日付:2004/8/20
霊山観音を見終わると再び歩き出す。確かこちらの方角のはず、、と思い歩いていくと観光客がたくさんいる通りに出た。人力車も何台か走っており、若いお兄ちゃんが解説付きで人を乗せながら走っていく。そのうち前方に目標とする建物が見えてきた。
これが祇園閣、通称銅閣寺であるらしい。そう聞けば屋根は銅で拭かれているようにも思える。以前近くに来たとき観光タクシーの運転手さんに
「あの変な形をした塔は何ですか?」
と聞いた。運転手さんは
「観ての通り塔です」
と答えた。いや、世の中にあんな変な形の塔がそうあるはずがない、と思いインターネットであれこれ調べてみればやはりただの塔ではない。
なんでも
「大倉財閥の創始者大倉喜八郎が建築。昭和2年竣工。その後高島屋の所有を経て、現在は大雲院の所有。最初の案は傘が逆さまに開いた形の銅閣だったが実現困難であったため、祇園祭の鉾をかたどった形状とし”祇園閣”と呼ばれるようになった」(いくつかのサイトの内容より)
とのこと。しかし問題はどうやって近づくかだ。塀を左回りにたどる方向に歩き出す。
日差しをと熱気はますます激しくなっているように感じ(これは単に私がくたばってきただけ)足どりは重いがなんとか近づきたい。まもなく正面と思われる門にでたが、ゲートは閉じられている。どうも一般の観光客がへらへら近づける場所ではないらしい。
そこからさらにとぼとぼ歩き続けるが、入り口は見つけられない。しょうがないから最初に観たときとは反対側の位置から写真を撮る。
その先の坂を下りると「大谷御廟」という大きな石碑がある。ここはなんなのだろう、と考える力も失われてきたようだ。
さらに歩き続けると最初の位置に戻ってしまった。一周したが入り口は無かったということか。仕方がないから写真を撮る。長い塔の先には鶴がおり、屋根のひさしはあくまでも長い。そして何か文字が書かれた看板がある。
どうやら下半分は石垣になっているようだ。いくつかのサイトによれば、入り口には大きな金属製の扉があり、内部にはランプを支える化け物の像が有る、とのこと。
とにかく今は涼しいところにいかないと昔で言うところの日射病、最近の表現では熱中症で倒れそうだ。よれよれとバス停を目指して歩き出す。
本項の記述に関しては以下のサイトを参考にした。
大雲院について
http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/daiun-in.htm
銅閣寺-祇園閣の由来について
http://naokun.cocolog-nifty.com/nekozura/2004/02/post_21.html
祇園閣内部について
http://www02.so-net.ne.jp/~yokom/tatemono/ito/giondentuin.html