題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2003/5/11


三浦大仏:神奈川県(2003/4/29)

晴れた五月の午後、私は京急線にのりひたすら南下する。そのうち眠くなった。うとうとして目が覚めると目的の駅である京急長沢に近づいていた。

電車を降りて考える。目的地はどっちだ。目を上げると遠くの山に五重塔と大仏らしきものの頭が見える。あそこに違いない。

そう思って歩き出すのだが、例によって一筋縄ではいかない。ここらへんはやたらと山谷があり、道は碁盤の目などという概念とはほど遠くまがりくねっている。上る山を間違え、また降りる。そのうち「久里浜霊園」という看板が見えてきた。これだこれだ。

と自分が進むべき方向が確認できたのはまだ問題の半分でしかない。まもなく霊園の入り口が見えてきたが、ここから大仏までは急な上り坂が続く。階段があるところは階段を使う。急な階段をいつまでも上るのはつらい。しかし坂を上ることに比べればまだましかもしれない。鳥居観音で編み出した

後ろを向いて歩くと別の筋肉を使うから少し楽

という技を使いとにかく登り続ける。そのうち大仏が見えてきた。

ここの大仏は結構ハイカラな建物の上に鎮座しており、おまけに頭の後ろの光輪が独立した部品となっている。曲がった金色の棒についている光輪はどこか変な印象を与える。正面に回ってみれば大仏は瞳まで丁寧に掘られていることがわかる。全体が細身でおまけに膝から下あたりは雲に隠れているようなちょっとかわったデザインだ。

下を見れば金剛力士像がなにやらの扉を守っている。横を見ると大仏の説明が書いてある。作られたのは昭和58年。よく見ると石碑に刻まれた年号のところが直されているが、まあここらへんにはいろいろあるのだろう。

さて、というわけでさらに上に向かって歩く。距離にすればたいしたことはないのかもしれないが、足がよれよれになっているから結構つらい。そのうち五重塔が見えてくる。

大きくもなく小さくもなく変でもなく古くもなくふつうの塔である。そこからさらに少し上ると開けた広場のようなところにでた。

何かの像やらがごろごろと並んでいる。右の方にはだるまがある。あるだけで何も書いてないから由来はわからない。

そこから視線を左に移すと異様な像の集団がある。

近くに寄ってみると、埼玉県で起こった「幼女連続惨殺の被害者四子を供養し今後この種の悲劇の絶無を記念しつつ」と書いてある。その隣にいる4人の赤子を抱いた像は確かにそのためかもしれない。しかしこのトーテムポールのような狛犬、巨大な手、それに地蔵の集団はいったいなんなのだ。

日本すきま漫遊記」というサイトにある情報によればかつて寝ている釈迦像の上に看板がありおぞましい碑文が書かれていたと言う。インターネット上でそれらしき情報を見つけることもできた。この碑文は事実に基づいたものと言うよりも、書き手の妄想をふくらませた物のように読める。この異様な光景と異様な碑文を考えあわせるとき、ここを作った人に対して何かを感じずにはいられない。涅槃像の後ろは小さな菜園となっている。しかしいくつかの条件がOnになっていれば、ここはもっと広大で異様なスペースになっていたのかもしれない、などと考える。

というところで三浦大仏見物はおしまい。この日は二人ほど20−30台の男性とすれ違った。もちろん一人で墓参りに来る人もいるのだろうが、なんとなく彼らは私と同じ目的できているのではなかろうかと考えていた。今日は思わず珍スポットでも行ってみようかと思い立つほどよい天気だ。坂から見下ろせば初夏の海に船がいくつも走り回っている。

こうやって見ると大仏さんは縦にいくつかに分割されてるなあ。

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注釈