題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2003/9/19


立石寺-山寺:山形県(2003/8/23)

さて、明日は一日暇な日。どこに行こうかと考える。ふと珍寺大道場というサイトでみた山寺の事が頭に浮かぶ。でも遠いしなあ、どうしようか。などと考えながら天気予報をみれば明日は久しぶりの好天。それに考えてみれば今は夏ではないか。蝉がないているかもしれぬ。

翌朝目覚めると寝ぼけているうちに家を出て山寺駅までの往復乗車券を買う。電車に乗っているうちに「そんなに遠くまでいくのか」と自問するがもう乗ってしまったからには前進しかない。

東京駅から東北新幹線、Maxというのにのると左右3列席で2階建て。その名のとおり最大限に人間を詰め込む構造になっており感心する。そのうちくてっと寝てしまった。子供の頃夏休みには仙台在住の祖父母のところに行った。上野から仙台までが遠くて遠くて退屈をもてあました物だが文明の進歩と加齢の威力はすばらしい。うたたねしている間についたらしい。乗務員に起こされ泡を食って降りる。

そこで山形に通じる路線に乗り換え。目的地を同じくしていた人たちが結構いたようである。ホームから見えるその姿に多くの人がシャッターを押している。

あそこまで登るのか、、という声も聞こえるが珍スポット巡りで神経を鍛えられた私は大して動揺もしない。だいたい目的地はみているではないか。

参拝口というか登山口に向かってほれほれ歩く。途中とても雰囲気のある山寺ホテルなどがあるのだが、今日は泊まるわけにはいかない。ひたすら歩き続ける。道ではなぜかこんにゃくやら売っている。こんにゃくで力をつけて上れなどというが、こんにゃくって確かカロリー0じゃなかったっけ。

「閑さや 岩にしみいる 蝉の声」

を芭蕉が詠んだ寺だから石碑有り芭蕉の像ありで何かとにぎやかである。冷凍ペットボトルも売られている。なんといっても今日は暑いのだ。そこらに「奥の院まで行くと2時間かかります」と書いてある。確かに2時間水分補給無しはつらかろう。などと考えつつお堂をみれば脱力を誘う布袋様がいる。

どうも最近布袋像をみると妙に脱力するようになってしまったのだが、今は力を抜いている場合ではない。いくばくかのお金を払うといよいよ上り坂が始まる。降りてくる人たちは「今日は筋肉痛になるよ」などといっているがそれほど疲労困憊という感じでもない。すこし安心する。そのうち「ここから下は地獄、ここから上が極楽」という姥堂が見えてきた。その名の通り中にはこんなのがいる。

なかなか恐ろしい顔だがここで立ち止まっている訳にはいかない。先を急ぐ。

「修行者の参道」と称されるこのような道が続く。先ほどの看板に「一つ一つの石段を登ることによって、欲望や汚れを消滅させ」とあったが、確かにそうしたものかもしれぬ。最初はあれこれ考えているがそのうち邪念というか頭の中の余分な声が消えていく。蝉はいろいろな声で鳴いている。

「車のついた後生車という木柱は、年若くして亡くなった人の供養で、南無阿弥陀仏ととなえて車をまわすと、その仏が早く人間に産まれてくることができるという。」

この説明にあるように、道の傍らには車のついた木柱が置かれている。その車を少し回してみる。この柱の数だけ亡くなった人があり、その人を供養しようとした人たちがいるのだ。しかしこんな柱もある。

自省録」の一節が頭に浮かぶ。「すべてかりそめにすぎない。おぼえる者もおぼえられる者も」いつしか後生車も朽ち果て、そしてその人の事を覚えている者すらだれもいなくなる。

そのうち道が分かれ、いくつか建物が見えてくる。先ほど駅から見えたのはいわば山寺の展望台とも言うべき場所であった。私は高所恐怖症なのであまり端には近づかないがそれでも眺めはすばらしい。

