題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2004/2/2


慈母観音 : 茨城県(2004/1/5)

私は通勤ラッシュという物を避けることに多大の熱意を注いでいる。そのためであれば朝の5時に家を出ることなどなんでもないのだ。そうまでしていたのにこの日が世間では「仕事初め」にあたっていることをすっかり忘れていた。

横浜から電車一本で目的地まで行ける。乗り換えが嫌いな私にとってこれは好都合などとほくそえんでいたのは実におろかだった。横浜駅7時38分発の電車はで既に人で満杯に成っているのだが、更に人が乗り込む。私も乗る。他人とくっつくのはいやだが、そんなことは言っていられない。私の隣にたったおじさんは妙に私のバッグを気にしていたがこちらとしても何もできぬ。馬喰町というところをすぎたところで嘘のように車内がすいた。しかしそのまま乗り続ける。私の目的地は遙か彼方にあるのだ。

そのうち車掌さんが廻ってきた。目的地までの切符を買わなくては。朝自動販売機で一番高い切符を買ったのだがそれでも目的地までは届かない。さて問題です。今日の目的地は潮来ですが、なんと発音するでしょう。「"黒潮"の"潮"に"来"るです」とか説明すること数度。この駅名の発音が「いたこ」であることを知る。ここは恐山か。潮がなぜ「いた」になるのか。とにかくなんとか切符が買えた。あとは電車ののったままのんびりである。

そのうちあたりに一面田んぼが広がる電車はかたこんかたこんと進む。北利根川という川を渡ると少し町らしくなってきた。少しして潮来到着である。

さて、と見当をつけた方向に歩き出す。今日の目的地までの道順はきわめてシンプル。駅からまっすぐ歩き一度曲がればよい。駅から何分かかるかについては二通りの情報があった。「潮来駅から徒歩30分」というものと、潮来市立日の出中学校のサイトに書いてある「潮来駅より徒歩10分」というやつである。後者には地図も書かれており、それを観れば確かに10分でつきそうだ。明るいニュースを信じたくなるのが人の性だから日の出中学校を信じて歩き続けるのだが、歩いても歩いても風景は広大に広がっており動いてくれない。この感覚は米国で味わったことがある。空は曇っており風は冷たい。つまりありがたくない状況である。そのうち日の出中学に対する私の信頼は薄れ始める。ようやく曲がるべき交差点が見えた。信号も無いがなんとかわたる。そもそもここを人間が横断することなど考えていないのだろうな。

そこからも立派な道路が続く。歩道も立派で私が住んでいる辺りだったら悠々バスが通れそうな幅がある。しかし進んで行くにつれその立派な歩道が荒れ始める。

そのわきには「○○県議会議員連絡所」と書いた看板が草が生えた空き地の真ん中に立っている。ここからどうやって連絡しろというのか。のろしでもあげるのかな。などと考えながらまだまだ歩く。そのうち前方に中学校らしき建物が見えてきた。ということはその近くに有るはず。間もなく大きな看板が見え、入り口が見えてきた。

今日の目的地慈母観音である。何故ここまでこようとしたか。本を買うときはインターネットに頼る。何か知りたいことがあれば、それに関する本を簡単に探すことができるからだ。そうやってあれこれ探しているうち本というのは簡単に絶版になる、ということを知る。ある時BBCが製作したドキュメンタリーを観てから幼少の頃名前だけ聞いていた「ウォーターゲート事件」に多大の興味を抱きだしたのだが、それに関する書籍が極端に少ないことに驚いた。(日本語で読める情報に頼っているのが間違いなのかもしれないが)その当時には多くの本が出版されたであろうに、すっかり過去の忘れられた事件となりつつあるようにおもう。同じように私が幼い頃に起きた「ロッキード事件」も忘れられた事件となりつつあるようだ。立花なんとかが面白い本を出しており、それの一巻二巻まで買ったのだが、3巻以降を買おうと思ったらもう絶版になっている。

さて、例によって「どこにいこうか」とあれこれ情報を漁っているうち今日の目的地が「七堂伽藍を整え世にロッキ−ド観音といわれたもの。」と言われていたことをあるサイトで知った。をを、これはと思い「ロッキード観音」で検索するとどこもひっかからない。つまり当時はよく使われたであろうこの言葉は事件の風化と共に死語となりつつあるのだ。

と長い前置きはさておき、この寺が造られた時一緒に作られたという門前市に入ってみる。

見たところ入り口と出口付近に営業している店が何軒かあるようだが他はシャッターが降りている。一軒が数軒分のスペースを占拠しているようにも見えるため、何軒営業しているのか定かではない。土産物兼ラーメン屋、漬け物屋、おもちゃ屋があるようにも見えるのだが。シャッターが開けられ完全な空洞と化しているスペースもいくつかある。

私は今まで歩いてきた道を思う。だだっぴろいスペースの中に民家と店がぽつぽつと建っているその風景を。そのまっただなかにあるこの場所に何かを買いに来る人がいるとすれば、それは参拝客ぐらいのものだろう。この日10名くらいの人を見かけた(除く坊さん)彼らがそこで売られていたもので買うとすれば漬け物くらいかなあ。そこを出ると「男子トイレ」と書いてあるそのすぐしたに「故障中なので女子トイレを使って下さい」と書いてある。アーケードの屋根部分には観音が描かれていたのかもしれないが今は消されてしまっている。

中に入るとあれこれの建物が並んでいる。なのだがそれらはごくまともで私のようなひねくれ者の興味を引く物でもない。ロッキード観音様も頭に飛行機がついているわけでも袖の下がふくらんだりジェットエンジンが着いていたりもしない。

外には絵馬をかけるところがあるが、実に閑散としている。

そもそも何故ここがロッキード観音と呼ばれたのか。その答えは観音様がいるお堂のすぐ外にあった。

この橋本登美三郎という人はロッキード事件当時に運輸相→自民党幹事長だったらしい。でもってこの寺の建設に大きな影響があったことが推察される。たとえば大黒堂にはこんな事が書いてある。

「昭和五十二年三月五日橋本登美三郎氏は本境内で胸部を刺されるの厄難にあったが、幸いにも慈母観音の御功徳により、九死に一生を得た。」

もっと何か無いかと思い探すと石碑があることがわかる。そこに橋本富三郎という名前が有ることはわかるのだが、文字が薄れてしまい文章を読み取るのも困難だ。

本堂の前にだだっぴろい空きスペースがあり、旗を掲揚するとおぼしきポールがある他は何もない。子供とか犬とかが遊ぶにはちょうどいいと思うのだがあそこはなんなのだろう。そんなことを考えながら外に出るとこんな看板がある。

思うに皆様の寄付をあつめ「無量寿殿」を建築しようとしたのではあるまいか。場所はあの「空き地」だったのかもしれない。しかし看板は朽ち果て、なんとか長たる橋本氏もなくなった今となってはその実現もかなわぬことか。

そんなことを考えながら駅に向かう。どう考えてもここから歩いて30分はかかるではないか。あるいは日の出中学校では駅から学校まで10分以内で走れないと卒業させぬといった制度があるのかもしれない。

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注釈