題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2004/1/4


聖天宮:埼玉県(2003/12/28)

定期をつかって渋谷まで出、山手線にのって池袋。そこから東武東上線に乗る。かたこん、かたこんと電車は進む。12月だが風もなくおだやかな日。もともと風のふきようがない電車なかであれば窓から差し込む日差しであたたかくなりつい寝てしまいたくもなる。しかし寝込んではいけない。若葉というところで降りねばならぬし、そもそもそれはいくつ目なのだ。

「次は若葉」というから目を見開いて眠らぬようにつとめる。なんだかちょっとした町だなあと思っていると電車が止まる。改札をくぐってさて、と考える。某サイトに「工業団地の方にまっすぐ歩いていって、20分」と書かれていたことだけをたよりにここまで来てしまったのだ。さて、問題です。工業団地とはどこでしょう。駅の看板を観て、そちらとおぼしき方向に進む。

すると駅前からまっすぐ延びている広い道路があることに気がつく。よくわからんがこれにそって進んでみよう。一応時間をチェックする。20分を大幅に上回ってしまったらそれは何が問題があったとうことだ。

お昼時だから「帰りにここでご飯をたべよう」などと道路脇の店をチェックしながらずんずん歩く。そのうち店がとぎれ団地のようになってきた。ここで本当にあっているのかな。私が目指していたのは工業団地であって人間が住む団地では無いはずだが。少し不安になったころ大きな建物が前方に見えてきた。なにやら工場のよう。社名を観ればまずPioneerがあり、次には明治製菓がある。やれうれしや。どうやらこちらでそう間違っていないようだ。なおも進む。時計を観ると15分近くたっている。あと5分以内にそれらしきところが見えてこないと私は道を間違えたことになる。そうだよなあ。しかしたら「工業団地をつっきる」とは今進んでいる方向とは90度直角につっきるのかもしれないし。そのうち工業団地もとぎれたらしく、建物がまばらになる。時計をみるとまもなく20分。これは間違えたか。しかしここまで結構な距離を歩いてしまっている。また駅に戻って出直すってのもつらいなあ、、と思った瞬間前方になにやら怪しげなものが見えだした。

駐車場のような空きスペースの向こうに木が茂り、その陰にちらちらと黄色い変な形が見える。トーテムポールのようでもあるが、今日の目的地にトーテムポールってあったっけ。いや、とにかく何か変わった物があるということは好ましいサインだ。などと考えたその数分だが数十秒後、私はトーテムポールと見えた物の正体を知ることになる。

これを横から見ていたのだ。私は門を前にしばし呆然とする。なんだこの豪華さは。ここはどこ?私は誰?私は大坪五郎だし、ここは埼玉の坂戸というところだ。辺りを見回してみよう。

どうにも風景がうまくつながらない。右手の方は普通の日本の景色。しかし左にいけばきんきらきんの建物である。

しかしこの門はすごいなあ。趣味がいいとか悪いとかを通り越してとにかくすごい。

などと感心していると、門の手前にある小屋からおじさんがでてきて、パンフレットを渡してくれた。どうぞ自由に中を見てください。写真も大丈夫です。ただ奥にある神様だけは写真が撮れないようになっています。私はパンフレットを受け取り礼を言うと中にはいる。前殿と名付けられたエリアがあり、そこはガラスで囲われている。ここでも神様に向かって礼ができるようになっているらしい。壁にはこんな像がある。

他の人に対しての説明を横で聞いていたところによれば、これは一本の木から掘り出されたものだそうな。私にわかることはとにかく絢爛豪華ということだけである。そこをすぎると中庭があり、本殿がある。

うむ。こちらもすごい作りだ。振り返れば先ほどのガラス張りエリアに本殿が写っている。

本殿前にいくと線香が並んでいる。もらったパンフレットを読みながらその通りやってみる。線香を3本取り、火をつける。礼拝台に跪き、神様の名前から自分の名前、年齢、住所を告げ、、「三清道祖の位が高いのでお願い事は何でもお願いできます」という言葉が好ましい。では何でも願ってやろうではないか、と思うのだが考えるそばから

「それはおまえの問題だろ」

という言葉が頭に響く。というわけで、私の力ではなんともならないことだけお願いしてきました。ちなみにここの料金は「施設維持協力金として100円以上のお賽銭をお願いします」とのこと。この絢爛たる施設が維持されるのなら100円など安い物。

などと観ている間はとにかくその豪華さにご機嫌になるのだが、一歩外にでいるとまた風景とのアンマッチさが実感される。そもそもなんでここに建っているのだ。パンフレットを読むと

「三清道祖のお宮を坂戸市の当地に建てるお告げを授かり」とあるのだが、それだけでは釈然としない。公式サイトにある

「崑崙:中国の神話にある西方に聳え立つ霊峰。 現在ある崑崙山脈とは無関係ですが崑崙山脈の最高峰と坂戸市の緯度は近い。」

というちょっと不思議な記述だけがその問いに対するヒントらしき物となっている。その後に両地点の緯度、経度の値が並び

「茨城県玉里村が一番近いです。」

と書いてある。本当は茨城県に建設したかったのかもしれぬ。建設費は公表されていないが、これだけ凝ったものを台湾で製作して運んだとあるから、そうとうな額になるだろう。着工が1981年、開廟が1995年。14年がかりである。そもそもこの装飾をきれいに維持するだけでも大変な人手がかかるように思うのだが。お金というものはあるところにはあるのだなあ。

おまけ:トイレにあった男性用、女性用の表示

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注釈