題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2004/8/12


法輪寺-だるま寺:京都府京都市(2004/7/28)

朝もはよから京都駅に降り立ちバス乗り場を探す。とにかく205という系統にのるのだ、と観ればまさにその番号のバスがとまっている。あわてて乗り込めば目的とは逆方向のバスであった。終点で降ろされ己の愚かさを悔やみながらしばし待つ。

ここは終点だからここから出るバスで乗り間違いは無いはずだと自分に言い聞かせているうちにバスが来た。最初は空いていたが途中四条なんとかいうところで学生さんたちがたくさん乗ってきた。その少し先、西の京円町という停留所で降りる。

ここから歩いてすぐの筈なのだがそれらしきものは何も見えない。仕方がないからパチンコ屋の前で自転車整理をしていた男性に聞いてみる。すると「あそこにだるまの看板が見えるでしょう」という。

みればたしかにだるまだ。たぶんあっちじゃないですか。わかんなかったらあそこでまた聞いて下さい、と言われる。礼を言って歩き出す。看板があった角を曲がると静かな住宅街の道になる。さて、目的地はどこかと思っているうちいきなり右手に現れた。

ここが法輪寺-達磨寺である。もらったパンフレットによれば

「この寺は、洛陽円町、北野天神ゆかりの紙屋川畔にある。臨済宗妙心寺派の名刹であり、通常「だるま寺」の名で親しまれている」

とのこと。中にはいると受付のようなところがある。人がいないからしばらく待っていたら向こうから女性が走ってきてくれた。300円払うと丁寧に観るべき場所を説明してくれる。ここから上がってもらってあちらが本堂であちらに達磨があってこちらから2階に上がれます。礼を言ってさあ、観ようとしたところではたと困る。通路に板がしいてあるのだが、ここは靴のままでいいのかいけないのか。よくわからないから靴を持って歩き基本的には裸足で歩いた。まず本堂と言われる方に行く。すると静かな庭があり、達磨の絵もある。

こういう静かな場所はよいなあ、と思うが私の興味は別の方向にも向かっているのであった。衆聖堂とよばれる建物の一階にはいってみる。すると薄暗い部屋の中達磨がごろごろいる。正面にはこんな像がある。

垂れ下がった達磨の提灯が間抜けであるが後ろにいる十六羅漢像は結構不気味だ。壁際のケースに陳列された達磨を観ていく。そもそも達磨大師は

「面壁九年、手も足もなくなり尻も腐ったと世間が評判するほどの忍苦の修行をされ禅宗の開祖となられたのである。」(パンフレットより)

の人なのだが、日本に伝わった後は

「達磨大師は、仏壇や寺院から十字街頭に進出し、子供のためには玩具となり、音のあのためには厄除縁起の神となり、千変万化して天真流露の活躍をすることとなった」(パンフレットより)

とのこと。とにかくそのバリエーションには驚かされる。

ひとしきり感心すると二階に上がる。すると仏様が寝ている。

そのまわりには位牌がたくさんある。最初は何の気なしに眺めていたが左手には第二次大戦でなくなったと思しき人たちの位牌がある。その隣に東京オリンピックのマラソンでスタジアム内でぬかれ、自殺した円谷の写真もある。あれから数十年、時代は変わった。今では「国民の期待」に添えなかったからといって自殺する選手はこの國にはいまい。

右手手前にはこんな位牌群がある。

中央には大きな「大日本映画界萬霊位」の文字。その周りには私でも聞いたことがある人の名前がならんでいる。石原裕次郎の名前もあるけど、たしか彼の墓って別の所にあったはずだし、、というわけでこの場所がなんであるかを知るのはもう少し後になる。

そこを降りると向かいにある「三国最初随一の起き上がり達磨堂」に向かう。入り口にはいきなり「おさいせん」係の達磨がいる。

この建物の内部にはとにかく達磨がぎっしりと飾られている。前述した達磨の定義によれば、達磨は坊さんのはずなのだが、その意味はすっかり薄れ、こんなのが結構いる。

達磨雛とでもいうのだろうか。こちらは布袋と合体したのか。

この姿には見覚えがある、と思えばルーブル彫刻美術館の裏で見たやるき達磨だ。この姿には何かの原型があるのだろうか。

左のはロシアのマトリョーシカとどこか似ている。

とすっかり達磨を堪能したところで外に出る。受付に行くと先ほどの疑問-ここに映画の人たちの位牌があるけどお墓と関係あるのか、と聞いてみる。すると「お墓はないんです。そのへんの事情についてはこれに書いてあります」と別のパンフレットをくれた。びっしりと「キネマ堂」の縁起が書いてあるが、要約すれば

「日活撮影所の名物所長池永浩久が1940年、先人達の霊を祀り、その冥福を祈るため、大日本映画大道会なる会を発足。映画関係物個者の前霊を合祀しようと思い立ち、自宅を改造して祭壇、集会所などを設けた。1944年、戦火により消失することを恐れ、達磨寺に全てを献上し奉納した。このキネマ堂には宗派にとらわれず(そのため位牌には戒名ではなく生前の名がしるされている)、その後に亡くなった映画人も祀り、位牌は増えていった」(パンフレットの内容要約)

ということらしい。ということなので、お墓の場所とは関係なく映画関係者だったらここに入れてもらえるのだろうか。でもなあ、すると私がたとえば「偉大な科学者」で亡くなった人の位牌を集めて祀ってもいいってことなのかなあ。

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注釈