題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2003/2/4


洞窟観音:群馬県(2003/1/26)

その昔所用で群馬に行くことになった。はて、名前を聞いたことがあるがそれはどこにあるのか。北というが東京の北にはすでにして埼玉が広がって居るではないか。地図を観ることしばらく。私は最北の地と思っていた埼玉のそのまた北に群馬が存在するという事実を知り愕然とする。ああ、埼玉の北にまだ県があったのか。(根が田舎物だから関東地方の地理には疎いのである)

それから20年あまりたったこの日私は電車に揺られながらひたすら北に向かう。電車にゆられながらぼんやりするのは好きなのだがさすがに飽きてきた、と思ったころ終点の高崎についた。さて、ここからどうしたものだろう。よくわからないから観光案内所で聞いたらバスの時刻表までくれた。言われた通りにバスに乗り込む。「ぐるりん」と名付けられたそのバスはその名の通りやたらぐるぐると廻る。バスのアナウンスが「洞窟観音」と言った瞬間私はバスを降りた。

バス停の近くには合気道の道場らしき得たいのしれない建物がある。そこから坂をごりごり上る。道には雪が残っておりすべらないように気を遣う。そのうち「群馬合気道本部」とかいう年期のはいった看板が見えてきた。しかし今日の目的は合気道ではない。まだえっちらおっちら坂を上る。

そのうち駐車場が見えてきた。山肌に階段があり、私は何の根拠もなく洞窟観音はその先にあるのだと思いこむ。ひいひいいいながら階段を上ることしばらく。「洞窟観音」と書いた矢印が私が今きたばかりの方向を指して居るではないか。ああ、何をやっているのか。私は階段を下りる。

よく観てみたらちゃんと入り口が有るではないか。

入場料は800円を払って中に入る。するとコンクリートで固められた通路が続いている。天井には電線が走りどことなく沖縄でみた海軍壕を思い出す。

左右にあるくぼみに観音が飾られている。

ここを作ったのはは手広く商売をやって成功した山田徳蔵 という人。30才を過ぎたところでいきなり思い立ち、個人の資産を投じて掘り始めたのだそうな。後ほど観た雑誌の切り抜きには

「つるはしで掘り始めたが一日に15cmから30cmしか掘り進めず、すぐ工具がだめになった」

と書いてある。この洞窟を人力で掘り進んだというのか、、と思いつつ先に進む。すると洞窟の様相が変わる。

洞窟の壁がでこぼこした岩になる。観音がいる部屋も広くなっているのだが観て驚愕した。

でこぼこした岩肌の中、何体もの観音やら仏像やらが飾られている。奥の方にはコンクリートが白い肌を見せ、滝のようになっているがもちろん水などは流れていない。そのうちあることに気がつく。音が全くないのだ。聞こえるのは耳鳴りくらい。

ある部屋には「聖観音」なる名をつけられた観音がいる。その姿はどことなくキリスト教の像と重なっているようにも思うが定かではない。その前には丸い砂をいれたエリアがあり、さらにその手前にはここに立て、といわんばかりに足の形が彫られている。

しばらくそこに立っているとあることに気がつく。でこぼこになった壁-浅間山の溶岩らしいが-が人の顔のように見えるのだ。何かの本で読んだが、人間はうまれて一番早くに人の顔を認識するようになる。であるからして火星にも人の顔がみつかるわけだよーん、と。同じ原理だろうがいったん気がつくとそこら中人の顔があるような気がしてくる。

いくつ顔を見つけられますか?

音のない空間で多くの顔から見つめられている妄想にとらわれ急いでそこを出る。もう少し先にこんな看板がある。

「翁は生前この未完成の壁面の中に巨大な極楽(西方壌土)をイメージした洞窟を建設したいと語っていましたが、昭和三十九年志半ばで寿命となり八十才で大往生を遂げました。」

してみれば山田氏がもう少し長く生きたならばここはもっと怪しげな空間となっていたのだろうか。この反対側にはこんな絵が飾ってあるのだが深くは考えないことにしよう。

コンクリートで固められた通路を通ると外に出る。ふと気がつけば山の上にもなにやらあやしげな剣と像がある。剣はともかくこの像は何者なのだ。

この後山徳記念館とやらをみて外に出るとそこはさっき観た群馬合気道本部であった。雪の積もった坂を下りるともう一度洞窟観音の看板を観る。

真ん中のキャラクターはなんだろう、、、あっ。このポーズには見覚えが、などと考えるまもなく足を更に奥に向ける。今日の目的地はもう一つあるのだ。

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注釈