題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2006/1/13


安福寺:広島県(2005/12/30)

福山で目覚めた私は7:19発の電車に乗る。昨日はもっと早起きして電車にのる意欲に燃えていた。しかし駅で時刻表をみれば途中の府中という駅から先、接続が無いではないか。であれば無駄に早起きしてもしょうない。

などと考えているうち電車はことことと走り続ける。途中少し変わった光景を見た。山肌にそって何軒もの家が建っているのだ。傾斜の途中にあるからどこも立派な石垣を持っている。まるで小さなお城のようにも見える。

そのうちトンネルに入った。長い長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった。うげげげげ。少し前に関東地方を除いて日本中雪だらけだったのだが、それがこんなに残っているのか。これでは行動がままならぬかもしれん。

電車に乗ること90分あまり(途中一度乗り換え)上下駅に着いた。さて、ここからどうするかと言えば滅多に使わないタクシーに乗る。他に行く方法が見つけられなかったからだ。雪がなければ歩くこともできる距離(5km)だが、タクシーから回りの光景を見ているうちそれをやらなくてよかった、と安堵した。この雪景色の中、ろくに歩道もない道路を5km歩けばどこかでひき殺されるか行き倒れになったことであろう。

10分ほどで今日の目的地についた。安福寺である。

お寺自体は普通に見えるが、脇と手前に変わった物がある。降り積もった雪をふみしめつつ慎重に歩く。まずはお賽銭を投げて手を合わせる。振り返ってみればこんなものがある。

雪がなければもう少し何を作ろうとしたかはっきりするのだろうか。再びお寺の前を通り反対側に向かうと細長い建物が連なったエリアがある。

まず手前のひょうたん某から見ていく。このお寺はちゃんとした観光ガイドにも載っているのだが、それは主に美しいあやめの寺としてである。そのあやめについての説明が看板に書いてある。そこをすぎるとひょうたんがぶら下がった場所になる。

右奥にはいろいろなひょうたんが展示されている。楽器のひょうたんなどにはなかなか感心するが、やはりこういう場所であるからこんなひょうたんも飾られているのであった。

こういうものを飾らざるを得ないのがオヤジ感覚というものであろうか。その先は無料休憩所(誰がどうやってここで休憩するのだろう)と資料室に分かれている。資料室を見るためには100円いれて電灯をつけるように、という記述がある。

この「100円いれるように」という注意書きは少なくとも3−4カ所に書かれていた気がする。その文字を見ているうち、ある場所が頭に浮かんでくる。今は無き神秘珍々ニコニコ園だ。展示を見ているうちいやな予感は加速していく。右手には昔の農作業が再現されている。

「腹わ太いし子わおるし」など昔の生活を体験した人にしか書けない言葉もあるのだが、このお面は一体どうしたことか。一人きりでこの人形達と相対しているとなんとも言えぬ不気味な感じがしてくる。

そこを出ると今度は外壁に「ああ あのとき あのころは」と書いてあるエリアになる。入り口近くには「くるしみをこえて」と書いてある。

手前に防毒マスクとか手榴弾が並び、後ろにはやはり人形がならんでいる。そのうちの一体(下の写真の左手)には「若き日のひょうたん和尚」という説明がついている。かの和尚は戦時中陸軍将校であったか。

子供の頃はただ興味に引かれて見たであろうそれらの展示もこの年になるとなかなかつらいものがある。しかしこの看護婦の顔はなんとかならぬものだろうか。

その隣には戦時中の家庭を表したとおぼしき展示が。それぞれの人形の造りは簡素だが、表そうとした事はよく伝わってくる。

その隣にはこの展示がある。ここは山の中だが広島県であった。

そこに書かれた「ひさん。ざんこく。二度。。」という文字は不完全な文だが、それ故に書こうとした気持ちが伝わってくる。しかしここに展示されている人形だけが西洋顔したマネキンなのは何か理由があるのだろうか。

これで戦時中の展示はおしまい。そこを出ると古い家屋がある。第3資料館と書いてあるので、おそるおそる戸を開けてみる。すると中にこんなのがある。

ここに書いてある言葉も「いわしのしっぽもしっかり食べなきゃ乳がでない」「はたらいて はたらいて お乳をやるときが母の時間。いこいのひととき 昔の話しかのう」ということで、やはり当時を実際に知った人でなければ書けない言葉。しかしこの人形はなんとかならんのか。隣のふすまを開けてみればやはりあれこれ展示された部屋である。それを見ているうちに平家狩人村を思い出す。

これで展示場所の見学はおしまい。元来た道戻り、その前にある庭を見る。例えば田園ステージにはこんなものがある。

書かれているのは「二人でゆれたあの白いぶらんこ きみはおぼえているかしら」という文字。なかなかしゃれているし、その後ろに足ふみ水車があるのもすばらしい。大きな水車があり普通と逆に回る揚水水車だと説明が付いているが、これが回っていたのはいつのことなのだろう。

七福神の像を見てほぼ見尽くしたことになるのだろうか。雪に何かが埋もれているのかもしれないが、それは分からない。ここを作ったとおぼしきひょうたん和尚は平成8年に無くなったとのこと。ひょうたんエリアに飾ってあった「歴代ミスあやめとの3ショット写真」に写っていたのがその和尚か。

帰り道を探すべく歩き出す。振り返ると安福寺の全景が目に入る。向かって右手の方に何かが見える。最初は気にならなかったが、ひょうたんが飾られているところを見るとこの寺の一部なのだろうな。

また少し外にでたところには便所がある。私はくみ取り式の特徴である「からから廻る物」が、塔の先っぽと兼用されているところに感心していたが、いくつかのサイトによれば中にある鏡が湾曲したびっくりミラーとのこと。しまった。観ておくのだった。

そして反対側の山を観ると何かがある。肉眼ではよくわからなかったが、門の右側にどうやら御姫様がいるようだ。

というわけであてもなく歩き出す。安福寺にはたどり着くのも大変だったが、帰るのも大変である。というかとりあえずたどり着くことしか考えていなかったものだから「さて、どうやって帰ったものやら」というところから考えなくてはならぬ。あやめ荘という大きな温泉旅館が見えるので何か手だてがないかとそちらに向かう。

途中バス停を見つけた。しかし予想通りというかなんというか広島行きのバスしか出ていないようだ。あと一時間ほどでそのバスは来るらしいが、広島に行ってしまうというのもいかがなものか。あやめ荘に着いてみると雪かきをしている男性が一人いるだけであまり人の気配がない。朝風呂の時間は不幸にして終わっており、バスがくるまでお湯につかって待っていることもできぬ。細かいが雪が降り続いており、あまり露天にいるのは好ましくない。ええい、と辺りを見回せば電話ボックスが。

Yellow Pageを読み、上下町のタクシー会社に電話をした。何分待ったか知れぬがタクシーが到着。別に送迎料金も取られず良心的なことであった。かくして上下駅にはたどり着いたが、次の電車は2時間ほどしないと来ない。しかたがないから駅前の喫茶店にはいり時間をつぶすことしばらく。お昼ご飯を食べ上下町の観光までしてしまった。そこから府中で乗り換え福山に行き新幹線に乗り、と新大阪までは無事についた。しかしここからまた私は愚かなことをやるのであった。

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注釈