題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2003/9/3


京都タワー:京都府(2003/8/12)

京都駅にたどり着いたのが5時少し前。ホテルにはいって再び外にでて6時。以前の私だったらここでぱくぱくとご飯をたべ、部屋に戻ってぐーっと寝てしまったところだ。しかし今日の私はデジカメを握りしめている。寝る前にもう一カ所廻るところがあるのだ。

京都駅前には京都タワーが建っている。その形はローソクを模した物なのだそうな。止まったホテルが京都タワーの関連なんとからしく割引券が使える。450円払うとエレベータに乗る。11階でなにやら受付らしきところを通る。そこに怪しげな人形があり、興味を引くがまずは順序通り展望台に登る。

夕暮れ時の京都の町が一望できる。しかし数ある名所旧跡はこうやってみるとずいぶん小さくしか見えないからそんなに感動するわけではない。ぐるりとまわると下の階に降りる。エレベータに乗るとお帰りはこちらから、ということで途中の階でおろされる。矢印に従って歩いていけば下り階段はレストランの中にあるのだった。見本のなんとか定食に心惹かれるが先を急ぐ。

そこを降りると京都の一年を紹介したとおぼしきエリアにはいる。

これが節分の紹介にあった鬼である。赤鬼もいるのだがノリはこの青鬼と同じ。しかしよく見ればこの青鬼は顔のところだけ妙に青く、まるでお面をかぶっているかのよう。こんな調子で様々な京の行事が紹介される。

花見である。桜が美しく咲いた下で和やかに宴会。いいことなのだが、桜を見上げ手を垂直に差し上げるのが京風感動の作法なのか。さらには一番手前に写っている老人は何の信号を送っているのか。左手奥では日本のTraditionalな挨拶方法「とにかく相手より腰を曲げる」が演じられている。

宴会をしている人たちから一人離れて土手に横たわっている女性。いや、私には自信がない。この人は一体何をしているのか。道に沿って体を曲げることに何の意味があるのか。あるいはこれを「土手水練」とでも言うのか。

一見和やかな花見の風景にひそむこの不安。神と狂気は細部に宿るなどと考えながら展示を見続ける。

保津川下りという展示。川下りとおぼしき船がずいーっと移動していくのだが、最後は必ずこうなる。いや機構上こうならざるをえない事はわかっているのだが、それにしても真っ逆様に落ち込んでいく船の姿は何かを思わせずにはいられない。

祇園祭りで山車(?)を引いているはずの人たち。肝心の綱がないものだから腰を曲げ変な格好をした男達の集団にしか見えない。それでも脳天気に日の丸扇子をかかげた男は何を考えているのだろう。

さらに進むと「コインを投げ入れてください。あなたの運勢がわかります」とかなんとか書いてあって壺がおいてある。その向こうにはお言葉を下す神様達がいるのだが、妙にリアルで人間っぽい顔をしている。正確に言えば変な人っぽい顔をしている。これは注文した人の趣味なのか、それとも絵を描かされた人の心の叫びなのか。

月見である。かぐや姫である。人形は何も語らないが彼らの配置は何かを想像させる。そっぽをむいてしまったおばあさん。うつむくおじいさん。それにひきかえこのかぐや姫の脳天気な顔はどうしたことだろうか。そりゃいいよね。自分は月に行くんだから。子供の頃何気なく聞いていた話も年老いた今となってはおじいさん、おばあさんの気持ちを思うだに心が痛む。

10月である。池田屋事件である。坂本龍馬とおぼしき人形が「だぜよ」とか高尚な事をしゃべっているが見物客の関心はそこにはない。関心は鼻にあったのだ。みんながぺちゃぺちゃさわった結果が白いお鼻の龍馬さん。

出口というか入り口にたっているのがこの舞妓さん。全体のつくりは漫画っぽいのだが顔の造形というか塗り方が妙に写実的である。(女性の化粧についてはさっぱりわかりませんので、本当にリアルかどうかはわかりません)

などとつらつら眺めていると全般的に強烈なインパクトはないものの細部に妙なこだわりが感じられることに気がつく。そこから想像は妙な方にふくらんでいく。客先は「京都の一年を表現してね」とだけ要求を出した。さてどうしたものか。ここはオーソドックスに行くしかないか。京都1200年の伝統に逆らうことなどできようか。しかしありきたりのものでお茶を濁すなど死んでもいやだ。

よし、全体はごくおとなしく(偉いさんなどは決して細部は見ないのだ)細部にロックの魂を込めようではないか、と作り手が考えたのではなかろうか。そんな妄想をふくらませながらその場を後にする。

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注釈