題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2002/12/10


東松山-岩窟ホテル、岩室観音堂、吉見百穴;埼玉県(2002/12/23)

ニコニコ園のある高坂から一駅行けば東松山という駅に着く。その昔大学時代の友人でここに住んでいる男がいた。彼が最寄り駅を言うたびに

「松山と言えば四国ではないか」

と思った物だが。

そんなことを考えながら東口に下り、何故か存在している巨大な鳥居をくぐりまっすぐまっすぐ進む。そのうち街並みは典型的な郊外のそれになってきた。大きな通りを車がたくさんとおり、両脇に車でしか行けないような店が並ぶ。こんな所に私が目的とするものが有るのだろうか。この道であっているのだろうかと不安になることしばらく。前方に山が見えてきた。あれに違いない、というか違ったら泣いちゃうぞ。

やがてそれらしき看板も見えている。どうやら正解だったようだ。

ここが今日の目的地その1の岩窟ホテルである。すぐとなりには 「専用駐車場 岩窟ホテル 岩窟売店」という看板がでているから、本当に岩窟ホテルと呼ばれているのだろう。ただしいろいろなサイトに書いてあることを信じれば、明治から昭和の時代、親子2代に渡ってノミ一丁で掘り続けた岩窟とのこと。その様子を見て近所の人が

「今日も岩窟ほってるよ」

と言ったところから岩窟「ほてる」と呼ばれるようになったとのことであり、実際に人が宿泊できたわけではないらしい。落盤事故があり今はごらんの通り閉鎖されている。手前にある遊具はなんだったのだろうと少し考えてみる。子供は遊具で遊び大人は岩窟を巡って喜ぶという趣向だったのだろうか。

道を挟んで反対側には「岩窟ホテル発掘の家 岩窟売店」という看板が出ているが見たところ普通の売店兼食堂である。今は閉じられ「立ち入り禁止」の札がかかる岩窟ホテル門の前に立ってみてもこれ以上何がわかるわけでもない。

そこから更に先に進む。すぐ隣にあるのが岩室観音堂である。

山の側面にいきなり出現する観音堂。奥に見える山肌が「奥に何があるのだろう」という興味をかき立てる。ここの写真を見たとき私は「なんだかわからんが面白そうだ」と思った。喜び勇んで階段を上ったり、通ってみたりする。そうして分かったことは

「この門の奥にはほとんど何もない」という事実だ。そして裏から観るとこの建物は結構間抜けに見える。

いや、もちろん正面からの写真だけ見て妙な想像を膨らませた私が悪いんですけどね。脇には洞窟があり石仏がごろごろ存在している。例によってこんなことが書いてある。

「この石仏を拝めば居ながらにして四国八十八カ所を巡拝したのと同じ功徳があるとされている」

へえへえ、さようでございますか、と思いながら更に奥に進む。まもなく温泉が見えてきた。なんだこれはと思えば吉見百穴というところには何故か温泉があり、その前には宴会場まである。なんだこれはと思っているうちにカラオケの声まで聞こえてくる。この様子では百穴といっても何が出てくるかわからんなと思っていたらそこはまじめな観光地であった。ゲートがあり入場料を取られるが150円というのも良心的である。

この通り山肌に穴がごろごろ開いている。カッパドキアの光景を少し思い出す。明治時代ここを発見した男は

「これはコロボックルの住居跡であった」

と主張したらしいが、その後の研究で古墳時代後期、死体を埋葬するのに使われた場所であるということになっているらしい。そのころはまだコロボックルなど存在したと思われていたのだねえ。通路を通りながら穴をちょろちょろ観る。先ほどの岩窟ホテルを彫った人間はここの風景に触発されたとどっかのサイトに書いてあった。たぶんここら辺の山は彫りやすいのだろう。古墳時代の人間に掘れるのだったら俺も一発と思ってもおかしくはない。

結構たくさんの穴があり、それらを眺めていると私は例によって妙な妄想にとらわれる。やれ誰の穴の近くにだけは葬られたくないと遺言したやつもいるだろうし、逆に

「うちのじいさまの近くに穴をほるんじゃない」

とくってかかった奴もいるのだろう。おまけにきっと落盤事故だってあったに違いない。こんなに他の穴に接近して掘ったけど大丈夫かな。しょうがないよ、もうずいぶんたくさん掘ったから場所残ってないもん、とか言いながら掘っている間にがらがらと穴が崩れ落ちる。かくして他人を埋葬しようと考えていた二人は自分が達が埋葬されるハメになったのであった。

ここは第2次大戦の後期に軍需工場を移設した場所でもある。戦争とも成れば過去の遺跡より今の事が大事。過去に生きた人間の墓穴より今生きている人が大事だ。かくしていくつかの墓穴をつぶしてまで巨大な穴が掘られており、全体の1/10が公開されている。今はもちろん何もない。ただ側面に時々へこんだ部分があり、これが何かになっていたのだろう、と想像するだけだ。少し沖縄の海軍壕を思い出す。 

かくして東松山探訪は終わりを告げる。今から考えれば岩窟売店に入って岩窟ホテルに関する話でも聞けばよかったと思うが、それができなかったのはその前に訪れたニコニコ園の精神的ダメージが残っていたためか。

前の章 | 次の章   | 一覧に戻る


注釈