題名:巡り巡って

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日付:2006/1/9


太陽公園 - 石貨&ピラミッド篇:兵庫県(2005/12/28)

万里の長城は途中で途切れており「歩道をお歩き下さい」と張り紙がしてある。ふと気が付く。ここから入場して500円を払わずにすませることもできるではないか、と。もちろんよい子のみんなはそんな事をしてはいけないし、最初に書いたようにここの500円というのはとんでもなく安い料金だと思う。だからちゃんと正面から入場しお金を払おう。疲れた中年との約束だぞ。

などと言っている場合ではない。視界が開けた瞬間私は唖然となった。見える物を順に説明する。まず一番手前には干上がった池があり、その向こうにはこんなものがある。

湖畔に木製のバンガローのようなものが並び、更にその向こうにお堂の群れが見える。群れ、この数はそうとしか呼びようがない。更に視線を右に移してみる。

お堂の群れは更に続き石灯籠もうじゃうじゃ見える。また後ろの方、木に隠れてはいるがなにやら白い△が見えている。この正体を知るのはもう少し後ほどのこと。

いつまでも口を開けていてもしょうがないから、まずバンガローのようなものの方に進む。どうやらこれはヤップ島にあるBank of Stone Moneyらしい。そこら中に石のお金があるのだが、例によって色々な国の貨幣がある。ひときわ大きなこんな物もある。

でもってバンガローなのだが、池に水が張られていればもっと雰囲気があったのやもしれん。あるいは前におかれた壺にかかれた日本語がいかんのだろうか。

「石貨神殿」の他に書かれた文字は「富運」「金運」「寶運」奥のほうにはうち捨てられたトーテムポールのようなものがある。パンフレットにある写真には、この日本語がかかれた壺と石貨がなく、トーテムポールが立っている。韓国灯籠の写真にも石貨はない。ということは何かの理由によって石貨を大量発注してしまった、ということか。ちなみにマーライオンはここにもいる。

歩をお堂の方に進める。いきなり峰相という文字が出てくる。これは何かと思っているとこんな石碑があった。

「峰相の霊場
鶏足寺は新羅の微叱已知王子が 西暦五百八十一年この峰相の地に開創し 日本最古の演技と最大の寺観を誇ったがその後長年月の間には興隆衰退もあり 天正六年の災火した荒廃亡○と化して既に四百有余年を経過した。開山王子と数千の僧侶従僧従者を祀る事久しく絶えたのでここに霊場を建設してその御霊をお祀りしたものである。」

というわけで雛壇の形に仏像だかなんだかが並んでいるがもうこのくらいのことでは驚かない。しかしこのお堂の群れはなんとしたことか。ちらっと見たところではそれ自体は特に変わったことはないようだが、これだけ数がそろうと、、私の口は再び開き始めている。

しかし上の写真でも一番右になにやら△の物が見えているのに気が付くだろう。そしてその全貌が明らかになったとき再び私の口は大きく開いた。

ピラミッドである。姫路の山奥にピラミッド。手前にあるものは小さく見えるが実際小さい。ピラミッドが小さくなると一つ一つの石が相対的に大きくなるので、とてもデコボコしてはたしてピラミッドと呼んで良いのかどうか自信がなくなってくる。奥にある一番大きなピラミッド(それでも小さいが)の中にはちゃんとした部屋がありこんなものがある。

ちゃんとヒエログリフも記載されているがもちろん何のことかはわからない。回りの壁にも絵だか写真だかが飾られているが説明もないのでよくわからん。一回りして外に出る。スフィンクスの後ろ姿というのは結構かわいい。

ここからの風景というのも結構私を唖然たらしめるものがあるのだが、それについては後で触れよう。今は左手に見えている別のタイプのピラミッド、それにお寺を目指すのだ。またひいこらいいながら坂を登る。見えてきたピラミッドはどうやら一番新しい物ではなかろうか。まだ石がてかてかしているし、説明もついていない。

とういことはここは増殖しつつある場所であるわけだ。後で下から見たとき、このピラミッドの手前に段々になった空き地があることを知った。あるいはここにも何かをシリーズで作ろうとしているのか。

いや、今は先を急ごう。ピラミッドの奥にある階段を上っていく。そろそろ足が疲れてくるが、この先には何があるのだろう。

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注釈