題名:巡り巡って

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日付:2005/1/13


根岸競馬場観覧席:神奈川県(2005/1/8)

映画を観ようと川崎まで行ったが既にチケット売り切れであった。ええいしょうがないと再び京浜東北線に乗る。しかし本来降りるべき横浜では降りずにその先根岸と言うところで降りる。駅前にはこんな地図がある。

小学生が作った地図らしくほほえましいといえば言えるのだが、位置関係は大幅に省略されている。このとおり行ってもつけそうにないからネットで調べたとおりの経路を通る。広い通りを右に曲がり、しばらく歩いたところで左に曲がる。すると根岸森林公園行きの道、というか階段がある。ぜいぜい息を切らせながら登る。坂の途中とか上にマンションがたくさんある。確かに眺めはいいのだろうが駅への行き帰りは大変だ。

などと考えているうち登り切ったようだ。さて、目的地はどこだ、と思っているうち、遠くに何かが見えてきた。

あそこにはどうやったら行けるのだろう。とりあえず根岸森林公園の中に入る。ぐるっと回る通路があり、その周り一帯は芝生になっている。ジョギングする人やら犬をつれてきている人がたくさんいる。休みの日に家族と来たら良さそうな場所だが今はそんなことを考えていてもしょうがない。とにかくあそこに行くのだ。

あるサイトに「競馬で言うと第2コーナーを回った辺りに階段がある」と書いてあった。さて第2コーナーとはどこだ、と思って歩くことしばらく。それらしき階段が見つかる。ぜいぜい言いながらも目的地が近いと思うと足も速まる。登り切ると見えてきた。さらに近づく。

どうやら目的地の隣に米軍の敷地があるようだ。これは面白い。米軍の入り口と一緒に写真を撮ろうとカメラを撮り出す。すると歩哨らしき兵隊がとびでてきて両手で×マークを作った。米軍相手に戦争するのは怖いから素直にカメラをしまう。ひょっとして今日の目的地は米軍敷地内にあるのか、と思ったがそんなことはなかった。

このように大変景気よく危険なマークをつけた看板があり、そこに「中部公園緑地事務所」とあるからだ。しかしこれを見ているとこの中には危険な細菌から放射性物質から存在しているように思えてくるのだが。

このように周りは柵で囲われているが写真を撮るのに支障はない。

これが今日の目的地根岸競馬場観覧席である。以下根岸森林公園の説明から

「ここは、慶応3年(1867年)にわが国最初の洋式競馬が行われたところで、昭和18年6月まで続きましたが、戦後は接収され、米軍のモータープール、ゴルフ場となっていました。昭和44年、主としてゴルフ場だった場所が接収解除になり、横浜市は、昭和47年から公園整備に着手、中央競馬会による競馬記念公苑とともに、昭和52年10月1日開園しました。」

ここはその根岸競馬場の一等観覧席だったらしい。以下1930年代の写真。

競馬というと場外馬券売り場近辺の怪しげな雰囲気を思い出すけど、この建物にはどこか高級さが感じられてなかなかいいのではなかろうか。マイ・フェアレディとかここだったら似合うような気がする。

しかしその建物も今や廃墟と化し、壊されるでも修復されるでもなく建ち続けている。多くの窓は塞がれ、上部の丸窓だけがそのまま残されている。理由はよく分からないがこの建物を見ていると私が通っていた高校を思い出す。あそこも随分古かったのだが。

少し前に撮られたと思しき写真には前方につきだした屋根の骨組みが残っていた。今はそれもなくなってしまった。

ここは小高い丘の上にあり、辺りを見れば住宅街。ここらへんに住んでいる人たちは朝な夕なにこの廃墟を見ているのであるなあ。なんとうらやましい、というのはやはり間違った感想だろうか。

私の他にもカメラを持った人をみかける。おそらくこの建物は太陽の位置や天候によっていろいろな顔を見せてくれるのだろう。帰りがけに振り返った建物は少し赤くなった曇り空を背景にしていた。

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注釈