開山堂、五大堂と名付けられた建物の方に進んでいくと、そのうち人気がなくなる。この先に何があるのだろう、と思い進んでみればこんなところにでた。

看板には「これより先は修行の場所につき危険ですので一般客の登山を禁止します」と書いてある。先ほどから歩いてきて、単なる観光名所とは何が違う、と感じていたがそれはここが今現実に修行の場として使われているせいなのかもしれない。ところで看板の下においてある消化器はなんのためだろう。

いったん道を戻る。急な階段を怖くて下りられないと子供が言う。お父さんがはげましながらおろさせる。小さな子供をつれた人が結構多い。みんなはげましたり、なだめすかしたり。

そこから更に登っていく。大学生とおぼしき一団が携帯電話をみながらあれこれ話している。そうか、今日は高校野球の決勝戦で地元東北高校が出場するのだった。今では高校野球に殆ど興味はないが、若い頃だったら地元の高校が決勝進出ともなればわーわー言っていたかもしれない。そんなことを考えながら反対側をみると絶壁の途中に屋根が見える。

あとで調べればここは胎内堂といい、以前は行くことができたらしいが現在は観光客立ち入り禁止になっている。そこからいくつかお堂をみているうちそれはあった。

ムサカリ絵馬である。奥の院にあった説明書きを引用しよう。

「奥の院には、いろんな絵馬が納められている。結婚式の場面、花嫁・婿姿の写真画像など。これらは不幸にして結婚前に亡くなられた若者(男、女)の霊を弔い、せめてあの世で好きな人と添せてやりたいと親の願いからねんごろに供養してもらい、仏と共に親も満足できる。この絵馬をムサカリ(結婚の方言)絵馬とも云われ、地方の信仰で古くから伝わっている風習です。」

このお堂には4枚の絵馬がかけられていた。新しい物古い物。絵馬に書かれた人たち。絵馬を納めた人たちのことを少し考える。

そこからしばらく歩いたところに奥の院と大佛殿がある。

右手の奥の院からみていく。正面には鏡があり、あれ?と思う。説明書きによれば、ここのご本尊は鏡の後ろにあり、何年に一度しかご開帳しない。鏡を祀っているわけではないと書いてあるが、この配置をみれば誰だってここは鏡を祀っていると思うだろう。加えて

「ここは神社ではないので、拝むときに手を打たないように」

とか書いてある。そこまで書くくらいなら素直に代理の佛さんでも置いておけばいいものを。ここにも何枚か絵馬が奉納されている。撮影禁止なので写真はないが、女性がひとりで花嫁衣装を着ている物があった。必ずしも男女相手をみつけて絵馬にするわけでもないようだ。

続いて大佛殿をみる。こちらも内部は撮影禁止。奥に金ぴかの大仏様が座っているのだが、左右の壁にかかっているムサカリ絵馬ばかりをみる。少女漫画風のものあり、本職の方が書いたのだろうなというものあり。絵と写真の組み合わせというものもいくつかあり、ある絵馬には昔の言葉でヤンキーっぽい男性の写真が貼ってある。また男女両方の顔に写真が貼ってある物もある。不幸にして相手が決まっていながら結婚前に亡くなったのだろうか。

奥の院にあった説明書きには

「結婚することがこの世のつとめとされています。親の気持ちが忍ばれます」

と書いてあったように思う。この絵馬を奉納した人たちの気持ちを少しの間考える。

奥の院をでて少しいったところに三重の塔がある、と書いてある。遠くからみてもそれらしきものは見えない。はて、どこにあるのやら、と思い進んでみればこんなものがあった。

この写真ではわかりづらいが、格子の中に小さな三重の塔がある。確かに「三重小塔」だ。

写真を撮ると来た道を戻り始める。そのうちふと気がつく。蝉はずっと鳴き続けていたはずなのだが、奥の院、大佛殿で絵馬をみている時には全く聞こえなかったのだ。そこにはただ静けさがあった。

帰りは行きに比べればらくちんである。時計を見れば全て見終わって一時間ちょっと。もう一度山寺を見上げる。

前の章 | 次の章   | 一覧に戻る


注釈