はそこで終わりになった。

次の話題は彼女発である。今日は相当多数の人があちこちからこの成田に流れ込んでいるに違いない。その数はおそらく数百どころか下手すれば数千からもしれない。(実際我々が乗った飛行機だけでも数百の人が乗っていたはずだ)その全員が、ここでやすやすとホテルにチェックインできるということはどういうことだろう?逆に言うと台風がこなければ成田近辺はいつもホテルががらがらなのだろうか?

これも全くもっともな疑問で、私としては「どうなってるんだろうね」と相づちをうつしかすることはない。航空会社にしてみれば、今日の乗客分の宿泊代、明日のフライト代なんてのはまあ予定の範囲なのだろうが。このホテルにしてみれば、台風がなければ営業がなりたたない状態なのだろうか?私はそれから晴れた成田近辺のホテルの夜景を思い浮かべた。ホテルは山の中にいくつも点々とそびえている。しかし明かりはほとんどついていない。他の場所に台風が訪れたときだけこのエリアは活気ずく、そんな話があるのだろうか。

などと言っている間に夕食は終わった。彼女は夕食後私の部屋でメールを打つことになっていた。彼女は今回の旅行の打ち合わせも全てメールでやったという。世の中とても便利になった物だ。最近は私の姉でさえメールを打ってくる。特に米国との打ち合わせにこれほど便利なものはない。時差があっても、相手が忙しかろうと問題無しだ。

さて彼女は私の部屋にくると、てけてけと、メールを打ち始めた。その冒頭に彼女は次のように書いた。

「飛行機で知り合った方にパソコンをお借りして書いてます。」

私はこのメールが相手に着いたときの事を考えた。差出人はまず彼女が見たこともないメールアドレスだろうし、おまけに後ろには「大坪五郎」なる名前がついているはずだ。たいていの場合この受取人は何が起こったかと思うだろう。彼女が書き終えた後に私はこう付け加えた。

 

「P.S.このメールの発信者の大坪五郎とは通りすがりのプータローです。何者かについては後で携帯さんに詳しく聞いてください。」

さてメールを打ち終わると私は妙な気分がした。考えてみれば事情はどうであれ、今私は女性とホテルの部屋に二人きりでいるわけだ。後日この日の顛末を友達に話したところ「でもってその女の子はお前の部屋に行ったわけだな」と言われた。彼が意図した通りの意味かどうかは別として事実を重んじる主義の私は「確かにそうだ。」と答えるしかない。そうすると相手はにたっと笑う。そして「結婚式の2次会は派手にやろう」という。私は「彼女は私の部屋にメールを打ちに来ただけだよ」と言っては見たが、相手の顔から笑顔は消えない。

 夏目漱石のなんとかいう作品に、似たような場面が会った気がする。旅の途中のハプニングで主人公は女性と同じ部屋に「おとなしく、何もしないで」寝ることになる。そして翌日その男は女性から「あなたってよっぽど度胸の無い方ですね」と言われ、心の底を見透かされた気がするわけだ。

高校の時初めてこの場面を読んだときは全く意味がわからなかった。それからおよそ20年、いろいろな場面を経てきてみると、こうした場合の対処法というのた私が考えているよりもずっとバラエティに富んでいる気がする。時々この小説の女性のような反応に(いわゆる「大坪さんってとってもいい人」という奴だ)にでくわす。となれば、時と場合と相手によれば、こうした場合に何かしようとしたほうが正解、ということもあるのかもしれない。

しかし人間所詮自分のスタイルにあったことしかできない、というのは私の数ある信条のうちの一つだ。それに彼女だっていきなり隣に座った男に対して何も考えてなどいなかっただろう。明日何時にチェックアウトするかだけ約束してにっこり笑ってその日は分かれた。

そして長かった一日(この場合一日かどうかよくわからないのだが)は終わりを告げた。TVでは親愛なるClintonの大陪審ビデオの話をやっている。私が愛するNHKはどうもこの件に結構ご執心のようだ。

そんなTVをちょっと見た後とうとう私は眠りにつくことになった。揺れないベッドというのはすばらしい。明日こそは何もなく素直に家に帰れるはずだ。

 

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注釈

夏目漱石のなんとかいう作品:三四郎だっただろうか?参考文献として書評に載せるべきなのだろうが、それほど真面目に読んだことがない。本文に戻る